パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

今年は、、、

2007年12月31日 16時52分21秒 | Weblog
今年の漢字は予想通りの「偽」だったけれど
個人的に総括すれば怪我とか病気の一年だった

まずは階段から落ちて、あばら骨の骨折から始まって
次に車の後ろから追突され
その次には右足首の捻挫
それが治ったと思う頃に、左足の人差し指の先に魚の目
そして最後に恒例のぎっくり腰

そして、その惨状を人に話す度に聞かされたのが
「もう若くはないんだよ」の言葉
確かに小さな字は読めなくなっているし
酒の量も減ってきたし
朝早く目覚めてしまう

精神的には少し頑固になりつつあるのかもしれない
いろいろ文句を言いたい事が多くなって
ついつい、今の若者は、、、と
苦言を述べたい自分がいる

それと、古いものに対する愛着、畏敬の念や
生き物に対する素直な驚きと感動なんかは
若い時にはなかった感情かもしれない

当たり前の事だが、
時は流れ、後戻りしない
単純なこの事実が、ひどく切実に感じられる年の終わりだ

しかし、明日から仕切り直し!
来年は自分だけでなく、
多くの人にとっても良い年になればいいのだが、、、







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大掃除

2007年12月30日 13時33分30秒 | Weblog
昔は、今日30日は餅つきの日だった
我が家だけでなく近所からも、ぺったんぺったんと杵の音や
餅米を蒸している香りが漂ってきた
皆でワイワイ言いながら、あんころ餅をつくったり
最後の臼の生餅を大根おろしとか、きな粉をまぶして食べたり
(祖父は湯餅にしたりして食べ方も色々だった)
不思議と人それぞれの担当が決まっていて
一家の恒例行事で今思えば楽しかった

それが今は餅つきは何かのイベントでしか見られなくなった
少し残念な気がする
面倒だけれど、その分家族がまとまるよい機会になるのでは!
と思うのだが、、、

餅つきをしない今日は、多分日本国中でも
多くの家庭でやっているだろう大掃除

この大掃除、毎年思う事は、
毎日少しづつやっておけば
今になってバタバタしなくてすむのに!
それに、よくもまあこんなにゴミ、埃がたまるものだ!
同様に要らないものまで、知らず知らずに溜め込んで
家のいたるところが物置状態!
使わないものは捨てればいいのに!等々
これもまた日本国中の多くの家庭で感じている事だろう

それにしても、女の人の家事の仕事を見つけ出す力には恐れ入る
男どもが、もう飽きた!と音を上げる頃
まだ何々がやってない!
あれとこれやって!と連続攻撃で休ませてもらえない
飽きた、と言っても人にばかりやらせるのは気が引けるので
ペースダウンのまま続けていると
急に、この年中行事も、これから何年も続けられるわけではない
年老いた母から小言を言われ、一緒に同じ事をするこの時間は
あと何回経験できるのだろう
と、モーツァルトのマイナーへの転調のような
パッセージが現れグサッと心を揺すられた

そう思うと、今の叱られている時は、
例えようもなく幸せな時間かもしれない、と思えてきた
大掃除は家事ではなく、
後から思えば家族と過ごす大事な時間
多分、思い出の中にはそんな風に残っていくだろう

とは言いつつも、現実に戻ればやはり面倒くさい
実際のところ、なかなか良い人になるのは難しい!



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慣れは大敵?

2007年12月28日 20時14分04秒 | Weblog
今朝の朝食、みそ汁のダシを今までの煮干しから
厚削りにしてもらった
すると味の違い、香りの違いが際立った
そこで2.3日これでいって、その後、また煮干しにしてみよう!
という事になった

残念ながら、慣れてしまうと感覚は少し鈍くなってしまうかもしれない
だからこうして時々変えるのは、現実的な楽しみ方でもある

慣れによる感覚の鈍化(?)
それは先日来のレコードとCDでも同じだ
今でもレコードの方がいい音で、針を下ろす手間をかけているが
それでもなんだか慣れてしまって、最初に聞いた時程の
感激は無くなっている

このような経験をすると、人というものは(少なくとも自分は)
少しも満足をしない生き物のようだ
もっと!もっと!をついつい求めてしまう
聞こえさえすればいいのだ!と思っていても
いざ実際に聞いてみて、あれだけの音の違いを目の当たりにすると
オーディオマニアになる人の気持ちも判る様な気がする

ところでレコードの方がいい音!
というのは、この分野のマニアには割と定説のようだ

非接触型のCDではどうしても薄っぺらな感じがしやすい
直接メディアに触れて音を拾ってるレコードは
厚みのある音がしやすい!とか、、、
こんな話は場所を変えて何回か耳にした

それにしても本当の敵はメディアの違いより
「慣れ」なのかもしれない
すでにそこそこのレベルの達しているというのに(?)
すぐにあれこれ考えたくなってしまう

もっともその全部が全部間違いというわけでもないし
こうした事があるからこそ
進歩(?)が見られるのも事実だろう

困ったものだが、何も感じないよりはいいかな?



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不安の正体

2007年12月27日 21時20分18秒 | Weblog
今はニュースや政府の発表するように好景気なのだろうか?
それとも中小零細企業が実感しているように不景気なのだろうか?
(地方都市のこの辺りでは、年末の賑わいは全然と言っていい程感じられない)

ただ言える事は、多くの中小企業の人間が
経済は好景気と不景気が循環する
といった楽天的な考えではいられないという事だ

現在の中小企業の置かれている厳しい立場は
決して景気のせいではなく、
むしろ社会の変化によるものだと言える
それはしばしば会話を交わす、多くの人の言葉だ

本当に様々な事が大きく変化している
それもほんの短い間に!
例えば、いつの間には音楽媒体のCDは、
ダウンロードによる方法にとって変られようとしているし
消費材はコストダウンを努力したものの、製造は人件費の安い中国に移転して
また小売りは価格競争が過度になった結果
バイイングパワーのまさる大手の企業の価格には一般商店はとても太刀打ちできない

一般的に言えば今起きている大きな変化は
大手への集約!と言えるだろう
M&Aが頻繁にニュースに取り上げられ
企業規模は益々大きくなったものだけが生き延びていく

それは単に資本主義の行き着く先に過ぎないのかもしれないが
この行き着く先の、(自分の立場をふまえた上での)イメージするする世界は
中小企業レベルでは自分の存在理由と価値を見つける事ができない
そんなところが、当たらずとも遠からずと言ったところだろう

例えば、景気が良くなっても自分らは良くはならない!
といった悲しい現実を見ざるをえない人々が多すぎる
それを、その人たちの努力不足と切って捨ててしまうには
あまりにも多く存在しすぎな気がする

弱肉強食のある程度のものは認めるにしても
強いものだけが生き延びた社会は
はたして良い世界なのだろうかと
思わざるをえない

そうしないためには政治の役割が必要と政治家は言うが
残念ながら政治でそれが変るという気があまりしないには何故だろう
それが、あまりにも言葉の上だけで
具体的な案が示されていないからだろうか?

いずれにしても非常に困難な問題で
とりあえずは、自分で自分を救うような気持ちの持ち方や
無駄な(?)努力をするしか手はないのかもしれない

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聞き比べ(レコードとCD)

2007年12月24日 14時30分02秒 | Weblog
昨日に引き続いてレコード、CDを引っ張り出して
聞き比べの休日

困った!
どうもレコードのほうが好きな音が出ているようだ
違う曲は正確な比較は出来ないので
レコード、CDの両方持っている
バッハのロ短調ミサ(カール・リヒター指揮の名盤)の
アニュスデイで比べてみた
最初がレコード、ついでCDの順

この曲は全曲中でも好きな曲で
ヘルタ・テッパーの沈潜したアルトが
しみじみと心を癒す感じなのだが
久々に聞いたレコードのテッパーは
深々とした呼吸と知性を感じさせる歌いっぷり
バックの弦の伴奏も深い音色と表情
次に聞いたCD
やっぱり!
これも音は綺麗なのだが中間域のヴォリュームがない
というか、なんだか軽い感じ
テッパーも生っぽいというより
録音されたものの再現といった感じ

こうして比較してしまうと
どうしてもレコードのほうが良い結果になってしまう
もっともこの音の違いはレコードとCDの違いだけではなく
他の要素もあるかもしれない
以前MCカートリッジを替えたらずいぶん音色、力感が
違って聞こえたことがあった
今使っているDL103は結構馬力のある音を出すタイプで
持っているがあまり使わないオルトフォンは
繊細な音を出すタイプで、これだけでもずいぶんと音が違う

