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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

いいもの見つけた(シモーネ・ヤングのブルックナーの8番)

2015年12月31日 09時56分42秒 | 音楽

偶然見つけたこのYouTubeの動画

シモーネ・ヤングのブルックナーの8番の交響曲の演奏
珍しい点は2つ
一つはあれこれ手直しする前の、ブルックナーが最初に発想した音楽が聴けること
そしてもう一つは、女性の演奏するブルックナーということ

思い込みもあるがブルックナーの音楽は女性には受けないものだと思っていた
ピアノ曲の「思い出」とか「秋の夕べの静かな想い」「幻想曲」なんかは 

女性でも好きになるかもしれないと思うが、8番や5番などはどう考えても
敬遠されそうな気がしてならない 

でも偏見を除いて耳をすますとこれがなかなかいい
この演奏はブルックナーが好きという感情に溢れている
あれこれ考えるよりも、音の要求するものを素直に具現化して
もしかしたらインバルの初稿の演奏よりも良いかもしれない

ブルックナーの8番は自分でもたくさんのアルバムを持っているが
クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラー、シューリヒト、ヴァントなどの大物に混じって
結構好きなのが ハイティンクの演奏
なんとなくシモーネ・ヤングの演奏もこれに近い気がする

ところで初稿の8番
確かにまとまりがないというか、唐突な感じがしないでもない
特に第一楽章のピアニシモで終わるのではなく
突然の肯定的なフォルテシモ
普段聞き慣れているのとは随分違う
普段聞いているのは後期ロマン派の起承転結のはっきりした音楽
でも、本当にブルックナーの表現したい音楽だったのかというと
どこか違うかもしれない
ブルックナーは大都市ウィーンの都会人ではなく田舎の住人で
のどかな風景を原風景として生きてきた人間
そうした人の発想は、まとまりがよくて完成度が高いとしても
彼の思いとは違うのでは
そんな気がしてならない
特に聖フローリアン修道院地区ののんびりした風景を肌で感じた身にとっては
(一昨年聖フローリアンに訪れた)
ブルックナーには長生きしてもらって
もっと自分の最初に発想した音楽を 自信を持って世に出して欲しかったな

何れにせよ、年の最後にいい見つけ物をした
この分ではCDご購入ということになりそうだが
ま、いいか 

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今年読んだ本など(読んでいる本)

2015年12月30日 11時09分27秒 | 

今年はあまり本を読んでいない
なにかと忙しかったせいもあるが、すこしばかりヤバイのが
気力と記憶力の低下

まだあった、老眼による視力の低下(白内障もそろそろの感じ)
なにか言い訳を見つけて弁解しているが少し反省

今挑戦しているのが

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の新訳で評判となった亀山郁夫氏の
舞台を日本にしたカラマーゾフの兄弟の続編みたいな作品
(まだ読んいないので分からないが、そういうことらしい) 


登場人物はドストエフスキーの作品をを連想させる三兄弟と
グルーシェンカ、スメルジャコフ、ゾシマ神父に繋がる人物を
現代の日本に当てはめている

しかし困るのが自分の記憶力の情けなさ
一晩おくと、ストーリーがどんなだったか怪しいし、人物が誰だったかもおぼつかない
(それでも読んでいくと思い出せたりするが)

でも、この「カラマーゾフの兄弟」は 自分が読み返した数少ない作品で
舞台でも(豊橋で浜畑賢吉が出ていた)映画でも見たなにかと縁のある作品 
この作品は、ツボにハマると本当に面白い
濃密な時間が流れて、この作品を読んだあとは
他の作者の作品があまりにも軽く感じてしまうこともある 

亀山郁夫氏のこれは、本歌取りみたいな要素があるらしい
頑張って最後のページまで行くつもり   だが

さて今年の読書 今思いかえすと
ピケティの「21世紀の資本」
デイヴィッド・イーグルマン「意識は傍観者である」 
それから佐伯啓思の「20世紀とは何だったのか」
これらは面白かったという記憶はある
しかし、内容を説明しなさいと言われたら、、、

人に説明するために読んでいるわけでないので、ま、いいとするか

そういえば、図書館から借りた大きな文字のアルセーヌ・ルパンシリーズも面白かった
流石にフランスの作品でひと癖あって単に謎解きだけでないのが
何かひっかかる
「813」はその中でも面白かった

