パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

パリの記憶

2024年07月26日 09時01分58秒 | 旅・旅行

日本のメディアはこれから約二週間、パリ・オリンピックの報道で溢れるだろう
若干の違和感を覚えるが、視点を変えて外国との比較の機会と思えば
少しは耐えられるかもしれない

昔、フランスに行ったことがある(メインはドイツの旅だった)
ただ残っている写真は凱旋門だけ

本当はもう少し撮っていたと思うが確認できるのはこれしかない

自分はいつもそうだ
肝心なことはいつも抜けている
ルーブル美術館に訪れても「モナリザ」は見のがした
ただナイキの名前の由来となった「サモトラケのニケ」は
なんかきれいな彫刻だなと感じたのは覚えている

フランスで感じて今も覚えていることは
モスクワからパリに向かう飛行機の窓から見た景色で
パリの街は石ばっかり、、というのものだ
それで感じるフランス人の精神的なタフさは日本人にはきつそう
そんなことを思ったのだった

フランスでは未修正の「エマヌエル婦人」を映画館で見た
ちゃんとチケットを購入して入ろうとしたら
10%ほどのチップが必要のようで、映画館の女性に怒られてしまった
覚えているのは映画よりもそのことだ

それから凱旋門近くの地下のセルフサービスの食堂では
みんなが白いチーズらしきものトレイに入れていたので
自分も真似してみたが、これがとても美味しかった
後にそれがカマンベールチーズということを知った
日本ではまだ白カビのチーズは一般的ではなかった頃の話
この時、他の人と同じようにワインを飲むことにしたが
安いワインは悪酔いしたみたいで、苦労したことも覚えている

世界中の若いお上りさんがパリには溢れていた
日中にスペインだったかのジーンズを履いた女の子と話すことがあったが
その彼女らは、夜(7月14日のパリ祭の夜)ななると
服装をしっかり変えてめかしこんでいた
こちらは昼夜にはこうしたメリハリをつけるものか、、と漠然と思ったものだ

服装についてはフランスはおしゃれだなと漠然と感じた
紺のスカートに白いブラウス、シンプルな組み合わせでとても品が良い
さすがファッションの国だな、、と思ったりした
こうした(色の)組み合わせは、お母さんから教えられるものだよ
と誰かから聞いたような気がするが、詳しくは覚えていない

それからフランス語は全然駄目だったが
地下鉄(メトロ)の入口・出口のフランス語だけは覚えた

あとは、、まるで夢の中の出来事みたいで
不意に思い出してくるのか、すっかり忘れてしまっているのか

このパリに滞在中は、ある日本人夫妻からセーヌ川の遊覧船を奢ってもらった
そのことは覚えているが、船からの印象などはまったく記憶にない

記憶というは随分いい加減なものだな!と思うこの頃


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11年前の今日は、、、

2024年06月12日 09時56分55秒 | 旅・旅行

11年前の今日、6月11日10時頃 ドイツのハイデルベルク駅を降りた
目的は2回目のフルトヴェングラーのお墓参り
ハイデルベルク駅のインフォメーションでお墓に行く道を聞いたが
そこにいた若いドイツ人はフルトヴェングラーが何者かは知らなかった

とりあえずシュタットプラン(地図)を手にして市電に少し乗って
すぐに降りて広い墓地についた
39年前は彼のお墓を探すのはたいへんだった
モタモタして人に聞いてやっと着いた

2回目は墓地の地図を見て苦労しなくて行けたが
途中、一度そこにいた年のいった女性に聞いた
彼女はフルトヴェングラーを知っていた
そして偉大な指揮者でカラヤンよりは良い!と言っていた


彼のお墓には花に飾られていたし、奥さんの墓石もあった
忘れられていることはないが、どこか寂しい感じ
そこで何もしないで20分ほど、鳥の声とか風の音を聞いてボーっとしていた
メシアンによれば地球上で一番の音楽家という鳥の声を聞いていられる
この場所はフルトヴェングラーが眠っているところに最適だと思えた

この街に来た目的を果たした後、ブラブラとハイデルベルク城の方面に歩いた

町のあちこちで「Spargel」の文字が多く見られた
調べてみるとアスパラのことで、シーズン真っ最中のようだ

人並みにハイデルベルク城にケーブルカーで行ってみた


昔、来た時は日本人観光客がが壁に落書きをしたとの報道があり
ちょいと肩身が狭かった記憶がある



城からのネッカー川と街の景色
写真中央左の大きな建物は教会
確かオルガンコンサートが近々ある!と
入り口付近に飾られたポスターにあった

旅は行ける時に行っておかないと行けなくなってしまう
理由あって今は音無しの構えの生活が続いている
でも、記憶の中のその世界は時間経過が美化して
自分だけの宝物になっている

