パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

H氏の名言(?)

2015年05月30日 21時09分35秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

「民衆がものを考えないということは、支配者にとっては実に幸運なことだ」

「大衆は小さな嘘より、大きな嘘の犠牲になりやすい」

「嘘を大声で、充分に時間を費やして語れば、人はそれを信じるようになる」

「賢い勝利者は、可能な限り、自分の要求を幾度も分割して敗北者に課するだろう」

「弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行ってもらいたい…
 大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である」

「大衆の多くは無知で、愚かである」

この言葉を発した彼は、その時絶頂だったかもしれない。
確かにこれらの言葉はある意味恐ろしいほどの本質をついている。
だがそんなことは胸に隠しておいて表には出さないのが普通。
つい口が滑った!というところか、それとも信念として語ったのか。

これらの言葉が人間の本質とするならば、今日本で起きている事柄、
この新城市で起きている事柄は当てはまるだろうか?

そんな極端なことは起きていないよ!
考えすぎ!
拡大解釈しすぎ!

でも、
当てはまる!
なるほど!

と感じる人も少なくないのではないだろうか。

本当はどちらか?

さて、勢いに乗ってこの言葉を発したのは誰か?
君主論のマキャベリではありません。
彼は「わが闘争」を著した口ひげの人物です。

「市民力」が問われる今回の新城市の住民投票。
他の都市からも、そして後の世代の人たちからも批判されないように、
自分でしっかり考えて結論を出したいものだ

 

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少し恥ずかしい住民投票の戦い

2015年05月28日 22時18分38秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

31日の住民投票まであと少し
まだ無関心が圧倒的多数を占めそうだが
各陣営にとっては切実な問題
あれこれいろんな手を考えてくる

でも少し残念なことがあった

まるでオレオレ詐欺を連想させるような選択肢2を批判する印刷物が各家庭に配られた
これは議員15人が所属する団体が出したもの
自分は選択肢2を勧めるグループに参加しているが
怒りは何も覚えなかった
むしろ大丈夫か?と少し可愛そうな気さえした

これはやり過ぎと言う以前に、インテリジェンスに欠ける
15人の精神レベルがこの程度ということをあまりにも公にして
市民として少し恥ずかしい

現在の戦いを知らない外部の人がこれを見て
しかも議員がつくったと聞けば果たしてなんと答えるだろうか?
議員大丈夫か?と思わないだろうか
正直もう少しまともなものは出来なかったのか?
と 違う陣営からも思う

それからこれと同封された印刷物に
私たちも選択肢1を選びます!」と題したビラに340人の氏名が列記されていたが
これも大問題に発展している
氏名はどこの地区の人間かわからない様になっているが
該当する名前の人物は自分の名前が勝手に使われた、迷惑していると
憤慨して抗議の電話が何本かあるようだ
市内には同姓同名の人が数人いて
一体どちらの人が応援しているのか分からない

しかし、なんでこんなことやっちゃたのかな?
が正直な気持ち

自分が以前から言い続けている違和感
肌で感じる違和感は、こういう行動の事
やっぱりどこか普通ではないと思うけれどどうなのだろう?

もしかしたらこれは住民投票以前の問題かもしれないと思ってしまう 

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視点・論点「地方議会と首長のあるべき関係」

2015年05月28日 10時46分34秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

「市長と議会の関係」とキーワードを入れてグーグルで
検索したら興味深い記事が見つかった

NHK解説委員室の2010年11月29日 (月)
視点・論点 「地方議会と首長のあるべき関係」
ここにまさに新城市を表す様な事柄が出ていたので
抜粋して紹介します
(少し長いですが、我慢して読んでいただきたいと思います
 思わず納得と相槌を打つところが少なくありません)

