パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

途中段階と完成品の違い

2023年11月30日 09時44分20秒 | 音楽

ビートルズの有名な「アビー・ロード」のジャケット写真
でも何か変!何かが違う

まずは向かっている方向が違う
本物は左から右へ歩いているが、これはその反対だ
列もなんだか寸詰まり気味でバランスが悪い

これはジャケット写真を撮影時にいくつか撮ったものの1つ
つまりは完成品ではなく、途中段階の写真だ
これは「アビー・ロード」50周年記念として発売された
3枚組LPのうちの2枚が収納されたジャケットだ

この写真の中に収納されていた2枚のレコードの楽曲は
これもまた完成品ではなくて、途中の段階の音楽だ

それがこちら


セッションズと書かれた下には、途中段階の使用されなかったテイクが入っている
この使用されなかったテイクがなかなか面白い
完成品が出来上がる過程を垣間見ることができる
それはベートーヴェンの訂正がいくつも入っている自筆楽譜のようでもある

使われなかったとはいえ部分的には完成品よりも熱気があるものもある
(I want youなど)

最近、赤盤・青盤を聴いているから、これも気になって久しぶりに聴いてみた
自分にとって「アビー・ロード」といえばB面のメドレーが圧倒的に好きなのだが
ここではそれがside fourに「ザ・ロング・ワン」として収録されている

「you never give me your money」から「the end」まで続くメドレー
完成品と一番違うのは「Her Majesty」の挿入箇所
完成品はビートルズの最後のメッセージ「the love you take is equal to the love you make」
で終わったかと思いきや、予定調和的に終わらないのが彼らの才気走ったところで
回っているレコードは数秒間の沈黙の後「ジャーン」と音を発し思い出したように歌が入る
それが鼻歌のような「Her Majesty」で
初めて聴いたときは、なんでこんなのが最後の曲なんだろう?と思ったものだ

ところがそれに慣れてしまっているので、このテイクのように
Her Majestyが真ん中辺りの別の場所に入っていると
完成品のほうが圧倒的に良いな、、と思えたりする

他に気づいたのは「you never give me your money」のこのテイクでは
コーラスがきれいに入っているのだが、完成品はそんなにコーラスのイメージがない
音は何でも入れれば良いというわけではなさそうだ

ということで、最近はレコードでビートルズを聴くことが多い
ところで青いレコードを入れるところを黒いレコードで送ってしまったショップからは
昨日メールが届いて、急いで対応に当たっているとあった
でも、我慢しきれずに針を降ろしてしまったから自分は交換は諦めるしかない
(仕方ない)


それにしても、途中の段階を見られる(聴ける)というのは
なかなか面白いものだ

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お寺さんの銀杏

2023年11月28日 09時22分54秒 | ダイアリー

雨の翌日はいつも「銀杏は滑るから気をつけて!」
と言って送り出される近所のお寺さんのお墓参り
同居人のお墓参りの日課(花の水換え)は
夏の緊急入院後は自分の役目になっている
(1日と15日は一緒に行く)

「銀杏は今どうなっている?」
と聞かれることが多いので、今朝スマホで写真を撮ってきた

絵心がないので味も素っ気もないが、だいぶ葉っぱが落ちてきた


木の方はこんな感じ


今年は腰が痛くて長く歩けないので
毎年恒例の京都の紅葉狩りは計画しなかった
テレビでは京都はとんでもない人出と報じている
だが、実感としてはたとえ人の頭ばかりを見ることになっても
京都の紅葉狩りはする価値があると思う
とにかく何かが違う
赤、黄、緑の葉っぱはが太陽の光を透かして見える様は
ため息が出てしまうほどだ

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮 

藤原定家のこの歌の紅葉で嵐山の錦繍を思い浮かべ 
花は桜の満開(例えば哲学の道沿いの桜)をイメージすれば
目の前に浮かぶそれらの光景が突然消えて
眼の前にあるのは光の乏しい中の
粗末な寂しい小屋のあたりの秋の光景と
場面転換するのは、なんか凄いな、、と思う

