パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

もう少し、のんびりとしたテンポで

2011年04月25日 20時34分22秒 | Weblog

なんでも上の世界を知ってしまうと

下の世界がしんどく感じられるものだ

おいしい酒を知った後では、そうでない酒の実力が明らかにされるし

地上波デジタル放送の鮮明さを知った後では

アナログ放送はなにやらぼんやりして見える

 

進歩が著しいコンピュータの世界もそう

新しいものに替えた時にはさほど感じなくても

何かの加減で古いコンピュータを使わなければならなくなった時

その不便さは耐え難いものとなる

 

実際、今日もそうだった

最新のマシンで(でもないが、そこそこ)作業していたソフトを

古いマシンでやらなければならなくなったのだが

やってみると、まずはUSBが2.0じゃないのでデータのやり取りが遅い遅い

そして動作、処理もモタモタして、イライラするばかり

最近のソフトは早い処理能力、大きなメモリを前提に作られているので

そうでないものに対してはホント泣きたくなるくらいの結果しか望めない

 

ならば新しいものを求めればいいのじゃないか

となってもお金は無尽蔵にあるわけじゃないし

使えるものは使わなくてはもったいないという気持ちも働く

 

確かに進歩は、以前よりも便利だったり

使い勝手が良かったりという形で認識されるが

上の世界を知らなければ、そのままでも「こんなものか!」と

別段問題視することもないかもしれない

 

つまり、比較するから不幸は始まるのであって

知らなければ妥協や我慢が出来ていたかもしれない、、、

 

それにしてもデジタル分野の進歩はテンポが早すぎ

もう少し財布の状況も考えて商品にしてくれないと

とても追いつけない

 

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おかしいと思わないのか!

2011年04月22日 21時15分21秒 | Weblog

今日の中日新聞に「原発のその後」についてのアンケート結果が紹介されていた

それによると現状維持、仕方ないとする人が

原発廃止とする人と同じくらいだったとのこと

岩手、宮城、福島の三県を除いた調査ということだが

誰もが意外と驚く原発容認の多さだ

 

この結果をもって日本国民はどう考えているか

あるいはどう教育、洗脳されているか

と類推する前に、やるべき事は果たしてこのアンケートの質問は

どうだったか?ということのチェック

 

「現在日本の発電の多くは原発に依存しており

廃止をすれば計画停電などをしなければならず

そうすると経済活動に支障がでてきますが

さてあなたは原発をどう考えますか?」

例えばこのような、それでなくとも同じようなニュアンスの

前置きが質問になかったか?

 

無作為に選んだとされる集団が

果たしてそのまま信じていい母集団であったか?

 

普通想定していたものと違う結果が出れば

想定が違っていたとしてしまいそうだが

今回の結果はチョット日本人の行動パターン

(熱しやすく冷めやすい、一気に風になびく)

からすれば違和感がありすぎる

 

だからそもそもの質問自体がどうだったのか?

と疑うことになるのだが

この結果を見た人、識者はあっさりこの結果自体を信じて

論評をしている

質問が変だったのでは?と考えないのだろうか

 

報道は結果だけを述べるが個々が正しい判断をするためには

それらアンケートの結果だけでなく

質問の環境、項目などもあわせて知らせてほしい

 

つまり、情報操作をしていないか

と疑っているわけだが

「統計は嘘をつく」

と何かの本にあったように

一見信じられそうな客観的とされる数字は

実は意図的なピックアップの仕方がなされていることが多い

 

科学の論文であれば実験結果の正当性を明らかにするために

そもそもの実験方法の信頼性をまずは証明しているが

こうしたアンケートや世論調査は

その方法、手順が正しいかどうかを調べずに

多くの人が無条件にその調査が正しいものと信じてしまっている

 

今回のアンケート

自分はハッキリ何かがおかしいと思う

それが何かは知らないが

 

アンケートは共同通信他多くの組織で行われ

全てに同じような結果が出ているので

意図的なものはないと考えることもできるが

それでも違和感を感じてしまうのは何故だろう

 

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シッダールタ

2011年04月18日 20時37分57秒 | 

多分、一番好きな本はヘッセの「シッダールタ」だと思う

コリン・ウィルソンの「アウトサイダー」で知って読み始めたヘッセ

「デミアン」は冒頭の数行でノックアウトされたが

続く「シッダールタ」は多少ロマンティックな結末と言われることがあっても

(それだからこそ好きなのかもしれないが)

その全人格的な取り組み方、向かい方、そして諦念に至る過程が

作者自身がそれこそ身を削って創り上げたような作品で

感動を覚えずにはいられない

 

ヘッセ、ほんと好きだな

日本語に訳された詩もドイツ語の印象と実は違うかもしれないが

なんとなくアジアっぽくて親しめる

シャボン玉、霧の中、、、

 

ところで話は変わるが、南こうせつを見ると

直ぐにヘッセを思い出してしまう

なんだか似てると思うのだが、、、

 

 

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Amazonと本屋さん

2011年04月17日 19時32分41秒 | Weblog

特にそうしているつもりはないのだけれど

最近本はAmazonで購入することが多い

確かにAmzonは欲しい本が決まっている時などは

便利なことこの上ない

書店で頼むより簡単に見つけられるし、手に入れるのも早い

しかし、だからと言って本屋さんに魅力がないわけではない

本屋さんは本屋さんで楽しい

まずは、いろんな人がいろんなコトを考えているんだ!

と実感できること

時代の雰囲気を感じられること

目的なしにブラブラして偶然思いも寄らないハマる書物を発見できること等

 

こうして見ると本屋さんでの本選びは

紙の辞書をひくのに似ている

調べる単語の前後の言葉も目に入って

知らず知らず記憶の片隅に残る紙の辞書

それは目的の本を探しているときに

自分の目を引く背表紙の本を見つけてしまうのと似ている

 

最近本屋さんに行っていない

行けば一時間くらいは平気でぶらぶらできる

 

それにしてもAmazonの推薦本

これが当たっていて少しばかり悔しい

確かに自分にとっての次に読むべき本の道しるべにはなるけど

 

その前に読みかけの数冊、とりあえずでも読み終えねば

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モーツァルトの脳

2011年04月16日 20時40分06秒 | Weblog

面白いけれど、想像以上に内容が濃くて手こずっているのが

ベルナール・ルシャブリエの「モーツァルトの脳」

モーツァルトの異常な程の音楽的記憶力の秘密を

音楽的な記憶とはそもそも何なのか、などから

脳の作用する部分の解説、

そして一つに秀でたものは一種の人格破壊が起きているのではないかとする

仮説への反論やらを懇切丁寧に紹介している

さすがデカルトの国の作品、細かな分析がベースにあって

その上で人間的な主張も含まれている

 

しかし、ここで考えてしまったのは

日本ではこうした本は生まれないのではないか?

ということ

 

日本では、これだけしつこい考察よりは

あっさり一言で分かってしまえるような表現は好まれ

そのほうが商業ベースにも乗っていき

その結果充分な考察はカットされる

言い換えれば、日本はハウツウ本、解答本だけが大事にされる

 

わからないのは自分のせいでなく

分かりやすく書かない本に責任がある

こんな態度が国民全体にあったりして、、、

 

ところがこの態度、

原発事故報道に関する記者、メディアのそれに似ていないか

わからないのは自分たちのせいでなく

分かりやすく言わない学者のせい、、、

 

今回の震災、及び原発事故で身にしみて感じたことは

全ては簡単な一言では片付けられないということ

原発は安全か?安全でないか?だけの報道、情報だけでなく

まず自分が判断できうる知識を持つこと

そして、そうした情報を得ようとすること

こうした態度こそが大事ということ

 

つまりはこのような態度を持つようにするには

じつは若い時期での考え方の癖として

哲学みたいなものを(授業に)

もっと取り入れたほうがいいのではないか?

