パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

国会議事堂前のデモに参加して

2015年08月30日 20時09分08秒 | あれこれ考えること

なんとなく落ち着かず、東京駅から丸ノ内線の乗ったのが12時半ごろ
まだデモには時間がある
丸ノ内線はそんなに混んでいない 乗客も普通の生活者の雰囲気
しかし、国会議事堂に着く手前から降りる支度をし始める
今回のデモはこの様な人たちも参加するのか!
(自分がどのように見られているかは分からないが)
少し驚きがあった

国会議事堂駅はなにか騒がしい
ガイドの看板がある

待ち合わせをしているのか、出入り口には既に多くの人が
不意に何か熱いものがこみ上げてきた
この国はまだまだ捨てたもんじゃない

東京の地理は詳しくないので先を歩く人の後を追いかける
歩いて現場に近づくにしたがって人はどんどん多くなってくる
それも老若男女、滲みでる雰囲気も様々
これは以前参加した「反原発」の時とずいぶん印象が違う
実行委員の方がマップなどの資料を手渡し
傘を持った手がいっぱいになる 

報道では以前デモに対する敷居が低くなって、
誰もが気楽にデモに参加できるようになって、
一種のイベントのノリでいるとか伝えられていたが
そんなことはなかった
みんな一様に真面目な表情、そして体からにじみ出る
熱気みたいなものが感じられた
あの場所で妙な被り物などをしていたら、浮いてしまう
それは多分感じ取ることができたのだろう

自分はどこにいたらいいのかわからず
公園内をウロウロしたり
混んで一向に進めない歩道をあっちに行ったりこっちに行ったり
若い声で歌、ラップ(?)が聞こえる
それもきれいに揃ったもので、大声で喚くこともなく
一時期の自己陶酔の世界ではなく
単純に音楽的にも優れたものだったし、それこそ音楽の力は大きい
と感じざるを得なかった
シベリウスがフィンランド人の心を掴んだように
今日奏された音楽は確かに効果的に人の心に入っていった
同じことの繰り返しが多いので退屈しないように
部分的にちょっと引っかかるようなリズムの変化をつけて
こんなところにもとても高い知性を感じる

デモは時に感情的に個人批判となることがあるが
安部首相に関するものは多少仕方ないとしても
今回はその主張するメッセージ内容は極めて冷静なものだった



 道が開放されて議事堂前に繋がる道が人でいっぱいになる
主催者の方のメッセージが流れる
この主催者の方、なんと言われる方か存じ上げないが
とても落ち着いた、人の良さそうな声
「この声の人は 信じられる」直感的にそう思う
この人についていくスタッフも参加者の体調を気遣い
給水を勧める

あちこちで声が上がる
明らかに高校生と思われる女性3人が拡声器をもって
同意を求めながら声を上げる
それは若さゆえのノリだけでは済まない何かを感じる
(最初はそうだったかもしれないが、数を重ねるうちに
いい加減ではいけないと気づいたと想像してしまう)

若い人はいい
体力がある、持続力がある
ずっと歌いっぱなしでも声がかれない
ここに来てよかった、若い人たちは自分たちのなすべきことを
ちゃんとしている そんなホッとした感情が芽生える

と同時に、これだけの熱気の中にいると
九月の総裁選で安部さんが再選される確率が高く
引き続き 首相を務めることになりそうということが
とても不思議なことのように感じられる

国民は安倍さんをノーと言っている
しかし、政治家間では安倍さんが良いとしている
政治システムに準じた結果とはいえ、何かとても違和感を感じざるを得ない

現場ではオリジナルなメッセージの看板が目につく
今日の自分にとって一番気に入ったのは

単純明快、その通り
自民党良識派も公明党も「正気にもどれ!」

このデモは無視できない規模のものだと思う
頭上を何機かの飛行機が飛んでいたし、
あちこちにマスコミ(テレビ)のカメラも見かけた

しかし、帰りの電車の中で新聞社系のニュースを確認すると
このデモを取り上げていたのは毎日新聞と中日新聞
朝日は何故かそのものずばりでなく何かに絡めて
読売、産経はやはり見つけることができなかった

寝屋川の中学生遺体遺棄事件はどの局、どの新聞社でも
同じように扱っているが、肝心なこの手のニュースは社の姿勢が見られる
報道されないことは、世の中に存在していないこと
そんな風に感じる方もまだまだ多いので
こうした組織の違いによるニュースの扱い方には
注意していかないといけない

話はあちこち飛んだが(いつものように)
現地にいかなければわからない熱気、雰囲気
それから感じられる可能性
若者は捨てたもんじゃない
老人もママさんも

ところで政治屋さんに一言
国民を舐めるなよ!
 

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雨の日のサッカーは燃える(デモも同じ!)

2015年08月30日 05時35分49秒 | 徒然なるままに

雨の日のサッカーは、最初はイマイチ気乗りしないが
そのうちユニホームはビショビショ、
おまけに倒れて泥だらけとなると 開き直って
却ってハイテンション、異様に燃えることがある

残念ながら今日は小雨どころか大真面目な雨
(東京の昼はどうかわからないが)
でもこんなことでへこたれたりしない
それこそ、立ち向かう困難が大きいほどやりがいがある

デモに参加する人はきっと同じように感じるに違いない
そして、そこで味わう一体感は
雨のお陰でより大きなものになる

時代の変わり目・歴史の目撃者となるために
マスコミの報道の真偽を確かめるために
そして何よりも、横暴なやり方に抗議するために
一番目立つ議事堂前に
田舎から100万人のひとりとして出かけます

いろんな地区でデモに参加する人
頑張りましょう 

(デモの様子は後でアップするつもり)

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なぜアメリカは銃規制を行わないのだろう(まともな民主主義か?)

2015年08月29日 11時22分26秒 | あれこれ考えること

またアメリカで銃による事件が発生した
しかもテレビの生中継をしている時に
レポーターとカメラマンが撃たれて死亡
インタビューを受けていた人も重症

銃による事件はもしかしたらアメリカでは
余りにも多すぎてもはやニュースにすらならないのかもしれない

この手のニュースを見聞きする度に多分日本人は
なぜアメリカは銃の規制をしないのか
なぜスーパーで銃を買える様になっているのか
と思うに違いない
そしてこの状態は異常と考える 

それに対してアメリカライフル協会は
銃を持つのは開拓時代からの文化とか
自分のことは自分で守る文化とか主張して
政治家に多額の献金を行い、
銃規制の法律は一向に進まない

ここに多数決による民主主義のイマイチお任せできない点がある
これだけ事件が起きて、問題もあって、とっくに文化とか言ってる
場合でもないと思われるのに、政治献金のありがたさを感じている政治家の
数によって決められること
それは本当にまともな民主主義か

民主主義は数の多い少ないをもって決定する政治システムというなら
実はその判断を下す権利のある人物(政治家)の資質を問わなければならない
人にはいろんな考え方がある、といった相対性の問題ではなく
一個人として真理とはなにか、正しいこととはなにかを
突き詰めて考えぬくことをするのが政治家の最低限の条件ではないか

どう考えても、これだけ銃の犯罪について反省のない国が
自分のことは自分で守るの理屈で、過度に危機感を煽り
武器を持つことが抑止力になると言い続け
その理屈は全世界にもどの民族にも通用するはずと
ゴリ押しに進めるのは、実はおかしなことではないのか

物理学等は、何々のためには何々
その先の何々のためには何々と
理屈を逆上ったり展開していくのは当然のことだが
政治上の問題はこの論法を重ねると結果的に
とんでもない結論に陥ることがある

先ずは直感的に内容が納得できるかどうかを判断の基準にすべき
そしてその直感が間違いないようにするための
個々の判断力のレベルを上げることが肝要

えらく抽象的な、場違いなことをあれこれ考えるのには理由がある
ひとつはやはり安保関連法案に関する政治家の判断力の問題
アメリカの姿勢の問題
そして、数を頼りに在任期間中は民意を反映しない(と思われる)
新城市議会の一部の議員さんのこと
安易な民主主義の言葉で一括りされ
結局は数の世界とされれしまうのは、どうにも納得出来ない

年令を重ねいろいろわかってきたことがある
重ねなければわからないこともある
その身につけた経験は、
今の安保関連法案はとても危険だし、
新城市の市議会は(少し恥ずかしいが)
とても信頼できる状態でないことを示唆している

ホント、これじゃまずい
ということで、今まで遅まきながら市民活動をしてきたし 
明日も具体的か活動をするつもり

できれば明日の天気
雨が降りませんように! 

 

 

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作手総合支所ともっくる新城

2015年08月29日 08時13分11秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

写真は新城市の作手総合支所
つい最近完成したばかりで、中に入るとまだ心地よい木の香りがする

この総合支所に訪れたのは
新城市の「住民投票結果を受けての庁舎見直しに関する実務協議」の報告会のため

今日はいつものダラダラと長い話はやめて、この格好いい建物について

会場に足を運んだ新城市街からのメンバーはこの建物を見るの初めて 
一応に同じ感想を持つ
「ほーっ、いいじゃん!」

でもその後に少し悲しい話が続く
それは、これに比べて「もっくる新城」は、、、

この総合支所の建設費が外構を含めて3億円
建物だけでは2億とどれだけとか

一方もっくる新城の建設費は
当初3億2500万円に追加が2億3500万円
そしてあのデザイン
(良いのか悪いのか、この総合支所の様に素直に良しといえないところが辛い) 

何故か急に、
新城市の庁舎建設も一から出なおしたほうがいいのでは!
などと思ってしまった 

 

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三河弁のある人の投稿から(住民投票と市庁舎について)

2015年08月28日 16時13分44秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

以下は新城市民なら何のことかが分かる極めて面白い投稿
余りにも素晴らしく、自分だけではもったいないので
多くの人に知ってもらいたくて紹介させていただきます 


ちょっと聞いとくれん。わしの住んどるとこは、おかしなトコでのん。偉い人ンとおと野球をやらまいと言うと、偉い人ンとうは勝手に決まりを作るだに。自分とうが負けるのが嫌だもんで、絶対勝てる決まりを作ってから「この決まりだったら野球の試合をやってやってもいいぞん」って言うじゃんね。しょんないもんで、一生懸命やったら偉い人ンとうに勝っちゃったじゃん。そしたら、偉い人ンとうは、「あんたらが使っとるグローブが悪い」だの「バットが悪い」だの文句ばっかこきゃあがるだに。挙句の果てに「こんな試合無かった事にしろ」だって。うっとおしいもんで、偉い人ンとおにグローブとバットを見てもらったら、あんまり真剣に見んうちから今度は、「ボールの投げ方が悪い」「打ち方や走り方が悪い」って。だったら、もういっぺん試合するかん。って言やーいやだって言うじゃんね。じゃあどうするだん、って聞きゃー、「わしら18人の選手で勝ったか負けたか決めるで、あんたンとおは、そっちでまっとりん」だって。あっ頭来て「そんな馬鹿な話あるか」「勝ったもんは勝っただらぁ」「偉そうに文句言う暇があったら負けを認めりん」って迫ったら。「こっちが決めた決まりだで、こっちで多数決で決める」「嫌なら負けを認めりん」だげな。あべこべじゃんねーぇ。だけど、あんまり文句ばっか言えんもんでおとなしく待っとたら、「あんたらは一生懸命やったのは認めるが、この試合は無かった事にするで」「多数決だでしょんないじゃん」で説明も無しで終わりだに。こんな試合どこを探してもないぞん。偉い人ンとうは勝てる野球の決まりを作っておいて、負けた時にゃ無かった事にするんだわ。「どっとろくせー」「こんなぶしょったいことを認めるわけにゃあいかん」「こんな事が世間に通用する訳がない」って試合をやった人ンとーが真剣に怒っとるで、偉い人ンとー、知らんにー。

いやー、本当に面白い
三遊亭円楽よりも!
座布団3つ! 

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新城市の住民投票、その後の経過

2015年08月28日 05時33分55秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

人となり、性格を見るには
「お金を払う時の態度」ではっきりするかもしれない
日常の小さな金額での買い物ではなくて友人同士の貸し借り
(ハムレットの劇中には友情を保ちたいのなら貸し借りはすべきでないとある)
比較的大きな金額での出費、こうした時に気持よく支払うか
グズグス何か言い続けるか、それとも引き伸ばすか
本当にいくつものパターンが想像される

同様に普段見えない人の性格を知るためには
非のあることを問い詰められた時の態度があるかもしれない
これも感情が大きく左右して、一般的には明らかに
当人に非があるとしてもなかなか認めないし
まして公に謝罪までは行い難い

新城市では既に何度かアップしているように
5月31日庁舎見直しに関する住民投票が行われ
その結果、3人をのぞく15人の市議会議員の推す案が
否決され、庁舎は大幅な縮小をせざるを得ない事になった(はず)

そこで、その確認の意味も含めて住民投票が終わって
時間も立たないうちに(6月3日)
議長あてに「請願書」が提出された

ところで請願書とは何かといえば
市議会議員の紹介を要する、指定の方法に則った書き方による
議長あてに意見や要望を述べる文書
これは 付託された委員会で審査の後、本会議で審議される
(議事録にも記録される?) 

よく似たものに陳情があるが、これは市議会議員の紹介が無くて
議長あてに提出される文書で、 委員会に送付された陳情書は、本会議で報告される

つまり、請願書は審議されるが陳情は報告されるだけ
新城市ではホームページに次のように紹介している

前置きが長くなったが、昨日(8月27日)この請願書に関する
総合政策特別委員会が行われた
請願書の内容は
1.市民の多数が「3階建て30億、東庁舎活用、付替道路なし」を選んだ。
 議会として、この結果を尊重し実現すること 

2.議会として新庁舎建設に地元業者の参入を重視し、地域活性化への波及を実現すること

この請願書に関する審議は6月の議会にもかけられたが継続審議となっており
実務協議が終わったこともあり、ようやく再度審議されることとなった

ここで最初の非のあることへの態度に話はつながる
住民投票の結果は(新城市以外の人には分かりにくいかもしれないが)
請願書にあるような結果になったのだが、昨日の審議はどのようであったかといえば
民意を理解していないと判断された、批判されるべき議員が
全然反省の気持ちが見られない行動をしている

住民投票が終わった時点で議員の多くは「結果を重く受け止める」
と言いながら、自分たちで決めた条例案の結果に従った行動をしていない
(例えば、付け替え道路は元に戻すと言う住民投票の結果が
 出たのにもかかわらず反対していたり)
そして、その総括も公にはしていない 
こうした態度こそが冒頭の人となり、性格の判断の話につながる
そしてこの様な判断方法で人を評価するとしたら
果たして現在の新城市の議員さんは議員としての資格はあるのだろうか
と厳しく見ると感じてしまう 

またまた話は遡るが、住民投票の条例案は、ご存知のとおり

選択肢1 市道東新町桜淵線の路線の変更を伴わない現計画の見直し
選択肢2 市道東新町桜淵線の路線の変更を伴う現計画の見直し
となっており、マスコミでも批判された、そして誰もが思うように
この選択肢は何を言っているのかわからない
わからないことは議会も認めて、補足資料もつけたのだが
その補足資料の説明に書かれていることは
住民投票で市民の皆さんに選んでいただくポイントは
庁舎配置、規模、道路形状です と概略で述べている

これが果たして本当に補足説明になっているか?
庁舎配置、規模、道路形状のために住民投票を求める会は
地道な活動をしたのではない(規模については多少関係するかもしれないが)
一番必要な事は、規模縮小の具体的なこと、つまり金額を含む事柄だ

この補足説明を作り上げたのが、条例案を決めた議会ではなく
行政側である市長
この条例案の解釈はこうですよ!と投げかけた

こんなに分かりにくい条例案で戦わざるを得なくなった求める会は、
以前に対案がないと検討に入れないと議会で言われたために
対案を作成「3階建て30億」のプランを出して市民説明会を十数回行った実績を踏まえて
住民投票の選択肢2の意図は「3階建て30億」のようなものだと住民投票に入った

そのうちに、住民投票の運動は両陣営ヒートアップ
3階建て30億対5階建て50億が一般社会にはわかりやすい構図となり
また市民対行政(市長派)との戦いとも理解されるようになった
3階建て30億は住民投票のために考えられた求める会側の戦術などではなく
求める会が何箇所もの市民説明会で説明された見直しの対案で
既に行き渡っている事柄 

条例案がどうであろうと一般的な解釈は
上記のようなものと解釈するのが妥当だと思える

そこで、求める会側は請願書にその旨を記し
わかりやすい民意の解釈を求め、実行を促した
請願書をて提出し審議を求めたその最終的な判断する場所が
昨日の総合政策特別委員会となったのだが
結果を踏まえての審議はとうとうなされなかったようで
この請願書は不採択となった

請願書やら不採択やら、条例やら
普段聞き慣れない言葉が飛び交うこうした事柄は
正直なところ普通の人にはわかりづらい
そして面倒くさい

しかし、現在新城市で起きていることは
ある角度から見れば非常に危険な水域に入っているということ
もちろん今までと変わりない
今までもあったこと
と考える人もいるかもしれない

それはどちらの判断でもいい
しかし、今起きていることの事実を(事柄を)判断の材料として
自分たちの身に蓄えておくことは
結果的に自分たちの生活を守ることになると思う
(偏っているとしても、少しでもその手助けになればと
 ダラダラと書き連ねてみました)

でも、ホント、議員さんはしっかり選ばないといけない
次はしっかり選ぶぞ!

 


 

 

 

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新城市庁舎見直しの進め方に対する不安

2015年08月26日 05時26分47秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

これからは地域課題の解決は、首長や議会が決めて、住民に理解を求めるというパターンだけではやっていけないだろう。住民が議論して、ある程度議論して、最後は首長や議会が決めるという、新たなパターンでやっていく必要がある。これは議会の役割が減少したというのではなくて、立ち位置が変わってきたということであり、政策決定を地域に議論を委ねれば委ねるほど、議会の役割は、重要になっていくと思う。

 これは新城市のかかわり合いの深い松下啓一氏のブログからの一部

住民投票を終えた時点で、この様になっていく(なってほしい)と思われたが
現実はどうか
時間がかかってそのうちには、と楽観的に考えることもできるが
システム上の問題がある

それは市民と議会との情報格差
最近は一般市民でも市議会議員と同じくらいの情報を
インターネット等で得ることができる
しかし、それは明らかにされた情報、公にされた情報
現実には議員は市民の知らない新しい情報、詳しい情報を
いち早く知ることができる
市民が知ることができるのは、議員たちが決めた後のこと
それをあれこれいうことはできるが、ブログの文章にあるように
住民が議論して云々にはならないのが残念ながらの現実 

新城市の浅尾議員のブログから時々、市議会議員しか知り得ない
情報を得ることができる(例えば産婦人科開設の計画などがあった)
また別の市会議員からのFBからでもやはり市議会議員しか知り得ない
情報を手にすることができる

公表の是非は今は横において、その彼らしか知り得ない情報のうち
市庁舎がらみでは
まず、実務協議で求める会と市側が合意に至ったという進入路の問題
これはスイッチバックで入ることで進めることになっていたが
8月初旬に行われた市長から議員に対しての説明会で、この方法は公安が了解しない
と伝えられた事実がある(この情報は浅尾議員からのものではないが)
この情報は実務協議会にも傍聴に来なかった議員さんにも伝えられたが
当の当事者の求める会の実務協議会の出席者 太田さんには知らされていなかった

その後太田さんも知ることになり、再度この情報を確認したところ
実は公安(警察)も進入路については大手門方向から入るのが
他の候補案よりも安全であると認識しているようで
検討見直しということになっているらしい

一番肝心な人に情報が伝えられず、議決権を持っているだけ(?)の
議員さんにはまだはっきりしていない情報を拙速に伝える
どうもしっくり来ない

話は変わって、8月27日に市議会議員の全体協議会というものが開催される
ここで何が話されるかといえば、当然の如く庁舎見直しの件であることが予想される
そしてその具体的な内容は
市議会場についての問題(これは浅尾議員のツイッターからの情報)
予想するに市議会場を新庁舎にいれるかどうかを問う事になりそう

この議場の場所については実務協議では具体的に話されていない
求める会は住民投票の中で東庁舎の活用を訴え、当然議場はそのままの
前提でいたのであえて言葉にしなかったかもしれないが、
実務協議で交わされた内容は、
東庁舎の活用はできるだけ市民に負担の無いように
市民の接触の少ない部門を配置するのが望ましいというのが求める会の要望
(当然市議会場は東庁舎と判断している)
その具体的な方法については市の判断に任せる 
としたのだが、市側はこの 最後の部分を採り上げて
「市の判断に任せる」だけを認識した旨が合意内容を表記したものにも
感じられる

実務協議で市側からは何の提案もなかったが
今度は市議を前に市議会場の提案はある
そしてその市議というのが、住民投票で3人を除いて
民意とは異なった意見を下した人たち
その人達にまた議場の(多分入る場所)ことを審議させる
この人達の判断が民意と離れていたということを
総括もしないうちに(発表されないうちに)この人達に
判断を仰ぐ
この方法・段取りで本当に良いものか

この方法で市民の合意は本当になされるのか

新城市の将来に対する不安は、
日本各地で見られる人口減少、財政状況から
くるといった漠然としたものと言うより
この様に「結局は数」で推し進めようとする 政治方法にあるのではないか

と、ここまで書いて、朝ごはんで一休み

そのあと中日新聞を読むと駐車場について
進展があった記事に紹介されている
現庁舎と体育館側土地と車で行き来できるような
地下の道路を設ける計画がある
と掲載されていた

実務協議で市側からなぜこうした現実的な案が
その良し悪しは別として出なかったのか

また、市長の言葉として「議場は 東庁舎」と考えている
旨の記事もあった

しかし、疑り深くなってしまっている偏屈な自分は
市長はそのように公言しても
議会(議員)がやはり新庁舎にと希望すれば
それに従うしかないとなりはしないか
と考えてしまう 

まして住民投票の活動は市長と市議会議員15人が
同じ立場に立って闘っている
市長は自ら言葉を発しなくても議員さんが
意図を読んで活動してくれる
そんなことになっていないか 

現実的なことを言えば、市民は市長・市議を選ぶことしかできない
市民は確定された情報しか得ることができない
一旦選ばれてしまった議員は「議決を守れ」「議会の責任」とは言うが
自分の選挙の際のマニフェスト、公約を変更してもその理由を
説明していないし、それを悪いと思っている節もない
(庁舎見直しについて市議会選の時は求める会側だった人がいる)
そしてどの地方でも見られるように、市議会での行政からの議案についての
可決率はほぼ100%に近い
議員と市長は別々に選ばれて互いに違う立場で
活動すべきなのが、今は議会はチェック機関ではなく追認機関になっている
これは新城市だけではなさそうだが、いざ今回のような問題が起きてしまった場合 
その機能としてのあり方に関して疑問が湧いてくる 

本当は市議会の存在を感じさせないような
市の運営がなされているのが望ましい
(中国古典の堯のエピソードのように)

市民が日々市議会をチェックしてまともに運営されているかを
確認し続けることは、現在においては残念ながら自衛の作として現実的なものとなるが、
それにしても、なんとかならないな市庁舎の見直し!
もっと普通に、政治的な意図とか戦略など関係なしに
誰もが納得できる方法で、納得できる結論を導く方法はないものだろうか 

 

 

 

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新城市庁舎見直しの「新たな市民合意」とは何か

2015年08月25日 05時38分58秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

耳障りの良い言葉、抽象的な言葉はつい聞き流してしまう
聞き慣れない言葉も 自分だけが知らないのかもしれない
と勝手に決めつけ、特に何か調べることをしないで
やり過ごすことも少なくない

今回はその抽象的な言葉について 

新城市では庁舎建設の見直しを問う住民投票が
5月31日に行われ、その結果は市長・15名の市議が推す案を抑えて
市民が自発的に行動をした住民投票を求める会の選択肢が
3000もの差をつけて勝利した

その結果、大幅な見直しをせざるを得ない事になり
住民結果を受けて建設見直しのための実務協議を
行政側と求める会側の出席のもと公開で行われることになった

この実務会議の開始に先立って
見直しの大きな方針は以下のように説明された

1.よりコンパクトに
2.安全・安心の拠点として
3.新たな市民合意の上で
4.速やかな施工をめざして

ここで、3の新たな市民合意とはなにかと考えてみた

これは住民投票に至ってしまった庁舎建設の市民に対する
説明不足の反省を踏まえての行動かと考えると
そして市民合意の言葉から連想されることは
何か市民と話しあうようなニュアンスがある

実務協議のことか?
でもあれは結果的に市側と求める会側の結論は
最終的には平行線で終わっている
それは中日新聞、東愛知新聞、東日新聞にもその旨の記事が掲載されている

【画像は東愛知新聞】 

となると合意形成がなされていない実務協議のことではない
(もしそうであるなら実務協議を延長するはず)

そうなると、実務協議を終えて10月に市側が提出する案を
市民説明会と言う形で行うということなのだろうか
しかし、市民説明会は一方的な説明を聞くだけで
市民の声が反映する機会がないとすると
市民合意につながらない

妙だな
と思って、市長のブログを読み直すと
新たな市民合意とは
選択肢2を採用するとともに、選択肢1に託された市民の願いにも配慮する
とあった

何かえらく抽象的な表現、これならどんなことでも言える
これが果たしてこれが本当に新たな市民合意となるのだろうか?
まして選択肢1に託された市民の願いというものを
具体的にどんなものであるかを判断するのは
単に個人としての市長の考えとすると
それは市民に対して、及び求める会のメンバーに対して
説得力のあるものとなるのだろうか

先ずは何よりも選択肢2を選んだ人の気持を何よりも優先しなければならない

この選択肢2を選んだ人の真の気持ちを
条例案は何々だからと法律的な面だけの判断で
物事を進めようとするならば、それはおそらく
市民合意には達することができない
(この辺りは新城市民でない方には分かりにくいかもしれない) 

選択肢1を選んだ人の気持ちを推理力を働かせて慮るなら
選択肢2をを選んだ人の気持は更に配慮されなくてなならないはず

住民投票以後、はたしてこれができていたか?
そしてこれからなされるのか?
我々市民はしっかりとチェックしなければならない

本当はこんな心配をさせてしまう事、
不信感を持たせてしまうこと自体が
良いことではないのに!

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市民の政治参加とイノベーター理論

2015年08月24日 10時44分35秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

マーケティング理論にイノベーター理論がある

新製品や新サービスの購入態度をもとに、5つのタイプに分類して説明しようとするもの。なるほどと思い当たる節がある。

その5つのタイプとは

●イノベーター(Innovators:革新者)

●アーリーマジョリティ(Early Majority:前期追随者)

●レイトマジョリティ(Late Majority:後期追随者)

●レイトマジョリティ(Late Majority:後期追随者)

●ラガード(Laggards:遅滞者)

その分布は正規分布として表されるようだ。
 

 

ところでこの傾向と分布、それは商品の購入上のマーケティングだけでなく、
政治等の関心・参加についても言えないか
(もっとも全ては正規分布の範疇に収まるということかもしれないが)

 

最近、住民投票とか産廃問題に関係するようになって、そこでつくづく考えてしまうのは関心を持つ人と、持たない人のこと。

新城市の住民投票に話を落としこんで考えてみると

問題の当事者として関わらざるをえない人は、ここで言うイノベーターに当たるかもしれない(住民投票を求める会の立ち上げメンバー)

次に問題の存在を感覚的に感じ取って、自ら調査して活動を始める人がアーリーアダプター。(住民投票の署名活動に参加したメンバー)

そして、問題に関り合いを持つ人に刺激されて、(情報の提供を受けて)活動に参加するのがアーリーマジョリティは署名にサインした人といえるかもしれない。

 

住民投票は結果的には行われたし、劇的な結果をもたらすことができたが、問題となるのは、これらの運動が社会の中では終了してしまった感のある事。

心配された住民投票の当事者同士のイザコザは該当者同士にはあるかもしれないが、市民間には住民投票は行ったという達成感もあって、そして「人のうわさも75日」の諺通り、普段の穏やかな生活に戻ってしまった。

住民投票を行った上での一番の収穫は、見直しの作業が現実に行われることになった事以上に、市民が行政・市議会に興味を持ち自ら何かを活動し始めたことで、それは市全体を大きく変えるチャンスでもあった。

しかし残念ながら行政・市議会への関心は持続しているかと考えるとそうではない。

確かに今でも「市議会はなっておらん」「市長もたるんどる」と感情を露わにする人がいる。でもそれは居酒屋の愚痴の範囲内の行動に収まっており、住民投票を求めた時のような全体的な盛りにはなっていない。

 

そこで先程のイノベーター理論。
現状も関心を持ち活動を続けている人たちの立ち位置、状況はどの状態であるかということ。それはもしかしたらまたスタート時点(イノベーターの状態)に戻ってしまっているのかもしれない。

関心のない人に関心をもってもらうようにする。これがなんと難しいことか。
ある数字(閾値)を超えれば、物事は雪崩を打ったように推移していくだろうが、その数字を確保するための活動は本当に難しい。

 

