NHKのテレビ番組に 鴻上尚史とリサ・スティッグマイヤーの出演する
「cool japan」がある
外国人の視点で日本のcool(かっこいい!)を挙げてもらって
日本人の感じ方との比較を行っている
これは最近少しづつ増えつつあるような
日本は特別に優れた国なんだ
といったメッセージの発信とは異なり
単にこんなところに違いがありますと伝えている
必ずしも日本が特別に良いわけではない例が
以前放送された中にある
日本では電車の中で忘れ物をした場合、その忘れ物が
高い確率で戻ってくるが、このモラルは諸外国では信じられない
と発言した外国人がいたが、同じその人が
電車の中で老人が立っているとその席を譲る確率は
日本はものすごく低い
自分の国はほとんど老人に席を譲る
と話していた
モラル一つとってもちょっとした違いがあるということ
先日の放送は途中から見たのだが、なかなかおもしろかった
日本人の良くすること(しないこと)を取り上げていた
日本人は夫婦でキスをしない
日本人は財布を奥さんに預けて小遣いをもらうようにしている
日本人は夫婦間である時から「パパ・ママ」 と呼び合うことにしている
この3つの行為は外国人の感覚からすると
とても変なことのように感じたようだ
日本人からすると、当たり前のように感じるのだが
この内の2番めの、奥さんから小遣いをもらうという行為
これが外国人には評判が悪かった
小遣いをもらうなんて子供みたいだ
簡単に言ってしまうと主張の大部分はここにつながっていた
お金は確固とした個人がそれぞれ 管理すべきである
これが大半の国の人(番組に出演した)の考え方だった
日本人である自分は、
個人がしっかりするとかしないとか言う前に
ただ面倒くさいなが先に立つ
いちいちあれこれ考えるより分業制としてお金の管理を
信用できる人物に任せているだけ、そのほうが効率的と考える
どの家庭でも多く見られると思うが
細かい買い物は奥さんが仕切って、大きな買い物は旦那さんが
エイヤッと決める
結局財布は奥さんが握っていても全部が全部任せているわけでもない
(でも最近はそうでもないかも)
ただ、この行動には大きな前提がある
奥さんがしっかりしている、信用できるということ
信用できて信頼しているからこそ、笑いながら自虐的に
うちの財務省は、、、と酒の肴にでてくる
やっと本論に入るが、この 大きな前提
奥さんがしっかりしていて、信用できるということを
市政と結びつけるとはたしてどうなのか
一般市民は、無意識に市の財政を扱う人はしっかりして
信用できると思い込んでいる(というか、そのことを意識しない)
その管理は選ばれた人が、まっとうなことをしているはず
と思い込んでいる
しかし、最近の日本国中で起きている住民投票は
この前提を疑うことから起きているのではないかと感じてしまう
それはどの自治体も財源が不足気味になり
自らの実感をベースに市のことを考えると
今までどおりの使い方で良いのか?
と疑問を持ち始めたということ
最近では様々な情報がインターネット上に公開されており
市の情報もこまめに探していると
こんなことまで と思われるものまで手にすることができる
そこで、悲観的(慎重な)視点の人は 不安が先に立ち
前提としていた、ちゃんとやっててくれるはずの人がやってるか
を疑うようになる
何から何まで疑ってしまったら物事は先に進まないので
ある程度のことは仕方ないかも知れないが
残念なことに調べると、ちょっと不安のほうが先立つ
でも市民にできることは、、、
ちゃんとしっかりやってよ!
ということしか出来ない
いや、ちゃんとやっている
と言うかも知れないが、やっているかいないかを判断するのは市民側
その数が大きか少ないかが問題かもしれないが、
自分の住んでいる街ではここのところの行政に対する不信感が
起きてしまったためにある運動が起きてしまった
分業としての作業
その前提としての誠実さ
それを疑ってしまうのは実はとても悲しいことだ
(いつもの、まとまりのない話でした)