デジタル写真はデータに撮影日が記録されているので
何の気なしに写真を見つけて、思い出した今日のこと

米11日は今日ではなくて昨日だった ボケたかな

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10年前の今日(ベートーヴェンとモーツァルトのお墓参りに出かけていた)

2023年06月18日 09時03分59秒 | 旅・旅行

10年前の今日の出来事を書いたブログの再投稿

そもそも何十年ぶりの海外旅行は、昔放浪したドイツ・オーストリアを
再度訪れてそこで何を感じるか確かめるために出かけたもので
ハイデルベルクのフルトヴェングラーのお墓
ブルックナーがオルガニストを務めた聖フローリアン修道院
ウィーンのベートーヴェンのお墓、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークに
展示されているゴッホのひまわりを再び見た時、心のなかに起こる
何かを確認するためのものだった

FBではおせっかいに10年前の記録を教えてくれて
そこでハタと気づいたので、もう一度振り返ってみることにする

以下が10年前の内容

6月18日 ウィーンでのこの日はまるでお墓参りの一日

ベートーヴェンの眠っているウィーンの中央墓地へは
U3で終点のSimmeringまで行って、そこで71番の路面電車に乗り換え
ZentralfriedhofのZweite Torで下車

門をくぐると案内がある

ところがどこがベートーヴェンのお墓か分からない

結局のところ大通りを真っ直ぐ200メートル歩けば
左手にmusikerという看板が出ていて容易に見つかるのだけれど
正直なところ、ちょっと苦労した

ベートーヴェンのお墓

いろんな印刷物で見られるおなじみのもの

37年前ここに来た時は本当に感動した
それは自分がベートーヴェンの心酔者だったためではない

彼の音楽が「見えないけれども確かにあるもの」
を自分に提示し
それがその後の自分の人生にとっても
重大な位置を占めるようになったのだが
とにかくそのキッカケをつくった人の眠るところ
37年前もそのキッカケがなければここには来なかった
そんな意味でやたらと感動した

今回はもう少し冷静に眺められた
そして静かに手を合わせた

彼の周りには、シューベルトの墓石

ブラームスの墓石


ベートーヴェンの脇を固めるように囲っている

彼らも自分のレベルとは随分違うがベートーヴェンがいなかったら
違った人生を送っていただろう
尊敬、畏敬の対象として近くに居たかった気持ちはわからないでもない

その後、次はモーツアルトの眠る聖マルクス墓地へ
来た路線を引き返し、途中で別のトラムに乗り換え、St.Marxで下車
5.6分歩くと入り口に

そまま緩やかな坂道を登って行くと左手にあった


かわいそうなモーツァルト
現在の名声とは全く反対の、信じられないような無関心に満ちた葬られ方
それはまるで意地悪な神様が、音楽史上最大の天才の秘密は明らかにしない
という意図があるかのよう

それにしても、今を生きている人間にとっては
モーツァルトを利用した?経済的な活動がもっとも大事なことのようで、
おみやげ屋、コンサート会場などのモーツァルトの扱いは
どこかしら音楽とは関係ないところで
動いてしまっている気がしないでもない

フルトヴェングラーのお墓、ブルックナーの眠る聖フローリアン修道院、ベートーヴェンのお墓、
そしてモーツァルトのお墓をめぐる、まるでお墓参りのような今回の旅
それは信心からではない

むしろこの何十年での自分の変化を確認するための旅
「見えないけれども確かにあるものがある」
と考えがちの自分の今の位置の再確認の旅

この意味では観光地を積極的に無駄なく訪れるというものではなかった
確かに帰ってからは、あそこに行っておけば良かった
と思わないこともない
だが、人はあれもこれも望むことは出来ない
自分は自分らしい選択をしたこの旅を、
久しぶりに自分自身に戻ることが出来た旅として
そしてまるで夢の中のような出来事として記憶に留めることだろう



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3年ぶりの京都日帰り旅(金福寺・下鴨神社)

