パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

うすうす感じていること

2014年09月28日 14時31分56秒 | あれこれ考えること
最近話題となっているピケティの「21世紀の資本論」

膨大な会計資料を基に、一握りの資本家が多くの資産を
蓄える格差社会であり、資本から得られる収益率が
経済成長率を上回れば上回るほど富はより資本家へ蓄積される。
そして蓄積された資産は子に相続され、労働者には分配されない

こうしたことを丁寧に説いた本らしい

しかし、こうなふうに言われなくても
こんなことは庶民がうすうす感じていること
たがそれが単に感覚的だと言われた時に
反論する資料がなかっただけのこと

グローバル社会というのはどんなものか
決済機能に過ぎなかった貨幣は世界を網羅する
ネットのもと「記号商品」になり国境を超えて
動く貨幣は実体経済の数倍となった
そして企業は国家以上の存在としてますます
資本が資本を生む世界を推し進めていく

これは、もっと前にレーニンが帝国主義論でも
述べていること

つまり、お金とか資本というものの特徴は
どうしてもこうした結果を導き出すものといえるのかもしれない

何かで読んだが、景気の好不況が存在するのは
競争社会が一段落して生産物の需要や発展が止まった時
不況となると言う意見の他に、裕福な資本家は一旦溜まった資本を
敢えて減ることのあるようなことに投資しないため
経済は停滞するとあった

心理学にも人は得することより、損することの方に
シビアになる傾向があると説明されている
金持ちけんかせず
囲碁のことわざにもある

損することへの憎しみの感情は
必然的に損しない方法を考え出す
たとえ損するようなことがあっても
何かの保証があってカバーできるとか
限りなく損する可能性を低くするとか
(いわゆる政治的な方法を使ったり)

つまり経済を握っているグループは
実質的に世界をコントロールできる状況下になる
(ただ、人々はコントロールされているとは思っていない
 みんな努力すれば、物を所有できる豊かな生活が
 送れるようになると思っている)

実際多くの人の心を左右するメディアは(この国の)
経済が良くなれば全てが解決するようなトーンの
政治家や経済人の発言を無批判的に流す

そしてそれに対する人間的な対応を
後ろ向きだと、ポジティブではないと退ける

しかし、もう世の中はそんな状況ではないのではないか
若者は本当に平等なチャンスを与えれているのか
今はどこの誰の子として生まれたのかが
一生を決めるとさえ言われている

裕福な家庭の子は高学歴を全うする事ができ
未来にも不安定要素のない大企業に就職できる

しかし、そうでない家庭は
特に非正規雇用の家庭などは、また非正規雇用の若者は
もう負のスパイラルから抜け出せない
これが努力不足と言う次元を越えている

人の痛み
そうしたものを感じない社会
それが益々広がっていきそうだ

しかし、ならば庶民は一体何をすべきなんだろう

いい歳をした人間として
未来に責任があるとすれば
今どうすべきなのだろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フルトヴェングラー指揮、ブラームスのハンガリー舞曲第一番

2014年09月26日 19時23分31秒 | 音楽
アマゾンは心憎い提案をしてくる
以前購入した商品群を基に
次はこれが欲しいでしょう
その商品を講習した人は
こちらの商品を購入しています
などと、それが図星なだけに少し気味悪い気がしないでもない

ところが、同じ好みから発生するものでも
最近グループに入った
「フルトヴェングラーを聴こう」というFBページは
とても居心地がいい

自分とおなじ感覚の持ち主が多く存在する
この事実はどこかホッとする
そういえば、オーケストラを聴きにコンサートホールに
行った時も自分と同じタイプの人間がいる
と感じたりするのだけれど
(しかし、クラシックのコンサートは自分も含めて
年寄りが多い)

フルトヴェングラーを聴こうに投稿したが
ベルリン・フィルでのブラームスのハンガリー舞曲第一番
この演奏の凄まじさを気にかけていた人が
自分以外にもいた


これは本当に面白い演奏
聴いていて心臓がドキドキする

機会があったら一聴することをおすすめします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慌ててiOSのアップデートしてみたが

2014年09月24日 19時44分17秒 | 徒然なるままに
iPhone6が発売されたと同時にiOS8への
アップデートも出来るようになって
設定画面には催促するような1の文字が

慌ててアップデートすると碌なことはない
Mac OSでも直ぐにアップデートしたらスキャナーが
まともに使えなくなったりしたし、
つまり周囲の環境も揃っていないし
バグも出るのでしばらく落ち着くまで
放っておこうとしたのだが
暇に任せて、誘惑に駆られてアップデートしてしまった

あらら、カメラロールがない
自分のフォトストリームもない

そんなはずはない
どこか設定箇所があるはずと粘ったが
全然見つからない

これは困った
と思ったが、もっと困ったのはメールが送れないこと
新規メールを立ち上げて宛名に、漢字で宛先を探し
現れた候補の中から選択して、件名、本文をいれて送信!
としたところ 何か手応えがない
送信済みを確認しても送られた様子はない
それどころか、下書きにそのメールが入っている

下書きを開けてみると宛名の部分に?マーク
つまり宛名が入っていなくて送れないということ
そんなはずはない
と挑戦すること数回
やっぱりダメのようだ

それで、ネットでカメラロールとフォトストリーム
メール送れないと言うキーワードで検索すると
有った有った同じような苦情が

結論から言うとカメラロールと自分のフォトストリームは
最後に追加した項目に統合され
メールの宛名入力はアドレス帳からなら良いが
漢字で検索の入力は上手くいかないとのこと

確かにアドレス帳から送信してみたらできた

やっぱり急いでアップデートしたのは失敗だった
便利な機能も追加されたようだけど
慣れて便利な部分は残しておいてほしいものだ

それにしてもスマホは老眼にはしんどくなってきた
と言ってiPhone6 plusは大きすぎそう
もうじき2年契約の期限が過ぎる

さてどうすべきか
キャリア、機種、プラン
このままでも本当は問題はないが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞妓はレディ

2014年09月23日 20時51分30秒 | 徒然なるままに
タイトルは「マイ・フェア・レディ」からもじったものようだけれど
そのマイ・フェア・レディは見ていないから
その比較はできないが、まずまず楽しめた「舞妓はレディ」

最近がっかりすることが多い映画鑑賞
そのため今回はあまり期待せずに向かった
目的はきれいな女優陣の演技ではなくて京都の風景
大好きな京都の風景をどのように切り取るか!
それに関心があったが、残念ながらその点においては
大した感動は得られなかった
(物語が人間ドラマだったせいもあるが)

下八軒は上七軒
辰巳明神をもじった祠
なんとなく京都を感じさせるがセットと言う感じ
余りにもざわざわした生活感がない

風景では清水寺が観光写真のように少しでただけ
あとは平等院がちらっと登場
平等院は以前自分が行った時は修理中だったので
その全体像は楽しめなかったが映画で見る限り
平等院はやっぱりきれいに感じる

さて物語は、若いひどく訛りのキツイ女の子が
舞妓さんになりたいと富司純子演ずる女性のところに
突然訪問するところから始まる
この女の子のお母さんに秘密があって
女の子はお母さんのことをみんなの前で話すが
余りにも凄い訛りでいったい何を話しているか分からない、、

あれこれあってとにかく修行することになって
京ことば、踊り、仕草などを習っていく
細かなエピソードを挟んでの女の子の教養小説的な展開

この映画で一番特徴なのが途中で歌が踊りが挿入されること
最初は集中が途切れるかと思ったが
案外これもあり!とそれほど違和感も感じずに楽しめた

舞妓さんの女性に段々感情移入していって
ハッピーエンドは分かっていたが
それも期待はずれの印象ではなかった

みんないい人
そんな映画もいいものだ
火薬と車の破壊シーン、特撮ばかりの映画より
こうしたほのぼの系も捨てがたい

それにしても高嶋政宏の演技というかキャラは
いつもあんなだな
八重の桜の京都府知事役もあんながさつな感じだったし
役のキャラクターというよりは高嶋政宏氏のキャラクターのようだ
それが上手くいっているかどうかは分からないけど

監督の奥さん草刈民代さんの姿はきれいだった
日本舞踊も途中の今どきの踊りもさすが元バレーダンサー
何かが違う
でも主人公も少しづつ角がとれて踊りがうまくなっていくのは
時間の経過を感じさせてなかなか良かった

というわけで、ものすごく感動したわけではないが
行って損した気はしない

それにしても本編前の予告編の作品たち
なんであんなに暴力的、破壊的なんだろう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しい選択

2014年09月20日 14時42分16秒 | あれこれ考えること
体から力が抜けるということはあるものだ
先日の姪の赤ちゃんが亡くなってから
スマホのフォトストリームの最初の画面に
無垢な護ってあげなくてはと自然に思うような写真が
現れると今でも涙が出てきてしまう

何も知らない
まだ目をつむっているが
とても純粋でその存在自体が愛おしくてたまらない
忘れようとしても、ついスマホのフォトストリーム画面に
不意に現れると平静ではいられない

あの日、その知らせを聴いた時
彼女(赤ちゃんは女の子だった)の冥福を祈って
純粋なフォーレのレクイエムをレコードで聞こうと思った
しかし、できなかった
どうしてもそんな気分になれなかった
気持ちが波立っていて、それどころではない
音楽を聴くことが正しいこととは思えなかった

この悲しみは姪や姪の夫、妹夫婦はもっと現実のものとして
存在する
遠く離れてこれほど悲しいなら、彼女らはどれほどだろう

時間が癒してくれる
結局はそれしか手はないのだけれど
どこか心のなかで赤ちゃんの死の意味を
納得したい気持ちがある

旅だった天使に、ついお願いをしてしまった
姪を見守って下さい!と
まだ意識も何もない天使にお願いするのは
理屈の上では変だけれど
それは何故か正しいことのように思えた

赤ちゃんがお母さんを見守る
10ヶ月間一緒に過ごした時間のお礼に
お母さんを見守る
そうしたことはあってもいいのではないか
とさえ思う

そして、またこんな風にも考えた
この子はお母さんに苦労をかけさせたくなくて
旅だったのだと
彼女は生まれる前から心臓に欠陥があると分かっていた
何万人に一人という確率の病気で
生まれてから一週間位で手術をするのだと聞かされていた
 
よくわからないが、たとえ手術がうまく行ったとしても
それからの人生、彼女も姪も大変な心労と苦労を必要としたかもしれない

だからこそ、優しい天使はお母さんに苦労をかけたくなくて
旅立つ選択をしたのだと
その選択は正しいかどうかは分からない
多分、どんな苦労も姪は厭わなかっただろう
でも優しい天使はそれを望まなかったのだと

こんなふうに考えることによって
自分の気持ちを沈めようとしている

あれから一度も姪の家庭に電話もしていない
かける言葉がまだ見つからない
でも、一言伝えたいのは
誰も悪くなかった、、、ということ
姪が自分を攻めるようなことがあったら
何を於いてもそう伝えたい

雪希ちゃん、お母さんを見守って下さいね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰も悪くないけど、、、

2014年09月17日 10時03分23秒 | あれこれ考えること
姪の赤ちゃんが生まれて1周間もしないうちに旅だった
心臓に少し問題があって、時期を選んで手術ということだったが
その甲斐もなく何も言わないで逝ってしまった

赤ちゃんや子どもが逝くのは悲しい
とても辛い

妹の家で夏の間出産を楽しみに過ごした姪
お腹の中の子とずっと付き合ってきた姪
彼女に中にある子どもに対する記憶
そうしたことを考えるとやりきれない

もっと何かを見せてあげたかっただろうに
もっといろんな経験をさせてあげたかっただろうに
赤ちゃんももっと何かを見たかっただろう
お母さんやお父さんの笑顔が見たかっただろうに

姪には今どんな言葉をかければいいのだろうか
ただ、誰も悪くない!
そう言ってあげたい

今は赤ちゃん(雪希ちゃん)に姪を見守ってもらうしかない
今は姪とは遠く離れて暮らしているが、この辛い記憶が
時間という治療薬で言えるのはいつになるのだろうか
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗次ホール 弦楽四重奏コンクール

2014年09月15日 10時04分28秒 | 見てきた、聴いてきた(展示会・映画と音楽)
連休2日目の昨日
暇を持て余して名古屋の宗次ホールに出かけた
この日は、第2回弦楽四重奏コンクールの本選当日

前日、その前に行われた公開マスターコースに
続いてのいよいよの本番


スタートは11時から
当日券を購入したのは11時半
ということで、第一番目のグループは待合室の映像で見学
何やら切り詰めた緊張感のある雰囲気
やはりコンクールとなると違うのか



すべてを聞いた人から投票やアンケートがあるようだったが
聞き比べられるほどの耳を持ち合わせていない
それに、何グループか聞ければいいといった気楽な態度で望んだので
途中眠くならないか心配したほど

2番目のココット弦楽四重奏団から聴くことに
どのプログラムもハイドンが入っている
ハイドンはそんなに夢中になるほどの作曲家ではない
所有しているのは「ひばり」くらい

モーツァルトと比べるとちょっと気が利かない感じが
していたが、こうして聞いてみるとなかなか行ける
(ライブのせいもあるかもしれないが)

全てにハイドンの弦楽四重奏曲が入るのは分かる気がする
表現欲に満ちて個性バリバリの曲作りというより
バランスがとれていて、確かに弦楽四重奏の基本の基
みたいな要素に満ちている

聴き比べるのは曲もさることながら
演奏力も知らないとできないが
ただ好きなだけの時間つぶし目的では
ここに残す事ができるのはその時頭に浮かんだことだけ

最初のグループ(ココット弦楽四重奏団)は、みんな黒い服を着て
第一ヴァイオリンの人がものすごく気合が入っているというか
音楽に入り込んで座っているところから
立ち上がってしまいそうな勢い

騎士と名付けられた曲以外はコダーイの曲
コダーイはチェロと言う楽器が好きなんだろうな
確か無伴奏の曲があったような
そんなことを思いながら聴いて午前の部は終了

お昼は近くの喫茶店でコーヒーを飲んで
一休み、、、のつもりが、ついお腹にクッキーを入れてしまった
これで睡魔との戦いになりそうと危険な予感

午後の2つのグループのプログラムの
規定のハイドンの曲はは「五度」
これらな比較ができるので少し楽しみ
そんなことを思いながら、午後はスタート
(ビーネン・カルテットから)

最初アナウンスで曲は「ニ短調 五度」と紹介された時
まず思ったのは、ニ短調ならモーツァルトのニ短調の弦楽四重奏曲と
比較できるということ

それで演奏の質というよりは曲の個性の違いを思いながら
耳を澄ます
なるほど感情に溺れることなくバランスも崩さずハイドンは進んでいく
いろんなアイデアもこうした楽曲の初期の段階だから
盛り込まれている
しかいモーツァルトと比べると、モーツァルトの直接感情に
訴えかけるような(ただ聞き流すとなんてことはないが
耳を傾けた瞬間いきなり雄弁になるのがモーツァルトの曲)
人懐こさとは随分違う、改めてモーツァルトの異能さを感じてしまう

ハイドン以外はベートーヴェンのセリオーソ
この曲は自分も好きな曲
カッチリまとまってそれなりに美味しい旋律もあって
推進力もあって
確かにこのグループの人たちも達成感のような雰囲気
モーツァルトもすごいがベートーヴェンも凄いな


次のカルテット・アホイでこの日二回めの「五度」
ふむふむ、確かに感じが違う
こちらのほうが地味だがふくよかな音色
弾き慣れていると感じたのは錯覚か
二度目で耳がそんなふうに感じただけか

このグループのハイドン以外の曲はドビッシーの曲
これも実演では初めて聴く曲
ドビッシーの一筋縄ではいかない音楽、響きを
さあ聴きましょうと、幸い眠くならずに耳を澄ませることができた

最初の楽章 途中なぜだかオーケストラ曲の「海」を連想してしまった
やっぱり個性というのは出るものだ
それから中間の楽章でフランスというより
スペイン的なテイストが感じられたが
それはラテン系と言う共通点か

二グループを聴いたあと休憩タイム
帰りの時間もあるし
あとひとつベートーヴェンの曲を聴いて終わりにしよう

ということで関心はまたしてもハイドン以外の曲
クランタンツ弦楽四重奏団
ベートーヴェンはやっぱり凄い
その音楽の推進力は半端じゃない
音の流れが感情と構造と高いところでまとまって
職人的な作曲というより、表現意欲に満ちてアイデアも豊富
めったに聴かなかった四番のハ短調の弦楽四重奏曲も
今CDを流している(やっぱりライブのほうがいいかな!)

それにしても今回の2,000円の入場券は
完全に元をとった印象
音楽に集中し、様々な妄想に酔って、
頭に栄養を与えることができたというところか


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏の終わりと秋の訪れ

2014年09月11日 19時39分29秒 | 徒然なるままに
早起きの母に付き合って朝の散歩に出かけると
思いの外新鮮な驚きがある
今はもうすっかり虫の声が主役になっているが
2週間ほど前まではセミの声も聞こえたし
東の空から昇る朝焼けも素直にきれいだと感じる

ところで今日の話
田んぼの畦道に
彼岸花が咲き始めていた

彼岸花の名前通りこの花はお彼岸の頃になると律儀に咲くのだが
それがもう発見
やはり今年の異常気象の冷夏の影響で慌てて咲いたのだろうか
花が咲着始めるタイミングは気温、日照時間、それとも別の要因?

同じようにコスモスも咲き始めている

もう少しするとラジオで山口百恵の「秋桜」が流れてくることだろう

秋の訪れを感じる一方
夏の終わりの様子も

お盆にお墓に供えられたホオヅキ、その皮の部分の水分が抜けて網目状態に
その中に赤い実が見える
こんなのは初めて見た

時間の存在
その時間の矢は一方向
まるで何かの意志を持つかのように生命の継続を優先している
時間は生物の存在があって初めて存在し
意味を持つかのようだ

田んぼの稲も頭を垂れ始めている
今年の天候は意地が悪いから
台風が来てお百姓さんの努力が無にならないことを願う
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋能楽堂

2014年09月07日 20時37分43秒 | 徒然なるままに
昨年地元、富永神社のお祭に奉納される
「お能」を見て、思いのほか感心したものだから
いつか機会があったらプロの演ずるものを
見たいと思っていたが、たまたま名古屋能楽堂で
9月の定期公演があることを知って、とりあえず出かけた


席は当日券、500円違いで真正面からと少し斜めからになるので
最初が肝心と指定席を選択
指定席にかぎらず自由席も割合混んでいた
やっぱり年配の方が多い(自分もそうだが)


プログラムは午後2時からの2部は
能が「松風」と「金札」間に狂言「鴈雁金(がんかりかね)」と
舞囃子「呉服(くれは)」が入った

さてどうやって楽しんでいいやら
まずは余計な知識なしで全体を感じようとしたが
昼からの公演はキツイ
猛烈な睡魔が襲ってきて、お能の話の中なのか
夢の中なのか意識が朦朧としている
両サイドのおじさん型も気持ちよさそうな寝息が
聞こえたりした

テレビなどではとても集中できそうにないが
ライブでもなかなか集中できなかった
それでも最初の静かな登場と衣装のきれいなことは印象に残っている

能に惹かれるのは一つには笛と鼓の音が好きなことがある
笛は説明的というよりアドリブに近いような
旋律線より叫びのよう
鼓の叩き方による音色の豊なこと
それらは今回も充分満足できたが、それともう一つ気に入ったのは
掛け声 鼓の人が出しているのか誰がメインで出しているのか
わからなかったが、この掛け声がかなり効果的

舞台向かって右手の歌い手も声を合わせて
唄うところは楽器と競ってなかなかの音楽体験に通じる

どの国も形は違うがオペラのようなものを生み出すものだと
勝手に想像してみる

初めてのプロの公演を観て
正直、訳がわからないというのが本当のところ
ただ、説明的でないだけ面白い
約束事を知ればもう少し楽しめるかもしれない

お能、あと2.3回は機会を見つけて体験してみようか!
京都の御所近くに金剛流の会館があって
やはり定期公演があるみたいだから
目的を能見学をメインに京都散策なんてのも
いいかもしれない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アギーレ監督初戦、ウルグアイ戦

2014年09月05日 21時34分29秒 | サッカー
日本0-2ウルグアイ
最初の失点はもったいなかった
あんなミスは世界ランク10位以内のチームに
してはいけない

それにしてもいきなり初選出の選手を
初先発で使うとは、なかなか思い切ったことをする監督だ

守りは地味にできているかと思ったが
あのミスが台無しに
しかし、攻めるほうがまだ初めての選手が多いこともあるが
イマイチこうするというところが見えなかった

どうも日本はまだまだゲームを作る人物が必要なチームといえる
前目の数人がそれぞれ様々なアイデアと強さを持って
ゴールに向かう進化したヨーロッパのチームとは違って
(野球の影響の残るような)命令に従って動くほうが楽なように
判断しがちのチームのほうが機能するように思える
本当はそれじゃいけない
個々の判断が結果的にチームの判断となっている
それが理想だが、メディアも言いそうな「司令塔」が
まだ必要なようだ

今日などは割にロングボールが多かった
しかもヘッドの競り合い、次のボールの戦いは分が悪かった
田中も体が強くて前半の終わり頃はちょっと良かったが
細貝はいまいち目立たず
彼ら二人はいいパスを出せる選手じゃない
とするとどうやって攻めるか
柴崎が早めに出たほうが攻めるアイデアは多そうと思ったが
まずは初戦、選手のポテンシャルを知る意味の試合の位置づけだから
今日のところは仕方ないか

これでベネズエラ戦はまたすっかり違ったメンバーで闘うのだろうか
サッカーは違った選手の組み合わせというのも
なかなか楽しいものだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする