パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

学力より選別のための比較

2008年01月31日 21時16分47秒 | Weblog
時々テレビ番組では、どこどこ小学校、中学校の受験問題として
結構難しい問題が紹介されている

初めは傍観していたが、この頃何か変だ!と思うようになった
それらの問題の多くは、考えて答えが導きだされるものではなくて
単にその答えを知っているかどうかだけに依存している

確かにたくさん知っているという事は
知らない事よりは素晴らしい
だが、その時期にそんな事をそんなにたくさん知る必要があるのだろうか
学力を調べる方法はもっと別の方法がないのだろうか
例えば小学生なら遊びをつくり出す事ができるかとか
ままごとみたいな疑似体験でその人となりの柔軟性を見るとか
そんな事の方が実際役に立ちそうな気がしてならない

数年前、この田舎に京都のサッカークラブが合宿にきていた
練習だけではつまらないので地元の我々が相手になって
ゲームを行ったのだが、不思議な事に合宿にきていたのは
小学校4年以下だけ
どうしてかと言えば5年生になると
お受験の勉強が忙しくてサッカーなんかに時間を費やしていられないのだそうだ

田舎の人間からすれば、大変な事だ!と呆れてしまったが
フト、こんな時期に詰め込んだところで
後々の伸びしろはどうなんだろう
と逆に不安に思えてきたりした
そしてその状況を受け入れている多くの子供たちが
なんだかかわいそうになってきた

すべき時にすべき事をする
感じる時に感じたり
身体の基盤を作るときにつくる
そうした一見当たり前の事ができていなくて
単に選別のための、勉強というよりはクイズの答えの丸暗記
ばかりをしていて、子供たちは将来どんな大人になるのか
古い人間は少しばかり心配になってしまう

昨今、社会的におかしい子供たちを見かけるようになったが
やっぱり子供たちより、知らず知らずそのように育てている
大人たちの方に責任がありそうだ
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可能性、そして、らしさ

2008年01月30日 21時59分05秒 | Weblog
今日の国民の関心はハンドボールのオリンピック予選だろう
しかし、ビデオで後から見るのはつまらないので
自分はサッカー国際親善試合をリアルタイムで

日本3-0ボスニアヘルツェゴビナ
結果的には完勝
前半から感じられたのは、チリよりは弱い対戦相手
ということ
球際の強さも、テクニックも組織も今イチ
だから割合落ち着いてできたようだ

大久保、得点のアシストはよかったが
得点できない理由が垣間見られた気がした
壁パスの丁寧さ、縦のパスの強さのかげん、
身体は接触プレーに強くても焦り過ぎのポストプレー
つまり一つ一つのプレーが早さを追求するために若干雑になっている
もっともこれが彼のカラーと言えばカラーなのだが
だが先発からは使いにくいかも

内田は今日は伸び伸びとして柔らかな可能性を感じさせた
加地よりも攻撃の幅が広そう(まだ線が細い感じがするけれど)
ずっとと使われていけば楽しみな人材だ

山瀬、今野 岡田監督が以前育てた選手だが
いかにも岡田好みのプレーかな
がっちりとしてボールを前に運ぶ力が強そうな

今日も羽生がでたけれど
これからは今野、山瀬、内田がもっと頻繁にでてきそう
闘莉王は体調が良くなれば選ばれそうだが
そうすると阿部はどうなるのだろう
器用だけど少し存在感に欠ける

いずれにしても岡田カラーは徐々に出つつある
それがエレガントかどうかはさておき
わかりやすい選抜と公平なチャンスの与え方
岡田さんはいつも出番は突然だけれど
なかなかいい仕事が期待できそう
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弱い者いじめの時代

2008年01月29日 20時51分46秒 | Weblog
大雑把に今の時代を表現すれば
インターネットの時代
中抜きの時代
株主資本主義の時代
ボーダーレスの時代、、、などなど

ところで自分が感じる今は
「弱い者いじめの時代」
のように思えてならない

企業の不祥事などでは、いわゆる社長と言われる人々が
下げたくもない頭を下げて一見謝っているように見えるが
その尻拭いをしたり
大いに被害を受けているのは現場の人間
そして、こうした人々は比較的弱い立場の人たちだ

日本で一番儲けている会社の下請けに対する要請は
企業の持続可能な活動を保証するどころか
やる気さえ削ぐものになっている

弱い立場はみじめなものだから、誰もがそうならないように
勝ち組になるように努力すべきと
若いうちには教えられる
確かに弱い立場の人たちは、いわゆる出世した人たちより
努力が足りなかったかもしれない
しかし、だからと言ってその人たちが不幸せであったり
不公平に扱われたりしていいという事ではないはずだ

また愚痴になるけれど、昔、若者は訳もなく
権威に対して反抗した
マスコミも批判的な傾向があったのに
今はなんだか権威にすり寄っている
上手く空気を読んで、当たり障りなく
自分の立場だけを守るべく毎日を過ごしている

勿論そうでない人もいるだろう
しかし絶対数、確率が前より少ないように思えてならない

「国家の品格」に書かれてあったように
弱いものをするのは卑怯だ!
とか、
見苦しい!
と皆が思える様な世界、世間の方が
たとえ物質的には恵まれていなくても豊かなのではないだろうか?
(少なくとも自分はそういう世界の方が好きだ)

確かに今はそんな悠長な事を言っていられない様な状況かもしれない
(ネット難民、ワーキングプアなど)
自分の事は自分で守る
それが最低限の基本かもしれないが
残念ながらそれができない人々(横着な人々)にも
世間はもう少しおおらかに、その存在を許してもいいのではないのだろうか

今は真面目な時代かも知れないが
どこかゆとりがなくてつまらない





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鏡開きは、ぜんざい(汁粉)だけじゃない?

