パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

0-2からの勝負(オリピック予選 韓国戦)

2016年01月31日 07時41分46秒 | サッカー

オリンピック予選最終戦(決勝戦)
結果(日本3−2韓国 )を知ったのは布団の中
タブレットでスポーツニュースの欄を見て

夜型の人間ではないのと、
実はこっちのほうが理由だったかもしれないが
縁起担ぎ、あるいは流行りのルーティンで
生は見ないようにしていた

それで内容はなんとも言えないが
0−2からの逆転ということだが
サッカーの世界は0-2あるいは2-0の勝負は本当に怖い

現役の頃、ゲームで2-0に なった時
「これで簡単には負けない、1点取られてもあと1点あるし」
と思ったりしたが、たったこのちょっとした油断が
あとでどう修正しようとしても、
どうにもならない勢いに負けてしまったことがあった 

現役時代だけでなく、小学生のサッカーのコーチをしていた時も
これは何度も経験した
あるときは、0−2になっても諦めなければまだ勝負はわからない
ということで、逆転勝ちした記憶も
その反対に逆転されてしまったことも

だから、サッカー経験者は0-2とか2-0はとても危うい状況と考える
あのワールド・カップ南アフリカ大会のデンマーク戦
一度2-0になったシーンがあったが、その時のほうが1-0で
勝っていた時よりも不安になった

0-2は勝負は諦めてはならないということ
2-0は勝負は自分たちで勝手に勝ちと決めてはいけないこと
     (油断はいけないということ)

言葉では分かるような気がするかもしれないが
これは痛い思い、嬉しい思いを実体験として
味あわないと本物の知識とならないかもしれない

ところで、U23 最後に6戦全勝での有償
良かった!
 

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好戦的な人たちの集まりではありません(どすごいブログからの引用)

2016年01月30日 08時07分01秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

今朝は現場ですべきことがあり、のんびり投稿していられないので
横着して東三河を中心の自分の別のブログの引用です

以下は相変わらず新城市民以外は関係のない話
もしかしたら、このような状況に陥った人たちには
多少参考になるかかも知れませんが 

以下引用

新城市長リコールの署名が始まって20日以上経過しました
さすがに、リコールのことを知らない新城市民は少なくなってきましたが
このリコール運動を進めている人たちって、どんな人たちだと思いますか?

ちょっと変わった人たち
好戦的な人たち
自分の意見をあくまでも通そうとする人たち
気の強い人たち、、、

でも、その中に身をおく立場の人間として少しばかり
実情をお知らせします

この仲間は、ごく普通の気の弱い、どのにでもいるような普通の人達です
署名活動にでかけ、署名を貰えばホッとして
もらえなければ落ち込んで
何よりも、署名活動に家庭訪問する時に、今までの人間関係に差し障りが
起きてしまわないか?と不安を感じたり、
二の脚を踏みそうな自分に勝つために奮い立つ努力をしたり、、、
つまり、本当に普通の感情を持った人たちばかりです

もし、変わっているというなら、少しばかり正義感が強かったり
将来に対して心配性なところがあるかもしれません

だから、軽々と行っているような署名活動もストレスがかかっています
そんなことはそっちの勝手じゃないか?
確かにそうかもしれません
でも、もしかしたら自分の評価を下げるかもしれないのに
それでも、この行動に敢えて進まないといけないと感じるのは
将来に対する責任、自分自身の使命感によるものです

署名活動が始まって、同時に反リコールの運動も起こっています
表に出ている新友会のチラシ
不正確な表現と、事実と異なるでまかせ記事(代表の土地を買わせるためにのくだり)
だけでなく、ある団体を使っての署名をしないようにとの伝言(指示)
そして聞きところによると署名しないようにと電話をかけているようです
そして反リコールの運動を中心になってしている議員さんは
住民投票後の市議会で住民投票の結果を尊重しない議決をした人たちです

想像してみてください
住民投票の結果を無視した人たちが、
今後新城市の市政の中心となっていくことを
それは怖くありませんか

自分たちは、このことに、そして将来にとても不安を感じます
何も好き好んで進めている運動ではありません

分かってくれとは言わないが(何かの歌の歌詞みたい)
普通の気の弱い、小市民の行動が今起きているのです
けっして、好戦的な人の集まりではありません

 

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些細なこと?

2016年01月29日 09時06分57秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

またまた新城市以外の人には関係のない話

何度も繰り返すが、自分がこんなにもしつこく
こうした問題に関わっているかといえば
庁舎建設の見直しに関する住民投票のあのわかりにくい条例案に対する不信感と怒り

選択肢1市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し

選択肢2 市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し

この住民投票条例案はわかりにくいだけでなく、悪意を感じる
それは結果がどのように出ようにも、 いかようにも好き勝手に解釈できるからだ

そして現実に今の今まで混乱が起きているのはこのせいだ

この不信感や怒りを感じさせる進め方は
これもしつこく繰り返しになるが、住民投票を間近に控えた
市民まちづくり集会でも見られた

市民まちづくり集会では、
東庁舎に雨漏りが発生して ひどい建物の様な印象をあたえる発言があったが
この雨漏りは、落ち葉がドレインに溜まって雨水がオーバーフローしておきたもの
最近は落ち葉を確認しているので雨漏りは発生しないし
雨漏り防止のために費用も使っていない(これは市に行って確かめている)


ここで問題は、雨漏りがあったかどうかではなく
東庁舎の活用を訴えているメンバーに、その雨漏りのことに対して
反論する機会や時間が与えられていなかったこと
メンバーに与えられた時間は、冒頭の住民投票の経過の説明に10分程度
PTAや若者、経済人などと並んで質問する団体として与えられた10分程度
あとの時間の大半は行政(選択肢1を薦める側が行った)

こういった不公平なことが行われたにも関わらず
市民の情報の共有をはかるステップが公平に行われたと言い切る姿勢
これに腹が立ってしょうがない
この市民まちづくり集会の後、イベントを運営した人に不公平ではないか
と問い詰めたところ、「責任は議会に、、、、」といったニュアンスの言葉を発しただけ

そこで思い出したことがある
まちづくり集会では(新城市民以外にはわかりにくいが)体育館南のC地は
合併特例債の対象外だから、選択肢2は市に余分な費用がかかると説明したが
直近の市議会では、C地も合併特例債が使えるように担当部署で検討するようにしている
との市側の発言があった

あの時はC地は合併特例債は使えない
今は使えるようにする
だったら、あの時のまつづくり集会の発言は何だったのか

これらは些細な事かもしれない
でもこの様な些細なことから類推される
いい加減なことがいろんな所で行われている

自分はこういった物事の進め方に不信感と
それに伴う不安感をどうしても拭い去ることが出来ない

市の5階建て50億の計画に反対したら、「対案を出せ」
と言われ、対案を出して市内数カ所で説明会を行っても
市側は、出せと言ったにもかかわらず検討しない 
だから住民投票までになってしまった 

市民の声を聞くという前提で選ばれた人が
選ばれたと言うその時点での事実を元に
強引な政治判断をしている

そしてその進め方は、、、

日本国中、こんなものだ
とまるで他人事の様にいう人がいる
でも、気づいてしまったら、それが偏見・思い込みがあるとしても
どうしても見逃すことの出来ない自分がいる

 

 



 

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今、読みたい気分の本

2016年01月28日 19時33分39秒 | Weblog

最近、実生活がバタバタして
のんびり読書する気持ちになれないでいるが
先日週刊誌で自分の感性に近い人を見つけた

写真の3冊のうちピケティは読んだが、それを挟む2冊も面白そう
本の値段が気楽に買える金額ではないので
気分が乗った時しか買えないかな
(それに最後まで読めるか自信がないし)

4位以下も興味をそそられる
でもまだ読みかけがどっさりある
気張って購入したブロッホの「この時代の遺産」は
文体のリズムが合わず、前に進まない
(どうやらこれは積ん読になってしまいそう)

丸善で購入したアントニオ・タブッキの小説も
最初の章を読んだだけ 

購入していないが、今気になるのはウェーバーの「権力と支配」
ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」
日本のミステリーでは「帰還者」も面白そう

おっとその前に「新カラマーゾフの兄弟」を 終えなければ!
この新カラマーゾフの兄弟を読んでいると
如何に本家のカラマーゾフの兄弟が凄いかが分かる

なんか落ち着かない毎日 が続く
しばらくは仕方ない! 

 

 

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サッカーオリンピック予選 イラク戦

2016年01月27日 18時21分11秒 | サッカー

またもや安心の録画視聴
結果は日本2−1イラク 

一つ想像していたことがある
失点するならセットプレーとか
こぼれ球みたいなところから に違いないと

このチームは案外守りがしっかりしていて案外隙がない
ミスもするけど失策までには至らない何かがある
で、守りを見ていたらスペースを潰しているだけでなく
基本中の基本、インターセプトを常に狙っている感じが
画面からも感じられた
こういう守り方をされると案外パスが出しにくい
これは何かイタリアっぽい守り方(?)