それにしても、つくづく思うことは、何でもできる時にやっておかないと
あとでできると思うのは間違いということ
冒頭に戻るが、読書を歳とってから十分楽しもうと思っても
体力・気力・視力の関係でできない
できる時に消化不良でもいろんな経験はしたほうが良い
(食べることも、呑むことも、馬鹿騒ぎすることも、そして旅も)
 

 

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三河弁のある人の投稿から(産廃について)

2015年12月29日 09時44分31秒 | 産廃

昨日は新城市の庁舎関連の三河弁の投稿を紹介したが
今日は、作者がまたまた頑張ってくれたので
産廃絡みの投稿を紹介します

 

ホイ、知っとるかん。
わしン等とこで新聞にも載って大騒ぎになっとる「産廃問題」だがのん。町の偉い衆に言わしゃあ、大したことじゃあないみたいだゾン。
何べんも新聞に出たり、国会や県議会でも偉い先生方が「ここの産廃問題は、どう見てもおかしい」と質問してもらっとるだに。国会や県議会でもだに。
今までこんなおそがい事聞いたことの無いらぁ。ド偉い事になっとるのが、わしン等とこの偉い人ン等は何ぁにも感ずいちゃぁあおらんみたいだか、そういう風にしとるだか、本当に困ったもんだに。

ホント、訳わからん。わしン等は産廃が動き出すと、町がド臭くなってどえらい事になるのがのが分かっとるもんだで、何とか「産廃」を止めさせ-って、考え付くこと何でも去年からずーっとやってきとるじゃん。ホンで、今年は、県庁へ行って「デモ行進」やったり。反対集会をやりゃあ、ドすごい人ン等が集まってくれて、えらい雨が降るだに、濡れても構わんって言って、小さい子供やじいちゃんばあちゃんが「デモ行進」までやったじゃんねェ。産廃業者の人ン等は、町の偉い人ン等にゃあいい顔して何回も出会ったりしとったみたいじゃんね。そんなこと、わしン等住民が知らんようにして業者は産廃工場をどんどん建てちまいやがった。本当に業が沸いてしょんない。聞いてみらぁ、町の偉い人ン等もわざわざ、産廃業者の事務所だかまで行ってわしら住民にゃあ言えんことをしゃべっとったみたいだゾン。「しゃべったことを聞かせとくれん、書いた物あるらぁあ」って聞いたらノン。行った偉い人が「そんなもん無い、だで、しゃべれん」だげな。ぶしょったいらぁあ。そんなことやっとるうちに、前から巷で話が出とった一番おそがい事がおこっちまった。県が産廃業者に操業許可を出しちまった。そんで、知っとる衆が偉い事だで、「みんな集まっとくれん」って言ったら、200人を超える人ン等が集会に集まってくれただに。

それなのに、これだけ住民が心配しておることを知ってか鈍感だか、この町の偉い人ン等は、今年の10大、重大ニュースに「産廃のサの字」も書いてない。
何んともぶしょったい話で、聞いてあきれちまうらぁあ。
なんしょ、この町の偉い人ン等は、産廃騒動には「関わりたくない、一部の住民が騒いどるだけ」「あの衆に関わるな」にしたいようで、姑息な企みがよく見えとる。
だがね、わしら住民はここに住んどるだでね、あきらめるわけにゃあいかんだで。
何としてでも「操業阻止」に向けて活動しんとね。

操業されてしまえばどのような悪影響が起こるのか想像もつきません。悪臭を一因とした公害でこの町は本当に住めんようになってしまいます。ご理解のある市民の皆さん協力してください。お願いします。

引用はここまで

残念ながら町の偉い人とうは、全然耳を貸してくれんかったみたいだのん
困ったもんだに! 

この人は、先日産廃反対ののぼり旗を直していた時に、
ある車から3人ほどの怖い感じの人が降りてきて
何か威嚇するような言葉を受けたそうです

この人達がどこの会社に関連しているか、、、
わかりますよね、、、

だから心配です 

コメント (1)
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三河弁のある人の投稿 (その2)

2015年12月28日 08時12分39秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

野坂昭如氏が今年亡くなった
彼の作品を沢山読んだ方ではないが
「火垂るの墓」はあまりにも悲しくて二度と読む気が起きない
同じ理由で、アニメも見られない 
(こんなに悲しいことは二度と繰り返してはならない )

確か「エロ事師たち」だったと思うが(記憶違いかもしれないが)
大阪弁の 長いセンテンスで
書かれていたが、方言はなにかと面白い

以前、三河弁で書かれたある人の投稿を紹介したが
自分の中ではこれはとてもおもしろく、それでこの作者にお願いして
第2弾を作ってもらった

以下引用

すまんのん。ちょっと聞いとくれんや~。

わしンとうが住んどるとこの偉い人ンとう、また偉いこと言い出すだに。

本当に困っちまう。

こんだぁ、絶対勝つとわかっとった野球の試合に負けたもんだで「こんな試合無かった事にするで~って」デカい顔して言とったくせに、今になって「あの試合は大勝利」「下っ端の話なんぞ誰が聞くか」って言い出すだに。

情けないらぁ。
わしら下っ端はのん、「野球場の便所の建て替え」でわしら下っ端の言っとることを聞いてもらわにゃいかんと思って、やってもらった試合だったじゃんね。
だもんで、偉い人ン等に「今まで、やったことないことだが、野球でもやって勝負するかん」「下っ端のわしらが勝ったら、ちいたあ言うこと聞いとくれん」て言ったら偉い人ン等が「わしンとうが決めた決まりでやるんならやってもいいぞん」って言ったもんだで、「こりゃあ負けるわけにゃ行かん」ってなわけで真剣にやって、勝っちまった訳で。
普通なら、「下っ端にしちゃぁつおかった」「ちいたぁ言うこと聞いてやるわ」って言ってくれるのが常識ってなもんだが、わしんとこの偉い人ン等は「なにょうとろくさい事言っとるだん。そんなこと言った覚えはないぞん」「そんな試合やったような覚えはあるが、負けたつもりはないぞん」だってよ。
「わしらの決めた通りのゴージャスなどすごい立派な便所を山ん中の野球場に作ってやるでね」「下っ端のあんたらに借金を払ってもらうでそのつもりでおっとくれん。掃除も管理もあんたんらがやるだでね。作ってやるだであたりまえじゃん」だげな。
訳が分からん。
わしら下っ端は「山ん中にある野球場にだだっ広い見たこともないようなドすごい便所を作って誰が使うだん。」「そんなの作ったってもったいないだけだでやめとくれん」「ポットン便所から水洗便所へ作り変えてくれりゃあそれでいい」って言っておるだが、偉い人ンとうは、なんだか知らんが、ピカピカのドすごい便所を何が何でも作るっていう言うじゃんね。おかしいいらぁ。
何か知らんが、偉い人ン等はドすごい便所を作る人ン等にえらい「ごっつお」を食わしてもらったみたいでのん、下っ端の言うことなんぞ聞く耳もっとりゃあせん。困ったもんだで。
それに、偉い人ン等は「わしらよりもっと偉い人ン等が金を出してくれるだで、あんじたこたァ無い」って言っとるが、どっちみち、わしらが払わにゃあいかん借金に変わりぁせんのに、うまい事言って誤魔化そうとしとるじゃんね。
どっとろいらぁ。わしら下っ端が何にも知らんと思っとるだで。
おまけに、払ったお金が戻ってくるっていっとるだげな。ウソばっかこきゃあがる。
このまんまだと、作る人ン等や偉い人ン等に、良いようにやられっちまうで、わしら下っ端が動いて、今まで見たことない事をやらにゃあ、作るの止めさせれん。だで、偉い人ン等に盾突いて、どんな偉いことをしたって便所の作り変えを止めさせにゃあいかんだでね。分かっとくれん。
このままだと、わしらのにゃあ、若い人ン等や働き盛りの人ン等がおらんようになっちまう。
借金を払うのがとろくさいもんだで、本当の立派な偉い人ン等がやっとる住みよいとこに行っちまうだわ。
今の偉い衆に任せとったら、偉いことになっちまうのはわかっとるだで、訳の知っとる衆、頼むで力貸とくれん。

 ここまで

新城市の人ならすこし想像力を働かせば思い当たるフシがあるかも

ちなみに三河弁の投稿第一弾は⇒こちらをクリック



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不信感は誰の責任か?