議会の場で得られる結論が、知事や市町村長にとっても、
また、多くの住民にとっても納得のいくものではない、というところにあるのではないでしょうか。
地方自治体は住民にとってもっとも身近な政府、と表現されることがあります。
行政サービスという点では、まさにその通りでしょう。
しかし、議会の活動の身近さという点では、必ずしもそうはいえません。
国会の予算委員会審議などは、テレビ等で長時間放映されますし、
ニュースなどでも取りあげられることが多く、その様子は多くの国民にとって、すぐに思い浮かべることのできるものです。
しかし、自分が住んでいる自治体の議会の審議の様子を、すぐに思い浮かべることができる住民の数は決して多くはありません。
選挙などの場で、身近に議員の姿を目にすることがあっても、実際に自治体の意思決定を行う議会の議場で、議員がどんな活動をしているかは、多くの住民にとって、見たことのない遠い存在になってしまっているのではないでしょうか。
 いくつかの地方議会が、議会改革を検討するために住民アンケートを実施していますが、ほとんどの場合、議会に住民の声が反映されていると回答する人の割合は多くありません。
議会が住民の意思に反している、という確信を持った反発の声ではなく、「議会がどんな活動をしているかもよく分からないし、自分たちの声が議会活動に反映されているという実感はもてない」という状態が反映されているのではないかと思われます。
 
議会のあるべき姿

 ところで、日本国憲法第93条には「地方公共団体には、議事機関として議会を設置する」と明記されており、議会を持たない自治体制度を採用することは、憲法上できないことになっています。
重要な意思決定権が、議会に委ねられているのは、民主主義の政治制度一般に共通することです。多様な民意を反映し、公開の場での議論を通して、論点や争点を明確に示しながら、
最終的な結論を出していくプロセスをもつことが、民主主義の実質的な実現のためには、不可欠のことと考えられているからです。
 しかし、現在の地方議会の活動は、個々の議員が知事や市町村長、あるいは行政の担当者に対して質問して答弁を求めるというやりとりが中心となっており、公式の議事のなかで、政策の賛否をめぐって、議員同士で討議する場面はほとんどありません。
また、公聴会や、参考人など、政策に関する意見を、住民が議会で述べる機会は、地方自治法の中では制度として存在しているのですが、残念ながら実際にはほとんど行われていないのが実情です。
そして、全国市議会議長会の調査によると、全国の市議会に、それぞれの市長から提出された議案は、文字通り99%以上が原案どおり可決されています。否決されたり修正されたりする議案は、1%も存在していないのです。
これでは、議会は形だけのものではないのか? と疑われてしまっても、仕方がないのではないでしょうか。

民意を二元に反映するしくみのあるべき姿とは

 さて、先ほど憲法第93条を紹介しましたが、同じ条文の第二項に、
長と議員を住民が直接選挙することが規定されています。
行政の執行責任者である長と、自治体の政策について審議し、意思決定を行う議会とが、いわば並列の関係にあるしくみです。「二元代表制」と呼ばれます。
 なぜ二つの選挙を行い、住民の意思を反映して行動すべき機関を、二つ並立させる仕組みが採用されているのでしょうか?
 行政の執行には、一元的な責任体制やリーダーシップも求められます。
それは、住民の意思で選出されたという正当性をもつリーダーを、一人確定することによって実現されることが期待できます。
 他方で、自治体の政策運営は住民生活に直結する重要な選択が迫られることでるから、多様な住民の意見をできるだけ反映しながら、複眼的、客観的に十分な検討をしたうえで、慎重に決定することが期待されます。
また、議論を尽くして、決定する過程を通して、これだけ検討し尽くしたのだから、結論への賛否はともかく、この決着で仕方がないという、最低限の納得が得られるような決定ができることも必要です。
 これらの条件を満たすためには、複数の代表で構成された合議制の代表機関、つまり議会での意思決定が必要だということになります。
 しかし、互いに独立した二つの選挙が行われるのですから、いわば、民意は二つ表明されることになります。
最近では知事や市町村長はマニフェストを掲げて選挙を行うことが多く、その政策の実現に責任をもって就任します。
他方、議会の選挙でも、議員個人や会派、政党のマニフェストが出されます。
この二つのマニフェストの調整をする場というのが必要になるわけです。
 それはどこになるべきなのでしょうか? 
自治体の長は議会に議案を提出できる権限をもち、議会の場で答弁に立ち、いわば議会の議論の主要な当事者になっています。
これまであまり行われていませんが、住民が議会の議論に参加する仕組みも、法律上すでに存在しています。
つまり、地方議会は運営の改革を行えば、議員だけではなく、知事や市町村長、住民も参加する自治体全体のための議論と決定の場になり得るということです。
 すでにその実現に向けた改革に取り組む地方議会も現れています。
議会基本条例を制定し、議会活動への住民参加の機会を保障し、議員間の討議を中心に政策論議を積極的に行う議会のあり方が模索されています。
また政策論をちゃんと行えるためには、議員の政策能力の強化も求められます。議員検定試験など、議員の能力向上のための動きも始まっています.

 これらの地道な改革は、発信力の強い知事や市長の発言などに比べると、あまり社会的に知られていないのが実際ですが、
自治体の意思決定が、住民の意思を反映し、また、結論に於いて納得のいくものになっていくためには、
むしろあまり目立たずに取り組まれている、議会の改革の取組の方が、本質的なポイントに触れているのではないでしょうか。
このような改革の取組に、一人でも多くの住民が注目し、関わりをもっていくことが、
あるべき長と議会の関係を実現するために、遠回りのように見えて結果的には一番の近道なのではないでしょうか。

どこでも同じと言ってしまえば元も子もないないので、こうした現実を踏まえて
新城市は建設的な形になってもらいたいものです
ところで議員検定試験!
これはいいアイデア、新城市でも導入してみたらと思ってしまいます

また別のサイトではこんな文章も見つかりました
議会のあり方・長と議会の関係について - 総務省

直接公選により民主的に強力な基盤を持つ長のあり方に関する視点


● 長の権限行使の適正化のための組織形態が考えられないか。
【参考】
○ 「分権時代に対応した新たな町村議会の活性化方策」(平成18年4月・第二次地方(町村)議会活性化研究 会)(抜粋)


「現行制度は長の側に明らかに権限過剰であり、世上いわれる抑制均衡とはなっていない点である。」
これは、 日本の地方制度が出発点から地方議会の根幹性を認めず、終始脇役の地位に置いてきた結果であり、
二元代 表制の原理から逸脱する長の側の権限過剰がまかりとおってきたといえる。」

○ 毎日新聞(平成22年3月14日)(社説)(抜粋)
「首長と議会は二元代表制の下、双方の協調とけん制の下で緊張感を保ちながら自治を形づくる責任を共有し
ている。住民から直接選ばれたからといって、市政の独善的運営は慎まねばならない。」

何か耳の痛い指摘ですね。

住民投票の混乱を招いたのは一体誰(何)だったのでしょうか?

市民は誰かが言ったからではなく、自分の頭で自分で納得して
(納得するということは人に説明できるということかもしれません)
今回の住民投票を考えていただきたいと思います

自分はしっかりと説明できる案は左の選択肢。
それで、左に(選択肢2)◯を薦めています

 

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組織票対ボランティア!(新城市の住民投票)

2015年05月27日 16時13分21秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

5月31日の投票日まで各陣営とも活発な動きを見せる
今回の「新城市の住民投票」

はっきりしているのが
選択肢1を推すのが
市議会議員15名と市長

反対の選択肢2を推すのが三人の市議会議員と
市民のグループであること

あの分かりにくい選択肢の訂正を市民グループは求めてきた
分かりにくいと言う事実は、個人の判断による違いを超えて
ほとんどの人が持つ印象となっていて、メディアもそれを伝えている

この訂正を求められた議員たちは
訂正しなかった
しようと思えば臨時議会を招集して出来たのだが

この対立の構図のなかで
選択肢1と2の票の獲得の戦いとなった 

そこでややこしいのは実は選択肢2は市民案ではないということ
この選択肢も選択肢1を推すグループが作成したもの
つまり議会が作成したもの 
議会だから多数決で決まれば仕方ないじゃないか
となるかもしれないが、元々選択肢1を推す議員たちは
住民投票をする気がなかった
しかし、住民投票を求める会が数日で9000筆もの署名を
集めてしまったので、住民投票は避けられない事態となった

そこで、議員グループは住民投票を共同提案と言う形で
住民投票を求める会の一員として活動してきた二人の市議会議員に
持ちかけた

こうなってしまえば、結果的にあとは数の力
あの訳の分からない選択肢による住民投票が行われることになった

その後、公平にみえても極めて不公平な市民まちづくり集会が開催され
市内の防災無線でも急遽妙な文言に変えられていたり
とにかく、実情を知っている人間には少し異常と思われることが続いた

しかし、日程は迫っている

選択肢1を推すグループは組織票、動員をかけられるシステムが有り
尚且つ金銭的に潤沢

片方市民グループは もともと有志の集まり
それで一人ひとり説得して協力を仰ぐ
そして金銭的にも有志が自腹でカンパして活動を支えている

ただこれが辛いかといえば全くそうではない
自腹を払っても活動する
その意欲は何か使命感に満ちていて
そのお金の使い方には全く悔いはない様に思われる

自分はこの選択肢2のグループに参加している
最初のつきあいかたは名前のみ伝えただけ
グループの誰が社会的にどんな立場(職業)の人かは知らない
社会的な立場を知っていしまうと、どこか自分にとっての
損得を自然と考えてしまいそうになるので
あえて一人の男としてだけの存在としてもらい
他の人のことも知ろうとしなかった
〈流石に今となっては分かった来たが) 

とにかく、結果的に組織力対ボランティアの戦いになっているのは事実

できることを、ひたむきに続けるしかない 

 

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弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421(モーツァルト)

2015年05月26日 14時52分50秒 | 音楽

最近心に余裕がなくて音楽を聴くことすら忘れていた

久しぶりに引っ張りだしたのが
 

スメタナ弦楽四重奏団によるモーツァルトの短調の四重奏曲

モーツァルトの本質は長調の曲で、その中にフト現れる感情がどちらに
揺れるか分からない 瞬間が好きなのだが
最初から雰囲気が決まっている感じする短調の曲も
その日の気分で ピッタリすることがある

そしてこの日はまさにその通りの一日だった

こんなにゆっくりした演奏だったかな
以前聴いた時の印象とはずいぶん違う
でもゆっくりしている分だけ表情、ニュアンスが細やか
演奏者の込める気持ちが凄くわかる

楽器間の受け渡し、バックアップが完璧と言わざるをえないような
楽曲に感情過多ではない音楽
アルバンベルク四重奏団もいいけど
モーツァルトの音楽を信じきって 解釈至上になっていないところがいい

本当に、音楽っていいな
音楽は生きていく上で必要不可欠なものだと
感じる一瞬だった

年齢を重ねると感じ方が違う
そして、年齢を重ねるとモーツァルトが怖くなってくる
その完璧さ、ものすごいスピードで書かれた自筆楽譜

モーツァルトの遺体が本当は何処に埋葬されているのか
分からないのは、何故かそのほうが理にかなっていると
思ったりした

本当にモーツァルト、大好き

 

 

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メーテレ・東海テレビ・中京テレビで新城市の住民投票が話題に!

2015年05月25日 19時48分11秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日(5月25日)6時半ごろメーテレ






続いて東海テレビ

 

そして中京テレビ

 

 

すべて新城市の住民投票に関しての話題

(もしかしたらCBCでも放送されたかもしれませんが、自分は確認できていません)

そしてすべての局が選択肢が分かりにくいと報道しています

 

残念なことに新城市はこんな住民投票案のせいで

有名に(馬鹿にされることに)なってしまうのかもしれません

 

選択肢1も2もそれぞれに言い分はあります

でも確かなことは、

選択肢2(左側に◯)を勧めるグループは、あの分かりにくい選択肢の文言を

わかりやすいものにしてほしいと言い続け、変えてもらうように行動しました

 

片方、選択肢1(右側に◯)を推すグループは文言を変えようとはしませんでした

 

これが住民投票の判断材料の全てとはいいませんが

その姿勢は十分考慮に入れる価値があると思います

 

 

 

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選管に行ってきました

2015年05月25日 17時20分22秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政
ミスリードを起こしかねない昨日の防災無線の説明
午前中に新城市選挙管理委員のところまで行って
訂正、修正を求めました

選管スタッフは納得の上
今晩の放送から訂正したものを
流すようにする
と約束していただきました

それにしても、、、

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あまりにもひどい防災無線の説明(新城市住民投票に関する)

2015年05月25日 08時03分28秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市には防災無線と言うシステムがあり
市からの様々な情報や葬儀等の連絡を
共有できることとに なっている

昨日その防災無線でなされた新城市の住民投票の説明が
とても妙なので再度アップする 

防災無線の説明
これが如何に紛らわしいものかは
前提となっている知識に大きく異る

あの分かりにくい選択肢も、縮小派の地道な活動により
「変更を伴う」(実は元に戻す)という行動をする方の選択肢が
規模縮小と理解してきた
それで市民はの覚え方としては左に◯、
あるいは何か行動を要する方(変更を伴う方)を選べば
規模縮小を選んだことことになると思ってきた

しかし、昨日の防災無線では
選択肢2は、現行道路の付け替えは行わず
東庁舎を残して新庁舎の規模を縮小をするものです

つまり何ら行動を起こさないほうが規模縮小となっている

この矛盾は大きい
勘違いの可能性は大きい 

そして突っ込みどころはまだある
防災無線の「現行道路」とは何を指しているのか

防災無線の説明は
選択肢1は、現行道路を付け替え東庁舎をとり壊し、新庁舎に一棟集約するものです
選択肢2は、現行道路の付け替えは行わず
東庁舎を残して新庁舎の規模を縮小をするものです

現行道路がまだ実際には形として存在しない市道東新町桜淵線なら
また付替道路を付け替えることになる
これはおかしいから、当然廃道となっている今使っている道を指すことになる
(いやいや、よく考えるとまたわからなくなってきた)

住民投票の文言では
正確な情報のため〈法律的な)あのわかり難い市道東新町桜淵線と言う言葉を使ったが
今回は正確な情報共有のために使われていない

一体何故か?

防災無線では、この住民投票は金額を問うものではありません
とあったが、防災無線の説明では
東庁舎を残して新庁舎の規模を縮小するものですと説明している

規模を縮小すれば必然的に建設費は少なくなる
だからこそ、住民投票を求める会は、こんな公にされた
分かりにくい選択肢でも地道に選択肢2を勧める活動をしてきた

自分はいたずらに騒いで何かをしたいのではない
ただ当たり前に、正直にいろんな行動をしてもらいたいだけだ
市にも行政にも市長にも

でも、この現実は、実際に起こっていることは
あまりにもひどい

もちろん、ひどいと感じない人もいる
だが、自分の中に一旦起きてしまった様々な事柄への不信感は
どうしても消し去ることが出来ない
これは選択肢2を選んでほしいとか、そういう問題ではなくて
ひとりの市民として、なぜこんなことが起きているのか
よく考えて欲しい、そして気づいて欲しい

 

 

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ひどい!新城市住民投票の防災無線の説明(また混乱を招く!)

2015年05月24日 21時21分00秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市で初めて行われる住民投票が公示された

夕方に防災無線の住民投票についてのお知らせが流されたが
その選択肢の説明を聞いて驚いた
そして怒りを覚えた

防災無線の説明は
選択肢1は、現行道路を付け替え東庁舎をとり壊し、新庁舎に一棟集約するものです
選択肢2は、現行道路の付け替えは行わず
東庁舎を残して新庁舎の規模を縮小をするものです

と説明された
ところが、条例案で行われる選択肢は
選択肢1,市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
選択肢2,市道東新町桜淵線の変更を伴う現計画の見直し
となっていて、わかりにくいながら徐々に理解し始めている段階

ところが今日の放送は、今までの伝えてきた文言とは全く違う
というかまるっきり違う
わかりやすくしたといいそうだが、
現行道路の付け替えは行わずという無線の説明と
変更を伴うという選択肢の文章が同じものとは聴き流すだけでは
わからない

防災無線を聞けば思わずどちらも選択肢1を
選んでしまいそうな内容になっている

これは自分の被害者意識とか言うレベルではない
明らかに悪意が働いているとしか思えない

それに署名活動をした住民投票を求める会が求めてきたのは
一棟集約の是非ではなく、単純に予算から連想される規模縮小のこと
なのにいつの間にか一棟集約か否かに問題点がすり替わっている

仮に今回の防災無線の文言が正確で正しいとするなら
住民投票案でも最初から何故この文章を用いなかったのか?

正直なところ、これは許してはいけない
この文章を誰がつくったか
誰が流すように命じたか
そして結果としてまた混乱を招くことになりそうな
ことをしたのは何故か?

こう考えると新城市の闇は想像以上に深いのかもしれない
新城市民は、もうぼんやりとしていてはいけない!

 

 

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住民投票に関する説明会

2015年05月23日 22時05分46秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市の上平井公民館で行われた
新城市庁舎の建設を見直す住民投票の説明会
今日は先日の選択肢2ではなく選択肢1を
勧める会の主催により行われた

定刻の7時半
今日は選択肢1の説明に関することに
質問は限らせて頂きます 
そうした場合は出て行ってもらうこともあります
またビデオ撮影も行っておりますので
ご了解願います

何か不思議な雰囲気
単に説明会なのに何をこんなに大げさに
対応しているのだろう

当たり前といえば当たり前だが
選択肢1を勧める理由の列挙
そして選択肢2に対する不安を煽る

それはそれで、そんなやり方もある

でも一番違和感を感じたのは
やっぱりビデオまで撮るという行為
そして質問を例えば「何故こんなにわかり難い設問になったのか?」
という質問の機会さえないことになる

会場に来た人は一番素朴なこの
何故こんなに分かりにくい文言になったのか
ということに興味も関心もないのだろうか? 

この問がなかったということ事態が
とても不思議な気がする
現実はもう進んでしまっているのだから
それはもう話したって仕方ない
と思っているのだろうか 

それに全体としてピリピリとした会場の雰囲気
情報を得るための会とは どこか違う
それが何によるものか分からないが
感覚としてとても妙な説明会だった

この説明会は何のために行われたのか
帰るときにはイマイチ良くわからない
説明会だった

ところで先日の新城市民まちづくり集会での
東庁舎の雨漏り発言
これを会場に来ていた議員に聞いてみた
「雨漏りの原因はなに?」
「 落ち葉がたまって雨水がオーバーフローしたため」
「そのように壇上の人は説明しなかったが」
{雨漏りした事実はあるでしょう」
「それで公平ですか?反論する機会さえもなかったのですよ」
「僕は公平だと思います」

これは法律的にどうのこうのと言う問題ではなく
この様な判断の人が議員として存在している
と言う事実に 少し悲しくなる

以前にも述べたが反論する人は
理由のイカンを問わず雨漏りがあった事実だけを
大げさに公言する
それが建物の欠陥ではなく行政の落ち葉対策の
怠慢であったとしても、それは黙っている

これは本当にどうなのだろう

知っていて黙っていた
聞かれないから黙っていた
立場があるからこれは少しきれい事では済まないが
それならせめて反論をする機会が与えられればよかったのだが
それもなし

本当にそれでいいのだろうか
知らない人はあれが公平に行われていたと思い込んでいる 

法律的に問題がなければ何をしてもオーケー
本当にこれでいいのか?

議会議決の多数決で分かりにくい文言を決めた
直す様に要望したが議会は市長派の反対で変更は無視
そのうちメディアで批判されるが
その部分は触れないでいる 

なんだかな、もう少し正々堂々と出来ないものなのだろうか
普通の人が一番比較しやすいのがお互いの立場で
それぞれの案の批判をするくらいの方が
却ってわかりやすい 

それにしても、明らかに言えることは
新城市民は共通の理解の基に
住民投票を行う機会を失っているということ 

本当に妙な住民投票だ
何故こんなになってしまったのだろう

始まりはやはりこの分かりにくい選択肢かな
 

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