パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ロマンティックな名曲は?

2008年07月30日 19時09分38秒 | Weblog
暇に任せて今日2本目
相変わらずどうでもよいことなのだが
先日から気になっていたことを!

ロマンティックな名曲というのは
いったいなんだろうと考えると
自分はベルリオーズの「ロメオとジュリエット」の第2部
(ロメオただひとり--悲しみ--遠くから聞こえてくる音楽の集いと
 舞踏会のさざめき--キャピュレット家の大饗宴)
を筆頭に思い出す

この部分の音楽は本当に夢見てるみたいな
音楽に心を奪われる
それはベートーヴェンやブルックナーのように
心が沈潜し陶酔するのとは少し違う

フランスの音楽は感覚的のイメージがあるが
フォーレのピアノ4重奏曲の第3楽章や
ピアノ5重奏曲第一番の第2楽章
またフランクのヴァイオリンソナタの第3楽章なんかは
感覚的というより幻想的な感じ

それにしてもベルリオーズ
「キリストの幼児」の中にもしっかり夢見がちな場面があって
作品は少ないがロマン派の一番手と自分は思う

幻想交響曲だけ評価されているのは片手落ちじゃないのかな


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有給休暇

2008年07月30日 18時27分53秒 | Weblog
この月末の忙しい時に(?)
少しばかりすることがあって有給休暇をとった

その作業はほんの午前中で片付いたのだが
この土日以外の、いつもと違う休日は
時間がゆっくり流れて癖になりそうな心地よさだ

今日の感覚からすれば土日は休んでいるようでも
土曜、日曜という役割を与えられた日になっていて
それも仕事の一部みたいになりつつあるのかもしれない

単に気持ちの問題だけなのだが
どうしてこんなに気分が違うのだろう
緩やかな時間の経過はとても優しい
そして本当に休めた実感がする

この有給休暇
日本人は消化率がやたらと少ないというが
みんながみんな権利分を消化すれば
かえって消費はあがって景気に寄与するとか
(つまり休みになればどこかに出かけるようになって
  そこで何かを買ってしまうという訳だ)

しかし、仕事が終わってもぐずぐずと会社に残って
何か仕事をしてるふりをすることの多い
この国の普通の人たちは、なかなかだからといって
有給休暇はとれないだろう

いや今の若い人たちはそんなことはないかな?
いずれにしてもいつもと違う一日というのは
気分転換になっていいことには変わりない
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なんという雨、風

2008年07月28日 21時49分37秒 | Weblog
昨日と今朝の涼しい風は寒冷前線の所為らしいが
それにしても、今日はなんと言う豪雨
その前にはとんでもない突風
そして呆れるくらいの暑さ
こんなふうな自然を目の前にすると
やっぱり何か地球が変になっているのでは?
と知らず知らず思ってしまうのは無理からぬことだ

こんな風になった原理的な説明はできるかもしれないが
なぜ、今この時期に現れようとしているのかは各々の感じ方で異なり、
その中には人間への警鐘としてとらえる人がいるのも
不思議ではないようだ

今は地球にも人間にも負荷の多い時代で
持続可能とは生半可な努力でするものではなく
しゃかりきになって唱えないと達成できないことのように思える

そもそも持続可能と言う事自体が
たいがい、たいがいでやっていて続けていけたのではないのだろうか

夏は涼しいうちに起きて仕事をして
昼間の暑いうちはゆっくりする
おそらくラテン系のヨーロッパ人に劣らず日本人も
それに近いことを、かつてはしていたのではないだろうか
少なくとも今の様に時間、効率に縛られっぱなし
と言うことはなかった様に思う

多くの人が今の経済至上主義、効率至上主義に疑問を持っている
しかし残念ながらそのような考えを持つ人は
社会的、経済的な立場は決して強くない
つまり庶民は感覚的に変だと思うが
力を持った人は理屈でそういった人々をやり込める

