パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

誰もが悪い事をしてしまう可能性がある!

2007年10月30日 20時44分00秒 | Weblog
後から後から出てくる食品表示の偽装
この分では、どこでもやってると考えても
あながちハズレではないだろう(残念だが)

しかし、これを簡単に、犯した人が悪いと
言いにくいのも現実だ
なぜなら先日の新聞にも出ていたが
ある赤福の社員(従業員)は判っていたが、なかなか止めるようには
口に出せなかったと言う
口に出せば辞めさせられたり、その他の仕事上の不利益を
被るようになると思ったらしい
外から客観的に見れば、それでも悪いものは悪いと言えそうだが
当事者になればそう簡単に物事は進んでいかないだろう

いつも思う事なのだが、
マスコミも、対岸の観客として事件を眺める庶民も
悪い事をした人間は特別で、自分たちとは違う人種と思っているらしいが
じつは環境、状況がその立場になってしまえば
誰もが容易に染まって変ってしまう可能性を充分に持っていることを
忘れているのだ(そのように感じる想像力が欠如している)

つまり人間は自分らが思う程、強くはいられない事が多い
たまたま自分が当事者でないだけかもしれない

だからと言って罪を犯した人を甘く見るというのではない
ただ誰もが悪い事を起こす可能性が近くに
いくらでもあるという事を忘れてはいけないという事だ

一番いいのは、罰則の強化より
悪い事を起こしそうな環境を
なるべく作らないようにする事ではないのか
それこそ想像力を働かして
無理のない社会をつくらなければならないと思うのだが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

借りを返さないで平気な人物?

2007年10月29日 20時36分24秒 | Weblog
防衛省の守屋武昌・前事務次官が軍需専門商社「山田洋行」の元専務から
ゴルフや飲食など多額の接待を受けていた問題で、
衆院テロ対策特別委員会は、守屋氏の証人喚問を行った。

当たり前と言えば当たり前の答えが返ってくる
接待を受けた事実は認めたし、立場上すべきでなかった!
までは認めているが
便宜供与はしていないとの発言だ。
(常識的に言って正直に言うはずがないが)

しかし、素朴な問いとして
「あなたはそれだけの金額をかけた接待を受けて
 人として平気で無視していられたのですか?」

仮に便宜供与していないとしたら
膨大な接待を行った専務は単なる無駄な接待を続けていた事に
なるけれど、彼はそれで耐えられると思いますか?

つまり、最初の問いで平気でいられたと答えなければ
自分の犯罪を認める事になるから
そんな風に答えざるを得ないが
貸しも借りも感じない、鈍感な人は
人として、仲間として信用できないのが普通だから
「私は実はもの凄い恩知らずのひどい人間です」
と言っている様なものだ
(もっともそんな風に思われるくらいは平気なんだろうが)

それにしても官僚の腐敗ぶりはすさまじい
たしかに庶民の官僚を見る目は、ねたみや嫉妬が
入り交じって、公平だったり正確でないかもしれない
しかし、間違いなく言えそうな事は
彼らが当然と思っている事や、最優先に思う事が
一般庶民とはかけ離れているという事

そういえば政治屋さんも
我々庶民とは違う感覚の持ち主のようだ
となれば必然的に我々のためになる事をしてもらえない?

全く困ったものだ!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シャボン玉

2007年10月27日 19時00分07秒 | Weblog
「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する
  亀山郁夫著  光文社新書
現在同時進行で読み進めている中の一冊

なるほど単なる空想とはいえないくらいの確実さをもって
論旨を進めていっているが
強く感じたのは、内容うんぬんよりも
一人の人間が一つの事に真剣に取り組むと
それが実生活に役立つ、たたないに関係なく
人を感動させるまでにいたるという事

友達の中にも一つの事をコツコツと続けている人間がいるが
若いときはそんなに大差ない感覚や考え方をしていたのだが
現在では彼が取り組んでいる分野には
洞察力、観察力など大変な差になっている
そして、どこか羨ましい感じを覚えないでもない
(もっともこちらが取り組んでいる分野では
 彼にとっても同じ事かもしれないが)

そこで思い出したのがヘッセの詩

    シャボン玉

長い長い年月の研究と思想の中から
おそくなって一老人が晩年の著作を
蒸留させる。そのもつれたつるの中に
彼は戯れつつ甘い知恵を紡ぎこんだ。

あふれる情熱に駆られて、一人の熱心な学生が
功名心に燃え、図書館や文庫を
しきりとあさりまわって
天才的な深さのこもった青春の著作を編んだ。

ひとりの少年が腰かけて、わらの中に吹き込む。
彼は色美しいシャボンのあわに息を満たす。
あわの一つ一つがきらびやかに賛美歌のようにたたえる。
少年はありたけをこめて吹く。

老人も少年も学生も三人とも、
現世の幻のあわの中から
不思議な夢をつくる。それ自体は無価値だが
その中で、永遠の光がほほえみつつ
みずからを知り、ひとしおたのしげに燃え立つ。

    高橋健二 訳

なぜか昔からこの詩は好きだった
ところで
デミアン、シッダールタ、荒野の狼、ガラス玉演技
ロマンチックな叙情的だけではないヘッセは
そのやさしい深さゆえに、再評価されていい作家だと思うのだが

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無理は継続できない!

2007年10月25日 21時48分48秒 | Weblog
別に肩を持つわけではないが、比内地鶏の偽装の事件で
担当者は「だますつもりはなかった、ただ必死だった」
と口にしたが、それはもしかして、これからも現れるかもしれない
企業人の代弁の一部かもしれない

始めからだますつもり、楽して儲けようとするものは論外だが
現在ではかなりの部分で無理をしなければやっていけない状況の
企業は多く存在するだろう

まずは価格ありきで納入価格がきっちり下げられていて
しかも、製品の質(原材料の質)納期までもが
タイトな契約となっている

しかし、それは果たして持続可能な事なのだろうか?
人間は弱いから、始めのうちはいっぱいいっぱいで頑張る事ができても
そのうちにどこか手を抜く誘惑からは逃れがたい
普通にやってそれなりの利益が出るならまだしも
やってもやっても利益が出ないし、ただしんどいだけなら
普通の人間なら折れてしまう可能性は充分に考えられる

発注側の企業は生産側の事情は関係なしに市場価値だけで
物事を進めようとするが
実際の所、「そちらの努力でクリアしてください」と言ってしまうには
あまりにも過酷な条件提示が多いのではないか?

もうそろそろ人々は判るべきなのかもしれない
いや理解すべきなのだ
かかるものはかかると!
いい材料を使い、良い品質なものは、それなりの価格は必要とするのだ
そして消費者は、真にその価値を見極める力を持つ事こそが大事なのではないのか

メーカー、販売会社は無闇矢鱈と安いだけの
(結局誰かを徹底的に犠牲にする様な)
商品、製品は作るべきではないのだ
そして販売戦略上においても誰が考えても不自然に思えるようなことは
すべきではないのだ
例えば携帯電話の0円、
どんな理屈があろうともただで電話がつくれるはずがなく
結局は妙な所で搾取される人たちがいるだけなのだ

理屈で納得しても、気持ちの上で疑問の気持ちが残るものは
案外人として正しい判断をしているのかもしれない

今の世の中が変だという人は多い
そしてこの声は日増しに多くなってきている
経済人や働きにいっているお父さんだけでなく
一般の主婦たちにもそのように感じている
だが残念ながらそこから抜け出す方法が判らないのが現実だ
しかし、やっぱり一歩づつしか手はないのかもしれない
変なものは変、
無理なものは無理、
そして人を慮る
こうした気持ちを持ち続けるしか庶民にできる事はないのだろう

それにしても、この問題の根は深い
できる事から始めるしかないだろうが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今時の若いもんは、、、

2007年10月24日 21時51分40秒 | Weblog
本当か嘘かは知らないが、ナポレオンがエジプトから持ち帰った
ロゼッタストーンには解読してみると
「今の若いもんは、、、、」
などと不平不満が書かれていたそうだ
どうやらこの言葉は時、所を選ばず使われるようだ
ましてアルコールが入ったときなどは
話のつまみとして俎上にあげられる

そこでアルコールは入っていないが
自分も若い人たちに少しの愚痴と不安を、、、

先日の新聞によると20代の海外旅行熱は
以前と比べて盛り上がっていないらしく
ここ数年は男女とも減少傾向だとか!

それは既に子供の頃に両親と海外を経験していたり
その際言葉が通じなかったり、トラブルがあったりして
あまりよい経験ではなかった事が
国内の便利で安全、快適な旅行と比べて
気が進まない要因になっていると解説にあった

しかしなあ、若いのにそんなに内向きでいいのだろうか?
困難や不便、危険などよりも抑えきれない好奇心の方が
大きいのが若いという事ではないのかな(と思ってしまう)


好奇心の欠如というか、物事に関する関心が全て希薄な気がしてならない
最近は男の関心の定番と言われた車も関心の外になっているらしい
(自分らのときは第一関心事とまではいかなくてもウェイトは高かった)
スポーツカーにも憧れなどという感情はないらしく
また酒などの消費量も減少気味だとか!

とすると若者は何に金を使っているのだろうか?
若者には金などない!
しかし、それは自分らの時もそうだったが
無茶なレベルで酒を飲んだり馬鹿をしたり
欲しいものはあった

しかし、今の若者に感じるのはエネルギー(パッション)の欠如だ
あまりにも流されすぎている気がしてならない

朝日ジャーナルを格好づけに持参したり
ニーチェ、マルクスを語ったり
プライドだけは高かった様な自分らの若い時期と比べて
今の子らは、冷静でそつがなく、場の空気を読むのに長けているかもしれない
しかし、人としてのポテンシャルが、、、、

やっぱり歳とったせいで説教じみてきてしまう
だが不安だな!
このまま若い人たちがいってしまうと
何か違っている様な気がするのだが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書の秋なんだけれど!

2007年10月23日 20時48分30秒 | Weblog
確かに何故だか(明らかに夏よりは)
本を読みたくなってきているのがこの季節
そこで書店を覗いたのだが、
フト最近の自分の読んでいる本の傾向を振り返ってみると
案外読み飛ばしてしまえる様なものが多いのに気づく

新書は普段自分の思っている事の
確認作業みたいなものを選んでいるし
小説はミステリーや時代劇もので
つまりエンターテインメントに流れてしまっている

思えば若い頃は、小説は時間つぶしの楽しむというよりは
悩むため、苦しむため、考えるために読んだ気さえする
ドストエフスキー、ヘッセ、ゲーテ、キエルケゴール、
福永武彦、高橋和己、遠藤周作、北杜夫、辻邦生、加賀乙彦、夏目漱石
それらはその時点で理解できたかどうかはさておき
少なくとも今よりは身になっている気がする
それは感受性の上でも読書体力があったのかもしれない
科学系の分野でも
精神分析入門、自然界における左と右、不思議な数eの物語
ゾウの時間ねずみの時間などは刺激に満ちて面白かった

しかし、最近のベストセラーを眺めると
少し心配になってしまう
若い人、大丈夫かな?
全身全霊でもって本と対峙する様な経験を持たないと
この国では通用しても
外では通用しない様な気がするのだが、、、

自分の事に戻って
音楽も本も、この年齢になってしまったら
もはや魂を揺さぶられる様なものとの出会いはないのだろうか
それが少し残念だ!




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラームスは女っぽい?

2007年10月22日 22時53分08秒 | Weblog
秋の夜長 ふさわしいものは読書と
何故かブラームスの音楽がある
クラリネット五重奏やソナタ
交響曲も4番などや
弦楽六重奏一番、ヴァイオリンソナタなどは
秋こそ聞くにふさわしいように思えてならない

ところで、よく思う事なのだが
ブラームスは音楽の作り方が構成的にしっかりしているからと言って
音楽の教科書にあるように
男性的な音楽とは言えない様な気がする
いやむしろ女っぽい様な気がしてならない
(男っぽいとか女っぽいの定義もしっかりしていないのだが)
別に女っぽいことは否定的な意味あいではないのだが
とにかくメロディアスな叙情的な面の方が
ブラームスの根っこみたいな気がしてならない
(高校生の時は、ブラームスはウジウジしていて女っぽくて
 マーラーは大声で叫んで男っぽいみたいに思っていた)

彼と比べるとモーツアルトはさっぱりと男っぽい
バッハもベートーヴェンもそうだ
女っぽい可能性の高い(?)ショパンは
ナルチストっぽい人間だった様な気がする
だが後期のマズルカなんかはそんな事は忘れて
やっぱりたいした音楽家を全うしたように思える

こんなことはどうでもいい事なのだが
それでも自分の思う事は、
教科書は必ずしも自分の心の感じ方とは同じ事を書いているとは限らないし、
もしかして啓蒙の意味あいの解説書も
単に一つの考え方を紹介しているに過ぎず
そんなに自信を持って言い切れる類いのものではないので
音楽の聴き方を、こう感じるべきなどと
下手に方向性までも指示して
教育しない方がいいということだ
(この考え方も自分の思い込みに過ぎないのだが!)

しかし秋のブラームス
シックリくるのは何故なのだろう?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気が滅入る事が多すぎる!

2007年10月19日 22時10分57秒 | Weblog
ミートホープ
不二屋
赤福
白い恋人の件
名古屋コーチンの偽装
コムスン
生命保険の不払い問題
大手企業の派遣社員の違反などなど
いったいどれだけ出てくるのだろうか?

どの時代にもごまかしや嘘はある確率であったに違いない
しかし今程日常茶飯事に起きているのはやはり異常だ(と思いたい)

世の中が誤魔化さなければ儲からない社会になっているのか?
それとも犯罪を起こした人たちの人間性に問題があるのか?

ただ言えるのは社会が、人の心が
悲鳴を上げているように思えてならない事

だから、
その解消法として知らず知らず
よってたかっていじめる対象を探している?
(亀田、朝青龍など)

何かが変だ!
一人では何もできないかもしれないが
少なくとも変だと言い続ける事が
全ての始まりの様な気がするが
それとも、いったんひどい世に中になって
どうにもならなくなってしまわないと
再びよくなるなんて事はないのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本対エジプト戦

2007年10月17日 22時35分18秒 | Weblog
代表の今年最終戦
結果的には4-1の完勝
全くホームの試合内容だった
相手には主力になるメンバーが欠けていたり
ヨーロッパ組がいなかったらしいけれど
得点が入るまでの経過からすればそれでも
なかなか手強いように思えた
ひところのフランスのようにプレスをかけてくれば
ボールを回してかわして
隙ができるとゴリゴリと来られたらいやだったが
そのレベルのチームではなかったようだ

最初の大久保の得点
シュートは撃たなければ始まらない
を地でいった様なシーンだった
割合ゆっくりした軌道で大久保らしいというよりは
テクニシャンのそれだった
どちらかというと2点目のヘッドの方が彼らしかった
遠藤のセンタリングは素晴らしかった

3点目の前田は落ち着いてよいシュートだった
今日の得点は大久保が2点、前田が1点だったが
コンスタントに得点するのは前田の方が可能性がありそうだ
大久保は出会い頭のなんとかみたいに
まとめてとるかもしれないけれど
長いスランプ状態が続くタイプのように思えてならない

いつもは批判じみた印象を持つ加地だったが
今日はよかった
シュートのシーンも落ち着いて左足のインサイドで転がして
コースを狙った素晴らしいゴールだった

ゲームはこうして完勝した?にもかかわらず
全体で勝った様な気がしないのも事実だ
山岸 スタメンの時点で?だったがゲームに参加していた?

そして阿部
ピッチ全体をみられる立場なら違った印象を持ったかもしれないが
どうも存在感が薄い
これで闘莉王が入ってきたらどうなるのだろう
最終ラインは基本的には専門家ではないので
1対1の状況になった時に不安が残るし
ボランチには稲本、中村憲、(鈴木は確定なので)
と競い合うのだろうか

それと最終ライン
中沢、闘莉王が怪我をしたときなどのバックアップはどうするのだろう

それにしても日本人は軽やかに動くけれど、その分強さに欠ける
審判が接触プレーにおおらかであったら
倒れるのは日本人ばかり、、、になってしまいそうだ
もっともこれは一朝一夕に解決できる問題ではないが
この国の問題として考えていかなければならない点だろう

話は変わって、所々ダイレクトパスが続いて
観客を沸かせたシーンが数回あったが
このダイレクトのシーン
スペインの連中のやるのと比べると、まだ余裕がないように見える
ただ惰性でやってるところがあって
彼らの丁寧さや必然性からはまだまだ距離がありそうだ

それにしても、親善マッチはもっとスリリングな状況の
マッチメークをしないと厳しい試合には役立たないように思えるのだが、、、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みてござる

2007年10月15日 20時37分18秒 | Weblog
知り合いが最近リフォームをして
きれいになった部屋の壁に、
墨文字で「みてござる」の額装したものを飾りたいと話していた

なんでも実家の仏壇の近くに「みてござる」の文字が飾ってあって
子供の頃からずっと見ていたし、
それがいろんな場面で思い出されたりして
一種のブレーキの作用をしていて
結果的によかったから、今の家にも飾ろうという事らしい

考えてみると、昔はよく誰彼となく
「お天道様が見ている」と言われたものだった
だから悪い事や恥ずかしい事をしてはいけない
という事なのだが
その理由を問う事もなく、素直にそういうものだと
受け入れていた

ところが今は、、、
バレなければ、いや、たとえ見られていたも
捕まったりしなければ何でもやってしまう人が多くなっている

これは犯罪人だけでなく、政治屋さんしかり

日本人は強固な宗教的なモラルが欠如しているが
かわりに皆がおおらかに認めていた
「お天道様が見ている」「みてござる」が
人々の暴走を止めていたのに、、、、

自らにブレーキをかけられない国民
他人の不幸や不公平に関心を持てない様な国民
いったいいつからそんな風になってしまったのだろう、この国は
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする