パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

最後の言葉

2011年08月29日 20時36分19秒 | Weblog

「素晴らしい人生だった」

穏やかで優しく気配りのできる義兄は

姉にこの一言を残して8月26日(金)逝った

 

肺がんだった

発見は昨年の年末、抗癌剤治療を試みたが

癌は転移し治癒の希望を持つことのできない

姉にも義兄にも精神的に辛い日が続いた

 

祖母が2000年を前に亡くなったとき

聞きたかったことがあった

「この世の中で幸せだった?」

自分を無条件に愛してくれた祖母に

何としても「幸せだった!」と思ってもらいたくて

いろいろ試みた

 

そして今は母に

「幸せだった!」

と思ってもらえるように

少なくともしているつもり

 

人間はいつかこの世から消えていく

この世はまさに夢のようなもの

その夢が良いものか悪いものか?

「人生は生きるに値するか?」

カミュのシーシュポスの神話でも扱われた問題

この答えに義兄は優しく

「YES!」と言葉に出して答えた

 

こうして言葉に出してもらえたことで

どれだけ姉が救われたことか!

 

音楽が好きで、本が好きで、山が好きで

食べることが好きで、、

好みが自分とよく似ていた

姉より精神的に近いものを感じていたかもしれない

 

しかし、今は、、、、

 

この世にいないということが

とても不思議な気がする

いや、いたということも不思議

この世に意識を持って日々を送ることの不思議さ

 

ところで自分はこの世をどう思っているか

果たして「生きるに値する!」と言い切れるか

 

自分は今も、そしてこれからも(?)

何も残すものはないかもしれない

しかし、だからと言って今更悔やむことはない

「こんなものか!でも、まあまあ面白かったかな」

多分これが正直なところ

 

朝日は何事もなかったように何時もと同じように昇り

一日は始まり過ぎていく

 

しかし、もう少し義兄のことを考えることにしよう

姉だけでなく自分にも時間の不思議な治癒力が作用するまで

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メイド・イン・ジャーマンと日本

2011年08月23日 20時54分12秒 | Weblog

乗っている車はゴルフ

最近購入したデジカメはライカx1

どちらも高級品ではないがドイツらしく頑固なコンセプトを譲らない製品

 

そういえばこの夏手に入れたサンダルもドイツ製(名前は忘れた)

いつか欲しいのはマイセンのカップ

 

好きな音楽はモーツァルト・ベートーヴェン・ブルックナー

好きな小説家はヘッセ

 

やっぱり自分はドイツが好きなのかな?

と改めて思い直した次第

 

何故好きか?

の問には多分答えようがない

好きなモノは理由もなく好き

もしあったとしたら後付の理由

 

でも本当に好きなのは自分の国でありたい

なのに

この国の現状と言ったら!

 

と言って何もしないで嘆いていても仕方ないけれど

せめて何が違ってしまっているかを

考えても罰は当たらない

 

どうもこの国では自分で考えることを放棄しているように思えてならない

言い換えると責任を追うことを極端に避けている

命令に従うがその命令がよいか悪いかの判断は停止している

 

ただ不思議なのはそうは言うものの

この国は実は現場の判断で生き延びていること

特に製造の現場ではその傾向がみられるのでは?

 

しかし、サッカー等個々の瞬間の判断が要求されるものは

まだまだのところがある

そもそも司令塔などという言葉とは何だろう?

世界の10番の定義は司令塔ではなく点をとれる

少し前目の選手

 

ここまで来ると文化論までに行きそうなので

今日はこれでストップ

最近ブログをサボっているので気になって

チャチャと終えたというわけであります

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薪能

2011年08月21日 09時08分07秒 | Weblog

楽しむためには、気持ちの余裕と

もう少し知識は必要なのかもしれない

 

昨日、新城文化会館で行われた薪能の公演を見に行った

今年で20数回になるらしいが見に行ったのは2~3回

歴史上の能・狂言の存在は知っているが

そして自分は能を奉納する富永神社の氏子ではないので

前提となる知識がほとんどない

 

ただ見て何を思うか?

だけに徹する訳だが、それでも狂言は分かりやすくて

以前見た中でも2つ3つ内容を覚えているのもがある

 

昨日のプログラムは「二人袴」・「素袍落」の二つの狂言

そして能が「船弁慶」

それに仕舞・小舞が4つ

天鼓 鼓の合奏と盛りだくさん(?)

 

一言で能と言っても

落語、漫才、手品などバラエティーに富んだ構成の

寄席みたいに、狂言と踊りと音楽でワンセットになった

プログラムが普通なのだろうか?

 

小舞と言われる踊りは最初に踊り手が

声を発して謡い(?)それから始まるのだけれど

最初の声が子供の発するものは力強くないけど

濁りが無くて澄んでいて ホント可愛いと言うか

ほのぼのとした感じになれる

 

この小舞の踊りにも役の名前がついているのに気づいたのは

踊り全体が終わる頃

役にそった踊りの内容なのだろうけれど

話を知っていればもっと楽しめたかもしれない

それと踊りの決まり事も知っていた方が良かったかな

 

狂言はそのテンポになれると

結構入っていける

 


一人分の袴を前後に裂き、二人でそれぞれ前に当てて

急場をしのごうとするドタバタ

酒好きの太郎冠者の酔っぱらった上での失敗

のんびりした、おおらかな人間の失敗の様を

やさしく受け入れる狂言を楽しんでいた昔の人の心は

今の突っ込み全盛の笑いよりも余裕があったのでは!

 

さて本番のお能

おおよその内容はパンフレットにも掲載されているけれど

本番が始まると眠くて眠くて

静御前の踊りのあたりウトウトタイムで

夢か現実か?を地でいっている感じ

平家の亡霊と闘うあたりは動きがあって目が覚めて

それなりに楽しめたが、、

 

それにしても、やっぱりもっと知っとくべくだったかな

が反省点

 

せっかく素人の人が頑張っているのだから

そして江戸時代からずっと続く芸能を継承しているのだから

 

フト、本当のプロによる能はどんなものか

見てみたくなった

ついでに歌舞伎も機会があったら見なくては、、



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪戦苦闘のTime Capsule設定

2011年08月15日 05時37分18秒 | Weblog

カタログには簡単に

しかもウインドウズのPCでもファイル共有可能で

勿論Macはタイムマシンは当然のこととして

USBにつないだプリンターはどこからでも印刷できる

とあったけれど、、、

 

2階建て 木造

1階YahooBB ADSLから NECのルーターに

2階はケーブルでTime Capsule に差し込んで

WindowsのPC(XPと7)にはAirMac ユーティリティーをインストール

これで準備は万全の筈だったのだが、、、

 

やっぱり、というかもしかしたらの予感どおり

すんなりとは行かない

 

Macの方は上手く行って当然として

WindowsのPCのほうが全然ダメ

7の方はなんだかできたようでも

プリンターの共有が妙な設定を要求されて?

 

XPの方はもっとひどく

Time Capsuleが認識されているけれど

それはNECのルーター経由

AirMac絡みではない

当然プリンターはオフラインの文字が出てくる

 

ホント色々やってみた

最終的にはTime Capsuleのリセットして

NECのルーターも外して

直接Time Capsuleに接続してここで

ルーター機能を設けて これならいいだろうと

せっかくのNECの製品にも別れを告げたのだけれど

 

うーーん!

何が悪いのやら結果は好転せず

もはや自分の限界を超えてしまっている

便利なはずの機械がこんなに苦労するとは、、、

 

Macと新旧Windowsの混在

ましてプリンターも古い(5年前)からなのか?

 

ムーアの法則じゃないけれど

この分野の進歩は半端時じゃない

しかし、新しくなるということは

以前のものが使えなくなる可能性が大きく

まして新しいものを購入するにはお金がかかって仕方ない

 

普通に使うにはそんな高機能なものは必要なく

(かといって安いだけのPCはちょっと愛情が持てずにいるけれど)

ただ簡単に便利な機能が追加されるならいいのだけれど

 

ということで、とにかく困った

色々トライするにも暑い昼間はとても出来ずに

朝の涼しいうちにゴソゴソしてみたが

 

お手上げ状態

9時になったらアップルのサポートセンターに電話するしかなさそう

 

少し悔しい感じ!