本当は庶民の直感の方が、上に立つものの小難しい理屈よりも
正しいかも知れないと言うのに、、、





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冷たい風

2008年07月28日 05時36分12秒 | Weblog
ありがたい!
窓からヒヤーとした風が入ってきて
温度計が示すほどの暑さは感じなくて
よく眠れた

この辺りは、昨日夕方、ほんの少しだけ雨が降ったけれど
もっと奥の方の山はしっかり降ったのだろうか?
あれっぽちの雨では道路の温度が
下がるまでにはいかないから
きっとそんな理由で今朝は涼しいのだろう

しかし、早く目覚めてしまったのは
小さな小さな「蚊」のせい
足の指辺りがかゆい!
(蚊取り線香点けるのを忘れていた)

それでもドカーンと眠った感じがするので
体は楽かな
今日も涼しい日だといいのだが
無理だな!
それにネクタイとスーツ
Tシャツと短パンの休み明けはホントきつい!
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なんという暑さ!

2008年07月26日 20時24分55秒 | Weblog
暑い!
出るのはこの言葉ばかり

今日の少年サッカーは午前中
(出席率は一年が14人中7人 2年が6人中4人)
しかし、やはりというべきか全然練習にならない

何しろこちらが怖くて仕方ない
急に気持ち悪くなりやしないかと!
だから今日はいつもの走ることは省略
キックの練習中心に行った
そして10分4本の試合

それにしてももっていった水筒が
すぐになくなってしまった
そして日陰で休んでいた時も汗が止まらない

ばててしまっていたのは大人たちかもしれない
意外に子供たちは近くで虫を取ったり
(今日は河川敷の緑の多い練習場で
 他のチームと合同練習<試合>)
竹を折り曲げたりで普段と変わらない様子

それでも無理はさせずに休みながら
しりとりゲームをしたりして時間をつぶしたりした

それにしても、自分らが子供の時こんなに暑かったかな?
自分らは午前中は我慢して勉強、昼からは友達を誘って
川に泳ぎに行った
太陽に焼けた石や砂の熱さは覚えているが
体中が暑くてたまらないなんてことは
なかったような気がする

確かに地球は暑くなっているのだろう
雪も降らなくなったし
原因が二酸化炭素にあるかどうかははっきりしないが
暑くなったのは間違いない

だがこの暑さの中
月曜から金曜日まで
人間たちが無理して働くというのは
不自然な気がしてならない
働くのなら朝の早いうちの涼しい時
そして昼のくそ暑い時は涼しいところで
たわいもない話をして休んで
また涼しくなりかかったら働く
そんな人間の体調に合わせることが出来るのなら
それが一番進んだ世界のように思えるのだが
(機械をつかって便利になるというより
 人間のリズムに合うように機械をやシステムを
  使うことがより科学的な世界のように思う)

効率のためというより人間生活のためにと
物事の優先順位を変えていかなければならないのだが
ポジションの上にいる人は
残念ながらそんな考え方には達しないだろう

何度も繰り返してしまうが暑い
夜は涼しくなってくれるのだろうか?
それとも熱帯夜?
明日は日曜で休めるからいいものの
いい加減涼しくなってくれないかな




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夏のサッカー

2008年07月24日 21時37分07秒 | Weblog
やっぱりサッカーは冬のものだ
さっきまでのオリンピック親善試合
日本対オーストラリア見ていてつくづく思う

この試合、内容がどうのこうの言う前に
(そんなことではいけないだろうけれど)
暑い中、大変だな!と同情すること仕切りだった

あのドイツワールドカップも猛暑の中
それは男たちの究極の我慢比べみたいなところがあって
ゲームの質は面白くなかった(点もあった)

こうした国際ゲームはシーズンオフしかできないから
必然的に開催が夏っぽくなるが
できることなら真夏は避けてほしいものだ
(Jリーグの試合も真夏は避けてほしい)

ワールドカップやユーロ、アジアカップなどの
国際試合があるのがわかっていたら
早めにそのシーズンを終わる様なスケジュールにして
できるだけ涼しいうちにしないと
サッカー選手は見せ物になってしまう

実際自分らの小学生のサッカーでも
夏休み中のサッカーは恐くてたまらない
いわゆる熱中症が!

2年程前急にその症状を訴えた子供が出た
自分が参加できなかった練習日だったが
急いで彼を自宅に帰したものの、体調不良は長引いて
2ヶ月程練習を休むことになった

そして昨年も同じ子が(癖になったのか)
また急に気持ちが悪いと言い出して
(ついさっきまで元気にしていたのに)
戻し始めたりした

いやいや実のところ子供たちばかりではない
自分たちも変になりそうになる

やっぱり夏はサッカーの季節ではない
仮にやるとしたら涼しい朝のうちか
ナイター設備のある場所で夜やるしかないだろう

そういえばサッカーコートを作るとき
普段の1.5倍くらい時間がかかるのは夏と冬だ
夏は汗いっぱいで意識もうろうとして
冬は風がキツくてメジャーが巻き上げられて
とにかく段取りがはかどらない

本当は夏休みがあるのが一番いいことなのだろう
サッカーだけでなく、おそらく仕事も!

ところで親善試合は2-1の逆転勝ちだが
決勝点の岡崎、ナイスヘッド
その前のボレーにトライしたあたりから
可能性は感じていたが
この調子と運を、このまま北京に持っていってほしいものだ
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洞察力に富む「ラインの黄金」

2008年07月23日 21時11分01秒 | Weblog
若い時はやたらと巨大なもの、難解なものに憧れたものだった

ヴァーグナー(ワーグナーと発音するとドイツ人には通じない)の
ニーベルンクの指輪、トリスタンとイゾルデ、パルジファル
バッハのマタイ受難曲
ブルックナー、マーラーの交響曲
そして「カラマーゾフの兄弟」や「死に至る病」
「ツァラツストラはこう語った」などを理解しようとしたのはその一例だが
それらが自分の理解の範囲内であったかどうかは大いに疑問で
先日不意に思い立って「ラインの黄金」のレコードを引っ張りだして
あらためて台詞をみながら聞いてみると
全く恥ずかしい話だがこんな話だとはすっかり忘れてしまっていた

このレコードはカラヤン指揮のベルリンフィルの演奏のやつで
もしかしたら最後まで通して聞いていなかったかもしれない

ちなみに「ヴァルキューレ」はショルティとヴィーンフィルのもの
「ジークフリート」はベームとバイロイト祝祭管弦楽団のもの
「神々の黄昏」はフルトヴェングラーとトリノ放送管弦楽団とバラバラで
全部を手に入れたのはそんなに昔のことではなく
といって最近聞いたと言うものでもなかった

この「ラインン黄金」
大人の隠れ家と言う雑誌の
クラシックの特集のオペラ部門に取り上げられていて
ローゲのキャラクターが注目に値すると出ていたのが
どこか頭に引っ掛かって何十年ぶりに聞いたのだが
なるほどと思うこと仕切りだった

つまりこの話、内容自体が神話の体裁をとっているものの
それは現代でも充分すぎる程通用する話に終始している様に思えた
だからこそモーニングを着たヴォータンや
キャバレーの女性としてのラインの乙女などの演出は
充分あり得る話の様に思えたし
様々な解釈はもっと可能な気さえしてきた

一般的にはヴァーグナーは音楽に比べ
物語作家としての能力に欠けるみたいな言われ方をしているが
どうしてどうして、なかなか洞察力に富んでいる様に思えた

だがシュトルム ウント ドランク最中の自分が
本場バイロイトに行って、
しかも100周年の年に
センセーショナルなシェロー演出、ブーレーズ指揮のリングの
チケットは手に入れたものの自分が聞きたい(見たい)リングは
ヴィーラント・ヴァーグナーの暗い、動きの少ない
全く抽象的なものだったので、
モーニング姿のヴォータンなんてとても許しがたかったから
チケットはトリスタンとイゾルデ、パルジファルに変えてもらった

