パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

8月31日

2022年08月31日 09時17分44秒 | 徒然なるままに

今日は野菜の日だそうだ
語呂合わせで8(や)3(さ)1(い)となるからで
〇〇の日は年中存在する
8月の最終日、落ち着かない小中学生がいることだろう

ちょっと目(耳)にしたニュースに、ある校長の話があった
夏休みの宿題をしてこなかった子を叱らないでください
あとでやって持ってくる、、ということで、許してやってください
子どもたちは新学期の最初には楽しい気分にさせてやってほしい
そんな意図の教師へのお願いだった

学校に行っていきなり叱られる、、というのは、自分が悪いせいであっても
子どもは気が重いだろう
宿題をやっててもやってなくても時間は過ぎて、いつかは過去になる
やらなかったことの将来の実害を受けるのは本人だから
その人を思ってのこととしても言い方はあるだろう

夏休みの最後の日に苦しんだ記憶がある自分としては
怒られなかった、、というのは、ホッとすると今は思う

相変わらず天気は不安定
新型コロナ陽性者は昨日は市内で120名が確認された
こんなでは、子どもたちにとっては良い夏休みだったかが、怪しいところだ

明日は新学期で一月半ぶりの子どもたちとの対面となる
近所でも子どもたちの姿を見かけたのはほんの少しだけ
きっと身長が伸びているだろう

去年は外国をルーツに持つ子が、夏休みの宿題がわからないから
教えて欲しいと言ってきたことがあった
今年は、何も言ってこなかった
寂しいのと不安が混じった気分だが、彼らの勉強の手伝いは
9月8日から始まる

それにしても、夏はかなわんな、、




 

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愛知祝祭管弦楽団「トリスタンとイゾルデ」の配信申し込みをした

2022年08月30日 10時03分24秒 | 音楽

コロナ感染症拡大で泣く泣く諦めた愛知祝祭管弦楽団の「トリスタンとイゾルデ」
同じような人が多いので救済策として、チケット所有者にはチケット返却を条件に
映像配信のサービスを無料で受けられるとのことだ

先程、その手続きを行った
生に越したことはないが、仕方ない
動画で感動は得られるか?と気になるが
数年前、びわ湖ホールの「神々の黄昏」が
無観客の動画配信だけで行われたことがあって
頑張って観たその舞台はものすごく良かった

動画配信の良くないところは、いつでも席を立ってしまえること
現場なら否が応でもその席で聴き続けなければならないが
家では気楽なせいで集中が続かない

何れにせよ、全く無駄で終わらないことになりそうで
とりあえず良かった!というところ

 

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白河の関と逢坂関

2022年08月29日 10時06分06秒 | 徒然なるままに

高校野球で仙台育英高校が優勝し、やっと優勝旗が白河の関を越えたと
メディアで伝えられてから、白河の関が一気に注目されているようだ

白河の関で、いの一番に思い出すのは高校の時授業に出たこの歌だ
「都をば 霞とともに 立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関」能因法師

意味は、都を春霞が立つころに旅立ったが、もう秋風が吹いている
この白河の関では。

覚えているのはこの歌が気にいってるからではない
実体験を歌ったものなら、旅人として日焼けしているはず
それを青い顔をして歌うならば違和感を生じる、、
といった屁理屈が気に入って覚えているのだ

実際白の河の関がどこにあるか知らないでいるが
他にも知らない関に、百人一首に出てくる逢坂関がある
(源氏物語にも出てきたような、、、)
「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」蝉丸

この歌を覚えているきっかけは、英語訳のこの歌が気に入っているからだ
それは
So this is the place!
The crowds,
comming
goinng
meething
parting
friends
strangers,
known
unknows-
The Osaka Barrier

この英語の歌は本家よりも寂しさが感じられる(ように思う)

人が何かを覚える(覚えている)きっかけというのは、本当に様々だ
だがその覚えていることが人の生活を豊かにしていてくれる(と思う)
つまりは覚えていることが多いほうが(人生の)勝利者かもしれない
その記憶が良いも悪いもひっくるめて、、

