パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

16人の小学1年生

2009年02月28日 15時44分09秒 | Weblog
今日は喉が痛くならないように頼むよ!
~君、喧嘩してもいいけど1回だけね

そんな言葉で始まった今日のサッカー練習
しかし、終わってみれば
うーーーんの一言

毎度の事だけれど最初の休みまでの練習は
そこそこ集中できているのだが
次第に疲れて飽きてくると
急に友達同士の無駄話が多くなってくる

ここまで!と新しい練習に入ろうとするのだが
一旦ゆるんだ気持ちを立て直すのは難しい

子供たちもこちらに慣れてきたのか
最近はワガママを発揮し出してきた
(それが一人一人違うので個性とも言えるけれど)
順番を抜かれたと言って怒る子
上手くいかないからすぐにすねてしまう子
練習に身の入らない子
上手くいかないことが悔しくて必死になる子

こちらは全体の雰囲気を見ながら
飽きたときの最終手段のゲームに突入

しかし、残念ながらみんなゲームが好きとは限らない
特に早生まれの子は体力的、瞬発力の面でハンディーがあるので
競り合いに勝てないので戦いを楽しめない
それでも我慢我慢!と励ましながら進めていく

今日は久々に怒ってしまった
あまりにも話を聞かずに勝手にしていたから
あまり怖くないコーチとして認識されてばかりでは
困るので少し驚かす意味で大声を出したが
たまには効果的だった

ただ「後5秒後に怒るぞ、5.4.3.2.1
  こらーっ!」
と2回目に怒った時にはみんなが笑い初めて
子供たちが
「5.4.3.2.1」と声を合わせて遊び出す始末
ま、これもいいか!
てなわけで今日も子供たちに遊んでもらった
楽しい一日だった




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ハリー・ポッター 本と映画

2009年02月27日 21時58分27秒 | Weblog
両方を体験した子供は
「本のほうが面白かった」
と答える割合が多いらしい

これに限らず原作と映画を比べる場合
自分でも本の方に軍配を上げることが多い
それは映画の出来不出来の所為ではなく
自分の勝手につくり上げたイメージとのギャップが
映画には多く存在するからだ

自分でイメージすること
確かに本は映画のような様々な説明、解説はない
映画は物語は後を追いかけるだけで
受動的に楽しめるが
本は忍耐を伴う読書と頭の中に自ら映像、イメージを
作り出さなければならない
だが、目が文字を追うスピードよりも速く
話を理解していくような感覚にいたったりすると
実在の空間、時間がそこに存在するような
錯覚に陥り、もうこれは病み付きになる

そう言えばハリー・ポッターの作者も
自分の本が売れてうれしかったのは
子供たちがゲーム機から離れて
本を読むようになってくれたこと
想像力を羽ばたかせる手助けが出来たこと
みたいなことを述べていたれど
本当に今の(日本の)子供たちには
読書の習慣をつけさせたいものだ
でないと後々の「のびしろ」が
期待できないような気がしてならないのだが
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二度あることは三度ある(数字の話?)

2009年02月26日 21時01分46秒 | Weblog
確かに二回同じようなことが続くと、知らず知らず
三回目があるかも!等と思ったりするが
3回目を経験すると4回目もあるとは(あまり)思わず
これで「あがり!」と納得して
その事自体に関心がなくなってしまう

そういえば「3」という数字は
3大テノール、日本3景など、洋の東西を問わず
使われやすい数字のようだが
結局、人間の考えることは似通っている!
ということ?

数字がらみの話では
「7転び8起き」という諺があるが
7回転んだなら7回起きるのではないのか
リズムのよさ、言わんとする意味合いはわからないでもないが
なんで8回なのかな



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イタリアの守備

2009年02月24日 22時20分52秒 | サッカー
チャンピオンリーグもベスト8をかけての
トーナメントの開始
それで、と言うわけではないが
最近少し離れ気味だったサッカーの試合観戦(録画)をした
それもイタリアのチームのものを選んで

以前はセリエAの試合は好きでなかった
しっかりブロックで守って
スペインリーグなどと比べると
スペクタクルな面白みにかけたから

ところがあのワールドカップの決勝を見てから
少し考えが変った
イタリアの守備、守り
これは確かに凄い
ブロックでチームで守ると言うだけでなく
一人ひとりがボールへの寄せが早いし
ボールを獲りにいっている
だから必然的に相手との距離が近くなり
ボールを奪うための脚の動きが早い

教科書どおりにトラップした瞬間を狙って
ボールを獲りにいっている
これはやはりスピーディーなプレミアリーグとも
少し違う種類のスピーディーさだ

しかしこうした試合を見ると
少し考えてしまうことがある

それはボールを獲りに行く守備のこと
普段我々は点を取られなければいいのだから
しっかり待って網にかかるような守り方を
するように言ってしまう傾向があるが
これは、本当は正しいのか?
と問題提起されているような気がしてならない

もちろん場面場面の状況判断で、
流石にイタリアのチームでも
いつもいつもボール奪取に行くわけではない
それでも基本的にはボールを獲ってすぐさま攻撃に
の形は点になる確率が高いと見える

このボール奪取
今自分が担当している小1.2年のゲームでは
彼らは点を取られないようにというよりは
相手のボールを獲りに行く
それで行われることといったら
知らず知らずにボールを相手から遠いところに
もっていったり、ボールとの間に自分の体を入れたり
細かく足を動かしたり
つまり実戦で練習以上のことを行っている

いやゲームが一番の練習だから
そこで身に付けるものが一番現実的なのだが
この小さな時代にボール奪取の気持ち、技術を
(反対にボールキープも)
身に付けさせることは
きれいなサッカーをすることよりも
大事なことのような気がしてならない

どうもいつも思うことは
バルサのようなきれいなサッカーは
実はガツンガツンとボールを取り合った
経験を充分に行った人たちが、その基礎の上で
やっていることであって
残念ながら日本のチームはその過程を経ていないで
いきなりきれいなサッカーに教育されるものだから
どうもひ弱に見えて仕方ない
そうでない場合は一頃の国見みたいに
体力サッカーみたいだったりしていただけない

イタリアの守備
組織のことでなく個人の問題としても
充分検討に値するように思えるのだが


ところで毎週楽しい思いをさせてくれる
自分の担当の小1.2年には
とりあえず本能的、野生的な部分を
出せるようなたくましい子供になってもらうよう
指導しているつもり
そうすればボール奪取も上手くなるかな?
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不安 恐怖 諦め

2009年02月22日 19時06分17秒 | Weblog
時事放談だったと思うけれど
今国民は、政治に対する不安から
麻生さんに任せっきり状態に対する(なんにもしていないし、できない)
恐怖に移りつつあるのでは
と言っていたが、それよりもっと怖いのは
どうせ!に代表される諦めの境地に至ってしまうこと

確かに悲観的に物事を見る傾向の強い民族性だから
これは心配だ

それにしても、マスコミの報道
全体的に幼稚ではないのか!
政局がらみの単純化してみたりして
問題点をじっくりと取り上げることをしない

サッカーの解説などもそうだ
スターの名前を連呼するだけでプレーの意味などを
少しも解説しない

フランス人だったか
携帯電話のメールの絵文字を
「幼稚」の一言で切って捨てたことがあったが
全面的に賛成とは言いかねるが、
わからんでもない、と思えてしまうのは
考え過ぎ?

話は元に戻って
不安を解消するのは、実は天から降ってくるようなものではなくて
自らが可能性をつかみ取るものなのだけれど
これが難しい
そもそも何をしたらいいのかがわからない

政治は方向性を示すだけでもできないのだろうか?

本当に人材不足だな
自民党も民主党も
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そういう時代

2009年02月21日 22時03分53秒 | Weblog
去年失敗したので今年は!
と気張ってみたがやっぱり上手くいかなかったのが
ラ・フォルジュルネのチケット予約

今年のテーマ作曲家はバッハでこの不景気下
開催も危ぶまれたようだが前年より2日少ない
3日間でも続けられたのはありがたい

さて今日は友の会先行予約だったので
少し甘く見ていたこともあるが
インターネットでアクセスしようとすると
「ただいまアクセスが多くてつながりにくくなってます
 少し時間を置いてから再度うんぬん」
のメッセージ

それで言葉通り時間をおいて
さあつながった!とまずは初日のプログラムから
チェックしておいたものを探したのだが
そこにあるのは
×××の文字ばかり
わずかに席があるのは自分にとってあまり興味のないものばかり

なんということ
気分を切り替えて二日目に挑戦
こちらはなんとか確保できたようだ

それにしてもこのインターネットの予約方式
もう当たり前の姿になってきた
自分がパソコン、インターネットに触れたのが
1999年だったから、わずか10年経っただけなのに
ものすごい進歩だ
プツプツいう電話回線からISDN
それからADSLへ(自分の家庭の環境)
コンピュータのCPUも350Hzから2GHz
ハードディスクも6Gから350Gまで
こうなってくると機械を買うタイミングが
みんな悩むばかりだ

それにしても同様に悩んでしまうのは
コンピュータや文明の利器で
今何が出来て何が出来ないのかが
はっきり分からないこと
(芸能人で誰がまだ存命で誰が亡くなっているのか
 分からないのと似ている)
困った時代だ
(政治も経済もだが)
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任命責任

2009年02月20日 21時43分04秒 | Weblog
仕事はできるが(?)大臣としての資質に欠ける
あの酔っぱらいを財務大臣に選んだのは
麻生さんの責任
これは本人も渋々認めたようだ

ところで漢字を読めない、空気の読めない
妙な笑い方をする人を首相に選んだのは
自民党員を始めとする国会議員の責任(任命責任)

