「もう一度自分で良い」高校生と思われる女の子が
「生まれ変わるとしたら何になりたい?」の問いに
テレビでこう答えていた
思わず唸った
すぐさま自分は?と考えた
すると、同じ様に「もう一度自分で良い」
と答えようとしている自分がいた
お金を沢山儲けたたわけではない
社会的に認められている訳でもない
しなくても良い苦労をしたかもしれないとも思う
でも、どうでもいいことでもあれこれ考えて
(時にはストレスになりそうなことも考えて)
自分とのおしゃべりは退屈することはない
悩む自分、落ち込む自分、怒る自分、妬む自分、偏屈な自分
それらをひっくるめて「もう一度自分で良い」と思う
昔、読んだ上中下と3冊にわたる真面目な漫画
「共犯幻想」(真崎守・斉藤次郎作)の中にこんな問があった
「今したいことは何ですか?」
「もうじき死ぬとわかっていたら何がしたいですか?」
「2つの問の答えは同じですか?」
この問は心に刻まれて時々自分に問うてみる
答えはその折々で変わってくる
でもできるだけ同じようにしたいと思っている
言葉は力を持つ!と思う
これだけの短い問で人の生き方を考えさせることができる
マザーテレサは「自分なんて生きていても死んでも世界は変わらない」
と絶望感に苛まれている人に
「世界の調和が完成するには、あなたがいなかったら一人分足りない」
と答えている
そしてその言葉は人を救うことになる
ところで、自分が「もう一度自分で良い」と思うきっかけは
ヘッセの「シッダールタ」の影響だと思う
昔は賢くて生活も恵まれていたシッダールタが情熱に振り回されて
しなくてもいい苦労をする羽目になる
こんなはずではなかったシッダールタの人生
でもそれを全部受け止めて、内的生活の平安を手に入れた彼
小説の最後の部分は涙が滲んで仕方ない
少しばかりロマンチックな終わり方だが
それ故に愛読書だし、人におすすめできる作品となっている
選挙中も相変わらず静かな田舎
今朝、近所の子と小学校校門まで付き添いで歩く途中
一年生の女の子に聞いてみた
「今、通り過ぎたところに男の人と女の人の顔は並んでいたけど
あれ、なにかわかる?」
「わからん」
すぐさま返事が返ってきた
今度は同じ質問を2年生女の子に聞いてみた
「わからん」
7歳や8歳ではわからないのか、、
ということで、今度は5年生の男の子に聞いてみた
「選挙のポスター」
流石に5年生になるとわかるのか
だが、そこから先は子どもっぽい
「俺のポスターも貼って欲しい」
「あのね、こうやって貼るには選挙に出ますと申し出て
お金を300万円収めないと駄目なんだよ
投票数がたくさんあると後でお金は返ってくるけど
少ないとお金は取り上げられてしまうんだよ」
「なんで?」
「ふざけて選挙に出ないようにするためだよ」
彼は少しは頭に入っただろうか?
小学生はどのくらいから社会的なことに関心がいくか
あるいは、教育されるのかが少しわかった気がした
選挙はお金がかかる
家に何度も来るハガキ
政策を書いたパンフレットに電話、宣伝カー
一人300万円の供託金
少し前、素朴な疑問がSNS上に挙がった
ある党が100人近くの公認で立候補をした
計算をすると3億近くのお金が必要になるのだが、選挙前は一人の国会議員しかいなかった
党員が何人いるかわからないが、その党だけでそれだけのお金を捻出できるようには思えないので
どこからかお金が流れてきているのではないか?との声だ
確かに、そう言われてみると少し疑問が残る
同じように不思議に思うのは月刊「HANADA」とか「WILL」の広告費用だ
中日新聞では月一、全5段(全7段?)の大きさで広告が入る
おそらく朝日、読売、毎日も入っているだろう
首都圏では電車の吊り広告もあるらしい
だがこの月刊誌、書店に行くとベストセラーというほど売れているようには見えない
というより、そんなに置いていない
売るために広告を出すとしたら、広告費倒れになってしまいそうだ
(いったい広告費の原資は何なんだろう?)
