パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「神田川」のヒットはヴァイオリン伴奏のおかげ

2007年11月30日 21時21分06秒 | Weblog
「大人買い」というのがあるそうだ。
子供の頃に買えなかったもの(コレクション)を
経済力についた大人になってまとめ買いをする事をいい
具体的には漫画の全巻、お気に入りのアーティストのCDセットを
一括で求めることが代表的なものだ

テレビの通販番組などを見るとこの大人買いを
狙ったものがちょくちょく出てくる

先日は「懐かしのフォーク、ロック集」だったか
「ヒット曲集」だったか忘れたけれど
とにかく1970年代から90年代くらいの
今日を集めたものが紹介され、
懐かしさにフト
このくらいの金額なら買ってしまおうか、
過去を振り返る事も許される年齢になった事だし
などと触手も動いたのだが
このとき聞いたのが「神田川」

この曲は確かにその時代を彷彿とさせる
しかし、あのヴァイオリンの伴奏のアレンジがなかったら
こんなにも人の心をうっただろうか
試しにライブ版などでヴァイオリンなしで聞いてみると、
なんだか物足りない
西洋の楽器でありながらセンチメンタルで
心情を言葉ではなく音色とメロディーで
言葉以上に現している

いったい音楽は(歌は)
言葉と音楽とどちらが優先しているのだろうか

ジョン・レノンの「イマジン」は
歌詞があんな内容でなかったら、
皆に尊敬される様な歌になっただろうか
この意味では、この歌は歌詞が重要と言える

ジョン・レノンのライバル(?)ポール・マッカートニーの
「レット・イット・ビー」
「アナザーデイ」などは歌詞の内容は解らなくても
結構楽しめてしまうので音楽(サウンド)優先だろうと
自分は思う

本当は歌詞とサウンドが同様なバランスを
持てばいいのだろうけれど
どちらかと言えば自分は音楽優先だ
だから鼻歌の様なたわいもないポール・マッカートニーの
曲が好きだったりする

最近のヒップホップとかラップと言われる分野の曲は
正直なところ、つまらない、
言わんとするところは解らないではないが
繰り返しの多さが音楽を中心に聞いていると
チョット辛いものがある

どうやら、またまた今の若いもんは風な話になってきた
アルコールも入っていないというのに
ようはストレスがたまっているのだろうか?

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最近よく聞く言葉

2007年11月28日 21時25分41秒 | Weblog
「五体満足なら男でも女でも、、、」
「やさしい心の子になってほしい」

これらは子供を持つ事になった多くの人が口にする言葉だ
ところが最近耳にする子供たちに関する言葉は
「今の子供たちはかわいそうだ。
 もうこれからはよくなるってことはないから、大変だ。
 いったいどんな世の中になってしまうのか、、、」
こんな感じの事が多い

正直なところこの感覚は自分の気持ちにも近いものがあって
卒業の祝辞に述べられる様な、
「洋々たる未来があふれている!」
などとは思えないでいる

こんな風に今は大人たちの方が疲れてしまって
希望を持てないでいる
実生活を否応なく経験している大人たちは
未来に対する対応力に不安を感じている
本当はいつの時代にもそうだったのかもしれない
誰もが未来の事など解らないのだから!

未来を予想するのは様々な経験を積んだ大人の特権だが
必要以上に臆病になってしまう傾向も否めないだろう

それにしても、未来に対する不安はストレスとなって
少子化の遠因になってやしないだろうか?
経済的な面もあるだろうが、
この漠然とした本能的な(?)不安は
貧困に喘ぐ人々よりも、ある面では痛めつけていないだろうか

ものはなかったが、明らかに明るい未来が予想できた時代と
ものはあふれているが未来に希望を持てずにいる時代
明らかに今は後者だが、本当につくづく何が幸せか
仕切り直して考えないとまずいことになってしまいそうな気がしてならない

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名前が覚えられなくて、、、

2007年11月27日 21時14分34秒 | Weblog
「王朝貴族の悪だくみ」
繁田 信一著  柏書房

やっとの事で最後のページをめくった、
というのが本当のところ
多分内容的には興味深い内容なのだろうが
読み手であるこちら側の力不足で苦労してしまった

まず第一に登場人物の名前が読めない
最初に出てくる時にはふりがながうってあるのだが
2回目以降はそれがないために字面は記憶していても
読みが解らずイライラが募っていい加減に読み飛ばしてしまう
そしてこの名前、読み方をかろうじて覚えても
いったいどんな身分の人だったかをすぐに忘れてしまう
特に日を置いて読んだ時などは悲惨なものだ

しかし、内容自体は、平安時代が優雅な貴族社会というだけでない
別の面も垣間見えて興味深かった
いつの時代にも似た様な出来事は存在したり
悪事をするものだと再確認したわけだが
気になったのは記録として残っている事柄は
必ずしも事実と違い、正しくないかもしれないという事だ
少し前の記録には悪人として訴えられた人物が
数ヶ月後には、かの地方で慕われていたなどと
全く反対の事が記されたりしているらしい
結局体制側だったり力を持っている側は
自分の都合のよい風に書き換えてしまうのだ

これは残念な事に今でも同じかもしれない
今でも自分は単純に同時多発テロとは思えないあの911も
既に歴史上はアルカイダの起こした事件という事になっている
物理学者、建築家、つまり専門家と言われる人たちに
もう一度3棟のビルの崩壊の原因を尋ねてみたいものだ
ほんとうに飛行機がぶつかって、燃料の起こした火災で
ビルの鉄が溶けて、あんな風に全部が崩れ落ちて
粉々になってしまう事があるのかと

もう確定してしまった歴史上の事柄は
もはや覆す事ができないかもしれないし
そんなことに興味を持つ人も少なくなっている

だがこうして歴史が作られていくのだとしたら
仕方がない事とはいえ
少しばかりまずいのではないかと思えてならない

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なんだか変な感じ、、、

2007年11月26日 21時09分45秒 | Weblog
政府は、地球温暖化を防止するための京都議定書で約束した目標達成に向け、
ハンガリー政府から、温室効果ガスの排出枠を買うことを決めた

こんなニュースが新聞に載っていた
なるほど、なんにでもお金になるものだと思う反面
何か違うんじゃないのかな?
そんな気がしてならない
確かに総量の規制はこうした売買によって
現実的なものになるかもしれない
しかし、それでも心に引っ掛かる何かを払拭する事ができない

そういえば日照権だったか、その手の類いのもので
周辺都市の高層化住宅の権利を
都市部の連中が購入するシステムがあったようだが
これも何か変な気がしてならない

総量が守られれば、それでいいとか
金を払えば、ある場所の日照権(?)を
別のある場所のに変えられる、などというのは
そもそも、そうした規制のできた由来を
すっかり忘れてしまっているようで
あまりにも数字合わせ、ご都合主義に終始していないだろうか

残念なのは、だからと言ってそれに代わる現実的な方法や
売り手側の経済を豊かにする方法を
見つけ出す事ができない点だが
それでもこの手のものは売ったり買ったり
してはいけないもの、のように思う方が
人として「まともだ」と思うのだが、偏狭過ぎるだろうか?
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歩く早さで

2007年11月24日 13時41分55秒 | Weblog
特に何をする予定のなかった昨日の午後
穏やかな日差しに誘われてウォーキングしてみたが
予想以上に快適な時を過ごすことができた
といっても歩く始めの頃は、何かに追われたりしてるみたいに
早く歩いては気持ちに余裕がなかったが、、、

そのうちに歩くテンポになれてくると
いろんなものが目に入ったり耳に入ってきた
まだ紅葉しきっていない銀杏が風に揺れて
日差しを反射したり、光を透かしてきれいだったり
葉っぱ同士がこすれ合ってカサカサと音がしたり
また落葉も、思いのほかきれいなものだと感じたり
子供の頃、よく見つけたドングリが落ちていたり
カラスウリ(?)がなっているのを見つけたり
鳥たちの鳴き声が結構やかましく聞こえたり
日陰に入ると流石に11月、寒く感じて
太陽のありがたみを充分感じたり
つまり普段見逃している様な
当たり前の自然を堪能できたわけだ

そこで不意に「歩く早さで」という言葉が浮んだ
そう、歩く早さで
物事はトップスピードで走らなくてもいいもではないか
歩く早さで世の中を見渡せば
早く走ると見逃してしまう大事なものが目に入ってくる

春に散歩した時もそんな風に思った
花が咲くと蜂がくる
また飛んでくる昆虫をとらえるべく
蜘蛛はあちこちに巣をつくっていて
地面を眺めれば蟻たちがせわしなく動き回っている
何がよくて何が悪いと言う次元を越えて
自然の営みがダイナミックに観察できた

そう「歩く早さで」
人はコントロールしきれないスピードを
勇気を持ってブレーキを踏んで
歩く早さで物事を進めていったらどうだろう
それでは爆発しつつある人口、
エネルギー消費に間に合わない?

しかし、今の無目的な進む方向とスピードは
人々に不安感を与えこそすれ
安心感からは離れたところに導いてしまっているから
よく見当すべき課題の様な気がする
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サッカーの北京五輪アジア最終予選 サウジアラビア戦

2007年11月21日 22時17分09秒 | Weblog
       日本0-0サウジアラビア
この結果勝ち点で上回った日本の北京オリンピック行きが決定した

今日も先だって行われたACLのレッズの時と同様に
会場のサポーターの後押しが大いに心強かっただろう
しかし、今回の方はサポーターというよりはファンみたいな所があって、
もしかしたら選手の名前を知らない人も多くいたかもしれない

さてこの試合勝負という観点から離れてスカウトするための
材料集めとしたならば、いったい誰が望まれるだろう
今日のゲームでは自分は柏木、本田が目についた
本田はいつもより運動量も多く、
縦の勝負も盛んにトライしてグランパスの時と
だいぶイメージが違ったが
これだけやれるのならもっと普段もやってほしいものだ
柏木はキープ力、運動量、パスセンスともに素晴らしかった

正直なところ、一人一人の技術ではサウジの方が上の様な気がした
ドリブルで仕掛ける能力、しっかりしたトラップ、丁寧なつなぎ
そして強靭な足腰
可能性ではサウジの選手の方にスカウトの目はいってしまいそうだ

それにしても、日本人は縦にはなかなか行けない
パスも肝心なところで不正確だったり
正直すぎてコースを詠まれたり
トラップが大きくなってしまったり
またドリブルで仕掛けても、うまく対応されてしまったり
ここのところの根っこはかなり深そうなので
将来が少し心配だ

この世代は相手のよさを消すというよりは
自分のよさを全面に出す時期みたいに思えるが
状況が許さないのか、そうしたところが見えなかった
だから、日本人選手は伸びしろが小さいのかもしれない

言い出せばいろいろあるけれど
今日は結果オーライという事でよかったとしておきますか!


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陰暦に納得

2007年11月20日 21時02分37秒 | Weblog
願わくは花のもとにて春死なんその如月の望月のころ

西行の有名な歌なのだが、ずっと変だなと思っていた
花とは桜のことで、如月には桜は咲かないのに
なんでこんな歌を歌ったのか解らなかった

ところが「陰暦暮らし」 
千葉 望著 ランダムハウス講談社を読んで
それが陰暦を前提に詠まれているのを知って
(当たり前と言えば当たり前なのだが)
なるほど、というか、もやもやしていたのが吹っ切れて
スッキリできた

それにしても、簡単に新暦に変えてしまうのは千葉氏の言うように
問題かもしれない
少なくとも節句や月見などの古い年中行事は
旧暦の方がしっくりきそうだ

なんでも便利な方に変えてしまうこの国は
神様もホテルの結婚式場まで出張してきてくれたり
祭りも人間の都合に合わせて本来とは違う土日にしてしまう

果たしてこんな事は本当にいい事なのだろうか
人間のためにいろんな事柄があるとは言うものの
なんだかちょっと違う様な
もう少し自然の姿、自然の欲求に謙虚になった方が
いい様な気がしてならない
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「あしたのジョー」の記憶に残っているシーン

2007年11月19日 21時05分29秒 | Weblog
「巨人の星」と「あしたのジョー」は
我々の世代が育てたと自負している漫画で
いわゆるスポ根の典型みたいなものだが
実際自分の記憶の中にも残っているいくらかのシーンがある

「あしたのジョー」では
力石との死闘やホセ・メンドーサとの戦いより
力石の死後テンプルにパンチを撃てなくなったジョーが
野生を取り戻した、次の試合だったと思うが
韓国の貧乏で悲惨なひもじい経験をした対戦相手に
「こんな経験をした人間にはとても勝てない!」
と思っていたのだが、それでも何か引っ掛かるものがあって
それが力石の生き様で
そのかわいそうな経験をした対戦相手は、
「食べたくても食べられなかった」のだが、力石は
「食べられるのに食べなかった。
 その結果自分の命を縮める事になっても
 自分との戦いに強烈な意志の力を持って取り組んでくれた」
そう、食べられるのに食べなかったのは
食べたくても食べられなかったのと何ら違う事のない
悲惨な、尊い行為で、その思い切り精一杯の努力をしてくれた力石の思いに応えるためにも、
この対戦相手には負けるわけにはいかない
と考え直して自分自身を乗り越えていくのだが
なぜだかこのシーンが一番覚えている
つまり若い頃の純な精神には、この精神が取り組んだ
「やせ我慢」が極めて格好よく思えたのだろう

それにしても、最近の若いものはみんな本音で語りすぎて
しょうもない、しかし、尊い「やせ我慢」をしなくなった様な気がするけれど
それも寂しい事だ

「武士は食わねど高楊枝」
武士でなくてもこのくらいの気位を持ってみたいものだ(?)


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サッカーオリンピック最終予選 ベトナム戦

2007年11月18日 15時53分26秒 | Weblog
遅くなったけれど、昨日のサッカーオリンピック最終予選
対ベトナム戦
4-0の
結果だけを見れば、まあまあよかった、
と言うところかもしれないが
このチームにはいつも不満が残る

グランドがぼこぼこしていたかもしれないが、
それにしてもミスが多すぎる
パスの速さ、コース、正確さ、それらが?のオンパレードで
こんなんでは先が思いやられる

しかし、こんなに基本的な事がきちんとできていなくていいのだろうか
日本人はアジリティーに富んで早いプレーが持ち味と言っても
コツコツと真面目に(気が利かなくても)正確にやってのける
チームとやったら果たして通じるのかな

本田のアシストとなったセンタリング以外は
FKをのぞいていいボールはなかった
どうも高校のサッカーをみても
正確無比なロンングパスを売りにしている個人やチームがなくて、
足もとのトリッキーさが
過大評価されている気がしてならない

それと球際の強さが日本人同士ならいいけれど
対外国人となると、どうもたくましさに欠ける
(今回のゲームでも少し見られたが)
それは線が細い日本人の体格のせいというより
もっと別の原因の様な気がしてならない

後半、流れが悪くルーズボールがすべてベトナムの方に
いっていた時、確かに我慢するしか手はないかもしれない
それでも誰かひとりくらいは(監督も含めて)
リズムを変えようとしなかったのは
このチームには真のリーダーがいない場合の
パターンに似ていて土壇場の強さには不安が残る

本当はチームが一丸になる以前に
一人一人が確立した大人のプレーヤーであればいいのだが
中田英の言うように、なんだかひ弱な個人を
チームでカバーしているみたいで
その分責任の所在もハッキリせず(公務員みたい)
仲良しチームみたいな印象がしてならない

どちらにしても後一試合
自分は単純に強い方が勝ってほしい
変に日本を応援するより
残酷な程、現実を見させてくれる方が
後々のためになる様な気がするのだが、、、
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やめられない癖?

2007年11月15日 20時49分05秒 | Weblog
3足1000円の靴下
2枚1000円の下着
1980円のパジャマなど
いわゆる求めやすい価格のもの

しかし結果的にそれらは
洗うとすぐに縮んだりなど
ブツブツ言って後悔することが多い
つまり「安物買いの銭失い」というわけだ

もちろん商売としての低価格路線を否定したり
非難するつもりはない
が、最近の自分の考え方の傾向としては
ランニングコストの低いものが安い!
と考えるようにしたいと思っている

気に入った服やネクタイは
何度でも知らず知らず身に付けるから
それが購入時には高くても1回当たりの
金額は低くなる
ところが購入時は安くてもどこか気に入らない
品のない色、デザインのものは結局身に付けないから
1回当たりは高いものになる

これは実は家具や道具についてもいえることかもしれない

しかし、そうは言っても最初に払う金額の大きいものは
ランニングコストは安いと頭で分かっていても
なかなか簡単に求めることが出来ない
今度は「安くていいものだろう」と思いたい
気持ちが優先してしまう

安くていいもの、それは探せばあるだろう
だが満足という点からすれば
高くてもいいものを求めたほうが
外れる確率はずっと少ない

実際のところ
モノはそんなには安くは出来ないだろう
必要以上に安さを求めてしまうと
今の世間を騒がしている食品の偽装、ごまかしの
類の原因になってしまいそうだ

これからは過度に安いものは
メーカーも作らないで済めばいいと思うのだが
この時代無理な話かな?

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