パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

メガ・ミリオンズ、 夢ではなく異常な世界

2012年03月31日 22時10分37秒 | Weblog

アメリカの数字を組み合わせる宝くじ
メガ・ミリオンズがしばらく当選者がいなくて
繰越金が貯まりに貯まって一等賞金が500億円以上に

さすがにここまでの数字になるとメディアも放っておかない
一攫千金を狙う(夢見る)普通の人も宝くじを求めて長蛇の列
そんな映像が流れていた

しかし、待てよ!
これはなにかおかしくないか!
まともじゃないというか、異常ではないのか


異常なのは数字がでかいだけではない
それを許している社会(宝くじ販売会社)
報道する側も正気を失っているというか
これは夢などという範囲のものではない

普通に考えて単に運だけで、超のつく大金を
急に手にしたらその人の生活は狂ってしまわないか?
人それぞれと言うレベルを超えて
それは危険なことではないのか?

今回のことで一番危険に感じるのは
このニュースを、刺激的な興味深いという判断だけで
面白おかしく報道していること
そして皆がそれに対して疑問も問題点も感じずにいるように
思えてしまうこと

ハッキリ言う
これはダメだ!
それを夢と言うのは、感覚が既に麻痺して
正当な判断ができないでいるのだ

アメリカはあれだけ銃乱射事件が起きて
多くの被害者が出ているというのに
悪いのは銃ではない、それを扱う人間だ、との論法で
依然として銃規制が進まない

この件もそれと同じような気がしてならない
可能性にだけにかけるものではなくて
人の限界を理解した上で、あえてタブーを設定するのも
人間の優れた知恵のあり方のように思えるのだけれど
こんな風にぼやいているのは少数派過ぎるかな

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参考にするのは、創造する時の状況を!

2012年03月31日 11時25分42秒 | Weblog

時には(おそらく誰でも)キャッチフレーズを
作らなければならない時がやってくる


そんな時は多くの場合
例えば素晴らしいコピーを参考にする
そして一行を別の言葉にしてみたり
並べ替えたりしたりするが
結局はその参考とした真似事は出来るが
しっくりしないことも多い

本当はコピーの作者の製作過程の
思考過程・心理状態・テンションになったほうが
出来上がりは違っても完成度は高いのではないだろうか

このことはおそらく音楽の演奏にも言えそう
曲の解釈と言う側面で楽譜に書かれたものを
解釈すると先ほどのコピーの真似事みたいになる
それよりは作曲家の心理状態、求めようとしたものを
自分も求めると言った態度で向かうほうが
より深い解釈が出来はしないか

多分、フルトヴェングラーが音楽に向かったのは後者の姿勢
だから彼は音楽の再生ではなく創造だったのだ

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個人発刊の新聞

2012年03月31日 10時07分55秒 | Weblog

YouTubeが個人の放送局みたいなものかと思ったら
新聞も個人でWeb上で簡単に発刊できるようだ

Paper.il というものだが、正直イマイチわかっていないが
自分のツイターやフォローしている情報をネタとして
一日一回(?)新聞風にレイアウトしてアップしてくれるサービス

そういえば
iPadにFlipboardというアプリがあるが、これはTwitterやFacebookの投稿を
雑誌風にレイアウトしてくれるスグレモノ
普通のTwitterやFacebookの画面を見るよりずっと楽しい

この新聞版がPaper.ilということになるのだろうか

誰が読むか、見るかは別にしてなかなか興味深いサービス

この手の発想は
igoogleなどで自分に合わせてカスタマイズできるのを
情報ネタをTwitterやFacebookの投稿にして
アレンジしたものと考えれば良いかもしれない

こう考えると新しいアイデアによるサービスに見えるが
以前のものを上手く改良発展させたもの
との思いもしないではない
少しづつ進歩しているということか

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真面目すぎるのも、どうなんだか!(頻繁過ぎるDM)

2012年03月30日 20時30分00秒 | Weblog

真面目なのも考えものだ
あまり自分のペースだけで行動すると
少し引いてしまうことがある

あるネット通販のお話
確かにそこは珍しい商品があって
ネットならではの仮想店舗
最初のうちは割合好んで頼んでいたのだが
余りにも頻繁にやって来るメールに
少し嫌気が刺してしまった

で、メールマガジンを解除したのだが
今までのお客様には大事なお知らせですので
と断ったにもかかわらず配信してくる
そこでカチンときたところに
実物の郵便でのDMが届いた
番号が印字してあって、ネットでその番号を入力すると
くじ引きになっていて何かが当たるというモノ