結果的にその当時はそれでよかった
トリスタンは本当によかった
言葉はわからないが、だいたいの話はわかっていたので
想像力を働かせて音楽に集中して約5時間
滅多に味わえない経験をさせてもらった

だが今は、このリング
始めから最後まで通して聞いてみたい(見てみたい)気がする
といってDVDで見る気力は全然なくて
できるなら生で経験したいものだ

指輪物語(トールキン作)も
このニーベルンクの指輪の影響を受けているし
自分の体力、気力があるうちに(早めに)
通して見たいものだ
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先のことはわからないが

2008年07月22日 20時53分41秒 | Weblog
確定した未来として、人口減と高齢者社会がある

にもかかわらず、様々な計画がその未来を前提としていない
としか思えないことがある

自分も高齢者ではないが、その予備軍として思うことは
まずは買い物について
今はますます郊外型の大きなショッピングセンターができるが
果たしてあんな面倒な商業施設は
(つまり広すぎて歩くのが面倒だし、何がどこにあるのか覚えるのも大変だし
 それに駐車場からたくさん歩くのも面倒だ)
本当に将来性はあるのだろうか
なるほどそこにいけば一日中遊んでいられるので便利のようだが
果たして年配者はそんなに出ずっぱりでいられるのか?
結局これらの商業施設は若者相手にしているに過ぎない

だがその若者もいつか年齢を重ねていく
いやそこまで歳をとらなくても広い施設の中で
豊富な商品群の中からそこに行って選ぶなどという行動を
いつまでもするだろうかと考えてしまう
買い物は楽しい!と言う前提に立てばそうかもしれない
だが買い物が面倒と考える連中は(他に時間を使いたいと考える連中)
ただただ時間がかかってしょうがないくらいの感じではないのだろうか?
それに案外そこに行かなければ買えない商品があるわけではなく
ただたくさん並んでいるだけに過ぎない

だが確かに物を買わせようとする陳列、欲望の喚起は
大型商業施設は上手いことは事実だ
しかし欲しい物がなくなっている若者に対していつまでも
有効なものだろうか?

次にテレビ
必ずしもインターネットの所為だけではないと思うが
若者M1.M2.F1.F2の視聴率が下がっているという
前から言われていることだが、テレビは現在子供と老人のものになっている
しかしテレビ番組表を見ると、いわゆるゴールデンタイムには
若手を対象としたタレントの内輪話やお馬鹿タレントのクイズが
占めており一番の視聴者の老人向きのものはあまりない
それは購買者としての老人にテレビ局が魅力を感じていない所為しれない
だがそれにしてもテレビ局のこの横並びの体質は
(クイズ番組オンパレード、しかも出演タレントも同じ
 また政治がらみの番組もこれまた出演者が同じ)
自殺しているのと同じではないだろうか
どこかで成功した番組を真似て、
実績があるからと言って当事者は安心しているが
その実テレビ局は見られない番組をあえて作っているみたいにさえ思えてくる

人々がテレビを見なくなる
これも社会が高齢者社会になるのと同じくらい確定した未来の様な気がする
情報は勝手にやってくると言うより
欲しい情報をこちらから能動的に探す様になる

どんなものにも寿命があって
国家のそれ、テレビ局のそれも例外には漏れないだろう

いつまでも拡大を前提とした考え方は
改めなければならないと思うのだが、、、

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キャプテンの役割

2008年07月21日 09時05分09秒 | Weblog
今日が休みでよかった
三連休と言うものの一昨日は
午前中が少年サッカーの練習試合
夕方は花火祭りのお手伝い

そして昨日は、夕方から少年サッカーの練習
流石に、どよーんとした疲れが残っている様な、、、

さて昨日の練習
自分の担当の1年生は14人中10人が参加
顔ぶれをみると、すぐに喧嘩をする子がいたので
少し考えていたことを言ってみた

「今日キャプテンをやりたい子?」
こんな風に声をかけると必ず数人の子が手を挙げる
昨日も4人の子が手を挙げ、その中には彼も含まれていた
「キャプテンのすることって何かな?」
「あのね、練習で一番最初にやること」
「そうだね(そんなことでなんでキャプテンになりたいのかわからないけれど)
 それともう一つ(これが今回の目的なのだが)
 喧嘩をしている子がいたら止める役割もあるんだよ、わかった?」
「うん(本当にわかっているのかな?)」

結局4人でじゃんけんでその日のキャプテンを決め
なった子は最初のランニングからウキウキ気分

実際のところ、この学年では一日の練習の中で
必ずと言っていい程喧嘩をする
それは練習の順番を追い越されたときとか
きれいなボールを自分の練習用にと取り合った時とか
何かのかげんで手が身体に当たってしまった時とか
少し大きくなればなんで?と思える様なことで
カッカして殴り合い、蹴り合いまでに発展することがある

「蹴っていいのはボールだけ、人を蹴っちゃいけないよ」
感情のはけ口がなくなってイライラしてばかりもかわいそうなので(?)
ほどほどの喧嘩は無理に止めはしないが
昨日は早速キャプテンの出番があった
しかし、やはりというべきか彼はその役割をすっかり忘れていた

「ほら、キャプテン、喧嘩止めなきゃ」
確かに効果的なことはできなかったが、
それでも自分たちで収集をつけた感じで
まあまあの評価かな

今度は意図的にけんかっ早い子を
キャプテンに抜擢してみるかな
多分子供たちにはその意味はわからないだろう

幼稚園児から小学生になってきたと言っても
まだまだマイペースの彼らたち
それでも終わる頃にはTシャツの背中が汗でビショビショになっていたし
出席率も(少し鈍い子も真面目に来ていて)悪くないので
それなりに充実感、満足感もあるのだろうと
楽観視している

この学年の子供たちの練習目標(自分なりの)
とにかく走り回る、やんちゃな子供たちにすること
転ぶのも上手になって
少しくらいの怪我は平気な逞しい子にすること
そして一人一人がサッカーを好きで好きで
仕方のない子にできれば、
そして来年も楽しいから続けよう!
と答えを出してもらえれば、とりあえずはいいかな



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確率の問題

2008年07月20日 16時00分26秒 | Weblog
最近大騒ぎの、大分県教員の汚職事件

あってはならないことが特別に発生した様に
伝えられているが
そんなことは、前からこちらの方でも
ささやかに漏れ伝わっていた(?)

それはお金に関する事ではなく
学閥による不公平な選抜、
親が教員などの身内に対しての甘い選抜などなど

話はかわって厚労省の連中の
仕事中に関係ないホームページの閲覧や
居酒屋タクシーの利用
不正請求やら裏金づくりなども
どこと限らずありそうな話だ

と言うことは、こうした不祥事は人間社会の中、
残念なことにある確率で存在するのではなかろうか

つまり工業製品の不良を
少量のサンプリングすることにより
不良の確率を確かめるのと同じ様に
人間社会でも、どの国もどの時代も
ある程度の確率で悪いこと、卑怯なこと、姑息なことは
行われるに違いない

だから清廉潔白な組織と言うのは
表向きにはありそうだが、現実にはあり得ず
仮にあったとしたらどこか胡散臭いものではないだろうか

確かに最近のこの手の事件が多いのも事実だが
ある程度その割合が最近は上がってきているのかもしれない
仮にそうだとしたら、
実はそのことの方がもっと問題なのかもしれない

ここで自分は、何も絶望感に陥っているわけではない

ただ働き蜂の中にもサボる奴がいる様に
せっせと動き回る蟻の中にもずるい奴がいる様に
生き物としての人間にも
こうしたどこか外れた種類が存在するのを認めた方が
より現実的である様な気がする

ならばどうするか?

精緻な法律、ルール、罰則を作っても実効性は
期待できないし
本当にどうしたらいいのだろう?






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