ペレさんが亡くなった
サッカーの神様と言われる人で、印象的なのは白黒の録画の
ワールドカップのスウェーデン戦の得点
(有名な得点シーンなので録画を見ただけだが)
ゴール近くで受けたボールを浮かし相手をかわしシュートを決めた
まるで漫画のようなプレイで、セレッソ時代の柿谷が
シーズンベストゴールを受賞したゴールみたいだが
もう少し優雅できれいだ
この時ペレは10代だった
若い時の発想力の凄さをまざまざと感じると同時に
それを実現する技術の高さにも驚きを覚えた
ペレさんは来日して日本のチームと戦ったことがある
その時、印象に残っているのは2つのプレイ
彼はコートの中央近くにいてゴールに向かって走っている
左サイドの味方から来たパスを受けドリブルをすると思った瞬間
彼は触らずスルーした
思わずハッとした
そしてこの瞬間を見れただけで、この試合を見た価値があったような気がした
そしてゴールシーン
相手と競り合いながら縦に走っている彼は
少し浮いたボールを頭で自分の有利な位置に持ち込んでシュートを決めた
観衆やテレビを見ている人が期待した得点を
あっさりと果たしてしまうのは
得点が入りにくいサッカーというゲームにおいては
特異な才能なのだろうと思う
今年はサッカー界の変化の年だったかもしれない
メッシが最後のワールドカップで優勝し
クリスティアーノ・ロナウドも選手生命の終わりに来ている
ベンゼマもアザールも、、次の時代のスターに席がとって変わられるようだ
爆発力のあるエムバペはこのあと、どんな活躍をするか
日本の三苫は順調に成長するか などなど
興味は未来に向かっている
それにしても、日本はストライカーを育ててほしい
センターでどんと構えるならレヴァンドフスキみたいな選手か
ポジショニングで勝負するならインザーギみたいな選手を
4年の間で育てられるというか、発見できるだろうか
(やはり関心は日本のことになってしまう)
昔は30日には近所のどの家も餅つきをしていた
どこからもペタンペタンと音が聞こえていた
10人家族の我が家は8臼ついて
最後は大根おろしで生餅を頂いたり
子どもも中に餡をいれて大福餅をみんなで作った
年末の忙しい30日に餅つきをしたのは
前日の29日では音に「苦」がつくから縁起が悪いとされていたからだ
ところが今は「福がつく」という語呂合わせで
29日の餅つきも問題なしとされている
昨日(29日)、知り合いのところで餅つきがあった
有機農法をしているひとに、のし餅を注文した人たちが集まって
自分でついたり、ついてもらったりして、その時間を楽しんでいた
自分もお誘いを受けて出かけた
外国をルーツに持つ子どもたちの日本語の勉強に尽力されている人が
子どもたちに餅つきを見せてあげたいとして、中学生になった子どもに
会場に来るように伝えていた
「久しぶり、卓球はどうだった」(彼は中学は卓球部だったので)
「ベスト16までいった」
「偉いじゃん、日本のワールドカップみたいだね。
ところで、ワールドカップは日本とブラジルとどっちを応援した?」
「ブラジル」
この彼が6年のときは、友達から借りた傘を壊したとする事件があって
当事者同士がそれぞれの言い分を戦わせる裁判のようなものをしたことがあった
それは楽しい思い出だが、それより前に彼を強く叱ったことがある
禁止用語とされる4文字を自分に向かって発したときのことだ
彼は勉強をする気持ちが全然見られず、いつまでもノートを開こうとしない
何か一言二言交わしたときに彼は投げやりにそういった
「ちょっと来い!」
少しばかり怒気を込めて勉強している場所から外に出るように彼に伝えた
そこにいた他の子は何事か?と緊張した空気が流れた
教室の外のベランダのようなところに座って彼を叱責した
今はどのように叱ったのか、、覚えていない
多分、何故、怒ったのか、、
何故、勉強を手伝う人は彼らのために時間を費やしているのか
そんなところを話したのだと思う
その時、彼は自分を怖い人の印象を持ったのかもしれない
もっとも叱ったのはその一回だけで
後はもう少し叱ってほしいと声が出そうな、緩い接し方だった
「先生、もっと大きい人だと思ってた
以前は、大きくて怖くてそんな感じだったのが
並んでみると今は同じくらいで、、」
彼との接し方はもう以前の大人と子どもの関係ではなく
お互い人間同士の関係の様になっている
彼も言葉の意味だけでなく、そこに込められた気持ちも
理解できる様になっているようだ
Youtubeで見ただけの餅つきだけでなく、
実際に重い杵を振り上げて腕がパンパンになるまで餅をつく
彼は「重い!」を繰り返しながら最後まで頑張る
今日になれば彼はいろんなところが筋肉痛だろう
だが、久しぶりに見た彼はちゃんと成長していて
それなりの尊敬の気持ちをもって接してくれるように
なっているのが嬉しかった
(もう怖いとは思わないだろう)
英語のdragonflyはトンボの意味だった
ロックはあまり歌詞の内容を理解して聴いていないことが多い
ポールマッカートニーのアルバム「レッド・ローズ・スピードウェイ」
の中の「Little Lamb Dragonfly」冒頭から魅力的なメロディの音楽で
その勢いで意味も理解せず聞き流していたが、
たまたまこの曲を取り上げているYoutubeを見つけたので
レコードを引っ張り出して聴いてみた
そしてdragonflyがトンボだと知って少しばかり感慨にふけった
このLPは「マイ・ラブ」がシングルヒットした時代のもので
二曲目に収録されているが、実は個人的にはこの曲はそんなに好きじゃない
むしろ、「Little Lamb Dragonfly」とか「When the Night」とか
アビーロードを連想させるメドレーとか、ササッと作ってしまったようで
歌いやすい「One More Kiss」とか、そうした曲が好きだ
楽器演奏だけの「Loup (1st Indian on the Moon」もピンク・フロイドを
連想させるような曲で、昨日久しぶりに聴いてみると
案外いいアルバムだなと再確認した
今の気分にあう音楽はバッハの「クリスマス・オラトリオ」でもなく
ベートーヴェンの第九でもなく、これらのポール・マッカトニーの音楽だった
ウイングスの初期はポール・マッカートニーはさほど評価されていなかった
だが「マイ・ラブ」のおかげで少し持ち直した
前作「ラム」でポール健在を実感した自分は
「毒を食らわば皿まで」の気持ちで、ポール・マッカトニーのアルバムを
その当時の評価も関係なく無条件に購入した
その時も先に上げた曲は気に入っていたが、本当にしばらく聴いていなかった
話は急に変わるがサッカーにおいて、メッシの最盛期のプレーを見る事ができた
我々は幸せだと思うが、同様にポール・マッカトニーの活動をリアルタイムで
経験できている自分らは幸せだと思う
(でも今の若い人たちには伝説の人になっているかもしれない)
ポールのライブは3回見ている(聴いている)
ウィーンで一回、東京ドームで一回、名古屋ドームで一回
その一回一回に今も印象に残っているシーンがある
それは個人の記憶の中にだけ存在する宝物だ
今まで真面目な音楽ばかり聴いていたが年の最後は
ポールマッカートニーの音楽で締めようか
「タッグ・オブ・ウォー」「パイプ・オブ・ピース」は結構好きだが
ポップな「ロンドン・タウン」も楽しめそう
ところで上にあげた音楽のYoutubeは
Little Lamb Dragonfly (2018 Remaster)
When The Night (2018 Remaster)
One More Kiss (2018 Remaster)
Paul McCartney - Red Rose Speedway - 08 - Loup
Medley: Hold Me Tight/Lazy Dynamite/Hands Of Love/Power Cut (2018 Remaster)
大掃除が終わった
約一時間半、脚立を持ちだして高いところの煤払い
よくもまあ、こんなにホコリが溜まるものだといつも思う
ホコリの色は灰色なのは何故?
と、ずっと前に「チコちゃんに叱られる」でやっていたが
いろんな色が交じると灰色に見えるというのがその時の答えだった
光はレッド・グリーン・ブルーが混じると透明になるが
色彩(光を反射して見える色)は黒に近づく
それは絵の具を混ぜると納得する
こんなふうに物事を科学的に考えるのは悪くない
夜中に目が覚めて、何年越しで最後のページまで行ったのが
「ワープする宇宙」リサ・ランドール
美人の顔写真がなかったら購入していなかったかもしれない
今までに本質と無関係のお顔で購入したのはエレーヌ・グリモーの
ピアノリサイタルと彼女の書いた本
それに続いてこの本だ
男はしょうもない生き物だな、、、と思う
この本は現代物理世界で格闘しているところをリアルタイムで紹介している
統一理論とは電磁気力、弱い力、強い力、重力の4つの力を
同じ理屈で説明しようとする世界で、重力を除けばなんとなくまとめられるようだが
重力がどうしても説明できない厄介なものらしい
その説明をするためには普段の生活するスケールではなくて
もっと小さな素粒子の世界まで入らなければならない
そしてその世界では相対性理論だけでは解決できない問題が存在する
つまりは物理学者を悩ませる様々な現象が起きる
この解決法として、ひも理論とか多次元宇宙の概念を紹介している
最近耳にする「ひも理論」だが、これは説明の部分を読んでもわからない
同様にわからないのが多次元の世界
数学者や物理学者は多次元の世界を違和感なく想像することができるらしいが
素人にはお手上げだ
もっともこれは困難を伴う思考で「やめたほうがいい!」
と若手の学者にアドバイスされるのは素粒子論と宇宙論らしい
今は便利な世界で「ひも理論」と検索すれば
それを説明する動画が見つかる
わからないが読み続けて、その動画を見ると
そのようなことが書いてあったな!
と、なんとなくわかった気になれる
と言っても、本の大半はわからないままだ
こうなると意地になって最後のページまで行くぞ!
と決める
この本ではっきり自覚したのは、様々な可能性の有りそうな考え・アイデアを
必死になって取り組んでいる物理学者の迫力だ
言い出しっぺの多次元宇宙をそれにこだわるのではなくて
それさえも多少の疑いを持って考え続け、そして実験結果を待つ
なんかよくわからんが、必死に戦っている
それだけはわかった
この何百ページもある本は目を通しただけかもしれないが
それでも世の中は不思議なことが多くて面白いと素直に思う
それにしても大掃除が終わって、ホッとした
最後にならないとできないもの
夏休みの宿題、年末の大掃除、年賀状
掃除は毎年、こまめにやっておけば、、と思うだけ
(昨日はお風呂の掃除をした)
年賀状は字がうまくないのでパソコン頼み
だが作業に取り掛かるとソフトのヴァージョンアップを求めてくる
これだけのために数千円はもったいない
ということで、古いまま使えるところを使って
裏面もいつでも使えるものを採用した
年賀状の販売数も減っているそうだ
企業が仲間内の年賀状は自粛する様に!
としているところもあるそうだ
そういえば、最近はカレンダーを気前よく配ってくれる
ところも無くなってきた
現役時代では、毎年頂いて便利だった手帳もあっさり中止になった
もうあの時代には戻らない
無駄がなくて、余裕もなくて、、
そんな時代が当たり前の今の若者は
いい時を知らないから少しばかりかわいそう
クリスマスに知り合いからラインでジョン・レノンの
「ハッピー・クリスマス」を送ってきた
この曲は個人的には彼の有名な「イマジン」よりも好きだ
その理由は案外はっきりしている
途中のコーラスによるおおらかな旋律と
メインのメロディとの掛け合いがとても気持ちいいからだ
対位法と言われる技術らしいがサウンド・オブ・ミュージックの
「ドレミの歌」でも同じようなところがある
ドミミ、ミソソ、レファファ、ラシシとリスミカルに歌う部分と
ドーソ・ラーファ・ミードーレと大きく歌うところだ
いつもこの掛け合いの部分は楽しくて心ウキウキする
ある旋律と違う旋律を同時に歌う
それが見事に調和するのは本当に心地よい
ジョン・レノンの同僚・ライバルのポール・マッカトニーの曲でも
「エリナー・リグビー」でやはりこの方法を使っている
最後の部分で、冒頭のメロディとメインのメロディを同時進行している
このように洋楽ではこうした方法は時々見られるが
日本の曲はあまりお目にかかったことがない気がする
わずかに、河合奈保子の「エスカレーション」で最後の方でやっていたが