だが、新聞広告は売るためではなくて、ある団体の刺激的な意見の発表の場として
利用しているのかもしれないと思われる
しかし社会にはいろんな意見や考え方があるというものの
どこか気持ち悪さを感じてしまう
自民党は最近の報道では、なりふり構わず公認しなかった人にお金を渡し
街頭の応援演説にも党員を派遣している
つまりは実態は公認と同じ扱いをしている
そして当選すれば、「禊が済んだ」の一言で
今までの問題はクリアされたと言い切ってしまう
こうしたことを踏まえて、選挙区の人はどう考えるのだろうか?
年寄ばかりのおしゃべり会が3ヶ月に1度くらいのペースで行われている
頭が固くなって、頑固になって、外出も少なくなる年寄は
こうした交流はリフレッシュしたり、ボケ防止に役立つ
前回のおしゃべり会で、最近の話題として「タクシーがなくなった」
と報告したした人がいた
市外に出かけてお酒を飲んで帰ってくると
今までは新城駅にタクシーが停まっていたが
今はタクシー会社がやめてしまっていて使えないから
飲みに行くときは駅近くのルートインに泊まるしかない!というのだ
確かに数年前、市内のタクシー会社はなくなった
その代わり豊鉄タクシーが稼働していると思っていたが
彼によると、タクシー利用者が夜中はほとんどいないので
(家族が迎えに来る人が多いそうだ)
準備しているとか電話に対応するのは経営に負担がかかるので
やめてしまった、、というのだ
市外に飲みに行くということはないので
自分は困ることはないし、たとえ飲んだとしても新城駅から自宅へは
歩いて帰れる距離だ
でも、雨の日は辛いから、やはりタクシーはあってほしい
そんな事が頭の片隅に残っていたなか
今朝のフジテレビの番組で、地方創生についての討論会で
こんな話が気になった
田舎の生活は車が必要だ
店に出かけるにも病院に行くにも、自分で運転する、しないを問わず
車がないとやっていけない
東京は交通機関が発達しているから車はなくても暮らしていける
ところが田舎はそんなわけには行かない
困るのはガソリン代のこと
必要不可欠なものだが、ここにガソリン税がしっかりかかっている
おまけに消費税まで、、
これは、ちょいと問題ではないか、、との指摘があった(国民民主党の方から)
確かにその通りだな、、と実感する
田舎は不便だ
自分の周りは、店も病院も学校もあってそれ程ではないが
少し車で走ると、車なしでは現実的に無理だ
しかもそう言うところは年寄りが多い
車の運転も心もとないひとが少なくない
少しでも便利な町よりに転居が良いとしても
(最近、自分の区は新しい家が多く建っている)
年寄は今まで住んでいるところから離れたくない
無理のない方法としては、スマートシティとかドイツの町のように
ちょっとした町に集まって暮らすのが良さそうな気がするが
これは言うは易し行うは難しなんだろうな
そんなことを思い浮かべながらいると
期日前投票に行こうか!との同居人からの声
そこでAコープで買い物ついでに用を済ませることにした
投票先、国民審査は相談して決めている
投票を終えるとNHKの出口調査をしていた
昨日はフジテレビが電話でこの地区の投票先の調査をしていた
なんで、フジテレビが、、と思ったが
フジテレビはキー局として全国の情報を知りたいのだろうか?
これらの調査は、現況報告として使われるのだろうか
そしてそれは、投票行動にどのような影響をもたらすのだろうか?
それにしても、終電時にタクシーがないのは困るな
彼岸花もいつもの場所でようやく見かけるようになった
朝晩は涼しくなっている
退屈な日曜日、久しぶりに豊川の「本宮の湯」に出かけた
新城市内にあるゆ「うゆうアリーナよ」りも
豊川市の「本宮の湯」のほうが我が家からは近いので時々出かける
同じような人が多いと見えて、近くの駐車場は満杯
一番遠い駐車場になった
駐車場からの道沿いではこんな木々が見られた
なんと、早くも紅葉し始めている
今年はクソ暑かったから、てっきり遅いものと思い込んでいたが
この数日の気温差が激しい分、木は錯覚を起こしたのだろうか
これは今年に限ったことなのか、毎年そうなのか
残念ながら記憶はない
時々、秋に桜が咲いたのを見かけたような記憶があるような、ないような
我が屋の庭の木々も紅葉はしていないが、疲れ果てているような雰囲気だ
少しづつ、葉っぱに傷跡が増えて、そして散っていく
夏にはあれだけ茂っていた葉っぱが落ちて冬木立になっていく
植物の周期的な変化は改めて凄いなと思う
入場料はJAF会員の割り引きで570円
長く入って元を取らねば、、と気合を入れても
どちらかと言えばカラスの行水タイプだから短い入浴時間
特に改修が行われて、大好きな寝湯がなくなってからは入浴時間は短めになっている
我が家で夜にお風呂に入る時は、昼に入ったからということで
カラスの行水に拍車がかかった
(じっくり入らねばもったいない?という頭はまったくなかった)
午後9時、固定電話が音をたてた
その呼び出し音は、登録してあるものや安心できる番号からのものではない
電話機は同居人の用心のために、それらは特別な呼びだし音に設定してあり
その呼び出し音のときだけ、同居人は出ることにしている
だが通常の呼び出し音でも、需要な電話だったり
登録忘れがあるかもしれないので、一応自分が電話に出ることにしている
このときの電話番号表示は0120から始まっていた
出ると、機械音だった
内容は早くも衆議院選挙のための世論調査(投票先調査)だった
我が家は時々、この種の調査が来る
簡単に断らずにいつもちゃんと答えているから調査組織も
毎回調査先候補に入れているのだろうか
聞かれるのはいつもと同じ
内閣を指示しますか?(まだ詳細はわからないのに!)
