パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

財布を落とした!

2016年06月30日 08時43分51秒 | 徒然なるままに

時間つぶしに入った喫茶店
さて支払いをしようとズボンの後ろポケットを触ると
ドキッ、あるはずの財布の感触がない 

ないのはわかっていても何故か何度も確かめる
一瞬パニックになって、今度はどこにありそうか思い出そうとする
車の座席のところに落ちているか、、
車のある場所まで行こうとするが、困ったことになったという思いが
頭を占める

こういう時はとても嫌な気分だ
そこになかったらどうしよう
それまでの自分の行動は、、、
車で来たというところまでしか思い出せない

財布の中にはクレジットカードも数枚には入っていたし
使われていないか心配だし、即停止の連絡もしなくちゃいけないし
再発行もしなきゃならないし 
自分で自分が嫌になる

こんなこと前にもあったよな
今度はズボンの後ろポケットに入れることは止めなくては 

すこし冷静になれてきた
すると、なにか変だなと感じる
喫茶店も喫茶店らしくなくやたらゴチャゴチャしてるし
第一飲んだ記憶がない
それに喫茶店の前の行動の記憶が全然浮かばない 

うん、おかしいぞ
そうか、これは夢だな、、
きっと夢だ、夢に違いない

思いつきは確信となって、やっと落ち着きを取り戻した
そして、ああ良かったと安堵した
(本当に夢の出来事だった) 

夢のなかで、これは夢だと気づくことがある
夢は荒唐無稽なストーリーになるが、その夢は
ちょっとだけ心に引っかかった出来事がきっかけとなる 
今回は、先日名古屋の宗次ホールで
座席に財布を落としてしまった事があったためだ

この時は心底焦った
財布の中には帰りの電車の切符も入っていたし
その時点での手持ちのお金は全然なかったし、、

気づいたのが早くてよかった
雨の中をはやる気持ちでズボンの裾を濡らしながら戻り
カウンターで落し物のことを聞くと、、
数秒後、「これですか?」 
良かった、あった、、
「そうです、良かった、ありがとうございます」

でも怖くてすぐさま財布の中を確認できなかった
結局は、落としたままの状態で返ってきたが
届けていただいた誰か(ホールの人)に感謝の言葉しかない

男は女性みたいに常時バッグを持つことはなくて
ついポケットに財布を入れてしまいがちだが
これからは気をつけなければ、、

ホント、夢でよかった

※最近、毒にも薬にもならない話を多く取り上げているが
少し真面目なローカル(新城市)のお話は、自分の別のブログの方で
行っています 
興味のある方は、そちらを覗いてみてください
「パパゲーノの夢」で検索するとたどりつけます 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遺伝?

2016年06月29日 22時32分49秒 | 徒然なるままに

最近、朝起きるとくしゃみが出る
今時、なにが飛散しているのだろうと思ったが
フト、父が生きていた頃、朝になると
大きなくしゃみをしているのを思い出した

もしかして、飛散しているもののせいというより
遺伝かなと思ったりした

母は嫁いでから祖母とは長いこと一緒に暮らしていなかったのに
祖母がやっていた朝ラジオをかけて聞くということをしている

姉は、靴下を片方だけ脱いでこたつに入る
これは母も同じ
また家計簿は母も姉も、買ったものの品目と価格は
書き込むが計算はしない

何かどうでもいいことが似てるな
これは遺伝のせい?
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メディアはどう伝えたか

2016年06月29日 08時21分33秒 | あれこれ考えること

今になってイギリスのEU離脱に投票した人は
離脱を勧めるキャンペーン・スローガン・財政政策が
いい加減なものであって騙されたと不平を口にしているのだそうだ

週に何億円もの資金をEU本部に収めているが
その金額をそっくりそのまま自分たちの裁量で福祉などに
使ったほうが良い というのが離脱派の論旨
だが、EU本部からは相当の金額のバックがあって
離脱派の言うような資金は確保できないのが 現実で
残留派はそのことを説いていた 

それぞれの陣営は戦いだから、言いっぱなしはある程度仕方ないとして
それらをメディアは一体どのように伝えたのだろう
と言っても、日本の田舎でそんなことは分かるはずがない 
だから当てずっぽうに想像すると

メディアは離脱派のスローガンをそのまま伝えた
その根拠も確かめずに、こちらはこんな考えかただと
あるいは、キチンとその根拠のいい加減さを伝えた

しかし、結果的には多くの人が騙された印象を持つに至っている
それは、メディアがものごとを批判的に捉えることをしないで
安易に右から左へ情報を経由しただけなのか
それともキチンと表に出したにも関わらず、大衆が聞く耳を持たなかったのか
どちらなのか 少し気になる

正確な情報を出していても聞く耳を持たないために
情報は伝わっていないということはよくありそうなこと
「聞く耳を持つ」ということは前提として、自分たちに都合の良い話
という傾向がありそうだ

新城市の住民投票でもまたリコールでも、結局は完全に中立の立場
とか客観的な存在などはなかなか存在せずに
どちらかと言えば、自分に都合の良い理屈を信じたがる

こういう時、本当にメディアのできることは何か
両陣営の意見を並列に並べて知らせる
それだけで良いのか 、
本来ならば十分な熟慮が可能な
情報を(考え方も含めて)報道すべきではないのか

で、今度の参議院選 一体この国のメディアは
どんなふうに伝えようとしているのか 
だいじょうぶかな  
結果的に、こんなはずではなかった!
というような事態を招かねば良いのだが 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拘束力

2016年06月28日 11時01分21秒 | あれこれ考えること

新城市の住民投票がそうだったように
イギリスのEU離脱の是非と問う国民投票も
拘束力はないそうだ

だからといって、ことがここまで大きくなると
この結果を、実施しないことは現実的、気分的に難しそうだ

気分的、勢い、今回はこの言葉が分析の結果よく使われている
投票したあとで「EUってなに?」とか「EU離脱とは?」と
イギリス国内で検索されているらしい

ドイツが辛い経験を踏まえて「気分による大衆の暴走の可能性」を
排除した法体系なのは、試行錯誤の上のことで
この必然性はよく分かる

関心はどうしても昨年の新城市の住民投票との比較につながるが
あの住民投票は実施も結果も、イギリスの場合のように暴走だったのか?
(そんなことはないはず) 

というのは、今のイギリスの状態を見て
「住民投票はまともな民主主義にそぐわない!」
と言い出しそうな人や理屈が大手を振ってきそうな気がするからだ

住民投票は空気に流されやすいとか、単純な二項対立を煽って
まともな議論よりも勝ち負けが優先してしまうとか、、 
だから、選挙で選んだ議員さんに判断はお任せすべきだ
という声が 大きくなりそう

でも、振り返るとやっぱり新城市のあの住民投票は、妥協点を見つけたくても
その壇上に上がれない、説明も不足して市民の理解を得られていない状態で
行うことができた最後の砦だった様に思う

新城市の住民投票でも「拘束力」が問題となった
しかし、あのとてつもなく難解な選択肢のために、いかような解釈ができるように
なってしまって、果たして住民投票の結果が生かされたのか
生かされなかったのか、わからなくなって
後々の行動に至ってしまった

今回のイギリスの国民投票騒動
新城市民は住民投票を思い出す人が多かったのではないか 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなはずでは、、、

2016年06月27日 09時13分22秒 | あれこれ考えること

イギリスの国民投票の投票率は72.2%
結果的にEU離脱を選択し、ブックメーカーはサッカーの
プレミアリーグのレスター優勝に続いて大損をすることになったが
投票に行かなかった人の今の気持はどうなんだろう

こんなはずではなかった!
国民の選択だからそれに従うしかない!
事前の予想がいい加減すぎる、、、(接戦だったら出かけたのに、、)

 イギリスの、こんなはずではなかったという思いを踏まえると
その言葉が出ないようにしなければならないのが今度の参議院選挙 

それにしても、大衆の作り出す一気の盛り上がりとか空気
その危険性の一端を垣間見たような気がする

しかし実感として、日本人は熱くならないな
些細な個人攻撃はチンチンになって徹底的に行うのに
(それを飯の種にしているメディアがひどいのか?)



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やばい!言葉が出てこない

2016年06月26日 08時56分34秒 | 徒然なるままに

市内で親戚の法事がある
お経の間ずっと座っていると慣れてないので脚がしびれてくる
あの座る言い方何だった?と思ったら
困った、困った、言葉が出てこない

「なんとか座」だったと思うが、頭に浮かぶのは「餃子」のひとこと
こうなると、いくら思い出そうとしても
「餃子」から抜け出すない 
餃子、餃子、餃子、、、

ずっと気持ち悪いままいて、家人に聴いてきた
「かしこまって座るのってなんて言ったっけ?」
「正座」

返ってきたのはあまりにもあっけない返事
一瞬、それがあっているのかどうかさえ疑わしい気になった

「正座か」
何でわからなかったんだろう 
テレビでタレントさんの名前が出てこない事は多くなったが
ちょっと、ホントに困る
やばい、ボケたかな 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

感情と理性の戦いは、、、

2016年06月25日 09時35分09秒 | あれこれ考えること

未来のことはわからない
その選択が正しかったのか正しくなかったのか
それを決めるのは結局、時間という裁判官の登場を待つしかない

今回のイギリスのユーロ離脱の選択
正しい正しくないは別にして、イギリス人はそちらを選んだという事実
他所の国である人間があれこれ批判しても仕方ないが
直感的に感じる不安がある

それはこの事によって経済が不安定になるといったことではなくて
多くの人の言うように「世界が内向き」になってきていて
その傾向に拍車をかけないかということ

トランプ氏も世界のアメリカとか、プーチン氏も偉大なロシアの復活とか
北朝鮮も中国も「自分で自分の国は偉大だ」と言いたがる
そしてその結果として、他の文化や民族等に感情的な嫌悪感を感じるようになる

日本はどうか?
トレンドに弱い国だから、間違いなくそれを追っかけている
そして今度の選挙で表立ってはいないが、隠れたあの意図
そしてそれを支持する内向きの人々、、

感情と理性の戦い、、勝利をおさめるのは、、、
わかりやすさは感情に訴える
そのシンプルさ故の危険性を考える理性は自分のものにするには
時間と手間が掛かり過ぎる

人の生活なんて理屈じゃなくて、常に感情に支配されながらの
試行錯誤なのかもしれないと思ったりする 

それにしても、離脱を選ぶとは、、、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夏の砦」が新しい入庫の棚にあった

2016年06月24日 11時55分10秒 | 

ほんのちょっとしたことで気分がよくなる
新城市の図書館に借りていた本を返しに行った
借りていた本は、市の図書館にはあるとは思わなかった本
マリオ・バルガス・リョサの「誰がパルミノ・モレーロを殺したか」 
ノーベル賞を受賞した人の比較的読みやすいミステリー仕立ての本だ

これは、なかなか登場人物が生命力に満ちた感じで
ありそうな話!と思わせる
このリアルなたくましさ、何かを伝えたいと言う強烈な意志は
やっぱりノーベル賞をもらう様な作家に共通しているようだ
オルハン・パムクの「雪」も 何かを強烈に伝えたい意志を感じる

この両人と比べると村上春樹氏は、ちょっとそのところの迫力が足りない感じ
あるひとが村上春樹は純文学ではなくて大衆文学と評したことがあったが
なんとなくわからないでもない
もっとも純文学がエラくて大衆文学が低次元というわけでない
ただ、漂う緊張感のようなものが違うだけ

ところで、ちょっとしたことで気分が良くなったのは最近入庫した本の欄に
辻邦生の「夏の砦」を見つけたからだ

入庫したのは写真の本ではない
単行本の文字が比較的大きそうな本だ

自分はこの作品「夏の砦」が大好きだ
辻邦生を知った一番最初の作品で本当に圧倒された
多少観念的ではあるが深い思索と物語性に富んで小説の面白さが凝縮している
その後、ずっと追っかけることになったきっかけの作品だが
自分にはよくあることで、読み返してはいない
もうあれで十分 という気分のままでいる

でも書店にいくとこの作品が売られているか気になって
た行の作家の欄を探す 
すると、もう過去の人になってしまったのか「辻邦生」のコーナーは
見当たらない事が多い
自分の人生の一時期夢中になった作家だけに、そのコーナーがないということが
とても悲しいし、なにか大切なことが蔑ろにされているような気がしたりする

ホント、辻邦生のこの作品、もっと読まれないかな
読まないと損!とさえ思うのだが、なかなかそういうわけにはいかないようだ

図書館の新しい入庫にもう一つごきげんな作品があった
須賀敦子の本
この人はめちゃくちゃ文章がうまい
辻邦生もそうだが、嫉妬するくらいだ
で、あまりにも自分の好みの本が入っているので
つい「誰が選んで購入しているのか?」と図書館のスタッフに聞いてみた
司書と答えるかと思いきや、教育委員会で選んでいるとのこと
教育委員会のうちの誰か、自分と似た好みを持っているようだ
そういえば、図書館には、ないだろうなと思っていたエーコの「プラハの墓地」はあったし
「テヘランでロリータを読む」もあった
もっとも有ったは良いが自分に読む気力・体力があるかが問題だが、、 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

役に立たないこと

2016年06月24日 09時18分20秒 | 徒然なるままに

役に立たないことを考えるのが好きだ

でも、本当のところ、「役に立たないことが」
役に立っていないとは思っていない 

老子に「無用の用 」なんてのがある
すこしニュアンスが違うが、なんとなくわかる

役立たないこと
役立たないことがあふれていない世界は
きっとつまらない世界だろうな

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せの定義

2016年06月23日 10時09分07秒 | あれこれ考えること

昔、強引に「幸せの定義」を考えたことがあった
そして、それは今でもなかなか気にいっている

「幸せとは一日に一回でも家族と一緒に食事ができること」
食事をする時に漂うなんとも言えない雰囲気、子供が大人になってから
思い出す何かに守られていたような感覚
大げさなことではなく、庶民の幸せって、こんなものじゃないか
(どこかの市で家族で食事をしようという政策を行ったところがあったような記憶がある)

もう一つ、これも少し気に入っている考えがある
それは判断に困ったとき
「それは子どもたちにとって良いことか」
を基準にして考える事
全部が全部これが使えるわけではないが、大事な問題となった時 
かなり使えそうな気がするが、、、 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする