パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

外国人が演出の日本人は、外国人みたい

2007年05月30日 20時50分42秒 | Weblog
07年ミス・ユニバース・コンテストで日本代表の森理世さんが優勝!
と出ていたのが昨日の夕刊と今日の朝刊
鮮明でない新聞の写真を見て、たいがいの人は
「日本人じゃないみたい」(外国人みたい)と感じたのではないだろうか
実際、今朝も職場ではそんな声が上がっていた

好き嫌いは別として、コンテストを運営する立場の人や審査員は
あのような顔、雰囲気を好ましく思うのではないのだろうか

外国人の日本、日本人に対する印象は、日本人が思っているより
もっと中国人ぽい気がする
映画「SAYURI」での化粧、家の調度などは
日本というより中国みたい?だったし
宇多田ヒカルのアメリカ発売のCDのジャケット写真は
やはり中国人ぽい気がした
(もっとも、この中国人ぽいという感覚も、中国人からすれば違うと言われそうだが)
しかし、それを意図的にやっているかと言えば、
そうではなくて、彼らには本当にそのように見えているのに違いない

見ているものが同じでも、同じように見えるとか感じるという事はわからないのだ
青い目の瞳は黒い目の人間とは色の感じ方も違うだろう
色の感じ方が変われば物のとらえ方だって変る
結局、どのように見えているかは
写実的に再現された物で判断するしかないのだろう

いずれにしても、話は変わるけれど
欧米諸国には日本は決して特別な存在ではなく
アジアの中の一員(の文化、顔つき)としか
認識されていないのではないか
そして、それは悪い事ではないように思える
悪いのは、他との比較もせずに、日本は特別と思いたがっている日本人がいて
弱い立場の人々(他のアジア人など)を馬鹿にしてしまう事だ
強い者には下手に出て、弱い者にはえらそうにでる!
このような割と多くいそうな日本人が少なくなればいいのだが!
あれれ!今日は話がエラク飛んでしまった!
ん、いつもの事かな?
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必要な才能とは

2007年05月29日 21時05分36秒 | Weblog
サッカーでも、野球でも、ゴルフでも
一番必要な才能とは何だろう、と考えると
現時点での自分の経験からすれば、それは
「努力しつづける、という才能」
といえるのではないかと思う
これはスポーツに限らないかもしれないが
成功するとは限らないにもかかわらず
努力し続ける、というのは容易な事ではない
この意味では、次に必要なのは
「夢見る力」かもしれない

若者には、(いずれ挫折するにしても)
この二つの才能を身につけてほしいものだ
(そして自分にも?)
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「ルール内なら何でもあり!」で、いいのか?

2007年05月28日 21時00分46秒 | Weblog
松岡農林水産相が自殺
しばらくはこの話題でテレビは持ち切りだろう
だが注目しなければいけないのは、その取り上げ方だ

死者をむち打つのは良くない、とか
追いつめられていた心情的な側面からばかりではダメだ
説明責任を彼が放棄したのだから
誰かがかわって調べて報告しなければダメだ
緑資源機構をめぐる入札談合事件とその関与
死んでしまえば「彼も侍だった」等と
的外れな馬鹿げた言葉を発した東京都知事
いろんな事が全ていい加減に進んでほしくない
これがきちんとできるかがマスコミの力量だったり
国民力だと思う

それにしても、法律解釈的には、なんら間違ったことをしていないから、と
平気で開き直るのは一般庶民の感覚と随分ずれている
法律範囲内なら何をやってもいいのか

この妙なずれは、昨日のサンデープロジェクトで見た
国に対して訴訟を起こした裁判の結果にも現れている
学問上は、とか理論上は、とか言われても
とても心情的、感情が納得できない事柄がある
勿論、感情的になりすぎては誤った判断をくだす危険性はあるにしても
少なくともドミニカ移民に対する国の詐欺や
満州国の残留孤児に対する国の無責任さは
法律的に判断するだけが正しい判断と言えるのだろうか
こんなのなら、落語や大岡越前などの御白砂での判断の方が
心に余裕があって、余程文化的だと思えてしまう
(実世界はそれほど単純ではないにしても)

自分らもこの国の一員だが
法に触れなければ何でもアリーのこの国を誇りに思ったり
美しいと思ったりできると言うのだろうか



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まずは走る事から

2007年05月26日 21時43分26秒 | Weblog
昨日の土砂降りもあがって、水はけの良いグランドで
今日は少年サッカーの練習日
相変わらずマイペースの1.2年生
言葉で言えばわかる、ということは全然ない
そして、たとえわかったとしても直ぐに忘れてしまう
この頃は少し慣れてきてカッカしなくなってきたけれど
時々、腹が立ってくる事がある
しかし、彼らの体内時間は自分らと全然違う速度で流れていて
自分らにとって短い時間でも長く感じるのだろう

さて練習を始めると、つくづく彼らは走るのが下手と思わざるをえない
腕は伸ばしたまま走るし、腿もあがっていない
試合をすると、夢中になってぶつかって転んだりすると
その転び方がこれまた下手だし、転ばないように踏ん張る力もない
最近は学校から帰ってから外で走り回って遊ぶ事がなくなり
ゲームばかりしているから運動神経が鍛えられないのだろう
だから、しばらくはまずは走る事に重きを置いた練習にしている
といっても単純に走るのはつまらないので
知らず知らず走るように工夫しているけれど

子供たちは今日習った事を、次の週にはしっかり忘れてしまっているので
また最初から始めなければならないが、それでも
初めて練習に来た頃と比べると随分進歩している
すばしっこさも、ボートを前に運ぶ能力も
後ろ向きに走ることも格好よくできるようになっている
しばらくは気長に構えていかなくては

今日もゲームのコートは無限大
ゴールは二つ置いたどちらかのコーンに当てるというもの
コートを決めてボールが出たらスローインから始めると言うのは
一人一人の走る距離が短くなってつまらないし
大きなゴールは容易に点が入ってしまうので
近くに行かなければ入らないような
小さなコーンのゴールは、ボールをとにかくゴールの近くまで運ぶということを
知らず知らず覚えさせるためだ
そして速攻になっても精一杯追いかければシュートミスを誘う事ができ
無駄走りが役立ったということを実感させる事ができる

それにしても、ボールをどこまでも追いかけて
どんどんゴールから離れてしまうくらい夢中になっている姿を見ると
彼らの頭はチンチンになって、おもしろくて仕方ない
と思っているのではないかと思われるが
なんだかそんな彼らが少しばかり羨ましい気もする

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漠然とした不安

2007年05月25日 21時13分31秒 | Weblog
先日30代の人と話していた時の事
彼は一般的には大手と言われる企業に勤めているのだが
「この先どうなるか不安です」
と、自分の置かれている状況をもとにこぼした
聞けば彼と同世代の連中もやはり同じ気持ちを持っているとか

確かにこの数年の変化は(特に経済的、社会的)もの凄くて
個人の努力の範囲を超えてしまったところで動いていて、
われわれは大きな波の中の小さな船の存在でしかないようだ
(毎日暮らしていると判らなくても、振り返ってみると
  その変化の大きさに驚くだろう)

彼の上司に当たる人物、会社の経営を司る人物は
定年間近の人はもう何事もしようとしないだろう
彼らは滑り込みセーフでリタイアできる
しかし、まだ10年を残して働かなければならない連中は
自分のためにも何かしなければならない
だから、企業の進むべき方向を決めるのは
そうした時間を費やさなければならない人たちに
任せるべきだろう
不安なのは誰も同じ!
しかし、だからといって何もしないリスクは
何かして失敗するリスクより多いのではないのか
と考えて進むべきなのだろう
だが、年配者は若者に決定権を与えるだろうか?

おそらく、この国の多くの会社は
やっぱり老人が仕切っていくのではないのだろうか
会社だけでなく社会も政治も
それは若者が迫力がなくてだらしないから?
それとも老人がいつまでも権力を持っているから?

漠然とした不安、閉塞感
こうした抽象的な感覚は政治家に実感できているのだろうか?
少なくとも政治家には我々と同じような感じ方をするところも
持ってほしいものだ
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アジアCL:浦和VSシドニーFC

2007年05月23日 22時16分31秒 | Weblog
アジアCL:浦和0?0シドニーFC
この結果で決勝トーナメントにいく事になったっけれど
レッズは内容的には今イチかな
内容よりも結果の試合なので、その点では良かったのだろうが
このままではとても勝ち抜けそうにない

相手方の精度の悪いシュートに助けられたが
レッズも攻めきる事が出来ない
先週のグランパス戦は、まあまあの内容だったのに
今日は疲れが残っているせいか
出足が遅いしミスが多かった

シドニーのシンプルな攻撃、サッカーは
身体の大きな上にフィジカルの強いこともあいまって
予想以上にやり難そうだ
Jリーグでは外国人と戦う事があっても数人の事なのだが
こうして外国ののチームと戦う場合は、皆がみんな外人なので
1対1で対峙する時も、脚の長さ、ふところの深さ、身体の強さなどは
経験外の事で、慣れるまでは実際には時間がかかるだろう

それにしても幾ら決定力があっても
得点源がワシントンだけではレッズはキツいかな
ポンテは相変わらず持ちすぎたりしてるし
(今日はみんな持つ時間が長かった)
鈴木は昨年のパフォーマンスを実現できていないみたい

ところで毎度の事ながら、レッズのサポーターは大したものだ
12番目の選手とはこのことを言うのだろう
時にやり過ぎの傾向も有るけれど
あんなに「オラがチーム」を応援できるのは羨ましい限りだ
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目の前に、困った(弱った)人がいたのに、、、

2007年05月22日 20時50分29秒 | Weblog
今更何を、といった類いの事かもしれないが
先日の長久手の立て籠り事件
当初のラジオのニュースを聞いてよくわからな事があった

警官が撃たれました
負傷者の娘、息子は病院に運ばれて命の別状はないようです
そんな内容だったけれど、警官がまさか撃たれたまま横たわっているとは
想像できなかったので、負傷者の二人は大丈夫と言われた時には
数字があわない、と思ったのだった

変だな!と思ったのは数字があわないからではなく
負傷している警官が長い間そのままにされていた事
助けにいかないのだろうか?
それが第一感だった
勿論、危険が伴う事だったろう
実際その行為の際に犠牲者が出てしまったが
それでも、違和感を感じざるを得なかったのはそのことだ

なんだかな!
目の前に、実際に急を要する人がいるのに
いても立ってもいられない、ではなくて
平然としているみたいに思えてしまったのは
全く最近のこの国のメンタリティーを表わしているようで
とても気分が悪かった
(だからといってイラク派遣に賛成している訳ではない)
もっと単純に困った人がいれば、
見返りもなく助けてあげられるように
自然にできるようになれば、それこそが「美しい国」と言えると思うのだが
夢想家過ぎる事なのだろうか?


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レッズVSグランパス 2-1は順当な結果

2007年05月19日 20時58分36秒 | Weblog
前節のでき、内容、そして相性とホームからすれば
今日のレッズVSグランパスは、戦う前はグランパスが有利だと思っていた
少なくとも相性とか運は特別で、レッズはゲーム運びは悪くないのに
勝てない試合が繰り返されるかな、と思っていた

1年ぶりの豊田スタジアム
去年は確かヨンセンが残り少ない時間にヘッドで決勝点!
優勝を間近に控えたレッズを苦しめたのがグランパスだった

さて今日は?
結果からすれば順当なところに落ち着いたと言える
特に前半はグランパスは同点に持ち込んだけれど
更に点が取れる感じはしなかった
レッズのプレスが厳しい訳でもなく
何となくやられっ放し!みたいな流れで前半終了

後半は多少グランパスも攻め込んだものの
決定的なシーンまでは至らず、今日は引き分けか、と思った瞬間
ワシントンのゴール
本当にワシントンは凄い!
その少し前にGKと1対1に近い
決定的な得点チャンスを逃していたけれど
この時はきっちり落ち着いてシュートしていた

そこで決定力について思い当たった
グランパスも決めたのはヨンセンでしっかり落ち着いてつめて
確実にものにした
後半の杉本のシュートを大型ヴィジョンでみたが
トップスピードだから仕方ないけれどエラク力が入っていた
日本人はシュートのとき焦りすぎる、
ガンバの播戸も惜しいシュートが多い割に得点が少ないのは
結局そのせいではないのかな

全体的な印象は、久しぶりに実際のゲームだったので
分析的な事までは頭が回らなかった
しかし、多いに楽しんだのは事実だ
(隣にアジア系の連中がいてゴールの近くまでボールがいくと
信じられないくらい大きな、わけの分からない声を発していて
彼らの楽しみ方には負けたかもしれないが)

誰が良かった?
ワシントン?
でも今日は得点シーンだけ
ポンテ?
でも時々持ち過ぎの傾向が有るし柔軟性に欠けたりするし
相馬?
果敢に前にいくのは若さがあってよかったが、ちょっと孤立気味のところがあった
山田?
久しぶりに良かったんじゃないだろうか
去年みたいに仕掛ける場面が多くあったようだし
小野?
やればできるじゃないか!
省エネサッカーじゃなく、交通整理のサッカーでもなく、ゲームに絡むサッカー
ドリブルだって抜ききる事は出来なくても
細かいステップのそれは案外守る方も守り難いかも
それにしても部分部分は本当に柔らかくて上手い

本田
今イチ印象が薄い
もう少し運動量を上げないと!

最近、生で見る事が少なくなっていたが、やっぱり生はいい!
どうやら知らず知らずアジア系の人たちに劣らず
自分も大声を張り上げていたようだ
帰り道、喉が妙に痛かった
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他者への共感、まずはそれがスタートだ

2007年05月17日 21時13分38秒 | Weblog
先ほどNHKテレビの「クローズアップ現代」で
ワーキングプアの問題を取り上げていた
アメリカの話なのだが、現実にはネット難民の言葉が存在するように
日本でも馬鹿に出来ない現象になっている
この問題を取り上げるとき
テレビメディアに登場するような人々の多くは
ワーキングプアやネット難民になるのは、
その人にやる気、向上心が欠如しているから、努力が足りない等と
「上からもの申す」みたいな所が垣間見られる
確かに一部の人はそうかもしれない
しかし、そうでない人も確実に存在するだろう
努力する気さえ起きないような
いつまでも続く絶望的な毎日、、、

いつからなのだろう
同情とは言わないまでも、貧しい人に救いの手を差し伸べるとか
困っている人に何か手助けしよう、といった気持ちが社会に薄れてきたのは

社会は競争、自分の事は自分で責任を取るべき
勝ち抜かねばダメだ
そんな考え方もわからぬではない
しかし、思うのだが、強い立場の人は
つまり金銭的余裕のある人は、貧しい人にその富の一部を
分け与えるくらいの気分になれないのだろうか
一生懸命働いて稼いできたお金を、努力しない人に渡すなんて
理不尽で公平ではない、なんて言わずに
現に有るのだから手を差し伸べる
それでいいじゃないかと思ってしまう
(とは言うものの自分だって、小金を持ってしまえば惜しくて
 手放したくなくなってしまうかもしれない)

最近、世界の共通語が「金と暴力」になってきているが
そんなものに支配されるなんて悔しくないだろうか?
少なくとも自分は悔しい!

「金だけが全てじゃない!」は、いい歳になって
説得力のない発言かもしれないが自分はできるところまで
やせ我慢がしたいものだ

「立って半畳、寝て一畳」で表わされるように
人にとって必要なものは、実は大したものではないのかもしれない
そんなに欲張らなくても、、、
(だが、果てしない欲望が進歩に結びついた事実も有るのだから
 人間は難しい?)

いずれにしても、これらの社会の問題は
高みから見下し、評論するのではなく
まずは他者への共感、そして事実の認識から始まると思うのだが
もの申す人にハートフルな人物が現れるのを願わずにはいられない
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引用の引用

2007年05月15日 20時52分36秒 | Weblog
昔からずっと疑問に思っていた事がある
それはマズローの欲求段階説
よくマーケティングなどにも引用される事の多いこの仮説は
人間の欲求の段階は,生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の欲求
の段階を踏むと言うものだが
確かに自分が覚えているマズローの本では
「これらのヒエラルキーが存在し、時にはどういう訳か最高の自己実現が
突出する人物もいる」とあったような気がする
つまり、必ずしも時系列の何々が達成されたら次へ、ではなく
同時期に五つの欲求が存在し、その中で個人にとっての優先順位を争うと言うものだ
大雑把な点では時系列の変化で考えていいかもしれないが
マズローはそこまでは言ってなかったような気がする
(何しろ昔読んだだけなので自信ないが、何故だか時系列ではなかったような、、、)

さてこのマズローの欲求段階説
引用される時には、無条件に近い形で時系列での段階を踏むとしているが
引用をした人はマズローの原典を読んで引用したのだろうか
もしかして、引用の引用をしたのではないかと思ってしまう

この手も事は結構ありそうで
引用の引用が当たり前になって
本来の意味合いとは違うものが存在してやいないかと
少しばかり心配になったりしている
(と言って、どうなるものでもないけれど!)
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