パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

考えることは皆同じ

2008年08月29日 05時57分44秒 | Weblog
昨日はニュースでも放送されたゲリラ豪雨
そのうち止むだろうと思い
それほどの雨量ではないと
先ほどまで電話で話していた場所に向かったのだが、、、

凄かった
今までに経験のないほどの雨
道路を横切る様に茶色をした水が流れ
車は水しぶきを上げ、
または対向車から水しぶきをかけられたり
ワイパーもハイスピードにしたのにもかかわらず
なんだか普通の速度みたい
どうやらあまりの水量に抵抗を受けている様子
空模様も全然明るくなる兆しはない
さすがにやばいかな!と思い避難場所を探すことにした

屋根のある駐車場は、、、
それで大型スーパーに向かったのだが
駐車場の状況を示すランプは「満車」「満車」

やっぱりな!
考えることはみんな同じ!
安心したような、損した様な!
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歳とったらモーツァルト

2008年08月27日 06時05分40秒 | Weblog
確かにそうかもしれない
自分もそれなりの年齢になってそんな風に感じる

おしゃべりのような生き生きとしたリズムと旋律
絶妙の楽器間の掛け合い
シンプルで、しかもいいたいことは効果的に語られて
完璧だ!
と思わせるような音楽

楽譜だけを見るとバッハの半音階的なフレーズと
モーツァルトのそれは似ているように見えるが(?)
いざ音にしてみるとなんとモーツァルトの旋律の
表情の豊かなこと

あるときは子供のおしゃべり
あるときは静逸な美そのもの
あるときは豊かな感情表現
あるときは音楽そのものの楽しさ

確かに奇跡に近いほどの天才というのがわかる
そしてその天才の行方(遺体)が
わからないのも、それでよいのだ!
(天才バカボンではないが)
と思えてしまうのは何故だろう
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友達のライブ演奏会

2008年08月24日 20時41分40秒 | Weblog
音楽家の友達(ベーシスト)が、凱旋公演ではないが
近くの町でライブ演奏会(ジャズ)を行った
(藤本忍&エモーション)

そのバンドのリーダーはトランぺッターで友達は最近
仲間に加わったばかり
夏の地方公演のついでに彼の出身地近くの町で
どこか会場がないか?と探していたところを
少し手伝って会場手配などして今日を迎えた

当事者の特権でリハーサル風景を見ることができたが
アンプを通しての音量、音質のテェック、
テンポ、コードの確認など
キーボード、トランペット、ボーカルの方たちは
本当に細かいところまでこだわって
こちらのおおざっぱな耳では聞き分けられないくらいの
ところまで真剣に取り組んでいた

そんな風景を見ていたが、いざ本番になると流石プロ
集中力がすごい
女性陣はドレスに着替えただけでテンションが違っていたようだ

普段はジャズの生演奏などは聴く機会がない地元の人たちを慮って(?)
スタンダードを多く演奏したが
単純に友達が演奏していることを割り引いても
いい演奏会だったように思う

何よりも小さなライブハウスなので演奏者との距離が短く
彼らの息づかい、表情がつぶさに見られて
迫力があった
音は近くでうるさいか?といえばそんなことはなく
それは熱気、熱さに感じられた

確かに徐々に乗ってくるようなことはあるようだ
観客の方もだんだん慣れてきて
まるでアルコールに酔うみたいな心地よい気分になっていたようだ

だが見ていて(聞いていて)一番楽しんでいたのは
演奏者だったような気がした
アンサンブル、人の音を聞いて自分の音を合わせ
時に主張し、時にバックアップして
ある瞬間本当に気持ち良さそうだった

それにしても集中力にとんだ職人たちの仕事ぶりを
目の前にしたのはよい刺激を受けた
オリンピックではないが、あのようになるまでは普段の
たゆまぬ訓練が必要だったことだろう
仕事と言ってしまえばそれまでだが
あのように自分の仕事を愛している姿は
少しばかりうらやましい気がしたのは残念ながら事実だ

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できること、できないことがわからない!