大概は一番下の商品が当たることになっていて
その特典が得られるのは~~円以上お買い上げの方
という制限がついている

何やら一見賢いセールにしか思えず
あまり良い感じはしない
それに売りたい商品は定番ぽいもので
大量仕入れによる価格競争力を活かしたもので
専門店と言うよりは単なる量販店的な感じがしてしまった

結局、顧客管理(店側の勝手な囲い込み)による
活動なんだろうけれど、この手の真面目さはどうなんだろう

メールはもう少し控えめにしたほうがいいのでは!
確かにメールを出せばそこそこの反応は計算できるので
頻繁に出したい気持ちは分からないではないけれど
受け取る側は食傷気味になるだけならいいけれど
それを越えて嫌悪感さえ感じる様になってしまう

控えめにしたいけど、数字が全てで
統計的な判断だけで動くのはよくないと思うのだけれど、、

ちなみに自分はもうそこで購入する気はない
少しくらい高くても同様に専門店ぽい品揃えの
控えめな店の方にしている

しかし、この店は本当に真面目なのか?
実はそうじゃないのかもしれない!

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サッカー小1.2年生の練習

2012年03月29日 21時45分31秒 | サッカー

今日は手抜きして、以前書き留めた小学1.2年生の
サッカーの練習方法についてをコピペ!


以下がその内容

1、2年生の練習について

第一に認識しておかなければならない事は、彼らは7歳、8歳であるという事。体力がない、
集中力がない、聞く耳がない等無い無い尽くしだが、ひどい場合を除いて我慢強く諭す事も必要という事

 

その上で、経験的に必要と思われる練習方法について

1)カラーコーンを使ってのステップワーク

サッカーの基本は走る事から、しかし、闇雲に走るのではない
細かなステップは何かと役に立つ
前、横、サイドステップ等

ここで大事な事は、8つほど並べたコーンの最後の方までステップがきちんとできるかを見る事。
どうしても最後の方は雑になるが自分の足を最後までコントロールできる様にする

 

2)シッポ取り

サッカーは相手あっての勝負事、相手の動きに対応できる様に先ほど練習したステップワークを使ってそれぞれの勝負に勝つ様に努力させる
攻める方には勇気を持ってトライさせる様に、守る側は相手の動きについていける様に(楽しんで)させる

(この練習の効果は時に(試合で)目を見張る形で現れる事がある
確かに彼らは自然と相手の裏、逆を取っている事がある)


※しっぽ取りとは、トランクスの後ろ部分にビブスをはさみ、前に対峙する相手に
 そのビブスを取られないようにしてゴームラインまで駆け抜ける練習
 あまり左右にふくれたり、時間がかかりすぎるものはダメ
 フェイントする癖、体の変化についていける力を養う

 

 

3)キック練習

  必ずしもボレーである必要はないが、足の甲にしっかり当てる事を体に
  しみ込ませる(ボール入れの袋に入れたものをキック、あるいはコーチの
  手のひらを蹴ってその当たりどころを覚えさせる 

  練習の為の練習はつまらなくなってしまうので、飽きさせない様に工夫

 

この辺りで飽きてきてしまう事が多い
無駄話が多くなり、集中が欠けてきたら一旦休みに入るのも手段の一つ

 

 

 

4)方向転換

実際に試合をやらせて実感するのは彼らは方向転換ができないという事実
まずは一番容易なインサイドによる方向転換を身につけさせる
その際ボールの当たりどころは足の先の部分ではなく比較的後ろの部分である事を注意ししてみる事
方法転換だけの練習はつまらないので必ずシュートで終わる様にする
できる子にはアウトサイドでの方向転換、逆足での方向転換にトライさせる

 

    

5)ドリブル

足首をたてて、右左、1歩ずつタッチして足の甲で押し出す様にして歩かせる
このとき大事なのは、インサイドで行うと比較的簡単だが、どうしても視線
が下にいくのでやりにくいがインステップの位置に当たる様にさせる 
(ここでもできない子が続出する可能性大、できなかったらその時は諦めて
 のびのびとドリブルさせる)

 

6)シュート

ペナルティーエリア少し外からボールを転がし思い切り強いシュートを
撃たせる (近くてもついでに蹴るようなキックは不可)

レベルが上がれば角の方からスタート、キーパーを入れる(コーチにぶつけない様にさせる)

 

 

7)トラップ

次のプレーに都合の良い場所に止める
しかし、これは言うは簡単だがなかなか難しい(多分シュート練習が一番)
ゴール正面、側面からパスをして、止めた次のタイミングでシュートさせる

 

8)競り合いに負けない事

サッカーは部分部分は1対1 その勝負に負けない様にする
向かい合った二人の前にボールを置き、笛の合図でボールの取り合いをする
次の笛がなるまで勝負させる(簡単に諦めさせない、そしてボールをとられない持ち方を覚えさせる)
向かい合う距離を少しずつ離したり、背中合わせにしたり子供たちが飽きない様にさせる

 

 

9)ゲーム

そろそろゲームがしたいという子供が出てくる頃
ゲームが現実的には一番上手くなる練習だけれども、ここで注意するのは
そのゲームの中で個人個人の特徴を把握する事(どのプレーが得意か)
ここでいつも行っているゴールが2つ、しかもコーンであることの理由

まずはこの時期の子供たちにとって一番大切な事は、夢中になる事
次に点を取るゲームであるという事の認識をさせること、そして諦めないということ
ゴールが入りにくい!という事は必然的にゴールに近づかなければならない
みんなでゴールの近くにボールを運ぶ癖をつける
2つあるのはこっちがダメならあちら!と頭を切り替えさせるため
そして入りにくいゴールであるがために、独走態勢になっても必死に追いかければ
相手は焦って失敗をする可能性があるという経験を積ませる

 

ここで低学年が陥り勝ちな点、つまり団子状態になることについて
6~8歳児にとって視野は広くない、まして夢中になっていれば味方的も関係なしにただ蹴りまくる状態となる
たしかに困った事だ。しかし、もっと困った事は目の前にボールがあっても
ないをしたらいいか分からないとか、味方にちょっと蹴ってしまう子

 

こうした子は何をしたらいいか分からないでいる
この子には、まず第一段階として目の前のボールは自分のものとにかく相手側のゴールに近づく事が大事と説明する
しかし、それでもできない場合は、とにかく目の前のボールは相手より先に蹴りなさいと伝える
(しばらくは方向が違っていても仕方ない)

 

この団子状態のサッカーはある意味、必ず通過しなければならない儀式であると言える

味方の邪魔を味方がする、確かに効率的ではないし、固まりになるべき事ではない。しかし、この団子状態になってからの抜け出し方、
細かなボールの動かし方、体の使い方、そして体の踏ん張り方は後後のプレーに役立つ様になる

 

2年生後半くらいになると声が出て空きスペースを示したり、パスを要求する様になる

 

さて試合に参加しない子がいるという問題が現れてくる
この試合に参加しないにも2つのパターンがある
一つは団子状態を嫌って、空いているスペースに身を置き密かにチャンスを狙っている子
もう一つは、自信がなくて(失敗するのが怖くて)参加しない子

 

最初の子はあまり問題がない

考えている事は間違っていないけれど、もっと上手くなる為にはゴチャゴチャしてるところでも何とかする技術が必要だと説明する

(対人プレーを避けてばかりいるとひ弱なプレーヤーになってしまう)

 

後者の子は、なかなか難しい
しかし、練習に来ている以上何らかのサッカーの興味は存在するに違いない
何かのきっかけで急に目覚めることも今までの経験上しばしばある事なので
我慢強く叱咤激励する

 

チーム分けについて

当然ながら同等の力となる様に分ける
そしてあまりにも数人にボールタッチが偏る場合は、もう少し少人数でのチームもつくり、
なるべきボールッッチの多いゲームにする

 

試合がワンサイドに傾いた時
同等な力であって、単に流れがワンサイドになった時には「我慢」すること
一旦自分たちの流れになれば何もかもが上手くいく様になるという不思議な経験を体験させる

またある個人の能力が突出している場合には彼にハンディを与える
逆足しか使っていけないとか2タッチ以内にパスとか

 

子供たちは残念ながらすぐ忘れてしまう
先週できた事も、いざ改めてやらせてみると前に戻っているどころかそれ以上にひどい場合もある
ここで我慢する事!

練習とは実は繰り返しに過ぎない
我慢強く個々に関心を持って、進捗状態を見つめて適切なタイミングで
適切なアドバイスをできる様にする(努力する)

                                          以上

事情があってコーチは引退したが、経験に基づいた現実的な練習方法と自負している
本当のいいコーチとは、サッカー狂いを育てることができる人のこと
年にひとりでもそういう人間を育てられたら、充実感あふれるものとなる

 

 

 

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自然科学は暴力にすぎない

2012年03月28日 20時05分28秒 | Weblog

久々に真面目な話
先日の中日新聞「言論」というコーナーに
立教大学大学院教授の 内山 節氏の文章が紹介されていた

フランスのベルクソンの語ったことの一つに
「自然科学は暴力にすぎない」というものがあった
となかなか刺激的な導入部


科学は科学の方法でとらえた真理をつかんでいるに過ぎない。
つまり、科学の方法でとらえられないことは、科学では扱えない。
ところが科学者は科学の真理だけが唯一の真理だといい、
それを人々に信じこませようとする。
それは暴力だ、という論旨。

そして
人間の能力には様々なものがある。知識が豊富なのもひとつの能力だが
他にも運動の能力だとか、美術、音楽の能力、他人を思いやる能力など
実に多様な能力をそれぞれの人が持っているといっていい。
ところが、ところが偏差値が人間の能力を図る唯一の方法だとしてしまったら
それは暴力でしかないだろう、と続く

今の自分の年令になると、この手の話は非常に共感できる
上の話にもう一つ追加して言えば
人間の評価は経済的な成功だけで判断されるべきではない
ということ
日本で(?)エライ人というのは経済的、社会的に上位のポジションに
いる人のことを指すことが多い

しかし、その人達のそこに至るまでの努力や忍耐は認めるとしても
だからと言って特にエライというわけではない
むしろ、経済的な成功は、ある時期塀の上を歩くような
危うい場面を経験しなければならないことも多い
(政治屋の事を思い起こせば納得できるのでは)

エライ人というのは市井の中にも多く存在する
無条件に親切に行動できる人
(しかし、気分が悪いと良い人間の姿は見られない時もあるが)
当たり前のごとく、自分の年老いた両親・祖父母の世話をする人
こうした人は世間に知られていなくても
人は生きるに値すると感じさせてもらえる存在だ

話は戻って、ニュートンもデカルトも科学者の思考方法を
持った人物であるが、彼らが真剣に取り組んだ分野に
「神の存在」がある
日本だとなにかおぞましい話と思われそうだが
徹底的なこの分野の思考は、化学の分野に劣らず迫力がある

そもそも人間が全てを理解しうるというのは
おごりにすぎない
限界を求めて追求する姿は素晴らしいと思う
しかし、それでも我々の知ることのできるのは
ホンの僅かなことにすぎないと自覚すること
そこが全ての発想の原点にすることは
とても大事な事だと思うのだが

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呪詛事件、待賢門院と長屋王

2012年03月26日 22時27分16秒 | Weblog

待賢門院が落飾するきっかけの一つが呪詛事件
これはNHK大河ドラマでも無理やり(?)女性っぽい
解釈で展開されていたが
呪詛事件はまだ他にもあったぞ!
と気になって少しばかり調べてみると
見つかったのは「長屋王の変」

天武天皇の皇子、高市皇子の子である長屋王は729年
「密かに要人を呪詛して国を倒そうと謀っている」
との密告があり、藤原宇合の率いる大軍が長屋王の邸宅を包囲
捕らえられた彼は一言の弁明も許されることもなく
四人の子供とともにに自害させられた

この事件が何故か頭に残っていた
呪詛なんぞは今では真面目に捉えて裁判沙汰には
ならないけれど、権力闘争の道具として
あの時代はこじつけでも、なんでもありの世界だったのか

もっと昔をたどれば呪詛事件ではないが
大津皇子も似たような出来事がある
万葉集にも極めて賢そうな歌の残る才人も
訳のわからない罪を着せられて死に追いやられている
運がなかったというか、可哀想な被害者

これらは歴史に残る出来事ではあるが
決してほめられるようなことではない
それどころか、またか!
と呆れるたぐいの話

これは当人だけの問題ではなく
周辺の人間の立場・利権に大きく左右するので
当人以上に周囲の人間が無理して頑張ったのかもしれない

ここには後で、こじつけの正義が存在するかもしれないが
人間のやることは、実はそんなに
立派なものではないことが多いのかもしれない



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と、考えた

2012年03月25日 13時31分28秒 | Weblog

物事を上手くわかりやすく説明できる能力を持った人がいる
分かりにくい本人の著作より
その人の解説書を読んだほうがずっとわかりやすい
いわば参考書みたいなものけれど
気をつけなければならないのは
「~~と、考えた」
という視点であること

これは例えば仏教の(お釈迦様の)教えの
解説を聞く時に感じることなのだけれど
精緻に分析、考察して行く過程を説明し
最後に真理とか人の本性は
~~となったところで、その説明の立ち位置が
彼の人は「と考えた、と思う」に過ぎないことは忘れてはいけない

イエス・キリストもブッダも、また他の人も
多分(?)完全なものを会得したのではなく
彼らの理解する範囲で「~~と考えた」に過ぎないのではないか

結局、自分で考える力こそが自分にとって真理にほかならないけれど
どうも日本人は学び好き
自分で考えるより誰かの後を追うほうが
知ったかぶりをする方が安心で居心地が良いと考えそう

それは先頭を走るのが苦手な今の経済社会にも通じる
お金も儲け方の競争ではなく
新規ビジネスはアメリカの成功例を真似て
迅速に追いかける方をよしとしている姿は
解説書を読んで理解したつもりになっている姿と重ならないか?

~~と考えた
あっていようがいまいが、この姿勢こそが大事なのでは!
賢いということは、実は考える力
記憶する力だけではない

と思う

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iPad購入

2012年03月25日 07時37分54秒 | Weblog

3代目のアップルの孝行息子を購入
高機能で安くなっているとは言え、初代で用足りないこともなく
購入にはそれなりの理由がいる

そこで自分を納得させた理由がカメラ付きであること
しかも動画も撮れる
ここが自分にとっては一番のポイントだった
今のうちに母の動画を撮っておこう
というわけだ

さて初代のiPadの使い道は
仕事用に会社にでも持って行こうかとしたら
「私用?」
と母の声
そうだ、この手があった
簡単な操作で色々できるし、文字も日本語入力もできる
これなら楽しんでもらえるかも

さて先代のデータをiTunesにバックアップしておいて
新しいものに復元しようとしたが
その時にフト疑問が!

購入したアプリは移行できるのか?
気まぐれに購入したナンバーズ・ページワン・キーノートなど
2台同時に使えるのか?

そういえば購入した音楽は、3台だったか5台までは
使えるような文章をどこかで読んだことがあったが、、、

ま、やってみれば分かること
エイヤッ!と復元を

案ずるより産むが易し
なんてことはない、アプリは順調に再現された

しかし、メールなどの設定部分
パスワードは改めて入力が必要
これは仕方ないことか

しかし、なんだか変なのは
やたらと容量の多くを写真がとっている
先代はそんなではなかったのに
選択したイベントだけ
と設定しなおし、選ばれた写真類はそんなに多くないはずなのに
何故か表示された枚数は大きなものに

おせっかいなことに
最近iPhotoのライブラリーに取り組んだ写真は
自動的に同期するようだ
自分で選んでいければいいのに

と、文句をつけるところもあったが
使い心地は?

キレイだと言うより
速くなった印象のほうが先に感じられた

もっとも新型を見た後で旧型を見ると
やっぱり新型の画面はきれいだと再確認した

それにしてもこの道具は便利この上ない
本当に最近はノートパソコンを家で開くことはない
(iMacに向かうことはあっても)
確かに時代は大きくかわろうとしている

ところで音声入力
日本語の設定をどこでやるのかな?
まだ出来なかったのかな?

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やっぱり問題は後ろからの繋ぎ

2012年03月24日 20時57分45秒 | サッカー

エウパルス対レイソル
後半逆転でレイソルの勝ち(2-1)
ネルシーニョ監督の采配が良かったのか
どうかはわからないが
気になったのは途中からエスパルスのパスが繋がらなくなったこと

何であんなに慌てるのか
プレスがかかっているから正確にパスできないのか?
それとも単にミスキックか

今日の途中まではエスパルスもいつもの淡白な感じではなく
球際に厳しくいってたからあのままかな!
と思わないでもなかったが
パスミスの連続でリズムを崩し自ら墓穴を掘った感じ

ところがこのパスミス
特に後ろからのそれはエスパルスに限らない
残念ながら日本代表でも見られる
比較の上ではセリエAとかリーガ、プレミアリーグでは
後ろからでも前目のポジション並みのパス交換をする

つまり今のDFは守るだけじゃダメで
前につなぐ意識と技術がないとダメということ
それを思うと、Jリーグのレベルアップはもう少し時間がかかるかな
と言った感じを受ける

それと最後のクロスの精度
クロスの目標があの辺りから
あのポイントに!にならないと
ゴール前も面白く無いかな

ここから先のことは個々の細かな上達でしかなくなっていく
しかしここの細かな上達に時間がかかる
見る方の目も、批評する方も
上達しなければ全体的なレベルアップは望めない気がする

解決方法が何時もシステムに偏りがちな日本
バルサがなんであんなにパスがつなげるかは
距離感がいいだけではない
気付かない繊細な判断力の差が大きいだろうに

とにかく、

Jリーグに期待したいこと
後ろからの繋ぎを正確にして欲しい
次にクロスを正確に
少しくらい切られたところで縦のパスを通せるように
そしてミドルシュートを枠にとばせるように、、、

まだまだ先は長いな

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