ところが、その国会議員を選んだのは
残念なことに我々国民(の任命責任)
だから回り回って中川さんの任命責任は
国民にも少しは存在することになる

しかし、国民は
「しまった!」と思って訂正したくても
容易に訂正できないシステムになっている

だからこそ、次の選挙には
今まで以上に一人一人がよく考えて投票するようにしなければ!
今ほど国民が総選挙を望んだ時はなかったのでは

ところで、その選挙いったいいつになることやら
麻生さんの気持ち次第というのが納得しがたいが、、、



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できたーっ!(プリンターの共有)

2009年02月18日 21時29分52秒 | Weblog
ここ数日、チンチンになっているのがMacとWindowsのプリンタの共有の設定
Windowsのノートパソコンからルーターを介した無線LANで
プリンタにつないだiMacで印刷ができるようになればいいと
思っていろいろ試行錯誤したのが今日で約2週間

そもそもの共有ができていないのかとか
IPアドレスを手動でなんとかするとか
自分の理解の範囲を超えたところをゴチャゴチャやってみたが
進展なし
ますます深みにはまってどうにもならない状況になった

流石に前に進まず諦めかけたが
それでも!とネットで調べてみると意外なヒントがあった

そもそもWindows側で共有プリンタの設定をするのに
Bonjourを使ったのだがプリンターの選択に入っているはずのない
Generic製のうんぬんが出てくる
そこで無理矢理行ったり来たりしてエプソンの型番が出てくるページを
探し、それを指定して普段使うプリンターとしたはずなのだが
いざ印刷を実行すると、これができないでいた

今日見つけた文章はこんな具合の内容
プリンターはGenericのPostscriptのを選んでください
それがない場合でもMac側で処理します、、、
そんなような内容
それで再度Bonjourで共有プリンタの設定を行い
実行してみるとプリンターが騒がしい
「できた-っ!」
本当に久しぶりの興奮と感激

もう一度印刷の実行をしてみると
最初はページ設定が見たこともない妙な画面が出てくる
しかし無視して進んでいくと最後のOKの場面で
プリンターの表示が使おうとしているエプソンのものに変わる
つまり、これがMac側で何らかの処理をしているということなのだろう

こんな風に喜んでいると、もう一つよいことがあった
今度はファイルの共有
Windows側のフォルダを共有に設定しても
Mac側で見られずにいたが、これもネットで調べると
ファインダーの移動から、サーバーの接続を実行すればいいとあって
SMBなにがしとファイル名を入れて行うと、これも
「できたーっ!」

しかし、考えてみればファイル共有はOS9の時も
共有の開始とか停止とか行ったのだから
OSXになっても同じことなのだと
わかってみて「なんだ、こんなことか」
と少しがっかりしたような気持ちも半分くらいあるのも事実

プリンタの共有もあれこれ考えずに
(エプソンの型番が見当たらないので)
いろんなことをせずに、ただOK!ばかりを選択していけばよかったのだ
これもできてしまえば
「こんなことか!」の部類

それにしても、コンピュータでこんなにチンチンになったのは
初めてコンピュータを購入して数ヶ月の頃以来
おかげでいろんなことを覚えることになった

今日は布団の中でもいろいろ考えずに眠りにつけそうだ
やれやれ!




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直江兼続の兜

2009年02月17日 22時43分31秒 | Weblog
有名な「愛」の文字の兜(の前立て)
これはどうやらLOVEとかLIEBE等の意味ではないらしい
「愛宕権現」「愛染明王」からとったもので
謙信の毘沙門天からとった「毘」と同じ類だ
(もっとも、愛染明王自体はLOVE的な要素のある神様?らしい)

これでなんとなく、もやもやしていた疑問の一つが解けた
つまり争いの象徴の兜に付けた「愛」の文字は
一神教の人たちの掲げるような「愛」の概念の押し付けではない
ということだ

昔のことを正しく知らないで(調べないで)
今の使われている言葉の意味で
昔を解釈したりすると本来の意味合いとは違ってしまう
こうしたことは結構ありそうなので注意しなければ!



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類は友を呼ぶ

2009年02月16日 22時29分02秒 | Weblog
今日のニュースは中川財務・金融相の
あの今にも眠りに落ちてしまいそうな
インタヴューの様子のことでいっぱいだったが
残念なことに、いや、恥ずかしいことに
あれが日本国内だけでなく
全世界に配信されてしまった

時差があって、風邪薬の所為と説明しても
多くの酔っ払いの姿を見てきたそれなりの
年齢の人間からみれば
あれは泥酔、酩酊状態としか思えない

彼は前々から酒には要注意の人物だったようだ
(週刊誌などの情報では)
なのに、あの大事な場面で緊張感のない姿
これはなんと批判されても弁明は出来ない

話は代わって、4文字熟語の中で自分が一番
納得できるのが「類は友を呼ぶ」
文字通り同じような人間が回りに集まる意味だが
だとすると麻生首相もやっぱり中川財務・金融相と
似たようなものだ

どちらもひどいもんだ!

おとなしいといわれる日本の国民
そろそろ怒りを表に出してもいいのでは!
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