結局、やっぱりコーナーキックから味方のミスからの失点
これは仕方ないと言うところか

それからもう一つの注目点は選手起用について
これだけ毎試合選手を替えて大丈夫か?
との不安を、万全ではないとしても結果的にはクリアしている
これは実はものすごいことなのかもしれない
チームの熟成を考えると固定したメンバーの方がやりやすい
でも、手倉森さんはしなかった
自分の勘を信用しているらしいが
現実にはこの人はモチベーターという特徴を持った監督なのだろう
選手にやる気を起こさせる
そのためには選手自身が納得できる選択や、指示や普段の自らの行いの妥当性

実は手倉森さんは高校サッカーの選手時代
変な名字だなと思った記憶がある 

それはさておき、シュート4本はそれでも寂しかった
南野は一本はシュートチャンスはあったはず
左へパスする前にシュートすべきだった 
得点した久保はいいシュートだった
アシストした鈴木も良かったが得点した久保を大いに評価する

決勝点の原川は素晴らしいキックのシュートだった
しかも利き足ではない左足
もっとも利き足でないから余分な力が入らなかったかもしれない

結果オーライなので選手みんな良かったというべきだが
室谷、中島、植田、遠藤、久保、櫛引、原川あたりが
自分の目には良かったかな

ここまで来たのだから、次も頑張れ!
 

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夫の小遣いの話題から連想すること

2016年01月26日 10時35分42秒 | あれこれ考えること

NHKのテレビ番組に 鴻上尚史とリサ・スティッグマイヤーの出演する
「cool japan」がある
外国人の視点で日本のcool(かっこいい!)を挙げてもらって
日本人の感じ方との比較を行っている

これは最近少しづつ増えつつあるような
日本は特別に優れた国なんだ
といったメッセージの発信とは異なり
単にこんなところに違いがありますと伝えている

必ずしも日本が特別に良いわけではない例が
以前放送された中にある
日本では電車の中で忘れ物をした場合、その忘れ物が
高い確率で戻ってくるが、このモラルは諸外国では信じられない
と発言した外国人がいたが、同じその人が
電車の中で老人が立っているとその席を譲る確率は
日本はものすごく低い
自分の国はほとんど老人に席を譲る
と話していた

モラル一つとってもちょっとした違いがあるということ

先日の放送は途中から見たのだが、なかなかおもしろかった 
日本人の良くすること(しないこと)を取り上げていた

日本人は夫婦でキスをしない
日本人は財布を奥さんに預けて小遣いをもらうようにしている
日本人は夫婦間である時から「パパ・ママ」 と呼び合うことにしている

この3つの行為は外国人の感覚からすると
とても変なことのように感じたようだ 
日本人からすると、当たり前のように感じるのだが

この内の2番めの、奥さんから小遣いをもらうという行為
これが外国人には評判が悪かった
小遣いをもらうなんて子供みたいだ
簡単に言ってしまうと主張の大部分はここにつながっていた
お金は確固とした個人がそれぞれ 管理すべきである
これが大半の国の人(番組に出演した)の考え方だった 

日本人である自分は、
個人がしっかりするとかしないとか言う前に
ただ面倒くさいなが先に立つ
いちいちあれこれ考えるより分業制としてお金の管理を
信用できる人物に任せているだけ、そのほうが効率的と考える
どの家庭でも多く見られると思うが
細かい買い物は奥さんが仕切って、大きな買い物は旦那さんが
エイヤッと決める
結局財布は奥さんが握っていても全部が全部任せているわけでもない
(でも最近はそうでもないかも) 

ただ、この行動には大きな前提がある
奥さんがしっかりしている、信用できるということ
信用できて信頼しているからこそ、笑いながら自虐的に
うちの財務省は、、、と酒の肴にでてくる

やっと本論に入るが、この 大きな前提
奥さんがしっかりしていて、信用できるということを
市政と結びつけるとはたしてどうなのか

一般市民は、無意識に市の財政を扱う人はしっかりして
信用できると思い込んでいる(というか、そのことを意識しない)
その管理は選ばれた人が、まっとうなことをしているはず
と思い込んでいる

しかし、最近の日本国中で起きている住民投票は
この前提を疑うことから起きているのではないかと感じてしまう
それはどの自治体も財源が不足気味になり
自らの実感をベースに市のことを考えると
今までどおりの使い方で良いのか?
と疑問を持ち始めたということ

最近では様々な情報がインターネット上に公開されており
市の情報もこまめに探していると
こんなことまで と思われるものまで手にすることができる
そこで、悲観的(慎重な)視点の人は 不安が先に立ち
前提としていた、ちゃんとやっててくれるはずの人がやってるか
を疑うようになる

何から何まで疑ってしまったら物事は先に進まないので
ある程度のことは仕方ないかも知れないが
残念なことに調べると、ちょっと不安のほうが先立つ

でも市民にできることは、、、
ちゃんとしっかりやってよ!
ということしか出来ない

いや、ちゃんとやっている
と言うかも知れないが、やっているかいないかを判断するのは市民側
その数が大きか少ないかが問題かもしれないが、
自分の住んでいる街ではここのところの行政に対する不信感が
起きてしまったためにある運動が起きてしまった

分業としての作業
その前提としての誠実さ
それを疑ってしまうのは実はとても悲しいことだ

(いつもの、まとまりのない話でした)



 

 

 

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サッカー オリンピック予選 イラン戦

2016年01月24日 08時35分49秒 | サッカー

日曜の朝くらいはお気楽な話題を!

サッカーオリンピック最終予選 対イラン戦を録画で見た
生がいいのはわかっているが、自分が夜型人間でないのと
見た結果興奮して眠れなくなりそうなのを心配して録画での視聴

延長で3-0での勝利
結果オーライ  まずは良かった
でも結果とは裏腹、なかなか厳しいシーンもあった

特に感じるのはフィジカルについて
多分日本人同士の闘いに慣れている選手は
接触した時の体の芯の強さとか、脚の長さ、背の高さ
などは感覚をつかむまでちょっと時間を要するのでは
と思ったりする

2得点し大活躍した中島も90分の中では
人数をかけて、あるいは上手く対応されて
得意のプレーも誰かに引っかかって上手くいかなかった

ところで、サッカー経験者は、
そういうことがあると同意されると思うけど
試合に入った時の最初のプレーがうまくいかないと
それが案外後をひくことがある
うまくいくと言うより普通にできればいいが
例えばプレスをかけられて少しパスが乱れた
とそんなことだけで、なかなか乗れない気分になる

もっともそんなことは本人は忘れるのだろうが
外から見てると、今日は運が無いなとか、イマイチ冴えないな
などと感じたりする

そこでいつも感心するのが岡崎慎司
彼は本当にめげない
最初のプレーが上手く行こうがいかまいが
途中リズムを崩そうが目一杯戦う

その視点でイラン戦をみると
先ほどの中島は90分では潰されていた
しかし、相手の足が止まったのか、対応になれたのか
それとも中島のメンタリティーの勝利か
生き返った活躍をした

きっと戦うということは、この様にめげないことだと思う
(当たり前なんだろうが、これが案外出来ない) 

オナイウも屈強なイラン選手に対応されて苦労していた
それなりにはプレーしていた(?)が合格点ではない
しかし、結果的に彼もめげなかったと感じるところがある
何か途中のワンプレーが良かったあと、急に存在感を増したような

こう言うガチガチの勝負はやっぱり上手い下手よりは
戦える選手がいいかな
でも最低限、パスの精度は確保して欲しいが 

あと一つ、頑張れ!

 

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実感

2016年01月23日 20時20分57秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

寒い中、みんなに刺激されてあちこち動きまわった
で、今日感じたこと

若い人はいいな!
正義感があって、世間のしがらみがなくて、
自分の気持ちに正直で !

どうも年齢を重ねると知恵がついたはずなのに
自由に判断できないことが多くなるようだ

論語の「七十にして 心の欲する所に従いて矩 のり を踰えず」
この境地になるのは難しい 
(なんのこっちゃ?) 

 

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昔の日記

2016年01月23日 08時22分01秒 | 徒然なるままに

先日若い人のことを取り上げたが
自分がその年令の時、何を考え、どのように感じていたか
気になって昔の日記を引っ張りだしてみた

中学3年の1月1日から始めたように記憶している
当初はハイペース、毎日かかさず書いていた
学生生活が終わって、仕事についている時もずっと続けていたが
怠け癖がついてペースはダウン、いつのまにかポツンポツンとしかノートに向かわなくなった

さてどんなことが書いてあるか

まだしっかり読み返していないけど、どうも今とあまり変わっていないみたい
確かに自分が書いたのだから、なにがいいたいのかは当時の感情も蘇ってくる
でも、なんか進歩していないな、、、

がっかり、それとも、いいことか?
じっくり読み返してみるかな! 

 

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春香クリスティーン「新城は今ピンチなのですか?」

2016年01月22日 07時54分01秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

昨日、中京テレビの情報番組「キャッチ」のなかの一つのコーナー
春香クリスティーン「政治の現場をのぞいてみたら実は◯◯だった」
で新城市のことが放送された



実はこの番組に紹介されるのは今回で2度目
前回は住民投票について
そして今回は、市長リコールについて

この件で少しばかり市内に混乱があるのは事実で、
その原因はそれぞれ相手側にある主張している
そのどちらが妥当か判断するのは市民の判断するところ

ところで、さすがに公平を保つためにテレビではリコール運動の共同代表者のインタビュー



市長のインタビュー



両者の言い分が同等に扱われている

この番組で一番印象に残ったところ、
それは最後に春香クリスティーンの発した言葉
「今新城市はピンチなのですか?」

住民投票が起きて、今度は市長リコール運動まで起きている
外から見れば、やっぱりピンチなのかな?
と思うのでしょうね、きっと

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