ところで、写真の銀杏はもう少し楽しめそう
だが、お寺の人の掃除も大変だろうな、、
と現実世界もつい想像してしまう

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「見て楽しむ」と「聴いて楽しむ」

2023年11月27日 10時43分44秒 | あれこれ考えること

人間は視覚から情報が一番得やすい
「百聞は一見に如かず」の諺があるが
まず見ることでそれが体験として蓄積される

百聞の「聞く」方は、どうもそれほど重要視されていないようだ
最近の音楽シーンは、音楽というものの支持されるには視覚的要素が
必要となっている
なんとか48とかBTSとかは圧倒的に視覚的要素がその人気を支えている
それどころか、視覚的要素がないとここまでの人気はないと思われる

それらと比べるとビートルズは基本的に音楽だけだ
(クラシック音楽も同じだが)
演奏している姿を見せて、2時間あまり観客を楽しませる
(ときには派手な舞台演出があるが)

視覚的要素がなくても楽しむ、、
というのは今の人にとって少しばかり難しいことなのかもしれない
振り返ってみると難しいのは(小説などの)文字を読んで楽しむことだ
眼の前にあるのは文字の羅列、その羅列の中から自らの想像力で
シーンを映像化したり、観念化して脳の中の体験として定着させること
そしてそれに快感を覚えるというのは、きっと慣れが必要と思われる

同様に歌のない音楽を、音楽そのものだけで楽しむもの難しいかもしれない
純音楽と言われるその分野は音の時間経過とか音色とか
楽譜化されたものの構築感を楽しむことになるが、それらは誰にでも
同じように感じられるものだろうか

回りくどいことを言っているが、簡単な例を挙げるならば
ビートルズのアビー・ロードのB面はまとまりの良い音楽になっていて
3番目の「You Never Give Me Your Money」のテーマが
エンディングに近い「Golden Slumbers」から「Carry That Weight」
で回帰する場面があるのだが、これは自分にはすごく効果的と思えて
回帰することによって纏まりとか完成度がアップしているように思える

この回帰はビートルズの「サージェント・ペパーズ」のアルバムでも見られる
冒頭以外に「A Day In The Life」の前に、サージェント・ペパーズの歌は
「リプライズ」として演奏される
それがあることで、まとまりの良いものになっていると自分は感じるのだが
これはみんながみんな同じように感じるものだろうか

アルバムの中での纏まりは、こうしてあるメロディが回帰することで達成されるが
ビートルズが彼らの生きた姿を回帰していると思われるものもある
(アルバム内で完結するのではなくて)
「愛こそはすべて」のエンディングは、イギリス民謡のグリーンスリーブスと
なんと「She Loves You」の一部が流れる
この歌があることで余韻がより深くなる
(愛は男女間のそれだけでなく、もっと広いものと思えるように
 ビートルズは進化したことを暗示しているのか?)

自分には悲しいくらい絵心がなくて写真も良いものが撮れない
そのかわり、わかりにくい文章だけのものとか
こうした音楽のちょっとしたことには気づくことができる

どうやら人にはそれぞれの得意不得意があって
視覚が圧倒的に優先される中にも、そうでない人もいるようだ

それにしても何が言いたいのやら、、、まとまらない話

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同じ歌をポップス歌手とオペラ歌手で聴く

2023年11月26日 21時15分48秒 | 音楽

日曜日の朝、ちょいと軽めのお話

高校時代に習った音楽で好きなのは「平城山」だった
最初のピアノの伴奏から魅せられた
まるで琴のようで、歌はうちに秘めている思いが徐々にたかまって
だが決して解決することなく余韻を残して終わる
このやりきれなさに無性に惹かれた

この歌は鮫島有美子さが歌うものを所有しているが
Youtubeで山崎ハコさんが歌うのを見つけて
これがなかなか良くて、時々聴いている

同じ歌をポップス歌手とオペラ歌手が歌うと、どのように違うか?
を便利なYoutubeで比較したりするが、平城山はこんなふうに違う


山崎ハコさん「平城山(ならやま)」

平城山 (歌詞つき) 鮫島有美子

感情に訴えるのと、楽器としての声を磨き抜いて表現するのと
それぞれの世界観はどちらも捨てがたい(優劣はない)

これと同じようにプッチーニの「トスカ」の中の「歌に生き、愛に生き」も
ポップス歌手とオペラ歌手の比較ができる
(この歌も大好きでフィギアスケートで時々使われている)
それはフィリッパ・ジョルダーノとマリア・カラスが歌ったものので
これも優劣つけがたい

Vissi d'arte (From "Tosca")

プッチーニ 《トスカ》 「歌に生き恋に生き」 マリア・カラス

再現芸術としての音楽、表現者としての演奏家(歌手)
ここ数日、ビートルズの音楽に触れているので、
ついそんな答えのないことを考えてしまった



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気をつけましょう 詐欺の警告です

2023年11月26日 18時40分59秒 | 徒然なるままに

久しぶりに出てきたこれ
嘘の警告です
スクリーンショットを撮っておきました

PCはiMacですが何故かWindowsの文字が出てきてます
この画面が出てきた人は詐欺の警告ですから
絶対電話をかけるのはやめましょう

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ついに青盤を聴いてみた

2023年11月25日 15時58分18秒 | ダイアリー

結局のところ、ビートルズの青盤は注文したものとは違う
黒いレコードのまま聴いた(交換は諦めた)
「凄いな!」
それが「ナウ・アンド・ゼン」の入っていない旧来の2枚を
聴き終わって、つい出た言葉だ

この「凄いな!」はベートーヴェンの7番の交響曲を
フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルで聴くとつい出てしまう言葉だ
(アビー・ロードのB面を初めて聴き終わった時もこの言葉が出た)

同じ言葉が出ているが、たまたま一緒になっているのではなく
全体的な充足感とか印象はそっくりだ
「凄いな!」単純にそう思う

数日前、作曲家としてのビートルズが魅力的と評価したが
こうして聞いてみると、演奏家・バンドとしての彼らの力も
半端じゃないと思う

今回リミックスされた音楽は、それぞれのアルバムで聴いているより生々しい
例えばあまり好きではない「Back In The USSR」は
ホワイト・アルバムよりギターの音が耳に入り、数段活気がある
バンドとして演奏していると実感するわけだが
この曲に限らず、青盤は本当にいろんな音(楽器や効果音)が入る

録音を主体として活動している彼らならではだが
その微妙な効果音とやちょっとしたフレーズが
とても完成度の高い音楽を感じさせる

青盤は1967〜1970年の楽曲が収録されているが、
この頃の彼らの年齢はポールは28歳、ジョンは少し上の年齢だ
(ジョージはもっと若い)
この年齢で、こんなに完成度の高い音楽的なものを
作り上げていることに驚きを覚える
商業的な音楽というより、クラシック音楽に通じる質の高さを感じる
(これが凄いな!の声が出る理由かも)

今度のリミックスは改めてロック・バンドとしてのビートルズを再確認させられた
「レボリューション」はホワイト・アルバムのゆっくりしたものではなく
「ヘイ・ジュード」のアルバムの速い演奏のテイクを使っている
「レット・イット・ビー」はアルバムのテイクではなく
シングル盤の演奏のほうが入っている

「レボリューション」を聴いていた時
青盤にジョンのこの激しい音楽が入っているのなら
ポールの「ヘルター・スケルター」も入っていればいいのに、、
とつい思ってしまった

3枚組になって収録曲が増えても、まだ抜けている音楽がある
「ハピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」も
「マーサ・マイ・ディア」も「セクシー・セディ」も
「ユア・マザー・シュッド・ノウ」も「ビコーズ」も
入っていて不思議じゃない曲たちだ
それにアビーロードのB面のメドレーも

さて残るは「ナウ・アンド・ゼン」の入った3枚目のみ
これには「オー・ダーリン」も入っているし
長い「アイ・ウォント・ユー」もある
つくづく、ビートルズは凄いな!と実感


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お預け状態はつらい!(ビートルズの青盤レコード)

2023年11月25日 09時28分50秒 | ダイアリー

注文したビートルズの青盤のレコードがカラーではなかったので
問い合わせフォームにメールしたのは祝日の23日の午前
その日のうちに返事が来ないのは休みだから仕方ない
でも、平日の昨日は何らかの連絡があると思っていたが
なんの音沙汰なし

基本的に24時間以内に回答することになっているが
状況により遅れるかもしれない旨はHP等に書いてある

今日は土曜日、明日は日曜
回答は早くて休み明けの月曜日となった

カラーのレコード盤がそんなに欲しいか?
といえば、それほどではない
ただ、何かの事情でレコードを売ることになったら
カラーレコードのほうが高く売れそう!
と、つい損得を考えてしまう

辛いのは目の前にあるレコードを聴けないことだ
赤盤のレコード(音楽)が予想以上に良かったので
青盤のそれも期待してしまう
つまり今はお預け状態のままだ

子どもに対するある実験を思い出した
部屋にいる子にお菓子をあげた
すぐに食べてもいいが
10分待てば同じお菓子をもう一つもらえるとしたら
子どもたちはどのような行動をするかというもので
答えは、すぐ食べてしまった子が多いというものだった

大人でも似たような実験があって、今すぐ50万円もらえるものと
ひと月待てば60万円もらえるとしたら、人はどちらを選ぶか?
という調査で、答えは目の前の50万をもらいたい人が多かったというものだ
(正確な記憶ではないので間違っているかもしれないが、このような内容だった)
この実験は自分だったらどうかなと想像した時、眼の前のお金をもらう方を選んだ

辛抱が足りない、大きな利益のためには冷静に損得を考えるべき
というのがこれらの実験から得られる教訓だろうが
人はなかなかそう簡単に未来に期待することはできない
(小市民はこんなもんだろう)

ということで、目の前にある青盤のレコードを触れもせず
聴きもせずにいることはそろそろ限界だ
時間が来れば交換に応じてもらえるが、交換して得るものは
黒いレコードが青のレコードに変わるだけ?
それよりは聴きたい気分になった今聴くほうが良い
と思えるようになってきた

実際、普段でも音楽を聴くときは聴く気分になった音楽を選ぶ
いい音楽でも今日は気分が乗らないとの理由で名曲を除外することがある
つまりは、聴きたい気分か否かが音楽の感動の違いになる

聴く気分になった時の音楽は、そうでないときと感じ方が違う
どこか深いところで感じている印象だ

ということで、青盤のレコードに交換はしなくてもいいかな!
今聴きたい気持ちを大事にしたいという気分だ
針を通すことによって、月曜日に回答があって好条件があったとしても
それを享受できないのは仕方ない
肝心なのは所有することではなくて、感動することだと思うことにした





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作曲家と演奏家(後々まで残るのは、、、)

2023年11月24日 10時16分28秒 | あれこれ考えること

昨日の続きっぽい話

ビートルズを聴いて音楽は作曲家と演奏家のどちらが重要視されるか?
と思いついたのだが、リアルタイムで彼らの演奏を聴けない今は
結果的に楽曲の良し悪しが基準になりそうだ
(少なくとも自分はビートルズの評価は、グループとしての演奏も捨てがたいが
 楽曲の良さが圧倒的に優先する)

演奏家も表現者のひとりで、ものを作り出すのと同じくらいの
才能と努力を要するし、再現芸術としての音楽を生で聴けば
どちらが重要視されるかなどの問は意味ないものとも思われるかもしれない

でも演奏家としての表現者は、作曲家に嫉妬とか羨望の念を覚えるかもしれない
カラヤンの前のベルリン・フィルの常任指揮者だったフルトヴェングラーは
指揮者であるよりは作曲家でありたいと思っていたこともあったようだ
(バーンスタインも作曲家としての一面があった)

俳優さんも似たようなもので、役になりきる才能を発揮したとしても
その物語がない限り俳優はその力を発揮できない
だから、俳優さんは作家さんに憧れとか羨望の念を覚えるかもしれない
(余計なお世話?)

何かに名を残したいと思うことは自己承認欲求の現れだが
その形としては、録音(録画)されたもので評価されるより
多様な解釈を可能とする原曲(劇では原作)のほうが
時代を超えて評価されそうだ

パガニーニもリストも驚異的な演奏家だったとされているが
今、残っているのは作曲したものだけだ
演奏家というのは時代を超えて生き延びるのは難しいのだろうか?

ビートルズの楽曲は多くの人にカバーされている
それだけで彼らの曲の優秀さがわかる
最近のお気に入りはジャズピアニストのブラッド・メルドーが
ビートルズの楽曲を演奏したものがとても心地良い

例えばビートルズ曲だと言わないと親しみやすい曲だな!くらいしか
思われない Your Mother Should Know
(青盤のLPには収録されていない)

Your Mother Should Know

それにしても赤盤をを聴いて再認識したのは、彼らの曲は短いということ
それはタイパを求める最近の傾向に合いそうな気がする




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ビートルズの赤盤と青盤

2023年11月23日 10時43分38秒 | 音楽

予定通り昨日ビートルズの赤盤と青盤のレコードが届いた

聴く気満々でオーディオは早くから電源を入れて
コンディションを整えておいた
(真空管アンプは調子が出てくるまで少し時間がかかるので)

段ボールにはステッカーとポスターが2つ入っていた
それはありがたいが何よりも音楽を聴くことが優先だ

時間軸に沿って、まずは初期の作品の並ぶ赤盤を聴くことにした
フィルムを破ってレコードを取り出すと
あれっ!と不思議な感覚を覚えた
なんと、レコードが赤くない
自分はそれぞれのカラーのレコードを注文したつもりだったので
なぜなんだろう?と思ったが、聴きたい気持ちが先走って針を落とした

昨日は赤盤だけ聴いて床についたが、寝床でメールチェックすると
注文先のビートルズ・ストアからメールが来ていて
配達した青盤には本来なら青のカラーのレコードが入っているはずだが
手違いで黒いレコードが入っている!とあった
そして、これには順次交換に応じる旨のことが書かれていた

青盤だけでなく赤盤も違ったものが入っているぞ!
針を通してしまった赤盤は交換してもらえるのか?
と問い合わせフォームにアクセスして、不満を記入しようとした

でも、念のため自分が注文した商品を確認してみると
カラーのレコードを頼んだつもりなのは勘違いだった
赤盤の方は限定プレスだが普通の黒で
青盤の方だけカラーレコードを注文したことになっていた

どうやら赤盤のレコードの商品は早い時点で売り切れになって
青盤の方だけ間に合ったようだ(あとから考えてみると)

慌てて問い合わせフォームに送信しなくて良かった
せっかちな自分はバタバタしてしまった

とりあえず青盤の方だけの交換時期を尋ね
仮にこのままの黒いレコードで良しとするなら
多少の割引があるのか?と図々しく聞いてみた

青いレコードは記念品の意味で面白いかもしれないが、それだけのことだ
自分はどうしても、、という気分ではなく、面白いな!くらいの感覚で
黒でも少し重量のあるレコードであることにありがたみを感じている

これは返事待ちしかない
今日は祝日だから返事は明日以降なのだろうか?

さてここからが聴いた印象
我々は既にビートルズがどのようなグループだったかとか
どのような作品を作り続けていたかを知っている
つまり答えを知っていて、それを復習するような聴き方をしてしまう
だがこれらの初期の曲をリアルタイムで体験した人たちは
いったいどう感じたのか?と考えてしまった
自分もリアルタイムにはちょいと乗り遅れた感じだが
姉が「イエスタデイが良い」と言ってたのは覚えている

あと部分的な記憶としてザ・ピーナツがでていたテレビ番組で
「ガール」がカバーで歌われたのと
「プリーズ・プリーズ・ミー」の「カモン、カモン」のところだけは
覚えている
音楽以外には彼らに対する若い女性の熱狂ぶり、それが頭に浮かぶ

その熱狂はこうして音楽を聴くとわかる気がする
確かに爆発する熱気とか勢いとか、そうしたものを感じ取ることができる
「シー・ラブズ・ユー」とか「キャント・バイ・ミー・ラブ」などは勢いそのものだ
ジョンの作った「ハードデイズナイト」「抱きしめたい」もエネルギーに満ちている
これは演奏の力なのか、それとも曲のおかげなのか?
改めて聞くと音楽自体は勢いだけでなりたっていない
思いのほかリンゴのドラムスが迫力の下支えをしているのに気がついた

そして熱狂の曲の多い中に挿入されるバラード
「イエスタデイ」とか「アンド・アイ・ラブ・ハー」はその美しさが際立つ
そしてその美しさは、ちょっと次元の違った美しさだ
レコードの三枚目にはチャック・ベリーの曲をカバーしたものがあるが
これも勢いがあって彼らが影響を受けたのはわかるが
彼らのほうがもっと多様な世界を作り上げる能力があったのだと実感する