※百人一首の英語訳はこの本





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「whataboutism」と「行政独裁主義」

2022年08月28日 19時59分21秒 | 徒然なるままに

最近覚えた言葉、2つ
一つは「whataboutism」
ウィキペディアを覗くと
「そっちこそどうなんだ?」
と直接疑問に答えず話題をそらす方法らしい
なんとなく、そんなシーンがいくつも浮かんでくる
(国会やSNSのバトルで)

そしてもう一つは「行政独裁主義」
これは巷に出回っていないかもしれないが
実感として国にも地方自治体にも感じることで
いくら現場が大事だとしても
あまりにも行政の力が優先しすぎるのはまずいと思う

そんな珍しい言葉が気になること自体が好ましくないが
今はそんな時代だと感じる
(良い傾向ではないかもしれない)

日曜日なのでちょいと手抜きしてみた


 

 

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性格か?それとも、そういう傾向が備わっているのか?

2022年08月27日 08時59分17秒 | あれこれ考えること

昨日取り上げた「デマの影響力」の続き
読み方が雑になって、いい加減にしか頭に入っていないかもしれないが
心に響いた部分のこと

進化において、他の動物と比べて人間は脳だけが異様に大きくなっているらしい
それは何故か?
を考えると、どうやら人間は社会関係を築いているから
とする仮説があるそうだ(社会脳仮説)

脳は大きく3つの機能(部分)の分けられるとしている
先ずは、論理的・抽象的な思考など高次の処理を行う大脳皮質
2つ目は感情などを司る周辺系
最後に「爬虫類脳」で生命維持と生殖に関する部分
現在のようないろんなつながりのある大きな社会集団と
うまくやっていくには高次な脳の処理が必要で
必然的に脳に頼ることが大きくなっているらしい

脳の活動している部分を見ることができる実験(検査)があるようで
SNSの「良いねボタン」を押している時の脳の安定度などを調べると
良いねと同感している方が、つまりは多数の中にいるほうが
安心していられる傾向はあるようだ
この類の実験から、人間は孤独は得意ではなくて
どうしても多数の中にいることを望むらしい
ベストセラー商品を購入したり、インスタグラムで有名になった食べ物を食べたり
皆と同じ経験をして、良いねのボタンを押してもらいたいというのは
単なる性格の問題ではなく、もともとそういう傾向があるのが人間という生き物のようだ

SNSに投稿した人は、自分の投稿の評価が気になる
Lineでは先ずは「既読」の事実が欲しいし、その次は何らかのレスポンスが欲しい
そしてそれらがなされると、脳はきっと一種の快感を覚えることになる

これらのことは実験結果を知らなくても、生活の上で実感することだ
まるで自己承認欲求のように投稿し
その一つ一つが刺激的な棘のある表現とするのは
そのほうが投稿者にとって効果的だからだ

そしてそれらは一歩間違う正確な情報の提供よりも
より刺激的である情報を選択してしまうかもしれない

まだこの本は途中で、流し読みしているので、先走りしすぎているかもしれない
だが本の真ん中部分の佳境に入って、印をつけたい部分が増えてきた
(図書館から借りた本なのでそれはできない)
これは手元において、読み返すことができるようにしないとまずいかもしれない

この手の問題は、社会学と脳科学、心理学等が一緒になった理解が必要と思われる
ところでいろんな分野の混合が叫ばれ、一時期話題になった「複雑系」というのは
今はどうなってしまったのだろう





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「デマの影響力」を所蔵しようとした図書館員に拍手

2022年08月26日 09時12分16秒 | 

家計簿をつけると出費が抑えられるのは実感する
スマホのアプリでこまめに入力し、
PCではエクセルでその明細を記録すると
不思議と赤字になるのが怖いことのように思われる

月末になると、黒字で終わりそうとなれば安心するが
急な出費があって赤字になりそうなときは
開き直って大幅に赤字額が増えてしまうのは
買い惜しみ疲れなのだろうか

お金の使い方は個性が現れるが、自分の出費は
「また本!」
と文句がでそうなアマゾンでの書籍の購入
最近は面倒くさい本が多いので、一冊あたりの価格がそれなりにする

そこで、節約のために図書館で借りることが多くなっている
ちょうど夏のこの時期、集中力を要する本はしんどいので
ストーリーを楽しむ小説類が多い(この手の本は図書館にもある)

