以下は愛知県の新城市の話題で、長らく続いた行政訴訟裁判のこと
文字量は6000文字近くとなるけれど、興味のある方はぜひ最後まで、、
スタートから2年以上の時間が経過した行政訴訟裁判は、裁判所から提案された「終局判決によらない解決案」を
原告・被告の両方ともが了承し、4月26日に開かれた臨時市議会において解決金の処理(原告に裁判費用の一部支払)
についての議決が可決して一段落した。
この行政訴訟裁判は、新庁舎建設用地外にある建物に移転補償費を支払ったのは、通常ならば認められないことであり、
これは税金の不当な支出に当たるので市民がこうむった損害費用を責任者(参考補助人・穂積市長)は市に支払うように求めたものだ。
その経緯は新聞でしか知らない人が大半と思われるし、後の公式文書では肝心なところを省かれて記録されそうな恐れもあるので、
多少なりとも事情を知っているものとして、歴史の一次資料として残すこととする
裁判の流れが変わった2つの出来事
◯裁判長が替わったこと
◯証人尋問が行われ、その市側の証言が聞くに耐えられないことだったこと
この2つが行政訴訟裁判の行方を大きく左右した
裁判は客観的な視野と精緻な議論・検証によって行われるものだとイメージしていたが、実際にその現場を見てみると案外そうではなく、
良いも悪いも人間依存のかたちで成り立っており、第三者とか客観的という前提となるものが少しばかり疑わしいかもしれないと感じてしまった。
「正義というものは神の言葉」と無条件に受け入れない(日本のような国)社会では、選ばれた裁判官により定まったステップを踏んだ上の判断を
真実とか正義とする社会構造なのだと改めて認識した。
それ故に、裁判は真実の追求というよりは、言語を用いた戦いのような印象を持つに至った。
裁判途中で裁判長が人事異動で替わった。
人が替わるだけでこれほどまで裁判所の雰囲気が変わるのかと、個人の勝手な印象・思い込みではなく、その場にいた傍聴人も多く同様な印象を受けたようだ。
前の裁判長は良く言えば真面目で、争いごと(市民が訴える裁判などは)は肯定的に捉えられないようなタイプとの評判のあった人。(判決もその傾向が多いとか)
何回か行われた準備書面によるやり取りも、そんな表情でしなくてもいいのにと思われる進め方で、早い段階で裁判終結、判決となりそうな雰囲気が無いではなかった。
ところが、裁判長が替わると、引き継ぎは行われているのだろうが改めて論点整理が行われることになった。
その時の論点整理の段階で重要視されたのが、前の裁判長の時はさほど評価されていなかったが、原告側は大事なポイントとしていた証拠(コンサルタント会社からの報告書)の扱い。
この証拠(甲9号証)の存在は原告側が裁判に打って出た大きなきっかけとなるものだ。
甲9号証とは、用地外の移転補償費の支払いは妥当なものとするコンサルタント会社が、その4ヶ月前には全く反対の報告を市にしていたという文書のことだ。
これは怪文書ではなく被告の市もその存在を認めている。
この甲9号証については、証人尋問でも時間をかけて追求された。
この部分は別のところで詳しく紹介するが、このとき被告側の証言を聞いた裁判官の呆れるような表情はすべてを物語っているようだった。
最後に裁判官は市側の証人に「今でもあなたは自分の判断が間違っていないと思いますか?」と尋ねた。
それは「市はありえない進め方をしている」という印象を裁判官が持ったということと誰しもが想像できた。
事実、この証人尋問から流れは変わった
論点は何だったのか
準備書面を何回か交換している間に、原告・被告の言い分が拡散しないように論点整理が行われるようになった
その整理された論点においてそれぞれが自説を補う証拠や資料を準備する
そこで被告側が訴えてきたのは、そもそもこの行政裁判は請求期限が過ぎており無効という点、
そして、支払いは市長決裁の印があるものの、手続き上は市に決裁基準があり必ずしも市長自身に責任があるわけではないという点
一方原告側は、9号証の証拠に見られように、該当する離れの物件には「人は住んでおらず」生活が一体化するためとして支払いを了解した判断は
そもそも契約自体に問題があり、市は不当な損害を被り、この進め方は時効案件に該当しない談合的な要素があるものではないか、、、というもの。
各陣営はそれぞれの解釈・主張を正当化するための資料や、過去の例からの理屈を絞りだした
裁判の手続きについて
今回の裁判で問題となったひとつに時効の問題があるが、その前に行政裁判を起こすには、住民監査請求というステップを踏まなければならないことになっている
訴訟は住民監査請求の結論が出てから一月以内に行わなければいけないとなっており、後に開かれる裁判はこの住民監査請求の結論を無視できない
(今回の裁判もここが問題となったが)
ところで裁判の前段階の住民監査請求にも細かなルールがある
住民監査請求とは、納税者である市民が執行機関または職員による財務会計上の違法、不当な行為、不作為によって損失をこうむることを防止するために認められた権利で、
この段階で請求側の訴えが通れば問題がないが、そうでない場合は住民裁判とつながる。
この住民監査請求のルールが今回の裁判をややこしくしたのだが、住民監査請求は行為があってから(支払いがされてから)一年以内に起こさなければいけないことになっている。
行為があってからの一年以内の規定はというのは、過去を遡ってあれこれ調べることによる行政の仕事が滞らないための措置らしい。
今回の場合、情報開示請求で奇妙な支払いと思われる案件を発見し、いろいろ調べるうちに(開示資料は海苔弁状態)納得できない部分が多くあり
甲9号証の証拠もあり、住民監査請求を起こしたのだが、実は問題となる対象物件(長屋)は2つに別れており、移転報償費の支払いは違うタイミングで行われていた。
この2つに別れているうちの、片方は支払いが済んでから一年以上経過し、片方は住民監査請求時には一年以内だった。
裁判の前に行われた住民監査請求は、それゆえに片方は時効になっており、そもそもの請求が却下、片方は住民が訴えたことは、そのような解釈は当たらないとされた。
行為(支払い)があってから一年以内に住民監査請求というのが厳しすぎるので、その事実を知り得てから早いうちに!
