パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

最初の本にならないようにした

2018年12月31日 09時33分23秒 | 

最初と最後は気になる
特に年のはじめに読んだ本とか聴いた音楽は、
1年の計は、、、の類で、その年を占うようで丁寧に選ぶ

来年最初に読み終える本が、これでは気が進まないので、今年のうちに頑張って
最後のページまで行ったのが「雨の木」を聴く女たち  大江健三郎

昔購入して長らく本棚に並べっぱなしにしていた
もったいないからと引っ張り出したが、やっぱりよくわからない本だ
でも以前よりは我慢して読めるようなっていた

文字がページ全体に詰まって饒舌なところは外国の本の様
個人的な些細なことの羅列は「失われた時をも求めて」を思い出させたが
それにしても日本語を読んでいるのに、ちっとも頭の中に入っていかないのには参った

記憶に残ったのは本質と関係ない「寛容は自らを守るために不寛容に不寛容であるべきか」
という言葉と、連作最後の「泳ぐ男」
「泳ぐ男」はとても変な話で、強姦されやすい女性を中心とした物語
多少扇情的なところがあって、その前の作品群よりはストーリーを追うことができたが
正直「なんかよくわからん!」といったところ

よくわからないので、解説をネットで調べるとメタファー(暗喩)の言葉がよく出てくる
「雨の木」が暗喩なのだそうだが、大きな葉っぱで雨を受け止めて、やんだあともいつも
雫のように水滴を降らせる大きな木が「雨の木」だそうだ
なんとなくイメージ的には幻想的な感じはする
でも、ヴァーグナーの指輪の世界樹(トネリコの木)の方がすんなり頭に入っていく

とにかく年始めに読み終えるのがこれでないようにしたかっただけ

大晦日の1日、とれあえずやることは済んでいるのいいが
ちびっこモンスターの襲来は嬉しいやら恐ろしいやら

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大掃除

2018年12月29日 08時25分05秒 | 徒然なるままに

毎日そこそこやっているが、気合を入れてしなきゃいけないのが大掃除
(昨日行った)
自分でも呆れるくらいとっちらかってる書斎
一見さっぱりきれいになったようでも、右にあったものを左に移動しただけ
つくづく自分には「断捨離」の才能が無いことに落ち込みそう

高いところの煤を落とさねばと脚立を持ち出して、モップで払い落とす
でもガッカリすることが!
段々これっぽっちの脚立の高さが怖くなってきている
体幹が弱いのか上るときもバランスが悪い
上らないようにと注意書きがある天板に立つと、何かで支えてないと不安

結局大して集中力は続かず、徐々に大雑把な仕事ぶりになって
我が家の一番偉い人の「もういいいか!」の声を待つことに

でも大掃除は気分的には嫌いじゃない
家族で同じことをする行事が、あと何回経験できるか、、
そんなことを考えると面倒以上に貴重なことだと思えてくる
そんな余裕のある思いはすぐに消えてしまうけれど

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寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか

2018年12月27日 08時36分11秒 | あれこれ考えること

相性が合わずほったらかしにしていた小説を読み始めたらその中に
「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」の言葉が目に入った

この本、大江健三郎の「雨の木(レインツリー)を聴く女たち」
を読むタイミングがやっと来たのかと啓示のような気さえしたが
これですぐに思いついたのは、感情的な嫌悪感を感じる「ヘイトデモ」に対する「反ヘイト」の直接的な行動のこと
ヘイトを繰り返す彼らに言わすれば何をしても自由じゃないか、、
それを封じようとするなら、表現の自由を奪いかねない行動で、そちらのほうがひどいじゃないか
となるのだが、寛容な立場を目指したい方からするとなかなか返す言葉が容易に見つからない

でも、残念ながらときには「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になる」
のも必要なのかもしれない
なんでも自由は世間の中では許されるわけでもない
だが、ここで公の利益という制限の言葉が入ったりすると、その先は少し不安を覚える
公とか国の立場が良いように使われそうで、、

ところで、急に思いついたことがあった
フランスではエリート層に対する一般市民の反発がデモにつながったとしているが
エリート層は本来の意味において忌み嫌われる存在なのかが少し疑問だ
エリート層を経済的に裕福な自らの利益を守りやすい立場の人間と考えるか
オルデガが「大衆の反逆」で定義した以下のようなもの

「エリート」すなわち「選ばれた少数派」とは、「自分に多くを要求し、自分の上に困難と義務を背負い込む人」のことである。
エリートは、「自分よりもすぐれた、自分の彼方にある規範にみずから訴えることが必要だと、心底から感ずる性格をもっていて、
その規範のために易々として身を捧げる」のである。
そのような自らに厳しい規律を課している人間であれば、寿司職人であろうがプロ野球選手であろうが、「エリート」と呼ぶことができる。
反対に高級官僚であろうと財界の幹部であろうと、「自分に何ら特別な要求をしない人」であれば、それは大衆的人間にすぎないのである。

とするなら、現在欠けているのはこの意味でのエリート層ではないのか
エリート層、あるいは教養のある人間 またあるいはノブレス・オブリージュがさっと簡単にできる人
こうした人々の相対的な不足が現在のややこしい世界状況を招いているのではないか

年齢を重ねると共感力が増すようになるのが人の一般的な傾向らしいが
最近は、この説すら少し疑わしくなるようなことが多くなってきている
ホント、なんでこんなに余裕がなくなってきているんだろう
子供が生まれたとき「優しい心の人間に育ってほしい」という親の希望は
いつの間にかたくさんのお金を手にする人間になってほしい
我が子だけは幸せで苦労なしになってほしいに変わってしまっているみたい
その気持はわからないでもないが、でも少しはぼんやりと感じるそうしたほうが良い
といった世間知のようなものに身を任せたほうが暮らしやすいと思うのだけれど、、、

相も変わらずまとまりのない話


 

 

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テレビを見なくなったのは、多分

2018年12月26日 08時54分05秒 | あれこれ考えること

子どもの頃、大人たちがタレントさんに無関心で名前すら知らないでいるのが不思議だった
だが四捨五入するとガッカリするような年令になった今、当時の大人たちの実感がよく分かる
何しろ今はテレビを見ないからタレントが誰だ誰だかわからない

TV番組は報道ステーションやらニュース23も、NHKのニュースも見ない
当然やたらと長いクイズ番組や健康関連の番組も見ないし、タレントさんたちの内輪の話も興味がない
一応新聞のテレ番組欄はちらっと見るが、触手が動きそうなものは大概なく
その時間は本を読んだり音楽を聴くといった自分の時間の過ごし方をしている

そのせいで多少偏屈な面があるかも知れない
でも、その偏屈な人間からすると、チラッと見る最近のテレビとか報道はとても違和感を感じる
犬が人間を噛んでもニュースにはならないが、人間が犬に噛み付いたらニュースになると言われるが
とにかく極端な、それも人間の攻撃性を刺激するような、そして同調圧力を加速させるようなモノが多い

頭のいい人、、の捉えからも違和感がある
確かに東大・京大出身の方々はポテンシャルが普通の人より数段上なのは感じる
でも発揮されているのは一種記憶力の分野で、自らどう考えてどう仮定してどう説明しようとする
といった分野の話は少しも見られないし、果たして癖として自ら考える行為が行われているか
少し不安になる

自分のニュースソースはインターネット絡みになる(テレビ・新聞のニュースがもとになっているが)
ところがインターネットの悪いところは必然自分好みのニュース・意見を求めやすくなり
それらに触れることによって自分が多くの意見の中にいると錯覚する傾向がある
全く公平中立な立場などというのは現実的には不可能で、人はなにかの情報に触れた時
既にその時点で何らかの方向性をもった捉え方をする
だから自分好みのニュースを集めてしまうのはある程度仕方ない事かもしれない
その危険性を廃除するために反対側の意見も見聞きする癖をつけないといけないわけ
(それがメディアリテラシーにつながる)だが、最近感じるのは、特に政治的な分野における意見の対立で
それが物事の対立というよりは、相手側の人格の否定につながるものが多いことだ

特にネトウヨを称される方々の投稿はすぐに敵対する人物の人格の否定から入る
一方、リベラルという方々も同様に安倍さんの人格の否定が多く存在する
今までの行動からすれば、個人的にはリベラルの方々の彼を良しとしない気持ちはわかる

報道の自由度がどんどん下がってきたり、ニュースの価値がないような首相の買い物や散歩を取り上げたり、
隣の国同士お互いに冷静になって円満な解決法を探ればいいのに
過度にお互い攻撃的になるような雰囲気作りをしたり
報道はなにかの気分を作り上げるが、戦前のメディア(新聞)のなしたことを振り返ると
現在の状況は少しそれに似ているような気さえする

そして不安を感じさせる報道の中に、あるいは報道のあとにバラエティ・スポーツなどのような
自ら考えることを要求しない番組がこれでもか、、いった感じに流される

大人になるとタレントさんの名前が覚えられなくなるのは確かに記憶力の低下もあるが、
それよりは大人たちにとって重要なことはタレントさんの名前や行動を覚えたり見聞きすることではなく
実体験に基づいてもっと大事なことに関心がいっているからで、それらが反映されないような番組は
見る気がしない、、ということではないだろうか

ということで、得意の毒にも薬にもならない話
でも、こんなんでこの国の(大げさに出たな)将来は大丈夫かな、、、
と不安を覚えてしまう(田舎のおっさんが愚痴を言っても始まらないが)



 

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本は一・二箇所、気になるところがあれば良い(負け惜しみ?)

2018年12月25日 08時29分59秒 | 徒然なるままに

寝床に転がっている本を見て
「あんた、これ(読んで)覚えてるの?」
と、同居人が聞いた

そう聞かれると辛いんだな
「本なんて、一冊のうち一箇所か二箇所、気になるところがあれば、それでOK!
 だって人生だってそんなものでしょ。細かいこと覚えてるわけでもないし、
 覚えているのはむしろ変なことばっかりだったりしてるし」

本好きには、読むのが好きな人と収集家がいる
収集家に言ってはいけない言葉が「これらの本を読んだのですか?」の一言
かつては嫌味っぽくそう聞いてみようという気が起きたが
今は彼らの気持ちを慮って聞かないようにしている
人はいろんな人がいるもので、その一つ一つに自分の価値観で判断することは良くない

でも、本を読んで一箇所か二箇所気になるところがあればいい
というのは、正直なところ負け惜しみ
できればざっと本質を説明できるくらいになりたいが、、

少し前に読み終えた「江戸幕府崩壊  孝明天皇と一会桑」
明治維新が幕府側の視点で、劇的と言うよりは現実にありそうな対応の仕方の結果として細かに記されている
読後は今までの明治維新のイメージとはだいぶ違う
だが、覚えてるのはそれだけかもしれない

たくさん出てくる名前や役職が覚えられない
負け惜しみのような一箇所とか二箇所の記憶、、今回それは何だったのか
孝明天皇と幕府との関係は、戊辰戦争が起きるような関係ではなかった(孝明天皇が生きてたら起きなかったかも)
それと、慶喜さんは困った人だな、、という印象
もっとも水戸藩自体がが変な藩だった印象で、水戸藩と尾張藩は一心同体ではなく江戸幕府とひとくくりにできないこと
そしてそれはありそうな話で、幕府は崩壊とか瓦解と見たほうがより正しい見方かもしれないとの印象をもった

それにしても、一読しただけでもう少し覚えられたらな、、、

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干し柿

2018年12月24日 08時44分10秒 | 徒然なるままに

今、好きな食べ物は何?と聞かれたら、多分、「蕎麦」と「干し柿」と答える
蕎麦は通ぶって頼むのは蒸篭で、ちょっとだけ汁につけて思い切り音を立ててすするのが
蕎麦の香りを感じられて良い
蕎麦の有名どころは信州・福井・出雲等があり、甘みを感じるもの、少し苦味というか一癖感じるものなど
それぞれその味わいも違うが、個人的には現時点では信州のそれが一番好きだ

好きなもののもう一つ「干し柿」
干し柿を思う時、必ずよみがえる光景がある
それはまだ自分が小学低学年のころ、大好きだった祖母の部屋の出来事
冬の南に傾いた太陽から柔らかな日差しが入り込む部屋に祖母がいて
こたつの上には串に刺した干し柿がある
その串に刺さった干し柿をかじると口に甘みと同時にどこかカビ臭いを感じる
これで食べられるのか?変なの!
そんなことを思いながらも串にへばり付いた干し柿を余すところなく食べ終える
傍らに祖母が見守るようにいてくれて、それがとても安心で、幸せだな、、
と子供ごころにぼんやりと感じた
干し柿を見るといつもこの記憶がよみがえる
まるで「失われた時を求めて」のマドレーヌのエピソードみたいに

干し柿が好きというよりも、この記憶が好きといったほうが正確かもしれない
自分にとって干し柿はお正月には数の子よりも欠くことのできないアイテムだ
昨日、新城軽トラ市で串に刺した干し柿ではない市田柿をしっかり購入した

毎年干し柿の季節になると、祖母を思い出す、、
自分は祖母にちゃんとお返しができたのか、、と少し後悔を覚えながら

 