 

 

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日韓戦

2011年08月10日 21時38分27秒 | サッカー

随分平和な時代になったものだ

試合前の日韓の選手同士がにこやかに挨拶を交わしたりして

Jリーグに在籍する選手が多いとはいえ

この風景を見ると日韓共同のワールドカップの開催は

良かったと判断してもいいような気がする

 

いつも不満の多い内田だが

今日はまずまず、ランニングはいい

クロスは最初イマイチだったけど

 

本田はキープ力が半端じゃない

ただ一度パスミスしてからチョット引きずって

前半の半ばリズムを崩したが、、、

 

香川、初めていい選手と思えた

自分の間合いとかリズムを持っていて

とっさの対応も機敏

 

本田も自分の間合いで極力シュートを撃つが

ノーステップ・ワンステップで撃てるところが

よく訓練できている(プロなら当たり前か?)

 

岡崎、体が強くなってきたし体の使い方とか

現実的になってきたけど、もったいないのはトラップ

もう少しうまくできたらな!

 

でも3-0になって日本はパスミスが多くなった

徹底的にやっつける

そんな非情なメンタリティーがないと勝負事は

流れが変わってしまうのに

まだまだ甘いというか、優しい

 

確かに、日本のサッカーはワールドカップ以後

ちょっと強くなったかもしれない

こうして見るとドーハの悲劇は

悲劇ではなく、まだ資格がなかった!

としか思えない

 

だがこの調子がいつまで続くか?

崩れたとき、果たして立ち直せるか?

本田がいないとき、ちゃんと戦えるか?

まだまだ心配は続いたりして

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もったいない!

2011年08月07日 21時12分50秒 | Weblog

使えるものを買い換えたり、食べ残したものを破棄したりするだけが

勿体無いのではない

日本の固有の文化、技術を見向きもしないで

外国から来た新しいものだけを有難がっている

そんな姿は本当に考えものだ

 

なにも国粋主義に走ろうとしているのではない

新しいものは確かに人間の英知の結集を具現化して

それはそれで価値有るものだ

しかし、古いもの、特に文化、技術、工夫は

同様に人間たちの努力の跡がしっかり見えて

それは今でも通用しそうなところもしっかり存在する

 

昨日の土曜日

大阪の緑地公園の日本民家集落博物館に行ってきた

 

いわゆる古民家が10戸ほど展示されているのだが

そこで使われている伝統構法建築の素晴らしさ

そして伝統資材の現実的な効能(涼しい家づくり)

これらは忘れ去られるには本当にもったいない

 

フランスなら自国の文化を守るために多少の無理をしても

残そうとするのに、日本はただ過去のものになってしまうだけ

 

形あるものはいいけれど

技術の伝承などは教える人がいなくなったら

それで途絶えてしまう

 

なにか少し腹立たしくなってきた

何が悪いのか?

 

古いからいいのではない

古くてもいいものは良い

ただ単純にそう思うだけ

だからこそ古いものも残さなくては

もったいない

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松田直樹のこと

2011年08月04日 20時53分14秒 | サッカー

まだ34歳なのに!

時々ポカがある選手みたいだったけど

気持ちでサッカーするいい選手でした

ご冥福をお祈りします

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

覚悟

2011年08月02日 20時25分13秒 | Weblog

昨日の駿河湾の地震

どういう訳か地震の少し前に目が覚めて

わざわざ地震を実感したようなもの

夜中の地震は気づかずにいることより

直前に目覚めることのほうが多いので

生物として何か感じているのか!と思わないでもない

 

ところで浜岡原発が停止していてホント良かった

と思うのは自分だけではあるまい

 

感情的な反対と言われないこともない

今の日本の反原発に対する批判だけれど

その感情的な人々にさえおそらく覚悟はできているのではないか

 

つまり、原発がないということは節電、不便な社会になる

あるいは電気料金がアップする

その結果コスト高になるので製造メーカーは海外に出ていく

そして不景気がやってくる

 

しかし、そんなことを受け入れた上でも

原発は反対だ!

と思っているのではないか?

 

この覚悟の評価、認識が

現役の経済を動かしている人は少し違うのではないか

と思ってしまう

 

震災以後日本人は変わる

といろんなところで言われているが

その変わり方へのイメージが

どうしても現場の経済人は今までの枠から抜けられない

 

人間は喉元すぎれば熱さ忘れる

そして自分勝手

しかし、今までの大量消費の生き方は、もういい!

そして多少の我慢は覚悟しよう

こんな人が底辺では多いような気がするけれど

これも一方的な見方かな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする