パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

SNSは確かに凄いが

2024年11月30日 09時34分11秒 | あれこれ考えること

土曜日らしからぬ面倒くさい話

昨日、兵庫県知事の斎藤さんの支払った公約のスライド30万円の
成果物はどんなものだろう?見てみたい!と投稿したが
今の時代は凄いことにSNSのX(旧ツイッター)にそれが紹介されていた

それがこれ


表紙、裏表紙を含めて12枚 これが30万円
普通なのか、高いのか、安いのか、わからない、どうなんでしょう?

ところで、ビジュアル面とか内容を要約するのは制作側の技術だと思われるが
内容については、どのように決定したのだろうか
PR会社はビジュアルとかわかりやすく紹介することに長けていても
政策とかそれに伴う細かい数字などは理解しているのだろうか
普通に考えると、それらは依頼主の方から提示されたものと考えうる

先日の代理人弁護士の記者会見でもそうだが、彼の語ったことは
クライアントである斎藤氏の言い分を代理人として語ったということで
代理人弁護士はPR会社の社長の訂正前の投稿内容は知らないでいた
問題は訂正前の内容が問題ありとされていたのだが、代理人弁護士は
その訂正前のものではなく、クライアントから教えられた訂正後の内容で
記者会見をしていた
だから途中で訂正前投稿を知っているか?と記者から問われた時には
わからないと答え、訂正前の投稿コピーを記者から手渡されるようなことがあった

とことで、斎藤さんに否定的な陣営のXで問題視されているのが
このスライドの3枚目 県政改革としての実績のページ



ここではシンプルな「達成率」ではなく「達成・着手率」と非常に紛らわしい表現がなされている
あわてんぼうは公約の達成率と勘違いしそうだが、正確にチェックした機関の公約の達成率では
30%弱だったそうだ

そもそも公約の達成率というものは判定しにくく、予算措置を取れば〇〇%、
機関をつくれば〇〇%、1回でも会議を行えば〇〇%と計算されたものの
合計と聞いたことがある
だから達成率と実感としても数字は異なる印象を持つことも多いようだ

この一部では批判のある広報の数字は、斎藤さんのチェックのもとで表に出されている
問題はそれが適切な行為だったのか?ということになる
曖昧な表現でどちらとも取れる説明をする
これは今回でも多く見られることのような印象がある
これらは法的にどうのということでなく、道義的、倫理的にどうかという問題だ

ところで、斎藤さんが支払った15万円のチラシデザインの裏面はこんなものらしい

印刷費込ではなくデザイン料がその数字だ
成果物としての実態はこれと言うことで、高い安いは人はどう思うのだろう

ところで、PR会社の得意分野はSNS戦略なのに
(広島県でその分野の仕事を受け持っている)
今回はSNSではなく、なぜポスター等のビジュアル面だけなのだろう
という疑問が湧くが、これは何人か疑問を呈している

話は変わるが、自分はX(旧ツイッター)で情報収集をしている
そこで奇妙なことに気がついた
それは反斎藤さんの投稿は夜中にかけて多く
斎藤さん支持は日中に多いということだ

夜中に多いのは日中は仕事をしているからで、時間に余裕のでた夜に
一気に投稿されているからと思われる
すると日中に多いのは何故か?となるが
こうした傾向が以前に見られたことがあった
それはDAPPIのアカウント名で安倍さんを批判する人に対して
結構名誉毀損となりそうな投稿を続けていた人がいた事件

これは裁判ざたになって、調べていくとDAPPIの投稿は会社として
行っていたと判明された
(DAPPIの投稿は一般的な就業時間内に圧倒的に多かった)
今回もそうだとは言えないとしても、なんか不思議な感じ

あと気になったことは、オールドメディアとされるテレビが
PR会社の選挙違反の疑いを報じたと思ったら
代理弁護人の記者会見以後一気に大人しくなってしまったこと
なんか、不思議




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2つのニュースが気になった

2024年11月29日 09時51分03秒 | あれこれ考えること

2つのニュースが気になった
ひとつはオーストラリアでは16歳未満はSNSの禁止が決定されるという件
もう一つはN党(立花孝志代表)の訴えを裁判所が棄却して2回でスピード結審したこと

前者はリテラシーのない若い世代のSNS利用は以前から不安視されていたが
今回はそれを補うものとなったということで、他の世界にも広がるかもしれない

後者は「N党は反社会カルト集団」と論評した人物に対して立花氏が名誉毀損で
裁判に訴えた裁判で、判決文は負けた方にかなりきつめの表現がみられる
「原告代表者(立花氏)は被害者のある犯罪行為や不法行為を繰り返してきたのみならず
本件副党首とともに支持者に対して自らに批判的な言動を行う被告または第三者への
迷惑行為を促し、テロや虐殺行為をも辞さないかのような発言すら行っていた事実が認められる」

事実認定はこのようなものだから、N党は反社会カルト集団」と論評されても
名誉毀損に当たらないというわけだ

この後者の判決は大きいと思われる
この事実が世間に広まれば、立花氏のざまざまな発言は一旦は疑ってみることが
自然と行われるのではないだろうか

先日の兵庫県知事選のSNSの効果については、問題になっているPR会社のSNSよりも
立花氏の勝手に暴露と騒いでいたYoutubeの方に影響を受けたとする調査がある
なぜ、あんな人の言う事を信じてしまうのか?
というのは個人的には謎のままだが、とりあえずこうした結論が出て
彼の言い分は眉唾と認識する人が多くなることを期待したい

ところでこの話とは離れるが、不意に思いついた疑問
斎藤元彦氏が支払った71万5000円内容は以下の通りだが

▽公約のスライド制作が30万円
▽チラシのデザイン制作が15万円
▽メインビジュアルの企画・制作が10万円
▽ポスターデザイン制作が5万円
▽選挙公報デザイン制作が5万円

この中の公約のスライド制作というの実態としてどんなものなのだろう?
それを見て、そうか30万円かと思えるかどうかを自身で納得してみたい

このデザイン費用の金額は選挙の公費補助に当たらないに当たらないので
ポスター印刷費とは別に扱っているらしい
となると印刷会社にはデータとして提供して提供したのだろうか

この方法は一般的な選挙ポスターの発注方法とは違っているようだ
普通はデザイン会社にデザインと印刷を依頼して、あとで公費負担で
選管から支払ってもらうというのが多いようだ
デザイン料と印刷費を分けたのは一見誠実なようだが、公費負担に該当しない
契約だから口頭契約で支払ったというのは疑われても仕方ない
つまりはあの支払い明細の中には別の意味合いがあったかもしれない
とするのは意地悪い想像に過ぎないのだろうか
(だからこそ公約のスライドがどんなものか知りたいと思う)

あと気になるのは斎藤さんに敗れた稲村さんのSNSのアカウントが
停止されたのは、どのような過程と原因でそうなったのか注目してみたい
メディアはこれをその後、報じるだろうか(少し不安)








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予想した通りの展開だった

2024年11月28日 11時56分54秒 | あれこれ考えること

またまた兵庫県の知事選絡みの話
県外の住民なのでちょいとしつこいかもしれないが
裁判も経験した身としては気になるのでまとめてみた

昨日の斎藤知事の代理人弁護士の記者会見は途中まで見た
だから不正確な部分もあるかもしれないが、感じたことを
最初に感じたことは「こう来るだろうな!」という感覚
テレビ等で疑惑が報じられていることへの反論がそれだ

代理人弁護士は巷の噂やその根拠となる理屈を報道で知っているので
それに対処すべく理屈を探す
(それは議会における通告を受けているようなもので答えを探す時間がある)
その一つは県の事業の委員になっている人が選挙活動に手伝っているのは
違反ではないか?と言う理屈に対する答えで
PR会社の社長の彼女は会議に出席した対価としてのお金を受け取っているだけで
特別な利益を生じるような仕事は請け負っていないから、違反とはならないと言う説明
これはテレビでも数人の人が口にしていたが、そう来るだろうなは想像できた

違和感を持ちやすい口頭契約は、200万円までは書面の契約書をかわさなくても良い
とする条例(?)があるのでなんら違法行為ではないとする話も
斎藤氏を守る理屈の一つになっている(代理人弁護士はこの件は話していないかも)

ただし、一番の肝はPR会社の選挙時における行動は「ボランティア」だったとするところで
これを否定されてしまうと斎藤さんの立場は一気に危ういものになる
だからここは戦う方法論として、絶対譲らないと思われるし実際にそう主張していた

ボランティアだったのか仕事だったのかを決めるのは、契約がどうだったのか?
となるが契約書が無いからわからない
すると実態はどうなのか?となりそうだが
PR会社の社長のネット上の投稿には信頼できる4人と運営していたと書かれている
つまりは意識として仕事として行っている可能性があり
部下には給与が支払われていると思われる

またこの問題で盛り上がっている反斎藤さんのSNSの凄いところに
斎藤さんのツイッター(公式アカウント)の投稿には別の人物(PR会社の社長)が
投稿した証拠も紹介されている
これは実態的には主体的に行っている証拠ではないかと言う理屈だ
それから、投稿のスマホの機種は斎藤さんはアンドロイドと思われるが
(機種を問われた斎藤さんは答えなかった)
選挙中はi-phoneで行われている
i-phoneも所有者は動画の映像等からPR会社の社長の可能性がある
(でもそれはボランティア)

つまりはどんなに手伝ってもらえても、ボランティアと言い切るしか
手はないと思われる
だが代理人弁護士はSNS投稿の方法とか手順とか実態とかには
あまり詳しくなさそうで、法律文の解釈には長けていても
細かな問にはあたふたところがあったらしい(見ていなかった部分で)

ところでSNSの費用というのは一般的にどのくらいかかるのだろうか?
無料の手伝い(ボランティア)で済まさるようなものだろうか?
と思っていたら、このPR会社の社長が広島県のSNSの仕事を入札で
受注した例がアップされていた
それがこれ

税込みで1300万円ほどでなかなかの金額だ
これはどの程度の内容の仕事か、期間がどのくらいかはわからないが
こうした作業は結構お金がかかるようだ
(手間のかかる仕事をボランティア扱いでは悲しいだろうな)

確かに黙っていればいいものをさらけ出してしまったPR会社の社長は不用意すぎる
だが、成功裏に終わった試みを知ってもらいたいという気持ちもわからないではない
そしてそれで次の契約に結びつくと勘違いした気持ちもありそうな気もする

だが今回の問題は、ボランティアと言い切ってしまえる契約書がない事実
実態はボランティアではなさそう、、と思えるいくつかの状況
これらの戦いは、どちらが社会的に勝利を得るかとても気になる

物事はつくづく「ああ言えばこう言う」世界だと思う
願わくば、多くの人の心にストンとおちる結果になるといいのだが



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弁護士の役割と心の持ち方は、どうなのだろう?

2024年11月27日 10時21分25秒 | あれこれ考えること

「寛容は自らを守るために寛容であるべきか」
古くから存在する問のようだが、わかりやすい例を挙げれば
表現の自由を保証する制度は、それを守るためにヘイトスピートなどの
表現の自由にもおおらかであるべきか?
と言い換えることができるかもしれない

そんなのは程度の問題で、一般論で決めることではなく
その都度その都度、常識の範囲内で考えれば良いと思うが
世の中はそうは簡単にいかないようだ
(悪質なヘイトスピーチは制限されるべきと思う)

そんなことをぼんやりと考えていたら、兵庫県の知事選を巡り
斎藤知事は記者の問いに「弁護士と代理人が考えていますので」
と答えて自らの口からは具体的には答えなかったことが気になった
おそらく知事側の弁護士が齋藤氏とかPR会社の社長に
「不用意な発言はしないように」と思われるアドバイスがあったからと思われる

ところで考えてみると弁護士というのは奇妙な職業だ
弁護士というのはクライアントの利益を守るための専門の技術者だ
彼らは仕事を受注した時点でクライアントの利益の確保が至上命題となる
言葉の戦いにおいて不利となる発言は黙秘権という概念で守られる
それは最大限に活用できるから、今では自白というようなものには期待できない

そのかわり具体的な証拠によって判断がくだされることになるが
ここでも物事の定義とか証拠の解釈などで、素人が入る余地のないような
論戦がかわされる
しかし、こういった場合は弁護士はどう考えるのだろう?と気になった

それは弁護士がクライアントから詳細な説明を聞いて
自分では納得できない部分がある(怪しい)と感じた時は
どのような姿勢で向かうのか?という点だ
弁護士の役割は真実の追求ではなく、クライアントの利益を守ることだから
プロの仕事としてその役割をいろんな方法(考え方、解釈)を使って戦うことになる
その時、彼らはそもそもクライアントは客観的に怪しいと思うことすら
できないとか、しようとしないのだろうか

ところで集合知の凄さ(SNSの情報から)をまた感じることがあった
それは斎藤さんのSNS投稿は最初はアンドロイド携帯から
期間中はIOS(つまりiphoneから)そして当選後は再びアンドロイド携帯
になっていることがわかったと言う内容で(斎藤さんはアンドロイド携帯らしい)
今では投稿のOSが分かる方法があるらしい
ここからわかることは、SNS投稿はiphone使用者が頻繁に行っていたということだ
それをどのように解釈するか(主体的か否か)はいろいろあるだろうが
一つの事実としてこれがある

またポスター等の契約書はなく、口頭で行ったとニュースにはあったが
あるSNS投稿にこんなのがあった

立候補に必要な書類の一つに「選挙運動用ポスター作成契約書」があります。
これはポスターの公費助成を受けるために必要な書類で、必ず提出されるものです。

そういうことなら、契約書がないとするのは少し変だなとなる
ところで71万5000円の制作費は、印刷費は含まれているのかいないのか?
はどっちなのだろう
含まれていないとするなら、ちょいと高めと思う人もいるようだ
このあたりはメディアは「含まれている、いない」
をちゃんと調べて報道してほしい

と言うことで、人間社会の出来事を人間が良し悪しを判断するのは難しいな
と思うこの頃
昔も同じようなものだったのだろうか?