今、パッと思いつくのはない
女の子が大勢みんなで歌うことの多い最近の音楽
大勢いることはその強みを生かして
ちょいと複雑な音楽的な仕掛けとか効果を狙ってもいいと思うが
声を合わせて歌うことが多すぎて、どうもつまらない
(もっとも自分が知らないだけで色々やってるかもしれないが)
人は情報の大半を視覚から得ている
だからショービジネスの歌の世界はダンスとか
ファッションとかの視覚的要素が大きく取り扱われ
音楽自体の持つ力は脇役のようになっている気さえする
確かに理知的な対位法の音楽ばかりだと面倒くさい
と思うかもしれないが、バランスよく音楽自体の楽しさも
味わえるような楽曲があると良いなと思う
クリスマスケーキを購入して人並みに幸せを感じる時期は
だいぶ前に過ぎている
だが時期のものに全く無関係で過ごすのも味気ない
そこで、クリスマスの品物を手に入れた
ドイツのクリスマスのケーキ シュトレンだ
近所にこれを作って販売している店があったので
ドイツ好きの自分としては見逃すわけにはいかない
フランスのクリスマスケーキ、ブッシュ・ド・ノエルは
今まで購入したことも食べたこともない
見た目が生クリームいっぱいそうで今の年齢では脚が遠のく
シュトレンはパウンドケーキみたいなもので
質実剛健なドイツらしいケーキだ
ドイツとケーキはイメージしにくいが
若い頃ドイツ放浪したときの出納帳には
毎日のようにケーキを食べていた記録が残っている
今でも印象が残っているのはケーゼクーヘン(チーズケーキ)だ
レモンの香りと酸味があって美味しかった
日本ではチーズキーキといえばベイクドタイプばかりで
レアチーズケーキは出回っていなくて
チーズケーキと注文してあのケーキが通じないのが不思議だった
クリスマスがシュトレンならお正月は干し柿だ
先程、新城軽トラ市に出かけて、飯田の方から出店している
いつもの店で割安で手に入れた
自分にとってのお正月は干し柿だ
日が差し込む大好きな祖母がいる部屋で
小学生の自分が串に刺さった干し柿を頬張ると
どこかカビ臭い香りが鼻に抜ける
だが不快感はなく、祖母がいる安心感と幸福感で満たされていた
だから干し柿を食べるといつもこのシーンを思い出して
とても穏やかな気持になれる
これは「失われた時を求めて」のマドレーヌのシーンと同じだろう
干し柿の賞味期限は1月20日くらいとアドバイスがあったが
そんなに食べすにいることは絶対ない
人は何かを食べた記憶というのはしっかり残るものだなと実感する
あと少し読めるかもしれないが、今年を総括する読み終えた本はこんな感じ
本の評価に現れているが、前半はまずまずの読書体験
ところが後半になって、いい本に出会っていないというか、リズムを崩したというか
本を読んでいても焦りぎみで印象が薄い読み方しかできていない
良い本の評価基準は「読んでよかった、またいつか読み返そう」と思うのが優
今年はシュンペーターの「資本主義・社会主義・民主主義」2が
同じ優の中でも際立って印象に残っている
今後はもう少し腰を落ち着けて、速読の誘惑に乗らず
じっくり想像力を働かせて読むことにしよう
それにしても、人は本当にいろんなことを考えたり
書き残したりするものだ
と同時に、自分の知っていることなどは
ほんの一部でしかないと思い知らされる
ところで今年中に読み終えたい本は、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」
余剰次元とかひも理論とか量子物理学を扱っていて
途中で絶望的に頭が混乱するが、それでも意地になって
最後までページを捲りたいと思っている
(なんだかぼんやりと大枠がわかるような気がして)
本を理解するということは、生活の中でいろんな経験をすることに通じている
以前わからなかったことが、わかるようようになるのはそのためだが
最近は巣ごもり生活が多く、社会とあまり関係していないのが
後半失速の原因なのかもしれない
改めて思うのは人は喜ぶときにジャンプするということ
日本でもアルゼンチンでも
ゴールが決まったり勝利が確定したときなどは
ぴょんぴょんと跳ねる
大声を出す、ぴょんぴょんと跳ねる
これは人種・民族に関係無さそうだ
(なぜ跳ねるんだろう?何か生理学的な理由はあるのだろうか)
話は変わって、アルゼンチンでは
ブエノスアイレスに500万人ほどの人が
優勝選手をひと目見ようと集まったとニュースにあった
すごいな!と思うと同時に
あの人達のトイレはどうするんだろう?
と下世話な心配をしてしまった
あの人達が120分と少しの間に
歓喜・失望・不安・歓喜・失望・不安・歓喜の感情を
同時に経験したという事実と、それが国民の記憶とか
経験になっているというのは本当にすごいと思う
またまたサッカーの話
フランスはPK戦に弱いかもしれない
記憶に残っているフランスのPK戦は、自分がドイツを応援する
きっかけとなった試合で、ワールドカップスペイン大会での準決勝
フランスはプラティニ、ティガナ、ジレス等の優雅な中盤で
パスワークが素晴らしくシャンパンサッカーと名付けられていた
一方ドイツは質実剛健の感じで日本で知られている選手としては
リトバルスキーがいた
そのリトバルスキーが先制点を奪ったが、プラティニの得点で追いつく
試合は90分では勝負がつかず延長戦に!
ここでフランスが2点を奪う
サッカーのように点が入らないゲームはこれで勝負ありと思ったが
その後のドイツの粘りがすごかった
あまり格好のよくないオーバーヘッドと執念のシュートで同点に
この試合をリアルタイムで見ていた自分は本当に興奮した
決着はPK戦となった
ドイツの最初のキッカーはシュテーリケでゴールから外してしまう
その責任を感じた彼は肩を落として嗚咽する
それを近寄って慰めるドイツの選手
もつれた試合はフランスの選手もPK決められず
最後はドイツの勝利となった
ドイツはすごい
精神的にタフなドイツ、これ以後ドイツを応援するようになった
この大会はイタリアとドイツで決勝戦となったが
準決勝で力を使い果たしたドイツが
大会の得点王ロッシ等の得点で負けることとなった
ドイツはマラドーナとの決勝戦でも一度は2点差に追いつく
またいつの大会か忘れたがユーゴスラビアとの戦いでも
先行された3点(だったと思う)にも追いついた
ドイツに勝つのには苦労する、、
それが世界のサッカー界の認識だった
そのドイツに日本が逆転で勝ったのは一つの実績・歴史として大きく
日本のサッカー界の大きな自信となると思う
(と同時にドイツもメンタル強靭さが無くなってきているのかもしれない)
ワールドカップのPK戦でもう一つ覚えているのが
イタリア大会のアルゼンチン対ユーゴスラビア
ユーゴスラビアは監督がオシムさん、キャプテンがストイコヴィッチ
点取り屋としてサビチェビッチがいた
この試合はマラドーナ対ストイコヴィッチのエース同士の戦いと
試合としての勝負が見どころ
ところがユーゴスラビアは退場者を出してしまう
一人少ないユーゴはストイコヴィッチの信じられない頑張りで
幾度も得点のチャンスを生み出す
だが最後が決められず、ついにPK戦になった
このPK戦でストイコヴィッチは外してしまう
120分で獅子奮迅のプレイを展開し続けたストイコヴィッチが
どういう運命のいたずらか、、外してしまった
結局、PK戦にしぶといアルゼンチンが勝ち残った
(アルゼンチンはPK戦に強い)
負けず嫌いのストイコヴィッチは、個人的なパフォーマンスとして
マラドーナとの戦いでは「自分のほうが勝った」と口にした
それは負け惜しみではなくその通りだと納得した
そのストイコヴィッチが名古屋グランパスに来ることとなった時は
本当に驚いたし、彼の全盛期のプレイを見ることができたのは幸せだった
スペイン大会のドイツ対フランス
イタリア大会のアルゼンチン対ユーゴスラビアの試合は
名勝負として時々放送されることがあるが、
次に再放送されることがあったなら見逃さないように、、、