愛知14区には誰に投票しますか?
比例代表はどこに投票しますか?
その他、少し細かい質問がある
それにしても驚くのは、やることの素早いこと
自民党の新総裁が決まったと思いきやすぐさまの行動だ
そこで気になるのは、この調査の依頼主は誰か?という点
冒頭に調査組織の名前は言わなかったように思う
過去には「世論調査センター」とか通信社とか
メディア関係があったような記憶がある
調査をこんなに早く行って、その結果を知りたい人たちは誰だろう
少なくともメディアとか通信社ではなさそう
彼らは行うにしても、もう少し落ち着いてから行うだろう
知りたい切迫感があるのは多分自民党だろう
解散をして、選挙で勝ち目があるか否かをチェックするために
用心深く行う調査と想像する
それにしても、今回の総裁選は本来ならは
「何を行うか?」と「誰が行うか?」の戦いだった
ところが結局のところ、報道は「誰が」に関心が集まって
その誰かを選ぶ際の、損得や感情のもつれなどを面白おかしく
知ったかぶりに伝えているものが少なくなかった(田崎史郎氏など)
選挙といえば首長選でも、建前はマニフェストと言われる「何をするか?」
が大事とされるが、人間社会の出来事は「誰がそれを行うか?」
にどうしても関心が集まってしまう
それらは結局は同じこと言えないこともないが
「何をするか」で庶民が適切な判断できるようになると良い
と思うが、これは難しいことなんだろう
現在スマホはiPhoneを使っているが、機種はもっとも安価なSE
ホームボタンのあるやつだ
毎年のように新機種が発売されるが、かつては新らしいもの好きだった
かもしれないいが、今は一向にそんなことはない
使えるものに不便がなくて、安ければそれでいい
電話はもちろんメールができて、調べ物ができて、SNS投稿ができて
写真、動画が撮れて、天気予報が見れて、電車の乗り換えが見れれば
それ以上の機能はそれほど必要ではない
最近、頻繁に使うようになったPayPayもSEで充分だ
クイックペイもできるから、本当にそれ以上使うものはない
Zoomはパソコンの方で行う
自分の生活には必要不可欠の音楽は、今流行りのネットワークオーディオではなくて
昔ながらのレコード、CDで満足していて、それ以上新しいものを求める気はない
音楽は便利さよりも、時として真剣に向かい合える環境さえあればそれで充分だ
なんだか年齢を重ねると物欲がなくなるようだ
物欲が無くなるというよりは気力がなくなっているのかもしれない
車もそんなにいい車に乗りたいとも思わない
今フト思ったが、一番無関心なのはファッションかもしれない
衣服で今年購入したものは、ユニクロで手に入れたTシャツくらいなもの
普段は以前に購入したものを繰り返し着ている
だが、これは少し注意がいるかも知れない
あまりにも気を使わなさすぎると、おじいさんおじいさん風になってしまいそうだ
今でも他人から見ればおじいさんにしか見えないかもしれない
実際のところ、同じくらいの年の男性を見て
自分もこんな風に見えるのかとがっかりすることが多い
ということで、現役を退いた人間の気持ちなんてこんなものだ
何かが欲しい、何かを経験したい、何かを食べたい
それらが無くなってきているが、まだ少しだけホッとするのは
読みたい本がまだまだ見つかるという事実
ただ、これも記憶力と目がショボショボするのと
集中力が続かないのが足を引っ張る
どんな年齢のときも、満足できるということは無いようだ
「もう、このテレビ嫌い!」
新しいテレビに向かって同居人が声を荒げる
彼女はリモコンを持って四苦八苦している
新しいテレビに向かって「変なのばっかり出て、全然番組が見られない」
そんなことはないだろう
と一旦消したテレビをつける
すると普通の放送ではない画面が映る
テレビ局のボタンを押しても反応がない
そこでいろいろ試行錯誤して、やっと普通に戻った
最近のテレビは多機能になっていて、はじめからネット接続を前提に
YoutubeとかDAZNとかその他いろいろなネットサービスのアプリが入っている
これらのアプリ起動のボタンのせいで、リモコンもやたらと大きくなっている
だが、このリモコンの字は小さくて見にくい
上下左右のボタンも黒の背景に黒の矢印でよく見ないとわからない
新しいテレビは、パソコンと同じように、使用したいアプリを選択しないと前に進まないようだ
理屈はわかったが、これを年寄りに伝えるのは難しい
一旦教えても、見慣れない画面が出てきたら対処できるかは大いに疑わしい
(とりあえず、理屈は伝えた)
多機能というのは果たして便利なのだろうか!と、つい考えてしまう
いろんなことができるということは、いろんな設定や使い方を覚えなければならない
今年はエアコンも買い替えたが、同じメーカーの同じ製品を手に入れたが
リモコンはこれもまた大きくなっていた
つまりは前回になかった機能が入っているのだが、年寄には使いこなすのは難しい
年寄は、テレビ番組が見たいだけ
録画もしない 必要なのは音量を上げる機能くらいなもの
エアコンは涼しくなりたいだけ
そうした使い方をする人に大きな多機能のリモコンは使いにくい
本当は覚えるのが一番だが、無理そうなので結局、テレビ局を選択でき
音量調整ができるだけのシンプルな機能のリモコンを購入することした
それは文字も大きく、触るところも難しいものはない
それにしても、世の中の電気製品は便利になっているのだろうか?
少なくとも、年寄には優しいとは思えない
電気機器メーカーはお年寄りを対象に製品づくりをしていないように思えてしまう
尤も、こうして困る人のためにシンプルなリモコンをつくる企業もあるのだが
テレビがないと(つけないと)静かだなあ!
ついそんな声が出てしまう
調子が悪くなったテレビは調べてみると10年前購入していた
そろそろ寿命ということで、近くの電気屋さんで画面も性能も
以前より少しだけグレードアップしたものを選んだ
と言ってもほんの少し大きくて4Kが映るだけ
ハードディスクもブルーレイの録画なんぞはない
時々、同居人と確認するのは「安物買いの銭失い」のことわざ
本当にそうだね、、と言いながら、それでも何度でも繰り返してしまう
前回のテレビは安かったけど、いろいろイマイチだった
今回は中くらいの価格帯を選んだつもりだが、その日のうちの納品は叶わず
少しの間待つことになって、惰性のようにつけていたテレビがない生活となった
家には別の部屋に一台、2階に一台あるが、そこに行ってまで見たいとは思えず
メインのテレビが映らないなら、放ったらかしの生活だ
こういうのも、たまには良いかもしれない
静かで、テレビの報道にイライラすることもないし(兵庫県知事や多すぎる大谷報道)
同居人と話すことが多くなっている
食事の時はテレビを消して!
昔はそう言われたものだった
でも今は、食事中でも情報を逃すのはもったいない
そんな気持ちでいるのか、つけっぱなしがほとんどだ
ということで、久しぶりの静かな生活は今日の配達・設置でおしまい
あると便利だが、ないと静かな生活
いったい、どちらが良いのだろう
夏は何もしなくてもエネルギーを使う
エアコンをつけてホッとする時、それまでに必死に体を護るために
汗を出したり、根性で我慢したりしていたことを実感する
夏バテのでてくる頃だ
その症状は人によって違うが、めまいもあるそうだ
昨日の朝、朝食前に急にめまいのようなものを感じた
昔、槍ヶ岳に登った時に経験したようないきなりのエネルギー切れ
かと思えた、なんとなく感じは似ていた
食事の前に急いでチーズを一欠片口に入れたが、あのときのように回復はしなかった
結局、朝のルーティン(掃除、風呂桶の掃除)は省いて
とりあえず横になることにした
と言っても、朝から暑いから寝る場所がない
ところが不思議なことに、体の感覚は
比較的暑い部屋でもなんだか涼しくて(というよりいくらか寒い感じで)
じっと寝ることに集中できた
それは更に暑い2階の部屋に行っても同じようだった
合計、2時間ちょっと、、体が欲したのか眠りの時間がとれた
睡眠は本当に効果がある
なんとなく回復した感じ
でも食欲はわかず、昼はおかゆで済ませた
さて今朝は、4時まで一気寝してなんとなく気持ちがいい
どうやら夏バテはあれで収まったのだろうか
今年はクソ暑い
怒りを覚えるほどだ
この暑さのせいか?テレビ画面が色がずれて二重に見える
リセットしても回復しない
購入して10年近く、巷でいわれる〇〇スイッチが入って
お役目御免となったのだろうか
何事も無いようでも毎日はなにかしら起きる
その些細な事柄を、がっかりしたり、不安を覚えたり、笑ったり、怒ったり
そうして時は過ぎていく
このように時々、感傷的になりがちだが、今をありがたいと思うことにしている
それにしても、今年は暑い
9月半ば過ぎというのに、、この暑さ
怒る先はわからないが、つい腹を立ててしまう
一年ほど前に何故か自分を信じてくれている市職員の方と話をした
ある休日、教えてもらったその人の自宅に出かけて
時間が取れるかと聞いたところ、快く迎えてくれた
迷惑をかけないために聞いたのは一般論
民間の人が市に不動産を購入してほしいと提案した時
市はどのような対応を取るのか?ということ
(これは養鶏所のことを頭に浮かべて聞いた)
まずは、庁内で会議を開く
所轄をどの課にするか決定する
次に購入するとしたら、その目的は何の為かを決定する
普通はこのステップを踏むと説明があった
さて、例の養鶏所は市に申し出があった時、この一般的なステップを踏んだだろうか
少なくとも、購入目的ははっきりしていなかった
(購入してから少し時間が経過した時点で、何に使うかを庁内検討会議が行われた)
目的がはっきりしないのに市のお金を使うことは許されないことで
目的がはっきりしないのに不動産を買う時は「乱開発を防ぐ」意味で
市の代わりに土地開発公社に任せることがあるようだ
でもあの時は、この方法は取られなかった
養鶏所の件で行われた不動産鑑定依頼の一社随契は
その理由をあげて説明があればそういうことはあると話されたが
不動産鑑定の納期前の速報値報告とそれに依る業者との打ち合わせは
よくわからないとのことだった
自分が養鶏所騒動の全体的な説明を終えたあと、それ聞いたその人の印象は
市は疑わしいと思われても仕方ないかもしれないとのことだった
話は変わって、つい先日、市役所に行った時、ある職員から声がかけられた
時々、市役所には行くことがあるが、ただの一市民に過ぎないから
彼らは警戒心もなく対応してくれると思っていたが
どうやらそうばかりではなく、一応、注意して対応すべき人物
とされているかもしれないと感じることがあった
だが声がけをした方は、以前に数回話したことがあって
真面目な(もしかしたら真面目過ぎる)人で、何らかの方法で
自分の行動や考え方を知っているようで、自分の経歴は
なにかオンブズマン的なことを行ってきたのか?と問われた
ただ単に普通のサラリーマン経験しかないと伝えたが
「よく勉強している」とちょいとお褒めの言葉を頂いた
その言葉につられて、つい話してしまったことは
「行政訴訟は、原告側は自腹をきって弁護士費用を賄ったのは
覚悟している、でも市が損を損をしているかもしれないので
その損を挽回しようとして裁判を起こしたことは
市のためというものの、結果的に市に多額の裁判費用を使わせることになったのは
本当に良いことだったのかと心が痛い」
と伝えると、その人は
「でもそういう人とか行動が無いと、市に緊張感やらそういうものが無くなってしまう
市の説明は上手くできずに疑いを招く場合は存在すると思われる
そうした時に、疑いをもって声を上げてもらうことはより良い説明をするための
動機づけにもなる、それは仕方ない必要経費だと思う」と答えられた
職員の中にもそう感じる人がいるのだ!
ということは、とても自分も救われる気がした
願わくば、こうした気持ちを持っている職員が多くいることを!