※少しSNSを見ていたら印刷代は別らしい
 ただポスターの印刷代は公費負担の対象となるが
 デザインは公費負担対象にならないとあった
 公費負担を受けないから契約書はなくても問題はないということだが
   そんなものかな?






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「自由からの逃走」と「大審問官」が頭に浮かんだ

2024年11月26日 09時59分37秒 | あれこれ考えること

オールドメディアは情報を一方的に流しているが
SNSはコメント欄に変なことを書くと炎上し
両論が併記されるから公平で信じられるという人がいる

でもそうかな?
SNSあるいはYoutubeで広がりやすい情報というものを
再生回数の数で測ってみると、そこにはある種の特徴がある
それは逆張りとか刺激的な内容を想像させるタイトルとか内容になっている
先日の兵庫知事選では立花氏のYoutubeはあっという間に何十万回の再生数になっていた

香川1区でボランティアで勝手に小川さんの動画をアップしている人の再生回数は
そんなに多くない
もう少し見てくれる人がいればいいのに!
と思いながらも、こうした数字は現実なんだろうなとも思う

動画の内容の魅力度が違いがその再生回数の違いになっているかもしれないとしても
再生回数の多い動画の中身にはちょいと違和感を覚える物が少なくない

今回の騒ぎの中で自分が不思議に思うのは、都知事選でポスター掲示板で
とんでもないことをしでかした人物(立花氏)の言ってることを
真実を語っていると信じてしまう人の多いことだ

自分は動画が目の前にあっても、またあの人が良からぬこと口にしている
聞くにに値しないと即断して、パスしてしまうのだが
世の中はどうもそうではないらしい

SNSやオールドメディアには嘘と本当が混じっているとしても
伝わりやすいのはどちらかといえば残念ながら真実ではない方のような気がする
なぜ否定的な、人格否定をするようなものに人は惹かれしまうのか?
これは社会問題と言うよりは、個人の心理的な問題かもしれないとも思う

ナチスが正当な選挙によって選ばれ、結果的にあのような事になってしまったのは
社会的な問題だけでなく心理的な問題ではないか?と考えたのがフロムで
「自由からの逃走」で自説を展開している

人は自由を求めているとされるが、本当に自由を欲しているのか?
実は自由から逃げたくなっているのではないか
自由に伴う自己責任は重荷になって、むしろ誰かが「こうせよ!」
と言ってくれたことをするだけのほうが生きやすいと思っているのではないか

それどころか、必要なのは現在の問題解決をしてくれる人こそで
それは宗教ではなく、解決者としているのはカラマーゾフの兄弟の「大審問官」の問題提起だ
「人はパンのみにて生きるならず」と高邁なことを言っても
欲しているのは健康とか眼の前のこと、それを制度的に実践している大審問官は
中世の時代にやってきたキリストに「お前の出番はない」と断言する
これは政治は、一人ひとりが個を確立して主体的に覚悟を持って行うというより
誰か別の人が上手い具合にやってくれないかな、、と言う希望を
大審問官が行っているということだ

大審問官に向かってキリストと思しき人物はずっと無口で反論はしない
しないが、そっと口づけをする
その行為の雄弁なこと、、
大審問官に起きた心理的経過はこの小説では描写されない、
ただ彼を追放することだけにした

自分は時々このカラマーゾフの兄弟の「大審問官」の部分だけ読み返す
そして現代人はこの大審問官の言うような世界に生きているのではないか
と思ったりする

例のごとくまとまらない話



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捜査二課の警察と話したことがある

2024年11月25日 11時33分42秒 | あれこれ考えること

捜査二課の警察と話したことがある
捜査二課は主に、贈収賄や詐欺、横領や選挙違反など、経済犯罪や企業犯罪を担務していて
彼らは通報されたものだけでなく、市井で噂になっていることや
騒ぎになっていることもチェックして内密にいろいろ調べているそうだ
だが現状は大物は挙げにくく、小物のチョンボしがちな人物しか捕まえることできないそうだ

今回の兵庫県知事選の選挙違反を疑われる案件は、このチョンボした例なのかもしれない
まだ選挙違反かどうかはわからないが、きっとこれだけSNSで騒がれているので
捜査二課は静かに調べているかもしれない

少し残念なのは警察がテレビドラマのように正義かといえば
そうではないかもしれないと思われることが今までにいくつかあったことだ
捜査二課の案件ではないかもしれないが、数年前フリージャーナリストの伊藤詩織氏が
安倍さんの本を出版した男に泥酔のうちに強姦されて、それを被害届をして
検察も逮捕状を出して逮捕寸前までいったところ、急にそれが中止になった事件があった

