パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

和歌によるプロファイリング

2024年04月30日 09時22分29秒 | 徒然なるままに

その人がつくった和歌で性格を想像することはできそうな気がする
百人一首はとうとう全部は覚えられなかったが
大河ドラマにちょくちょく和歌が出てくるので気になって仕方ない

先日は藤原道隆が死の間際に妻のつくった和歌を口にした
それを耳にしても、あれだ!とは思えなかった
だがネットで百人一首の一つであったことがわかった

道隆の妻のつくったのは
「忘れじの 行く末(ゆくすゑ)までは 難(かた)ければ
今日(けふ)を限りの 命ともがな」

現代語訳は
「いつまでも忘れない」という言葉が、遠い将来まで変わらないというのは難しいでしょう。
 だから、その言葉を聞いた今日を限りに命が尽きてしまえばいいのに。
(以上は、小倉山荘公式ブランドサイト ちょっと差がつく『百人一首講座』から)

ところで現代語訳にすると意味はわかるが、どこか味わいがないような気がしてしまう
何かよくわからんが、昔の言葉のほうが余韻があるような気がするのは何故だろう

よく考えてみると自分は歌詞のある音楽の聴き方は
歌詞にはあまり関心がない聴き方をしていた
メロディと和声とリズムと音色、それらだけで音楽を楽しんでいた
その聴き方、楽しみ方が和歌の場合も同じなのだろうか

この話はこのくらいにして、今回の大河ドラマには月を写したシーンが度々有る
あまり必然的なものとは思えないので、ちょいと想像してみた
月といえば藤原道長の有名な
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」
が思い浮かぶが、この月のシーンは満月ではないのでこれは道長には関係なさそうだ

最近やっと覚えた(?)紫式部の百人一首の和歌には月が出てくる
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜はの月影」
もしかしたら大河ドラマの演出家は、この歌を暗示させる意味で月のシーンを
挿入しているのではないか?

とまあ毒にも薬にもならない勝手な想像の世界だが
紫式部の性格とか人間性は、この百人一首の歌から想像すると
結構理屈っぽい人間のような印象を覚える

そういえば百人一首には、大河ドラマでに登場した実在の人物が
つくったものも少なくないが、その人の役割とか立場を知ったうえで味わうと
リアリティを感じることができる

ということで、いろんな想像をすることは楽しいものだ



 

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やはり存在した現場の写真

2024年04月29日 10時04分45秒 | 養鶏所騒動

連休中にふさわしくない話

取り柄のない自分だが少し自慢できるのは寝付きの良いこと
特に電車に乗ればすぐに寝ることができる
ところが昨晩はそうはならなかった
ずっと頭に引っかかっていることがあったからだ
多くの人には関係ないことだが、それを自身の備忘録として残すことにした

それは養鶏所に関する以下の不思議なこと
令和2年に新城市は合計4億8000万円ほどの金額である土地を購入した
その土地は養鶏場だったが、きれいに更地にして引き渡されることになっていた
ところが、家屋解体とか鶏糞処理の最中にに出火してしまった
そのためかどうかはわからないが少し遅れて更地にされて
市に引き渡されることになった

金額が金額なので、市は引き渡しに関して十分なチェックをするものとした
その一つとして担当職員の検査だけでなく市議会議員の現場チェックも行われることになった
その時市議会議員の数人から出たのは、きれいに更地になっているはずとされているのに
コンクリート片や鉄筋が地上に残っているのが見えたという指摘だった
「これでは更地とは言えない」といった議員もいたそうだ

この話を知っていたので、市に対して点検に関する情報開示請求をしてみた
担当職員に対する任命書、確認書、その他チェックに関する全ての書類を
提出してもらうようにした
2週間の期間の少し前、電話があってそれらを取りに行く事になった
そこで手にすることができたのは、たったA4で4枚の書類だけだった
任命書、印鑑がいくつも押された確認書、回議書など写真は一切なかった
不思議に思えたので「写真は?」聞いてみると「なかった」
と窓口の担当者は答えた
担当者は「何故ないのだろう?」と首を傾げたがとにかく「ない」とのことだった

違和感を覚えたので、こうした点検作業には写真を撮るとかのマニュアルはないのか?
と聞いてみると「特にない」とのことだった
この問は後日別の市職員に尋ねたところ、マニュアルはなくて担当職員の自己判断で
行うと答えた
だがその職員は「自分なら多分写真を撮る」と正直に答えていた

金額が5億円近くのものに対して検査の実態がわからないようなA4の書類だけ
というのはとても信じられないが、「ない」と言われればそれ以上追求はできない

そこで今度は余計なものが見られたとする議員がチェックしたときの現場の写真とか
感想などは記録として残っているかを情報開示で求めてみた
するとその時の写真はあったが、議会事務局は議員が視察したという事実を
確認するための写真はあったが現地の状態を写したものはなかった
つまり写っていたのは議員の写真だけだった

議会事務局とすればそれは仕方ないと思い直すこととして
議員の感想が書かれたものはないかと尋ねると
書類には意見交換があったと書かれてはいたが、その具体的な内容はわからないものだった

つまり現地の確認作業の具体的な内容はさっぱり記録になっていないということだ

ところが普通の人があるはずと想像した「現場の写真」はやはり存在していた
それは全く別の経路からで、それは市はきちんとチェックしていたことを証明する
ためとして表に出されることになった(現時点でこの写真はまだ見ていない)

自分が聞いた時は「現場の写真はない」
ところが今になって「ある」としている
そしてその写真の作成日は8月9日作成となっている
議員が余分なものを発見した検査の日は8月12日
つまり、常識的に考えると8月9日に作成した写真には
こうした余分なモノが写っているはずと思われる
だが、市のチェックはきちんと行われていることを証明するための写真に
余分なモノが写っている可能性はない(見ていないのでわからないが)

ここで色々と考えてしまった
裁判というものは、原告・被告が証拠に基づいて準備書面をしたためる
その上での論争、戦いになるのだが、この証拠を手にすることが
「ない」(今回のようにあったとしても)の一言で手にすることができないとすれば
それはそもそも正当性を争うことができるのだろうか?

都合の悪い書類(証拠)はない!として決して表に出ないとするならば
裁判は最初からハンディキャップマッチだ
こうしたことがあるために行政訴訟は原告側の勝ちが少ないとしたら
原告は裁判の上でなく、その前の証拠集めでも戦わなければならなくなる
そしてその方法は一体存在するのだろうか?

最近は、手続きを踏んでも怪しいことは起きうると思うようになってしまった
というか、手続きは単にアリバイ作りのような気さえしてしまう

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フルトヴェングラー指揮の「運命」を聴いた

2024年04月28日 09時42分19秒 | 音楽

連休中だが、自分はいつも連休中
生来横着者だから暇は苦痛ではない
だが世間が休みだと少し気分が違うのは事実だ
どこかいつもよりのんびりする
そこでいつもは聴くことの少なくなったレコードを聴いた

中古レコード店で安く購入したフルトヴェングラーの遺産(LP13枚セット)

この中からド定番のベートーヴェンの5番の交響曲

僕らの世代のクラシック音楽の入門は「運命」だった
出版社がカラヤンの指揮したレコードと解説をセットにしたものを売り出して
初回は廉価だったので購入したのだった
冒頭は誰でも知っている、だが最後まで知っているのはかっこいいぞ!
そんな気持ちで聴いたのだったが、聴き終わった時は「使用前使用後」のように
全く違う自分になっていた気がした
それは音楽体験というだけに収まらない、何かとて大きな経験をした
そんな気持ちになったのだった

運命はそのオシの強さゆえに何度も聴く気になれない
というものの聴き始めてしまえば、そんなことは気にならなくなるのだが
とにかく久しぶりに聴いた

「すごいな!」
聴き終わった時出たのはこの言葉だった
同じくフルトヴェングラーの指揮した7番の交響曲を聴いた時に出てくる言葉が
またしても自然に出てしまった
「すごいな!」の意味は、聴き終わった時に感じた巨大さと
オーケストラの奏者の熱気、熱中度が尋常ではない雰囲気に感じられたこと
とにかくその言葉以外の言葉が見つからない
本当にすごい

有名な冒頭は全く今風ではない
思い切り大見得を切るように始まる
すごく重い音色で大げさすぎると思えないこともない
ところが始めってしまうとその大げさ感はなくなる
むしろ音楽自体がそれを求めているかのように
徹底的に使用される動機が耳に入る
一楽章を聴いてしまえば次の楽章から最後まで聴くのは必然だ

フルトヴェングラーを聴く人の感想は似通っている
巨大な体験、こうした言葉がニュアンスは少し違っても出てくる
とにかく大きいのだ(何が大きとか、どうして大きく感じるのかはわからないが)

この巨大な体験故にこの指揮者の虜になって、ついには彼のお墓参りまですることなった
しかも2回も(1976年と2013年)

写真は2013年に訪れたハイデルベルクにあるフルトヴェングラーのお墓

音楽は今はサブスクで聴き放題が流行っているようだが
自分は音楽を集中して聴かないのはもったいないと思えて
車に乗る時以外は聞き流すことはしない

集中しないと感じられない何かがある
集中して何かを感じられる典型がフルトヴェングラーの指揮した音楽だ

だが、今の時代とか若い人たちはこのような音楽は
重いと感じてしまうのだろうか
(知らないのはもったいないと思えてならないが)

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好きな季節は自分が生まれた季節

2024年04月27日 08時25分35秒 | 徒然なるままに

好きな季節はちょうど今頃
空気が乾いて新緑が瑞々しくて風景がくっきり見えるのが良い
人に好きな季節を尋ねると自分の生まれた時期をあげるのではないか
少なくとも自分はそうだ

少し前までは冬木立だった庭の木が、まずは花が咲いて
それから入れ替わるように葉っぱが出始める
新緑の風景に一気に変わるのは毎年4月20日頃
だが今年は何故かあまり新緑の移ろいに目がいかなかった

でも晴れた日にフト目を移すとやはりきれいだな!と単純に思う
そしていつも絵心のない写真を撮る

自分は花より木が好きなので木陰ができるくらい大きくなって欲しいと思うが
同居人は落ち葉等の処理に困るので、大きくならないうちに剪定して欲しいという
偉い人、いつも草取りをしてくれる人の言うことには従わなければならない

庭の最後の花みたいののが卯の花
花の名は相変わらず覚えられない
トサミズキ、ヒュウガミズキ、ドウダンツツジ、ウグイスカグラなどは
覚えたつもりだが、違う場所で見たならそれと言えるかは自信がない

庭の木を見ると、毎年同じことを繰り返している
なんかすごいな!と感じる
この気持ちの良い季節や天候が長く続いて欲しいと思う

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覚えている「変な話」2つ

2024年04月26日 09時23分17秒 | 徒然なるままに

年金生活者だが、なんとなく連休モードになっている
ということでお気楽な話を2つ

高校時代の英語の教科書だったと思うが、変な物語を覚えている
ある国の王様が自分の人生を記録に残したいと思い部下に命じて本をつくろうとした
部下は名誉ある仕事に懸命に取り組んで分厚い本を作り上げた
ところが王様はそれを見ると「長過ぎる」と一言
そこで部下はもう少し短めの本を作ることにした
だが王様はまたしても「長過ぎる」の一言
こんなことを数回繰り返したが、最後に編集者は開きなって
ついには「生まれた、生きた、死んだ」だけを書いて王様に見せた
すると王様は「それで良し」と答えた
落語のオチみたいな話だが何故か覚えている
高校生の時でも、極論すれば人生はそんなものかもしれない
と思ったのだろうか

次は多分三島由紀夫の短編だと思うが、これも少し変な話
ある国にとても仲の良い王様夫婦がいた
幸せは長く続かず夫人は病で亡くなってしまった
夫である王様は妻の思い出のためにメモリアル建築物を作ることにした
建築に取り掛かると王様は建築途中で、あれこれ指示をして気に入る建物にしようとした
できるだけバランスの良いように、左右対称に、、とにかく細かな指示を繰り返した
ところが最後になって、建物の前の辺りに大きなモノが気になってしまった
「あれは何だ?」と王様は尋ねると
部下は「お妃様の記念のものでございます」と答えた
王様はしばらく考えて「邪魔だ!取ってしまえ!」と命じてしまった
そもそもお妃様のために作ろうとしたものだったが、美しい建物のためには
お妃様に関係するものは邪魔だったという笑えない話だ
これを何の教訓にするかは横において、後味の良くない話で
こうした終わり方の多いような三島由紀夫はやっぱり合わないな、、
と実感したのを覚えている

それにしても変な話ばかり覚えているのは何故なんだろう
尤も普通の話はあまりにもありふれていて、心の琴線に響かないのかもしれない

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神秘感を感じることは大事

2024年04月25日 09時06分36秒 | ダイアリー

かつて月面着陸をした飛行士は月から宇宙に浮かぶ地球を見て
言いようのない神秘感に襲われて、神の存在を確信したそうだ

若い脳学者は標本にされた人間の脳を手でもった時に
この軽い物質の中にその人の人生の記憶が詰まって
人生そのものがそこにあることを感じた時に
やはり驚きに似た神秘感を感じたそうだ

それほどの人ではない自分にしても、水族館に出かけて
水槽の中を泳ぐ様々な形、色をした生き物を見ると
その多様性やら生き伸びるために進化したひたむきさに
一種の神秘感を覚える

最近では、植物の根っこで起きている菌との共同生活を知るにつけ
世界は不思議に満ちていると感じる
そして人は地球における万物の霊長とされているが
実は何も知らないのだと深く実感する

世の中に存在する人が年下のほうが圧倒的に多くなって
今では「歳のせい」で片付けられそうな情けない事柄が
毎日のように起きる
ボケないためには!と気にするが、そのためには単純に
何かに驚くことが必要と実感する

ということで少し驚くことがあると
まだ自分は大丈夫かもしれない
と思い込もうとしている

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石が2つ無くなっていた

2024年04月23日 16時48分47秒 | ダイアリー

自分の住む地区は月曜日と木曜日に可燃ごみの収集がある
市の指定の黄色いゴミ袋には食べ物の残りが封入されていることも多く
透けて見えるからか匂いがするためかわからないがカラスが袋をつついて
辺り一面がそれらがぶちまけられた状態になってしまう
そこで、地区の人は可燃ごみにネットをかけることで
カラスから守るようにした

しかし、そのネットも集まるゴミの量が多いために全体を被せることができず
はみ出た部分をカラスがつつくようになっていた
そこで一月ほど前、それに我慢できなくなった同居人が新しくネットを手に入れ
カバーできるようにした
だが、まだそれでは足りない状態だったので、それを見かねた他の人が更に
ネットを追加して、これでほとんど可燃ごみを覆うことができるようになった

ところが困ったのはゴミを収集車が持っていった後のこと
大きなネットは軽いので風に吹かれるとだらしなく広がってしまった
そこで何事もきっちりしないと我慢できない同居人は
石を持ってきてまとめたネットの所々に石を置くようにした



上の写真のように石を置いたわけだ
ところが、先日までは4つあった石が昨日は2つしかなかった
あんな石を持っていってどうするのだろう?
理由はわからないがとにかく石は2つ無くなっていた

同居人は頭にきてもう一つ重しを持ってきて上の写真のような状態にした
同居人はまた持っていかれたらどうしよう?
と、今度は何らかの形で石を固定することを考えている

世の中にはいろんな人がいるものだが、なせ石が置いてあったのかを考えて
その気持ちを無駄にしないようにしてほしいと思う
誰かがしたのだと犯人探しをするのは、気持ちよくないものだ

それにしても、あんな小石2つ、何に使うつもりなのだろう?

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旅行費用アップ分を計算してみた

2024年04月23日 08時31分16秒 | あれこれ考えること

現役の頃はGWは東京のラ・フォル・ジュルネ
夏は登山、秋は京都へ紅葉狩りが定番だった
今は家を長時間離れることはしたくないので
つくづく行ける時に行っとかないとダメだなと思う

行ける時に行っておいたのは約10年前のドイツ・オーストリアへの旅
若い頃訪れたところを再訪する旅で有名どころを訪れるものではなかった

今は円安、ドル高、ユーロ高だが、その時の費用などの記録があるので
価格とどのくらいアップしているか比較してみた

旅行はネットの旅行会社に依頼したオリジナルの工程で付き添いはいない
飛行機、ホテル、ジャーマンパス、空港までのタクシー代石油チャージ代などを含んだもので
2013年では330,855円だったが、現在ならユーロが130円から164円になっているので
換算すると416,877円となる
向こうでの滞在費用(食事とか入場券とか、、)は74,451円が93,961円だ
合計して比較すると、405,306円が510,838円になっている

同様に2015年は旅行会社分は358,150円だったのが451,269円
滞在費が55,886円が70,502円
合計は454,641円が570,903円となっている

つまりは現在同じような旅をすると
当時より1.25倍から1.26倍かかることになる
そして向こうで8泊する旅は、50万から60万位かかるようだ

自分で安いホテルを探して、安い飛行機を探して云々するより
ネットの旅行会社の企画旅行のほうが安くつきそうな気がしたが
どうなんだろう
(自分で探すと飛行機代だけで結構するみたいな気がしてる)

ところで、向こうで使ったお金はだいたいこんな感じ(2015年当時)


今になって恥ずかしいが、ドイツ・オーストリアではチップの文化があって
それをしなければならなかったのだが、知らない者の強みで図々しくも渡すことはなかった

今は旅に行けないので、こうした振り返るを楽しむだけになっている


ところで6泊8日の中央ヨーロッパの旅は、58万円から65万円くらいのようだ
やはりお値打ちに行けていたのかもしれない


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「香炉峰の雪」のエピソード以外に気になったこと

2024年04月22日 08時59分37秒 | 徒然なるままに

昨日の「光る君へ」は枕草子(第280段)も書かれた
(定子が清少納言に香炉峰の雪は、、と聞いた)
「香炉峰の雪」のエピソードが登場し一部の人には盛り上がったようだ
自分はついに出たか!という感じだったが
これとは別のシーンが印象に残った

ドラマの後半、道長の正妻の倫子が待っていた自分を素通りする道長を見て
「道長には自分とか妾の明子以外の女が心を占めている」
と口にしたものの、何故かすごみのある笑い顔をする
この笑い顔はどういった意味があるのだろう?
というのが巷では論争になっているらしい
「幾ら女が心を占めていたとしても、正妻は私」
と割り切って自身に満ちている表情という説もあれば
なんか不気味だという意見もある
いったいどうなんでしょう?
いろいろ想像することは面白い

そしてもう一つ、清少納言と金田哲演じる藤原斉信が同じ場所にいる
シーンでカメラは一瞬、彼と清少納言を映す
なにか意味深、、と想像するのは、実はこの二人はちょいと関係があった
との説もあるからで、枕草子にも藤原斉信は度々登場するらしい

まるで週刊誌的な関心の持ち方だが、背景を知っているといないでは
感じ方も違うということで、どうせなら知ってるほう面白い

週初めのお気楽な話題!

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今朝の中日新聞の記事(視座)は参考になった

2024年04月21日 09時12分18秒 | あれこれ考えること

日曜日は新聞をじっくり読む人が多い思われるかもしれないが
現実はそうではなくて、むしろ月曜日に閲覧時間が長い
という話を目にしたことがある
日曜日は休みモードで何もせずにいたい
月曜日は仕事モードに入って情報収集に努めなければ!
と思う人がいるからと勝手に想像した

日曜日の中日新聞で必ず読むのは2面の「視座」と
新聞の真ん中あたりに掲載されている書籍案内コーナー
「視座」は数人で掛け持ちで、内田樹さんや目加田説子さんなどが担当しているが
今朝の「視座」は宇野重規さん
その内容がとても共感できるものだった

宇野さんが対話した橋本治さんによれば、論理は一種類だけでなく
「心のない論理」「心のある論理」があると紹介している

相手を屈服させるための整然とした論理である「心のない論理」
一方「心のある論理」は「心のない論理」が切り落とした心情の部分を拾おうとして
結果としてダラダラと長くなってしまう論理
そして心情そのものである「心の論理」があるとしている

最近ネット上で良く使われる「論破」という言葉は、
相手の言い分を全く聞こうとせずに、一方的に宣言するタイプのものだが
現実には対立する論理はお互いに自分たちが正しいと信じ込んでいる
だからこそ意を尽くして相手に理解してもらおうとする「心の論理」
(もしかしたら心の余裕)が必要だとしている

少しばかり雑な扱い(区別)かもしれないが
現実世界はこうしたアバウトなところと相手を思いやることが必要と実感する

ということで今朝はとても参考になったのだが、宇野さんとは相性が良いな!
と実感すると同時に、このような考え方をする宇野さんが
日本学術会議のメンバーとして政府に承認されなかったのは何故なんだろう?
と改めて思い出した次第

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