新城市の上平井公民館で行われた
新城市庁舎の建設を見直す住民投票の説明会
今日は先日の選択肢2ではなく選択肢1を
勧める会の主催により行われた
定刻の7時半
今日は選択肢1の説明に関することに
質問は限らせて頂きます
そうした場合は出て行ってもらうこともあります
またビデオ撮影も行っておりますので
ご了解願います
何か不思議な雰囲気
単に説明会なのに何をこんなに大げさに
対応しているのだろう
当たり前といえば当たり前だが
選択肢1を勧める理由の列挙
そして選択肢2に対する不安を煽る
それはそれで、そんなやり方もある
でも一番違和感を感じたのは
やっぱりビデオまで撮るという行為
そして質問を例えば「何故こんなにわかり難い設問になったのか?」
という質問の機会さえないことになる
会場に来た人は一番素朴なこの
何故こんなに分かりにくい文言になったのか
ということに興味も関心もないのだろうか?
この問がなかったということ事態が
とても不思議な気がする
現実はもう進んでしまっているのだから
それはもう話したって仕方ない
と思っているのだろうか
それに全体としてピリピリとした会場の雰囲気
情報を得るための会とは どこか違う
それが何によるものか分からないが
感覚としてとても妙な説明会だった
この説明会は何のために行われたのか
帰るときにはイマイチ良くわからない
説明会だった
ところで先日の新城市民まちづくり集会での
東庁舎の雨漏り発言
これを会場に来ていた議員に聞いてみた
「雨漏りの原因はなに?」
「 落ち葉がたまって雨水がオーバーフローしたため」
「そのように壇上の人は説明しなかったが」
{雨漏りした事実はあるでしょう」
「それで公平ですか?反論する機会さえもなかったのですよ」
「僕は公平だと思います」
これは法律的にどうのこうのと言う問題ではなく
この様な判断の人が議員として存在している
と言う事実に 少し悲しくなる
以前にも述べたが反論する人は
理由のイカンを問わず雨漏りがあった事実だけを
大げさに公言する
それが建物の欠陥ではなく行政の落ち葉対策の
怠慢であったとしても、それは黙っている
これは本当にどうなのだろう
知っていて黙っていた
聞かれないから黙っていた
立場があるからこれは少しきれい事では済まないが
それならせめて反論をする機会が与えられればよかったのだが
それもなし
本当にそれでいいのだろうか
知らない人はあれが公平に行われていたと思い込んでいる
法律的に問題がなければ何をしてもオーケー
本当にこれでいいのか?
議会議決の多数決で分かりにくい文言を決めた
直す様に要望したが議会は市長派の反対で変更は無視
そのうちメディアで批判されるが
その部分は触れないでいる
なんだかな、もう少し正々堂々と出来ないものなのだろうか
普通の人が一番比較しやすいのがお互いの立場で
それぞれの案の批判をするくらいの方が
却ってわかりやすい
それにしても、明らかに言えることは
新城市民は共通の理解の基に
住民投票を行う機会を失っているということ
本当に妙な住民投票だ
何故こんなになってしまったのだろう
始まりはやはりこの分かりにくい選択肢かな