仮に大きな成功や偉大な作品を創造するためには、人知れぬ辛い経験や
どこまで経っても満たされぬ思いをしなければならないとしたら
自分はそうした誇らしい業績などよりは、何もなさないとしても
平和で満たされた生活を送ってるほうが良いかのしれない
そんなことをつい思いつく映画だったのは「ロケットマン」
エルトン・ジョンの半生をミュージカル仕立てにした映画だ
一年前の「ボヘミアン・ラプソディ」のフレディ・マーキュリーのような格好良さは
期待できない体型と容貌のためか、自分の他に観客は10名ほどだった
エルトン・ジョンは嫌いではなかった
クロコダイル・ロックで知ってから、「Border Song」「Sixty Years on」「First Episode at Hienton」
が収録されたアルバムを購入し、その繊細な感覚が好きだった
でも途中から聴かなくなった
アルバムジャケットがへんてこなメガネと賑やかな色彩のファッションに身を包んだころから
音は厚みが増えてきたにもかかわらず、訴えるものが無くなってきているようで
音楽よりはビジュアル面は先行したショービジネスのやり方にも違和感を感じて
聞かない、アルバムを買わないという形で抵抗をした
その聴かなくなった頃の出来事が映画の中心だった
彼の満たされぬ思い
ただ父親から当たり前のように褒めてもらいたかったり、抱きしめてほしかっただけなのに、それがされなかった
その傷を引きずりながら、ホモセクシュアルの世界に浸ってしまう
そのことへの嫌悪やらバレることへの恐怖からアルコールや薬に依存するようになり
徐々にそれらがないと作品制作やライブパフォーマンスをできなくなるのではと思うようになる
周りの人間は彼を金を生む機械として扱った
有名になると、あの冷たい父親でさえ一見優しく迎えた
父親は再婚して別の女性との間に子どもを作り、その子どもを当たり前のように抱っこした
そんなことが、ただしてほしかったのに、、別れる車の中でエルトンの流す涙、、
エルトン・ジョンの楽曲の中では初期の叙情的な歌が好きだ
それは作詞家のバニー・トーピンの影響が大きいと思われる
有名な「Your song」よりも「First Episode at Hienton」が何度も聴いた曲で
この曲は日本人の作品なら井上陽水の「いつの間にか少女は」の世界に近い
少女が女に変わっていく、、その切なさを、バニー・トーピンの叙情的な詞と
エルトン・ジョンの声とシンセサイザーが効果的だ
この曲をカバーしてYoutubeにアップしている人が多いが、その気持はよく分かる
この映画の中で無条件にエルトンを受け入れたのは祖母とバニー・トーピンだったかもしれない
だがちょっとしたいざこざでバニー・トーピンともしばらく離れることになる
エルトン・ジョンの歌を再び聴き出したのは、多分バニー・トーピンとの共同作業が復活した頃
「アイス・オン・ファイア」のアルバムは、以前の彼が戻ってきたという感じで
「メイド・イン・イングランド」もその方向性を進化させたようで、今でも時々引っ張り出して聴く
人生にはいろんなことがある
エルトン・ジョンはこのように乗り越えた(まだ終わっていないが)というこの映画
キリスト教的には「放蕩息子」のエピソードに繋がるかもしれない
冒頭で、つらい経験をしないで穏やかな生活をしていられれば、その方が幸せとしたが
現実的には人は生きているうちには必ずといっていいほど試練の時を迎えることになる
それを考えると、本当に必要なのは穏やかな環境ではなく
試練を乗り越える力なのかもしれないと考え直したりする
もっとも、その乗り越える力の源泉となるのは、幼いときたっぷりの愛情を受けた記憶なのだろうが
最近は音楽関係の映画がブームなのだろうか、予告編に「イエスタデイ」があった
ビートルズが存在しない世界に、ビートルズを知っている人間が迷い込んで起きるドタバタを描いた作品のようだ
予告編にはその他にも「CATS」もあった
これらは楽しみにしていくことにしよう
今年は「映画の秋」となるのかも