との救助もあるようだったが、今回の裁判は、被告側の準備書面で原告側は何度かの情報開示請求で、
支払い等の事実が行われていたのは知っていたはずだ、、、との論法で攻めてきた。
この被告側の準備書面というのは、裁判というのはそうなのだろうが本当によく調べている
何月何日に誰がこのような資料を請求し、そこから推察されることは、原告はいろいろ知っていたのではないか、
だから時効に該当するということを事細かに突いてくる。
ここで住民監査請求は行為があってから一年以内にしなければならないということは、普通の市民は知らないことなのだが、
それは知らないほうが悪い!一言で片付けられてしまうようだ。(市民はいろいろ知っていないと損をするということ)
論点整理の内容は少し変わってきた
時効と市長の決済責任がないことが当初の被告の主張だったが、裁判を重ねるに従って整理された論点が変化してきた。
その移転保証費の支払いは、意図的な(悪意のある)支出だったのか、それとも意図的ではないにしても過失があったのかどうか、このように変化してきたと記憶している。
裁判は法廷上だけでなく、裁判官がそれぞれの弁護士を呼んで打ち合わせをすることがある。
原告側の弁護士が裁判官に呼ばれ、そこで要した時間はいつも10分ほどで、話された内容はその度に弁護士から原告に説明が行われた。
10分ほどで終了した原告側への裁判官からの呼び出しと比較して、被告のそれは異常に長い時間を要するものだった。
何が話されたかを知る由も無いが、話し合いを終えた被告の弁護士は神妙な顔つきをしていたそうだ(原告側弁護士の話)
いつのタイミングだったかは記憶していないが、裁判長の「市長の職務怠慢」とのつぶやきとか感想みたいなものがチラッと出たことがあった
この時点で、業務上の決済規定の責任のありなしの議論は横において置かれるようになったと思われる。
証人尋問が行われる
2018年7月18日、原告側から一人、被告側からは移転補償業務に携わった人物がふたり(一人は現役の市職員、もうひとりは退職した人物)が証人台に立った
市長はこの日都合がつかず、8月1日に行われた
問題となったのは、コンサルタント会社が提出した「移転補償に値せず」の報告(甲9号証)が「移転補償に該当する」となった経緯で
原告側はその対象物件には前々から人は住んでおらず(要介護5で既に老人ホームに入所)生活が母屋と一体化するためとの解釈は無効であり
コンサルタント会社の意見を変えた過程は極めて疑わしいとしている
この部分の被告側の証言は呆れるもので、証人は該当物件の持ち主に聞き取りを行ったが、それは相手側の話を鵜呑みにするだけで
なんの検証もせずにその家には人が住んでいるとコンサルタント会社に伝え、報告が替わるきっかけを作った
具体的には、証人(職員)は該当人物から聞き取りをして、家には人が住んでいないのは知っていた
彼らは、「怪我をしてどこかの病院に入っている」との話を聞いて、いつか帰ってくる希望があるので、人が住んでいるとの解釈をした
どこの病院で、どの程度の怪我なのか等も該当人物には聞いていなかった
この人が住んでいるとの解釈は、この聞き取りだけの判断ではなく、証拠として提出された家屋の内部の写真からも生活感が感じられると証言したが
この写真を見た人の多くは、どこに生活感があるだろうと感じるほど雑然としたものだった
まして該当人物の母親の住む場所として、その様子が常識的にふさわしいか、大いに疑問を感じるものだ
このあやふやな人が住んでいて(いつか帰ってきてほしい)という判断で、市が大金の支出を進める経過が明らかにされるに連れて
こんな進め方で新城市の行政は大丈夫かと思ったものだが、この時、裁判官や裁判長は驚きとか呆れたという表情を見せた。
終結判決によらない解決案を提案される
とてもわかり易く言えば今回の行政訴訟は、原告の1勝1敗だったようだ。
原告側の非は、2つに別れた物件の片方には請求期限の時効に該当すること
被告側の非は、移転補償決定の決め方に疑いを払拭できないということ
裁判所から出された終結判決によらない解決の文章には「本件に関する一切の事情を勘案し」の言葉が使われているが、このことを差しているものと想像する。
その解決案には補助参加人(穂積市長)は解決金として125万円を市に支払う。
そのうちの25万円を原告側の裁判費用の一部として支払う、の文言が最初からあった。
お互いの事情からこれを受け入れるほうが良さそうだ、ということになったが
ここから先は文章の内容について双方が意見を出しあうことになった
譲れなかった点と譲った点
解決金については双方とも問題はなく受け入れた
問題となったのはそれ以外の点で、原告側は文章の中にこのような事態が起きたことへの補助参加人(穂積市長)の謝罪を入れることを望んだ。
しかしそれは素直に受け入れられず、被告側からは謝罪の言葉の削除が求められたが最終的には「遺憾の意を表す」との表現になった
(遺憾の意を表するという行為はその後の市議会ではされなかった、また新聞への裁判解決の発表資料の中には何故かこの言葉は抜けていた)
もう一つ、もめたところが「補助参加人に第三者の利益を図る意図があったとは認められないものの」以下の文章で、
補助参加人(穂積市長)は移転補償の人物との関わりはなかったとしているが、原告側は「現時点では」の言葉を入れるように望んだ。
今はわからないが、ずっと調べていけばなにか出てくるかもしれないとのニュアンスを込める意味だ。
実際のところ法廷での証言では原告と補助参加人の証言は、同じことを尋ねられて全く違う答えをしている。片や該当人物とは知己の間柄である、片や全然知らない間柄である
だが裁判はこの相反する証言は本筋に関係ないものとして重要視されず、その後論点として浮かぶことはなかった。
(原告側の弁護士が敢えてそのことを追求しなかったのは経験からくる勝負勘からだそうだ)
結局、これについては裁判でお互いが意見を出し合った時点では疑わしいとの結論には至らなかったので、裁判所からの文章が妥当なものと(残念ながら)原告は納得した
あと一つ、解決案の文案の双方のやり取りで割と重要なことがあった
それは被告側から「これをもって移転補償費用についての騒動は全て終了し、以後この件についてはお互いに口にしない」
というような内容のことが書き込まれるよう要望があった。
だが、これは原告側が受け入れられないことだった
なぜなら時効が一年とするのは市民が住民監査請求をした際に適用されるもので、請求者が市民ではなく議会が請求する場合は時効までの期限が5年まで延長されるのだ。
裁判所からの勧告文の最初の部分にはこのような文章がある。
「本件移転補償に際し、損失補償基準要綱の要件を満たすか否かに関する調査に必ずしも十分とは言えない点があり、支出に疑義が生じる不適切な事態が生じた」
とあるが、この微妙な部分の調査を議会がその気になればまだ調査が可能で、市がこうむった損害を挽回できるチャンスがあるというのだ
しかし現実の市議会での(市長との)力関係ではこれは非現実的だが、理屈の上ではまだ追求ができるとする点は、おいそれと手放すことはしたくない
このように原告・被告の一字一句のやり取りは、裁判の結論とは別になかなか興味深いものだった
一つの言葉から推察される何かを想像すること、それは慣れを要するが、よく考えてみれば、そのような意味が込められているのかと納得するものだ。
だがこれらの言葉のひとつひとつの選択は、本質とは違うところの意地の張り合いみたいなものが感じられたのも事実。
その意地の張り合いで、裁判所から勧告を受けてから解決に至るまでは少しばかり時間を要した
こうして長かった裁判は一段落した
ところで終結判決によらない、解決案の主な内容は
1. 本件移転補償に際し、損失補償基準要綱の要件を満たすか否かに関する調査に必ずしも十分とは言えない点があり、
支出に疑義が生じる不適切な事態が生じたことを重く受け止め、遺憾の意を表する
2.補助参加人(穂積市長)は市に125万円の解決金を支払う
3.被告(新城市)は原告らの裁判費用の一部として25万円を支払う
4.被告(新城市)は今後損失補償の事務等に関し、関係法令等への適合性に疑念を持たれないよう、適正に処理すべく一層努めるものとする
との内容である。