パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

教養に関する認識(教養は物知りではないということ)

2015年06月30日 20時45分07秒 | あれこれ考えること

特に西欧を絶対視する訳ではないが、現在の世界の進歩を
導き支えてきたのは西欧の考え方によるものが大きいのは事実
その西欧の考え方とは、ギリシア時代から延々と受け継がれる
知の体系に基づく思考法
原因・結果の検証、物事を細分化して知の緻密な構造物としようとする
大いなる企ては、気分・情緒に流れやすい日本の思考とはかなり趣は違う

どちらが優れているかを比べているのではなく
ただ現実的に今の世の中を支配しているのは西欧的な考え方によるもの

しかしだからといってこの思考法こそが唯一絶対とグローバリスムの名のもとに
強引に推し進めようとすると、それは地域では必然であった発想法・思考を安易に
否定することになり摩擦を引き起こすことになりかねない

それでもとりあえず、西欧の知の体系に敬意を払いつつ
気になったことを少し

数カ月前に講習し、読み始めたもののすっかりストップしている本に
「ハンナ・アレント」人間の条件 入門講義がある

この本の最初の部分になかなか興味深いことが書かれている

日本語の「ヒューマニズム」には通常「人道主義」の意味しか
念頭に置きませんが、ルネサンスの時代のヒューマニズムは
「人文主義」の意味でした。 
何故、「人文」なのか 、どうして「文」がつくのかというと
この時代に「ヒューマニスト」 と呼ばれたのが、古代ギリシアや
ローマ時代の古典のテクストを読解し、紹介したからです。

途中略

ローマの末期になると「ヒューマニティー」のために必要な7種類の
科目が特定されるようになりました。その7つとは、言語に関わる修辞学
論理学、文法と、自然界の法則に関わる算術、音楽、天文、幾何です。 
これらは、自由人=市民のための知的素養という意味で「自由7課」と呼ばれました
これが私たちが「教養科目」と呼んでいるものの起源です・

つまり日本でつい想像されがちな「単なる物知り 」を
教養のある人間とするのではなく
公衆の面前で自らの考えを披露し、相手を説得するための
その基礎となる知識や思考法の持ち主こそが「教養人」
つまりは人間らしさとされた

この部分の深い理解がないと大学の教養課程の削減、廃止などの
方向に進んでしまう
人は実学だけでその人間性を判断されるのではない
特に西欧人と付き合う場合は、彼らは先ほどあげた意味での
教養を体の中に蓄えこんでいる(特に上層レベルの人は)
そこに実学だけの、ハウツウだけの人間が付き合おうとしたら
やはり「エコノミック・アニマル」と言われてしまうのは無理からぬことかもしれない

何のことを言っているか!といえば
日本の政治家の教養は大丈夫かということ
はたして世界に通用する人間性の持ち主か?
そして同じことが若地方都市の新城市の市議会議員にも言える

実学と比較して何ら役に立ちそうもない教養
しかし、この教養こそは人間が最終的な判断を誤らないための
大きな力となると自分は信じている


「かんじんなことは、目に見えないんだよ」

それを見るためには、こころで見なきゃ!
フランス人の飛行機乗りの言葉
ホント、そのとおり! 

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

責任と多数決(新城市議会傍聴から)

2015年06月29日 21時27分53秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市議会6月定例議会
最終日(6/29)の本会議は各種採決
委員会に付託された条例案が結論の形となっていく。

幾らかの条例案が可決されたが、傍聴席も注目の議案は、まずは閉会中の継続審議の申し出の件
わかりやすく言えば、先日経済建設委員会において市道東新町桜淵線の廃止と認定が
継続審査となった件について、審議を伸ばしてよいかを問うたもの。

結果から言えば本会議でこれは否決、それですぐさま経済建設委員会に差し戻し、
審議をした後にもう一度本会議にかけられることとなった。

別室で行われた委員会では前回と同じ討論がなされたが、
議員の一人が付け替え道路の廃止と新たな認定に賛成したために前回の結果とは異なり、
委員会で市道東新町桜淵線は住民投票で市民から求められた結果と同じものとなった。

この委員会の結果を受けて再度本会議で、経済建設委員会が説明を行い質疑等をした後採決、
数人の反対者が出たが、あの問題となった急激なカーブの付替道路は廃止となった。
これで実質的に住民投票の意見が反映される第一歩となった。
そして安心して実務会議に臨む体制ができたというところ。

次に問題となったのは、(と言っても傍聴者の関心のある話題のことだが)
今回の住民投票の結果、及び住民投票にまでなってしまった過程の議会の反省を明確化するために
議長・副議長の解職の要請が討議された。