2008年08月21日 20時46分51秒 | Weblog
完全に人任せしていたので、全然知らなかったのが
郵便貯金の他の銀行への振込ができないこと
全部が全部できないのではなく一部の銀行にはできるようなのだが
少なくとも今日自分に必要であった三菱東京UFJ銀行にはできなかった

そんなものは当たり前にできるものと考えていたので
最初「できません」と言われた時には
何を言っているのかが理解できなかった

結局、いったん引き出してから
ATMに入金という作業を行ったのだが
現金を持参してあちこちするのはあまり気分のいいものではない

しかし、なんでできなかったのだろう
(秋にはできるようになると聞いたような気がするが)
コンピュータシステムの関係?
それとも郵便貯金の都合の関係?
つまり郵貯は囲い込みを優先するばっかりに
利用者の利便性を考えていないのだろうか?

そい言えばてっきり無料だと思っていた
他銀行のATMでも利用に手数料がかかったことがあった
コンビニですら普通の時間は手数料0円で
一般的な銀行関係では引き出しは無料なのに
その銀行とは手数料がかかるとメッセージが出た
急いでいた時だったので仕方なしに利用したが
本当に今という時代は
現実に何ができて何ができないのかわかりにくい時代だ

インターネットでできることも
皆がみんな正確に知っている訳でもないし
盛んにテレビ広告で流している、テレビに光をつないで
何ができるかをしっかり説明できる人も少ない

いったい便利な世の中なんだろうか?
それとも必要以上に覚えることの多い
面倒な世界になっただけなのだろうか?
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ハリーポッターとインディージョーンズ

2008年08月17日 09時46分07秒 | Weblog
お盆休みも恒例の少年サッカー大会で時間を費やし
(年々きつくなってきているが)
やっと一昨日あたりから休みの時間を取れるようになった

そこでハリーポッターの第7巻を読み終えることに取り組み
暑い中昼寝しながらページを進めた
この本、実は購入した本屋さんに
「多分こうなるのじゃないか!という予想があるのだけれど
 それがあたってるかどうかが楽しみ!」
と公言して読み始めたものだったが
果たしてその結果は?

そんなに大げさに言わなくてもある程度の人は
物語のかくれた主役の人のことは、おぼろげにも想像できたのでは!
その意味では多少の誤差はあるものの予想範囲内

そして結末は?
この人の文体から予想された通りの結果

最終巻だから前の物語の伏線がきいてくるのだけれど
残念なことに僅かに覚えているものの
さてどうだったのかは正確にはわからない
それに登場人物もどんどん増えて誰が誰やらわからない始末
結局いつものようにそんなことは無視して
終わりのページまでめくったというのが本当のところ

全体としてハリーポッターシリーズは
可もなく不可もないといったところかな

さて昨日はインディージョーンズ
映画は思い立った時にいかないと一気に見ようと言う気分が失せてしまうが、
この映画もタイミングを逸して
半分くらいは、もうどうでもいいや!
と思い始めた映画、しかし家にいても暑くてどうしようもなく
暑さしのぎ暇つぶしにでかけた

暗くて涼しい館内
やはりというか当然というかウトウト!
で、あまりストーリーは覚えていない
しかし気になったことが!

それはこの物語、この間見たトレジャーハンターのそっくり
特に後半の部分、これでもかというくらいに
危機が迫ってくるところなどは
あれっ、この間見たぞ!と思わず出そう

それでもインディージョーンズの方がトレジャーハンターよりも
全体的に見終わった印象がよかったのは
部分部分にユーモアがあふれていたせいかな
それとも主演の俳優のキャラクターのせい?

いずれにしてもこの歳になると
あまり感激することがなくなっていく
そんな中で判断すると
ハリーポッターとインディージョーンズこの両者
価格分だけの満足感は合格点かな





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木魚が決めるテンポ

2008年08月15日 07時50分46秒 | Weblog
いつもとは違ってお盆の朝は
般若心経を唱えるにも木魚を叩きながらなのだが
これがなかなかやりにくい

普段は木魚なしで(特に寒い朝などは)新幹線並の速さで
般若心経を唱えるのが癖になっていて
こんな風に木魚を叩くとテンポアップができず
どうしてもゆったりしたテンポに終始してしまう

すると惰性で覚えた般若心経も記憶が
いきなり怪しくなってしまい
今どこらあたりだったか?と
声を出しながら考えていたりする

不意に友達の、プロになったベース奏者の言葉が頭に浮かんだ
「音楽はベースと太鼓がその骨格を決める」
確かにその通りだ!
と意味合いは多少違うかもしれないが
言わんとすることはわかる

話は元に戻って
お寺で聞く般若心経は
今朝の木魚叩きながらのものよりもっと遅い
そしてその印象は遅いというだけで
ずいぶん違うように思える

たが、どこかのお寺で聴いた般若心経は
我が家と同じくらい速いのがあった

今はどちらの方が一般的なのか知らないが
このお経のテンポも少しずつ速くなっているのかも?
しかし木魚にあわせれば、そんなに速くはなれないかな?




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今ひとつの男子サッカー

2008年08月13日 20時50分21秒 | Weblog
暑さ、グランドの状況を割り引いても今ひとつの
男子サッカーオランダ戦
結果は後半PKとられて0-1の負け

それにしてもオランダ
予想されたサイドアタックからの攻撃などのらしさは全然見られず
ロングボール主体のサッカーは
トーナメントに入ってからの苦戦を予想させるものだ

だから、もしかして引き分けくらいは!
と期待を持たせものの現実はそんなに甘くなかった

この日本のチーム、最後まで芯がないチームだった
今日も今イチに思えたのは負けたからではない
負けたとしても納得できる試合はあるのだが
相変わらずのゲーム運び
ボールを前に運ぶことができない
パスにしてもドリブルにしても
くさびのパスは不正確だしトラップもうまくない
クロスのボールは精度が足りないし
一対一の体の入れ合いボール奪取も負けている

ホント、ここ最近の代表でこれだけパスが不正確なチームがあっただろうか?

サッカーは分析すれば一人のボールにタッチする時間なんてほんのちょっとだ
だからボールを持っていない大半の時間の動きが大事!
というのは理屈でわかる
しかし、ほんのちょっだけ触るボールの扱いがモタモタしたり
不正確だったりしたら、それは何にもならないのではないのか

ほんのちょっとだけタッチするボールのために必死になって
ぶれない技術を磨く!
そんなところが最近の日本のサッカーには欠けているのではないのか?
それはある意味オシム監督の考えを間違って解釈しているように思えてならない

解説者も観客も、走り回って汗を流してプレーする選手を
好意的に見がちだが
本当は自分の仕事をできているかどうかが批評の対象になるべきだろう

確かにユーロでのスペインのMFはよく走った
だがより正確に言えば効果的に走った
そしてボール扱いの技術パス、トラップ、ドリブルはミスが少なく
それに人に対しても大きくない体で負けず
時間的余裕を味方にもたらした

話がそれてしまったが
今回の反省点、それをきちんと検証しないと
(オーバーエージを使えばよかったとかでお茶を濁さず)
今後の発展にブレーキを踏むことになるだろう

なんでも新しいこと好きな日本
流行のシステムを取り入れモダンサッカーを標榜しても
そもそもの基本的な技術がきちんとできていないと
通用しない
(だが国内の試合では新しいシステムや、走り込むサッカーが
 高い勝率を上げそうなのが悪循環のもとになっている)

止める、蹴る
この単純な技術の差が強いチームと戦うと
毎度毎度明らかにされるのだが
あまりにも基本的すぎて
練習時間、内容についてもないがしろにされている様に思えてならない

話は変わって女子サッカー
寝てしまって見なかったのだがノルウェー戦
一生懸命の姿に、神様からの贈り物みたいな試合だったようだ
皆が必死の姿に結果が伴って本当に良かった


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女子サッカー

2008年08月10日 09時37分30秒 | Weblog
なでしこジャパン 対アメリカ戦
0-1の敗戦
全く手に負えないというよりは勝つチャンスはあったようだ
あとはいつもの決定力の問題だけ
なぜ男子も女子も決定力がないのか?
については指導方法、練習方法、精神の問題として
今後も検討しなければならないだろうが
女子と男子ではその得点力不足の問題は少しばかり
原因が違うように思える

それにしても女子サッカーはテレビで見る限り
あまりスピードがなくて
躍動感にあふれる、なんてことはないので
自分はそんなにいい観戦者ではないが
そういうものだ、と慣れてしまえば
それなりに楽しむことはできる

昨日の試合を見ると
女子の方が勝ちたい気持ちが全体に感じられて
男子の何がしたいのかよくわからん!
てなゲームより好感が持てる

女子サッカーはスピードがない分一つ一つが丁寧で
部分的な技術は男子よりも高いと思わせるところがある
それに外国人と戦っても男子ほど身体能力の差が形に出にくいようだ
(日本人でも女子の方が外国人の身体能力に近いとか)

あとは最後のノルウェー戦
ラッキーが重なって勝ってくれればいいのだが
(ノルウェーは既にベスト8入りしてるので主力を休ませたりして
 勝つチャンスはないことはないはずだ)



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最後の授業

2008年08月09日 08時01分54秒 | Weblog
目的や夢の壁にぶつかった時、
夢を阻止されているのではなく夢の壁の向こうにある『何か』を
自分がどれだけ真剣に望んでいるか、
を証明するチャンスを与えられているのである

これは最後の授業という本の中の一節
カーネギーメロン大学の教授のランディ、パウシュ教授の残したものだが
たまたま新聞でこの部分が書かれているのをみかけ
大いに納得したのだが
そうだよな、と思いつつこんな風に考え続けるのは辛いな!
と思ったのも事実

まして正論であるために公に使われそうな気がするが
上から強制的にこんな風に考えるべきと強要されるのは
辛いな!

このての本は、自分だけがじんわりと味わって
思い出したときに自分自身を鼓舞するためならいいけれど
真正面からの説教はしんどそう

自分はパパゲーノがザラストロやパミーノよりも好き
そして天下国家を語る人よりも
ずるくて横着で自分勝手で、しかし人情に厚い
庶民の立場が好き
皆がみんな四角四面に正しい人のいる世界よりは
程々にたいがいたいがいの世界の方が住みやすそうだ

もっとも自分はあっちに振れこっちに振れ
ひどくまじめになったり
いい加減になったりしているが、、、

それにしてもこの本がいい本なことは認めるとしても
頭っから大上段に構えてほしくはない
魅かれる人だけがひっそりと読んで
大事に自分の宝として扱われるようになるのがいいと思うのだが
本もマスプロダクト商品、無理かな

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オリンピック開会式

2008年08月09日 07時36分28秒 | Weblog
中国では縁起のいい8並びの昨日の開会式
結局眠くなって選手入場のあたりで夢の中に沈没
それで聖火に点火は見ていないけれど
気づいた点などを

まずはアトラクション(ショー)
最新の技術を使って運営しているものの
一番圧倒されたのが現実に何百何千の人が
そこにいて目の前でやっているという事実

訓練されて揃っていたとかではなく
単に人海戦術でひたすら人が多かったのが
最近のデジタルでチョコチョコと誤摩化してしまうのと違って
迫力があった
太鼓が2008も同時にたたかれた音は
電気的に音量を上げたのとは違うだろう

この人、人のオンパレードのアトラクションは
中国の歴史うんぬんよりも
人の多い現実の、そして人のなしうる迫力みたいなもの
つまり、今の中国の現実の姿(安い人件費による世界の工場)を
表しているように思えてならなかった

それにしても壮大な規模のアトラクション
日本人にはなかなか想像できないのでは、と
少しばかり心配になってしまった

だがこの派手めの、しかしハリウッド的でない演出も
次第になれてくると少し退屈に思えてきたのも事実

人間というものは厄介なもので
慣れてしまうと少々の刺激では満足できなくなってしまうもの
困ったものだ

我々は現地に赴いて見るわけにはいかず
テレビで観戦するだけだが
北京の人々は多分訳もなくワクワクして
楽しい気分になっていることだろう
それはワールドカップの時の自分たちの気持ちから想像できる
願わくば平和裏のうちに終えられるとよいのだが
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