パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

多くの人が感じ始めている事

2009年04月30日 21時54分37秒 | Weblog
たとえば景気が回復しても、
自分達の周辺の環境は(仕事などの)
元に戻るのではない

景気が回復さえすれば
全ての社会的な問題は解決するのではない

物をたくさん所有するばかりが幸せというものでもない

こんなことを多くの人たちが感じているのではなかろうか

前に前にと叱咤激励され
自らも前向きな(?)欲望を感じながら
誰かに想定された夢に向かって歩んできたが、、、

何かがおかしい

幸か不幸か時間がたっぷりあって
普段考えないことも急に考えるようになったら
収入が減っても規則的な、より人間らしい生活の出来る今は
収入が多くても残業や夜勤に振り回された生活よりは
もしかしたら、「よい」のかもしれない
などと感じ始めた人が(サイレントマジョリティとして)
存在するようになった

この傾向は確かに庶民の人が多く、
まだささやきに近いが
発言力を持つ人たちも徐々に声を大きくしつつあるような気がする

つまりは人の考え方が大きく変っていく
いや、変っていかざるを得ない状況になっている
そしてどうすれば儲かるか
楽して豊になれるか、といった問いから
例えば「幸せって何だっけ?」みたいな
根本的な(答えのない)問いを自ら発するようになるのではないのか

ただ残念ながら、おそらくは人は
欲望からは自由になれないだろうが、、、

いすれにしても従来の価値観とは異なった
(現在の反省を踏まえた)価値観が
そのうちに、気づかないうちに広がってくるように思うのだが
これは少しばかりロマンチック過ぎるかな

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2千円札

2009年04月27日 22時13分56秒 | Weblog
先日おつりに2千円札が出た
最初5千円払ってなんで5千円札が入っているのかと
怪訝そうな顔をしていたら
「これ2千円札ですから間違えないように」
と親切なアドバイス
なるほど確かに2千円札
しかし久しぶり、何年ぶりだろう

ところでこの2千円札結局日本では流行らなかった
ヨーロッパでは1の次は2で
1マルク、2マルク
1フラン、2フランと続いていて
日本でも2千円札が出ると聞いたときは
単純にそれもありかな!と思ったが
予想以上の不人気

これは自動販売機に使えないと言うだけでなく
日本人のメンタリティーにあっていないせいかもしれない
575の国では1の次は当然のこととして
5がやってくるのかもしれない

ヨーロッパで2のつく札や硬貨が存在するのは
使う枚数を減らすためなどの理屈があるらしいけれど
どうもこの理屈は日本人には通じなかったようだ

ところで千円台では失敗した2の数字だが
2万円札と言う案は
またいつか出てくるのだろうか?
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ゴーギャンになったゴーギャン

2009年04月25日 18時31分18秒 | Weblog
人は女に生まれない。女になるのだ。

これはボーヴォワールの有名な言葉
これと同じような印象を持ったのが
今日名古屋ボストン美術館で見たゴーギャン展

久しぶりに名古屋に出かけ、ついでに十分電車代の元を
とらないともったいないのでと、どちらかと言えば
あまり好きな方でなく、それだけに気の進まない
このゴーギャン展に出かけたのだが、、、

入ってすぐ意外や意外 彼らしくない(?)穏やかな絵が!
「オスニー村の入り口」と題されたこの絵は
自分が美術全集で見かけるあのゴーギャンの絵とは全く違っていて
柔らかくて、誰かに似てると解説を眺めるとピサロの影響が、の文字
なるほど確かにピサロっぽい
でもなかなかいける

こんな風に最初にいい印象を持ったので
次に眺めるものも抵抗感なくその世界を味わうことができた

「森の中」
タイトル通りの森の中の小道を描いた物だけれど
木漏れ日が差しこむ、いつか自分たちも見たような詩的な瞬間
「わかるわかる、この瞬間をとらえたい気持ち』
確かに画家と言われる人たちは、移ろい行く場面を情感豊かに切り取っていくようだ
でもこの作品もあのゴーギャン風ではない

展示作品は徐々にあのゴーギャン風の絵になっていく
入場者はあまり多くなかったので割合ゆっくり見られるのだが
この手の展覧会、いつも自分はとりあえずざっと通して眺めて(解説文、タイトル見ずに)
そこで気になった物をチェックしておいて改めて丁寧に見ることにしている

それで今日もパパッと眺めて気に入ったもの
「二人のブルターニュ女のいる風景」などなどを眺めていったが
その時に感じたのが冒頭の
「ゴーギャンになったゴーギャン」という言葉
当たり前と言えば当たり前だがゴーギャンも年齢とともに変化していく
そして深くなっていく(一般の人に理解しやすいかどうかは別として)
そして彼の作風に至る

あの有名な
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」は
大きな作品なので壁に一つだけで展示されて
たくさんの人でも見やすいようにされていたが
この作品、いいとか悪いとか以前に「異常に真剣な物 張りつめたもの」が
画面全体から襲ってきて急に心臓の鼓動が早くなってきて
どこか落ち着かなくなってしまった
これは確かに凄いかもしれない!
この実感だけが残った

最後に飾られていた「女性と白馬」は
死の一年前に描かれた作品だそうで
どこか達観したような、初期とは違った穏やかさにあふれているように
自分には感じられた
そして不意にベートーヴェンの後期のピアノソナタ30番の世界みたい!
と、なんの脈絡もなく思い浮かび
ゴーギャンが穏やかな世界を最後に迎えられた心境を
(たとえそれが瞬間的であったとしても)
よかったね!と思わずにはいられなかった

この人、文学的なタイトルを付けるだけあって
しっかり悩んだ人だったみたいだ
そしてそれこそが本当のゴーギャンに至る道だったのかもしれない

それにしても絵画も音楽も、状況が許せば「生」が一番いい



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記憶の中のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン

2009年04月23日 22時12分32秒 | 音楽
今年はバッハ
昨年はシューベルト
その前は国民学派
その又前はモーツァルト
一番最初がベートーヴェン
ゴールデンウィークの最近の自分の中の定番行事
熱狂の日 音楽祭

今年は予想以上にチケットを手にするのが難しくて閉口した
バッハが人気があるのか
この音楽祭の人気が高まってきたのか

いずれにしても3日は結果的には手にすることが出来たのは
大ホールの演奏会だけ
来年もチケット入手困難は続くのか?
(それとも不景気で音楽祭自体が中止のなってしまうのか?)

ところで演奏会の記憶をたどってみると
歳とった所為なのか昨年のものはほとんど覚えていない

反対によく覚えているのが
初回のベートーヴェンの「荘厳ミサ」のグローリア
楽器が演奏を止めて声だけになったときの
その効果のすばらしいこと、すばらしいこと

それまで気にしていなかったグローリアが
こんなに良かったとは
反対に期待したアニュスデイは普通で特に覚えているわけではない
ライブは生き物でなかなか難しい?

モーツァルトの年も覚えているのは
「レクイエム」の自筆の部分だけ演奏したもの
とてもすっきりしていて雑味がなくて
これぞ晩年の天才の仕事
ジェスマイヤーはご苦労さんだけれど力不足と
思わざるをえなかった
それとK364の第2楽章の綿々として
息をするのさえ忘れるような瞬間も覚えている

国民学派の年、良かったのは圧倒的に
フォーレの「レクイエム」

穏やかで決して押しつけがましくなく
品の良い音楽に満たされ
じんわりと涙が滲んできて
そして、それがいつ出てきたのか気づず
いつまでも音楽が続いて欲しいと切に思ったものだった

こんなふうに数年たってからも思い出せる何かが
一つ二つあれば音楽祭に行ってよかった
と言うことになるだろう

さて今年はどうかな?

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人間は進歩してきたのか

2009年04月21日 22時12分25秒 | 
「西欧近代」再考
佐伯 啓思著  PHP新書

改めて、世の中には物事を分かりやすく解説する
能力を持った人がいるものだと感心してしまった次第

こうして考え方、物事の捉え方の推移を眺めていくと
科学技術の進歩と同様にこの手の分野も多くの人の
努力、思いつき、厳密な思考の積み重ねによって
今に至っているのが分かる

そして残念ながら現在おかれている状態が
それほど楽観的に構えて入られないのは困ったものだ

だがこうした実生活には一見何の役に立たないような
考え方を再吟味することは
本当はとても大事なことのように思われる

いわゆる教養課程のような内容の事柄は
人々が判断に困った時の
判断のよりどころになるだろう

効率、便利さだけでなく
意識ある、記憶力のある、そして感情のある生物としての
人間が最後の判断を誤らないために
過去の偉人達が真剣に取り組んできたことを
我々も真剣に取り組まなければ!
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冬青と風信子

2009年04月19日 20時01分52秒 | Weblog
今日テレビを見ていたら
小原和紙を「そよご」を使って
淡い桜色に染める様子を流していたが
興味深かかったのは、そのことではなく
「そよご」を漢字では「冬青」と書くということ

これは麻生さんならずとも読めない漢字(多分)
でもなんとなく意味合いはわかりそうなところが
漢字のいいところ(冬でも青い葉をつけている)

ところで立原道造の詩集にでていた
「風信子」の文字

これは「ヒヤシンス」と読むのだそうだ

なんとなく詩的な字面だけれど
なんでそうなのかはわからない
(理屈ではわからない?)