どう考えてもなにか特別の力が働いたと思われる出来事で
このときの検察のトップはメディアからの追求を逃げたまま定年になってしまった

知能犯が何か悪いことを考えた場合、容易に見つかるようなことはしない
出来事もいろんな解釈ができるという逃げ方をするし
そもそも見つからないように工夫している
だからこうしたことが見つかるのは、おっちょこちょいの人の存在が不可欠となる

兵庫知事選で選挙違反を疑われる斎藤さんのSNS戦略に尽力した女性は
このおっちょこちょいとかチョンボをした人物になると思われる
SNS戦略に戦略の詳細な計画やらお手伝い(動画撮影など)は、呆れるほど無防備に
公開されていて、斎藤さん陣営の「マスコミは嘘ばかりでSNSの中にこそ真実がある」
という主張が、今度は斎藤さん陣営でないSNSが「真実(選挙違反)はここにある」
というSNSのいわゆるブーメラン現象が起きているかのようだ

今起きていることは集合知というのだろうか、選挙違反を疑う人々はSNS上に
情報開示請求をした結果(同様な事案の契約金額)とか
それ以外の少し疑われるようなことがアップしている

それかが最終的に犯罪とする証拠とか力になるかはわからないが
現実にこのようにいくつかのものが公開されている以上
捜査二課は動かざるを得ないと思われる

でも、もし動かなかったとしたら、、、
と言う不安は消えることがない

マスコミは嘘ばっかりと言われて悔しい思いをしているだろうから
この案件はもしかしたら、しつこく追求するかもしれない
するとその追求を偏向報道と騒いだりして、、、また混乱が産まれるかもしれない

ということで、変な世の中と実感するばかり




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自分の間違いは認めにくいようだ

2024年11月24日 09時50分10秒 | あれこれ考えること

人は間違っていると指摘されると容易にそれを認めることはできないようだ
数日前に「狭山カフェ」という集まりで、狭山事件の限りなく冤罪に近い話を聞き
袴田事件や三鷹事件を思い出すと、検察はなぜあんなに頑なまでに自分たちの間違いを
認めようとしないのか?と不思議に思った

組織として判断したことを今になって間違っていたとするのは
組織の存在意味とか継続性から想像以上に難しいのかもしれないが
そこに人として自分たちを否定されたときの感情(例えば屈辱感)が大きく
働いているのではないかと想像した

話は変わって、兵庫県民の斎藤さんへの思い(マスコミは嘘ばっかり等)は
「知事として選んだのは間違いだった」
とするような空気に対する反感だったのではないだろうか
そこにはパワハラやおねだりがあったとかなかったではなく
プライドとか自身を否定されたような怒りがあったのではないかと想像してしまった
(ところで兵庫県民は自然発生的に斎藤さんを応援するようになっていて
  例の選挙プランナーの力などは大したことはなかったとしている)

この自己否定されたときの過剰な反応は、X(旧ツイッター)とかで戦われる論争に見られる
そこでは冷静な討論ではなくて、全否定、人格否定につながるものが多い
それらを見ると、精神衛生上好ましくないので見ないことが良いと思われる

ところでマスコミは嘘ばっかりという意見
それは本当かどうかはわからないが、マスコミを鬱陶しく思うことはある
いい話だとしても、連日の大谷は素晴らしいとする報道は少しばかり異常な気がする
野球にさほど興味がないので、直ぐにチャンネルを変えてしまうが
このような過度の放送で、自分たちの選択が間違っていた
と暗に指摘されるようなことがあれば、その人達は反感を覚えるに違いない
しかも、それを言う人が県外の人だとしたら尚更のこと

今回の件ではSNSの伝わり方とかツールとしての機能ではなく
大衆の受け取り方がとても気になった
そこには善意に解釈すれば、義憤も含まれているかもしれないとも思う
でも何か違和感は残る

世の中はいろんな人がいる
なにかのチャンスを狙って良からぬことを考え、実践する人がいる
(その結果、人々はプロパガンダの餌食になってしまう)
その人自身は承認欲求の現れとも想像できる
そして個人の判断を的確にできない人たちはハンナ・アーレントなら
「アトム化されている」というかもしれない

ただ今回の兵庫県の出来事、選挙後話題になっている点を含め
周辺に奇妙なことが多すぎるのは事実だ
と言っても、県外の人間はこれ以上口を挟むのは良くないかもしれない

県外の人間が他県の選挙運動に関心を持つということはある
その選挙区には県外の人がやってきて、勝手に応援するということが行われていた
そこでは「勝手に応援団」とか「勝手にインスタ投稿」とかの応援が自発的に行われ
「選挙はお祭り」のノリでワイワイ騒がしい
自分の知っている方は東京から香川県に出かけ、選挙運動を手伝っていた
その場所は「香川1区」で「なぜ君は総理大臣になれないのか」
のドキュメンタリー映画の対象となった小川淳也氏の選挙区だ

その中継動画をみると本当に楽しそうで、温かい雰囲気に溢れている
ところでドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」
を作るきっかけというのが興味深い
映画監督は大島新氏(大島渚さんの息子さん)で、ある時大島さん奥さんが
「同級生が国政選挙に立候補する」と伝えたところ、
いつかなにかの役に立つかもしれないと、数年間カメラを回し続けていた

ところが大島さんは次第に
「こんなに真面目に取り組んでいる人がなぜ報われないのだろう」
と思うようになって、もしかしたら現在の選挙制度に問題があるかもしれない
と考え、撮りだめしていた映像をまとめて作品にしたのだった

今は立憲民主党の幹事長になっているが、この人はクソ真面目な人だ
いい意味で人を疑うことをしない
それが甘いと親父さんからも指摘されることもある
でも彼の人間性が勝手に応援と言う事態を生み出していると思う
そしてその雰囲気は兵庫県のそれとはだいぶ違う

ということで、自然発生的とされるものでも
空気感はだいぶ違う印象を持つということ


※日曜日らしくない面倒くさい話 
 でも吐き出したい気分だった



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相変わらずの分断が続いている

2024年11月23日 09時12分53秒 | あれこれ考えること

アメリカがトランプさんのせいで分断が生まれてしまったが
今の日本も分断が生まれつつあるかもしれない
少し前では安倍さんを支持した人とそうでない人
直近では兵庫知事選での選挙後の出来事もそうかも知れない

兵庫知事選は斎藤さんが返り咲いて一旦片がついたと思われた
ところが、今SNS上で騒ぎになっているのは
もしかしたら選挙違反が行われていたのではないかという疑いだ

斎藤さんの選挙戦略を担った人のネット上に公開されたNOTEに
依頼から作戦等が事細かく書かれていて、つまりはイメージ戦略が
上手くいったことを高揚感を持って書かれていた

本当に呆れるほど事細かく書かれていて
よほど達成感のあった仕事だったと思われる(自慢したくなったのだろうか)
ところがその内容は今はところどころ書き換えられている
何故書き換えたのか?に注目した人がいるのは世の常
今はデジタルタトゥーというのだろうか、書き換える前の画像が
スクリーンショットで撮影されて残っている

公選法には明るくないので無責任に言い切ることはできないが
書かれていることの内容とか
この方への受注時期から金銭の有り無しによっては
法律違反になるという考え方があるようだ
この依頼を受けた方は兵庫県に住んでいて選挙権がある
その人物に金銭を渡して選挙運動を手伝ってもらうのは選挙違反というのだ
また、この方は県に設けられた委員会のメンバーになっている
その地位にある人が知事選において任命権者(形式上としても)の人物を
応援するのは公平ではないとする指摘がある

そんなことを頭に入れて斎藤さんの動画を見ると
ちょいと不自然なと思われるものがあった
まだ一人で街宣活動をしていた時、ヨボヨボのおばあさんが
表彰状を持って彼に近寄って、賞状のお礼と頑張るように!
と声をかけている内容だ
初めて見た時もなにか引っかかるものがあったが
今気がついたが違和感の正体は賞状だった
一人でいて、頑張れ!というのはありうるかもしれない
でも県からもらった表彰状をわざわざ持って声を掛けるというのは
どこか普通でない気がしてならない
(やらせっぽい感じを覚える)

ただし、これらの指摘は法律に違反している、違反していないを
素人同士のSNS上の言い合いになっていて、そこで分断が生まれているのだ

オールドメディア対SNSの覇権争いが注目されているが
オールドメディアを嘘ばかりとする人たちは
匿名のSNSを何故そんなに真実と信じてしまうのだろうか

ところで、とても変だった兵庫知事選
敗者の稲村さんのX(旧ツイッター)のアカウントが選挙中に
不自然に凍結されてしまって、新たに立ち上げたアカウントも
すぐに使えなくなった出来事があったそうだ
それは妨害があったのではないかと刑事告訴したとのことだ

アカウントを凍結させる方法は
〇〇のアカウントは不適切な投稿をしていると運営会社Xに伝えると
そしてそれが多いとSNS運営会社はアカウントを凍結するのだそうだ
この不適切な投稿だと運営会社に投稿した人々はどういった人々だったのか
それを調べる方法が有るか無いかはわからないが
今の世の中はこのように恐ろしいことが起きつつあるということだ

ところで、いろんなところで法律に抵触していないと言う言葉で
倫理観もなく、法のギリギリのところを歩く人がいる
法が定める基準を守るということは、それさえ守れば良いということではなくて
今世の中に一番に欠けているのは「法の精神」
法の存在意義(法の意図するもの)を守るということではないだろうか

「法の精神」はモンテスキューの著作
三権分立を説いたものとして有名だが、その部分は全体の中に一部だそうで
むしろ法の存在意義を説いている部分の方が多いとか

ということで「法の精神」をアマゾンで欲しいものリストに入れておいた
それにしても変な世の中

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SNS拡散は仕事としてやっているのか

2024年11月22日 10時03分21秒 | あれこれ考えること

東京都知事選、兵庫県知事選におけるSNSの爆発的な威力を実感して
名古屋市長選もSNS上の戦いが行われているそうだ

ところで、不思議だと思ったことがある
それはX(旧ツイッター)では、投稿内容が全く同じだがアカウント名が違うものがあることで
各自のプロフィール画面を見ると、フォロー数も多くなく、フォロワー数も多くない
本人を示す写真も似たようなキャラクターを使っていて
どうも個人のアイデンティティとは思えない
(これは安倍さんへの批判的なポストに対して、過度に反応するネトウヨさんたちの
 アカウントでも見られたことだ)

こんなことをぼそっと呟いたら、ある人からこんな答えが返ってきた
「こういうのってプログラムでアカウントを自動生成して自動で投稿するのは今でも「出来る」みたい。」
つまり、一人ひとりがコツコツと自分の思いを投稿しているのではなく
機械的に勝手に簡単にできてしまうようだ

だが自動作成でできるとしても、スキルのある個人がやっているとするのも違和感を覚える
そこで聞いてみると、また答えが返ってきた
選挙コンサルティング(選挙プランニング)という業種を御存じでしょうか?
軽く検索してみるのをお勧めします。 多分驚くと思いますが「そういう商売」をしている方々は大量に居ます。
「市議会議員当選実績〇〇人!」とか。 ただ最近、「適当な業者」が増えた為「当社は安心!」も増えましたね」

この方の少し丁寧な返信を最後まで読んで見ると
個人ではなく企業(団体)です。ぶっちゃけ商売ですね。
この相談屋は当選を目的にしますので「世論誘導」も仕事に入ります。
ただし「人力」でやるにはコストも時間も人件費も掛かる。そこで出番は「自動化プログラム」ですね。
東京都知事選では常に検索し「特定語句」が入るとその相手に対し攻撃的リプライをしていたのも有りました。
1分間で40以上全く違う相手に送信していました。
1人当たり2秒以下。 1分毎に特定候補者を応援するPostを投稿しているのも居ました。
24時間以上ずっとです。 これである程度の誤解は解けたかな? 「世論誘導が仕事」の人も居ます。

このような現実を知ると、SNSが選挙には効果的云々で済まされる問題ではないようだ

話はXからYoutubeに移るが、
兵庫県知事選で大きな影響力をもった立花孝志氏のYoutube
これも不思議なことがある
投稿時刻からすぐに再生回数が信じられない数字になっている
直接関係するのは兵庫県人なので、その人たちが見るにしては異様に多い
また立花氏意外にも斎藤さんを応援するYoutubeはあっという間に
凄い再生回数になっている

そこでチャットGPTに聞いてみた
まずは再生回数のカウントの仕方とその数字は正確か?ということ
その後で「政治的な内容でも短期間で異様に多い再生回数は違和感を覚えますが」
と再質問をすると

確かに、政治的な内容で短期間に異様に多い再生回数が記録されると、不自然に感じることがあります。
そのような状況にはいくつかの可能性が考えられます。以下に、背景や要因について説明します。

1. 自然な要因関心の集中: 政治的な話題は一部の時期や出来事で特に注目を集めます(選挙、スキャンダル、大規模な抗議など)。
SNSやニュースで拡散されることで、一気に再生回数が増えることがあります。
ターゲット層の関心: 動画が特定の政治的意見を支持する視聴者層に強く訴える場合、その視聴者たちが積極的に再生し、
シェアすることで急激に再生回数が増えることがあります

2. 不正の可能性ボットの使用: 一部のグループや個人が、特定の動画の再生回数を人工的に増やすために
「ボット」を使用している可能性があります。
これは再生回数を水増しするための一般的な手段です。
クリックファーム: 実際の人間が短期間に再生を繰り返す「クリックファーム」と呼ばれるサービスを利用している可能性があります。
これはボットよりも検出が難しいですが、YouTubeのアルゴリズムで削除されることもあります。

政治的プロパガンダ: 特定の政党や団体が、自らのメッセージを広めるために不正な手段を使うケースもありえます。
再生回数を意図的に増やすことで、「人気がある」または「多くの人が支持している」という印象を与えたい場合があります。

3. アルゴリズムの偏り

YouTubeのレコメンドアルゴリズムも影響を与える可能性があります。
バズ効果: 再生回数が急増すると、YouTubeがその動画を「人気のあるコンテンツ」と認識し、
さらに多くの視聴者に推奨することで雪だるま式に再生回数が増えることがあります。
政治的偏向の可能性: 一部では、アルゴリズムが特定の政治的な立場や意見を優先的に拡散しているという批判もあります。
ただし、これを立証するのは難しいです。

4. 視聴者の操作

政治的な動画では、視聴者が意図的に再生回数を増やす行為をする場合があります。
組織的な視聴: 特定の政治運動や団体がメンバーに対して動画を視聴し、拡散するよう呼びかけることがあります。
対立の煽り: 対立する立場の人々が「内容を確認するため」や批判目的で再生することも再生回数の急増につながります。

違和感を感じた場合の対処
1. コメント欄や評価のチェック: コメント欄や「高評価」「低評価」の数のバランスを確認すると、
動画が本当に多くの人に支持されているかどうかの手がかりになります。
2. 情報源の確認: 動画の内容が一方的な主張や偏向的なメッセージである場合、批判的に情報を評価することが重要です。
3. 再生回数の変化を観察: YouTubeが不正を検出した場合、後日再生回数が減少することがあります。
これはYouTubeの審査プロセスによるものです。

結論

短期間で異常な再生回数を記録する政治的動画には、自然な要因と不正の可能性の両方が存在します
視聴者としては、ただの数字に惑わされず、内容や背景を冷静に判断することが重要です。
また、YouTube自体も再生回数の信頼性を保つため、定期的なアルゴリズムの改良を行っています。

チャットGPTの答えが全く正しいとは言えないとしても、こうした現実はありそうな気がする
と同時に、仕事としてこれらの作業をする人たちが、成果のみが価値観とするならば
人は恐ろしい世界に踏み出してしまう気がする

嘘もデマも受け手の責任として罪悪感を感じることなく、眼の前の戦いに勝つことを優先する人々
日本人は多くの人が信じたり、行っていることを無条件に信じたり行ったりする傾向があるので
こうした風潮に載せられないようにするにはどうしたら良いのだろう

もし、立花孝志氏が都知事選のあのポスター事件の党の代表であることを知っていたり
衆議院選に出馬したときの「政見放送」見苦しい品のない行動をしたことを
知っている人は、立花氏のYoutubeの発言を果たして信じるに値すると思ったのだろうか

何かを信じるということは、発信者が信じられるか否かが問題
熱気をもって彼のメッセージを受け入れた人は、彼を信じられる人物として
どうして認めたのだろう




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「もう一度自分で良い」

2024年11月21日 09時15分23秒 | ダイアリー

「もう一度自分で良い」高校生と思われる女の子が
「生まれ変わるとしたら何になりたい?」の問いに
テレビでこう答えていた

思わず唸った
すぐさま自分は?と考えた
すると、同じ様に「もう一度自分で良い」
と答えようとしている自分がいた

お金を沢山儲けたたわけではない
社会的に認められている訳でもない
しなくても良い苦労をしたかもしれないとも思う

でも、どうでもいいことでもあれこれ考えて
(時にはストレスになりそうなことも考えて)
自分とのおしゃべりは退屈することはない

悩む自分、落ち込む自分、怒る自分、妬む自分、偏屈な自分
それらをひっくるめて「もう一度自分で良い」と思う

昔、読んだ上中下と3冊にわたる真面目な漫画
「共犯幻想」(真崎守・斉藤次郎作)の中にこんな問があった
「今したいことは何ですか?」
「もうじき死ぬとわかっていたら何がしたいですか?」
「2つの問の答えは同じですか?」

この問は心に刻まれて時々自分に問うてみる
答えはその折々で変わってくる
でもできるだけ同じようにしたいと思っている

言葉は力を持つ!と思う
これだけの短い問で人の生き方を考えさせることができる

マザーテレサは「自分なんて生きていても死んでも世界は変わらない」
と絶望感に苛まれている人に
「世界の調和が完成するには、あなたがいなかったら一人分足りない」
と答えている
そしてその言葉は人を救うことになる

ところで、自分が「もう一度自分で良い」と思うきっかけは
ヘッセの「シッダールタ」の影響だと思う
昔は賢くて生活も恵まれていたシッダールタが情熱に振り回されて
しなくてもいい苦労をする羽目になる
こんなはずではなかったシッダールタの人生
でもそれを全部受け止めて、内的生活の平安を手に入れた彼
小説の最後の部分は涙が滲んで仕方ない

少しばかりロマンチックな終わり方だが
それ故に愛読書だし、人におすすめできる作品となっている

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