パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

資本主義は無目的な拡張運動?

2009年03月31日 20時59分55秒 | Weblog
アマゾンのおすすめ商品(本)の類いは
悔しいくらいこちらの壺を心得ているようで
単に統計上の類推からというものの
自分が多くの統計上の例に漏れないのが
どこか残念な気がしたりする

そんなアマゾンからのおすすめが
「欲望」と資本主義 終わりなき拡張の論理
 佐伯 啓思著  講談社現代新書

最近は自分では苦手と思っていた経済方面の
軽いものを手にしているが(超訳 資本論、アダム・スミス、等)
この本もその手の類い

最近こうした本を手にしているのは
最近の不景気、人間の心の荒廃がそもそも資本主義に
内在する問題ではないのかと感じるからだが
確かに共産主義対資本主義の優劣を競うような
単純な状況では今はない

ここで重要視されて扱われているのが消費者の存在
この消費者は、およそ欲深い人間の様を
商品の購入という形で表現し、しかも飽きることのない消費拡大へ
その商品を作り出す企業も無目的に突っ走ると分析している

確かに拡大することがよいことかどうかは最初から
考えの中にないようで
あるのは前に前にという姿勢だけ
という指摘はその通りだろう

そして結局はいろんな価値が、最終的には貨幣というものに
(貨幣自体には価値がないのに)
置き換えられてしまっている姿が
多くの矛盾を内蔵する結果に陥っている
みたいなことが書かれている

多分自分の読みこなす力が不足しているので
一読しただけでは正しい理解には至らないかもしれないが
それでもここで感じてしまうのは
「時間の矢」のこと
時間は回帰するものではなく、一方向にしか進まないということ
つまりこの資本主義経済は好景気、
不景気が循環するするような単純なものではなく
むしろ、もしかしたら破滅に向かっているかもしれないということ

もちろん、こんなことはこの本には書かれていない
だが自分の感じることはこうした悲観的なことで
人間性を失わないようにする
今からできることはなんだろうか?
などと少しまじめに考えてしまう

今必要なのは貨幣やお金は単に道具であること
けっして目的ではないということを再確認すること

しかし現実に生きている社会人として
残念ながらこれが難しい
困ったものだ

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自分のことは棚に上げて

2009年03月30日 20時43分26秒 | Weblog
現実的には人は自分のことを客観視できないことが多い
自分の力を過大評価したり、反対に過小評価したりで
他人からの視線で自分を評価はできない

だから自分のことは棚に上げて他人に厳しく当たることは
結果的には多くなる
特に仕事上の立場の上の人間は、自分より立場の弱い連中に
上から目線で物申すことになる

下の連中からすれば、
「自分のことは棚に上げてよく言うよ!」
とついつい愚痴りそうなことだろう

しかし、たいがいの人間はえてしてそういうものだ
いやむしろ当事者同士が自分のことは棚に上げて
言い合った方がそれぞれの本質をついているかもしれない

だから必要なのは、お互いに気遣って何も言わないでいるより
それぞれが勝手に言い合って
それを冷静に聞く訓練をすることだろう

自分の嫌いな人、苦手な人の言うことを冷静に聞き耳を立てる
そうすることによって初めて客観的な自分の評価がわかるかもしれない
しかし、これは言うが易く行うは難し
の部類に入るからほとんど不可能かな

それにしても、現実に自分のことは棚に上げて
どうこう言う人に、そっくりそのまま言葉を返したいと
思うことが多いのは皮肉なものだ
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ワールドカップ予選、勝つには勝ったが、、、

2009年03月29日 19時27分22秒 | サッカー
時間が経ってしまったが、昨日のワールドカップ
アジア最終予選 対バーレーン戦 1-0
結果オーライの試合でとりあえず勝ててよかった

これで上位2位までの確率がグンと高まったが
いざ勝ってみると気になるところばかりが目につく

まずは、相変わらず点が取れない点
不思議に思うのはテレビの解説でも言ってたが
身長の低い玉田、田中、大久保のFWに対して
いくらサイドからの攻撃が重要といっても
高いボールをあげては効果がないのではないのか

次に一番得点の確率の高い真正面からの攻撃が
相手に立ちふさがれてしまうと何もできない点
もう少し自ら仕掛けていってもいいのでは

それからシュート
枠にいかない
ヨーロッパ、南米のチームと比べてこんなに枠にいかないのは
何か決定的な違いがあるのだろうか
(練習方法とか心構えとか)
それらが個々の才能の違いと言ってしまえばそれまでだが
これだけFWが育たない歴史が続くと
(反対にオランダ、ブラジルはどうしてあれだけのFWが出てくるのだろう)
どこかが間違っているのかもしれない

それにしてもサッカーを見ていると、
どうやったらこのチームに勝てるようになるか
と、ついつい考えてしまう
マンUのスピーディで、スペクタクルなゲームを見ている時も
彼らのパフォーマンスに感心するより
どうやってこのチームに立ち向かっていったらよいか等と考えてしまう
(それはその試合においても、そして準備の為の練習も含めてだが)

この意味では昨日もどうやって攻めていったらいいのか
と考えないでもなかった
決定力がないと言われ続けている前に
日本のチームは前にいくスピードがない
アジリティーの部分で瞬間的には速いかもしれないが
全体としてバックスからのボールは
リレーでなく、いつもその場からのスタートみたいで
ブツブツして流れがない
サイド攻撃が重要だとしても攻撃をサイドに限定されてしまっているのでは
効果的ではない
そして昨日の内田のように突破できないとなると、、、

悲観的になることはないけれど
このままではワールドカップには行けても
決勝トーナメントまで行くのは難しいように思えてならない
(攻撃が硬直化していても、
 韓国の方がより可能性があるように思えるのは
 すこしばかり悔しいかな)


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ジョン・レノンに似ている?

2009年03月26日 21時17分17秒 | Weblog
このモノクロ写真の若者
なんだかジョン・レノンの「ロックンロール」のアルバムの
写真とどこか雰囲気が似ているような気が
ずっと前からしていたのでけれど
彼の名は「フルトヴェングラー」

あのカラヤンの前のベルリンフィルの指揮者で
あの第9「合唱」の名盤として評価の高いバイロイト祝祭管弦楽団との
演奏を指揮した人物

顔は生き様を現すと言うけれど
確かにこの写真からうかがえる夢見るような表情は
芸術至上主義を全うしたその後の人生を
既に暗示していると言える

急にこんな話を引っ張りだしたのは
昨日久しぶりにフルトヴェングラーの指揮した
ブラームスの4番の交響曲の1.2楽章を聞いたから

聞く前には録音が悪いからな、とか
あまりにも自分の世界に入り込んでしんどいかな
などと否定的な気分もあったけれど
いざ聞き出すとやっぱり凄い
悪い録音の中でも不思議と木管の表情が聞き取れたり
なによりも演奏者が夢中になっている様子が
迫力となって迫ってくる

話は変わって音楽的には
ポール・マッカートニーはモーツァルトの系譜
ジョン・レノンはベートーヴェンの系譜
この意味ではフルトヴェングラーはベートーヴェンを神と崇めたから
ベートーヴェンの系譜
だからジョン・レノンとフルトヴェングラーに
どことなく似た雰囲気があるのだと
勝手に思い込んでいる

(いつもながら、どうでもいい話だが)



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野球 相撲 日本人

2009年03月24日 22時10分27秒 | Weblog
WBC 優勝 とりあえずよかった、よかった
当然のことながら仕事で見ることはできなかったが
それにしても野球のゲームは長い!

緊張感のあるよいゲームだとしても
少しばかり時間がかかり過ぎ

野球は基本的にはピッチャーの依存率が高くて
他のプレーヤーは頑張ろうにもピッチャー任せのところがあり
個々の選手の気分的にはそこに辛いものがあるかもしれない
等と素人目には思えてしまうがどうなんだろう?

ところでよく野球はチームプレーと言われるが
部分部分は個々の戦い
まるで相撲みたいな
そうだ、日本人が野球を好きなのは相撲に似ているからしれない

3ストライクまでの駆け引きは
仕切りとよく似ている

そして一つ一つの勝負は連続的ではなく
ぶつぶつと切れている
サッカーやバスケットはゲームが切れないが
野球、相撲は一つ一つに解説ができるほどに
(そしてこの解説が日本人は大好き)
間が存在する

これでマスコミは同じような視点で大騒ぎをするだろうが
よいことのない時期だから2連覇は
まさにタイムリーヒットの出来事だ

これで世間の流れも変わればいいのだが、、、

ところで今日の、もう一人の一郎
小沢さんは続投らしい
検察庁も小沢さんも麻生さんも
みんな胡散臭いみたいに思えるのは何故なんだろう
何か変わらないかな!
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どこか変!

2009年03月20日 08時56分51秒 | Weblog
先日、韓国の百貨店でのブランド品の売り上げが好調との記事が
新聞で紹介されていた
ウォン安で日本からの買い物客が韓国まで押し寄せて
そこでおおいに買い物をしているからと解説にあったが
これは、いいところもあれば悪いところもある
といった簡単な問題ではない

実はこうした傾向こそが
日本国内の景気を悪くしている要因の一つ

生産を人件費の高い日本国内から安い中国、ベトナム
東欧などにシフトして、その生産物の売り先も
数に限界のある日本よりは海外に向かっていて
企業は儲かっているが国民には(当企業の社員でない限り)
あまり恩恵を受けていないのが本当のところ

いったいものの値段とはどういったものなのだろうか?
それは市場が決める?
需要と供給の均衡点?
100円ショップでは、こんなものが100円で手に入るのか
などと感心することがあるけれど
心の片隅に「できるわけない!」と思うのも事実

人が働いて、材料を準備加工して配送しているのだから
大量に生産したとしても
為替という不思議なものがない限り
こんなに低価格での供給は不可能だろう

市場原理主義の言い出しっぺアダム・スミスは
ものの値段は
材料費+人件費+儲けを基礎にするようなことが
書いてあったような気がするが
(その上で価格は落ち着くところに落ち着く)
今はそのところが抜けて
まずは販売価格ありき!
逆算で切り詰めるところは切り詰め、為替による人件費の
安いところを次々に探し出し生産箇所を移動させ続け
とりあえず企業は生き延び続ける

なにか違っているような気がしてならない
少なくともこんな世界は持続可能ではない
資源だけでなく、人の心も気持ちも

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横並びばっかり

2009年03月20日 08時29分10秒 | Weblog
WBC とにかく準決勝まで勝ち残れて
とらえずはよかった、よかった

しかし、この同じ相手と何回も戦う敗者復活戦のシステム、
どこか割り切れないものがあるのも事実
もう少し何とかならないのかな

日本国内では各マスコミが騒いでいるが
球場の観客が少なくガラガラで
アメリカ国内でも本当は関心があまりないのでは?

ところでマスコミ報道
韓国戦、キューバ戦も対戦国の大使館などを映像として
とらえた局が複数あった
定番的で当たり前と言えば当たり前かもしれないけれど
こんなにみんな一緒でいいのかな?

同じような横並びの例として、
小沢さんの秘書の逮捕も全く同じ視点、トーンで報道されており
このニュースが各テレビ局、新聞社独自の調査によるものではなく
単にどこかからの垂れ流しの情報を中継しているだけにすぎないことがわかる
こんなにみんな一緒ならマスコミが複数存在する必要性はないように思えるのだが

このみんな横並びはクイズ番組、討論番組でも見られる
流行となったら恥も外聞もなく後追い
しかも出演者も同じ
番組制作の当事者は変だと思わないのかな

これは予め視聴率が計算できる安全な番組、タレントを
過去のデータに基づいてつくろうとして
新しいことにトライしない傾向に拍車をかけているのかもしれない

また一見今風の話題の発掘にしても
日経MJなどの記事や雑誌が元になっていたり
つまりどこかから使い回しが多い
ある程度は仕方ないかもしれないが、程々にしないと!




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景気が悪くなると増えるもの

2009年03月19日 20時31分07秒 | Weblog
無駄な会議、そして提出書類
どうやらこの辺りはどこの会社でも見られる傾向のようで
あちこちで愚痴が聞こえる

それともう一つ、物事の判断基準が内側を向いていて
手続き論に終始すること
この傾向も増えてくる

困ったものだ
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ベートーヴェンの緩徐楽章

2009年03月18日 22時08分10秒 | Weblog
最近好んでベートーヴェンのゆっくりした楽章を取り出して聞いている
折れそうになったり、弱気になりそうな心を
知らず知らず慰めたり激励しようとしているのかもしれない

いつもそうだとは限らないが音楽の中に身を任せると
ブルックナーのアダージョの場合とは少し違うけれど
気持ちがスッキリするようなことがある

ブルックナーは自然の中の寂寥感やメロディーだか
単なる音響だかわからないようなフレーズで、どこかうっとりしてしまうが
ベートーヴェンのはそれを聞いている人も
しんどいこと、辛いことを経験して、それでも
よい意味でハッピーエンドに向かうような過程で
勇気づけられるみたいなところがある

それで今日は29番のピアノソナタ「ハンマー クラヴィーア」の第3楽章
もちろんレコードで アシュケナージ演奏のもの
次に「荘厳ミサ」からアニュスデイ クレンペラー指揮
これもレコードで

ベートーヴェンは緩徐楽章だけでなく
やはり半端じゃなく凄いなと思うようになった
最初は彼の音楽の迫力に圧倒され
次第に押し付けがましいところが辛くなり離れてしまったが
しばらくして戻ってみるとその職人技にまた驚嘆したり
そして音楽と心理と構造が見事なまでに成立していることを
耳が感じている

(同じような完璧な音楽はモーツァルトのも感じてしまう
 彼はそんなに難しいことをしていなくても
 フッと書いたメロディーが単純な伴奏ですら
 全体としてみると必要不可欠なもの
 バランスの取れたもののように何故だか感じてしまう)

だからフルトヴェングラーがベートーヴェンを神と崇めて
必死に探求した気持ちも理解できる気がする

それにしてもクレンペラーのこの演奏は大好きだ
高校のとき初めて聞いて目頭が熱くなったシーンが今もよみがえる

そしてレコード 
やっぱりCDよりもずっといい音している
音量をしぼっても厚い音してるし、楽器が楽器の音をしている
ますますCDが聞けなくなりつつあるが困ったものだ





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芭蕉と土方歳三

2009年03月17日 22時33分32秒 | Weblog
芭蕉全句を晩年の作から読んでいた
するとこんな句が目に入った

「おもしろき秋の朝寝や亭主ぶり」

おもしろき、、、
どこかで見たような気がすると思っていたが
それは土方歳三の豊玉発句集の中にあった
「おもしろき夜着の列や今朝の雪」

単に「おもしろき」の言葉が同じだけなのだが
何故だか歳三は芭蕉のこの句を知っていて
あえて使ったのではないかな!と
確信に近いものを感じてしまった

それからもう少し芭蕉の句を見ていると
「秋の夜を打ち崩したる噺かな」
という句があり
これから連想する歳三の句は
「春の夜はむつかしからぬ噺かな」

確かに内容や深さ技術は相当の差があるものの
若い土方歳三の少しばかり俳句に
夢中になった姿が目に浮かぶようだ

誰かに習ったみたいだから
やはり芭蕉のこれらの句を知った上での
引用(?)に違いないと思うのだが

それにしても後の土方歳三の運命を考えると
俳句を作っていた頃のまま生かしてあげたかった
と思えてならない

もっともそれでは土方歳三は
土方歳三でなかったかもしれないが、
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