これだけ違ってくると演奏に対する批評家の一言なんてのは
再生装置の種類によってずいぶん印象が
違ってしまうのではないか、と思わざるをえない

しかし、とりあえず自分のところでは
レコードに針を下ろす日が増えそうだ

いままでずっと眠っていたレコードを
思い出をたどりながら聞くのも良いかもしれない

ところでレコードといえば、ほっておくと
カビがついてしまうことがある
これにはレイカのバランスウォッシャー(レコードクリーナー)と
ビスコのクリーニングクロスという紙の組み合わせが
信じられないくらい効果的だ
初めて使った時にはあまりにもよく取れるので
面白がって大半の(飽きるまで)レコードを処理した

こうしてみるとオーディオ製品というものは
いろんな分野でいろんなものがあるものだが
便利さから言えばCDなので
もう少しこちらが気に入る音になってくれればいいのだが
(もうお金はあまりかけたくない!)

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アナログ(レコード)の勝ち!

2007年12月23日 11時20分07秒 | Weblog
生が一番いいに決まっているけれど
予算、時間、会場への距離の関係で
録音された媒体を通じて楽しんでいる音楽

20年程使っていたアンプが少しばかり変な音を出し始めたので
思い切って替える事にした
専門店に行って勧められたのが
真空管アンプのWoodham 2.0
(300B管と言う有名な真空管を使っているらしい)
そしてレコード用のフォノイコライザーは
EAR834P-5

今までのものはuesugiのキットのプリアンプに
LuxmanのMQ30Sのパワーアンプ
フォノイコライザーは DENONのAUなんとか
スピーカーはタンノイのスターリング

金額的にはだいぶ上がってしまうが
年齢的にそろそろ最後の買い物近くなってきた(?)ので
自分へのご褒美(?)という言い訳を
自分自身に言い聞かせ
勧められたものを購入する事にした

そして昨日がその一式が家に届いた日
購入はもっと早くから決めていたけれど
300BのWE製が年末の今まで入らなかったので
楽しみを後伸ばしにされたわけだ

さてセットが終わって聞こうとしたが
夜遅くなっていたので
お楽しみは今日に伸ばし
朝食も終わって一息ついたころ聞いてみた

まずCDでドヴォルザークのアメリカの第2楽章
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のもの
この演奏は音が生々しくて(特にチェロ)なおかつ
演奏者が音楽を信じきっているように思われて
お気に入りの一つだ

うん!ヴァイオリンの音が艶っぽい
表情が一段と豊かになったみたい
まあまあかな!

ついでレコード
人の声がいいといわれる製品(アンプ)なので
オペラアリア集を聞いてみた

するとこれには参った!
その声の伸びやかな事、
息づかい、発声までしっかり感じられるようで
いわゆるベルカントとはこういうものか?
とまで思いいたった
バックのオーケストラも芯があるしっかりした音で
フォルテになってもうるさくならず
むしろ快感、クライマックスを存分に感じる事ができた

こうなるとレコードを引っ張りだしてあれこれ比較したくなり
マーラーの大地の歌 バーンスタインとウィーンフィルのやつ
モーツァルトのK364の第2楽章などを続けて聞いた

一段落するともう一度CDに戻って
バッハのカンタータ78番を聞いてみたのだが
先ほどまでの芯のある音と比べて
きれいはきれいなのだが、何か物足りない
それなりに楽器の音は生っぽい
しかし、、、

どうも比較をしてしまうとレコードに
軍配が上がってしまいそうだ

レコードは面倒なので聞かずにいて、
その音も忘れてCDばかり聞いていれば
何ら問題はないかもしれないが
面倒でもこうやって針を落として聞くと
うーん、音も柔らかいし、低い音も力があるし
CDはまだまだかな?
と思わざるをえない

そういえば進歩が著しい1眼レフカメラの分野でも
デジタルはまだまだアナログの表現力には追いつかないと
言う人が多いとか!

とはいうものの便利さの観点からすると
自分もCD、デジカメは捨てがたいどころか
こっちが主流になるだろう

生に行けない埋め合わせをする時にはレコード
インスタントラーメン、インスタントコーヒーを楽しむように
そういった音楽の楽しみ方をするならCD
そんな使い分けがいいかもしれない

だがやっぱり便利さに負けてしまいそう、、、
音はレコードの勝ちなのだが、、、



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電車に乗って、あれこれ思う事

2007年12月22日 18時05分57秒 | Weblog
乗り鉄!
と言える程ではないが、結構電車は好きな方で
旅行に出かけるのも基本的には電車をベースにしている
第一、楽だ
そして、車内で酒を飲んだり、弁当食べたり、景色を見たり
眠ったりといろんな楽しみ方ができる

今日も久しぶりに電車に乗って名古屋まで出かけた
電車が好きと言っても
乗っているリズムに合うまでは少し時間がかかる
それでもボーッと外を眺めていると
電車に乗って時間を過ごすときの
内省的(?)感傷的な感じを少しずつ味わえるようになった

電車の音、そういえばドイツでは
「シャー」と聞こえたようだった、などと思い出が蘇った
もう30年程前の事だ
ライン川を見下ろすコブレンツのユースホステルから
みえた電車は確かそんな音がした
(乗っていた時の記憶なのか、近くを走り去るのを聞いたのかは
  正確には覚えていないが、なぜだかここでの風景の中に
  その音は入っている)
今日のJRは静かで快適かもしれないが、今イチ風情がない
(音が小さいのは良い事なのだが、いい音の列車ってのはないのだろうか)

そういえば電車でのお気に入りの風情といえば、
大きなカーブを曲がりつつある列車、後ろの車両から
長く連結されたのを眺めるところ
これは本当に旅心をくすぐられる
また、夜行の停車駅での寂しい侘しい、か弱い様な照明も
いつもの生活とは離れた雰囲気を感じさせられて
ぐっと来るものがある

電車は本を読んだりできるが、本当はこんな風に
ボーッとするのが一番いいかもしれない
特に最近はそんな、なんにもしない時間が過ごせなくなって
いつも何かに追われているようだから!
だから今日は途中から本を閉じて、風景を眺める事にした

西洋の町は教会を中心に発展したと言うが
車窓から今日は何故だかお寺、神社の類いが目に入った
そして日本も本当は鎮守の杜みたいな箇所が
昔は多かったのでなかったか、などと勝手に連想した
神社仏閣の建物、およびその周囲は
景色にとけ込んでとても美しいもののように思えた

いや、というより今建築されている家々のてんでバラバラの多様さが、
色も形も素材も大きさも、それぞれが独立して主張しているので
トータルとして統一感のないものになっているようで気になった
家は個々の持ち物だし、好み、予算が違うのだから
同じようになるのはできない事は判っているが
それでも何か方法はないものか!と思う事しきりだ

歴史的景観を保存しようとする試みが
各地で行われているが
その一角は皆が同じトーンで建てられている
その落ち着きは、実は生活する人の気持ちさえも
余裕あるものにするだろう
とするなら、美しい町をつくろうと
今後建築する家々に何らかの統一的な制限を設ける様なことは
無理のない範囲で行われればいいと思うのだが、、、

そんなこんなで電車は自分に戻る事ができる
そして本当によく眠れる
今日も途中から知らず知らず熟睡に陥ったようだ
ありがたい事に寝過ごす事はほとんどなく
降りる手前でいつも目覚めることができる

