パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

聴いてみたい、34歳ばかりの演奏者によるエロイカ。

2006年11月29日 20時41分28秒 | Weblog
以前ほど聴かなくなってしまったが
改めて真剣に聴いてみると
(残念ながらCDやFMだけれど)
やはり凄いな、ベートーヴェン

年齢によって感じ方が違ってくるけれど
今のほうが、彼の曲は感情と構成の兼ね合いが
まさに職人的と思えて仕方ない

ベートーヴェンといえば交響曲だが
一番好きなのは「エロイカ」
去年「熱狂の日音楽祭」でこれを聴いたとき
この作曲を終えたベートーヴェンはうれしかっただろうな、と
不意に思ったものだ

演奏はCDで持っているものでは
フルトヴェングラーの1952年のウィーンフィルのもの
ベルリンフィルのものがいいが
1944年のウィーンフィルの一気に突っ走るのも捨てがたい、
最初聴いたときはこの調子で最後まで持つかな
と人事ながらハラハラしたけど、なんという気力だろう

エリオット ガーディナーの全集の中のも編成が小さいので
いろんな音がはっきり聞こえて若々しくて結構いける
セルとクリーブランドもトスカニーニとNBC(?)も
好みではないけれど、そんなのもあり、というところだ

ところで、以前にも思ったのだが
このエロイカ、ベートーヴェンが作曲した年齢
34歳の人間だけで(指揮者も演奏者も)
演奏したらどんな音楽になるのだろうか

フルトヴェングラーもトスカニーニもセルも
みんなベートーヴェンが作曲した年齢よりずっと上だ
その分だけ深みも味わいもあるかもしれないが
作曲時の感性ではないだろう

若さの持っている疾走感や
爆発的な感情発露
理想主義やセンチメンタリズム
そんなものは、もしかしたら同年代の人しか
出せないのではないのかと思ってしまう

だから自分は、誰かその立場にいる人が仕切って
ベートーヴェンの作曲時の年齢と同じ年齢の奏者ばかりで
チクルスを催してもらえないだろか、と思うのだが
こんなのはマニアックでたいして意味もないものかな?
それに大して変化もないのかな?
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松茸って、そんなに美味しい?

2006年11月27日 21時00分16秒 | Weblog
最近トンと口にした事がないから、ひがんでいる訳ではないが
素朴な問いかけを一つ
松茸って、そんなに美味しい?

少なくとも自分が子供の頃、祖母が山に行って
とってきてくれた茸の中には、松茸よりもずっと記憶に
残っているものがある
「ろうじ」といわれたもので、生姜溜りで食べたのだが
子供の口のも美味しく感じられたし
都会の親戚に出した時も評判は抜群だった

松茸は確かに香りが強い
香り松茸、味しめじといわれるのも分らないではない

ところで、ここでいわれるしめじは
一般に手にするブナしめじではなく
もっと希少な種類のものらしい
なんかのテレビ番組でやっていたが分析すれば
うまみ成分も群を抜いて多いらしい

ただ、今一番問題なのは
松茸は美味しいから需要が多くて、価格が高いのではなく
希少だから価格が高く、高いから美味しいに違いない
と思い込まされている節があるように思える事だ

こんな風に思うのは、やっぱりひがみの所為だろうか?
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ほうれん草を食べられない理由

2006年11月26日 19時32分44秒 | Weblog
この間、ものすごく久しぶりに飲みに行った店で
そこの女将さんと話していて
懐かしいというか、そうだった
というような話になった

彼女は、ほうれん草がどうしても食べられないのだそうだ

なぜかといえば
彼女の田舎で暮らしていた幼い頃、
育てていたほうれん草に
自分の家で出た糞や尿を
肥溜めに入れていたものを
ひしゃくでぶっ掛けたシーンを
どうしても思い出してしまって
どれだけ洗っても食べられないのだという
(有機肥料栽培で今風なのに)

そういえば我が家でも、幼い時
肥溜めに尿を運ぶのを手伝わされたりした

小学校の時には学校帰りや遊んでいる時に
肥溜めに落っこちた友達もいたし
道に堂々と放置された馬糞を
踏んだりする連中もいた
馬糞を踏むと背が高くなる、とかなんとか言われていたりした

もうすっかりそんな風景は見られない
道はアスファルトになってしまったし
馬が道を歩くことも
ロバのパン屋さんも来ることはないし
紙芝居も来ない

子供たちは当たり前のように
遊びほうけていられた

懐かしいな、アルコールが入ると
知らず知らず子供時代の話になってしまう

しかし、今の子供たちは年取った時に
子供時代の話を懐かしがって
話すことが出来るのだろうか


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ラッピングバス、列車に反対!

2006年11月25日 21時49分39秒 | Weblog
最近収入を増やすためにバスや列車
全体をラッピングしてしまうことが流行っている

企業だから仕方ないと思う反面
個人的な主観では「美しくない」
と言う理由で賛成できない

このような活動自体は
活力に満ちているかもしれない
しかし、みんながみんな目立とうとして
全体として町全体も品がなくなってしまっている

ラッピングのデザインを良くすれば
そんなのは解決するといわれそうだが
どうもそのままは信じられない

ヨーロッパは今はどうだか知らないが
自分が行ったときは、看板もサイズが限定されて
いたみたいで、そんなに際立ったものは
なかったような気がする

「儲かればいい」とか、「目立てばいい」とか
そんな単純な価値判断だけでなく
美しいとか綺麗とか調和が取れているとか
こうしたものも我々の町や
生活には大事だと思うのだが、、、
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エスカルゴは食べられるけど、かたつむりは、、、?

2006年11月24日 21時21分04秒 | Weblog
「エスカルゴって言ってた時は平気でパクパク
 食べていられたのに、それが、かたつむりって
 思い直したら全然食べられなくなってしまった」

これは先日食べ物について人と話していた時の事

「馬肉も知り合いからもらった時は
美味しくいただけたのだけれど
どうも、馬の姿を思い出すと、、、」

これらは自分の感想ではない
自分はどちらかと言えば
好奇心満々だからお腹に入るものは
とりあえず何でも食べてみるというタイプだ

しかし、言わんとすることは分かる気がする
そういえば以前、海老の踊り食いを
試す機会があった時、生きている海老の
皮をむしりとるのは、さすがに残酷に思えて
もう次からはいいや!と
思ったものだった

形がグロテスクだったりするとなかなか
食べられないかも知れない

蜂の子、ざざむし、
そういえばウニだって変な格好をしている
全く最初にあれを食べた人はエライ!

外国人は、日本人ならなんとも思わない
尾頭付きの魚を食卓に並べるのは
残酷で気持ちが悪いと
感じることがあるらしい

しかし日本人は、そういう彼らが
ご馳走のひとつとしてあげる豚や牛の丸焼き
顔がまだ残っているようなやつがテーブルに並ぶと
とても平気ではいられない?
(少なくとも自分は美味そう!より、なんだこれっ!だ)

結局は、単に食習慣の違い、
つまり慣れによるものだが
言葉でもって考え直すと
わりと変なことも、まだまだある

「死体を食べたことがありますか?」
と聞くと大半の人は間髪をおかず
「ノー」と答えるだろう
しかし、お刺身や焼肉は「死体」以外の何者でもない

こんな風に書いていても「死体」なんて
思うと食欲はなくなってしまいそうだが
改めて冷静に考えると
本当に生命を維持すると言うのは
全く多くの犠牲(おかげ)の上で成り立っている

その意味では、食事の前に発する言葉
「いただきます」の
省略形ではない本来の意味
「あななたたちの命を、私の命に(と)させていただきます」
を、我々は謙虚に思い出さなければいけないだろう



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ヴィターリのシャコンヌ

2006年11月22日 21時41分03秒 | Weblog
シャコンヌといえば一般的にはバッハの
ヴァイオリンのための無伴奏パルティータ二短調での
一曲として知られているが
ヴィターリのシャコンヌもなかなか捨てがたい

バッハのそれが知性的というか構造的なのに対し
ヴィターリのそれは感情が濃くて
思わず引き込まれてしまう瞬間がある

自分が始めて聴いたのはNHKのFMで
その時は途中から聴いて、ひどく感動したのだが
なんと言う曲か知らずにいた
後の曲紹介でやっと曲名を知り
覚えているうちにCDショップに行って購入した

そのCDはオイストラフの演奏したもので
オイストラフも名前は有名だが
自分のライブラリーからは外れていて
聴いたこともなかったので
この曲とこの演奏家の体験は新鮮でよかった

感情が濃い、と感じられたのは
オイストラフの演奏のせいなのか
それとも曲自体がそうなのかは
実はよく分からないのだが
しばらくは本当に頻繁に聴いたものだ

ところでこの曲を聴くと不思議と思い出すことがある
というか、思い浮かぶ絵画がある

ボッティチェリの「若き(?)シモネッタの肖像」がそれで、
ボッティチェリのいつもの
よくあるパターンの顔が横顔であるのだが
何故だか朝の早い時間に
ボッティチェリが朝食の準備の音のする部屋で
夢中になって描いているシーンが
何度も聴くたびに浮かんでくるのだ

辻 邦夫ならこれを題材に
ひとつくらい物語が出来たかもしれない

しかし、いつか機会があったら
自分も何か物語を作ってみようかな
多分、DEKINAIと思うけれど、、、

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「秋桜」の親子は何歳なんだろう?

2006年11月21日 21時59分07秒 | Weblog
クリスマスが近づくと山下達郎の
「クリスマスイブ」が巷に流れ
年末になると第九が頻繁に演奏されるようになるが
同じように季節ネタのひとつに
さだまさし作詞、作曲 山口百恵が歌った「秋桜」がある

叙情的で、繊細で、やさしい母と娘の
結婚前のある日のシーンを切り取った
なかなかの名曲で、自分の中では
山口百恵の歌の中では一番好きな曲だ

山口百恵以外にも桜田淳子、森昌子、安田一葉
そして、さだまさし本人が歌ったのを聴いたことがあるが
それぞれの味があって、いい曲はどう料理しても
いいものみたいだ

ところで不意に
この親子はいったい何歳ぐらいなのだろうか?
と思いついてしまった

歌っている山口百恵が22歳くらいの頃(?)だったので
娘も自動的にそのくらいの年齢の女性として仮定すると
お母さんは何歳くらいなのだろう
55歳くらい(?)

しかし、そうすると今のこのくらいの年齢の女の人は
こんな思いをするのだろうか、と思ってしまった

今の人はもっと若く、娘と大差ない考え方を
するんじゃないのだろうか
あの歌のお母さんはもう少し年上のような気がする

そもそも、あの歌はイメージであって
実際にそんな人たちがいるとか、いないとかが
問題ではないだろう

男である、さだまさしがイメージした
あってほしいやさしい親と娘の姿なのだろう

そういえば、芭蕉の
「古池やかわず飛び込む水の音」も
芭蕉は実際にかわずが飛び込む音を聴いたのではなくて
イメージを浮かべ、それを言葉にしたらしい?
(「古池にかわずは飛び込んだか」等と言う本があるらしい)

だが、ホントに自分はどうでもいいこと
考えるのが好きだな!
全く!



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マイブームは「和」

2006年11月20日 21時02分02秒 | Weblog
特に、本等はそうなのだが
ある作者の作品を、立ち読みで興味深いと感じて
読み終えて、やはり面白かったりすると
その作家の作品を飽きるまで読んでしまうことがある

それが最近ではもう少し形を変えて
所謂マイブームとなって
しばらくは熱病みたいに凝ったりしている

ちょっと前までは幕末だった
その前は落語
そして今は『和』

たまたま建て直している家が
以前の家の梁を再利用するような
在来工法によるものにしたせいか
そして、そこの工務店のスタッフが
和のものに興味を持っていたせいか
とにかく今までは何とも思わなかったものが
やたらと気になって仕方ないでいる

特に少し前の「カーサ ブルータス」の
日本建築の特集を見て
いろんな事を(屋根、天井、壁、真行草など)知ったら
一気に関心に火がついてしまった

すると建築だけでなく、いろんな日本的なものが
非常によいものに思えてきた
特に古いもの(骨董品がというのではない)
丁寧に作ってあるようなもの
家具や食器から団扇にいたるまで
欧米の様にスケール感はない分だけ親しみやすく
ホッとする感じで
やはり自分は日本人のDNAをしっかり持っていると
思わざるを得ない

といって、欧米のものを否定するのではない
それらは最初から評価してきたのだが
「和」の分野のものは、どういう訳か今まで
過少評価してきたのが
やっと普通に、「ああ、こんなのもありなんだ」、と
思えるようになったという事なのだが
これは歳のせい?
保守的になりつつある時代の雰囲気のせい?
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相性ってあるものだな!

2006年11月19日 09時37分49秒 | Weblog
今年になってやっと(初めて)行ったサッカー観戦
名古屋グランパスVS浦和レッズ(豊田スタジアム)

やっぱり生の観戦はいいですねえ
全体の連動した動きが見られる等という前に
単純に「きれいで気持ちよさそう!」
なるほどサッカーはパスゲームなのだ(?)
という思いを改めて感じさせられた

さてゲームについて
首位を走るレッズだけれど確かグランパスは
相性が悪かったはず
昔の共にお荷物チームだった頃から
どうも、なぜだか勝ち運に見放されているようだった
だから昨日も、もしかしたらグランパスの勝ちも
あるかなと予想していたのだが
やっぱり、でした

不思議なゲームだった
レッズが圧倒的に攻め込んでいた
シュート数18対3
グランパスの守りが良かった、といえるほど
しっかり守れていたわけではなかったようなのに

と言ってレッズも点を取れるような
迫力があったわけでもない
ワシントンのポストに当たったシュートが
入っていれば割合大差のゲームになっていたかもしれない

しかし、どんどん時間が過ぎていくと
(点は入らなくても結構楽しんで観戦できていたけど)
こりゃ引き分けかな、
と思ってた矢先ほんのワンチャンスを
グランパスがものにしてしまった

このグランパスのヨンセンは
さすがFWらしい点の取り方だった
そういえばJリーグは最近ブラジル系のFWが多いけれど
ヨーロッパ系の頭が強かったり
狩猟民族系の獲物は外さないといった雰囲気のするFWも
新鮮でいいなと思われた
それにこの人ポストプレーも安定していて
守りからすれば厄介な男かもしれない

戦術よりも選手主体に観戦して
自分なら誰を代表に選ぶか、などという視点で見てみると
自分の目には、闘莉王は目立っていた
安定した守りが出来ているのは彼の存在が大きいだろう
鈴木啓太も幅広く動いてプレーも
柔軟性があって(さすが清商出身)まずまず

しかし三都州、昨日は全然存在感なかった
サウジ戦の疲労があったのだろうか
ちょっといただけなかったですな

長谷部、もう少しがんばらないと代表に選ばれても
使ってもらえないな
若いから仕方ないけどまだプレーが
一直線的かな

グランパスの中村
一度代表に選ばれたけれど
昨日を見る限りではこれからも、には?がついてしまう

本田は、やれば出来るのに
ボールキープ、ドリブル、パスそれぞれが
いい物を持っているのに
どこか消化不良みたい

藤田、自分の大好きな選手だが
年齢にもかかわらずたいしたもんだ
ボールが落ち着いてバタバタしない
一つ一つが丁寧、そして優雅

それにしても、こうして生で観戦すると
サッカーのゲームは一人のボールに
接する時間と言うのは非常に少ない
だからこそボールを持っていない時の動きが
大切なのは分かるが、
同様に来たボール、自分のボールを
正確、丁寧に扱う基本が大事と再確認できた

他の選手ではゴールに嫌われてしまったけど
ワシントンが目立っていた
やっぱり何かが違う
勢いだけで得点を重ねるのではなく
確かに自分の技術で着実に採っているのが
よく分かった

しばらくは離れていた生のサッカー観戦
昨日は充分に元を取った感じで
大いに満足だった



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蟻の社会の優先事項は?

2006年11月18日 08時06分23秒 | Weblog
あまり確かな情報ではないが
気になって覚えていたことに
働き者の蟻にも、よく観察するとどう見ても
サボっているとしか見えない連中が存在するらしい

ここまではわりと聞く話なのだが
問題はそこからで
そのサボっている連中だったか
まじめに働いている連中だったかを
強制的に分けてしまうとどうなるかといえば
またもやまじめに働くのとサボるのとに
分かれてしまうらしい(?)

これが確かだとすると
一見サボっているように見える行動にも
何らかの意味があるのではと思わざるを得ない

そもそも蟻たちにとって行動の目的は
効率的に働くことが第一優先事項ではないだろう
彼らにとって大事なことは現在の状況を(子孫繁栄)
ずっと続けることではないだろうか

もし効率的が要求されるなら
仕事の効率というよりは
この目的のための効率が、
このようにサボる連中がいるほうが
より効率的なのだということじゃないのかな

人間の骨格、筋力も実際のポテンシャルの
半分も普段は使ってないという
つまりサボっている筋肉があるということだ

しかし、そのサボる(?)ことに、実は
大きな意味が、役割があるのではないだろうか

話を大きくして展開すると
効率的だけを優先することは
社会にも会社にもよろしくはないのでは
と思うのだがなかなか、トップがそんな考えを持たない限りは
上手くいかないだろうな

もっとも庶民も割としたたかで
本能的にすべき行動をとっているかもしれない
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