一ヶ月前はあれほど何をする気にもなれなかったのが
虫の声が聞こえるようになって
エアコンのない2階の部屋でも寝られるようになると
本を読んでみようという気にもなってくる
最近読んだのは(読んでいるのは)
偶然なのか自分史を綴ったもの
現代音楽作曲家 吉松隆の「作曲は鳥のごとく」
翻訳家(?)大学学長 亀山郁夫「偏愛記」ドストエフスキーをめぐる旅
大学教授 土屋賢二「哲学者にならない方法」
人は誰でも一冊は本を書くことができるという
容易に想像できるように自分のことを書けばいいわけだが
それを書こうとする気になる人はそれほどいる訳ではない
まして人に読んでもらえるような文章となると
それは簡単なことではない
さてこの三冊読んだ順に吉松隆から
といってもそんなに印象に残っているわけでもない
ただNHKFMで声を聞いていた時にそんなに窮乏していたとは
想像できなかった
この本の推薦文にあったピンクフィロイドのことが
もう少し書かれているかと思ったら
案外さらっと流されていて少し拍子抜け
この本の興味深いエピソードは吉松隆氏がギターの
ヴィブラートを人から教えられずに音の響きの美しさを
発見して、すごい発見をしたように興奮気味に伝えようとしたところ
結局は昔からある奏法の一つで単に彼が知らなかっただけのことだけれど
自分が発見したことの喜び(それが最初でないとしても)は
その後の生き方にも影響するのだが
この部分は自分も大いに納得できる
既に誰かが思いついたり発見したことでも
自分の頭で感じたり生み出したように思えるものは価値があるということ
もっとも科学の先端争いの部分ではトップこそが価値あることになるのだろうけれど
亀山郁夫の本は4.5ページくらいで構成される
日記風の文章で、この日記の時間は決して
物理的な順番通りではなく気分の(テーマの)
導くままと言った感じ
この本は面白かった、余韻もあるし
自分がドストエフスキーにハマった時のことをつい思い出してしまった
行間に様々な思い・感情が込められている
これは若い時代には出来ないことかもしれない
3番めは現在読んでいるところ
ある書評に「実業家が地面に落ちているお金を見逃すことが出来ないように
ある種の人間は人生の秘密を知る(といった)とてつもなく
面白いことを見逃しておくことは出来ない」
こんなニュアンスで紹介されていたが
この書評の気持も分かる
多分、自分も何か普遍的なもの(があるとしたら)
言葉で何とか分かることが出来ないか
と考えることしばしだからだ
だが、本半ばだが想像したのとは違う話に
展開していきそう
要は自分で感じること、考える事が大事
みたいなオチになっていきそう(?)
もう少し理屈で攻めることを期待していたのだが、、、
何れにしても、秋はようやく気力が復活する
夏にサボった分挽回しなくては
(何も考えないと馬鹿になりそうな恐怖心がある)