復興予算が本来の目的とは離れたところで使われ
肝心なところには回ってこないどころか
その大部分が使われてしまっていた
というニュースには心底怒りを感じざるを得ないが
なんでそんなになってしまったのか?
を考えると少し絶望感に陥りそうだ
こんなことになってしまった原因の一つに
「東日本大震災復興基本法」の第2条(基本理念)の中に、
「単なる災害復旧にとどまらない活力ある日本の再生を視野に入れた抜本的な対策」
という文言があって、アンダーラインの日本再生うんぬんの
拡大解釈が行われたからだと言われる
上記の条文はさらっと読んでしまえば、良いこと書いてある!
くらいの感想しか持たないが、
ある意図を持った人がなんとでもなる文章のようだ
あの時期に作られた法案なので、普通の人は復興のための
そして再生のために使われる予算だと理解する
しかし、文章だけ取り出して考えると
確かに拡大解釈を制限できないような文章なのかもしれない
だから、省益を求める官僚が理屈の上では間違いのない
請求と使用を行なってしまったのだろう
ここで、先程の絶望感を覚えてしまうというのは
ここでの官僚達のメンタリティーのこと
こんなことを平気でやってしまう精神
確かに厳密な意味では予算の使い道を絞りきっていないにしても
普通の人ならそこは行間の意味を読み取って復興に予算を回す
といった考え方にはなると思うのだが、彼らはそうではないらしい
解釈が正しいかどうか?正確に書かれているか?
起きている悲惨な事象に関係なく
行間を読まずに物事に対処する事は一体どうなんだろう
一番の疑問は、平気でやってしまっている人がいる
ということ
やましい気持ち、罪悪感は感じなかったのか?
いや、感じた人はいたかもしれない(それは分からないが)
しかし、事実としてやってしまっている
人は自分の思いもよらない考えに従ってしまうことがある
ナチスなんてと馬鹿にしていた人々が
知らない間にナチスに従わざるをえない状況になったように
意識するしないにかかわらず、
人にはこのような傾向があるのは認めなくてはならないかもしれない
官僚の人たちも、一人ひとりは普通の感覚を持った
良き人なのかもしれない
ところが、そこに蔓延している雰囲気は彼を
人間としてもっとも大切なところを麻痺させてしまうのかもしれない
無駄なお金の使い方をしてしまっている
そうさせた政治家が情けない
というより、解釈上に間違いがないからといって
平気でこんなことをしてしまう人たちの存在
実は一番怖いのはこの事
人間性
官僚の人たちはリベラルアーツとか教養といった分野を
普通の人以上に磨かないと更に怖いことになりそう
と思うのは杞憂か?