2022年11月23日 10時37分49秒 | 旅・旅行

この時期の京都は人が多く、バスでの移動は渋滞にハマると思い
時間が安定している電車・地下鉄を移動手段として選んだ
10時34分に京都駅について、そこから奈良線で東福寺駅まで行き
通天橋の東福寺には見向きもせずに、京阪に乗り換えて出町柳まで乗車
次に叡山鉄道の乗り換えて一乗寺駅で降りて、約一キロほど歩いて
目的の金福寺についた
所要時間は約一時間、、そんなものかな、、とい言う感じ





金福寺は特に紅葉が見事ということはない
どちらかといえば地味な寺で、芭蕉と蕪村で有名な寺らしいが
自分がここを訪れたのは「村山たか女」に関する遺品を見るためだ

村山たか女は大河ドラマ「花の生涯」に登場したついていない女性で
井伊直弼の愛人と想像されることもあった
そもそも井伊直弼は長男でもなく家族の中では
大老になるまでのポジションにいなかった
そののんびりできていた彦根時代に村山たかと知り合い
濃密な時間を過ごしたと思われる

ところが運命の悪戯で井伊直弼は江戸に行くこととなり
離れ離れになった村山たか女は、井伊直弼を影から支えることになった
井伊直弼の有名な「安政の大獄」のその対象者の調査等を
長野主膳の管理のもと京都で行った
ところが桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると
空気は一気に倒幕の流れになり長野主膳も村山たか女の息子も
倒幕派の刃に散ることになる

村山たか女も井伊直弼派の人物と認識されていたが
女なので(?)刑死のかわりに三条河原の一角に縛られたまま
3日放っておかれた
寒い時期なので放っておけば亡くなるだろうと、、想像したと思われる

だが村山たか女は生き残った
そして、見逃された彼女が行った先が金福寺で
結局彼女は明治の数年を生きることとなった

舟橋聖一の「花の生涯」と諸田玲子の「奸婦にあらず」では
村山たか女のついていない人生がそれぞれの視点・想像力で
物語化されている

自分はどうも運のない人が気になるので、この人物もどこか引っかかる
そこで村山たか女が直に書いた書とか、大事にしていたものが展示されている
この寺に訪れて、そこで何を感じるか、、を楽しむこととした

一番心がザワザワしたのは、井伊直弼から村山たか女に贈られた掛け軸で
掛け軸には井伊直弼の自筆で和歌が書かれている
これを村山たか女は34歳の時にもらって、ずっと大事にしていたらしい
その大事にした思いがこの掛け軸にどこかしら残っているようで
思わずキュンとしたのは、思い込みが激しすぎるのだろうか

この掛け軸の他に長野主膳に宛てた密書が展示されている
崩した文字で何が書かれているかさっぱりわからない
京都でスパイ活動をして倒幕派の動きを伝えているものらしいが
この密書からはどこか機械的な感じで、掛け軸から感じられるオーラは
伝わってこなかった

その他、村山たか女の自筆の文字がいくつか展示されていたが
上手い字でこの人の教養の高さを感じる事ができる

3年前のこの日(11月22日)は太秦の広隆寺で一年に一度だけ公開される
黄櫨染御袍を着用した崇徳太子像を見に行ったが
これもマニアックな人しか訪れないようで、自分の行くところは
へんてこなところが多くなっている

村山たか女のあの掛け軸を見た時の心の震えを後に
来た道を戻って叡山鉄道で出町柳へ
出町柳の近くは下鴨神社がある
せっかくなので行きあたりばったりの日帰り旅行の次の目的地にした



糺の森はまだ紅葉は進んでいなかった



落ち葉のある方が柔らかくて歩き良さそうなので、舗装されていない道を歩いた


歩いていると前回気づかなかったものが今度は目に入った


歴代の斎王を祀ったものだ
葵祭で主役のような斎王がこの場所でずっと祀られているのは
源氏物語を読んだり葵祭を見た身とすれば、見過ごすわけには行かなかった

下鴨神社は改めて建物がきれいだな!と感じた
スッキリしている
それは檜皮葺の屋根のせいなのか、直線が主体の建物のせいなのか
葵祭で勅使が使用する(?)舞殿もきれいだな、、と思ったりする

だがこのあたりで自分の体力の低下を感じてしまった
腰が痛いし脚が棒の様になりつつある
もう歩きたくない、、という持ちが徐々に大きくなる
それでも、、と思い重要な地域に入ると面白いと思ったのがこれだ