本を返却と同時に、次の本を借りにいった
すると新しく入荷した本の紹介コーナーに
こんな本があるのを見つけた


これは以前読んだ「プロパガンダ」にも繋がりそうな本で、すぐさま手にとった
借りるときには単純に「ありがたい」と感じただけだったが
少し時間が経つと、図書館はどのような基準で新しい本を購入するのだろうか?
それを決めるのは誰なのだろうか?
と思えてきた

明らかに万人向きの本ではない(と思う)
そんな本が田舎の図書館にあること自体自分にはありがたい

デマとか悪口は、その反対の事柄より圧倒的に広がりやすい
それは何故か?を追求した心理学的な本ではなくて
今起きているSNSを通じての拡散やフェイクニュースの怖さを繰り返し紹介している

確かに恐ろしい時代に生きているかもしれない
物事に当たる場合は、よく考えないとあかんとか
反対の視点から敢えて想像してみることの重要さを感じるが
類は友を呼ぶとか、自分の信じやすいことのみを信じる傾向は
ちょっとやそっとでは変わりそうにない

ただこのような本があって、何人かが読むということは
微力だがデマの影響力を少しでも抑えることになるかもしれない

それにしても、図書館員のこの本を購入しようとした人
その人にエールをおくりたい気分
読む人の数は少なくても、明らかに大事な本というのはあるものだ
それを自覚して所蔵しようとする自覚と実行する意志
我が市の図書館委員は素晴らしい人たち!
と、自慢したくなってしまった

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虫の声が聞こえた

2022年08月25日 08時55分03秒 | 徒然なるままに

「しょしょって、どんな漢字で書くんだった?」
最近は何でもググってしまう
「答えは処暑、暑さを処分する、、みたいな意味かな?」
そんな会話があったのが数日前

そして昨日の夜のこと
「あれ!虫の声が聞こえる!」
確かにジージーと秋の虫の声が聞こえる
扉を締めに行った少しばかり耳の遠い同居人が応える
「そうだよ!さっきから鳴いてる」

「なんだか涼しい気持ちになれるね!」
虫の音を騒音と感じずに、風情を感じるのは日本人独特の感覚らしい
「こうやって、当たり前のように季節が変わっていくってのが、すごいね
 暑い暑いと言ってたのが、数カ月後には寒い寒いと言うなんて」

庭に水やりをすると、草の下に虫たちがいると何故か確信をもつ
不意に、お盆頃に山に行ってた頃、蝶ヶ岳から常念岳に向かう途中で
赤とんぼが目の前を横切ったのを思い出す

日の出は遅くなっている
太陽は南に傾き始めている
もう真上から照りつける残酷さと光の強さはない

だが、「暑いと言ったら罰金」というルールを作ったなら
まだまだ罰金を多く払うことになるだろう

一週間後には近所のちびっこ達と校門までのウォーキングが再開する
「大人の一日は長く、一年は短い、子どもの一日は短く、一年は長い」
久しぶりに会うと、そんなことを実感することになるだろうな

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書き手とか指揮者の人間性を感じてしまうと、、

2022年08月24日 09時09分46秒 | あれこれ考えること

夏は暑いのでお気楽な本を読んでいる
直近では松本清張の「目の壁」とか「ゼロの焦点」
葉室麟の「潮鳴り」「蜩ノ記」でそれぞれが二日以内で読み終えている

すると妙なことに気がついた
どうも気になるのは登場人物ではなくて、それを動かしている書き手の
人間性というか、メンタリティのようなものだという実感だ
登場人物に感情移入するのではなく、むしろ書き手の表現技術なり
物語の起承転結の名人芸的な構成を読みながら批評している自分がいた

松本清張も葉室麟も多作な作家のようだ
音楽の父、バッハも多作な人で、毎週のように新しい曲を作っていたようだ
だがそれを可能にしたのは、作曲の法則なりメロディのパターンを
職人的に身に着けていたからのように思える
それを思うと、松本清張も葉室麟も締め切リに追われながらも
一定のレベルを保って作品を作り上げるのは、一種の職人の仕事と思える

書き手の人間性を感じるからこそ、人には相性というのが存在するのだろう
三島由紀夫も太宰治も、どこか全面的に受け入れがたい「嫌な感じ」が
自分には感じられる
もっとも、これは音楽でも同じで、カール・ベームの指揮も
アーノンクールの指揮も、アシュケナージのピアノも、
マレイ・ペライアのピアノもどこか嫌な気持ちが聴いてて生まれて
いつも途中で聞くのをやめてしまう
嫌なのは作品ではなくて、それを表現している人の人間性のようなもの
何故か確信的にそう思う

人には残念ながら相性が存在する
世間評価が如何に高かろうが合わないものは合わない!
と、この歳になると開き直れる気さえする

もっともいつか急に感覚が変わるかもしれないが
今のところは、苦手な人ってのは少なくないな、、と思う

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2度あることは3度ある

2022年08月23日 11時09分37秒 | 徒然なるままに

今年、勢い込んで購入したコンサートをチケットを
コロナ感染が心配で行かずに無駄にしたことがある
一つは名古屋の宗次ホール、もう一つはライフポートとよはし
でのコンサートだった

あれから半年、そろそろ良いだろう、、
と様子を見ながら手に入れたはずの愛知祝祭管弦楽団の
コンサート形式の「トリスタンとイゾルデ」(8月28日)だったが
第7波は想像以上に広がっている
自分の住む小さな町も一日の陽性者数が100を超える日もあって
最近では50もの数字さえ少なく感じるような気分になっている

音楽は生が一番だ
良いものも大したことないものも、その場でしか感じられないことはあるもので
音と対面するというよりは、音に包まれる感じは録音媒体では味わえないものだ

楽劇「トリスタンとイゾルデ」は46年前、本場のバイロイトで味わった作品で
それ以後、名古屋のみならず東京まで足を伸ばすほどで、
聴き逃がす(見逃す)ことを避けるようにしていた

愛知祝祭管弦楽団のコンサート形式の演奏会は、同じような形式で
「ニーベルンクの指環」があった
コンサート形式でも多少の演出があって、少しも退屈することなく聴くことができたので
今回の「トリスタンとイゾルデ」も大いに期待していたのだが、、

2度あることは3度ある、、のことわざ通り
今のコロナの感染状況を鑑みて、このコンサートに行くのを諦めることにした
行き帰りの交通機関、会場の閉じられた空間
それらを考えると、諦めたほうが同居人も安心のようだ

このコンサートは有料でネット中継でもあったので
そちらを予約しておけばよかったかもしれない

だが、仕方ない、、
自分が無駄にするチケットはもったいないが
楽団の人たちへの寄付と思うことにしよう

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賽銭の処理が困る!

2022年08月22日 18時24分55秒 | 徒然なるままに

今年度は地区のお役を担っている
主な役割は神社・お祭り関係だが、区のそれではなくもっと狭い範囲の
本当に地元のことだけだ
お地蔵様・秋葉様・稲荷様がそれで、ほんのささやかな祭りが行われる
ところが、ここで困るのがお賽銭だ

時々、賽銭箱を確認しては回収しているが、賽銭は硬貨が圧倒的に多い
1円とか5円、10円が圧倒的で、50円や100円は一割以下だ
賽銭は管理している通帳に入金しなければならない
これが困るのだ
先日は1円玉が346枚 5円玉が112枚あった
これを通帳に入金するとなると、硬貨が多いため手数料がかかってしまう


結局は手数料がかからないように、両替して入金するようにしている
だが、今度は家に溜まった硬貨の始末に困る
1円や5円はたまに必要になるが、そんなに多くはいらない

正直なところ、困った!
日本中のどこかで同じような愚痴がでてるだろうな、、きっと


 

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