パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

仕方ないけれど

2008年10月30日 22時07分00秒 | Weblog
どうも人は甘い言葉やお世辞に弱いらしい
厳しい言葉はそれが正当であっても
聞きたくない!との意識が働くのか
受け付けないようだ

肝心なのは仕事の時
だから立場の上の人は意識的に厳しい意見を聞くようにしないと
正しい情報は把握できない

といってもなかなかできることじゃない
誰かが言ったけれど
「自分を客観的に見る」
ことなんてそんなに簡単なことじゃない
本当は、自分と異なる意見、批判を好んで聞くようにしないと
(腹の立つことが多かったり、イライラするかもしれないが)
正しい判断はできなくなるように思えるのだが
言うは易し、行うは難し!かな

そういえば確か「葉隠れ」に
(現実的な)上司への進言の仕方等が記されていた
葉隠れは本当に三島由紀夫の言うような内容の本なのだろうか
少し違うような気がするが、、、
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ため口

2008年10月29日 22時20分44秒 | Weblog
始めは、口の形が受け口のような形のことかと思ったのが「ため口」
(だいぶ前のことだけれど)
いい加減に聞いて自分勝手に想像していたけれど、
それではどうにも話が続かなかったり、意味合いが変なので
甥っ子に聞いてみて初めて知った

このため口、下の立場のものが上のものに対して使う時に
つまり仲間っぽく、馴れ馴れしく話す時に
多少の批判的な意味合いも含めてそう呼ばれるが
立場の上のものが、ざっくばらんに下の者にも
話しかけていたらそれもため口と言うのだろうか

相変わらずどうでもいいことなのだけれど
映画の「アマデウス」の中のモーツァルトはまさしく
その、ため口だった
だが彼は下の者にも同じように話しかけたのではないか
そんな気がしてならない

これはなぜだか自分の中ではポール・マッカートニーも
そのタイプに様に思えてならない
ある程度神格化されつつあるけど、どこかおっちょこちょいのポールは
自分が偉いという認識はあまりなく
誰にでも気さくに話しかけるタイプではないかと
思えてしまう

モーツァルトもポールも世間知としての会話等には関心がなく
自分の思うままに生きていた(いる)のではないか

ベートーヴェンとゲーテのキャラクターの差でよく引き合いに出される例に
偉い人とのすれ違いの時の行動がある
ゲーテは常識的な世間の知恵として恭しく挨拶を行い
ベートーヴェンはそもそも偉いという人物が本当に偉いのか
自分はへりくだるような存在ではない と言った感じで
平然とやり過ごしたとある

それぞれ言い分はあるし、どちらが正しいか等とは
その時々によって違いそうだ
しかし、自分がなりたいな!と思うのは
この二人のうちのどちらでもない

できることならモーツァルトのように誰にでも、
上にも下にもため口で話すフレンドリーに話すこと
そんなふうに生きていけたらいいのだけれど、、、


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暇な時間の使い方

2008年10月28日 22時14分27秒 | Weblog
小売業の人、営業職の人に限らず、普通の真面目な仕事人は
忙しい時よりも暇な時のほうが疲れる!
といった経験をすることがある

残念ながら今はそんな光景があちこちで見られるようだ
すべき仕事がなかったり、
あたらしく仕事を作り出すことに精を出さなければならないが
なかなかその気になれない
どうも例外なくこのパターンが多い

そんな時、大概の人はその日すべき小さな仕事が
あることにホッとして、なおかつその仕事を
わざわざ能率悪く、つまりしっかり時間をかけて行い
仕事をした振り、した気分に浸る

その気持ちはわからないではない
だが簡単な仕事を長い時間をかけて行うのは
どうにもプライドが(?)許さない
だからやっぱり簡単な仕事は速く片付けて
余った時間をもてあますことになるのだ

実際のところ、仕事量が減ってしまっているのなら
正社員の方たちは思い切って有給休暇を消化したらどうだろう
この国の人たちの有給休暇の消化はとても少ないようだ
休めない環境というよりも
休めない雰囲気を自分たちで作っているのではないだろうか

大手上場企業ではない中小零細企業では
暇でも休みにくい空気が当たり前のように存在する
だからこそ簡単な仕事を長い時間をかけて
仕事をした振りみたいなことになるのだ

しかし要領よく仕事を進める!
てのは癖にしたほうが自分のスキルがあがって後々良いと思うのだが、
それでも暇な時間の苦痛はとりあえず避けたい
とついつい思ってしまうのも事実だ(現実は結構厳しい)

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早寝、早起き

2008年10月27日 22時33分24秒 | Weblog
ご飯を食べるとついつい眠くなる
昼がそう、そして晩も

そういえばこの頃その傾向が強いようだ
特に晩方は

夜が長くなってきたから人間の体が自然に眠るように
させてきているのだろうか
昔からいわれるように食欲も出てきている

こんな風に体の赴くままにしていると
実はその方がよいのではないかとさえ思えてくる
早寝早起き、晴耕雨読のような

現代は何やら無理に効率のために夜まで働いて遅く起きて、
季節外れの珍しいものをありがたがって食べて
感情の生活よりは理性の生活に終始している

未来の生活、あるべき姿 そういうものは
頭で考えた機械に囲まれた世界ではなく
実は昔ながらの自然の流れに乗ったもの
もっと動物としての人間が、本能的に好ましいと思う
環境の方が正しいのではとさえ思えてくる

夜遅くまで起きて仕事して、テレビ見て
ビタミン剤を飲んで自分を鼓舞して
人に負けないような生活を送る
なんだかとても理想的には見えてこない

早寝早起き、自然のリズムに乗って暮らし
そして家族みんなでの食事
本来あるべき姿とはこういうものだと思うのだけれど、、
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音のいいCD?

2008年10月26日 19時52分52秒 | Weblog
なにやらやたらと音のいいCDがあるらしい!
(SACDではなくて)
そんな話を聞いたのが数ヶ月前

先日アマゾンからのメールにHiQualityCDで
サイモン・ラトル ベルリンフィルのベルリオーズ
幻想交響曲の案内があった

CDの音に最近がっかり気味だが、これはどんなものか?
と曲もメンバーもいいので頼んでみた
そして今日、届いたものを早速聴いてみた

うーん、確かに静寂がよりはっきりするような
楽器の音もより生っぽい感じはするのだけれど
それでもやっぱりCDの音かな
低弦の迫力もそれなりなんだけれど
その後で聴いたレコードの音と比べると
音楽の密度、エネルギー感、暖かさが違う

もっとも録音の傾向のせいかもしれない
EMIの音はどうも神経質になりすぎる傾向が
あるようでマーラーの5番もあまり感心しなかったのとなんだか似ている
この間のブルックナーの4番は良かったのに

それにしても今は持っているソフトはCDの方が多くなっているし
これからも発売されるのはCDで、
レコードは再販はあるかもしれないが新しくは出ないだろうから
良い音で聞こうとするには厳しい状況だ

オーディオショップの人が奨めるCDプレーヤーを手にすれば
その問題は解決するだろうか?
聴いてみないことのはわからないが
プレーヤーと言うよりはシステム、フォーマットのせいで
不満な音になっているような気がしてならない

カラヤンがソニーと相談して(?)
ベートーヴェンの第9が1枚のCDに収まるようにしたために
情報量がカットされて薄っぺらな感じの音になった、等と
言われているが、もしそうだとしたら残念なことだ

そういえばNHKFMでライブ録音の演奏の方が
同じ演奏がCDになったものよりずっと良い気がする
(アバド アルゲリッチのチャイコフスキーのピアノ協奏曲とか
 ヴァントのブルックナーの8番等)

本当に、なにか良い手はないかな


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振り込め詐欺

2008年10月24日 21時42分48秒 | Weblog
先日、年金の振り込まれる日
母に電話がかかってきた

「医療費が還付されますが、、」
「はーーん、医者なんかかかってないけど」
「携帯の電話番号を教えていただけませんか」
「わたしゃ携帯なんてもっとらんけど」
すると急に電話は切られたのだそうだ

還付金詐欺(振り込め詐欺)の典型的な例
うわさには聞いていたけれど、
こうして身の回りで経験すると
やっぱり相当な数にのぼるのだと思わざるを得ない

それにしても、現実的には気をつけなければいけないが
気をつけない者(騙される者)が悪いのではなく
だますやつが絶対的に悪い

だましても平気
そんな人の確率が(どの時代にもある確率でそんな人はいただろうが)
以前より増えているのではないか

やっぱり人が壊れてしまってきているのだろうか
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軽すぎるポジティブな考え方(歌詞)?

2008年10月22日 22時41分17秒 | Weblog
どうも自分も例外ではなく
「今の若いもんは、、、」と
一言発したくなっているようだ
しかも酒に酔っていないのもかかわらず

と言っても大げさなことではなく
ちょっとした音楽のこと

自分は雑食系で音楽なら
クラシック、ジャズ、演歌、ロックなど
なんでも聞いたりするほうだけれど
どうにも苦手なのがヒップホップ系(ラップ)

正直なところつまらない
繰り返しが多くて変化に乏しくて
あれは歌詞を味わうもの?

なるほど耳に入ってくる言葉は
いわゆるポジティブな内容が多いみたい(?)
だがこのポジティブというのが問題で
我々おじさんにとっては妙に明るすぎる様に思えてならない

確かに若い肉体の自然に求めるリズム、大音量、スピード感は
わからないではない
だがネガティブな面を見ようとしないで
前向きに、、、ばかりの姿勢が果たして真に
ポジティブなのだろうか

少なくとも自らが持つ心の暗い面、弱い面を認めて、
いったん心の中に沈潜した上で
それを乗り越える意味でのポジティブな言葉ならいいのだが
どうもマイナスのことを考えること自体が
ポジティブでないみたいな雰囲気があって
無理やり前向きな姿勢の言葉になっているみたいに思えてならない

いやいや若い人のこれらの音楽の中にも
深いものがあるよ、単に知らないだけ!
との批判を受けそうだし
いざ自分が当事者としてこの年齢でいたならば
実はこの年齢は今の自分の想像する精神年齢よりも
ずっと幼くて何にも知らないだけに過ぎないかもしれない

ま、とにかくおじさんたちからすれば
いまどきの若い人たちは
ちょっと人に対する洞察力が欠けているよ!
と愚痴をこぼしてみたかっただけのこと

やっぱりどの国も、どの時代も
今の若いもんは、、、と言い続けるだろうな
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「おはようございます」と「おはよう」

2008年10月21日 20時45分59秒 | Weblog
麻生さんが総理大臣になったばかりの頃のこと
朝の頃の取材らしく、彼を囲んだマスコミの人が
「おはようございます」と挨拶した
それに応えて麻生さんは
「おはよう」と返事を返した
それもあのドスの聞いた声で

挨拶はどんな風にすればよいか等と
言うつもりはないが、なんだかこの人の性格、生き様を
しっかり表しているようで気になった

つまり、やっぱり上からもの申すみたいな

これが福田さんだったらどうだろう?
やはり「おはよう」かな、
だが「おはようございます」とも言いそうな気がする
安倍さんだったら多分「おはようございます」だろう
さて小泉さんはどうだろう?
元気よくさっさと歩いて「おはよう」と
手で合図をする姿が目に浮かぶ

同じ「おはよう」でも受け取る側の印象はだいぶ異なる
だから文字に書かれた言葉だけでは人柄は判断できないと言うことだ

さて自民党だけでなく民主党もついでに想像してみると
小沢さんは「おはよう」
鳩山さん、管さん、岡田さんは「おはようございます」
と応えそうな気がする

これらは実際にはわからないので
勝手に思い浮かべたイメージの問題なのだが
自分のイメージを拡大解釈するともりはないけれど
多くの人も当たらずとも遠からずで
こんなイメージを持っているのではないのだろうか

政治家に望むこと
それは第一に政治家としての資質かもしれないが
こんな風にフト垣間みられる人柄も
なるべくなら好ましいものであってほしいものだ
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阪神、不思議なチーム

2008年10月20日 22時40分02秒 | Weblog
セCS第1ステージ:阪神0-2中日
この結果阪神の今シーズンは終了した

情けない!
残念!
そんな言葉が浮かびそうだけれど
自分は やっと本来の阪神らしくなった!と
可愛くなった
そう、自分は阪神が好きだった
村山実がダイナミックで格好良かったのに魅かれ
ブリーデン、ラインバック、カークランド
真弓、岡田、掛布、バース
その前は田淵、江夏
みんな個性的で、しかしどこか頼りないところが
なんだか人間的で 負けてばかりでも
自分らが付いていなければ!そんな気にさせられて長いこといた

だから最近の強い阪神は
なんだか自分らの阪神じゃないみたいで
居心地が悪かった
たしかにこんな形で終わるのは悔しいけれど
勝負は勝ち負けだけじゃない!
そんな風に思わせる唯一のチームが阪神だ
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擦り傷

2008年10月18日 19時31分35秒 | Weblog
自分の記憶も不確かなのだけれど
あんなに過敏に反応していたかな?と思われるのが
子供たちの擦り傷に対する反応

サッカーをしていれば、しかも土のグランドでやっていれば
時には転ばされることもある
そんな時つい膝や肘にちょっとした擦り傷を負うことになるのだけれど
子供たちは赤くなった膝や肘、ちょっと出かかった血に
本当に情けないくらい弱々しい反応を示す

自分らの子供の頃は体中、痣傷が絶えなかったような気がするし
そんなことおかまいなしに外で遊んでいた
しかし今の子は傷を負う経験がないためか
傷をしたという事実だけでショックを受けて
自分の体が変になってしまうのでは!
と思えるくらいの反応をする

「痛い!痛い」と言って見せてくる擦り傷は
ほんのかすり傷程度
「大丈夫、痛くない!」
と言うと怪訝そうな表情を見せるものの
ゲーム等に夢中になれば一瞬だけは忘れてしまう

自分の担当の今の学年の子ら(1.2年生)に期待するのは
いわゆる、想像力豊かないたずらな、やんちゃな、たくましい姿
だが残念ながら今の状況はこの世代でも
指示待ち、ひ弱なところが見られる

なんだかな、結局あんまり目一杯遊んでないようだ
ゲームで遊んでいると言っても実はゲームに遊ばれている
真に体験となるような遊びにはなっていない(のではないか?)
遊び等でも、自ら工夫する前にみんな準備しておいてくれるような
おせっかいな社会が子供の中にも見受けられ過ぎだ

だから子供たちには週1回の僅かな機会だが
できる限りたくましい子供になるように走らせている
(気づかないうちに結構走っている練習方法を採用している)
それに体同士がぶつかったり、転びそうになって踏ん張ったり
上手く転んだりするようにさせている
そしてゲームが上手く行かないときは
どうしたらいいか
我慢するか、頑張るか、味方のサボっているものに叱咤するか
つまり、頭がサッカーにチンチンになって
思いっきり感情の世界を味あわせるようにしている

練習が終わって帰るときの子供たちの上気した顔と
満ち足りたすっきりした表情を見かけると
自分の方法がそんなに間違っていない!と
思えるような気がするが、思い込みだけでなければいいけれど、、、


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