名古屋の宗次ホール
クラシック音楽専用のこじんまりとした室内楽用の
立派なホール
ここでは毎日のようにいろんなコンサートが催され
時々不意に思い立って出かけることがある
有名な演奏家が出演する場合もあるが
地元の演奏家の発表の場としての意味もあるらしく
値段もべらぼうに高いということもない
先日ホールのスケジュール表を見ていると
こんなプログラムを見つけた
2番目の演奏曲にヴィターリのシャコンヌがある
この曲はNHKFMで耳にして妙に気に入って
早速CDショップに出向きオイストラフの弾いたものを購入
これがまた素晴らしくて益々興味が湧いて
Youtubeではハイフェッツ、サラ・チャン、フランチェスカッティ、シェリングなどを
聴き比べたりしている
ちなみに好きなのはやはりオイストラフ
一番最初に聴いたこともあるけれど感情の濃さが
その世界から離れることを許さない
ということで、バッハのシャコンヌほど演奏されることのない
この曲を聴くためだけに出かけた
他にもカルメン幻想曲など派手っこい曲もあったけど
あくまでも目的はこのシャコンヌ
2番めだから少し耳も慣れたところで
集中もしやすくこちら側も絶好のコンディション
最初のピアノで奏される繰り返しのテーマも
生はやはり録音のものより豊にタップリと聞こえる
出だしの音でその演奏家の力量が分かったしまう
みたいなところがあるけれど
批判的に聴くよりは楽しく聴きたいので
多少のことには目を瞑ることにした
演奏されるメロディーを頭で追ったり
先走ったり
耳で聴くというよりは頭と体で聴いている
予想もしなかったが
最初の方のピアノとの掛け合いのあたりで
少しうるっとしてしまった
本当にいつも思うのだけれど
このシャコンヌは何回もテーマが繰り返される
上での変奏曲なのだが
この変奏曲という形式が全然気づかない
むしろ感情の流れに身を任せているみたい
そしてその上での幻想
バッハのシャコンヌも幻想感たっぷりで深いが
それは変奏曲と言う範囲を超えていない感じがする
この日の演奏者は青木恵音(あおきあやね)という
男性の若いヴァイオリニストと
同じく若い女性のピアニスト織田麻祐子(おだまゆこ)
この若いというところがこの曲のトータルの印象を決めていたように思う
つまり一気呵成の感じ
エネルギーと生命力に満ちて
本当なら中間部の部分でもう少し力を抜いていけば
かえって曲全体の印象として
メリハリもつきそうな気がしたけれど
これは多分年令を重ねるしか、そんな演奏できないだろうし
その解釈がいいとは必ずしも言えないから
今日は今日の時点での良さということになるのかもしれない
しかし、それでも若さはいいな
多少の傷は勢いで何とかなってしまいそう
青木恵音氏は途中でこの演奏しているヴィターリのシャコンヌが
本当に好きなんだな!と思ったりした
解釈よりは共感
これがまた人の共感を生むことになりそう
ということで、今日のコンサートは1000円分の元は充分にとった感じ
クラシック音楽専用のこじんまりとした室内楽用の
立派なホール
ここでは毎日のようにいろんなコンサートが催され
時々不意に思い立って出かけることがある
有名な演奏家が出演する場合もあるが
地元の演奏家の発表の場としての意味もあるらしく
値段もべらぼうに高いということもない
先日ホールのスケジュール表を見ていると
こんなプログラムを見つけた
2番目の演奏曲にヴィターリのシャコンヌがある
この曲はNHKFMで耳にして妙に気に入って
早速CDショップに出向きオイストラフの弾いたものを購入
これがまた素晴らしくて益々興味が湧いて
Youtubeではハイフェッツ、サラ・チャン、フランチェスカッティ、シェリングなどを
聴き比べたりしている
ちなみに好きなのはやはりオイストラフ
一番最初に聴いたこともあるけれど感情の濃さが
その世界から離れることを許さない
ということで、バッハのシャコンヌほど演奏されることのない
この曲を聴くためだけに出かけた
他にもカルメン幻想曲など派手っこい曲もあったけど
あくまでも目的はこのシャコンヌ
2番めだから少し耳も慣れたところで
集中もしやすくこちら側も絶好のコンディション
最初のピアノで奏される繰り返しのテーマも
生はやはり録音のものより豊にタップリと聞こえる
出だしの音でその演奏家の力量が分かったしまう
みたいなところがあるけれど
批判的に聴くよりは楽しく聴きたいので
多少のことには目を瞑ることにした
演奏されるメロディーを頭で追ったり
先走ったり
耳で聴くというよりは頭と体で聴いている
予想もしなかったが
最初の方のピアノとの掛け合いのあたりで
少しうるっとしてしまった
本当にいつも思うのだけれど
このシャコンヌは何回もテーマが繰り返される
上での変奏曲なのだが
この変奏曲という形式が全然気づかない
むしろ感情の流れに身を任せているみたい
そしてその上での幻想
バッハのシャコンヌも幻想感たっぷりで深いが
それは変奏曲と言う範囲を超えていない感じがする
この日の演奏者は青木恵音(あおきあやね)という
男性の若いヴァイオリニストと
同じく若い女性のピアニスト織田麻祐子(おだまゆこ)
この若いというところがこの曲のトータルの印象を決めていたように思う
つまり一気呵成の感じ
エネルギーと生命力に満ちて
本当なら中間部の部分でもう少し力を抜いていけば
かえって曲全体の印象として
メリハリもつきそうな気がしたけれど
これは多分年令を重ねるしか、そんな演奏できないだろうし
その解釈がいいとは必ずしも言えないから
今日は今日の時点での良さということになるのかもしれない
しかし、それでも若さはいいな
多少の傷は勢いで何とかなってしまいそう
青木恵音氏は途中でこの演奏しているヴィターリのシャコンヌが
本当に好きなんだな!と思ったりした
解釈よりは共感
これがまた人の共感を生むことになりそう
ということで、今日のコンサートは1000円分の元は充分にとった感じ