正直なところ、センサーの早めに働く政治的イノベーターは、新城市には解決すべき問題がまだたくさんあるどころか、調べていけば行くほど問題の根が深いと感じるようになっている。そしてその根本はどこからスタートしているかも感じ取っている。それを市民感情にセンセーショナルに訴えるのではなくて普通に理解してもらえるようになるためには、また少し頑張れる人に頑張ってもらうしかないのだろうか

 

※  イノベーター理論とは (マーケティングWiki マーケティング用語集から

            一部追加文あり)

●イノベーター(Innovators:革新者)

 冒険的で新商品が出ると進んで採用する人々の層。 市場全体の2.5%を構成する。

 イノベーター層の購買行動においては、商品の目新しさ、商品の革新性という点を重視している為、商品のベネフィットはほとんど無視される。

 

 イノベーター層の購買行動においては、商品の目新しさ、商品の革新性という点が重視される為、商品のベネフィットはほとんど無視される。

 

●アーリーアダプター(Early Adopters:初期採用者)

 社会と価値観を共有しているものの、流行には敏感で、自ら情報収集を行い判断する人々の層。

 市場全体の13.5%を構成する。
例えばiPhoneやアップルウォッチを、人より先に購入して機能よりは少し自慢したい気持ちが強いかもしれない人たち、自分の感性が優れていること、自分らしさの表現にそのアイテムが必要と感じる人達

他の消費層への影響力が大きく、オピニオンリーダーとも呼ばれ、商品の普及の大きな鍵を握るとされている。

 新製品や新サービスが提供するベネフィットが必ずしも万人に受け入れられるとは限らないため、市場に広く浸透するかどうかはアーリーアダプターの判断や反応によるところが大きいとされる。

 

●アーリーマジョリティ(Early Majority:前期追随者)

 新しい様式の採用には比較的慎重な人々の層。慎重派ではあるものの、全体の平均より早くに新しいものを取り入れる。

 市場全体の34.0%を構成する。

 アーリーアダプターからの影響を強く受け、新製品や新サービスが市場へ浸透する為の媒介層であることから、ブリッジピープルとも呼ばれる。

 

●レイトマジョリティ(Late Majority:後期追随者)

 新しい様式の採用には懐疑的な人々の層。周囲の大多数が使用しているという確証が得られてから同じ選択をする。

 市場全体の34.0%を構成する。

 新市場における採用者数が過半数を越えた辺りから導入を始める為、フォロワーズとも呼ばれる。

 

●ラガード(Laggards:遅滞者)

 最も保守的な人々の層。流行や世の中の動きに関心が薄く、イノベーションが伝統化するまで採用しない。

 市場全体の16.0%を構成する。

 中には、最後まで不採用を貫く者もいる。

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目撃者となるか、それとも当事者となるか(デモ)

2015年08月24日 05時44分35秒 | あれこれ考えること

踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら踊らにゃ損、損

何事も傍観者よりも行為者(当事者)の方が
結果的に面白い

確かに、見てるほうが楽だし、参加するのは面倒臭い
しかし、野球・サッカーの応援がそうであるように
どっちつかずの立場で見ているよりも
どちらかに肩入れしている方がずっとハラハラするし
どうしたら良いかを常に考えたりして
結果時により楽しむことができる

安保関連法案にの反対と言う声に
少し変化が起きつつある
立場上そういうことを表明しないほうが
自分の仕事に得と考える芸能人が
公にメディア上でも発言しつつある
(釣瓶・長渕剛・中居正広など)

ある種感覚・時代を感じ取る力の優れた彼らは
皮膚感覚として、問題の法案が危ないものと感じている
そこで、芸能人ではなく人としての 責任で
発言を発したのかもしれない

政治に疎い、近視眼的ともいわれそうなママさんも
皮膚感覚として危険を感じ、行動を起こしている

小さな動きは、ある数字(割合)を超えると一気に
ブームとか大きな流れとなる
そして今回の安保関連法案に対する反対行動は
もしかしたら、その分岐点になるかもしれない

そこで、市民はどうしたらいいかということ
目撃者のままか、それとも当事者として行動するか

無責任にどちらが面白いかで物事を語るのは
芳しくないかもしれないが、
どうせなら当事者となって、知らず知らず勉強して
後の時代の人に、あの時自分は、、、と語ることができるのは
価値あることの様に思えるが


 

 

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