パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

久しぶりの運動会見学(スポーツフェスタ見学)

2023年09月30日 16時56分53秒 | 子どもたちのこと

コロナのせいで暫くの間は、一家族一人の人数制限がされていた小学校の運動会
今年はやっと普通通りに開催されることになった
近所の子達の活躍が気になるし、今年赴任した先生の中に
自分がサッカーコーチだったときの教え子がいて
(いつまで経っても呼び捨てか〇〇ちゃんだ)
それも気になるので開始早々にでかけた

今年は徒競走とか赤白に分かれて競うもの(リレーとか大玉送り)は
ないらしいことが聞いていた
それで盛り上がるのか?
と疑問を覚えたが、どうもそういう時代らしい
運動会は「スポーツフェスタ」と名前が変わっていた

出かけるとクソ暑かった
会場は縄跳びとか、バスケット、ランニング、鬼ごっこ、ドッジボール、ボーリングみたいなもの
ボールを使ったお遊びなどのコーナーに分かれて、同時進行で行われていた
親御さんは自分の子供がいるところで見学している
以前のように徒競走のゴール地点でカメラを構えて場所取り合戦はない

近所の子どもたちを見つけるのはとても難しい
みんな同じに見えてくる
見つけることができたのは見物客に親御さんがいたHくんとKちゃんと
9月に引っ越してきたブラジルにルーツを持つL君だけだ

暫く会っていない先生のM君は(三人兄弟の真ん中で今年は6年の担任になっている)
鬼ごっこのゾーンで、カメラ係になっている
こちらに気がつくと、「これだけで汗びっしょり」と一言
自分の背中も汗で湿っている

明日から10月というのになんて天気だ!
と怒りを覚えるほどだ

ちょっと心配なブラジルにルーツを持つ2年生のLくんは
一回目はは縄跳びのコーナーで遊ぶことになっていたが
やりたくない、、と外に出ていたようだ(お母さんの近くにいた)
彼は縄跳びよりただ走るコーナーに参加したいらしい
どうやら、彼は最初は40分の縄跳びのあと、一旦休憩をとって
その後でランニング(陸上の専門家による走り方教室)になっていたらしい

この運動会のシステムが分かっていないらしく
少し戸惑っていたようだ
(仕方ない、まだ日本語がわからないし)
彼を見に来たお母さんとは、彼女のスマホのポルトガル語を日本語にするアプリで
アバウトな会話を行った
そのうち彼女の知り合いの日本人が近寄ってきて、大体の流れを把握したらしい

Lくんは土曜日に学校に行く理由がよく分かっていないらしく
遊びに行く感じでいたようだ

でも校長先生の感想を聞くと、彼の(日本語の)成長の度合いは素晴らしいらしい
それには友達との会話が一番と続いたが
先日はこんな事があった

下校時に家の近くで「おかえり!」と見守っていたとき
一緒に下校した子と喧嘩しているところを見かけた
喧嘩は駄目と言おうとしたが、案ずることはない
L君はそのケンカ相手(?)に家で一緒にゲームをしないか!
とお母さんを通じて誘ってきたのだ

その経緯は、彼は一旦お母さんに話しかけ、お母さんはスマホのアプリを用いて
大人である自分にで話しかけてきて、少し変な日本語を推察すると
ゲームを一緒にやりたいということで、それをケンカ相手に話すと
直ぐ様彼の家に入っていった

いつも子どもたちの喧嘩は瞬間芸だと思う
ついさっきまで喧嘩していても、ちょっとするとケラケラふたりとも笑っている
子どもたちはいつも現在進行系で生きている
喧嘩の記憶なんてないかのようだ
大人のように喧嘩を根に持つなどということはない

結局はこの暑さに勝てず、早々に引き上げてきたが
子どもたちはあの暑さの中「走っていた」
生命力というのは、こういうことだな!
と呆れると同時に羨ましく思えたのだった



 

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Hさんのこと

2023年09月29日 09時23分14秒 | 徒然なるままに

映画が大好きで、気に入った映画は上映会を催し
行政主催の集会には積極的に参加して、下調べしたデータを元に
いろんな質問をする真面目な性格のHさん

真面目だが偏屈にならず、穏やかな雰囲気が彼の周りには漂う
そのHさんの10年以上寝たきりになっていた奥さんが先日亡くなった
彼は定期的に病院に訪れては奥さんと自分だけの会話を繰り返した
反応がないように見えても、ほんの少し微笑んでいるように見える時は
嬉しい、、そんな話を聞いたこともあった

お葬式の当日は抜けられない予定が入っていて
届け物は先日の映画「ひろしま」上映に一緒になって活動した
仲間にお願いした

それから少し時間が経った昨日、気分転換に!
とおしゃべりする時間に誘ってみた

彼は耳の片方が聞こえなくなっていて
聞こえる方の耳に手のひらを広げて集音し、内容を理解しようとする
こちらもそれに合わせて少し大きな声で話す

その中で、彼は奥さんとの会話の話を文字に残していると教えてくれた
現実の奥さんは話せない
だから彼の心のなかで響いていることだけを書き記している
自分の会話は「」のカッコで、妻の会話は『』のカッコで囲って
書き残している、、と言った

それはとても彼らしいことのように思われた
お葬式の日、知り合いが届けてくれた香典返しには
奥さんに関する言葉がハガキ二枚分のスペースに
びっしりと書かれていた

奥さんも努力家で、年齢を重ねた上でも資格を取ろうとしたり
明るく振る舞う様子が書かれていた
そしてそれを読むと、Hさんの奥さんにピッタリだとか
夫婦は似てくるのだろうか?と思うのだった

本当は原稿用紙3枚分の文章量があったのだけど
短くされて、確認するとか了解する時間もなくて
そのままお願いしてしまった、、と残念そうに口にした

でも、その挨拶文は多くの人からお褒めの言葉が集まったようだ
自分の経験の中でも印象に残るものだったし、同居人も読んで
奥さんも偉い人だったね、、と口にした

8月5日の映画「ひろしま」の上映会は
彼が企画した中では大成功に分類される入場者で
いつもの赤字ではなく、今回は余剰金が発生した
後日、上映を手伝ったスタッフに会計報告をしたとき
スタッフの大半は、いつも赤字で不足分をHさんが補填しているだろうから
今回は経費を引いて残った分はHさんが好きなように使っても良い
と言ったのだが、彼はそれを頑なに拒んだ

そして昨日、その使い道は映画「ひろしま」にあわせて
広島市の原爆ドームに募金したと報告があった
次回の何かの映画上映に回すと言っても、年齢のこともあり
何があるかわからないので、早めにお金は処分したかった
と話すところは、やっぱりHさんだな、、と思えるものだった

自分はこの(全肯定的な)Hさんと知り合いであることは
運が良いことだと思っている

生きていくうちで、どのような人と出会い
どのような経験をするかで、生き方は随分違ってくる
なんとなく気が合うな、、
との直感はやはり正しかったのだと思えてならない

類は友を呼ぶ、、、






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明日は中秋の名月

2023年09月28日 19時16分35秒 | ダイアリー

腹が立つほど暑かった今日
日が沈む頃、ちょいと同居人とウォーキングした
西に向かって歩いている時は気にならなかったが
家に向かって帰る道はは大きな月が目に入った

でかい!
そして、きれい!

この時期の月を愛でるのは、わかる気がする

もう少し時間が経過して、2階の部屋からの月はこんな感じ


おいもさんは買ったし、家にはすすきがあるから
明日のお月見(中秋の名月)は準備万端だ

東に向かって月をみながら歩いていた時
山もずっと槍ヶ岳を見ながら歩くことができるコースがあるんだよ!
と同居人にふと話しかける

でも蝶ヶ岳から常念岳に向かう時は、最初は良いが途中から思いのほか
下ってしまって、せっかく登ったのに!
とか、景色が見えない!
と不満を覚えたのを思い出してしまった

ふと、銀閣寺の向月台に光る月は、どんなふうに見えるのだろうか?
そんなことを思ってしまった

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ゴッホのひまわり

2023年09月27日 09時06分27秒 | 徒然なるままに

ゴッホの有名な「ひまわり」は連作で
一枚だけでないことを知らなかった時
そのうちの一枚を見て、人にその印象を話したいと思うほど
興奮したことは覚えている(メモ帳に書いている)

見かけたのはミュンヘンのノイエ・ピナコテークで
自身が疾風怒濤の時代の出来事

最初から凄い絵だとの暗示がかかっていたのかもしれないが
その絵の前に立った時、ひまわりの葉とか茎から
何やらモニョモニョと気味悪いものが伸びてくる
幻影のようなものを感じた
正直なところ気持ち悪いくらいだった
でもその迫力はすごかった
(人に伝えたいのはそのことだった)

その衝撃的な絵を、時間が経過したのちもう一度見て
自分がどう感じるか試しにでかけたのが10年前
だが、その結果はなんとも情けないものだった

何にも感じない
ただその一言だった
するとあの時感じたのは何だったのか?

あの気持の悪い生命力に満ちた絵と感じたのは
若さゆえの感受性の為せる技だったのだろうか

感じやすさは、年々衰えていくようだ
初めて見たときと印象が変わってしまうのはこの「ひまわり」
だけでなく、京都の広隆寺の弥勒菩薩のときもそうだった
始めてみた時は、弥勒菩薩の周りの空気がとてもきれいで
特別なものと思えたのだった
しかし、2回目に見た時は、、仏像がそこにあるだけだった

この印象が変わることを小説に残しているのが辻邦生の「夏の砦」
グスタフ候のタペストリを始めてみた時に感じたことと
後に見たときの違いを追求していく話で
他人事ではないと夢中になって読んだものだった

ところでミュンヘンのノイエ・ピナコテークのひまわりは
写真撮影が許されていた
なんで許されているのか分からないが、せっかくなので撮影しておいた



それにしても若い日、メモしておくほど興奮したのは何故だったのだろう
その時の記憶は、時間の為せる技で美化されているのだろうか




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樹液シート(理由は分からないが自分には良さそう)

2023年09月26日 09時27分40秒 | ダイアリー

それはプラシーボ効果のせいかもしれない
効くかな!と半分疑いながらも
期待しながら使用したのが良かったのかもしれない

足の裏に貼る樹液シート
何年か前に妹が、試しに使ってみりん!
と薦めた奇妙な製品だ
(シートが変色したのは覚えているが、効果は覚えていなかった)

何日か前、ヨーグルトが他店よりも安いドラッグストアにでかけ時に
樹液シートの陳列されているのが目に入った
数年前の出来事を思い出して、試しに!と
2枚108円で販売されていたものを手にした
108円ならハズレでも損した気分にはならない

その晩、説明書通りに足裏に貼ってみた
すると、夜は爆睡した
一気に朝方までノンストップでトイレにも起きずいられた
そう言えば、足裏に貼ったときから気持ち足裏が
ポカポカした感じになった気もする

目覚めスッキリは、そうかも知れない
これはもう少し継続してみる価値はあるかもしれない
ということで、今度は30枚の商品を購入した

しかし、なんで効果があるのかはわからない
確かに足の裏は多くのツボが集まり、足裏マッサージ等で刺激すると
とても気持ちがいい
でもそれは物理的な刺激だ
汗取りのようなものを貼るだけで
しかも効能が明らかにされていないような薬品が塗られているシートを
貼るだけで本当に効くのか?と今も疑問が残るが
貼って寝ること3日、なんとなく目覚めが良いのは実感する

なんでも理由がわかる方がスッキリするが
理由はいつかわかるかもしれないが、今は分からなくても
確かに効果ありそうなものは存在する
とうことで、今は体に良いことはやってみようという気分

最近の習慣、朝起きて一杯の白湯(50℃くらいの)を飲むのは
期待した以上に良いことがある
(白湯の効果は先日の新聞にも軽鎖されていた)

このように歳を取ると関心事は健康に関することが多くなる
でも、それはしょうがないか



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昨日の新聞コラム「視座」から思うこと

2023年09月25日 09時48分11秒 | あれこれ考えること

中日新聞の日曜のコラム欄「視座」は
内田樹氏、田中優子氏、目加田説子氏、宇野重規氏が
入れ替わって執筆しているお気入りのコーナーだ

昨日の担当は宇野重規氏
その中で彼が問題視するジャーナリストのあり方は
実は自分もずっと思っていた
いくら政治家という人々は権力闘争の本能に囚われている
(マックス・ウェーバーによると)
としても、近くで見聞きするジャーナリストが人々に伝えることは
権力闘争の成り行きとか裏話ばかりでは
それが戦国時代の生き残り作戦や覇権争い的に面白くても
個人に特化しすぎては本質を見失うことになりそうな気がする

政治評論家の肩書をもつ田崎史郎氏は、自分は権力闘争に興味がある
政治を仕切るのは勝ち残った人物だから、、的なことをあるとき口にした
だかその過程としての権力闘争の内情を伝えるのは
そして、その情報を持っている特別な評論家として生きているのは
実は政治家たちにうまい具合に利用されているかもしれない
そしてそれでわかった気になる人々は
今は織田信長が有利な状況、秀吉は虎視眈々と狙っている、、
とかいう戦国時代好きの者のお楽しみの話と何ら変わりない気がする

そもそも良き世界を実現するための政治的な事柄は
人としての誰かと誰との権力闘争するよりは
経済、社会的課題、人権問題、貿易、防衛、教育などが複雑に絡み合い
素人がポイントを抑えて理解するのは困難だ
(理解するにはある程度腰を据えて構えるしかない)

それを素人は直感的にわからないから
政治家の出自を紹介したり、趣味を紹介したり、
甘いものが好きとか、、つまりは誰でも分かる話に
紙面や時間を割いているのが実態だ

だが、これは藤井聡太さんの将棋の凄さを理解できない素人が
対局中に食べるスイーツに寄せる感覚と同じような気がする
彼の食べるスイーツは将棋の本質とは関係ない
(紹介されるお菓子屋さんにはめったにこないビッグチャンスだが)

きっと何事も難しいことは容易に理解できることはないだろう
何回か経験して、考えて、時間が経って、
それでやっと心にストンと落ちる理解に進むのだと思われる

最近タイパという言葉が流行っているようだ
また倍速で録画を見る人も多いようだ
だが、時間がかかるものはかかるもの、、と開き直って
本質を理解しようとしたり、名著に挑戦するほうが
実は前に進めるような気もする

この意味で、報道は啓蒙を適度に含んだ精緻なものが望ましい
(わかりやすさ優先ではなくて)

まとまらない話!

 

 

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市電の速度について(そうだったのか)

2023年09月24日 09時12分09秒 | 徒然なるままに

ひょいと目に入った(耳に入った)ニュースに驚くことがあった
宇都宮市ではLRTを導入した都市の交通を時間をかけて行っていて
現在は14キロの路線が完成、2030年代には西側の部分にも
延長するらしいが、このニュースに関連することだ

ところで市電(チンチン電車)とかおしゃれなLRTが気になるのは
地元の中心豊橋市にそれらが走っているからで
もうお役御免と思われた市電に新しくLRTが導入されたのには
ちょいと驚いたのだった

だが、この街なかを走る市電のスピードはお世辞にも速いとは言えない
自虐的に、豊橋らしい!と思ったりしたものだった

日本と違ってヨーロッパの街では市電が主役なみに活躍している
十年ほど前にハイデルベルクとかミュンヘンで市電に乗った時
すぐに驚いたのは、市電のスピードだった
モーター音をしっかり鳴らして精一杯走っている
ちんたらのんびり走る市電に慣れている身には
ちょっとした衝撃だった
(こんなに必死に走らなくてもいいのにと思ったものだ)

その記憶が残っていたものだから、今朝の日本の市電は時速40キロ以内と
大正時代の法律で決められている
とテレビのニュースで説明があった時はびっくりした
なんでも大正時代のブレーキ性能から割り出した速度とのことだ
ブレーキ性能は向上しているだろうに、大正時代のままにしているところが
なんとも情けない

世の中にはいろんなことが法律で決められている
時代に合わせて変えていけば良いものも、無関心やら面倒くさい(?)ので
変えられずにそのままみたいなものも多い

そもそも法律文自体がが異様に長く、句読点も少なくて、1回読んだだけでは
何が書かれているかわからないようなものは、わかりやすい文章に変えるべき
と思っているが(アメリカではわかりやすい文章にするようにしているらしい?)
そのような動きはどうやらなさそうだ

市電のスピード制限くらいはさほど困難を伴わずに変えられる
と思ったりするが、さてどうなんだろう

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「ロメオとジュリエット」と「それから」

2023年09月23日 16時50分20秒 | 徒然なるままに

女優さんを見るためだけに見たい映画作品がある
一つはオリビア・ハッセーの「ロメオとジュリエット」
演じた時は16歳(?)だったかな
とにかくきれい、、それ以外の言葉が見つからない

見たいというものの内容は悲劇的で見るのは辛い
この映画の撮影風景は衛星中継で世界中に流れた記憶がある
この時はビートルズも同様に衛星中継された
(愛こそはすべてだったかヘイ・ジュードを歌った気がする)

フィギアスケートで時々使われるロメオとジュリエットの劇中音楽
「What is a youth?」はこれもまた良い
新城市では「まちなか映画館」という懐かしい映画を上演する企画があるが
この映画を上演してくれないかな、、と思っているが
なかなかそういう訳にはいかないようだ

とてもきれいなオリビア・ハッセーはこちら

What Is A Youth - By Glen Weston - Lyrics - full song (Perfect version)

もう一つ、まちなか映画館で上映してほしいのが
森田芳光監督で藤谷美和子と松田優作の演ずる「それから」

冒頭、三千代の顔がぼーっと浮かんで消える
その神秘的な雰囲気が物語のイメージを決定づける
衣擦れの音、サイダーの音、百合の花、、2人の視線
そうしたものが緊張感を醸し出している
それにしても、藤谷美和子のきれいなこと
(少なくとも自分はこんなにきれいな人は見つかけられない)

予告編の音楽もいい
これを聴くだけで泣けてきそう
それからの音楽と映像はこちら

【予告編】それから


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失恋の歌(あるいは喪失感を感じる歌)

2023年09月23日 09時13分30秒 | 音楽

リタイア生活に馴染んでくると社会的な感覚が薄れていく
特に次々に噴出してくるビジネスアイデアなどは
仮に現役だったら積極的に取り組むか
それとも慎重に構えるかどっちなんだろう
と考えたりするが、実感としてはリアルな感じはない

職人であったバッハは、今でこそ音楽の父として崇められているが
死後長いこと忘れられていた存在で
メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」の再演を行い
再評価のきっかけを作ったとのことだ

でも、素晴らしい音楽がなんで忘れられたのか?
と想像してみるとわかる気もする

職人バッハはその作曲能力の高さ故に一般人には
理解し難い音楽になりつつあったのではないか
(世間はもっとわかりやすい音楽を要求していた?)
未完に終わった「フーガの技法」などは誰かのために作った
と言うよりは自分自身のために作ったような気がする

リタイア生活をしてるとわかるが
あえて世間に合わせるという気が希薄になってくる
そして自己完結といえば言葉がいいが
少しづつ自分以外のことに無関心になる
その傾向がバッハにもあったのではないか?
と思ってしまったのだ

急に話は変わるが、最近聴くクラシック音楽以外の曲は
懐メロと言われるものをYoutubeで選んでいる
そこで、不意に昔の曲は失恋の歌が多いな!
と気づいた(今も残っているのは)
失恋でなくても喪失感を感じさせるものが
年齢を重ねた身にもリアルな感覚で迫ってくる

今の音楽界も同じように失恋の歌とか喪失感を感じるものが多いのだろうか?
今の音楽には全く疎いのでさっぱりわからない
でも雰囲気としては元気なポジティブな雰囲気の曲が多いように感じる

身体がエネルギーに溢れ、次々に生まれる新しい音楽を味わう若者は
後悔の念と戻らない時間への追憶を呼び戻す懐メロといわれる音楽を
どんなふうに感じるのだろう

例えば浜田省吾のこの曲とか、伊勢正三の曲とかはどう感じるのだろう

片想い (ON THE ROAD "FILMS")

イルカ&伊勢正三/ 雨の物語

今の若者がいつか懐メロを聴く年齢になったら
その時はどんな曲が選ばれるのだろう

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例外が多すぎる(妄想しすぎ?)

2023年09月22日 09時21分47秒 | 養鶏所騒動

火のないところに煙は立たず、、という言葉がある
まさにその実例みたいなのが、地元の養鶏場買上げに関する出来事

確たる証拠ではないが、偶然が重なると何か疑わしく思われるもので
養鶏場の高額な買上げもその一つ
高い安いを感情的に口にしているのではなく
現実にすぐ隣の土地は国が不動産鑑定をして
8分の1の価格で購入することになった事実がある
(地目が違うと弁論しているが、地域の人の相場感覚からは異様に高い)

この養鶏場の土地は更地にした状態のものを市が購入する手続きなっていた
当然といえば当然だが、この更地にするのはえらく手間がかかるようになっていた
建物の解体以外に、それまでに溜まっていた鶏糞の処理がとんでもなく多かったのだ
その量は半端ではなく、トラックで相当数の運搬が必要とされていた

当然、鶏糞の処理がどのように行われたのか?
と気になるところだが、地元では鶏糞を処分し搬送するトラックを
あまりに見かけなかったというのだ
(これは監視しているわけではないから見逃しているだけかもしれないが
 地元の人はそういう印象を持ったということ)

この養鶏場の買上げ金額の支払いは、何故か極めて速やかに行われた
市議会で購入の議決が可決された時に仮契約から本契約になり
購入金額の半分がすぐさま支払われることになっていた
(正確には、ちょっとした手続きのあとに)

先方から買ってくれと言ってきた物件の支払いを
直ぐに半分支払うなどということは常識的にありえない
と思われるが、とにかくこうして進められていった
(残りの半分は更地にして譲り渡された時の支払い)

養鶏所の金額が何故異様に高かったのか?
を想像してみると、このすぐさま半額を支払ったことから
解体費用を見込んだ金額ではなかったのか?
と想像できる(妄想?)

ところが、この更地にする過程の中で別の事件が発生した
解体、更地にする工程に遅れが生じたので、もう少し遅くしてほしい
との業者からの要望があったそんなある日
解体作業中の養鶏場に火事が起きてしまった
3棟ある養鶏場は燃えてしまった

火の気がないのに火事とは違和感を持つが
火事の原因は漏電からとされた
(何故3棟まで広がったのだろうか?)

そもそも操業していない施設に電気が通っているものだろうか?
そのように違和感を持った人もいたが、疑念を払拭されることはなく
物事は進んでいった

蓄積された鶏糞の残りは、この家事で建物と一緒に燃えてしまったようだ

これらのことは単なる偶然の出来事なのだろうか
それとも状況証拠から生まれる逞しい妄想に
何らかの真実が含まれているのだろうか

例外が多い時は、きっと何かがある
これは経験を積んだ上での知恵だが
今回のこの案件は本当に例外が多くてどうにもスッキリしない
というのが本当のところ


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