確かに個人攻撃的な要素は無きにしもあらずだが、この住民投票の騒動の責任を、
(住民投票に至ってしまった問題と、大半の市議が勧めた選択肢1が市民案に負けて、
議員は民意を正確につかんでいなかったのではないかという責任)形に表すことは、
少し厳しいかもしれないが、これも実社会では普通のこと。
これがなくてあの道の駅(もっくる新城)の場合のように結局誰も責任をとらず有耶無耶で終わってしまうならば少し問題がある。
個人攻撃が問題とするなら、少なくとも総括として明らかなモノをだれにでも分かる形として表現してほしいものだ。

これと関連して、ひところブームのように、そして他の地区に先駆けて制定した
新城市議会条例についての変更等についての動議が提出された。

新城市議会条例は存在するものの、その運用実態は条例の精神とは大きく離れているものであり、
今回の住民投票の経緯、結果を見れば見直しは、個々の議員の責任も含めて変更は必須であるとの立場から提案された。

しかし、これは賛成4人、反対13人で否決されてしまった。

ここで少し考えてしまったのは、議会での多数決の問題。

議会で物事を決めていくのは当たり前だが多数決。
だがその多数決であの分かりにくい選択肢による住民投票条例を決めてしまった事実を振り返ると、
議員さんの多数決を信用するしかない市民は、違っている思われる判断をしてしまうことに関してどう対処すればいいのだろう。
(まさかその都度住民投票をする訳にはいかない)
自分たちが選んだ議員さんだから仕方ない?

そもそも多数決を良しとする前提は、個々の議員が議会条例の精神に則って民意の正確な把握と反映が不可欠となっている。
その民意の把握が前回正確になされていなかったのでは!
との意見にも何ら具体的な回答を寄せず、結果的に多数決という数の力で反省の形も見せないとすると、
何か変だと感じるのは普通のこと。

結局政治は数だよ!
そんな声が何処かから聞こえてきそうな気がするが、
その数を確保するために如何に政治がおかしな方向に進んでいくかを考える時、
ちいさなこの地区で起きていることに関しては、そんな開き直った言葉で結論付けてほしくないものだ。

市民から託された思い・願い・責任、そうしたものを改めて思い出してほしい。
でないとまだ任期が2年以上もある議員さんに、
市民がどれだけ我慢しなければならないかという悲惨な状態になってしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひまわりと辻邦生の「夏の砦」

2015年06月28日 08時45分54秒 | あれこれ考えること

画像はゴッホのひまわり
一昨年ドイツのミュンヘンに訪れた時、ノイエ・ピナコテークに赴いて
撮影したもの
こんな風に撮影しても構わないという姿勢にびっくりしたが
そこで中学生くらいの集団に美術の先生らしき人が
いろいろ解説していたのが記憶に残っている

日本はこんなふうな授業は行われているのだろうか?

2年前に撮影したこの「ひまわり」を今になって取り上げたのは
不意に辻邦生の「夏の砦」を思い出したから

辻邦生の大好きなこの作品は〈その割には読み返していないが)
グスターフ侯のタピストリ が、最初に見た時はすごく感動したにもかかわらず
再度見た時には何ら感動を覚えなかった
と、このような話から始まる

そこから展開される物語は思索的であり、かつ物語性にも富んで
いままで辻邦生という存在を知らなかったことが
ものすごく損した気分になったことを覚えている 

そこで、画像のひまわり
ミュンヘンのノイエ・ピナコテークで初めて見たのは20代の時
いろんな知識はないが、多分感性はもっと柔軟で偏見なく
なんでも取り入れられた時代
このときの印象は鮮烈で今も覚えている
〈だからこそ、その記憶、感覚がもう一度よみがえるかを確認しに行ったわけだが)

絵を見ていると、なんだか気持ち悪くなった
花というか茎がニョロニョロと先へ先へと伸びていきそうな幻覚に襲われた
それはある種の生命力のようなもので、とにかく只者ではない迫力に圧倒された

しかし、その記憶の再現を確認しに行った一昨年の対面は
なんてことはない普通の静物画にすぎなかった
じっくり見たわけではないが、その落差に自分自身が驚いて
更に集中して見ようという気さえ起きなかった

「夏の砦」に書かれたことと似ている
「夏の砦」で精緻に表現されているいる事柄を自分に当てはめることは
雑な読み方しかしていないので妥当ではないが
明らかなの何十年という時間の積み重ねが 今の自分を作っており
その何十年の間に自分は何かを得て、何かを失ったということ

