パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ドアノブがない?

2008年04月30日 21時03分25秒 | Weblog
一台の赤い車が追い抜いていった
この真っ赤な色と筋肉質のボディーはアルファ・ロメオ!
とすると2ドアかな?
そんな風に思い、よく見るとどうやら4ドアの様
なんだ4ドアか!と思ったのもつかの間
妙なことに気がついた
後ろのドアのノブがない!
あれっ、いったいどうやって開け閉めするのかな?
確かに4ドアだよな、ドアの形の区切りのラインもあるし、、、

どう見ても4ドア車のようだ
うーん、さすがイタリア車、デザイン重視で
ドアノブを取っ払ってしまったのかな?
確かにない方がすっきりした感じにおさまるようだけれど
不便じゃないのかな?

だがこの思い切りは、ある面凄い!
イタリア恐るべし!
あれもこれもと欲張りで、今ひとつ中途半端な
どこかの国とは違う!

何故かこの車は男の持ち物!
そんな気がしてならなかった

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残念ながら、力を持つのは無神経な人多いかも

2008年04月29日 20時53分24秒 | Weblog
最近、よく耳にしたり目にするのが
「たがの外れた資本主義」とか
「行き過ぎた資本主義」の言葉

確かに今の状態では、おおらかに資本主義万歳!
とは言いがたい
富むもの、貧しいものに両極化していて
普通の努力ではいかんともしがたい状況になりつつある

様々なことは市場に任せておけば平衡状態にいたり
妙な制限や介入はいろんなことをおかしくする
と声高に叫ぶ人もいるが
その前提として、人が人間らしい感情を持っていることが
必要不可欠となる
つまり、困っている人や弱い立場の人をほってはおけないとか、
なんらかの手助けをするとか
自然発生的とまでは言わないが、
それでも一般的に感じる様なやさしい感情が人に備わっていないと
そうした予定調和の様な平衡状態にいたるようには思えない

残念ながら現在は人の気持ちを慮るタイプの人よりは
自分だけよければ!というタイプの方が
社会的に力を持っている
(上に立つタイプはえてしてこのタイプが多いのも事実)
だから社会が正しい方向におさまるのではなく
力のある人々の都合の良いようにおさまるのだ


目先の利益のある事柄に人は弱い
現在がなければ未来は存在しないから
現在を大事にするとの考えだが
未来を過剰に不安視しつつあるのも事実だ

年齢を重ねると、いろんなことに疑り深くなってくる
素直にとれなくなって来たのは残念だが
何らかの形でこの疑り深い点を活かせれば良いのだが!
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もう少し怒ってもいいのでは

2008年04月27日 08時59分57秒 | Weblog
ガソリン価格がまた上がるようだ
暫定税率の維持が衆議院で可決されるからなのだが
それにしても、自分も含めてみんな
怒らないなあ!

自分の立場からだけで判断するのは、どうかとも思われるが
自分の実生活に直結している問題でも
まるで人ごとみたいな
いつか誰かが良いように、やってくれるみたいな
お上頼りの姿勢がどうも見られるみたいで仕方ない

後期高齢者医療制度の問題にしても、そう
なんとなく腹は立てているようでも
まだどこかにのんびりした感じが残っている

どうもこの国の人たちは、自分も含めて
自分たちが何かを変えていくという意識に乏しいようだ

従順に我慢強く頑張るのは得意でも
積極的に何かに向かっていくのは苦手らしい

それは野球というスポーツが
監督のサインに従って行われていき
その采配の妙を味わっていた国民性が
常に自分の判断で、効果的にプレーしなければならない
サッカーというスポーツを今ひとつ
楽しみきれないでいるようなところからも想像できる(?)

我々はもっと怒るべきで、
そのことを形に出すべきではないだろうか

反対に若者たちはすぐにキレると言われ
腹を立てているように見受けられるが
腹を立てている内容が、あまりにも身の回りの
些細なことに終始しているようで
社会悪なんかの問題には腹を立てるどころか諦めてしまって
対抗策などを考えようともしない(?)

怒るべきタイミングに、しかるべき程度の強さで
その怒りを表現する!
こうしたことができることが、実は真に成熟した
社会なのではないだろうか
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それでいいのか?

2008年04月24日 21時24分25秒 | Weblog
最近車の調子が悪い
そこで修理工場に持っていくと
さも当たり前の様に
「5年間10万キロが一般的な国産車の保証期間
 それ以上だと、どこか悪くなったりするし
 直してもメリットがないし、、、、」
とのこと
こんなことは車に限らず割によく聞く話だ

話は変わって知り合いがデジカメを買った
通販で手に入れたのだがおまけにプリンターがついている
しかし彼の持っているパソコン、
OSが98のためドライバーが対応していないとか
またUSBメモリも安くなったのはいいけれど
これも最近のものは98SE以降しか使えないとか
(しかもネットでドライバーをダウンロード)

そういえばiTunesも新しいOSでないと充分な機能が発揮されないらしい

本当にこんな話ばっかりだ

確かに新しいものは性能が良くなっていて
以前のものの改良がなされ使いやすくなっていたりする
しかし、だからと言って前のものが
こんなに簡単に打ち捨てられてしまうのは
なんだか変な気がしてならない

車にしたって、5年くらいで古くなって
新しい車を買わせようとするよりは
もっと長持ちするようにつくり
メンテナンスの体制も整えておくべきではないのだろうか

そんなことをすれば経済が活性化しない!
等という様な声が聞こえそうだ
とりあえず、ちゃちゃと目新しいものを商品として
売り出して絶えず飽きさせないようにする
果たしてそれがエコをまことしやかに標榜する企業の
正しい姿勢なのだろうか

なんだか本当にいろんなことがおかしい!

苺の最盛期は最近は2月らしいが
自分が小さな時、
祖母が畑でつくったものを食べさせてもらったのは
今頃だったように記憶している
勿論温室なんかではない

今畑でつくったところで高く売れない!
という理由で、
より珍しいであろう2月に農家は油を炊いて
収穫するようにしているのだろうが
なんだかなあ、、、

こんなことを考えると
他にも不平不満がまたまた出てきそう

やっぱりちょっと世の中、
変じゃないだろうか





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モーツァルト、その不思議な存在

2008年04月22日 22時27分57秒 | Weblog
2、3日前から駐車場に野性のすみれが咲いていて
それを今日デジカメで撮影し
通勤途中で聞いたNHKFMから流れてきたのが
モーツァルトの「すみれ」
それで、久しぶりの共時性!
などと思いながら耳を傾けていたが
モーツァルトは耳に心地よいけれど
よく聞くと単純な繰り返しはなくて
それこそ人間の移ろいやすい気分を
よく現しているように思える

モーツァルトの後でシューベルトの歌曲を
3曲放送したがモーツァルトの後では
どこかゴツゴツした感じが否めない
もっとも、それだけ素朴ということかもしれないけれど

年を重ねるとモーツァルトの凄さが分かってくる
といわれるのは理解できるような気がする
というか、自分もそんな風に思うようになった

大げさなことをしなくても、
スッと自分の表現したいことを
完璧にバランスよく、しかも美しく
まるでおしゃべりのようにこなしていくモーツァルト

チャイコフスキーなんかを聞いた後は
そのあまりの大仰さに少しばかり参った心を
モーツァルトの音楽はホッとした安心感を与えてくれる

だが反面確かに怖いな!
と思うことがあるのも事実
音楽が怖い!というのではなく
その完璧さゆえの畏怖みたいなものを
感じてしまう瞬間があるということ

モーツァルトのどの曲がすきか?などと
生誕250年の年、アンケートに答えたことがあったが
正直なところ気分によって変わってくるから
それは答えづらい!
答えにはなっていないかもしれないが
一番心情に近いのは
モーツァルトという存在が好き!

本当にモーツァルトを楽しめる人は
幸せだと思う

自分が精神的に落ち着いているかどうかは
どうやら
モーツァルトの音楽を楽しめるときは順調!
そうでないときは不調!のようだ

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官僚、公務員の暴走を止めてくれ!

2008年04月21日 22時26分01秒 | Weblog
それが現実的にはどうやって進めていくかは
自分の時点では分からないが
出来たならば大いに国民に受ける
と思われるマニフェストは
公務員、官僚の暴走、不祥事を
ストップさせる政策だ

次々に明るみになる官僚のでたらめさ加減
公務員の無責任な体質
それは一般庶民から見れば
それでやっていけること自体が
信じがたいことだ

もちろん一生懸命働いている公務員、
官僚もいることだろうし、
そうでなくては困るが
全体的なイメージでは、
官僚システムは今はもう楽なほうへ楽なほうへ
自分が得になるようにと形骸化しているように見える

それを許してきたのは自民党なのか
それを選んだ国民か分からないが
すくなくとも、そろそろ
自分は官僚、公務員の暴走を止めて見せます
と宣言する人間が出てきてもよいと思えるのだが、、、
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今日の練習は合格点!

2008年04月20日 15時57分42秒 | Weblog
やっぱり終わった後は、喉が痛かった
しかし心地よい満足感があった

今日は少年サッカー定例の練習日
先週落ち込んでいた4年生の彼が気になっていたので
早速探して表情を見ようとしたが
友達と肩を組んで何やら話し込んでいるよう
どうやら引きずってはいないようだ

それでも
「今日は自分のしたいことをまずしなさい
 それが味方と同じでも
 自分がやりきりなさい」
とだけ告げて自分の担当学年に戻った

それにしても
1.2.3年生はまだまだ、わがまま盛り
当たり前といえば当たり前かもしれないが
集中が続かない
すぐにふざけたり手を抜き出したり
つまりはすぐに自分の世界に入ってしまう

1年生も4回目くらいになると、
そろそろ個々の差が出始めている
好きで好きで仕方ない子や
走るのが速い背の高い子は、最初から割合真面目にやっているが
友達に連れられて来た!と思われる
少しばかり時間がかかりそうな子は
先週あたりからポツンと早い時間に
自分の世界に入っていたが
今日のゲームどういうわけか(多分親御さんが見ていた)
頑張ってボールを追いかけていた
決して上手いとは言えなかったが
今までよりは明らかに積極的だった
そこで帰りに「今日は上手かったね!」
と言葉をかけると大きくうなずいた
「自分でもそう思う?」
と重ねて聞くと、やはりうなずく

正直なところ、この子、どうやって皆とあわせていったらいいか
少しばかり悩んでいたところだったので
ホッとした


子供たちは自分で上手くなっていく手応えが感じられるときは
声をかけるとアドバイスが素直に聞く状態になって
本当に上手くなっていく

だから我々は子供たち一人一人をよく見なければならない
皆が同じタイミングで上手くなっていくわけではない

我々は伸びるキッカケの発見や、
才能を伸ばすのを手助けしているに過ぎない
伸び伸びと楽しく!
まずはそれからでいいのではないのだろうか

自分が肯定されて認められれば
彼は安心感を得て、なんだか知らないけれど楽しい!
そんな時間を過ごすことができるのではないのか

ところで4年の彼帰りに
「今日はどうだった?」
と聞くと
「1点取った」
と自慢げに答えた
「エライエライ!やればできるじゃん。
 調子がいいのは2.3週間続いて
 その時一気に上手くなるから
 しばらく一生懸命練習しなさい」
と声をかけたが彼はこれで安心だろう

本当に子供たちに必要なことは
キッカケ、自信、そして見守っていられるという実感を
持たせること

その意味では今日の練習は、
それ自体は上手くいったとは言えないが
別の分野で上手くいったと言える

気長に気長に子供たちと付き合って
子供たちのかくれている才能を伸ばす
これは本当に楽しい
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ゴールデンスランバー

2008年04月16日 20時48分08秒 | Weblog
ゴールデンスランバー
伊坂幸太郎著 新潮社刊

この本を手に取ったのは、なにも本屋大賞を受賞したと
書かれた帯の広告のせいではなく
タイトル「ゴールデンスランバー」に惹かれたにすぎない

ゴールデンスランバーはビートルズの実質的最後のアルバム
アビーロードのB面 メドレーの中の一曲で
いったいこの曲をどうしてタイトルに名付けたのかが
気になったから読んでみようという気になった

そういえば何年も前、「ノルウェーの森」も
同じ様な理由からだったが、、、

それにしてもアビーロードのあのメドレーの部分
やっぱり多くの人に感動というかインパクトを与えているようだ

自分も確かにYou Never Give Me Your Money からSun King
Mean Mr. Mustard、リズムの激しいPolythene Pam、
そしてつながり方が好きなShe Came in Through the Bathroom Window
を経て問題のGolden Slumbers
それから映画「イマジン」ではジョンのファンがジョンの作品と間違えた
Carry That WeightからThe Endにいたる流れは本当に音楽的で
ロックとかPOPSとか言う次元を越えて素晴らしい!と素直に思う

You Never Give Me Your Moneyのメロディーが再現されるのは効果的だし
いろんな意味で完成度が高い!と思っている

そのアビーロードの1曲をタイトルにしたこの作品
実質3日で読んでしまった
一気に読ませるストーリー展開は飽きさせないどころか
作者の力量が優れていることを伺わせた
一難さってまた一難、そして時間の重層的なところも
わかり難いより、親切な説明的で読み飛ばすには助かった
そして時折の気の利いたセリフも!

ただこの気の利いたセリフ的なもの
あまりにも頻繁に出てくると少しばかり
うるさく感じられて仕方なかった
(もう少し、こじゃれた会話は少なめにした方が
 話にしらけないで済んだみたい?)

結局、犯人は誰だとか、どのような組織が仕組んだことなのかは
明らかにされず、最後のカタルシスは未消化に終わってしまったが
この本はハラハラドキドキで楽しめばよい類いなのだから
それはそれとして、さすが本屋大賞を取っただけのことはある?

でも、ホントのところ、もう少し重くてもいいかな
少しばかりご都合主義過ぎて、
またあまりにも狭い範囲で関連しすぎていて
まとまりは良いかもしれないけれど
スケールが小さくなってしまった様な気がする

といっても、さて自分たちがこの様な荒唐無稽な話を
書こうとすると、それはまるでできない話で
(別に自分との比較をする必要はないが)
考えてみれば作家という人物はたいしたものだ

さてゴールデンスランバー
どんな風に扱われているかといえば
正直なところ少しガッカリ!かな
扱い方が感傷的すぎて、自分的にはあのメドレーの凄さを
もっと出してもらいたかった

ただ最近ブレーキがかかっていた読書に
読み始めのキッカケを与えてもらったのは
ありがたかった?





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責任をとらない国

2008年04月15日 22時07分58秒 | Weblog
最近、残念ながら思うようになったのは
この国は(今は)弱いものいじめの国!
そして
誰も責任をとらない国!
ということ

公務員は責任の所在をハッキリさせないシステムで
行動しているし
一般社会にしたところで、過去のデータを引っ張りだして
安心したいだけの理屈を、誰かが言った事にして
真に責任を取るという行いをしていないように見えて仕方ない

政治の責任と言ってみたり、マスコミの責任と言ってみたり
また官僚の責任と言ってみたり、国民の責任と言ってみたり
いつも責任の所在がうやむやにされることが多い

ほんと自分も含めて、ずるいなあ!
情けない!
困ったものだ!
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きっかけ

2008年04月13日 16時06分16秒 | Weblog
少年サッカーも新年度になって昨日で二日目
自分は今年も1.2年担当で、
日本語のわからない宇宙人とのバトルが
喉を痛めながら続けられるわけだが
今日は高学年、4年生以上だけ
同じ地域のサッカークラブとの練習試合が行われた

試合になるといつも悩むのは選手の起用
多すぎてどうしても試合に出られない子が出てしまう場合
練習によく来ている子を出すのはいいとしても
出てきても今イチおとなしかったり
プレーが遅かったり、ひ弱だったりする子は
どうしてもスターティングメンバーから外れてしまう

まして4年以上になったりすると
勝負のこだわりが大人の方にも大きくなって
戦力的に不安な子は使われづらくなっている

それでもかわいそう!ということで
キーパーなどをやってもらうことになると
キーパーは本来センターフォワード並みの
能力が要求されるものだから
おとなしい子はオドオドするばかりで
なかなか上手いかない

今日もそんな子がいた
ここ数年自分は低学年ばかりだったり
中学年を見たりして
その子のいる学年を見られなかったのだが
確かに試合に出られないかもしれない
プレーぶりだった

キーパーでボールを上手く受けられない
そして大きく蹴ることができない

だから彼は少し出ただけで
次はピッチの外で試合を眺めているだけになっていた

しかし、その姿はひどく落ち込んで、
しょぼんとしているようにみえた

小学生でも身体能力の差はいかんともしがたいことがある
早生まれのこと普通に産まれた子では
だいぶ差があっても不思議ではない

彼もひ弱な感じがしたので
何月生まれ?と聞くと
12月との答え


「いい僕!これからね、足腰が強くなったり
丈夫になったりするには
練習の始めにいつも行うダッシュを
意識的にしっかりするようにしなさい!
人より多くやったり真剣にやればきっと
一年もすれば絶対丈夫になるから」
と声をかけると
今まで我慢していた感情が一気にあふれて
目から涙が、それこそポロポロと流れ始めた

自分もそんな姿に驚くと同時に
切なくなってもらい泣きをしてしまいそうになった
彼はどんなに悔しかったことだろう!と

上手くできていない子は、たいがいの場合
元気なこの陰に隠れて無視されてしまう
彼もそんな悩みを発散する場所もないまま
今日を過ぎてしまうのはとてもかわいそうだった

それで思いつくまま、彼のなすべき練習方法を
1対1で教えてみた
低学年の場合、スピードや力強さはなくても
そのプレーが非常にきれいにできる場合がある

試しに彼にドリブルの仕方をアドバイスすると
大きくボールを蹴って走るのではなく
きちんとボールを足下から離れないように
運ぶことができる子だった
(それは1年の彼の弟がドリブル大好きで
元気いっぱいなのを思い出して
同じDNAなら得意とするプレーも同じだろうと
仮定してやらせてみたのだが)
実際、予想以上に早く円滑にできるようになった

今度はドリブルからの反転をインサイドでやらせてみると
まだまだおとなしくて上手くいかない
そこで、その前の身体の使い方を覚えさせてから
再度やらせてみるとさっきよりずっと上手くいく

この辺りから多分彼は何か手応えを感じたのだろう
顔の表情がうんと明るくなってきた
上手くなってきている
それが実感として感じられたのではないだろうか

こうなると、こちらはしめたものだ

子供たちが上手くなるのは、どういうわけか
ある日突然!みたいなところがある
何かキッカケをつかむと自信を得て
そこで自分から積極的になれて
コーちからもそこで褒められたりすると
嬉しくてますます夢中になっていく

それからしばらく上手くなっていく期間が続いて
その後で上手くなれない停滞時期を迎え
また大きくジャンプする様な時期を繰り返す

我々は教えるのではなく
そんな時期を個々によく見ながら
育てていく
自分はこんな風に考えている

多くの低学年の子の陥る悩みは、ゲームをすると、
自分のしたいことが皆と同じで
結局そのプレーをできるのは気の強い子だったり
スピードのある子だったりになってしまい
おとなしい子は外にはじかれて
ゲームに参加できない状況になってしまう
そんなことが続くと段々居場所を見つけられなくなったりする
まして、たまにボールに触ったりすると
固まるな、周りをよく見て!
などと言われたりすると、ますます悩んでしまったりする

自分はなるべく各人のボールタッチが多くなる様に
ゲームをさせている
つまり上手すぎる子は外したり
利き足でない方しか使っていけないと制限したり
またゲームの人数を少なくして
とにかくボールに触らせている

そしてもう一言!
君たちの世代では目の前にあるボールは
全部自分のボール!と考えなさい
上手な味方が見えても遠慮しなくていい
自分でゴールの方にボールを運ぶように蹴ったり
ドリブルしなさい
こんな風に言うことにしている

その結果、確かに固まってしまうが
夢中になっている子供たちの楽しそうなこと!

本当に我々のすることといったら
子供たちの上達のキッカケづくりと
その練習方法を考えること!につきるのではないだろうか?

来週、落ち込んだ彼も楽しそうに
練習にきてくれるといいのだが!


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