ビートルズの音楽は彼らの演奏の力が魅力的なのか
それとも作曲能力が素晴らしいのか、、
を考えると、前者はもちろんだが、やはり作曲能力が群を抜いている気がする

レノン・マッカートニーとクレジットにはあっても
どちらが作ったのかは何となく分かる
わかりやすいのは歌っているのがどちらかで判断できる
二人で一緒に作ったと思われるのは「ハードデイズナイト」で
最初はジョン 途中の伸びやかな歌はポール 
そして元に戻ってジョン作だと思うが、この最初の部分に戻るところが好きだ

もう一つ二人で作ったと思えるのが「We Can Work It Out」
この中間部の「Life is very short」の部分は間違いなくジョンだと思われる
少なくとも歌詞はジョンの作だ
でも音楽はどうなのだろう
音楽も二人で作ったものを足し算したのか
それとも歌詞だけジョンのを使って音楽はポールの作なのだろうか?
(このようにあれこれ想像することが楽しい)

一気に3枚を聴き通したが、その他にもいろいろ気づくところが多くて
彼らが変化し続ける特異な音楽家であったことは改めて実感する

他に気づいたことは、またの機会に!


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放送も配信もなかったワールドカップ予選(シリア戦)

2023年11月22日 10時08分15秒 | サッカー

対シリア戦、ワールドカップの予選というのにテレビ放送がなかった
ネットの配信も日本ではなかった
FIFAランキングからすれば番狂わせはないと予想されるが
それでも大の大人が死ぬ気になって動けば、そう簡単にことは進まない

夜中に目が覚めて、報じられているだろうと思う媒体(スポーツ紙、Xなど)
に接してみると既に3−0だった
一点目は久保のミドルシュート、2点、3点目は伊東からのパスを
上田が決めていた

これで決まりと安心して眠りについた

朝にスポーツ紙のネット記事を見ると5−0に点差は広がっていた
後半早い時間に菅原がFKからゴール
そして左からの伊藤のクロスを細谷がゴールで
伊東は4アシストの大活躍だった

このスポーツ紙のウエブ版では各選手の評価のアンケートをとっていた
試合を見れないのにどうやって評価をくだせというのだろう?と疑問を覚えたが
現実的には熱心なサポーターはネットで外国経由の配信を見ていたようだ

今朝のYoutubeには試合のハイライトが早くも挙げられていた
この投稿はある程度予想していて、朝のルーティンが終わってから見ることとした

最初はシリアもしっかり守ってワールドカップ予選らしい試合の流れだった
ところが中盤、久保のミドルシュートが決まって一気に試合が動いた
久保のシュートのアシストは伊東となっているが、アシストという感じはあまりない
アレは決めた久保の個人の能力を評価するべきだろう

重い雰囲気がこの一点で消えると、最近の日本の勢いは加速した
昔は点を取れない日本だったが、どうしたのだろう?
と頭をひねるほど得点がとれる

昔の日本と今の日本の違いは、圧倒的にウイングプレーヤーの差とする考えがある
右は伊東、久保(この試合はトップ下だった)左は三笘(この試合は出ていなかったが)
ヨーロッパのリーグで活躍していて、ひとりでボールを前に運べ
チャンスを生み出す選手がいる
そのために相手は人数をかけて彼らを止めようとする
するとその人数分だけどこかが空いてくる

ダイジェストを見ると久保は頭があがってプレイしているから視野が広い
それに彼はゴチャゴチャしている場所でもボールキーができるし
顔があがっている分得点に結びつくパスができる
得点に結びつくパスでも伊東と三笘は左右からのクロス
久保はそれもあるが、縦のパスのセンスもある
3点目の伊東に出したパスは良いパスだった

つまりは左右も強いが久保のいる真ん中も強いといえる
こういうときはサイド攻撃が強力なだけより安定的に強い
後ろは冨安もいるし、、その前には遠藤もいるから
よほどの事がない限り崩れることはないように思える

ということで、昨日の夜中の試合はまずまず良かったということだが
それにしても中継が何にもなかったことは少し問題だ
メジャーリーグの大谷が大騒ぎできているのも中継がしっかりあって
メディアも大きく扱うからだ

昨日の試合をメディアは結果だけ報じることになるが
結果より、どのように得点したか過程が重要なサッカーというゲームは
それが見られないのは残念だ

中継がなかったのは、その権利が高額になりすぎたためらしい
なんでもお金次第!という現実は、ちょいといただけない感じ


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