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今年の◯冊

2018年12月22日 19時02分44秒 | 

1日で読み終えた本もあるし、ずいぶん長いことかかった本もある
読み終えた時に感動した気になったが、時間が経つとそれほどでもなかったと
思われた本もある
反対に直後は大した印象を持たなかったのに、あとでジワジワと余韻のようなものが
滲んでくるような本がある

良かった本とはなんだろう
読んでいる最中、あるいは読んでから単純に「良かった」と思うこと以上に
もう一度読みたいという気になるのが良かった本の条件かもしれない

今年は以下の本が最後のページまでたどり着いた(評価の印付き)

年末になって新聞紙上や週刊誌にあるように、今年の◯冊を選び出してみるとする
無条件に思いつく本は
「法学の基礎」団藤重光
「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」山口周
「朗読者」ベルンハルト・シュリンク
の三冊だ

「法学の基礎」は最後まで読めるとは思わなかったが、発見することや考えさせられるところが多くて面白かった
法が解釈学に終止するのではなく、人間が常に良きものにと意識することが必要だと
深い教養の溢れる筆致で綴られている
これは時々ページを開かなくてはならない気がしている

「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」
複雑な要素が絡まって単純に白黒を判断しにくい最近の世界
こうした現在において、間違えない判断をするためには「美」を感じる心が必要とするもの
これはリベラルアーツの重要さを問いている

「朗読者」
割合読みやすい小説だったが、深く心の傷のようなものが残った
関係をもった年上の女性は、事の前後に本を読んでほしいと願った
その女性はある時主人公のもとから去ったが、数年後思わぬところで再開する
その場所はナチスの罪を裁く裁判所
彼女は被告人として法廷に立っていた
なぜ彼女はそこに立っているのか、、、そして昔彼に本を読むことを依頼したのは何故か、、
本を読んでいて涙を流すなどということはなくなっている最近だが、知らず知らずに滲んでいた

どうしても最近の本を選び勝ちになるが、読んで良かったと思われる本は
「失われた時を求めて」プルースト(短縮版の上下)
この有名な小説は、取り組むには覚悟と忍耐力が必要だ
本体の5分の1ほどにまとめられたこの本でも手応えがありすぎた
しかし、不思議なのは読み終わっていくらか時間が経ったあとジワジワと
「いい本だったな}との感覚がやってきたこと
この本は無意識に日常をこなしている生活をどことなく想像させる
それと最後の章の部分は大好きなヘッセの「シッダールタ」の河の畔での覚醒を連想させる

「明治維新と幕臣」
読み終えた時は早くも今年の一冊には入るものだと思っていたが
その後「安政の大獄」とか「覚悟の人 小栗忠順」などの一次資料の多い本を読むと
印象は薄れてしまった

しんどい思いをして読んだ本
「個人と社会」「権力と支配」「責任と判断」「全体主義の起源1」
これらは悲しいくらい覚えていないかもしれない
でも、間違いなくこれらから自分ができている(味の素のCMみたい?)
これも時々付箋の部分を読み直すべきかも

科学分野
「植物はすごい」「エレガントな宇宙」「生物進化を考える」「波紋と螺旋とフィボナッチ」
ある種の仮定を思いつくこと、その発想の柔軟性とそれを証明しようとする継続する意志
科学的センス、数学的センス、、というものは、確かに存在するかもしれない、、と実感

あとは、、実生活と関連した「知ってるつもり 無知の科学」「ショック・ドクトリン」
「民主主義の死に方」「民主主義のつくり方」などの本は、現在の世界がどういうものか
認識を新たにしたというところ

こうして並べてみると、多少引っかかるというか抵抗感があって集中と創造力と忍耐力が
必要な本が「良かった」と思えているようだ
でもいつまでもそうだとは限らない 徐々に気力も創造力も忍耐力もヤバそう
来年も小難しい本に挑戦できるかな

           
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ボイテルスバッハ・コンセンサス

2018年12月20日 20時23分04秒 | あれこれ考えること

ボイテルスバッハ・コンセンサスという言葉を知った
ドイツの主権者教育(学校での?)の基本となるもので

ウキペディアによると

  • 1.圧倒の禁止の原則。教員は、期待される見解をもって生徒を圧倒し、生徒自らの判断の獲得を妨げることがあってはならない。
  • 2.論争性の原則。学問と政治の世界において論争がある事柄は、授業においても議論があるものとして扱う。
  • 3.生徒志向の原則。生徒は、自らの利害関心に基づいて政治的状況を分析し、政治参加の方法と手段を追求できるようにならなければならない。

だそうだ
特に2番目、(学問と)政治の世界のおいて論争がある事柄は、授業においても議論があるものとして扱う
が当たり前のこととされており、これには羨ましくて痺れてしまう

日本では批判は見聞きしたくないと答える若者(学生)が多いとアンケートに出ている(先日の講演のデータによると)
当たり前に存在する意見の相違(論争)を批判と取り違えて、ただただ何もしないことが公平・中立と考えがちのような若者をイメージすると
少し不安を感じてしまう(海外に出たら通用しないぞ)

最近、両論あるなかで一人の人間として行動を起こして話題になっている人がいる
タレントのローラが自分のインスタグラムのフォロワーに対して「WE THE PEOPLE」の署名を声がけしたのだ
(辺野古埋めたて一時中止)
これに早速、賛成・反対(というより意地悪のような)の方面から反応があるのだが、
ここで一番やばいのは、タレントはそういう行為は行うべきでない、、を強要するような意見とか雰囲気の存在
3番目の、自らの利害関心に基づいて政治的状況を分析し、政治参加の方法と手段を追求できるようにならなければならない
を実行しただけなのに、それがとやかく言われるのは少し変(な世界)

普通に考えればこのようなコンセンサスによらずとも、28歳で様々な体験をし分別をわきまえた一人の女性が
自分の内側から湧き上がってきた思いを表に出すのはとても自然なことだし、出さない方が不自然といえる
それをしないならストレスが溜まりそう

何もしないことが中立・公平と考え、ある種の同調圧力に簡単に屈してしまうのが若い人だけでなく
いろんな世界(芸能界)にも多いとすると
なんだかな、、、ちょいと心配、、

 

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アメリカとヨーロッパの本(帰納法と演繹法?)

2018年12月20日 19時05分51秒 | 徒然なるままに

ホントどうでもいいことなんだが、気になっていることがある
それはアメリカの作者の本と、ヨーロッパ系の作者の本の違い(哲学・経済学関連など)
ヨーロッパ系の本は、丁寧すぎる定義付けから延々と理屈を積み重ねて行く演繹法のような感じ
一方アメリカの系の本は、エピソードとか実験結果とかデータとかで、事実の羅列で帰納法的な感じ
アメリカ系の本はこのせいで途中で読むのをストップしても、次から継続して読みやすい
ところが、他方は一旦集中を切らすと後が大変、何がなんだかわからなくなる(特に近頃は歳のせいもあって)
最近は科学が発達し実験とか再現性とか、いわゆる客観性が重要視されるようになっているが
それがアメリカ系の本では反映されているのかもしれない

全然根拠のない、ただ自分がそう感じる、、、というだけの話
でも、いつもそう感じてしまう
ホントどうでもいい話

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借金の話

2018年12月19日 10時10分46秒 | 徒然なるままに

前回の「チコちゃんに叱られる」では年末を何故「年の瀬」というか?
との問題が出された
瀬とは川の流れの急なところで、乗り越えるのに苦労するところで
年の瀬とは「借金とりと、それから逃げ出したい攻防の時でそれが瀬に当たる」
というものだった

落語には大晦日の借金の話がよく出てくる
その中で好きなのは借金取りが反対にお金を払うハメになる三遊亭圓生の「掛取万歳」
他にも「文七元結」「芝浜」などの人情話も良い
落語の世界だから、、と言ってしまえばそれまでだが、
昔はなんか余裕ある生き方をみんなしていたんだと、少しうらやましい感じがしないでもない

ところで出典は忘れてしまったが、年代別のクレジットカードの使用率で面白いデータがあった
容易に想像できるが使用率は若い人が多い
ところがそのデータでは、若い女性(20代)の使用率が段違いに低く出ていた
あまりにも予想と違う結果にその理由を尋ねたところ
「カードは使いすぎる可能性があるので自制している」とのこと
ついケチな愛知県人は使いすぎないようにカードの使用率が少ないという話を思い出した

でも若い女性のこの考え方は現実的で、なかなか地に足が着いている感じで
それは良いことのように思える
実際のところクレジットカードも借金みたいなもの(リボ払いもあるし)
現在の持ち前の現金で、何が買えて、何を我慢しなくてはならないか
を目で確認できるのは、、便利さ以上に良いことかもしれない

祖母は借金が大嫌いだった
借金してると胸がモヤモヤしていたようだ
ということで我が家の庭には花梨の木と樫の木が植えてある
これは「借りん」と「貸し」の語呂合わせ

でもカードのポイントは、魅力的だな、、

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