パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

晴耕雨読

2019年06月30日 09時17分57秒 | 徒然なるままに

朝からとんでもなく蒸し暑い
雨の日や曇天の日はやる気が起きない
人は天気に左右される動物と実感する

こんな日は、日曜日だし晴耕雨読が一番かも
先日図書館から「ただいま浪人」遠藤周作を借りてきた

昔、大学の下宿をしていた頃この小説がテレビドラマ化されて
主人公のお姉さんが切ないな(俳優さんとの先が見えない恋とか俳優さんの手術とか)
と感情移入しながら見ていたものだった(知人の部屋で)
タイトルの浪人は江戸時代の浪人ではなく、受験に失敗した人浪人生のこと
確かこの浪人生は最後に三億円事件を思わせるような事件に巻き込まれることになったような記憶が残っている

というわけで、今日は寝転んで晴耕雨読三昧のつもり
途中で眠たくなったらそのときはその時

ところで今朝の中日新聞の一面の書籍広告に「20歳の原点」の文字があった
高野悦子のこの本も「ただいま浪人」と同様にどこか消化しきれないザワザワとした感情を呼び起こす
僕らが青春のあの時代は、結局何も生み出さなかったとしても、
今と比べてひたむきな時代だったと、、思ったりして、、、



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「新聞記者」と「仮名手本忠臣蔵」

2019年06月28日 20時06分01秒 | あれこれ考えること

今日から公開の映画「新聞記者」
見に行くのはいつにしような、、と迷っていたが、結局気が急いて
豊橋ユナイテッド・シネマの3時20分の回を見ることにした
観客は16人ほど、その時間を考えると多いのか、少ないのか

まずはこのような内容の映画が上映された事実が馬鹿にならない
フィクションというものの、誰もがすぐに思いつく実際の事件のエピソードが
散りばめられている(伊藤詩織さんの事件、加計学園を連想させる事件、前川さん絡みの事件、、)
不意に江戸時代の「仮名手本忠臣蔵」を思い出した
あの赤穂事件をそのまま実名で演劇化することはできないので、時代も名前も変えて
でも見てる方は何を暗示しているかわかっている歌舞伎
それは庶民のお上への反抗心だったのかもしれない
この映画から感じることも、ささやかな反抗のように思われる
歴史を書き残す人々はどこか誤魔化しをする(可能性がある)
それを見破ったり警鐘を与えるのが庶民の残すもの
万葉集の貧窮問答歌、防人の歌、四条河原の落書などはその時代を知る貴重な資料だ
公にフィクションと宣言しているものに、権力は(今のところは)手を付けられないだろう

映画はハリウッド映画の「ペンタゴン・ペーパーズ」と似たメディアが舞台の中心だが
派手でハッピーエンドに向かうアメリカ映画とは違って、地味な作り
時間があればもう少し劇的、まとまった内容にできたかもしれないが
現状では仕方ないかもしれない(予算も社会状況も)

映画のなかでリアリティを感じた場面は、松坂桃李の演じる官僚が自分の赤ちゃんを見て
自分の行っていることは正しいことなのか、、、と気づく(考える)シーン
多分人は子供を目の前にすると、どのような世界にしたほうが良いのかを考える(と思う)
自分は判断に困ったときはずっと昔から
「それが子どもたちにとって良いことかどうか」で決めることにしている

あと一つ、女性記者の父親の残したことば「何よりも自分を信じ、(それを)疑え」
これも実感として、ボヘミアン・ラプソディの「I decide who I am」と同じくら記憶に残った

臨場感とかスケール感はなかったが、見ておいて損はないと思われる
ところで主演の女優さんは韓国の方だ
日本人でこの役を演じるのはなかなか色んな面で難しそう
そういう心配をしてしまうこと自体が、あまり良くない社会状況を表しているのだろう


映画『新聞記者』予告編



 

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おさらいとしての源氏物語関連本

2019年06月23日 19時11分31秒 | 

実感として読んで良かったと思っているのが「源氏物語」
もちろん現代語訳だが、これを読んだおかげでずいぶんと
頭の中(心?)が豊かになったと感じてる

しばらくはマイブームで関連する本を読んでいたが、再び図書館で関連本を借りてきた
それがこの二冊

「マンガでわかる源氏物語」は、ストーリーのおさらいで、仮に源氏物語の現代語訳を読む前にこの本を読んだら
今読んでいるように理解が進んだかは少し疑問かもしれない
初めて読む物語は、何が起きているか正確に理解できず、そのあたりをウロウロとさまよっているだけとしても
明らかに自身の体験として刻み込まれる
だから、おさらいのような本を読むとつぶさに思い出して、あのときのことはこういう内容だったのかと
再確認が容易になる
ところが、こちらの方を最初に読んだとしたら、筋の全体はわかったとしても内的な印象まで及ばず
源氏物語に関する興味もそれほどではなかったかもしれない

スマホの取扱は試行錯誤でいろいろ試してみて、その後で取扱説明書を読むと理解が進むように
まずは本も原本を先に読んだほうがいいだろう
(全体主義の起源も、自由からの逃走も、大衆の反逆も)

ストーリーは多分人に説明できるくらいは覚えることができたかもしれない
そうなると、別のことまで関心が行くようになる
この本によると江戸時代も源氏物語は評判で、奇妙な終わり方のその後のストーリーとか
途中の物語も誰かの手によって作られたとか、、
出来は悪いらしいが、ちょっと覗いて見たい気がする
それに平安時代の生活というのは一体どうだったのかと(髪を洗うペースとかお風呂とか猫とか)
気になってくる

これらは実生活には何も役に立たないが、少なくとも自分がそれを知って満足できるから
それが豊かになったと感じることになる(きっと)

もう一冊「紫式部の欲望」の作者、酒井順子さんは中日新聞の日曜日でおすすめ本を紹介するメンバーの一人で、
どんなことを書かれる方なのだろうと興味を覚えて借りることにした
紫式部は物語という形式のなかで、自分の意識に潜む欲望を表現していると短いエッセイがまとめられている
「お姫様抱っこ」されたい、、気持ちは男の自分でも何となく分かる
そのようになんとなくわかるかも、、というのがいくつもある
「連れ去られたい」「ブスを笑いたい」「嫉妬したい」「プロデュースされたい」「頭がいいと思われたい」
「見られたい」、、「モテ男を不幸にしたい」、、、「都会に住みたい」、、、「乱暴に迫られたい」
「秘密をばらしたい」、、「笑われたくない」、、「いじめたい」、、、「出家したい」

この本を読んでると所々で紹介されているが、清少納言の悪口を書いている「紫式部日記」も読んでみたくなった
そういえば空海と最澄も最後の方はあまり仲良くなかったようだし、
どうも人と人の間の人間というやつはなかなか難しい

ところで、図書館からもう一冊借りてきた
その本は松本清張の本で「現代官僚論」と名付けられた考察が収められている
マックス・ウェーバーの抽象的な官僚論は以前読んだから、
今度は松本清張の生々しい官僚論で現実の把握に挑戦というわけだ
源氏物語絡みの上の二冊は読み終えたから、しばらくはこっちの面倒くさいのを頑張って読もう




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違和感を感じる進め方(何故か急ぎすぎ)

2019年06月21日 21時27分04秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

コパ・アメリカのウルグアイ戦、スアレス、カバー二がいるなかアウェイで2-2の引き分け
よくやった、、(負けないで良かったと言うより勝てずに残念)
今回は縦へのスピードがあってなかなか良かった

そのDAZNの中継を無理やり振り切って出かけたのが新城市の本会議場
少しばかりややこしい気になる問題があったので、仲間と一緒に傍聴した
以下は愛知県の新城市の問題

新城市は住民投票があったり、市長リコール運動があったり、政治倫理審査会が立て続けに開くことになったり
めったにない住民監査請求と住民訴訟裁判があったり、また市議会議員が主導する団体が不正な会計処理で
市からの補助金を返還することになったり、産廃進出問題で奇妙な「買い戻し特約」の破棄がなされたり
つまりゴタゴタが収まることなく続いている
そんななかでのこと 以下別のブログからのコピペ

昨日(6/20)・今日(6/21)新城市議会の傍聴に出かけた
昨日は一般質問、今日は追加議案の説明と質疑などが行われた
今回の定例会で気になるのは、4〜5億円の金額がかかると言われる
新城市浅谷の養鶏場の買い取りの件
これだけの金額だから気になるのは仕方ない

この養鶏場の買い取りについては、4月26日に臨時会が開かれた時に
急に5億円強を上限とする債務負担行為の議案が提出され
議会は「この上限金額が買上げ金額ではなく、不動産鑑定の結果を見て買取の可否は判断する」
との認識のもとに可決された

そうなると気になるのは不動産鑑定のこと
不動産鑑定士はどのような根拠で、いつ選ばれたのか
不動産鑑定の面積は市が公表している2つの面積
18,232.10㎡(実測46,303㎡)のどちらを基にして行われるのかという点

これは昨日の澤田議員の一般質問で明らかにされたが
少しばかり違和感を感じさせる市側の答弁だった
ひとつには不動産鑑定士の選択は入札ではなく随意契約であったこと
(最初の議員への報告は入札だったとの情報あり)
少額のものなどは入札によらず随意契約でも良いとの条例があるようだが
今回は100万円を超えている(市の条例では工事は130万円以下は随意契約が可)
でも不動産鑑定が工事?と疑問が湧く、
で調べてみると柏市の例を見つけると委託(測量など)50万円以下というのが見つかった
(もう少し違う理由で随意契約としたのかもしれないが、よくわからない)

今回数社あると思われるなかで、その不動産鑑定士に発注をした理由は何か
と澤田議員が聞くと
その企業を選択した理由というより不動産鑑定の一般論が述べられただけで
該当企業が選ばれた理由は不明
次にその随意契約をした日付を質問すると4月26日との答え
4月26日といえば、臨時会で債務負担行為の議決が行われた日だ
議決のあったその日のうちに市はある不動産鑑定士の企業と契約をしていた
そして、その不動産鑑定の回答期限がまた少し驚く
今年は5月に10連休があったのだが、締切は5月24日
そんなに早く結果が出せるものなのだろうか
(というより市は妙に急いでる印象を覚える)

次に不動産鑑定の面積はどちらで行われるかについては
18,232.10㎡の方は登記されているが、実測の46,303㎡は登記されていない
にもかかわらず約三倍大きなの面積の方で買取金額を出すとの回答、
登記されていない面積で行うのは何故なんだろう
そしてその大きな面積は基本的に土地を買い上げてほしいとする企業からの資料(H9年)によるもの
それを一方的に信じて行って果たして良いものか

他にも首を傾げる部分がいくつかあって、気持ちが吹っ切れない

不動産鑑定はまだまだ結果が出ず正式な金額の高い安いを検討するのは
もっと先のことだと思っていた議会に、今日、養鶏場とは仮契約を結んでいる(6/14)ので
その不動産鑑定の半額の2億某を補正予算としたいと議案が急に出され、この議案に関する質疑が行われた

この議案について質疑を行ったのは、
山口市議、柴田市議、澤田市議、浅尾市議、鈴木市議、小野田市議、山田市議の7人
ところが、この質疑の内容が傍聴者には手元に資料がないし、法律的な解釈のやり取りが多くて
なかなかわかりにくい
市議会議員でも自らの職業体験でこの手のことに詳しい人はいいが、そうでない議員さんは
質疑をするためには一から勉強し、調べ物し、頭を整理して質疑に臨まなければならない
ところが今回はその時間が全然なかった
急に補正予算の議案が出され、急に質疑を行うことになったのだ
質疑の作戦を立てるとか、市からの分厚い資料を読み解くために寝ずに頑張った市議もいたようだ
しかし、質疑の場が戦いの場であるとすれば、今回の勝負は行政の方に分があったかもしれない
職員の方で議員に対して「もっと勉強しておいてください」と「そこまで言うか!」
と感じさせるような答弁をされた方がいた
討論の場になれば現実的には情報量の差、日々携わっている経験量で議員さんは職員にはかなわないのが多分現実だ
だが、市議会議員には何か普通でないことに対する違和感・直感・常識だったり、
市民はこう考えるだろうなとの想像力がある
それは専門バカにはない視点と役割だ
つまり職員に対し専門性で劣ったとしても、自ら信じる人間性による判断をベースにするなら
一概に馬鹿にされるものではないということ

急いでいる、急いでいないの判断
行政は特に急いではいない、、と当然口にする
しかし、こうした状況、不動産鑑定士の発注日、回答日、急な補正予算の提出と
議員に考える暇を与えないような質疑の実施は、やはり外から見てると妙に急いでいると
感じさせるものだ

ところで、質疑の何人かの議員さんも口にしたが、彼らは別に買い取りに反対をしているのではなくて
これだけの金額を議決することになるのだから、もう少し精査・検討する時間があったほうがいい
といった、ごく真っ当なことを言ってるに過ぎない

ところで、市のこの分野の担当の方は、例の新庁舎用地外の移転保証費返還裁判の案件でも
中心になって動いた人物で、もっくる新城でもみっともないミスをした人物

新城市は裁判の合意の中に、「今後、疑念を持たれないように適正に処理すべく一層務めるとする」
と注文をつけられているのだから、もう少し丁寧なステップで進めるべきだと思うのだけれど










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気になった部分(職業としての政治)

2019年06月17日 10時43分30秒 | 

昨日の続き
「職業としての政治」の記憶に残った部分
(本質と関係ないかもしれないが)
 
「あなた方はあれほどまでに軽蔑している政治家たちに統治されて、どうして平気なのですか?」
「国民が軽蔑している人々に統治される方が、国民を軽蔑している官僚階級の人々に統治されるよりまし」
これなどは、現在のツイッター上の我が国の首相への批判を連想させる
(そこでは批判というより馬鹿にされたり軽蔑されている感じ)

だが困るのは次の、国民を軽蔑しているのも現政権じゃないのかなと感じられること
国民は軽蔑してる、そして上の方も国民を軽蔑してる、、、
これじゃ救いようがない

「職業としての政治」は政治家として必要なエトスを挙げている
情熱・責任・判断だ
これなどはそのとおりで疑う余地がないが、そこでリアリティがあるのが
政治家となるような人々のキャラクターを踏まえていることだ
政治家となるような人には本能的な権力意識が存在する
見えを張りやすい
つまりは、弱い人間として日々自分に勝つような習慣付けをしないとダメということ

あとジャーナリストについて、こんなところも記憶に残った

有力者のサロンに顔を出すと、新聞記者は一見したところ対等にもてなされますし、
時にはお世辞も言われますが(というのはジャーナリストたちは恐れられているからです)
しかし[サロンから立ち去って]ドアを閉めた瞬間に、サロンの主はお客たちに
「やくざな新聞屋」と付き合っていることに弁明しなくてはならなくなる、、、

メディアはこのくらいの扱いとしか思われていない、、のが現実なのかもしれない
でもメディアはその現実に気づいていないような気がする

ところで、職業としての政治「100分de名著」で扱ってくれないかな、、




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今年一番の本かも「職業としての政治」M・ウェーバー

2019年06月16日 16時30分16秒 | 

名前は知っていて気になっていたが、難解そうな文体にその気になれずにいたが
急に「今だ!」との内側の声が聞こえて手にしたのが、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」

これが読みにくいどころか、次から次へと興味が刺激されてとうとう一日で読み飛ばしてしまった
(これはミュンヘンの学生に向けて行われた講演をまとめたものらしいが
 そのせいで「権力と支配」より随分わかりやすいものになっていたのかもしれない)

読む前は職業政治家として「政治によってに生きる」と「政治のために生きる」と分けられ
その倫理的なことを扱っているかと思いきや、その予想はまるっきり外れ
呆れるほどの広範囲に渡っての分析、政治家当事者の心理的傾向、そしてその周りの人々の行動などなど
が細かく紹介されて、その一つ一つがリアリティを持って迫ってくる
(ジャーナリストの問題も出てくる)

今は読んだばかりで少し興奮状態
だが、とても大事な本を読んだ実感が体全体を覆う
この本は今年一番の本かもしれない、今はそんな気がしている

この本が今の日本でよく読まれて、その肝心なところを理解されているならば
日本の世の中はもう少し良いものになっているのではないか、、、と思われてならない

ところで、日本人でこの手の全人格的な本を書ける人は誰がいるのだろう

 

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間違えても仕方ない?

2019年06月13日 09時54分24秒 | あれこれ考えること

市民が税金の使い方についての疑問があるとき
間違った使い方をしていると思われるとき
市民には「住民監査請求」という手段がある

カクカクシカジカの行為によって市民は損害を被ったので
よく調べて、その損害分を返却してもらうようにしてしてほしい
と監査委員に訴えるものだ

この住民監査請求は三年ほど前(新庁舎以外用地移転補償費返却の)行政裁判の前段階として行われた
その時も問題となったが、この住民監査請求には時間的な制限がある
行為(支払い)が起きてから1年以内に住民監査請求はしなくてはならない
とされている

この1年以内というのは、時々例外があって全部が全部に適用されるものではないらしい
先週の土曜日に、「行政訴訟裁判の報告会」が行われ、弁護士さんとの質問タイムに
この住民監査請求の時効の話がでた

たまたま、ごく最近、市議会議員の政務活動費についての住民監査請求を起こしたところ
既に1年以内の、、時効が成立しているので、この請求は却下、、との監査委員の結論がでた
との話を聞いた弁護士は「それはない、、時効などにかかっていない」と即座に答えた

この弁護士は政務活動費についてこれまでにいくつもの裁判を経験してきた人物で
いわばこの分野の専門家

どうも監査委員の判断が間違っているようだ
でも間違っていたとしても既に結論は出ている
このようなときはどうするか
監査委員に文句は言えないのか
「現実的には監査委員も素人のことが多く、間違いも起こす可能性がある
 だから監査委員に対しては何も言えない。そこで不満なら裁判ということに、、、」

しかし裁判にはお金も時間もかかる
損害金額が少ない場合、裁判の経済的な利点はない(倫理的な問題は別だが)

これを聞いて、少しやりきれない思いを覚えた
素人が間違った判断で出した結果でも結果は結果
それは尊重しなければならない、、とするならば
監査委員の責任は、何だというのだろう
その後段階として裁判という手段が残されているのはいいとしても、、、

監査委員の質の問題と言うよりは、
住民監査請求などされない市政であってほしい、、とつくづく思ってしまう



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隣の男は何故注意しなかったのだろう

2019年06月11日 09時42分11秒 | あれこれ考えること

呆れるほど酷い秋田のイージス・アショアについての説明会
基本中の基本のデータのお些末さに加えて、説明会の最中にお眠りタイムの方がいた
これには地域の方が切れてしまうのは仕方ないし、その怒りを表すべきだと思う
人はこのように理不尽なことに関しては態度を明らかにすべきと思うが
今日はその問題ではなく、別のこと

あの船を漕いでいた隣の制服を着た方は、なぜ隣の人の体を突くなどして
「起きてないとヤバイ」注意を促さなかったのだろう
あの会場で緊張感の無い姿を見せればどういうことになるか容易に想像されたし
あまりにも酷いデータの作成ミスで、怒りが蔓延している中でことなのに

その場その場での適切な判断が必要とされる立場の人間(だったとしたら)が
緊急事態に正しい判断ができるのか、、あれを見ている限り不安を覚える
彼の隣の人は自分より上の立場の人間だったのか、、
しかし、仮にそうだとしても、そのままではまずいことになるのは想像できたはず

個人のその場の判断は、(上下の)規則に縛られて何もできないものなのだろうか
(体を突くくらいできそうなものだが)
なんだかなー、最近こんなのばかりだ、、

人は何故こんなに無感動、無関心になりつつあるのだろうか



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実感との違いが理解できるような気がする「国家の統計破壊」(明石純平)

2019年06月10日 19時29分34秒 | 

時に生々しい現実の本を手にしたくなる
そこで手に入れたのが、明石純平の「国家の統計破壊」

これを読むと、政府の発表する経済の数字が実感とズレている理由がわかる気がする
それは数字の解釈の違いどころではなく、意図的な数字隠しとしか見えなくなっている

この本は明らかに反安倍さんの立場だが、安倍さんを支持する人のこの本に対する真っ当な
反論意見(争点をそらすことのない意見)も聞いてみたい気がする
と同時に、マスコミの人たちは報道するものの責任として、この本に書かれていることを
どのくらい理解した上で、あるいは反対の意見を持った上で、伝えているのだろうかと考えてしまう

マスコミはわかりやすく伝えるのが仕事だとしても、それなりの知識や努力が必要なものを
無理やり単純化して伝えるのは(記者のレベルを現していることになり)危険を伴う、、と思うのだがな

内容は「データが語る日本財政の未来」に繋がり、この人の二冊目だったのでわかりやすかく
一気読みしてしまった(果たして細かなところまで理解できているかといえば?だが 特にベンチマーク)

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新庁舎用地外移転補償返却裁判の報告会

2019年06月09日 10時28分47秒 | 庁舎用地外移転補償騒動

以下は別のブログからのコピペで、新城市に関すること
先日(5月22日投稿)の「少しばかり長い行政訴訟の覚書」に繋がる話

昨日(6月8日)の新城市政を考える会による「新庁舎用地外移転補償返却裁判の報告会」
(行政訴訟裁判の報告会)は急遽、会場を文化会館の104会議室(48名収容)から
301講習室(96名収容)に変更して行われた



上記の先日の折込チラシが功を奏したのか、普段見かけないような方々も多く見られ
104会議室では収容できなくなったからだ
この件に関する市民の関心は高いものと実感された

報告会は前半、裁判に至る経過とその大まかな説明と質問タイム
少しの休憩を挟んで
後半は担当の新海弁護士の解説と質問タイムとの予定だったが
前半の質問タイム途中から新海弁護士の登場となり
一気に会場は熱気を持ち始め、休憩タイムなしに続けられることになった

この日は大きな収穫があった
まずは会場に訪れた人が多かったこと
次に、その人たちがこの件について普通では知りえない細かな情報を知るに至ったこと
そして三番目に、この件に対してこれから先の(追求の)可能性が法的に存在すると知り得たこと

最後の点については、弁護士さんの持ち時間の話のなかで
市民ができること、行政ができること、その制約のなかで今回の合意案の意味合いは
「解決すべきは裁判所ではなく、当事者同士がすべきもの」
とボールを投げ返されたという点が明らかにされた

このあたりの理解は会場で聞いていないと理解しにくいかもしれないが
ざっくり言えば、今回の裁判で大きな問題となった時効については、
市民が請求する場合は1年で、行政が追求する場合は5年であるということ
そして合意案の文章の
「新城市において、本件移転補償費に際し、損失保証基準要綱の要件を満たすか否かに対する調査に必ずしも十分とはいえない点があり、
支出に疑義が生じ得る不適切な事態が生じたことを、、、、」の理解について
「疑義が生じる得る不適切な事態」で市(市民)が損を被っている事態に対し、
行政自身はその原因となっていることに関して更に追求ができるということ
(その損害の請求先は今度は別の人物、請求人は市(市長)で)

ただ法律はかなりややこしいく、まるで言葉遊びのようなところもある
このボールを裁判所から投げ返された状態を、どのように対応するかが
市民とか議員さんの頑張りどころで、これはしっかり見守っていかなくてはならない

ところで、この裁判の合意案には
「被告は、今後、損失補償の事務等に関し、関係法令への適合性に疑念を持たれないよう、適切に処理すべく一層努めるものとする」
の一文があって、これからは疑われるようなことをしてはならないと警鐘を与えている
ところが(そうであってほしくないが)少しばかり疑いが起きてしまいそうなことが、現在新城市では進行中だ
それは4月の臨時会で急に議案に挙げられた、新城市内の養鶏所の買い取り依頼に対する案件で
買取金額の上限が根拠もなく提示されているし(債務保証は議決された)まだ不確かな要素が多いなかで、
拙速に物事が進められすぎている気配がある
そこで、「市政を考える会」は市長と市議会議長に対して公開質問状を提出している
この件については、また詳しくアップする機会があるかもしれない

しかし、それにしても、、、問題がいろいろと多すぎる
多くの市民に知られていない議員の政務活動費の不適切処理の問題もあるし、、、
ぼーっと生きてちゃ、いけないな



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