これらは、そういうもんだ!
と覚えるしかない?
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根本的な問いを改めて考えること

2009年04月18日 21時52分39秒 | Weblog
人間の欲望は無限だから世の中は絶えず物不足の状態
一方
人間が生きていくだけならば
世の中はいかに過剰なものにあふれているか

これは先日読んだ本の中にあった一説

ところで現在この国の人々は
物を多く所有すれば幸せになれる等と
単純に思う人はいないだろう

だがこの未曾有の不況の中
経済を回復させるには、
まずは消費を回復させなければならない
つまり更に物を持つという方向に
進まなければならなくなっている

このモノを持ちたい、持つことが幸せ
というのは確かに発展途上国みたいな状況なら
わからないでもない
だがすでに過剰なものにあふれているこの国では
むりやりに欲望を喚起しなければ
所有したい気分にはならない

ここのところがどこか無理があるような気がしてならない

世の中は困難を乗り越えて
次の時代に移っていくのではなく
まるっきり別の価値観のものが知らないうちに
世の中に蔓延して気がついたら
時代や考え方が変っていた
こんな風に移っていくのじゃないかな

音楽もバロックから古典派、
ロマン派に移行していく時に
バッハを越えていくのでもなく
ベートーヴェンを消化しきった
更なる巨人が出たわけでもなかった
ただ別の価値観の考え方が出現して
しばらく新しい時代を(人々が飽きるまで)
味わいつくす
こういった変遷をしている

だからこの時代の物を持てば幸せ
経済をまずは復活させなければ幸せになれない
と言う考え方も、
もう少し別の視点から幸せを考えていこうというのが
地殻変動の動きになっていくのではないのか
という気がする

しかしこの手の発言をする人々は
社会的には弱者の立場にいる人が多いから
そう簡単にはいかないかもしれない

いずれにしても
「幸せって何だっけ?」
といった問いを改めて一人ひとりが発して
深く考えなければならない時代になってきたのは
間違いないこと、、、と思うのだが

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お風呂と睡眠

2009年04月15日 21時56分21秒 | Weblog
前もそんな風に思うことがあったけれど
ぬるいお風呂に長く入ると
朝まで一気に眠れるような気がする

これは気のせいか
それとも何か理由のあることか?

最近のストレスの多い生活を考えると
ぐっすり眠る方法論を確保しておくことは
全ての人に必要なこと

今日も自分にしては長風呂
さて朝までノンストップで睡眠といけるか?
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今日はベートーヴェンとメシアン

2009年04月14日 22時16分40秒 | 音楽
レコードでベートーヴェンの「田園」
スウィトナー指揮 ベルリン・シュタッツカペレで1.2楽章

CDでメシアン「鳥のカタログ」ウゴルスキ ピアノ
から第2曲
キガシラコウライウグイスを聴いた

どうやら気分的には
自然を感じさせるものを求めているようだ

「田園」はオーケストラのせいかレコードのせいか
やわらかい音色で、音楽と言うよりは
音自身を聞き入ってしまった

メシアンはもしかしたらCDのよさをフルに活用
出来ていたかもしれない
休止部分の静寂、そして急激な音の立ち上がりなど
たまにはレコードに負けないジャンルもあるかも

もっともレコードの音のほうがCDよりもいいと
言っているが、自分の家の条件化では
これは少し不公平かもしれない

レコードプレーヤーがトーレンスTD126 MK-2
フォノイコライザーが EAR 843P-5
カートリッジはDENON DL103

一方CDプレーヤーがMUSICAL FIDELITY A3.2CD
つまり比較する価格帯が
レコードのシステムのほうが大分高めになっているので
それなりの音の違いが出てしまっているのかもしれない

だがもう少し高めのCDプレーヤーを手にすれば
ちゃんと音楽が聴けるかどうかは
どうも不信感が先立ってしまう

どこか聞き比べのできる
オーディオショップがあればいいのだが、、、
(あったとしても自分の家とは違うシステムでは
 きちんとした比較は出来ないかもしれないが)



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今日聴いた曲

2009年04月13日 22時13分14秒 | 音楽
CDでポールの歌う 
「ストロベリーフィールズ フォー エバー」
「ヘルプ」そして 「ギブ ピース ア チャンス」のメドレー

次にレコードでクレンペラーの指揮する
ベートーヴェンの「荘厳ミサ」から
サンクトス ベネディクトス アニュスデイ

このベートーヴェン後期の大作
特にアニュスデイがはじめて聴いた時から好きだったが
今聴きなおしてみても
やっぱり感動する

多分若い時は祈りの真剣さに
そして今は、感情の深さ、
様々な経験を踏まえた上で達した境地と
それを表現する技術の凄さに
改めて圧倒される

ピアノソナタ32番や弦楽4重奏の嬰ハ短調での
どこか、ものすごいところに行ってしまった
と言うよりは、ちゃんと地上にいてつくり上げた感じで
終わり方が少し唐突な感じがしないでもないが
やっぱりベートーヴェンは凄い!

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