何かを失ったと後悔をしている訳ではない
それはある意味必然でもあった
しかし、今振り返ると懐かしさと少しばかりの感傷も手伝って
あの残された時間がふんだんにある可能性に満ちた時間の存在と
素直な感性に羨ましさを覚えてしまう

年令を重ねるということは、何かを得て何かを失う 
仕方ないこと
でも時には子供だった自分を思い出すことは
決して悪いことではないだろう 

ところで辻邦生の「夏の砦」書店の新潮文庫を眺めても見つけられない
いやそれどころか、辻邦生の作品も見つけられない状態
自分が大好きだった作家だし影響をうけた人だっただけに
ひどく残念な気がする
辻邦生の作品は新城市の図書館にも少ない
たしかエッセイ集が少しだけだったような、、
だったら自分が図書館に寄贈すればというところだが
これらの作品は手元に置いておきたいので、、
いつか読み返そうと、、、 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大衆の反逆(再読して?)

2015年06月26日 19時49分10秒 | 

読みかけばかりの本のなか、とりあえず最後のページまで達したのが
オルテガの「大衆の反逆」
 

この本は以前読んだ事がある
そしていつか再読しようと興味をもった
しかし、再読していつもながらの事なのだが、こんな内容だったのかと
自分が全然覚えていなかったことにショックを覚える
覚えていたのは、なにか知らんが面白かったという印象だけ、、
それが自分の能力なんだから仕方がないが 

そして読み返した今でも結局は自分の能力の範囲内でしか
理解できていないが、それはそれでいいとして
とりあえずの感想を

感想の前にいろんな気になるフレーズがある
まずは大衆の定義が説かれる

大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に
価値を見出すことなく、自分を「すべての人」と同じだと感じ、
しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに
喜びを感じるすべて人々のことである。 

この言葉が書かれたすぐ後にこんな文章が続く

ところで社会には、その性質上どうしても特殊であり、その結果、
やはり特殊な才能がないと上手く遂行されない仕事や活動や職務がある。
たとえば、芸術的でぜいたくな性格をもったある種の楽しみとか、
行政の仕事、あるいは社会的な事柄に対する政治的判断などである。
以前はこうした特殊な活動は能力のある人、あるいは少なくとも
能力があると主張する少数者によって遂行されていた。
そうして大衆は、そういうことに口を挟もうとしなかった。
彼らは、もし口を挟みたいなら、あの特別な才能を獲得し、
大衆であることをやめなければならないことを承知していたのだ。

ここで「反逆」という言葉が出てくるが
こうした大衆がいままで少数者の行ってきた仕事、活動に大衆の視点で
参加し、徐々に自分たちのわがままな意見をゴリ押しにしてくる
風潮を1930年時代のヨーロッパ社会から描いたもので
大衆の無目的、享楽的な面が前面に出されて危機感を追って記されている

しかし、この時代背景から大衆に及ぼす影響の部分は認めることができても
現代のIT関連の進歩によってオルテガの予想した世界とは
少し異なってきているのではないか?と思う面もある

特殊な能力である政治、行政については現在はその気さえあれば
少なくとも情報については大衆が正確なモノをつかむことができる
そしてその情報を元に大衆は知恵を持つこともできるようになった

これは市民自治とか地方自治とか、そういう言葉に代表される
政治行政の一般化が特別なものではなく、当然行われるべきものとして
存在している
そこには大衆の無目的、享楽的視点からだけではなく
必要に迫られて専門家的な知恵を持たざるをえない大衆が存在する

このことはここ数ヶ月新城市の住民投票とか産廃阻止の活動を行う
市民団体の活動で身にしみて感じたこと

とはいうものの、まだまだ大衆は
「無関心層」の別の表現でもあるので 
オルテガの指摘のほうが正しい部分も多い

この手の本ではリースマンの「孤独な群衆」
ベルクソンの「道徳と宗教の二源泉」 
を関連して読む(再読する)といいかもしれないが
どうも最近は気力・体力・記憶力、そして老眼・白内障などの
マイナス要因がそれらの本に向けさせないでいる

本は慣れと勢いが必要
バイオリスムが来た時にそれらの本は読むことにしよう
もし来なかったら、その時はその時、、仕方ない ?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

議決の責任(新城市の庁舎建設に関して)

2015年06月26日 19時28分54秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

一般論ではなくて、新城市における住民投票を踏まえての
独断と偏見に満ちた考察(?)

 市民の代表としての議員、その議決における責任が問われているがここで少し素朴な疑問。
議員の下した判断を変えることは責任をもっていないことになるのか?
首尾一貫した態度・姿勢でないことは恥ずべきことか?

 話をあまり単純化してしまうのは、多少問題があるかもしれないが、
議員のあるべき姿とか議会システムをよく知らない自分は、ここのところがどうも気になって仕方ない。 

一般企業、いや普通の人間の生活の中でも判断が変わることは頻繁にある。
朝思ったことが夕方には変わっている。一週間前に言っていたこととついさっき言っていたことと矛盾する。
こういったことは余りにも多いので、逆に首尾一貫していることの方が異常とさえ思える。
そういえば江戸川乱歩の嘘発見器とかいう話だったと思うが、余りにも完璧に答えた人物は、
完璧過ぎるためにそれが人間的でないということで、嘘を言っていると判断された!
というような話があったが、人間はあちこち揺れるのが当たり前の姿なのではないか。

まして状況は刻々と変化している。
判断を下した時点の状況と、現在考えなければならない状況と明らかに違ってきているとしたら、
首尾一貫とした判断を守り続けることは正しいことなのだろうか?
そしてそれが民意を反映していることになるのだろうか?

民意は個々の案件の問題ではなくて、明らかにその議員を選んだ時点で、
お任せしますという意味で、その議員の判断を民意の現れと解釈することができる。
つまりいちいちアンケートをとらなくても、議員の判断が民意の現われと判断しても良いということ。
しかし、自分の意見・判断が民意だと過剰に思ってしまうと数年後の選挙で再選されない
という結果に陥ってしまうので、実際には常に自分の判断力を磨くために努力を〈市民の声を聞く努力を〉しなければならない。

ここで最初の疑問に戻って、議員は議決の判断を変えることは、
先の議決に責任を持っていないことになるかという点だが、自分はお気楽な性格なので、
その時点での判断をすれば、つまり状況が変化したので以前の判断と違う判断をしたところで
責任を果たしていないとは考えない。いや、むしろ真摯に考えているかもしれないとさえ思う。

確かに自分の言ったこと、判断したことを変えるということ、それを公にするということは
人として恥ずかしいことかもしれない。そしてそれをおこなうには勇気がいる。

あいつは前言ったことと、今言ってることが違うと非難されるかもしれない。
そしてこれは実際に先の住民投票の運動の中でもよく見られたことで、
市民の会の代表も、それを応援している市議も、かつては庁舎建設の現計画に賛成したのではないか!
それを今になって変えるとは、、、と過去の判断を批判された。

しかし、状況が変わった時点で(合併特例債の期間が伸びた時点で)再度真摯に考えた結果、
自分の判断の間違いを認め(実はそのように判断せざるを得ない状況もあったらしいが)
勇気を持って、自分の信じる方向に行動したことはなんら恥ずべきことではないと思える。

そしてその真摯な思いは結果として住民投票の結果として現れた。

今議員さんたちは過去に自分たちが下した判断に縛られている。
市民の代表として信託を受けた自分が、その時ベストだと思った判断の変更を余儀なくされている。
今回自分たち〈議員さん〉がベストだと思った判断が実は民意ではなかったということになるのだが、
それをなかなか認めることができなくて、説明不足だった、
まだ民意は本当は自分たちの判断の方にある、、、といった対応をしている。
しかし説明不足云々は、住民投票という限られた時間の中でお互い活動した中での
市民の判断であるから、いまさら説明不足とも言葉を言われても言い訳にしかならない。

確かに説明不足があったとしたら、それは庁舎建設に関する各種のステップにあるのではないか、
基本構想の市民説明会、各種ワークショップ、パブリックコメントに対する対応、
それらは市民理解を得たていたか?
ここには大いに説明不足とか市民との共通認識のなさがはっきりしており、その結果が住民投票をするまでになってしまった。

説明不足はこの時点では多いにあると思われるし、今後この経験をどのように活かすかが問われているが、
今問われているのはここまで逆上った話ではなく、議員さんが議会で議決した「市道東新町桜淵線」の認定を、
住民投票の結果を踏まえて変更することは、議員さんにとって無責任な態度となるか?という点。

自分は、いろいろあるかもしれないが、人間は間違いを犯すものだし、
首尾一貫していなくてもいいんじゃないかな!
と思ってしまう。(もちろんそれではいけないという人もいるだろう)

最終的には個々の人間性に係る問題で、どのような判断を下そうが結果的には
次の選挙に反映されるということに過ぎないのかもしれない。
それでいいのじゃないか!と思ってしまう。

過去の自分の発言、議事録に残された自分の判断、それが現時点での発言・判断と異なる場合、
それを細部に渡って追求するのは無しにして(甘いかもしれないが)大目に見たいのが自分の意見。
もっとも肝心な根本となる点ではあれこれ揺れてしまっては困るが。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新城市住民投票後の現在の状況

