今回のノロノロ台風は雨台風
今日も新城市には大雨警報が出ている
自宅付近ではさほど大雨の印象は無いが
この数日で宇連ダムの貯水率が11%台から50%超えとなっているから
やはり相当降っていると考えるほうが妥当だ
新城と言っても中心部と鳳来地区、作手地区と気象条件が違う
数字が発表される観測所はいったいどこだろう
きっと自宅から遠いに違いないと勝手に思い込んでいた
ところが調べてみると場所は冨永で、自宅から1.5キロくらいのところ
子供の頃、川遊びに通った場所だった
すると、数字と実感との違いが気になってしまう
実感は信用できない怪しいものなのか、
それとも馬の背を分ける雨の降り方のせいなのか
いずれにせよ、今日も雨模様だ
晴れは飽きることはないが、雨は数日で飽きてしまう
先日、新聞広告に掲載されていた本をざっと読んだ
いつも思うことだが、子供の絵はどこか迫力がある
ただ単に、上手く使えない手で鉛筆をもって右左したり
丸を描こうとしているだけなのに、それは確かに何かを訴えているような気を起こさせる
姪が時々、お兄ちゃんと3歳の女の子を連れてやってくる
始めは慣れずに不安そうな顔をしていたちびっこも
最近はいつもの場所に置いてある貯金箱を持ち出して
お金を出したり入れたりして遊んでいる
また2階に行って無双窓を開けて母親に嬉しそうに声をかける
お兄ちゃんと二人で、部屋中を走り回るのは相変わらずだ
先日は絵を描きたいから、あるようなら鉛筆を貸して欲しいと姪が言った
幸い色鉛筆があったのでそれを出して、紙はプリンターで使用するA4の紙を渡した
ピンクの色鉛筆を持って彼女は右から左へと線を引く
何回か同じことをして、その線はバラバラでそれだけだ
次に丸を描こうとする
大きな丸できっちり閉じていないがそんなことはお構いなしだ
それを描くと、その紙は用無しになって次の白紙に向かう
一番偉いのは一番年齢の低い子だから、彼女の要求通りに白紙を渡す
また同じことを繰り返す
何かを描こうとしているのか、ただの運動なのか
しばらくして丸い図形をさしてお母さんといった
もう一つの丸は別の人物だと宣言する
この本には、子供の絵には丸から脚が出ている人間が描かれることがある
と紹介されていたが、それが見られた
少し昔の話だがある時、子どもが描いたお父さん、お母さん、お姉ちゃん
自分自身の絵を見比べる機会があった
丸に目鼻口と僅かな髪の顔の絵で、一見同じような絵ばかりなのだが、
ヒントなしにそれらの絵を見て、どれがお母さん、お父さんなのかと判定するのだ
これに真剣に向かうと、なんだか知らないがこれはお母さん、あれはお父さん
というのがわかったような気がした
そしてそれは当たっていた
何故当たっていたのかはわからない
別の人にもトライしてもらったが、その人も自分と同じ答えだった
つまりは何らかのメッセージを感じ取ったということで
それは一体何だったのだろうか?との疑問がずっと残っていたので
今回この本を読んでみようとしたのだった
子どもの発達の経過と変化、それに対する仮定や考え方
世の中にはこうしたことを研究する人がいることに少し驚くが
読んでいる間は、頷くことが多くて面白いものだった
ということで、困った台風の中、少しばかり興味深い本を読んだということ