多くの人が今回の震災をキッカケに国民の生き方、
価値観に大きな変化が現れるだろうと予想している
それは復興という言葉の意味合いにおいても同様だ
復興、それは間違いなく以前と同じ様に戻る事ではない
つまり物質的な豊かさを求める社会ではなくなると思う
それよりも何が幸せか?を深く考える社会になるのではないかと
多少の希望を込めて予想したい
誤解を恐れずに言えば、もしかして既に若者はその感覚を身につけているかもしれない
「欲しがらない若者たち」
少し上の世代から見れば覇気のない連中に見えても
その実なかなか地に足をつけた現実的で
身の丈に合った生き方指向かもしれない
こうした傾向についていけなかったり理解できないのは
現在、経済、社会を動かしている人たち
(しかし、勘のいい人はその兆しを感じている)
テレビ局は残念ながら、もうかつての栄光は取り戻さないと思う
半分以上は局自体の自滅行為によるものだが
それに拍車をかけたのがインターネットの進歩
Twitter Facebook そうしたSNSが道具として非常に便利で
かつ時間つぶしにもなりうる点で
時間拘束されるテレビというメディアは
いつの間にか古いものとしての認識しかなくなっていきそうな気がする
勿論今の時点では皆がみんなデジタル機器を使いこなす訳ではない
しかし、今小学生の子供たちは既にパソコンは家にあり
初めて持つ携帯はスマートフォンになるとなれば
彼らの生活スタイルは自ずと前の世代の人とは大きく異なる
(それがいいか悪いかは別として)
こうした機器の発達と同時に心のあり方も変わるのだ
どういう訳か変わる時は一気に変わる
中東の混乱も、ユーロ圏のピンチも、日本の震災被害も
時代という大きな流れの中からは逃れられない事象の様にさえ思てしまう
年を重ねると全てが人間が考えうる理屈の中で解決するのではない
と思う様になる
なにか運命のような!
といって今回の震災を諦めて受け入れるという事ではない
CNNの記者が被災地で数多く聞いた言葉は
「仕方ない」だそうだ
それは諦めの言葉ではなく、起きてしまったものは仕方ない
さて、これからどうやって立ち直そうか!
と言う肯定的な意味での言葉として報道されており
多分日本人がつい使ってしまうこの言葉のニュアンスを
正確に伝えていると思う
例のごとく話はあっちこっちの方向に逸れてしまったが
震災以後の精神の有り様についての責任は
今の我々にかかっているかもしれない
それにしても、いったいどのように変わる事やら?