パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

心配な、人間の品格!

2007年01月25日 21時25分56秒 | Weblog
朝のこと、通勤途中、信号待ちの前の車が
サイドウィンドウが開いたと思ったら
火のついたタバコを!ポイ

テレビでは給食費を平然と払わない人々が
半端じゃないくらい多いと報道されていた

不二家は分からなければいいやと
期限切れの材料を使い

テレビ局は自分に都合のよい劇的な結果を要求し
制作会社は平気で嘘のデータを捏造する

いったいどうしてしまったのだろうか?
昨年は「国家の品格」という本と言葉が流行ったようだが
「人間の品格」をあらためて思うと
今のこの国の人間に(自分も含め)品格はあるのだろうか?

祖母は借金が大嫌いだった
他人に借りがあるのは嫌いだった
借りたものは返さなければ気持ち悪がった
また、なにか悪いことをしようものなら
恥ずかしい、と思っていたようだ

この「気持ち悪くなってしまうとか
恥ずかしいと思う感覚」は
実はとても大事なことではないだろうか

今はいろんな不祥事が頻繁に起きているので
それらを防ぐ方法として罰則を強化して
抑止力を期待しているが
本当は少し理想主義的過ぎるかもしれないが
何か悪いことをしたら、なんだか胸のあたりが
気持ち悪くなるような教育したほうがよいのではないのかな

道徳はどうやら自然発生的に備わってはいないようだから
あるべき姿を何らかの形で教育していったほうが
罰則ばかり強化する対処療法よりは
最終的には現実的なような気がするけれど、
甘いかな?
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「華麗なる一族」をオンデマンドで?

2007年01月23日 21時11分14秒 | Weblog
なんと言ったかなあ!
顔も浮かんで、ここまで来てるのに
なんだったけ!
ああ、気持ち悪い、
ええと、、、、、
最近はこんなのばっかりだ
、、、、、

そうだ佐分利信だ
たしかこの人だ
映画の「華麗なる一族」で
圧倒的な存在感を占めていたのは

何年か前、何故この映画を見たのか分からないが
(自分が見るパターンの映画ではなかったので)
食事のシーンと佐分利信の渋くてたくましいとこだけは
(そこだけは?)覚えている
そして、その映画は結構面白かったように思う
小さなほうの銀行がが大きなほうを抱き込んだような
内容だったように記憶してるが
今でも覚えているのだからやはり良い映画だったのかな

と言うわけでキムタク出演のテレビの「華麗なる一族」
見ようかなと思ったのだが
やっぱりダメだった
つまりテレビ画面の前で1時間近くドラマを見るのは
自分にとってはしんどくて仕方ない

この話は面白そうなので、物語を再度味わいたいなら
本を読めばいいや
と思ったから簡単に見るのを諦めることが出来た

つまり、どうやら自分にとって本という媒体は
オン デマンドで自分の好む時間に楽しむことが出来るのに
テレビは時間に支配されてしまうようで
どうも好意的には思えないらしい
(ビデオで見ようとは思わないようだ)

人によっては本は面倒と思うかもしれないが
自分にとってはテレビのほうが面倒かもしれない

だが情けないことに、目がしょぼいことになってきている
老眼、疲れ目、
そして記憶力の低下による人名、キャラクターの忘却

でもやっぱり本のほうが好きかな
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アバドは変わったかも?

2007年01月22日 21時57分36秒 | Weblog
NHKのFM番組(クラシック番組)を途中から聞くのは
結構楽しめる事柄だ。
知らない曲の場合は、作曲家は誰だろうか?とか
この作曲家どの国の人だろうか?
また、曲を知ってる場合は
この演奏家は誰だろうか?
どこの国の人か?
年齢はどうだろう?若い人か?大家か?
そんなことを勝手に想像して楽しんでいる。

ずっと以前、もっとクラシック音楽を頻繁に聴いていた頃は
これが結構当たった
何故だか知らないけれどオーケストラやピアニストの国籍は
なんとなく分かった
音色が違ったのかもしれないが、今よりもっと地域ごとの
音色の違いがあったような気がする

ところで今日、帰宅時のNHKのFMで
マーラーの6番、悲劇的をやっていて
第2楽章の途中から車の中で聞いたのだが
誰がやっているのか新聞でも見てなかったので
久々にいろいろ想像してみた

まずはこの演奏は確かにライブの演奏だと感じた
静寂の密度が濃くて
ライブでしかできない演奏の味わいのように思えた

そして指揮者、これはヨーロッパ人だろう
ヨーロッパの歴史を背負った人の演奏だと想像した

さてオーケストラは?中欧のオーケストラかな
指揮者の年齢は比較的若いかな?

演奏自体は自分の好きなほうに入るかな!等など
好き勝手に思ったのだが
家に着いて新聞の番組欄を見ると
クラウディオ・アバド指揮
ルツェルン祝祭管弦楽団演奏会とあった

意外!が
正直な感想だ。
アバドは実演ではウィーンフィルでベートーヴェンの5番、6番
聞いたのだが、その時はフレーズをかっちりする人で
端正だけど、、、と思ったし
レコードで聞いたマーラーの2番も緊張感はあったものの
自分は好きじゃないなと思ったのに
今日はいろんなものを受け入れているみたいな
懐の大きそうな、やはり端正な演奏だった

年齢を加えるということは
人を変えるものだ
アバドはいい歳のとり方をしたのかな
と思ってしまった


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あるある大辞典、テレビ的な結末?

2007年01月21日 15時13分24秒 | Weblog
テレビを見ないと言ってる割には、
またもやテレビの話

あるある大辞典、納豆のデータ捏造の件

これでフジ以外の局
または新聞社、雑誌社は追及しやすくなっただろうな!
(他局は)自分のところでもギリギリ(?)かもしれないけれど
いまのところばれてないので善人面して
あってはいけないことと
フジの姿勢を攻撃するでしょう

しかし、自分は始めからテレビ番組の実験のデータなど
信用していない
第一その実験自体が非常に大雑把で再現性や正確性が
確保されていない
たった一回の実験でこうだと言い切ってしまうのは
いくら時間がないと言っても独断過ぎるのに
確定した事実のように話すのは
テレビ的だとしてもあまりにも軽すぎる

テレビ的。
それはメリハリがしっかりしていること!
結果が刺激的であればあるほど好まれると
制作側が思っている傾向のこと

テレビは必ずしも現実を反映していないのは
最近は多くの人が分かってきたことだが
それでも影響力はまだまだ強大だ

だからテレビ局の取り上げ方一つでブームが
出来てしまう
そして、残念ながらそのブームは必ずと言っていいほど
皮相的なものとなっている

選挙時の刺客、偽メール事件の議員を辞めるやめない問題
かたいと言われるこういった話題でも
本質的な問題より、面白おかしい話題に
強引に持っていき、視聴率が取れているから
大衆はこのような番組を望んでいるのだと
全局が錯覚してしまって
みんな同じような番組を作ってしまう

そして、怖いのはいったん出来上がった雰囲気や
流れに反するような意見を述べにくいこと
以前のイラクで捕虜になってしまい
いつの間にか自己責任と言う言葉が独り歩きした問題
自分として彼らは全然あのように非難される対象では
ないと思っていたし
むしろよくやったとさえ、思っていた
しかし自分らは巷で勝手なことをいえても
テレビに出る人はあの頃自分らと同じようなことを
平気でいえたかどうかは大いに疑問だ

テレビにそんなに高尚なことを求めていない、としても
あまりにも大雑把過ぎる実験を
歴然とした事実のように扱う姿勢や態度
そして世論を知らず知らずに
痴呆じみた方向に持っていくのは
自らブレーキをかけてやめてほしいし
もう少しテレビ局に
謙虚さ正確さを持ってほしいものだ


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悲しいに決まってるニュースは流さない方がいい!

2007年01月20日 18時35分17秒 | Weblog
またいつものテレビ的なニュースだ
風見しんごの長女が交通事故で亡くなったのだが
テレビ局はこういうとき絶対ほっておかない
こうしたタレントと言われる人でなくても
テレビ局が視聴率を取れそうと思った事柄では
悲しくてそれどころではない状況でも
馬鹿みたいに分かりきった質問を
それらしい顔をして非常に聞いたりする

テレビ局は視聴者が見たがっていると
弁解するかもしれないが
こういう映像は流さないようにしたほうが
いいのではないだろうか

NHKで例のボディースーツに抗議した人も
このことには鈍感になっているのではないのか
外国では当然のこととして
直後の遺族に質問をするようなことはしないとか

テレビ局は視聴率より
価値あるニュースを流すようにしないと
いつかしっぺ返しをくらいそうな気がするのだが、、、

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早熟の天才の誕生日!

2007年01月19日 21時29分39秒 | Weblog
今日は宇多田ヒカルの誕生日だそうで
ラジオで「automatic」が流れていたが
この当時の彼女の年齢を思うと
ぶっ飛んだ才能と見ることが出来る

久々に聞いたのだが、この歌結構歌うのに難しそう!
それをちゃんと歌っているのを感心するのではなく
編曲を誰がやっているのか知らないけれど
コーラスをかぶせたりするのが
ひどく効果的で音楽的にも納得してしまう

だがその後のアルバムは、それなりにいいけれど
残念ながら力技に頼っているみたい?
若さの勢いだけが現れていて
ファーストアルバムほどのアルバム全体のメリハリがない

アメリカでも発売されたアルバムは結果的に
セール的には?だったかもしれないけれど
クレムリンなんとか言う曲は良かった!
エドガー・アラン・ポーの詩にインスパイアされたそうだが
アメリカのショービジネス社会にはインテリすぎた?
あのアルバムの写真も、なんか日本人と言うよりは
アメリカ人の創造するアジア人みたいな感じで
なんであんな写真を許可したのか不思議に思ったものだ

話は変わるが宇多田ヒカルの関心事は
将来は文筆家の方向に行きそうな気がしている
ま、どうでもいいことではあるが、、、
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卵に醤油をかける?かけない?

2007年01月18日 21時32分48秒 | Weblog
またもや吉野家での話。
今日は時間がなくて手っ取り早く済ますために
立ち寄ったのだが注文したのは例のごとく並盛り、卵

すぐ後に注文した人も並盛り、卵、味噌汁で
やっぱり牛丼には卵だよな、と思ったのだが
その人、卵をかき混ぜた後、醤油をかけていた
自分は醤油はかけないので、
あれっ、あれじゃ辛くないかな、と見ていたら
かける際に肉やたまねぎを箸で横にずらし
ご飯だけにかかるようにしていた

なるほど、卵のぶっ掛けご飯に肉、たまねぎの味付けが
載っている感じだ
一方自分のほうは卵とじみたいなものかもしれない

どっちでもいいけれど、
牛丼に卵の人、醤油かける、かけない
どっちの人のほうが多いのかな?

話は変わるが、先日友達と飲んだ時
焼酎のお湯割りは、
先にお湯をコップに入れてから
後で焼酎を注いだほうが
味がやわらかくて美味しくなると教えてもらった
これは知ってる人は知ってることらしい

イギリスではミルクティーの作り方も
先にミルクかお茶かで論争になるらしい

こんな論争やこだわりは平和な証拠?
それとも単に食いしんぼなだけ?


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人間は進化(進歩)してる?

2007年01月17日 21時15分30秒 | Weblog
トイレの落書きではないが、
今日昼ご飯に入った店のトイレに色紙が飾ってあって、そこには
「歳をとれば徳を積んで、みんなから慕われるようにして
お金はお墓まで持っていく事は出来ないので執着せずに生きなさい!
というのは表向きの事で、お金があればこそ尊敬されたり、
大事にしてくれるから、お金に執着する事は大事だ」
というようなニュアンスの事が書かれていた

なるほど、これも現実的には真実だろう
そういえば、お金についてはハムレットの中にも
「友達にお金を貸してはいけない、友情がこわれてしまう」
みたいなセリフがあったように記憶している
これもまたシェークスピアが体験した真実だったのかもしれない

感情には厳しく響いたり、美しくない考えだが
こうした現実的な考えは人間の一面を現していて、
なかなか深いものがある

現実的な対応とか対処方法については
中国古典の「韓非子」がいやになるほど人間洞察に満ちて
現実的で読んでおいて損はない本だった

また全部読んでないが「葉隠れ」にも
現実的な対処方法が書かれていたように記憶している
確か、上司が間違った考えにとらわれていたら、
正してあげなければいけない
だが、直接言ったりするのは角が立つので、
別の話をして気がつくようにさせる(だったかな?)

とにかく「武士道は死ぬことと見つけたり」みたいな
堅苦しい話ではなく、むしろ人間観察の鋭さが随所にあって
それを楽しむべきみたいな気もしたのだった

それにしても、古典が今も、このように生命力を持って我々に迫ってくるのは、
科学技術の部分は進歩しても
我々の感情とか心の部分では少しも進歩していないからに違いない

いや、もしかしたら、科学分野の面でも
実はそんなに進歩していないかもしれない
どうも人間のする事はどこか間が抜けている様に思えてならない

だから、人間は万物の霊長!みたいに威張る事なんかしないで
自らも間違いだらけの生物!と考えた方が
それこそ地球にやさしいと思うのだが、、、


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納豆不足、横並び、共時性、そして嫉妬。

2007年01月16日 21時57分09秒 | Weblog
最近食料品店では納豆が品不足らしい
なんでもテレビで(あるある大辞典で)
納豆ダイエットを放送したからだそうだ

またもや毎度の騒ぎだ
本当にこの国の人は熱しやすい
(そして冷めやすい)
みんながみんな同じほうを向きやすい

この国にいると(平和ボケしているので?)
戦争なんてこちらからは絶対仕掛けないし
仕掛けられたって逃げ出す人のほうが多いように
思ってしまうのだが(それは悪いことではないと思うが)
外国の(アジアの)人々でこの国に恐怖心を持つのは
実は右寄りになっていくことではなく
この一気に熱しやすく、みんなが同じ方向を向くことらしい

今は納豆、バラバラ殺人事件、紅白のヌード(?)騒ぎを
一般の人は消費している
そうなってしまうのは、日本人は農耕民族で
田植え、刈り取りもみんなで一緒に行うようになっているので
そのDNAが残っていて、ついつい横並びになってしまう

そんなふうに考えたのだが
全く同じことを今日の昼に
ラジオのパーソナリティーが口にした
偶然の一致(共時性)なのだろうか

そう言えば朝 iPODでエルトン ジョンの
「ハイアントンの思い出」を聞いていて
少女が大人になるのを感傷的に歌うのは
井上揚水の「いつの間にか少女は」もそうだな、
等と思っていたら、しばらくすると
シャッフルしていたiPODから流れてきたのは
まさにその曲だった
こんなことはわりとあることで
こういうときはバイオリズムがいいほうだと
思うことにしているが
今日の全く同じ思いはあまり良い気分ではなかった

自分が考えた独創的ではないにしろ
一般的ではない考えと思ったものが
そんなに簡単に発言力のある人に(ラジオのパーソナリティーに)
言葉にされてしまったのがチヨット残念な気がした

「そうそう」と再確認できたと思えばいいのかもしれないが
余裕のない今日は理由もなく嫉妬してしまったようだ





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マニュアル以外は出来ない?気づかない?

2007年01月15日 20時44分06秒 | Weblog
「早い、安い、美味い」
の額面どおりとはいかないまでも、吉野家の牛丼、
財布がピンチの時とか時間がないときなど
おおいに助かったり
無性に食べたくなったりする

といっても最近は行ってなかったのだが
今日の昼、改装してからやっと出かけた

牛丼が380円になったのだが
290円の時代の店よりも多少グレードアップしたようだ
メニューも少し増えたような、、、

行く時は決まって 並み、卵を
判で押したように注文するのだが
今日は座ったカウンターの席の2,3となりに
食べ終わったドンブリと箸が置きっ放しになっていた

なんだか邪魔くさいなあ、と思うのだが
片付けにくる気配がない
忙しいのかな、と見渡すと必ずしもそうではなさそう
男のバイト君はボーッとしている

やっと年配の女性が気がついて片付けに来たのだが
フト、こういうことはマニュアルには書いてないのだろうか
と考えてしまった

目の前に起きている状況を自分の目で確認して
自分の考えでよいと思うことをする
そんな当たり前のことが、もしかしたら
マニュアルがなかったら出来ないのだろうか?

そう言えば自分らのサッカーの子供たちも
(子供だから仕方ない面はあるが)
コートを描いているとき
大人がバタバタしていても残念ながら手伝おうと
知恵を働かす人間がいない
やはりボーッと眺めていたり談笑してるだけ

自分で仕事を作るとか探すという感覚は
どうもないらしい

昔もそうだったのだろうか?
それとも、これは最近の傾向なのだろうか?
言われなければ何も出来ないような
指示待ちの人間が増えているような気がするのだが、、、
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