2015年06月25日 22時19分26秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

久しぶりに住民投票の話題

投票率53.23%
選択肢1 9,759
選択肢2 12,899 

5月31日に投開票が行われたこの結果を踏まえて
当日および数日後に市長や議長は
選択肢2の案をメディアを前にして進めると語った 

市長はその為に市民案を提案しているメンバーに参加を要請し
見直し案の具体的な進め方を提案し、市民案のメンバーからも
二人参加し定期的に実務会議が行われ、多少の誤差や行き違いがあったとしても
めでたしめでたし!となるはずだった

そして多分多くの市民は今はそのように進んでいると思っているに違いない

しかし現実はどういうわけか、そして残念ながらそうは進んでいない

まず選択肢2の民意を定義し、求める会は議会に請願書、市長に要請書を提出した
ここではっきりと民意の解釈を述べている
つまり、勝利した民意とは3階建て30億の庁舎とするということ
たとえ条例案にその言葉が書かれていなくても実際の市民感情や
マスコミの伝え方を考えるとわかりやすいこの解釈が一般的である
だからこの民意を踏まえて計画を勧めて欲しいと請願・要請したわけだ

そして選択肢の言葉通りの解釈においても
住民投票は「市道東新町桜淵線の変更を伴う」方が多くなり
議会において民意を尊重するなら、
そして議員の結果を重く捉えるの言葉を信用するなら
「市道東新町桜淵線の変更」は 行われるはずと考えるのは当然のこと

しかし、昨日の市議会の経済建設委員会で行われた討論は
この民意を全く反映していないものとなっている
そこで話されていることは、選択肢1を選ぶか選択肢2を選ぶか
どちらが正しいか!と言った議論
〈つまり付替道路が正しいか、変更してしまうほうが正しいかといった議論)
民意は選択肢2を選んだので 、選択肢2の案を進める上で
如何に完璧なものにしていくかといった議論ではない

そこで語られることは今になっても、(結論が出た時点でも)
自分たちは正しかった、民意は間違うことがある、そして説明不足だった
説明が充分に伝えられなかったというばかり
でも、その後で結果は重く受け止めるとも言っている 
これは市民としてどう解釈していいのかわからない 

そして出てきた結論は「市道東新町桜淵線の変更」(つまり廃止)は
継続審査をする
要はまだ結果を出さないという議会の判断を出してしまった 

民意を尊重すると言っていたが、道路の形状について問われた
住民投票で結果として道路の変更を求められたが
議員さんは素直に変更に応じていない

ところが現実は時間との戦いの部分もあって庁舎見直しは
早急に選択肢2の案に沿って勧めなければならない
その為に市長は市民案のメッンバーの参加を求めて
実務会議をそれも公開のもとで 行うことにしている

しかしこの実務会議自体が選択肢2の「市道東新町桜淵線の変更」を
前提としている会議なので、議会がこの変更を決めないと
(もしかして変更をしないという結論になるかもしれないとしたら)
この実務会議自体が無駄というか意味のないものになってしまう 

こうしたことが現実に起きてしまっていること
住民投票の結果を踏まえて物事が進んでいっていると思ったことが
住民投票以前の問題にまで戻って討論されていること
(それは議員さんの理性でコントロールしきれない
 感情の部分が大きく影響しているかもしれないが)
そして結果的に見直しの計画が前に進まない可能性があり
重大な問題となっている

繰り返すが、住民投票の結果を踏まえて見直し案は
粛々とまともに進んでいるかといえば
そうではない
そのブレーキを欠けているのが議会の姿勢
これはしっかりと記憶しておかなければならない

一般的には
自分たちの代表である議員さんたちが、面倒くさい問題を
自分たちの代わりにやっていてくれる
多少の間違いがあったとしても人間だからそこは大目に見て、、、

そんな感覚で議員さんを選んだ人も少なくないと思う
しかし正直な話、それほど批判的に見なくても
今の議員さんたちの行動・判断・そしてそこまではいいたくないが
人間性も疑問を持たざるをえない

これはあの分かりにくい選択肢の文言を議決した時点で
自分は疑問や怒りを覚えたものだが、今になっても
住民投票の結果を重く受け止めると 口にする言葉の
具体的な活動になっていないところを目の当たりにして
頭を抱えたくなってしまう

今一番知ってもらいたいのは
残念ながら新城市はこれが現実という姿

多分、地域を良くするということは
まず 知るということから始まる
市庁舎の見直しの経過を見守ることも大事だが
議員さんたちの判断を見守ることも大事だ
(本当はそこから始まるかもしれないが) 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新城市郷土歴史研究会 ~新城と大岡越前~

2015年06月21日 08時15分03秒 | 徒然なるままに

新城市郷土研究会6月の例会が設楽原歴史資料館内で
20日14時から行われた

6月のテーマは「意外な繋がり新城と大岡越前」
発表者は地元の歴史に並々ならぬ興味を持ち続ける塩瀬眞美氏
 

先月は住民投票に関する市民まちづくり集会で参加できなかったが
今回は扱われているテーマも興味深く楽しみにしていた

大岡越前の守の祖先は、元々は藤原北家教実 で、その末裔が三河国八名郡宇利郷に住み、その後同群大岡に移り住んで名字にしたとされる(寛政重修諸家譜による)
住宅地図には黒田地区に字大岡の文字を見ることができる
少しぼんやり聞いていたので確かではないが、この地区に言い伝えで
とても 神聖な場所、屋敷跡があったという
馬に乗っている人は降りて歩かなければいけないとか、

結局何代目かの直系ではないかもしれないが関係者が
有名な大岡越前の守というわけだ
 

新城と大岡さんのつながりは実際行われた裁判(?)調停に見られるようだ

地元新城には雁峰山という校歌にも歌われる山があるが
この山の入会について寛永15年(1638年)布里、作手と争論があり
そののち亨保11年(1726年)に里方31箇村、山方5箇村が雁峰山の入会について山論をして、その行政的な結果が出たのが亨保11年9月25日とされている 

この結論を出した人物が大岡越前の守というわけだ

面白いことにこの例会で、この結論を書いた立て札が
昔自分も通っていた東郷中学校に残っていて
そこには大岡越の文字が書かれており
裏面には山の地図(絵)が描かれていた
自分の目で見たから間違いはないと力強く発言された方がいた

でも大事なその立て札は今はどうなっているかわからない
東郷中学校を鉄筋校舎に建て替えた時
鉄筋校舎の欠点である湿気によって大事な部分が傷んでしまっていた
そんな記憶があると併せて発言された

ちょっと勿体無い!
今ならそう思うけれど、中学生の感覚なら
「ふーん、そんなものか」くらいにしか思わなかったかもしれない

大事なものの判断は、歴史を知っている人に判断してもらうことが
必要かもしれない 

この他新城だけとは言わず、三河地区出身(愛知県)と思われる
歴史上の人物の紹介がなされたが、それが本当かどうかは別にしても
想像力を刺激する時間となった

学者ではない素人の人がこんな風にいろいろ調べて発表していく
それを聞いている人も自分の手持ちの情報で、より話題を深めていく
これはとても有意義というか楽しい

来月は7月18日
テーマは「あれから70年~ 黒瀬下山地区の開拓を振り返って~」

残念ながら自分は黒瀬地区というのがどこかわからない
ほんと、知らないことばかりだ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

市議会一般質問傍聴(一日目と二日目)

2015年06月19日 20時59分17秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

【一日目】

住民投票が終わった後の初めての市議会。
今回の結果を踏まえて議会はどうのように反省し前に進むものかと興味を持っていたが、
残念ながら時間が取れず傍聴できたのは午後から。
議場に着いた時は山口洋一議員の質問の後半部分。
そして興味を持って聞けたのは続く加藤芳夫議員。

この2つの質問の中で少しがっかりしたのは市(行政)の姿。
自分は基本的に市職員に悪い印象は持っていない。
いろいろ言う人がいるが、自分が出かけて質問をした時には
丁寧にわかりやすく答えてくれたし教えてもくれた。
その意味では感謝することはあっても批判することはなかった。
(もっくる新城のチョンボはいただけないが)

しかし今日はその気持を覆すものだった。
山口洋一市議の産廃業者タナカ興業についての質問の中に、
市は産廃対策会議(11月7日付)で審議した質問を改訂し(変更し)
タナカ興業に提出していたが、それは事実か。
そしてそれは何故か?というものがあった。

市の答えは、
改訂したのは事実。
しかしそれはなかなか返事を返さないタナカ興業が答えを出しやすくするためで、
出た時点でもっと詳しく追求するつもりだった。

しかし、市の担当部署だけで改訂の決断ができるわけではない、稟議書の決済は誰か?
市の答えは、
市長と副市長。(またもや)

答えをなかなか返さない企業の姿勢として問題視されるべきものを、
答えやすい漠然とした質問に勝手に変更したというのはいったいどうなんだろう。
たまたまこのように細かく聞いたからいいものの、
聞かなかったらそのまま改訂された質問で終わっていたのではないかとの疑いが残る。
市(行政)の姿勢としては大いに疑問が残る。

この市(行政)の姿勢に対する不満は次の加藤市議の質問の際にも現れた。
住民投票を行う際に情報の共有化のために行われた市民まちづくり集会が、
公正公平に行われなかったのではないか、の質問に、
議会議決の住民投票条例に基づき、まちづくり集会実行委員とともに
短い時間のなかで公正公平に行ったと繰り返すばかり。
つまり市民が感じているまちづくり集会の公正公平化の評価をどう感じるか
と問うているにもかかわらず、自分たちは段取りを踏んで一所懸命やったと言っているに過ぎない。

この発想は先の質問を勝手に改訂したところに見られるものと似ている。
自分たちは一生懸命やっている、そして間違いはない。
しかし、客観的に見れば一緒懸命することは当たり前だし、
一番問われるのはその行動の及ぼす影響なり結果のはず。
改訂した質問状はタナカ興業に有利なものとして感じられるし、
まちづくり集会でも以前から自分が指摘しているように、
(自分だけでなく内容を知っている人には)とても公正公平ではない。
これは解釈の違いとして片付けられる問題ではない。
解釈の違いを越えて共通認識として踏まえるべき事柄なのだ。

そういえば財政課に聞いた時も同じようなことがあった。
財政はとても慎重に固く、固すぎるくらいのあらゆる状況を考えて計画していますから大丈夫です。
でも、それは彼らの考えの範疇内でのこと、別の視点から見れば万全と思える計画も不備が見つかるかもしれない。
行政の無謬性に対する過信が問題となっているが、実際のところ行政が無謬でないことは
いろんなところで計画の数年後の結果(予定通りに進んでいない)によく現れる。
だからこそ行政の監査・チェック機関として議会が存在するのだろうが。

話が今日の議会の傍聴とは外れてしまったが、
行政も市議も自分の正当性を伝えるだけでなく、
自分たちの発言・行動が市民に結果的にどのようにとられているか、
解釈されているかをもっと真摯に考えないとまた同じ間違いを繰り返すのではないかと不安になった。

今日の傍聴の具体的な内容については、機会があればまた!

しかし、市(行政)も市議もなかなか自らの否を認めないな、
これが今日の一番の実感だったのは残念なことだ。

【2日目】

新城市議会、一般質問の2日目。
何事も慣れは必要でこうした議会の傍聴も多少の慣れは必要。
ぼんやり聞いていると見逃してしまう事は少なくない。
専門家ではないので、ざっとした感想を。

不思議に思ったことがある。
質問者は市長にと問いかけたのだが答えたのは市の職員(総務)。
よくある事と言った感じで進められていったが、何故職員が答えるのか単純に理解できなかった。

そして少し不思議な感じがしたのは5月のまちづくり集会の壇上で市長案を必至に説明していた人物が、
今度は見直し案を(選択肢2案を)必死になって説明しているという事実。
行政とはそういうものかもしれないが、何か奇妙な思いが残る。

質問者が変わって同じ質問が繰り返されたが、市側は気づいているかどうか知らないが答えは少しずつ変わっていったことがある。
庁舎建設計画の進め方について不備はなかったかという問いに、
最初は市民説明会も何度か行ったし、パブリックコメントも求めた、ワークショップを開催し有益な意見の収集も行った、
議会の承認も得て精一杯やったと答えていたのが、何度目かの質問の時に、説明が不十分であった、
充分に伝わっていなかったと認める発言をした。(やっぱりそうでしょうね)

これは実は今日質問を行った人物も認めている節がある。
なぜなら今後開かれる市民の会のメンバーが参加する実務会議は、
住民投票まで至った進め方を顧みて、実務会議の内容や進行状況を広く市民に伝える方法などを
検討する必要があると述べていたからだ。

やっぱり庁舎建設計画の進め方は問題があった。それは歴然とした事実。
その結果住民投票をすることになってしまったと思われるが、本当は住民投票さけるチャンスはあった。
これはある議員さんも言っていたが、市民試案が出されその説明会が行われていた時に、
議員がその市民案について民意の表れの一つとして真摯に向かい合って、その時点で市民案の良い点悪い点、
市長案の良い点悪い点を公平公正に話し合う機会があったなら、そしてそこで調整案なり、更に突っ込んだ話し合いがなされたなら、、、。
でも市民試案の説明会には議員さんは来なかったし、住民投票の「市民自治会議」のメンバーも来なかった。
それは声を上げているのが一部の人と解釈したためか。

今回の投票率は56.23%。ということは44%弱は投票しなかったことになり、
この投票しなかった人の声無き声をどのように解釈すべきか、読み取るべきか、また見直し案に組み入れるかが問題と、
何人かの議員さんよって質問がなされた。
声無き声をどのように取り入れるか?を重要課題としてあげるなら、
実際に声として出ていた声を何故問題視しなかったのかこれも変な話だ。

住民投票は大阪市で新城市の直前に行われて、全国的に住民投票自体が話題となったが、
そのなかに投票しなかった人の解釈の仕方を述べたコメントが有った。
これがキツイがある面スッキリしている。
「投票に行かなかった人は、多い方に白紙委任をしている」。
つまり勝った方の意見でいいと解釈すべきと言っている。これは極論かも知れないが、そういう意見もあるということ。

個々の案件については専門的な面が多くて今の自分には充分理解出来たとはいえないが、
昨日に続いて市の姿勢に疑問を感じる部分が今日もあった。

産廃の問題について、新城市がタナカ興業と環境保全協定を結ぶ動きがあるという点、
地域(八名)は阻止の姿勢だから環境保全協定のような軟弱な方法は取らないのが基本姿勢。
しかし何故か市は地域に変わって環境保全協定を結びたがっている。
市からすれば協定を結んでから様々な制限、規制は守ってもらうと見込んでいるが、
実際のところ、質問を出してもいつまでも答えないような企業が本当に信頼できるかがそもそも疑問。
なぜ、市はそんなに甘い考えで進めようとしているのかが良くわからない。

ところで、質問にもあがった公開での実務協議のスケジュールは

第1回 7月3日(金)19時30分~21時 消防防災センター講堂

第2回 7月9日(木)19時30分~21時 消防防災センター講堂

第3回7月16日(木)19時00分~21時 勤労青少年ホーム軽運動場

第4回7月23日(木)19時00分~21時 消防防災センター講堂

第5回7月29日(水)19時00分~21時 消防防災センター講堂

このスケジュールは広報や防災無線でも告知されるとのこと

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歌う肉体的快感

2015年06月18日 20時23分22秒 | ポール・マッカートニー

高校時代の芸術選択は音楽だった
その音楽の時間、大半は歌うという行為にあてられたが
その時に強烈な印象として残っているのが
シューベルトの冬の旅から「おやすみ」を歌った時と
イタリアの歌曲「帰れソレントへ」とか「マレキャーレ」を「オー・ソレ・ミオ」
歌った時の気持ちの良さが全然違うということ

後者の声を張り上げて歌うことの気持ちよさ
肉体が欲しているような必要不可欠のようなものにさえ思えてくる

シューベルトは沈潜して深い気はするけど
頭で感じている感じ 

そこで話はいきなりポール・マッカートニーに移るが
ポール・マッカートニーの楽曲は声を張り上げて歌うと
とても気持ち良いものが多い

先日取り上げたキャリー・ザット・ウェイトも歌いやすいし

オブラディ・オブラダ のサビも
レット・ミー・ロール・イットも
アナザーデイのサビも
ハイ・ハイ・ハイも
アンクル・アルバートからマルセイ総督の掛け声っぽい歌も
ご存知ヘイ・ジュードも

本当に歌詞の意味云々よりも感情、体が心地よい

歌とか楽曲の評価とは
言語で解説されたものではなくて
演奏され続けることが一番正しい評価ではないのか 

簡単にいえばカバーされる、コピーされること
バーンスタインがビートルズはシューベルトよりも
格上の作曲家と言ったが、なるほどと思ってしまう 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

君が代、平城山、影を慕いて

2015年06月17日 20時08分09秒 | 音楽

サッカーの国際試合の際に君が代が演奏される
しかし、前奏があったりなかったりで選手も
歌い始めていのか 待てばいいのかわからない状態は
少しかわいそうだ

自分はまるっきり同じものが繰り返されるなら
前奏はいらないほうが好み

ところで、自分が日本人だからというわけでないが
この君が代という曲
音楽として結構好きな部類

同じようなテイストで好きなのは
「平城山」
57577の和歌にメロディーを付けて
静かに盛り上がるのか盛り上がらないのか
微妙に解決されない思いが残るところが後を引く

また同じように古賀政男の名曲「影を慕いて」も大好き
これも燃え上がるかといえば沈潜したり
どこかやるせない感じが残る

日本人はそういった感じが好きなのかもしれないが
これらの曲は古い新しいを越えて評価されるべき

ということで、「平城山」と「影を慕いて」のYoutube  

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする