パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

大晦日の落語(借金の話)

2016年12月31日 08時09分52秒 | 徒然なるままに

昔(江戸時代)は借金の支払いは大晦日だった(?)
落語には借金絡みの話が割合多い
ひところの吉本新喜劇も借金をしてる人物は毎回のように出てきて
どの時代もどの地区も、人間とういやつは仕方ないものだ
と思ったりしたものだ

先日、名古屋の映画館で「文七元結」のポスターを見た
故中村勘九郎の顔が大きく出ていたから
多分主人公を演じているのだろう

「文七元結」は落語の人情噺に属しており
ホッとするなかなか良い話で発端は借金の話
主人公の棟梁は借金が返せずにいたところ
娘が遊郭に自発的に身売りをして借金を返済しようとする
そこの遊郭の主人がいい人で、
頑張って一年以内に(次の大晦日に)借金を返済したならば娘は座敷に出さないという
条件でお金(50両)を貸してくれた

そのお金を受け取って家に帰ろうとするその時に
吾妻橋で身投げをしようとしている男を見つける
馬鹿なことはやめるように言葉をかけるが
男は集金したはずの50両を無くしてしまった(スリにすられた)
と思い、主人に申し訳なく身をもって謝るしかないと思いつめる

ちゃんと話せば旦那さんも理解してくれるはず
と棟梁は説得するが、一旦思い込んだ若者(文七)は聞く耳を持たない
そこで棟梁は先程用立ててもらった50両を
「命には変えられない」と言って若者に投げるようにして渡してしまう
そのお金がなくなってしまうと娘は遊郭の座敷に出て
どんな運命が待ち受けているかもわからないというのに、、

この若者の無くしたと思い込んだ50両は
実は集金先で囲碁を見ていた時に置き忘れたもので
親切な店の人が若者の店まで届けてくれた
そこでびっくりしたのが若者
エラいことだ、なけなしのお金を見ず知らずの自分に
「命には変えられない」と言って恵んで下さった
娘さんはお金を返さないと遊郭の座敷に上がらないといけなくなってしまう

若者は焦って自分に50両を投げるようにして去った棟梁を必死に探す
若者から経緯を聞いた店の主人は
「なかなか出来ることじゃない」と感動して若者と行動を共にする

棟梁の家では夫婦げんかの声が聞こえる
「そんな話は信じられない、またどこかで賭け事をしてすってしまったんだろう」
というおかみさん
「本当だって!死んじまうっているから放っておけなくて、、」
という棟梁

ここから先は、見事なハッピーエンド
この人情噺に出てくる人は善人ばかりで
本当に心が救われるような物語で、この話は年末とか年始めに聞きたい

この落語は古今亭志ん朝のCDで聞いたが
この古今亭志ん朝の落語にはお正月(大晦日)にふさわしい話がある
「初芝」がそれで、この話も発端は借金
こちらは主人公の魚屋さんの奥さんがとても良くできた人
上手く(善意の)騙して主人を更生させる話となっている
そして最後のオチもきれいに決まって見事な構成だ

そう言えば題は忘れてしまったがとてもおもしろい話がある
それは借金を取り立てに来た人物が
「お金を支払ってくれるまで、死んでもここから動かない!」
などと言ったばかりに、揚げ足を取られて
「死んでも払わない、、」と言い張る
根負けした集金人は動こうとするが
「死んでも動かないと言ったんじゃないか!」
と今度は借金している人物が問い詰める
そして、なんと集金人から反対にお金を巻き上げてしまうという話だ

ホント馬鹿馬鹿しい話
でもとても余裕のあるいい話
こう言う話を喜んで聞いていた人々が多くいた時代は
今よりも良い時代だったのではなかったか

年の最後は、真面目な話というよりどうでもいい話
でも笑いとか馬鹿な話というのは
人の生活には不可欠だ
(そして多分音楽も)
 


 

 

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最近の会話(駐車場)

2016年12月30日 08時26分13秒 | 徒然なるままに

大きな駐車場は困る
どこに駐車しておいたのかわからなくなる
モールやデパートの地下駐車場や立体駐車場
何か特別の目印があるわけでもないし
(一番困るのは屋外のイベント用に急遽準備された駐車場)
そこでアルファベット番号が用意してあるのだが
覚えておくつもりでも怪しくなってきたりして、、

数人で乗り合わせて行った場合は特にいけない
それぞれが人任せでよく覚えておかない
だから「確かこの辺だったよな、、、」という会話が
悲しいくらい続く
(停めた位置も向きも実際と違っていてショックを受けることも) 

そこで自衛の知恵としてスマホ(ガラケー)で
駐車場の写真を撮ることにしている

そんなことを話ししだすと
これが思いの外盛り上がる
困ったものだ
(自分だけじゃないんだ、、とみんなホッとする) 

願わくば肝心な撮影することは
忘れませんように、、 

 

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黄金虫

2016年12月29日 18時43分52秒 | 徒然なるままに

黄金虫と言ってもエドガー・アラン・ポーの小説ではなく童謡のお話

これは我が家でずっと笑い話になっている
昔すぐ下の妹が、小さな時「黄金虫」の歌を歌った

黄金虫は金持ちだ〜

普通は
金蔵建てた蔵建てた〜
と続くのだが、妹は真面目な顔して

金持ちだけれどケチンボだ〜

と歌った

とんでもない歌だが、妹なら言いそうな歌詞で
お正月などでみんなが集まったときにはこのネタで
盛り上がる

お馬鹿な話はいつまでも記憶に残っている
特に小さな時の話は、、、

どこの家庭でもお馬鹿な幸せな話が聞けると良いのだけれど
特に年の終わりや始めには


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いつまでも覚えている人、忘れる人

2016年12月27日 10時50分10秒 | あれこれ考えること

図書館で借りた「侍の本分」
気楽に読めるかと思いきや、武将の名前があれこれ出てきて覚えられないし
漢字の読み方も普段と違うので、頭が混乱
少し困った状態だ

だが記憶に残りそうな部分があった
家康の祖父、清康は裏切りにあって殺されているが
これは松平信定の策略であったといわれており
裏切りの遠因となるのが、どうも自分の住む新城市の
宇利城での攻防のときに遡るようだ

宇利城攻略戦において、支援の遅れた信定を清康が罵倒した
清康自身はその場限りの叱責であったのだろうが、
信定は遺恨を抱き続け宗家簒奪の機を窺う決意を固めたものと考えられている。

ここで教訓
人を叱るときは、大の大人が屈辱感を感じるほど叱ってはいけない
叱った方は忘れても、受けた側は忘れられない 

家康さんも竹千代時代に鷹狩をしていた時、
鷹がある家に入ってしまった、大事にならないよう内緒で事を収めようとすると
その行為を罵倒した人物がいた
その人物は、後に関ヶ原だったか大阪の陣だったかに捕まって
穏便に済まされる可能性があったのだが、家康は昔のことを思い出して
極刑にしてしまった 
家康さんも昔の屈辱を忘れていなかった

人はなかなか聖人になれないから、こんなことはどの時代も
どこでも行われている

どこでも、、?

今の新城市でも?

人は自分たちが思うほど、理性的な存在ではないようだ
 

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共時性(読むしかないでしょう、大久保彦左衛門絡みの本)

2016年12月26日 08時22分36秒 | 徒然なるままに

図書館に借りていた本を返しに行った
借りていたのはマンガの「三河物語」で、
(昔はもっと有名だった)大久保彦左衛門と一心太助の話で
「三河物語」を書くきっかけみたいなものが
三河物語の本編のエピソードを交えながら描かれていた

本を返すときには次に借りる本を物色する
その時目に入ったのが「侍の本分」佐藤雅美
ペラペラとページをめくると
「時の将軍、家康にも真っ向から立ち向かった天下のご意見番 大久保彦左衛門の文字が

ほらほら、また来た偶然の一致
共時性だ

大久保彦左衛門の本を返しに行って、偶然目にした大久保彦左衛門絡みの本
これは何かが「読んでください」と言っているようなもの
運命に逆らってはいけない 
幸い返却期間はお正月を挟んで余裕がある
楽しむことにしよう

こうやってリレーのように読む運命となる本は見つかる

ところで、本当は借りたかったのは「科学の発見」
これは貸出中で本棚にはなかった
あとテレビの100分de名著 レヴィ=ストロースの「野生の思考」も
面白そうだがきっと図書館にはないだろうから
来年気合を入れて読むべき(最後まで行けるか心配な)本にリストアップ

ところで、偶然の一致、共時性が見られるときは
運がいいはずなのだが、、、
 

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今年の三冊

2016年12月25日 19時05分15秒 | 

今年は(も)結局のところそんなにたくさんの本は読んでなかった
夜のうちに読もうとしたが目が霞むし、老眼でよく見えないし
気がつくと寝てたりして 、なかなか思惑どおりには行かないものだ

でも印象に残った本といえば
1.全体主義の起源(3)ハンナ・アレント

実は残念ながら例のごとくあまり良く覚えていない
というか人に説明できるほど理解していない
だがページに文字ばかりの集中を要する本をとりあえず最後までいった
ということで、自分にご褒美・感心する意味でピックアップ

2.意識は傍観者である デイヴィッド・イーグルマン

心理学の方だが、もしかしたら色即是空空即是色に繋がるかもしれない本
意識とか心理は思いの外別の何か(無意識)に支配されているお話
本の後半は無難しかったが、前半のたくさんのエピソードは
人に話したくなるくらい興味深かった
(もしかしたら去年読んだ本?) 

3.STAP細胞絡みの数冊
「あの日」 小保方晴子、「捏造の科学者」須田桃子、「STAP細胞残された謎」佐藤貴彦

大騒ぎになった例のSTAP細胞事件
最初はメディアの伝え方に疑問を感じたが、いま印象に残っていることは
この現象に代表される生物・生きているものの理解を超えた働き(の可能性)
生き物は現代の科学で再現出来ないからと言って否定できるようなものでは
無いのではないかと信じたい(何しろ不死のベニクラゲはSTAP細胞並みに興味深い)

以上が面白かった本
他にもよく最後まで読めたたなと思えたのが
「善と悪の経済学」トーマス・セドラチェク
「生物はなぜ誕生したか」ピーター・ウォード/ジョゼフ・カーシュヴィンク 
これらも面白かった

小説類が全然ないじゃないかということになりそうだが
図書館で借りた大きな文字の「今昔物語」は別の話も読みたい気持ちにさせられた
自分の本棚を見ると福永武彦の訳した「今昔物語」があった
いったい何をしてたんだか、、

図書館で借りたリョサの「誰がパロミノ・モレーロを殺したか」も
登場人物がドストエフスキーのそれと同じくらいバイタリティがあって
内面の悩みにウジウジしがちな西洋的思考をぶっ飛ばしそうで
それなりの評価

でももしかしたら小説類で一番楽しんだのは
「813の謎」モーリス・ルブランのルパンシリーズの一冊だったかもしれない
昔読んだはずだったのに、すっかり忘れていたこの本
予想に反して面白おかしい単なるエンタメではなく、
フランス映画風の何処か癖のあるエンディングでこのシリーズを
続けて読むのが辛いな!と感じたりした

その他現実的な新書なども、しかも昔だったら絶対買わない分野の本も
目を通した
だが自分の指向性は「地に足がついていないような」話が好きなようで
Amazonで欲しいものリストに上げている本は実生活に殆ど関係ない本ばかり

しかし、それが個性なのだから、ま、いいか

本ならいつでも読めると思っていたが、気力・目の関係で
そんなにいつまでも読めるものではないかもしれない
楽しめるうちに楽しまないと、、、 

 


 

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第九のシーズンだが

2016年12月24日 10時19分58秒 | 音楽

海外ではこのシーズンはチャイコフスキーのくるみ割り人形や
モーツァルトの歌劇「魔笛」が演奏されることが多いようだが
日本では圧倒的にベートーヴェンの第九 

音楽好きの立場からすると当然演奏会には行かなくても
CD・レコードで聴くのが普通なのだろうが
これがなかなか出来ない

この音楽はそんなに気楽に対面してはいけないような気がしている
気合が入って気分的にも盛り上がったときにしか
その音楽の深いところを感じ取ることが出来ない気がしてならない

確かにベートーヴェンの音楽は多少押し付けがましいところがある
それを感覚的に拒否しているのかもしれない
が、多分こちらのほうが本当の理由だと思うが、もうひとつの理由は
「聴いて感動しなかったら怖い」ということだ

聴いて感動しなかった怖い
これは以前にいつまでも記憶に残っている圧倒的な印象をもたらした
演奏を聴いてしまったからだ
それは音楽を聴いているという言葉では収まらない、まるで人生における
直接体験した事件のように感じられたからだ
明らかに聴く前と聴いた後の自分に変化が感じられるような 
そんなことを思わせる演奏だった

その演奏とは知る人ぞ知るフルトヴェングラーの
バイロイト祝祭管弦楽団による演奏
定番中の定番だ 

これを聴いた時の印象や感動が強すぎるため
新しく聴く演奏との比較でここが物足りないとか、ここが違う とか
ついつい言ってしまいそうで、その結果楽しめなくなりうそうというわけだ

第九の演奏は、もうあの演奏を聴いて心のなかに残っているだけで
一生分の経験はしたのかもしれない

あの演奏を聞聴いたのは若いときだった
それが今でも記憶に残っている
リヒターのバッハのマタイ受難曲でも同じ様な経験があった
音楽を聴いているのだが目前でキリストの受難を見ているような錯覚を覚え、
喉がかわいて仕方なかった

あれも若いときのこと
そう言えば最近はそんなに切実な体験のような演奏は耳にしていない
それは最近の演奏者の表現するものによるものか
それとも自分の感覚の鈍化のせいか、、

後者は認めたくないが、、、かも知れない

毒にも薬にもならない話!
 

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知れば疑問に思う!