 

考えるくせ、

感じるのは自然に努力しなくても感じることができる

しかし考えるのは習慣にしないとできない

だから考える癖を早いうちにつけさせることこそが

教育の一番のポイントと思うのだけれど、どうなのだろうか

 

 

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レコードの音、CDの音、聴き比べ。

2011年04月14日 20時05分40秒 | Weblog

昨日の休日、我が家にレコードの音とCDの音の聴き比べに同僚がやってきた

誰でもするように、同じ演奏のアルバムを持って(レコードの方は自分の方だけれど)

アルバムは「ラバー・ソウル」

最初にドライブマイカーをCDで、全部聞かないうちにレコードに交代

自分は演奏者の雰囲気、楽器の音が違うと感じたが

感想を求めると一応違う感じは認めたものの、まだ今ひとつと言ったところ

もう一曲聴き比べたが、そんなに感動はないようだった

 

次にクラシックの分野、

「音楽の捧げもの」のトリオ・ソナタの部分

フルートの音色も自分は違うと思うけれど

聴き慣れていない分野か、これも今ひとつの反応

 

せっかくだからビートルズの実質的最終アルバム

「アビーロード」のB面を通してレコードで聞いた

「あれ!こんな音も入っていたのか!」

耳が慣れてきたのか集中の度合いも高くなってきた様子

「やっぱり、ビートルズは凄い!」

音楽そのものに対する感想、(それでいいと思う)

 

次に若い世代の人には知られていない?ピンクフロイドの

「おせっかい」からおすすめの「echoes」

神秘的な序奏から自然な流れに乗って激しいロックの部分

そして統一感のある再現までスケールのある曲は

初めて聞いたらしいけれど、なにか感じるところはあったみたい

 

問題はそこから

このレコードを聞いた後、彼は持参してきたCDを聞くことにしたのだが

「あれれ、、、。音が、フィルターを被っているような、もやっとしてはっきりしない」

「音量だけの問題じゃない、ドラムスの音のリアリティが全然違う」

「さっきはそんなに感じなかったけれど、耳がレコードに慣れたら

 ぜんぜん違うことが分かってきた、やっぱり違う」などなど

 

結論として、明らかに自分個人の感覚だけではなく

やはりレコードの音のほうが良いと感じる人が

少なくともここに誕生した

 

だが聴き比べをするには、実はハンディキャップがあったかもしれない

オーディオ機器のランクが少し不公平だった(?)

レコードプレーヤーはノッティンガムのハイグレードの中古品、フォノイコはEAR834P-5

対するCDプレーヤーはmusical fidelityのA3.2

(アンプはC&R woodham2.0 300B スピーカーはタンノイのスターリング)

価格差はチョットあるので単純な比較はCD側にかわいそうだったかも

 

でも、それでも音が音楽というところまで、

人の心を惹きつけるのは聞こえない音をカットしないレコードの方

機器の価格差というより録音のフォーマットの差が大きい気がする

 

それにしても困るのは最近はレコードが発売されないこと

音響、音は聞けても音楽が聴きにくくなっているのは

問題だと思うのだけれど、、、

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より良い原発事故報道について、送り手受け手が身につけなければならないこと

2011年04月13日 10時45分21秒 | Weblog

今回の報道のあり方で明らかになったことと

その対処方法を考えてみた

 

まず報道関係と学者・関係者とのインタビュアーの話が咬み合わない点について

◆基本的な知識がメディア側にない

◆「分かりやすく言ってください」というメディア側の意見は自分の勉強不足を露呈している

◆学者、解説者は正確を求めるあまり、前置きが長い話になって内容の理解が

 不明瞭になっている

 そして、分かりやすく話すというスキル自体がない

 

 

これらをクリアするためには、分かりやすく話すスキルにたけたメディアの人たちに

まずは放射能、放射線、原発の原理、その構造などをしっかり勉強してもらう

(多少時間がかかっても、まずずべきはここから)

その上で、適切な質問をしかるべき人にするようにして

今度は分かりやすく視聴者、読者に伝えていく

 

そして視聴者、読者のほうは

無機質な数字の報道ばかりでは判断に困るが

受け手の方も基本的な知識を持つ必要がある

(全ては簡単に説明できるものではないということを認識することと

 辛抱強く学んでいく必要も認識すること)

 

その為にメディア・国は、国民に対して放射能、放射線、原発の原理、その構造等の

教育を何らかの時点でしっかり行う

 

結局、知識は力になるということ

自分で判断できるだけの材料と教育を全てがなされるべき

といった結論に落ち着くと思うのだが、、、、さて

 

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その後の変化を予想

2011年04月11日 20時56分21秒 | Weblog

この震災以後、人は変わる

変わらざるをえない

どのように変わるか?

それは復興の過程、グランドプランに兆しは見えるに違いない

 

復興と言っても、以前のようなある種の物質文明を

もう一度!という形にはならない気がする

 

GDPが世界第2位と言って誇らしげにしていた国

しかし一人頭で換算すれば10番前後

しかも一人ひとりが幸せを感じているか

といえばこれもまたおおいに疑問だったりして

つまりは以前の姿はもどるべき姿ではないことは

少し考えれば分かること

 

だが判断の基準を前の生活との比較でしか考えられない人たち

いわゆる想像力、洞察力のない人たちは

復興は単純に乗り越えることだと考える

 

後になって乗り越えることになるだろうが

それは乗り越えるというより

しなやかに変化していって

結果的に乗り越えたという表現で表されることになる気がする

 

とにかくこれから以後は何もかもが変わる

気づかないうちにかわる

多分メディアは死活問題に直面するだろう

コミニュケーションの方法や情報の取得の仕方、時間の潰し方はおおいに変わる

そしてそれらによる人間の関心の変化、優先順位の変化は

あまりにも自然で気づかずにいてしまうかもしれない

 

実はこの変化、自分はおおいに期待している

結局、人に必要なのは部分的なテクノロジーではなくて

全人格的な判断力、教養、共感力、行動力

そんなことが明らかになるのでは?

 

そんな時、

自分も責任の外にいる批評家、評論家から脱皮して

生産的なことをしなくては!

 

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前提を疑う

2011年04月10日 19時39分10秒 | Weblog

教科書を疑う人はあまりいない

(特に科学の分野)

アメリカからの情報を疑う人も、多分あまりいない

マスコミからの情報を疑う人も少ない

 

でも、それらは本当に無条件に信じていいものだろうか

教科書はその時点でのことで決して完全じゃないし

アメリカの情報だってアメリカの国益になる情報であって

何も馬鹿正直に本当のことばかり伝えるわけでもないだろうに!

そしてマスコミも今回の原発事故の報道を見て分かるように

完全に勉強不足で、正確に伝える以前の問題を抱えている

 

これからの時代、自分で判断することが要求される

判断材料は自分で集めて(マスコミのように編集された情報ではなく)

自分の頭で、ある時は他人と議論しながら結論を下すようになる

 

これは大げさなことではなく、むしろ当たり前のことなのかもしれない

いままで、考えることが面倒で

言われたことをやっていればよかったが

どうもそれではうまくいかないらしい

と気づいて結局頼るのは自分ということに落ち着く

 

この結論は昨年ベストセラーになった

「これからの正義の話をしよう」

でも説かれたことで、とにかく自分の頭で考えよう

というメッセージにも通じる

 

考えることは確かに面倒

しかし、物事は残念ながらそんなに簡単なことばかりではないようだ

だから少しづつでも理解力アップに励まなければならない

安易に説明上手な人の話を聞いて、わかったつもりではいけないということ

 

本当の知恵は結論を導くためにたどった行程の中にあって

結論の中にあるのではない(と思う)

 

などと今日は真面目に考察してみたりして、、、

 

ところで、前提から疑わしい物

石油の成り立ち、これって本当に化石燃料?

動物の死骸から云々って本当だろうか?

進化論は?

分子生物学からすると進化論正しいみたいだけれど

感情がどうも、、

もっとも感情が許さないから疑わしいというのは

少し幼稚ではあるけれど、、、

 


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ヘレン・メリル・シングス・ビートルズ

2011年04月08日 20時08分48秒 | 音楽

アマゾンから遅れていたCDが届いた

今度はビートルズを歌ったヘレン・メリル

さてどんなものか?

と思う前に確認したのはポールの曲とジョンの曲

どちらが多いか?ということ

 

ジャズとして歌いやすいのは?

音楽性が高いのは?

 

結果は多分6対6

どうでもいいことだけどポール派の自分としては

歌われている曲がまあまあの有名曲なところが満足

 

このCDの頃のヘレン・メリルの声は若い

ジャケット写真も若い

 

こうして前回のCDと比べると

年齢を重ねるということは歌手にとって悪いことばかりではない

そんな気がする

つまり若い声の歌唱もいいけど

熟成した歌もいいということ

 

でもやっぱり傑作は「ヘレン・メリル・ウイズ・クリフォード・ブラウン」

での歌唱かな

あのアルバムはホントA面もB面も良い!

  



 

 

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