最近話題となっているピケティの「21世紀の資本論」
膨大な会計資料を基に、一握りの資本家が多くの資産を
蓄える格差社会であり、資本から得られる収益率が
経済成長率を上回れば上回るほど富はより資本家へ蓄積される。
そして蓄積された資産は子に相続され、労働者には分配されない
こうしたことを丁寧に説いた本らしい
しかし、こうなふうに言われなくても
こんなことは庶民がうすうす感じていること
たがそれが単に感覚的だと言われた時に
反論する資料がなかっただけのこと
グローバル社会というのはどんなものか
決済機能に過ぎなかった貨幣は世界を網羅する
ネットのもと「記号商品」になり国境を超えて
動く貨幣は実体経済の数倍となった
そして企業は国家以上の存在としてますます
資本が資本を生む世界を推し進めていく
これは、もっと前にレーニンが帝国主義論でも
述べていること
つまり、お金とか資本というものの特徴は
どうしてもこうした結果を導き出すものといえるのかもしれない
何かで読んだが、景気の好不況が存在するのは
競争社会が一段落して生産物の需要や発展が止まった時
不況となると言う意見の他に、裕福な資本家は一旦溜まった資本を
敢えて減ることのあるようなことに投資しないため
経済は停滞するとあった
心理学にも人は得することより、損することの方に
シビアになる傾向があると説明されている
金持ちけんかせず
囲碁のことわざにもある
損することへの憎しみの感情は
必然的に損しない方法を考え出す
たとえ損するようなことがあっても
何かの保証があってカバーできるとか
限りなく損する可能性を低くするとか
(いわゆる政治的な方法を使ったり)
つまり経済を握っているグループは
実質的に世界をコントロールできる状況下になる
(ただ、人々はコントロールされているとは思っていない
みんな努力すれば、物を所有できる豊かな生活が
送れるようになると思っている)
実際多くの人の心を左右するメディアは(この国の)
経済が良くなれば全てが解決するようなトーンの
政治家や経済人の発言を無批判的に流す
そしてそれに対する人間的な対応を
後ろ向きだと、ポジティブではないと退ける
しかし、もう世の中はそんな状況ではないのではないか
若者は本当に平等なチャンスを与えれているのか
今はどこの誰の子として生まれたのかが
一生を決めるとさえ言われている
裕福な家庭の子は高学歴を全うする事ができ
未来にも不安定要素のない大企業に就職できる
しかし、そうでない家庭は
特に非正規雇用の家庭などは、また非正規雇用の若者は
もう負のスパイラルから抜け出せない
これが努力不足と言う次元を越えている
人の痛み
そうしたものを感じない社会
それが益々広がっていきそうだ
しかし、ならば庶民は一体何をすべきなんだろう
いい歳をした人間として
未来に責任があるとすれば
今どうすべきなのだろう
膨大な会計資料を基に、一握りの資本家が多くの資産を
蓄える格差社会であり、資本から得られる収益率が
経済成長率を上回れば上回るほど富はより資本家へ蓄積される。
そして蓄積された資産は子に相続され、労働者には分配されない
こうしたことを丁寧に説いた本らしい
しかし、こうなふうに言われなくても
こんなことは庶民がうすうす感じていること
たがそれが単に感覚的だと言われた時に
反論する資料がなかっただけのこと
グローバル社会というのはどんなものか
決済機能に過ぎなかった貨幣は世界を網羅する
ネットのもと「記号商品」になり国境を超えて
動く貨幣は実体経済の数倍となった
そして企業は国家以上の存在としてますます
資本が資本を生む世界を推し進めていく
これは、もっと前にレーニンが帝国主義論でも
述べていること
つまり、お金とか資本というものの特徴は
どうしてもこうした結果を導き出すものといえるのかもしれない
何かで読んだが、景気の好不況が存在するのは
競争社会が一段落して生産物の需要や発展が止まった時
不況となると言う意見の他に、裕福な資本家は一旦溜まった資本を
敢えて減ることのあるようなことに投資しないため
経済は停滞するとあった
心理学にも人は得することより、損することの方に
シビアになる傾向があると説明されている
金持ちけんかせず
囲碁のことわざにもある
損することへの憎しみの感情は
必然的に損しない方法を考え出す
たとえ損するようなことがあっても
何かの保証があってカバーできるとか
限りなく損する可能性を低くするとか
(いわゆる政治的な方法を使ったり)
つまり経済を握っているグループは
実質的に世界をコントロールできる状況下になる
(ただ、人々はコントロールされているとは思っていない
みんな努力すれば、物を所有できる豊かな生活が
送れるようになると思っている)
実際多くの人の心を左右するメディアは(この国の)
経済が良くなれば全てが解決するようなトーンの
政治家や経済人の発言を無批判的に流す
そしてそれに対する人間的な対応を
後ろ向きだと、ポジティブではないと退ける
しかし、もう世の中はそんな状況ではないのではないか
若者は本当に平等なチャンスを与えれているのか
今はどこの誰の子として生まれたのかが
一生を決めるとさえ言われている
裕福な家庭の子は高学歴を全うする事ができ
未来にも不安定要素のない大企業に就職できる
しかし、そうでない家庭は
特に非正規雇用の家庭などは、また非正規雇用の若者は
もう負のスパイラルから抜け出せない
これが努力不足と言う次元を越えている
人の痛み
そうしたものを感じない社会
それが益々広がっていきそうだ
しかし、ならば庶民は一体何をすべきなんだろう
いい歳をした人間として
未来に責任があるとすれば
今どうすべきなのだろう