2016年12月23日 08時16分56秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

ある市の出来事についての会話

「そんなことは、何処にだってあることじゃない?」

「でも、新聞に載ったことの顛末は、実は◯◯◯◯ということがあって
 他にも△△△△まであって、その上☓☓☓☓までしていて、どう考えても
 不自然なんだ」

「その他、新聞には結果だけ載ったけど、殆どの人が知らないと思うけど
 議会での◯△◯△なんてことは、その経緯というのが
 これまたとても不自然なくらい突然で、おまけにその前段階として
 先の議会では △◯△◯なんてことがあったんだ」

「それにね、今度の議会ではそこにいたみんながびっくりする様な
 ☓☓◯◯があったんだ。そしてその収束の仕方が
 またもや不自然なくらいの形で収まっている。
 その騒動を予測してたひとも、事前に打ち合わせしていた人もいるようだし
 当日、お偉いさんは自分の仕事そっちのけでことの対応に追われていた
 というような情報も入っている」

「ふーーん、なんだか面白そうだな!あんたんとお、頑張りんよ!」

これは昨日、ある人との会話 

おそらく何も知らない人は、この人と同じように一旦知ることになったら
ものごとが順調に粛々と進んでいるのではないことに気づくだろう
(この人と同じように知った時点で応援の声をかけてくれる人がいた) 

関心のない人に、どうやって今起きている異常な状態を知らせるか
これが一番の問題だが、これが想像以上に難しい
でも、コツコツと進めるしか無いかな

これは何処のことか
残念ながら自分の住んでる◯◯市のこと
この市は、ピンチだ思う

そしてこれらの抽象的な話は何か?
めったに起きるはずのないことが、立て続けに起きている
それだけで普通ではない状態なのだが、、、



 

 

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新聞各社の裁判の記事

2016年12月22日 11時31分10秒 | 庁舎用地外移転補償騒動

ドタバタが続く新城市の話題

不安なのはこんなに心配な出来事が連続して起きているのに
大半の方々は知らないままでいるということ
議会の情報も何ごとも無かったかように広報誌に書かれ
多少のゴタゴタは一部の連中が騒いでいるかのような印象を
持たれているひとも(もしかしたら)少なくないのではないか

ところで今朝の新聞各紙にこんな記事が掲載された

まずは地元の中日新聞

続いて 朝日新聞
 

最後に読売新聞
 

新庁舎の用地外の物件に移転補償を支払ったのが不当であり、
その費用想定1200万円の返還を新城市長穂積氏に求める
裁判の提訴を行ったというものだ

これは先に住民監査請求が行われた事柄の続編のようなもの
住民監査請求の報告書では納得のいかない説明や結論であったために
次の法的手段に訴えたものだ

新聞三紙は、同じ説明、話を聞いて記事にしているわけだが
記者さんの心に響いた言葉が少しづつ異なるようで
そこが微妙な違いとなっている
そして前回の住民監査請求のときのような(地元紙と中日新聞)
表現とは違い、少し踏み込んだ表現をしている
(それがどこの部分か読んでもらうとわかると思いますが)

記者会見は、通常は30分ほどで終了するのに対して
この件では約一時間に及んでいろいろ質問があった

ところで、現実には一般市民には
わかりにくい事柄と思われるので
ここで何度か取り上げた投稿を紹介します

概念図と質問の抜粋で分かりやすく(10月1日のブログ)

のり弁(11月4日のブログ)

人のすること、何から何まで目くじらを立てては
生きにくい世の中になってしまいそうですが
最近の一連の出来事は限界を超えている
と思えて仕方ありません

もちろんこの事柄も
 

 

 

 

 

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才能について

2016年12月21日 09時27分08秒 | あれこれ考えること

その道の人は、同じ分野の人のなすパフォーマンスを見て
自分との違いを感じるだけでなく、元々もっているものの違いを
感じ取れるに違いない(それを是認するか否定するかは別として)

努力とか訓練とかでは説明できない、まさに天から与えられたとしか
思えないような信じがたい能力
それらを目の当たりにしたら、そしてそれを感じ取る能力があったとしたら
人は少し不幸になるかもしれない

図書館から借りたミステリーにすばらしい描写があった
主人公の一人がベートーヴェンの月光ソナタを演奏する時の様子だ
才能の違いを感じさせる圧倒的な演奏力
これを聴かされた聴く耳をもった(評価できる耳をもった)ひとの不幸
それは人間には無限の可能性があるという言葉が
実際には真実ではないと実感せざるを得ない感覚
(最終的な人生がそれで幸せか不幸かは別問題)

多分人はいい意味で使い分けている
未来は無限という言葉と、そうではないということと

当事者たちは薄々感じる
才能のある人とない人の違いを
しかし、だからといって無い人の人生は終わる訳じゃない

おそらく、人は一人ひとりが
やわな言葉「自分探し」を人はずっと続けなければならない

ところで、この部分(月光ソナタの演奏部分)を読んだその刹那
猛烈に曲を再確認したくなって夜中だと言うのにあたふたとした

そう言えば、この手の内容で三田誠広の小説にも
何かあったような記憶が、、
何だったかな、、

 

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