パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

柿谷曜一朗の鍛え方?

2012年07月21日 21時18分45秒 | サッカー

勿体無い!
というのが印象。
今日の震災復興のためのチャリティーマッチ
後半、柿谷は選ばれて出てきたのに
大した活躍ができなかったというより、
存在感を見せつけることができなかった

一瞬だけ、シュート体勢に持って行こうとした時の
フェイントは切れ味のある、閃きを感じさせたのだが、、

柿谷の存在を知っのはレッズ戦でのドンピシャの
ボレーシュートを見た時
あのアジアカップの李忠成のそれよりも感覚的には
ぴったりしていたから
これは誰だ!と注目したわけだ

その試合の試合終了間近にシュートのこぼれ球を
素早く反応して蹴りこんだのだが
この時も単に素早く反応しただけじゃなく
キーパーをかわして素早く確実なシュートに持ち込んでいる
このタイプは点を取れるかも!
とチョット注目していた

そのあとマリノスとの試合
ゴールを背負った形でパスを貰って
ボールを浮かしてトラップ、そして綺麗なボレーシュート
これも、只者じゃない感じを感じさせたのだが
一試合通してみると全体的な印象は薄い

点取り屋はそんなものかもしれないけれど
なんだか、本当に勿体無い感じがしてならない
もっとできそうな感じがするのに、、、

そこで、どうやったら彼がもっと化けるか
チョット考えてみた
(昔コーチをしていた時の気持ちがムクムクと沸き上がってきたから)

まずは、体が細すぎ
上半身ももっと鍛えねば(アジリティーは低下するほどやることはないが)
それから、ドリブルの練習、サイドではなく
コートの真ん中の部分で縦に足元からボールを離さないような
イニエスタのようなプレーを望みたい

出来上がったプレースタイルだから今更変わらない
と言うことは無さそうだ
本田がオランダに行って一番上達したのがドリブルと
以前言っていた
スピードはないが取られなく縦にドリブル
これは少し守る方には怖いだろうに

宮市も永井も宇佐美も、サイドでどれだけ早くても
真ん中が効果的にできないとな!

で柿谷、後は精神的に徐々に集中が長く続くように
教育し続ける
一人でなんでもやってしまうタイプを
少し目標にして
もっともチーム事情から一人でなんでもやってしまうようなことは
許されないかな
(オランダだったら、そんなのは当たり前みたいなところがあるのに)

それから今日のような試合
自分をアピールするためにもっと貪欲にならなくちゃ
大田とかみたいに、、

セレッソはなんとか上手く育ててほしいな
ほんと大化けする可能性があるのに
要は自分の自覚の問題なのだろうが、、

成功するプロは
結局精神コントロールが勝負なのだろうが
それにしても、なんとかならないかな

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資源回収の現場で見えること

2012年07月18日 20時49分12秒 | あれこれ考えること

この地区では毎月第2日曜日に
リサイクル資源回収が行われる
新聞・雑誌・ダンボール・牛乳パック・ガラス瓶・アルミ缶・鉄製の缶
ペットボトル・電池・衣類  その他埋め立てに回るもの
それらを分別して、それぞれの場所に持ち寄るのだが
その指導とか片づけの手伝いをする人が十数人
交代で出ることになっている

自分は今年は区の役員
毎月出ることになっているが
この資源回収も考え様によっては
良い観察場所となる

まずは季節感が感じられる
今ならペットボトル、缶ビール・素麺つゆ、
栄養ドリンクなどが多くなっているし
3,4月は引越しのシーズンでダンボール関係が多かった

詳しく見てはいけないが
家庭の暮らしぶりも垣間見えることもある

ところで今日の話は、その資源回収の時に感じたこと

自分はダンボールの担当
このダンボールを持ってくる人が色々だ
ちゃんと縛ってまとめてくる人
面倒だから箱に入れてくる人
全然まとめずにバラバラで持ってくる人
もっと凄いのは、現地で分別をはじめる人

そこで思うのは、
みんなちゃんと家でまとめてくるべきだよな!
この場所を担当すればきっとこんな考え方に落ち着く
と言うことは、一度はこの体験をしてもらわねば、、、

もう少し経つと、また別の考えが浮かぶ
バラバラで持ってくる人はホント段取りが悪いな
後の人のことを考えていないのか
なんか、この人の仕事上の能力も見えてしまいそう、、、

しかし、毎月毎月、多いな、、、
分別もいいけれど、もっといいのは何も出さないこと
必要以上の買い物はしないほうがいいのかも、、、

こうして消費社会の現状の反省に至る

それにしても、たかが資源回収の現場で
仕事ぶりの判断までされるとしたら
世の中は誰が何を見ているか?
気をつけないと、それこそ、怖いかも!

 

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誰かは、やってくれない(さよなら原発)

2012年07月17日 19時49分38秒 | Weblog

主催者発表17万人、警察発表7万人
昨日の「さよなら原発」に参加した人の数
なんという違い、新聞・テレビは何の疑いもなく
それらの数字を報道している
何故、こんなに違うのか?計測方法についての解説もない
両方を述べることが公平と思っているのか?
自分たちの調査はしなかったのか?

しかし、デモ関連の主催者側とメディアの数字の乖離は
これだけではない
首相官邸前も、その他いろんなところでも参加者の人数は
一体何を信用したらいいのか判断に困るほど違ったものが
報道されている(あるいは報道されなかったり)

昨日、自分は初めてデモに参加した
というより、
デモの現実を自分の目で確かめたいと思った

太陽は照っていたが思いの外、乾燥していて木陰は涼しかったが、結構な人が集まっていた

その会場に訪れたのは
デモの人数を自分の目で確認したい!
時代は変わりつつあるのか?
そうであるならその瞬間を見てみたい!
そんな事を思ったのは事実だが、もう一つ
「あの時自分は何をした?」
と未来の人間に問われたら、今までのように
「誰かがやってくれるから、自分一人なんて、、、」
と思うことは、まずいんじゃないか!
と思ったから

以前、何故庶民は第2次世界大戦突入をストップできなかったのか
そんな事を考えた時、
今度そんな事があったら
自分は絶対戦争反対の行動を起こすつもりでいた

しかし、残念ながらいつの間にか
そうしたことは、誰か他の行動的な人がやってくれる!
などと思うようになっていた

だが、今ままで経験したことを反省を含め振り返ってみると
「物事は他人はやってくれない!」
これは恐ろしいほどの真実で
結局、当たり前のことだけれど自分の事(権利)は
自分で手にしなければならない


自分にとってはこれは反戦運動と同じようなものだ
今、反対を言い続けないと後で後悔するような気がしてならない

自分が学生時代
大学紛争の嵐が吹き荒れ
学校は休講になったり大衆団交もあった
革マル・民青の連中はデモも行なっていた
自分はノンポリで、ただそういう姿を眺めていただけ


時々、そういう連中とも討論したこともあったが
基本的に組織・社会に関心があると言うよりは
コリン・ウイルソンのアウトサイダーにあるような
個人の生き様の方に関心があって
そちらではロマンティックな悩み方もした

今回は違う
大人の知恵で、使命感みたいなものに突き動かされて
東京まで足を運んだ

大勢の人がメイン会場にいた
しかし、自分の感情は本質とは違う変なことが気になってしまった
大江健三郎・落合恵子・広瀬隆、そういう人達のメッセージが
あの場所では効果的でなかったこと

メッセージの内容ではない
あの屋外の多くの人を前にしたメッセージの送り方ではない
と思ってしまった
確かに筋は通っている、わかりやすいかもしれない
しかし、あの話はもう少し少ない人数(あるいはディベート)の屋内で
発せられる内容ではないのか
少なくともアジテーションという意味では効果的ではなかった
フト小泉純一郎ならどんな話し方をしたのか?
そんな事を考えてしまった

デモは普通の人が冷静におとなしく歩いた
自分もある団体に紛れ込んで歩いた
「再稼働反対」「原発要らない」「大飯止めろ」
スピーカーで若者が連呼していた
自分は声を上げなかった
慣れていないというか、この段になっても恥ずかしいとか
チョット趣旨と違うとか、外から見てる人はどうなんだろうかとか
しかし、少しづつ声を上げるようになると
これはまた違う感覚になっていく
そう、慣れと麻痺
それが当たり前になる

普通の人が多いと感じたが
若い人が機械ものを扱っていた
その機械からはラップ・ロックの音楽が流れていて
ちょっと反原発と言うより青春のエネルギーの発散の仕方の一つ
と思わないでもなかった

若い連中はチョットハメを外し、規制された道路から少し
はみ出て歩こうとする者もいた
すると警官がすぐに列に戻るように促した

その時、デモを感情のこもった熱いものにするには
犠牲者をつくる!
ということを考える人が出るかもしれない
と思った

つまり、デモをしていた人が国家権力によって不当に扱われ
怪我などをする
そうすると、今度は冷静な対応と言うよりは集団は
怒りに満ちたブレーキのない行動をしてしまい
その波はとんでもなく大きくなる
こうしたことをイメージする人物が出てきそうな気がしたのだ
そしてこれはある人物にとっては、極めて魅力的な作戦に思えてしまうかもしれない

過去の歴史の中でもそんな事は起こったかもしれない
いや起こされただろう

ここではこれ以上この問題は扱わないとするけど
ただ人間の考えそうなことの恐ろしさ
ということだ

原発は一体どうなるのか?
そんな呑気にはいられない気もする
こんなに地震の多い国。活断層だらけの国に
原発はベストな選択なのか


想定外・想定内と考えること自体が人間のおごりを感じてしまう
コントロール出来ないもの
それを素直に認めて、諦めること、それも偉大な科学的
進歩的な考え方とも思う
願わくば、怖い怖い地震が起きないことを望む




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人は(組織は)成功体験を繰り返す

2012年07月14日 13時42分08秒 | Weblog

松本清張の「日本の黒い霧」を読んで(流し読みだけれど)
「あれっ!どこかでもあったぞ!」
と思わされたのが、最初の下山事件の章で解説されている
アメリカの対応のこと

戦後、旧財閥の解体をアメリカ(G2だっかかGS?)は
共産党の力を借りて(間接的に)行ったのだが
想像以上に共産党の力が大きくなりすぎて、
今度はその歯止めに苦慮する話
結局、それ以上の共産党の進展を阻むために
なにかきっかけを求めていた!
というのだが、、、、

この話、アフガニスタンにおけるアルカイダの話と
そっくりなのでは!
つまりソ連に対しては共同で戦った
しかし、その後、アルカイダは離れていった
その理由がどうであれ、使えるものはなんでも使う
「敵の敵は味方」という現実思考とその末路

人は、(多分組織も)残念ながら同じことを繰り返す
それが上手くいった場合なら何の疑いもなく

アメリカは国益になることへのアプローチ方法は
自由・民主主義の言葉の裏で
結構えげつない事をやっているのでは!
(もっともそれが現実的な外交というものかもしれないが)

話は飛躍するが
民主党が与党になった瞬間からひどく外交問題に対する
考え方が変わったように感じてしまうのは
実は与党でしか手にすることのできない
(アメリカからの)情報(要請)があるのではないか?
と思ってしまう

アメリカからの自由
それが幸せかどうかは知らないが
それがなかなか難しそうだ
ということは想像がつく
しかし、いつか思いきらなくては!
とも思うのだが、、、

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判断は、客観的に下したとしても、それは元々の自分の意思の反映か!

2012年07月13日 21時01分32秒 | Weblog

政党名が「国民の生活が第一」なんて、
長いな~とか、どうやって縮めるのか?
とかは、さておいて、世論調査によれば
あまり期待しないらしい小沢新党

消費税アップ反対、その前にやることがある
反原発、公務員改革は、、、
なるほど言葉の上では(あの風貌を見ないなら)
納得できそうな提案が続く

しかし、問題は、それを言っているのが
小沢さんという人格の人ということ
(女性の中には小沢さんは何となく嫌い
と言う人も少なくないようだ?)

この何となく嫌いというイメージを作っているのが
大手マスコミとか官僚とかのせいという
専門家的な意見もあるが
人の顔は、ある年齢を超えたら自分に責任がある
との昔からの言葉も馬鹿にしてはならない

人間の判断については、最近読んでいる本が興味深かった
「感性の限界」高橋昌一郎氏の著作で
「理性の限界」「知性の限界」に続く第3弾で
その中に人間の判断のいい加減さ、バイアスがかかっていたり
刷り込みがなされていたり
つまり、全くの公平な客観というものは存在し得ない
ようなことが述べられていたが(自分の解釈の範囲のことだけれど)
全くその通りで、マスコミが公平な立場でうんぬんは
実はありえない!ということに通じてしまう

公平にみえても何らかのバイアスや刷り込みは入っているはず
小沢さんに関する印象にしても
メデイアからのものだけでなく、人々が感じ取る何かは
判断する人の人の生きてきた歴史を反映するもので
結局は個々によっておおいに違う

つまり同じ物を見ても違う判断をするということ
そしてこの判断の基準となるものは
実は客観といった外部からの刺激によるものではなく
刺激を感じる、その感じ方さえ、そのひとの何かを
反映しているのかもしれない

いや、仏教の言うように色即是空・空即是色であって
感じるものすら空であって、、、(ここのところは実はよくわからない)
またショーペンハウエルの言うように世界は既に意志の表象である
(実はこれもよくわからないが、何となく言わんとする事は分かるような、、、)

残念ながらここでの話は今の自分の理解を超えている
しかし、感情がノーと言うものを理性が受けいれるのは難しく
いくらいいことを言っても、いう人がダメなら
結局聞く耳を持つことができないということ

あの長島さんの支離滅裂な話でも
内容はともかく聞く気になる人が多いのは
冒頭の話とは全くの逆の話で
やっぱり、人間性が大事!ということなのかな

と同時に、言葉で残された、感情を反映しない
歴史文書などは、実はかなり怪しい!
ということにもなりそうだが
今日は、とりあえずこんなところで!

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1976年の バイロイト

2012年07月12日 20時14分32秒 | 旅・旅行

と言えば、音楽祭100周年の記念の年
フランス人のシェローが新しい演出で指輪に取り組み
同じくフランス人のブーレーズが指揮をして
その後の演出が主役となる上演の走りとなった年

そして、チケットも持たずにバイロイトに訪れた自分が
そこで知り合ったフランス人の旅行のおばあさんと
一緒に祝祭劇場の前で「ズーへ カルテ」と手書きの
看板を掲げてチケットを求めた年

幸い、偶然、お年寄りに同情した近くに住人(ダフ屋?)が
指輪の通しのチケットを譲ってくれた
おばあさんはトリスタンのチケットも手に入れた

ところが自分はシェローの具体的なリアリティーのありすぎる演出よりも、
真っ暗な動きの少ない、象徴的なヴィーラント・ワーグナーの
(本で読んで知っていただけだが)
演出の指輪を見たかったから、チケットはトリスタンとパルジファルに交換してしまった

そんなわけで、初めて聴いたオペラがバイロイトでのトリスタンという
特異な経験をしたわけで、あらかたの筋は勉強しておいたが
実際には今はこのへんのお話か?と想像だけで聴き続けた
特に1幕のクライマックスとか2幕のブランゲーネの警告とか3幕の前奏曲などは
そんな聴き方でも満足できた記憶が今も残っている

その上演の指揮はホルスト・シュタイン
もう一つ前の上演だったらカルロス・クライバーだったが
その当時自分はカルロス・クライバーなんて知らなかったから
そんなに残念にも思わなかった

ところが最近、吉田秀和氏の「音楽の旅・絵の旅」を読んでいたら
ちょうどこのトリスタンの事が書いてあった
吉田氏もカルロス・クライバーの演奏は聴けなくて
ホルスト・シュタインの方を聴いたとある
となると、もしかして同じ演奏を聴いたのかもしれない

だが彼は聴き比べができるほどの耳を持った人
こちらは初めてづくしの聴衆
身体に起こった出来事は随分違う

確かに物事は比較によって理解は深まり、楽しみも増していくだろう
同じ音(音響)舞台を見聞きしても、得る情報量に雲泥の差がある

と言っても、その時は結構楽しめたから不満はない

吉田氏の本にも、何年も続けてバイロイトに来ている人に
出会ったとあったが、実は自分もそのような人に出会った
彼は確か東大の関係者だったような、、、そして座席は普通の
場所ではなくなにか特殊な場所だったような記憶が残っている

同じ場所・同じ演目・同じような経験をしても
人は随分違った印象を持つものだ(当たり前)

その時のバイロイトは今ほど洗練されていなかったかもしれない
祝祭劇場の近くは草原があって(?)
なぜだがジークフリートの牧歌はここで作曲された
(これをイメージして作曲した)と確信に近い思いを持ったりした

自分も還暦を過ぎ、残す時間が少なくなってきている
もう一度、特異な経験の出発点であるバイロイトに
出かけてみるのも悪くないかな

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「鳥のカタログ」

2012年07月05日 20時06分23秒 | 音楽

愛鳥週間はとっくに過ぎてしまったが
通勤中の音楽にとメシアンの
「鳥のカタログ」のCDを選んだ

理由はよくわからないけれど
なにか好きなんだな、メシアン
特に鳥絡みの音楽
「夜の終わりのための四重奏」も
「クロノクロミー」も「峡谷から星たちへ」も
真面目に耳を澄ませて聞くわけじゃないけど
何故か聞いてしまう

今日も「鳥のカタログ」聞きながら
これだけ音程の飛躍があるのは
現代音楽っぽし、音楽構造や
前後関係の構成なんかはわからないけど
とにかく抵抗感がない

と言っても、年齢のせいもあって
曲を覚えられないのは少々つらいが
ま、専門家じゃないし
楽しめれば、それでいいか!

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ユーロ決勝戦 イタリア対スペイン

2012年07月03日 20時15分45秒 | サッカー

既にだいぶ時間が過ぎているが、ユーロ決勝戦の感想を!

と言ってもWOWOWに加入しているわけではなく
地上波CBCテレビを、
しかも後半から見ただけにすぎないのだけれど

「スペイン完璧な前半でしたね!」
といったコメントが聞けたので
スペインがリードしているのは分かったが
その後ハイライトで得点シーンを見ると
イタリアはスペインの縦の走力に負けた感じ

一点目のイニエスタのパスもいいけれど
セスクの走りこみ、中に少し切り返して
マイナスの正確なパス
そしてドンピシャのヘッド
お見事というしかない

2点目もかなり後ろから走ってきた選手に
ぶっちぎられてシュートシーンを作られて
チョットイタリアは体が重そうな感じと言う印象

後半の2点はおまけみたいなもの
負傷退場で11人対10人になった時点で勝負はついていた

この勝負フィジカルコンディションが勝負と思っていたが
一日休養の少ないイタリアが、延長を行ったスペインよりも
疲れていたようだ

ここで問題は、日程が逆だったら結果もそうだったか?
と考えると案外そうではないかもしれない

なぜならスペインは疲れないサッカーをしているからだ
南アフリカのワールドカップの時、実に様々なデータが発表されたが
その中にパスを受けるための走行距離というのがあった
文字通りパスをもらうために何メートル走るか?
というものだが、一番短かったのがスペイン
お互いの距離の感覚がいいから
そんなに走らなくてもパスがもらえる
というものだ


ついでに相手のパスの阻止率だったか、とにかくその手の数字も
スペインはイタリアと並んで高かった
コンパクトになっているから失ったボールに対しても直ぐに
ディフェンスにいけるから
というのが解説にあったが、真偽の程はともかく
何となく分からないでもない

つまり、攻撃も守備も疲れないサッカーを
スペインはしていた(している)ということだ
そして今回もそんな調査があれば
似たようなデータとなるのではないか?

少しおまけの話になるけれど
先ほどのパスを貰うための走行距離が一番長かったのが日本
相手のパスの阻止率が一番低かったのも日本(だったかな)

しかし、ここで日本に関しては
選手間同士が良い距離を保つことにしよう
と言う結論だけで終わってほしくない

パスゲームのスペインだが
相手のいない時には(時にはいても)勝負のドリブルがある
と言う前提を軽く考えてほしくない

つまり、形だけを見習っただけではスペインやバルサにはなれない
ということ
まだまだ個人のスキルにおいてもクリアすべき問題・課題は多い
その上でのチーム戦術のような気がするが、、、

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たら、れば、、、

2012年07月01日 15時16分50秒 | Weblog

戦いが今日の様な雨だったら
あの有名な戦法は機能せず
勝敗は逆転していたかもしれない
そんことをつぶやきたくなるような残念な天気だった

今日は設楽原決戦場祭り

織田信長が馬防柵に三段撃ちの鉄砲隊の作戦で
当時最強と恐れられた武田軍を破った戦いの
その戦没者の供養を行う日

法要の他に、火縄銃の実演、小中学生による武者行列もあるのだが、、、

残念!
曇りの予定の天気が早まって雨が本降りに
法要の頃はまだ行列・火縄銃実演ができそうな感じだったが、、、

結局、最近では珍しい雨に予定は中止
少しさびしいものなりました

自分は、設楽原資料館で物産展のコーナーの手伝い
実はこのイベントに参加するのは初めてで
御役目とは言うものの、興味深く努めさせてもらった

会場には山梨県からバスが3台

武田本家と家臣団の子孫の方々
武田家発祥の地と終焉の地から何名かの人々が
やってこられた

地元のお祭と思っていたが
この広がりには少しびっくりした
と同時に、あの戦いの日、今日のように雨だったら
火縄銃は機能せず勝敗は逆転していたかも、、、
と考えてしまった

昨年も、この地に武田方の方たちだけではなく
織田方の関係者も来られて会合を持たれたという
(それが円満に終わったかどうかは?だったとか)

何事も被害者・負けた側の方の記憶は
なかなか消えにくいようだ
徳川に対する毛利、長州に対する会津
それらは笑い話のようでも
今でもしっくり来ない部分があるときく

だが、この日のように両軍の無名の戦没者を慰霊する
法要を行うこの地区の人々は
(お盆の信玄塚の火おんどりを含めて)
極めて穏やかで優しい人々だと改めて実感する
そして自分がそこの住民であることを
少しばかり自慢できるような気がする

それにしても、おおらかに
このまつりを運営していく少しばかり歳とった方々
ご苦労様でした
来年は晴れるといいですね!



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