2015年12月27日 09時12分24秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日に続いて今朝の中日新聞にも新城市の庁舎絡みの記事が載っていた

何かの団体に属している訳でもなく、どちらかと言えば横着で怠惰な、市議の名前すら知らなかった
いい加減な自分が、 今に至るまでしつこくここで取り上げているのは、住民投票の分かりにくい設問のせいだ

本当にこれには怒りを覚えた
誰が見ても意味がわかりづらく、勘違いを招くような設問を何故議決してしまったのか
設問をわかりやすいものに変えてほしいという市民の要望を何故聞き入れなかったのか
今でもわからない

新聞にもあるように混乱のもとはこの設問のせい
住民投票に法的拘束力があるとかないとかということよりも
この設問は何を意味しているかといった解釈の仕方が
一般市民の感情と行政(市長)とは異なっている
つまり多様な解釈を生むような設問自体が問題であった

しかし住民投票が終わった後も市議会も市長も
何故住民投票になってしまったのか
あの設問は良かったのか悪かったのかといった総括はない

市長からすれば、あの設問は議会が決めたことで
自分には責任はないというところだろうが
市長は住民投票を行うなら
わかりやすく
市民まちづくり集会を開催して、
なおかつ投票は18歳以上 
の条件をつけて実施するように議会に働きかけている

その結果、出来上がったものがわかりやすいものではなく
誤解を招くあの設問になったのだが
設問がわかりにくいのではの質問に
市長は「私は分かる」の答え

ところで、設問は議会が決めたことで自分には責任も権限もない
という考え方・傾向は、新城市のもう一つの大きな住民運動である
産廃に関することでも見られた 

許可するしないは県の決めることで自分には、何も権限はない
といったような発言をしているが、
八名地区の人びとの反対の署名を持って行っても
つまり少なからずの市民が声を挙げているにも関わらず
地元の声を聞いて、市の方向性を示す行動は何も起こしていない
市長は自ら「あれは裏口入学のようなものだ」
(正当な方法ではない)と言っているのに 

しつこく例を探せば住民投票の際のとても変な「オレオレ30億」のチラシ
また選択肢1を応援しますと賛同者の目前を羅列したのは良いが
同姓同名の方から苦情の多かった市内に郵送された印刷物
この評判の悪い出来事も市長ではなく別の団体(突然できた団体)が
行ったことで自分(市長)には関係ない (と言いたいだろうと想像する)

残念ながら人は一旦何かに不信感を持つと、そのすべてを疑い出す傾向にある
道の駅もっくる新城大幅すぎる建設金額の追加
突然降って湧いたような産科医院の開設(これは保留状態?)
そして市民と話し合いを設けたように見えるが実質的には
市民の声を聞くことはなかったと判断される「実務協議」
これら全てに 不信感を感じてしまう

これは新聞記事にあるような「住民投票の不信感」
どころのレベルではない(少なくとも自分は)

ところで「住民投票を求める会」の前代表、前崎さんは
住民投票が行われ一応会の目的は果たされたことと、
家庭の事情により退かれているが、その前崎さんも市長の
「市民の声を聞かない」やり方には不満・怒りを覚えていると
11月に行われた説明会で発言している
その後の行動(リコール )についてのコメントはないが
穏やかな性格な人だけに口を塞ぐ気持ちも分からないではない

それで、今起こりつつある(起こっている)リコール運動の推進者は
気の短い、自分の意見を聞いてもらえないから拗ねている人達か
といえば全くそういうことはない
(これは人が判断することで違った印象を持つ人がいるかもしれないが)
そして市長が口にしたような
「前回の市長選のリベンジ」等という要素は全く無い 
単純に上に挙げたような不信感の伴う進め方でこれからも進めていいのか
予算提案権を持ち、市議を取り込んでいる現状で
このまま市政を進めてしまって良いのか 
将来に負担を残すことにならないか
そんなことを真剣に考えた上での行動で
身の丈にあった庁舎を求めた普通の市民の姿と変わるところはない 

ところで、如何に不信感があろうが
政治的能力があれば、それで良し
という考え方もあるかもしれない
でも、現時点では、この状態になってしまったうえでは
自分は政治的能力さえあれば何でもクリアされるという考え方には
賛成しがたい

多分ひとはいろいろ痛い思いをしながら変化していく
あるときは政治的能力のある人を、ある時は高潔な人物を
その時々の背景で要求されるものが変わってくる

今本当に必要なのは、何なのか?

長いものに巻かれろ!
とは判断しない自分がいる
 

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中日新聞と毎日新聞(市長リコールについて)

2015年12月26日 12時40分12秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

中日新聞の記者が選ぶ新城市の今年の三大ニュースには、
やはり住民投票と産廃関連が取り上げられていた
もうひとつは若者政策について

地元に滞在している記者さんの実感として
短くコメントされていたが
住民投票には市民の異様な高揚感を感じたらしい
しかしそれに続く市長リコール問題には少し否定的なニュアンス 

記者さんの感じることだから、あれこれ言うことはできないが
同じ市長リコール問題についても毎日新聞は比較的大きなスペースを割いて
以下のように紹介している

毎日新聞は住民投票の時、いち早くあの分かりにくい選択肢について
間違った投票を起こしかねないと問題提起をしたメディア
(それがきっかけで各メディアも選択肢に批判が行われるようになった)

新聞(メディア)は公正・中立というものの人間の感覚が係る分野で
現実にはなかなか難しい
だから、できることなら人は同じテーマについて複数のメディアに
触れて自分の頭で考えることが良い

残念ながら毎日新聞はこの地区では購読者が少ない
触れることの少ないと思われるので
比較のために上記の記事を紹介してみた

同じ問題、いったい普通の人はどんなふうに感じるのだろう 

ところで、新城市内に二回にわたって折り込まれたチラシと
リコールを求める会が配っている印刷物 
これも同じテーマ(リコール問題)についてそれぞれの主張が
掲載されている
せっかくのこの機会、じっくり考えてみるのも悪くない
 

 

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勘違いはダメ、総額の7割が戻ってくるわけではない(合併特例債)

2015年12月25日 17時46分33秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日(12/24)新友会から2回目のチラシが折り込まれた
今回も合併特例債7割キャッシュバックの文字が入っていた
 

しかし何故今、合併特例債をわざわざ持ってきているのか
少し理解に苦しむ
それも、なにか勘違しそうな表現で!
知らない人が見たら、総事業費の7割が返って来るような印象を与えるが
合併特例債は該当事業の95%の金額について
その7割を交付金で返還するというもの
この返還期間は20年 

該当事業を庁舎に当てはめると
住民投票時の50億円の計画ですら約23億円が戻ってくることになり
総額の7割なんてことはない(半分以下となっている)

この合併特例債を使って安易に進めたばかりに
今になって財政が苦しくなっているところが
日本の中には数カ所あるようだ

また、慎重なところは合併特例債を使った場合の
何十年後の財政をシミュレーションしたところもある

何れにしても、使い方によっては有利な制度だが
よく考えて使用しないと後でひどいことになりそう
ということはキチンと抑えておいたほうがよい

ところで、何故この合併特例債を
7割キャッシュバックなどという表現でチラシに掲載したのか
総額の7割戻ってくると勘違いさせたい(?)ためか
それとも知らなかったためか(?)
でも勘違いさせるためとしたら、随分市民を舐めていることになる
広報誌「ほのか」にも合併特例債のことは詳しく説明されているページがあって
総額の7割でないことは明らかにされている
もしかしたら、市民は見ていないに違いないからこの際チラシで
書いておけ!くらいの気持ちだったのか
といらぬ想像をしてしまう

もう一度はっきりしたいが、合併特例債は該当事業の95%の金額のうちの
7割を交付金で20年かけて戻ってくるということ
建設業者への支払いは即支払うことになるので
市の積立や計画の不足分は金融機関から借金して支払うことになる
交付金で返って来るとしても交付金はいろいろ一緒にして市に入ってくるので
どれがこの合併特例債の分かわからないし、これから交付金は少なくなることは
確定しているので、そんなに気楽に考えられるものではない

ところでこの合併特例債というのは人口・合併した市町村数等によって
使える上限が決められていて新城市では、まだ上限にまで行っていない
実はここが問題で、安易に有利な制度だからといって
上限まで計画を進めると大変なことになる
つまり無計画ないわゆる箱物がどんどん進められてしまうと
新城市の財政の心配となる


ところが予算提案権は市長にあって現実的には
議会がチェック機能を果たさずに市長の追認機関になっている
(これは住民投票時に15人の市議が市長派に属した事実からもわかる)
何故リコール運動が今起きてしまうのか
というのは、
市民の声を聞かない(と市民に判断されても仕方のない)進め方
勝手な定義の差し替えによる不正確な説明の仕方
などにに対する不信感だけでなく、ブレーキ無しのイケイケ箱物では
これからの財政が心配だからというのも一つの要因だ

 

 



 


 

 

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ベートーヴェンの頭のなかで鳴っていた音

2015年12月23日 17時11分39秒 | 音楽

年末だから第九を聴いてみた
といっても生ではなくてCD
本当は19.20日の名古屋フィルに足を伸ばして聴こうと思ったが
イマイチ気分が乗らずパス

この曲を聴くのにはタイミングと気力が必要だ
今日引っ張りだしたのは思いつきで
ジョン・エリオット・ガードナー 指揮
オルケルトル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティック
モンテヴェルディ合唱団
 

まず第一印象は、テンポがずいぶん速い 
スリムとは言わないがスポーツカーのように先へ先へと進む
音も古楽器オーケストラでいつもよりいろんな音がよく聞こえる 

そこでいつものように聴きながら連想したことをあげると
この曲を初めて耳にしたウィーンの聴衆はこの音楽が
古典派には収まりきらず、ロマン派に足を踏み出していることを
感じただろうなということ

だから古楽器できちっとした演奏をしているけど
ベートーヴェンの頭のなかで鳴っていた音とは少し違うような気がする
ベートーヴェンの頭のなかでなっていた音
現実には流れている音を聴いて味わうだけなのだが
調子がいいと(フルトヴェングラーの場合は特に)その音と波長が合って
まるで自分の頭のなかで音が鳴っているような気がする

そしてその音は、沈潜したり、思索的であったたり、構成的であったり
こうなると音楽を聴いているのか自分が何かしているのか
わからなくなるような(少し大げさかな)気さえする

幸い(?)この演奏はそんな忘我の瞬間は訪れない
あくまでも音響としての音楽
でもそれが悪いのではない 
上質なエンタメ映画を見ている気もする
だから不満足というわけではない

でも、正直もっと良い演奏、良い体験はあるはずだ
と感じてしまう
もっとも、めったに聴かないと言っても何種類かで聞いているから
こんな独断ができるかもしれないが

第九は生では
新城で田中良和指揮の東京フィル(?)
アクトシティでロリン・マゼールの指揮で

レコード・CDは
カラヤン、バレンボイム、ラトル、ジンメル、アンセルメ
今日聞いたガードナーと御大フルトヴェングラーのバイトロイトとルッツェルンの演奏
探せばもう少しあるかもしれない 

しかし、今日特に感じたことはベートーヴェンの頭のなかで鳴っていた音は
随分先に行ってしまっていた音なのだということ
(時代的にだけでなく、人が作りうる世界、その境地)

ところで、急に思い出したが、昔NHKFMで第九を弦楽5重奏だったか 
8重奏だったかにアレンジしたものを途中から聞いたけど
これは思いの外良かった
特に第3楽章は後期の弦楽四重奏曲を髣髴とさせる感じで
晩年のトーンがにじみ出ていて、、、
この演奏を聴く機会があれば一度耳にしてみたいものだ

 

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みんなが頑張っているから自分も頑張れる

2015年12月22日 18時33分25秒 | 徒然なるままに

駅伝ってこんな感じなのかな
と思ったりした
最近少しばかり面倒な作業をしている
今日は暖かだったけど、寒くて強い風の中を
何キロも歩いて、、、(何をしているかは想像に任せます)

なんでこんなことをしているのかな
と思わないこともない
でも乗りかかった船、自分が良いと思ったことを信じて
やるしかない、、、
と思いつつも根性無しは、
ま、このへんでいいか!と妥協しがち

でも、他の人が頑張っている
自分の何倍も、、
それを知ってしまうと、頑張るしかない
というか、その人達に申し訳なくて頑張るしかない 

駅伝ってきっとこんな感じなんだろうな
みんなが頑張っているから自分も頑張らねば
と自然と湧き上がってくる

どうせやるなら楽しく
これも半分開き直った感情
でも、人が頑張っていると自分も頑張れるってのは本当だな 

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リコールについての討論(いろんな考え方があります)

2015年12月21日 11時01分12秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市の市長リコールについて
白井議員のブログのコメントに活気ある
討論が交わされています

どのような考え方をするか
どちらに共感を覚えて賛成するか
まずは各人が真剣になって意見を交わし合っている現実を
知った上で、なおかつ何故こんなことになっているのかを
自ら考えてみることは市政に興味を持つ絶好の機会だと思います

白井議員のブログで活発に意見交換がされているのは
こちらのページ⇒この記事のコメント 

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