パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

不滅の9曲というものの、、、

2010年09月30日 21時46分29秒 | 音楽
ベートーヴェンの交響曲のこと
音楽の授業ではそう教えられて
条件反射的に「不滅の、、、」とくれば
ベートーヴェンの交響曲と答えた

ところが今 1番、2番の曲はどんなだったか
思い出そうとしてもできない

そもそも、これらの曲はそんなに聞いていない
だから思い出すというレベルまで達していない

「不滅のうんぬん」はエロイカ以後の傑作を知っているから
出てきた言葉で、1番や2番を聞いただけの当時の人々は
ベートーヴェンのその後の成長や到達点を予想できたのだろうか?

確かに1番でもダイナミックな推進力、
真面目な深さをたたえた和音は見られる
だが、3番以降の姿まで想像できた人は少なかったのでは

話は変わってポップスの世界でも同様
初期の作品で未来は予想できるか?

桑田圭祐はデビュー曲が衝撃的だったが
面白おかしかったり、早口が珍しいだけでなく
なにか底知れぬポテンシャルを感じた

同じようにベートーヴェンも当時の人たちは
底知れぬポテンシャルを感じたのだろうか?

1曲を聴いただけで、
演奏家や作曲家のその後の姿を想像することは可能か?

それを見抜くのは特殊な能力かも

年齢のせいか今はどんな分野を問わず
将来はじけそうな人材の発掘、発見に興味がある
それが当たったりすると
妙な自信を持ってしまいそうになるが、、、
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テレビ番組がつまらないときは

2010年09月29日 20時42分27秒 | Weblog
秋の改編次期になると、各局スペシャルと称して
何やら長い番組を放送している

スペシャルが面白いか?
と言えば全くそんな事はなく
なんでレギュラー番組を飛ばすんだ!
と思うくらい

何がスペシャルなんだろう?
(手抜きがスペシャル?)

今のテレビ、自分が年齢を重ねたせいか
全然面白くない
番組表を見ても誘われるものがない
同じような出演者のバラエティーばかり

そんな時はどうするか?
仕方なしにNHKを見る?

実はテレビを見ない事にしている
見なくても少しも困る事はない
むしろテレビに時間を支配されずに済むので清々する

音楽聞いたり、本を読んだり、ネットを覗いたり、、、

テレビが必要なのは
ホント朝の時計代わりの時くらい
あとは、、、サッカーの試合くらいかな?
(時々政治の話も見るけど)

面白くなければ、見ない!
ダラダラ視聴は、みんなしなくなっていくのではないだろうか
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「か」の有る無し

2010年09月28日 20時21分19秒 | Weblog
最初の1行で自分の波長と合うか合わないか判断ができる
その本を買うか買わないかを決めるのは
帯の広告コピーよりも、立ち読みして数行読んでみる方が現実的だ

昔このパターンで購入した本 北杜夫の「幽霊」
最初の1行でその世界に引き込まれたというか
ノックアウトされたし、その文章に嫉妬した

ところが長い間、その文章は
「人はなぜ追憶を語るのだろう」
と思っていた

ところがよく見ると
「人はなぜ追憶を語るのだろうか」
となっていた

つまり最後に「か」があるのだ

「か」が無い方が、独白的要素が強い感じがする
あると若干客観的なニュアンスも感じられる

今でもなくても良いかな!
と思ったりする

同じ様に間違えて覚えていたのは
西脇順三郎 あむばるわりあ から「天気」

(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。

ここでの生誕(せいたん)という言葉
何故だか知らないけれど自分は
(せいたん)ではなくて(しょうたん)と読むものだと思っていた

誕生をひっくり返したのだから(しょうたん)でいい
と思ったのではない(しょうたんという読み方はないけれど)

なんだか(しょうたん)のほうが音として良いような気がしたためだ
思い込みというのは怖いものだ
誰かに言わなくてよかった(恥をかかずに済んだ)

どちらも内容というより音、リズムの問題で
よい文章にはこれらの要素は不可欠ということ

ところで
坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の

夏の野の、茂みに咲ける、姫百合の、知らえぬ恋は、苦しきものぞ

この歌も

夏の野の、茂みに咲ける、姫百合の、知らえぬ恋は、苦しきものを

と最後の文字が「ぞ」と「を」の2説あるらしい(?)

どちらの方が良いか?

どっとでも良いけれど、
こうした事柄に大の大人が必死になって口論する
そういう世界こそが文化的な豊かな生活の様に思えるのだが、、


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レーニン「帝国主義論」

2010年09月27日 21時07分07秒 | Weblog
いつの事かと思ったら100年近く前の事
事実の分析から始まるこの本は
まるで今の事を解説しているかの様

資本主義 対 社会主義(共産主義)
どちらが優れているか?
好ましいか?等を説いた内容ではなく
資本主義の必然的に陥ってしまう理不尽な結果を予想している

なんだか無邪気に自由主義、資本主義を
よきものと信じきっている様にみえる日本

いまこそ人間と言う恐ろしいものが導きだす姿を
それが良いか悪いか
この本でも読んで
もう一度真摯に考え直していかないと
まずいんじゃないかな

それにしても、人間の欲望という奴は、、、


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秋はブラームス

2010年09月26日 18時19分49秒 | 音楽
こんなに良い曲だったけ?
ブラームスのバラード作品10

ずっと昔ミケランジェリの演奏のものをレコードで買って
何回かは聞いたはずなのに
ほとんど記憶に残っていなかった、というか
もう一度聴くのに値しないくらいの印象しか残っていなかった

ところが今日、キース・ジャレットのヨーロピアンコンサートの
レコードを聴いて、聴く方の調子も出てきた感じになって
ピアノ音楽を続けて聴こうと、これを引っ張りだしてきたという訳だ

作品番号が若い時、ブラームスは分かりやすいロマンティックな音楽をつくる
あの弦楽6重奏も確か若い時の作品のはず
ドイツレクイエムもそんなに遅くない
この頃のブラームスはメロディアスで才能にあふれている感じがする

音楽室のヒゲだらけの顔から想像するより
音楽自体は女性っぽいみたいな気さえする

で、この作品もロマンティック
まるでシューマンを思わせるようなところもあったり
妙な難しさ、深刻さがないところが良い

ミケランジェリの演奏も柔らかく
細かいところまで気配りしていても神経質にならず
ロマン派の響きにたっぷり浸らせてもらえる

ピアノの音 自分はどっぷり柔らかい音が好き
だからアラウも好き(ケンプも?)
反対に苦手はアシュケナージ、ペライア

ホント、今日はしっかり楽しめた

調子に乗ってCD音源の音楽も聴こうと思ったが
イマイチ気がすすまず、結局やっぱりレコードで
バッハのヴァイオリンソナタを(無伴奏じゃない方)

自然と思索的になったり、本を読みたくなったり
感傷的になるのは秋のせいか?

お腹がすくのは間違いなく秋のせい!
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フルトヴェングラーのブルックナー交響曲9番

2010年09月23日 19時54分12秒 | 音楽

やっと2階のオーディオのある部屋にいても
耐えられる気温になった

久しぶりに真空管を付けっぱなしにして
準備万端で聞き始めたのは
ブラームスのクラリネット5重奏曲

秋になると本当にブラームスは良い
来年のラ・フォル・ジュルネはブラームス周辺らしい
この曲と4番のシンフォニーは外せないかな

音楽は大音量で聞くわけではない
そんな時は改めてレコードの音の方がCDの音より
分厚く感じられる
CDは低音量で聞くとただただ貧弱なだけ

で、最近はレコードばっかり
おかげで最近のレパートリーが増えない
買うのは中古レコードばかりで
古いものばっかり

次に聞いたのはレコードをゴソゴソ探していたとき
ボックスが目についたのブルックナーの交響曲のフルトヴェングラー指揮のもの
それも9番の第3楽章

何度か聞いていたがイメージでは
伸び縮みが激しく、貧弱な音でブルックナーらしくない
と思ったが、今日改めて聞いてみて
いやいやそんな事はなかった

確かに金管は一部ヒステリックな音になる事はあるが
古い割には弦のトレモロも効果的で
ベルリンフィルの低弦の迫力もそれとなく感じられる

楽器間のフレーズの受け渡し、会話は生演奏のよさそのもの
フルトヴェングラーは指揮しているというより
始まってしまった音楽の流れを演奏家各人の音楽性に委ね
時折、コントロールしているようだ
それでいてがっちりと全体像は把握しているような

しかし、考えてみるとこの演奏
1944年10月7日 まだ第2次世界大戦の最中でのこと
時代背景を思うと、この集中力の深さ、ひたむきさは不思議だ

音楽に対し芸術至上主義を貫いているような
(そうせざるを得なかったかもしれないが)
その姿は、悲劇的な国民の祈りとさえ思えてくる

とにかくイメージの自己陶酔の演奏とは違って
それもあり!
といった演奏で、いつまでも永遠に続いてほしい
と聴衆も思ったのではないだろうか?

音楽が終わると、また戦争の毎日と言う現実
その中で音楽は何ができたのだろう?
瞬間的な気休めだけ?

時代背景のせいだけじゃなく
フルトヴェングラーはやっぱり傑出した音楽家だ
ホント、生演奏を聴いてみたかったな


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ハンディがある方が、、、

2010年09月22日 21時39分52秒 | Weblog
昔、4大文明は豊かな土地で開花したと習った
ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河の流域

ところが今の感覚からすると
本当に豊かなところは文明が発達するのか
少し疑問に思ってしまう
というより、どこかしらハンディがあるような土地の方が
文明は進むんじゃないか!と言う気がする

豊過ぎるところは敢えて努力しなくても
食べていけるから工夫する必要なんてなくて
その日暮らしでも何ら問題はなさそう

この話を人の話に一般化してみると
ひとは少し足りないくらいの環境下の方が
良いのかもしれない

といっても、今の世の中
わざわざ買ってまで苦労するのも気が進まない
横着になれ過ぎてしまった(?)

こうして文明はまた衰退していくのかも?


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iPadで変わった事

2010年09月20日 19時46分10秒 | Weblog
iPadの使用はリビング、そして寝室が多いと新聞に出ていたが
自分も例外に漏れずその通り

その結果変わった事と言えば
まず第一にパソコンを開く事が圧倒的に少なくなった
スリープ解除で直ぐさま立ち上がるiPadは
本当に使い勝手が良い
分からない事が出てくればすぐにグーグルで検索
辞書を引くより簡単

それからTwitterも
短い文章ならiPadで充分
ただそのせいでブログの更新は一気に頻度が落ちた
限られた時間、あれもこれもできないということ

案外使って楽しいのがyoutube
パソコンでも楽しんでいたがiPadの方が
もっと気楽に楽しめる

意外だったのが電子書籍
便利かもと思いつつあまり気乗りしなかったこの分野
しかし、i文庫HDなるもの 著作権が切れた古典の電子書籍
これが案外いける
何冊も手元に置かなくても、どこからでも読み続ける事ができるのは
ありがたい

ゲームは、
うーーん、イマイチ関心がないのが実情

既に今はあって当たり前というか
ずっと前からあったような存在のこのiPad
まだまだ世間で伸びそうな気はするが
評価は人によってかなり違う
さてどちらが正しいいか?

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誰も言葉通りと思っていないのに、、、、

2010年09月16日 21時56分54秒 | Weblog
「越後の縮緬問屋」と自分のことを紹介するのは水戸の御老公
それが嘘のことはみんな知っている

O氏の「一兵卒として頑張る」
やっぱりこれもみんな嘘だろうと感じている

自分は何もしないが、周りがおもんぱかって
行動を起こすかもしれない

それを本人は何もしなかったと判断されるのだろうか?

何もしないが、それを望んでいたでしょう?
代わりにやっただけ
(カラマーゾフの兄弟で)スメルジャコフとイワンの会話

ところがメディアが騒がしく解説、説明をしだすと話はややこしくなる
何が本当で何が嘘か?

メディアは一生懸命説明、解説をするがいずれも似たり寄ったり
最初の発言の後追いばかり
なんだかなあ、、、

ところで話は変わって、今の政治は情けないが
それは、情けない政治家が悪いのか?
それとも、そんな政治家を選んだ国民が悪いのか?

政治のレベルは国民のレベルを表すといわれているらしい
だとすると、今の日本、ちょっと不安

まずはメディアのレベルを上げないと

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果たして予想通りだったか?

2010年09月14日 20時36分25秒 | Weblog
思ったより差がついてしまった民主党代表選
サポーターポイントは圧倒的な差
地方議員ポイントは6対4
議員ポイントは412対400で、全て菅さんの勝ち

この結果はマスコミ、政治評論家には予想通りだったか?

小沢さん陣営とすれば、ほとんど冤罪に近い(?)政治と金の問題での
イメージダウンを払拭できなかったし
メディアも大衆もなんの疑いもなく何か隠してるに違いない
との認識だ

小沢さんを支持する人たちは
政治たるもの叩けばほこりが出てくるもの
要は実行力、決断力、それができるのは彼をおいて他にない
こんなところで極めて現実的な視点だ

しかし、今回は昨年の衆議院選みたいに
一か八かの選択をする雰囲気が世論にはなかったようだ

世論が全て正しいとは思わないが
一部の人の言う様に世論よりも大事なものがある
というのは 気をつけないと怖い気もする
世論に左右されすぎるのも困るが

さて昨日の関心事
旧メディアの調査とネット調査
結果的にはネットは、まだ主流とまでは至らず
といったところ

いずれ逆転の可能性はあるかもしれないが現時点では
ネットの様に自ら働きかける媒体より
受動的なメディアの方が力をもっているらしい

ネット通販がものすごい勢いで伸びているとしても
実店舗での売り上げよりもまだまだ

世の中はものすごい勢いで変わっているけれど
ゆっくりとしか変わらないものもある


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