下鴨神社は生まれた干支でお参りする祠が違い、この写真に従うのだが
自分の干支の「八千矛神」なんてのは耳にも目にもしたことがない
そこで帰りながらの新幹線で「八千矛神」を検索してみると
大国主命の別名らしい
そういえば八千矛神のすぐ上のオオナムチの神も大国主命の別名だし
その上のシコオノカミも大国主命の別名らしい

不意に、何故出雲の神様がここに祀られているのだろうと頭に浮かんだ
そういえば奈良三輪神社も出雲の神様を祀っている
奈良も京都も、御所の近くに出雲の神様が祀られているのは何故なんだろう
そしてその神社が天皇とどういう関係があったのだろうか?
このあたりは想像力の豊かな歴史家がいろんな仮説を掲げていそうなので
機会があったら、それらを探すのも悪くないだろう

ということで、3年ぶりの京都はちょっとした発見と
自分の体力の低下を感じた一日だった

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久しぶりの京都を予定に入れた

2022年11月05日 09時10分06秒 | 旅・旅行

最近、本当に外出していない
それに慣れると別に出かける必要も感じなくなってしまう
出かければ某らの発見があって、出かけてよかったとなるのだが
出かけること自体が面倒になっていて、重い腰が重いままだ

だがようやく京都行きを決めた
日帰りの京都はコロナ以前は年に3回くらい出かけていた
その時利用したのがJR東海ツアーズだ
ところがこのJR東海ツアーズの窓口が豊橋から無くなってしまった
そのせいで、急に思い立って豊橋まで出かけて申込みをする
そんなことができなくなった

となると申込みはネットでとなる
旅はあれこれ想像する時が一番楽しいかもしれない
久しぶりの京都はどこを回ろうか、、と考えてみる
いくら人の頭ばかりを見ることになっても
京都の紅葉は絶対に見る価値があるからそれを中心に行くか
それともちょいとこだわって、井伊直弼と関係の深い
運のない村山たか女のお寺である金福寺方面か、、、
この時期はバスに乗ると渋滞にハマって進まないことが予想されるので
できるだけ電車を使ったほうが良いとか、、
そんなことを考えたりする

旅は行きあたりばったりが多く、京都駅についてから考えることになりそうだが
現時点では詩仙堂と曼殊院近くの金福寺に気持ちが傾いている

若い時はよく歩いて一日で数箇所回れた
ところが今は気力が無くなって、一箇所か二箇所で十分な感じだ
その代わり虎屋の茶寮でお茶と和菓子のセットとか
錦小路で杵つき餅屋で、雑煮とか安倍川餅とかを食べるのが楽しみになっている

ここは地下鉄駅の範囲なので、時間が計算できる
何れにせよ、本当に久しぶりだ
申し込むだけで、これだけウキウキ出来るのだから
やっぱり適度に外出は必要なのだろうと実感する

「そうだ、京都。行こう。」
やっと実現できそうだ

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ボーッとした時間

2020年05月23日 08時21分20秒 | 旅・旅行

チコちゃんに叱られそうだが、ボーッとしてるのが好きだ
10年ほど前、東北新幹線で新青森まで行ったときには、
退屈するだろうと本を持参したが、移り変わる景色をみて、
それこそボーッとして飽きることはなかった
思い出にふけったり、あのときこうすればよかったと後悔したり
景色に触発されて連想の輪が繋がったり、、そして多少の諦めも
感じたりして、、、自分との対話をした

朝の散歩も同じコースを歩くと、いつの間にかコースの景色よりは
自分との対話の時間が多くなっている
実はあのときKさんの気持ちは分かっていたんだ、、それなのに、、
結構残酷なことをしてしまったのかも(仕方ない、、時間は戻らない)
自分は自分の望むようにしてきたのか、、
思いのほか振り回されて今に至っているようだが
それでもしぶとく道を外さずに(?)生きられているのは
誰に感謝すれば良いのだろう、、、とか
次々と湧いてくる思いにふけりながら歩くのは、
健康のためのウォーキングというよりは精神の健康のための時間のようだ

田舎の道は退屈だ
しかし、自分との対話の間に不意に気になる景色が目に入る
田んぼに映る山と人家


こうした何気ない風景に何故か心動かされる
また早くも太陽を背に受けて歩いていると、長く伸びた自分の影が目に入った


こんな風に影が長く感じたのは、槍ヶ岳に登ったとき以来かもしれない
夕日に照らされた自分の影は、記憶の中では槍ヶ岳の影より長くなっている
(そんなことはありえないのに)

座禅をしたことはないが、座禅はどんな精神状態になるのだろうと思ったりする
何も考えないようにすると言っても、最初はそんなことは無理に違いない
開き直って連想に身を任せ、、それが尽きる頃になって、初めて座禅の境地なのだろうか

孤独と孤立は違う
ふとそんなことを思う
こうしたボーッとした時間、、好きだな
特技はボーッとした時間を過ごすことができること、、
(電車が好きなのはそのせいだ)

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京都日帰り旅行(広隆寺と嵐山)

2019年11月23日 08時57分28秒 | 旅・旅行

スマホのアプリによると昨日歩いた距離は12.9キロだった
最近の体力・気力を思うと、一箇所だけ真面目に見て
あとはダラダラで良いと覚悟していた京都の日帰り旅行

今回の一番の目的は、太秦の広隆寺
11月22日に年に一度だけ聖徳太子像が黄櫨染御袍を着用して
公開されるのを見るためだ

入り口には大きな文字でこう書かれている

前回訪れた時は閉まっていた聖徳太子像が納められている建物は見学者を受け入れている

聖徳太子像と黄櫨染御袍を見る所要時間は後ろが詰まっているので、待つ時間しっかり、肝心な時間は数分
といった病院の場合と似たようなものだった
即位礼で用いられた黄櫨染御袍は代々この寺に納められるようだが
昨日の着用の黄櫨染御袍はつい最近の「即位礼正殿の儀」で着用されたものではなく
現上皇が用いられたものとの説明があった

見る時間は1分ほどで聖徳太子像は想像したよりも大きなものだった
そして奥にあるのでよく判らなかったが、黄櫨染御袍は生地に透かしが入っているようで
繊細かつ品格があり、きれい!との印象をもった

あっという間に済んでしまったので、次は交通の接続の便利な嵐山に行くことにした
嵐山は見どころがありすぎるが、ダラダラと歩けばそれなりに何かがある
とりあえず今年のマイブームの源氏物語絡みの「野宮神社」はよく見ることにしようとした

天龍寺に向かって歩いていると「宝厳院」のきれいな紅葉のポスターが目に入った
ついそれに誘われて入ることにした
宝厳院は何年か前に来たことがあった
その時はまだ紅葉には早くて、苔がきれいだったくらいの記憶しかない
ところが入場券を買う前からチラッと塀越しに見える紅葉は、それだけで期待感をもたせ
入場券を買う時間が待ち遠しいくらいの気持ちになった

天気は太陽の光が弱く、晴れならばもっと素晴らしいのに!と残念なところもあったが
このすさまじい紅葉には興奮した
言葉を失うとはこういうことだろう
決して大きな庭ではないがその紅葉の色の品の良いこと、赤と緑のグラデーションがきれいなこと
こんなに心が動かされたのは東福寺の紅葉以来で、写真に撮っておかねばもったいないとスマホで
立ち止まっては撮影した
しかし撮影することに神経がいくと紅葉を心底楽しめない気もして、庭園を一周してから
今度は撮影無しで回ることにした

気持ちが完全に紅葉を見ることにいってるので、自分は歩いているというよりフワフワと
そのあたりを漂っているような気さえした

今日はこれを見ただけで十分元はとったな!と思いながら、次は野宮神社に向かって歩いた
野宮神社は想像したよりとても小さな神社だった
源氏物語では六条御息所の娘(後の秋好中宮)が斎王となっていく場面が書かれているが
それを説明した看板が出ていた

野宮神社は現在では縁結びのほうが有名らしい
だが気になったのは、木の皮がついたままの鳥居の方

これにも説明の看板があった

京都はゆっくり歩いてみると、いたるところ心にひっっかるようなことがある
鳥居といえば蚕ノ社の木嶋神社には三本鳥居もあった

もう満足したが時間が有ったので前回あまりよく見なかった二尊院に行くことにした
途中、落柿舎の案内看板があったが今回は素通り
不思議だったのは落柿舎の前の畑(原っぱ)は以前と同じずっとそのまま手付かずだったこと
何年か前落柿舎も見に来た時もそうだったし、それよりずっと前に来た時もこの光景だった
今どきならば家が建っていて不思議は無いのだが、、何故なんだろう
落柿舎は残っていても、多くの家々のなかにあるというのは風情が無いのでこのままが良いので
このままでいてほしい

嵐山を歩いていると耳に入る言葉は圧倒的に外国語だった
日本語でやり取りしているのを聞くほうが珍しい
中国語かそれ以外の言葉かわからないが、アジア系の方々が本当に多いと実感
でも彼らは落柿舎とは何か?
マニアックな人しか知らないだろうな
もっとも日本人の中でも知らない(忘れてしまっている)人が多そうだが

少し疲れて訪れたのが二尊院
紅葉は宝厳院で圧倒されたのでもう驚くことはない

山の上に藤原定家の時雨亭跡があるというので、最後のひと踏ん張りで頑張ってみた

彼もここから京都の街を見ていたのかと少し感傷的になる

宝厳院で圧倒的な紅葉を見ていた時、藤原定家の
「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」
を思い出した
西行に比べて深みがなく技巧的すぎると言われるようだが
自分はこの場面転換の効果の凄い歌は結構好きだ

ということで、結局よく歩くことになった京都日帰り旅行は
このあと錦市場でお決まりの店にいって無事終了

次の京都旅行は村山たか絡みの金福寺狙いかな





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葵祭を見に行った

2019年05月16日 08時57分58秒 | 旅・旅行

昨日の朝、起床前に青空文庫で源氏物語の「葵」をタブレット端末で部分的に読んだ
与謝野晶子による現代語訳で、源氏物型絵巻にも扱われている賀茂祭での
六条御息所の車が酒に酔った連中に壊されて、屈辱的な思いをする部分だが
この部分が思いの外あっさりと書かれているのに少し驚きを感じた
そのあとの生霊の活躍する部分は一回読んだだけでも印象に残っているが
この賀茂祭の部分はあまり劇的な感じはしない
でも当時の人達は、車の破壊という事件は十分に劇的な印象を持ったのかもしれない
というようなことを、つらつらと感じながら西へ行く電車に乗った

天気は雨の心配はなく、晴れ男をまたもや実感することになった
目的地は京都
最近は新幹線が京都が近くなるに連れて「帰ってきた」という感覚になる
この感覚は数年前ウィーンについた時も「帰ってた」という懐かしい感覚を覚えたものだった
京都の見どころはたくさんありすぎるが、昨日は何と行っても葵祭を見逃す訳にはいかない
早速地下鉄烏丸線で丸太町まで
列車はいつもより混んでいて多くの人は丸太町で下車する
1番出口は混んでいるので2番出口を利用するようにとのアナウンスがある

15日の葵祭は御所から下鴨神社、それから上賀茂神社へと500人ほどの人が平安時代の装束で
列をなして歩く「路頭の儀」が行われる
下鴨神社で見物する人が多いようだが、今回はあとのことを考えて御所で見ることにした
最初は立ったまま見物するつもりだったが、連休中の右膝をひねって痛めて回復がイマイチだったので
当日券を手に入れて座ってみることにした

葵祭は一昨年、上賀茂神社で競馬足汰式(くらべうまあしぞろえしき)を見ている
これは後に行われる賀茂競馬の前段階の行事で、実力・コンディション等から
2頭の組み合わせを決めるために行われる
馬が疾走するシーンはなかなか迫力があって面白かった
(あんな足が外れそうな鐙で乗馬しているとは、、)

平安時代の装束をした人がただ列をなして歩くだけ
そんなものが面白いか、、、と以前は思っていたが、「源氏物語」を読んだおかげで
この祭りが案外面白いかもしれないと思うようになった
物語の中では見物人が賑わっているようなことが書かれているし、祭りにつきものの酔っぱらいも
登場して、その時代の人たちが何を楽しんだかを実感してみたい気になった

座席ブロックは一番隅っこで、アナウンスはよく聞こえたが、列の人物・衣装等の紹介とのタイムラグがある
そのアナウンスに聞き慣れた言葉が時々耳に入る
検非違使・随身・命婦・内侍・斎王、、、源氏物語に時々出てくる言葉だ
今までなら耳の近くを通り過ぎる風のようにさっと消えてしまっかもしれないが
昨日は妙に実感を伴って耳に入っていった

せっかく行ったのだから写真撮影をと思うのは当然だが、写真を撮ろうとすると
行列を感じることが疎かになってしまいそう
そこで、写真は記憶の中に写すことにして、行列を見ることを優先した
わずかにスマホで撮影したのが定番の斎王

斎王役の人はじっと座って動かずにいなければならない
名誉な役割かもしれないが、大変だな、、と下々のものは思ってしまう
同様に大変そうだなと思ったのが、何か箱のようなものを抱いて歩いている役の人
重そうな傘を支えている人、何かを担いでいる人、、
とりあえず下鴨神社までそのままの格好で行かなければならない
見る方は歩いているのを見るだけだが、歩く方は案外大変だと少し同情してしまう

歩く速度は思いの外速い
馬が歩く速さと合わせなければならないのか、眼の前をササッと通り過ぎていく
足元を見ると草履姿の人が多い
ゴロゴロした石をモロに足裏に感じそうで、これもまたなれない身にはしんどそうだな
と同情してしまう

アナウンスの青海波(せいがいは)という言葉が耳に入った
源氏物語で時々でてきた言葉だが、読んでいるときは具体的なイメージは全然できなかったが
突然青海波模様というものがこれに違いないと頭に浮かんだ
そのイメージと行列で見たものが一緒だったのが少し不思議だったが
青海波という模様はどうも定番のパターンらしい

それにしても衣装のきれいなこと、品の良いこと
これは今でいうファッションショーみたいなものとして当時の人は楽しんだのだろうか

ということで、いろいろ感じることの多かった歩くのを見るだけの葵祭
その後の御所近くをブラブラした
御所に西には菅原道真の生まれた場所とか和気清麻呂にちなんだ神社とか、
そうしたものがあまりにも当たり前のようにそこに鎮座しているのが
なにか不思議な感じ



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平等院、ずっと覚えているのは変なことだろう

2019年04月05日 08時22分58秒 | 旅・旅行

3日の水曜日、宇治に行ったついでに寄った平等院
訪れるのは二回目で、前回は池に水が張ってなくて興ざめしたものだった
鳳凰堂の中に入って説明を聞いたときは、暗くて壁画がほとんど消えかかっていて
これは昔からのものだから仕方ないと思ったことを覚えている

今回は塗りたてのような朱色がとてもきれいで、スッキリした清潔感のある
雰囲気を醸し出していた
だが感じたのは、思いほか小さな建物なんだな、、ということ
(サイズ感は実物を見ないとわからない)
鳳凰堂の見学は入場料とは別の費用が必要で、今回の目的は平等院ではないし
前回見たからいいや、とやり過ごした

入場料に含まれる鳳翔館(博物館)にはとりあえず入ってみた
ところどころ成る程と頷くところもないではなかったが、長く覚えているほどのことはない
だがある部屋に入ったとき一気にその場所の空気が変わった
とてもホッとするような、安心するような、あたたかなものが壁からやってきた
大きな壁には「雲中供養菩薩像」が26躯飾られいる
極楽にはこのような音楽を奏でる菩薩さんがいると説明にはあった
極楽が穏やかな静的な世界ではなく、音楽と感覚的な喜びに満ちた世界なら
そこに行くもの悪くない、、
きっと藤原頼通もそう思ったんだろうな、、との思いが頭に浮かんだ
時が経ち平等院に関するほかの記憶が無くなったとしても、この時このように感じたことだけは
きっとずっと覚えているに違いない
どうも記憶というものは不意に訪れた印象を後々まで頭の片隅に残しておくもののようだ

このけったいな記憶(印象)のおかげで平等院の入場料の元はとった、、と考えるのは
貧乏性のせいなんだろうな


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聖地巡り(源氏物語)

2019年04月04日 08時39分13秒 | 旅・旅行

昨日、宇治に行った
数日前からその気になって価格の安いJR東海ツアーズのワンデイ京都チケットを利用した
これは豊橋から京都往復が9900円で通常よりだいぶ安く、おまけにキオスクで使える500円分のクーポン券と
飲み物サービズががつく
JR東海ツアーズのオフィスは近くは樋橋駅にしかないが、地元新城から交通費をかけて求めてもお釣りが来る

宇治に行ったのはこれを見るため

写真は宇治川で見るためと言うより何かを感じるためだ
宇治川は思いのほか水量も多く流れも強そうなイメージで
源氏物語の宇治十帖のヒロイン浮舟が自殺を図ったところ

物語の上とは言え、それが現実的なものか意地悪く確認したわけだが
なるほどこの水量ならば入水すれば命を落とすことはあるかもしれない、、
と勝手に想像した

宇治橋には紫式部の銅像が

宇治に来てる人の大半の目的は平等院でチラッと眺めて直ぐに立ち去る人が多い
自分もついでに平等院に寄ったがあくまでもメインは源氏物語絡みの場所

宇治駅の案内看板はぶらぶら歩きのおすすめコースが掲載されている

何かを感じるといえばもう一つ実感したかったことは、京都と宇治の距離の感覚
匂宮や薫が京都から宇治まで度々足を運ぶが、それはどのくらい時間がかかり
困難だったかを想像してみることはなかなか興味深い
電車に乗れば30分くらいの距離なので、それほど遠いという感じはしないが
平安時代の交通機関は牛に引かれての車だろうから結構大変なことだったかもしれない
道も今ほど良くないだろうし、浮舟はわざわざ苦労して自分を訪ねてくる匂宮を
情熱的と思うのも無理はないかもしれない
おまけに船に(お姫様抱っこ?で)載せたりするとなれば勘違いするかもしれない

平等院はササッと眺めて、源氏物語絡みのコースを歩いた
するとこんな植物の紹介のコーナーがあった

ヒカルゲンジと名付けられたツバキだ
ムラサキシブの花はたまたま我が家の庭にもあるが、まさかヒカルゲンジと言う名の花があるとは
(このような時いつも思うのはセイショウナゴンという花はないのかなということ)

周遊コースにはいくつかの宇治十帖絡みの碑がある

早蕨


総角

注意していないと見落としてしまいそうな地味なもので、特にそこで書かれたということではなさそうだが
紫式部も1000年前にこの地にいて、何かを感じ、その上で想像の世界を創造したというのは感慨深いものがある

正午ごろ源氏物語ミュージアムについた


水曜日で来館者はさほど多くない
展示されている当時の様子は色彩が豊富で雅(みやび)
その展示物の中に光源氏のハーレムの六条院の模型があった
春夏秋冬と分けられた区画に光源氏が関わった女性を住まわせているが
紫の上、三の宮と自分は春の地区に、花散里と玉鬘は夏の区画に
秋には秋好中宮、そして明石の君は冬の地区に植栽も工夫を凝らして
それぞれ大きな建物から成り立っている

このミュージアムは20分ほどの映画があった
ドキュメンタリー風かと思いきやなんとアニメ仕立て
確かにわかりやすい面はあったが、ちょいと入門編すぎて少し不満
せっかく宇治にあるのだから宇治十帖絡みのストーリーを扱えば良いのに
と思ったが、これを短時間で説明するのは難しいから、、仕方ないかもしれない

平安時代にタイムトリップし、しかも猫に変身した女の子がお公家さんが蹴鞠をして
遊んでいるなか、女性がいる部屋に猫として入ろうとして御簾をちょいと上げてしまうシーンは
源氏物語の重要なシーンを連想させる
(これは映画でも読んで欲しいとの説明もあった)

映画が終わるとちょうど昼時だったので昼食にした
昼食は宇治市のどこでもいいと思ったが館内のカフェの「花散里」に名に惹かれてここにした

スタッフの方に、何故カフェの名前に源氏物語でも地味な存在の「花散里」につけたのか、、と聞いてみた
夕顔とか明石とか紫の上とか(流石に生霊となる六条御息所はないだろうが)その当たりの名前のほうが
派手っぽくて素人目には良さそうだが、よく考えるとしっかりものの家庭的な花散里のほうが
こういう施設にはふさわしいかもしれない、、と思い直したら、スタッフの方の答えもそのような感じだった

このあと場所を京都市内に移して源氏物語の聖地巡りの後半
最初に訪れたのは源融河原院跡

五条大橋から少し西に行ったところで
ここは源氏物語ミュージアムで見かけた光源氏のハーレム六条院のモデルとなったところ
残念ながら何かインスパイアされるような雰囲気は全くなし
ただこのあと向かった夕顔がらみの史跡に向かう途中の町までこの河原院の中にあった
とされるのは、とんでもない広さであったことがわかる

その夕顔の史跡は

実在の人物ではないが、こうして好き者には何らかの楽しみを与え続けている京都はすごい
でも、あまりにもひっそりしすぎ(その方が夕顔にはふさわしいかも)

ここまで結構歩いたが締めは紫式部のお寺さんの蘆山寺

蘆山寺は現在の御所のすぐ近く(東へ)
ここもひっそりしていて訪れた時刻は自分だけだった
あっという間に見学はできてしまう
でも源氏物語絡みの陳列された資料をじっくり見ていくと
好きな人なら時間は忘れてしまうだろう(自分はこの頃は疲れていた)

というわけで、京都の王道のような場所巡りではなく、テーマを絞った
地味に終止した聖地巡りの一日は終了

昨日歩いた距離はスマホによると13.5キロだった



 

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