今日はよい連休初日だったようだ




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「9.11事件は謀略か」

2007年12月20日 22時04分32秒 | Weblog
「9.11事件は謀略か」
デヴィット・レイ・グリフィン著
きくちゆみ・戸田 清 訳  緑風出版

この本はベンジャミン・フルフォード著の
「暴かれた9.11疑惑の真相」
と似た内容だけれど、更に詳しく突っ込んだ取材がなされている

この国(日本)では、アルカイダによるテロとしてとして確立しつつあり
テロ特措法の成立の要因となったこの奇妙な事件を
話題にする人や気にする人は少なくなっている

しかし、この本を読めば公にされた情報からだけでも
この事件が単なる公式発表だけでは収まりきらない事は確かだ

それはなにも誰かによる謀略と言っているのではなく
事実の積み重ねを吟味すると
あまりにも説明できないおかしな事が多すぎるから
再調査を!と提唱しているのだ

あの事件をテレビで見たときの違和感
それがなんであったかよく思い出してみると
それは攻撃を受けなかった第7ビルの倒壊ではなく
ニュースで見たあるシーンで
ビルが倒壊するという事を多くの人が
事前に知っていたのが奇妙だった
あの火災のシーンからはビルの倒壊は予想されないにもかかわらず
確信的に倒れると人々は避けるように逃げまどっていた
しかもあと何分後には、なんてニュースで言ってなかっただろうか
確かあの時なんで倒れるのかな!と思った事を覚えている
倒れた後、何故倒れたかではなく、
倒れる前に何故倒壊するのか判ったのだろう
間違いなく奇妙な事が多すぎる

自分の一番腹が立つのは、目の前にした事件が
何らかの意図でねじ曲げられて、
いつのまにか正当な歴史に変ってしまう事だ

しかし、アメリカの自作自演とするには正直なところ
あまりにも壮大すぎて、想像できないが
それでも単なるイスラムのテロではない事は想像できる

テロ特措法は国益を考える立場から
あの事件が実はどうだったのか?
までは戻れないかもしれないが
あの事件をアメリカ政府の言う通りに
信じる事だけはできないでいる

この本は、冷静な検証と緻密な調査から書かれたもので
多くの人に読んでもらいたい

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ベルリオーズの想像力

2007年12月19日 21時13分29秒 | Weblog
今朝もいつものように、NHKFMのミュージックプラザの
再放送分を聞きながら出勤したのだが
今日のプログラムはベルリオーズの「レクイエム」だった

久々にこの曲を耳にして
またもや、あのトランペットの鳴り響く部分と
ティンパニーが地響きをたてる様な部分には
「すげーっ」と思わざるをえなかった
その効果、カタルシス、
(ブルックナーのクライマックスのカタルシスとは違う質のものだが)
こんな事を思いついて、実際に音にさせたベルリオーズの
想像力は奔放で自由なものだとつくづく実感した次第

ベルリオーズ、
フランスものは好みではないけれど
そのなかでも結構好きな方かもしれない
幻想交響曲、イタリアのハロルド、ロメオとジュリエット、
キリストの幼児、レクイエム
代表的なこれらの曲の部分部分で本当に
参ってしまう瞬間が存在する

特に「ロメオとジュリエット」の
第2部 舞踏会のあたりから愛の情景の部分
これは本当にロマンティックで音楽の魔力がふんだんに感じられるところし
「キリストの幼児」でもあの羊飼いの合唱部分はとても清純な響きがする
作曲技法の上手い下手は判らないし、管弦楽法のそれも判らないが
確かに言える事は、間違いなくベルリオーズの想像力は
並外れたものであるという事、
だからこそニーベルンクの指輪をもしのぐ長大な「トロイ人」を
作曲したのかもしれない
(残念ながら自分にはこの曲を聞く機会と
 気力がもう無くなっているようだ)

音楽会のプログラムには幻想は多いけれど
一度、生で「ロメオとジュリエット」
聞いてみたいものだ

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うらやましい人

2007年12月17日 21時00分29秒 | Weblog
ベンツに乗っている
ロレックスをはめている
ライカを持っている
大きな家に住んでいる
おしゃれな服を持っている
家にホームシアター設備を持っている

このような人は
いわゆる物質的に恵まれた人と言えるだろうが
負け惜しみではないが、自分は少しもうらやましくはない

自分がうらやましい、と思う人は
「モーツァルトを楽しんで聞く事のできる人
 もしくは、聞ける精神状態の人」
自分もコンディションの良い時に聞くモーツァルトは
こよなく幸せな気分にしてもらえる

それともう一つ
時間の始まり、宇宙の秘密を頭で解こうと取り組む事のできる人
これらの人はホントうらやましい

だからレコードライブラリーにモーツァルトが並んでいて
その一つ一つに的確な感想などが述べられる様な人に
いつかはなってみたいものだ

それと「ミロ」を楽しむ事のできる人も、うらやましいというか
シンパシーを感じてしまうかもしれない
彼もモーツァルトみたいな雰囲気が感じられてならない
(つまり子供みたい、、、?)




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