2008年01月28日 21時25分08秒 | Weblog
どうやら当たり前に思っていた鏡開きのお汁粉は
そんなに定番ではなかったようだ

今日ある所で若い女の人がぜんざいをつくっていたので
「鏡開きでもないのに珍しい!」
と言うと怪訝な表情
「ぜんざいは鏡開きのときつくって、それにお餅をいれるでしょ」
の説明も
「えっ、鏡開きの時ってお雑煮じゃないの?」
の返事
今の若い子は仕方ないなあ!
なんにも知らない!

しかし、そこにいたもう一人の女性も知らないと言う
そこで近くにいたもう少し年のいった男性に聞いてみると
やはり鏡開きにぜんざいは知らない事と言う

すると、なんだかさっきまで今時の若い子は
などと思ったのが不安になって
自分の方が間違っていたのかと不安になってきた

家に帰って家族に聞いてみると
やっぱり鏡開きにはぜんざいと言う
ボケていなかった!とホッとする反面
どういう事かなとネットで調べてみると
鏡開きは、雑煮やしるこに割ったお餅を入れて食べるとあった

つまり、どちらもあっただけの事
お雑煮は各地で様々なのは知っていたが
鏡開きの方にも2種類あるとは知らなかった

行政区では同じ地方に入るのに
習慣がこんな事で違うとは、、、




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キリンチャレンジ杯 日本-チリ戦(0-0)

2008年01月26日 21時55分30秒 | Weblog
監督がサッカーをするわけではないが、
それでも確かにその人のカラーは存在する

今日の先発は内田を除けばオシム監督の時と大差はないのだが
なんだか違った色合い感じられた
もっとも内田が入った事は岡田監督のメッセージだったのかもしれない
自分のカラーに徐々に染めていくぞ、というような

ゲームの序盤はゲームに飢えている人たちの入り方で
前に前にが表立って迫力があったが
次第に慣れられて、逆にまとまりとキープ力の高いチリに
ゲーム支配をされてしまった

久しぶりの公式戦でゲーム館も鈍っていたかもしれないが
合格点は巻、遠藤、中沢、中村くらいかな
内田はそこそこやれていたし、
すぐにバックパスを交換する加治よりも期待が持てる
ただ本当に厳しい経験が不足してるかな

鈴木は一人ボランチはちょっとキツいかもしれない
つなぎのパスに少々雑な所や判断が遅い所がある
岡田監督ならば次は今野あたりが重用されるかも

山岸、最初は運動量も多く今日はいいぞ!
と思ったのもつかの間、テレビでは徐々に存在感が無くなってきた
それより残念なのは羽生、代わった効果はほとんでなかったようだ
岡田監督らしくない起用法に思えたが
一気に自分流に変えるのは自重したのだろうか
あるスポーツ紙が予想したように自分も今日は
山瀬、大久保の先発だと思ったが開けてみれば
中村、山岸 テスト期間は仕方ないかな

それにしても何度同じ光景を見ればいいのだろうか
得点力不足!
シュートまでいけないのならそれはそれで問題だが
シュートチャンスがあって枠にいかないのは
やっぱり根本的な何かが悪いに違いない
大久保、抜け出すまではいいのだけれど
あんなに思い切り力む事ないと思うし
近くの条件のいい人にパスする判断も必要なシーンが見られたが
ストライカーだから仕方ないと言われるには
もっと結果を残さなければいけない
あのプレーぶりは先発のそれでなく
途中交代にしか使えないかもしれない

それにしても球際は圧倒的にチリの方が強かった
テクニックの問題と一言に言うが
身体の使い方、ボールの置き方、扱い方
それらは身にしみてつけた経験、技術なので
なかなか真似できないのかもしれない

いつも思う事なのだが
日本人はフィジカルが弱いから数滴優位をつくれ!
と教えるが、その前の基本としては
1対1に絶対負けないボールコントロールや
ボディーバランスをを徹底的に鍛えるのが必要な気がするが、、、
といっても一時の国見の様な体力サッカーを言うのではなく
つまり一人一人が確立した男としての存在感を持てるようになるべき
と思うのだが、こうした意見はマイナーで
明日の新聞なんかではまたシステム論や
大久保大善戦くらいの事が書いてあるのだろうか

実際日本のサッカーが真に強くなるには
マスコミのレベルも上がっていかない限り
無理な所にきている様な気がする
スターであっても悪い時は悪いと批判できるようにならないと
いつまでたっても井の中の蛙みたいな事になってしまう

話はそれたが、岡田監督の復帰1戦とすればまあまあ
と言った所ではないかな
早く彼のカラーを見たい気もする
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レコード購入

2008年01月25日 20時26分12秒 | Weblog
雑誌「ラピタ」2月号は、アナログレコードをもう一度
LPとCDの同曲比較がなされていた

たまたま年末に自分が行ったのと同じ事をしているので
興味を持って立ち読みから買って読む事にしたけれど
結果はどうも自分と同じようだった
もっともこの結果は多くの人の述べている事の
再確認に過ぎなかったかもしれないが
音楽の聴き方としてCDはながら聴取
レコードは気合いを入れて音楽に向かう
というのが皆の行き着く所らしい

レコードの良さを装置を替えたおかげで
再確認する事になった最近は
前にもまして音楽を聞く楽しみが増えてきているようで
今日も知り合いの所でレコードを借りてきた
そして今朝新聞広告で見かけた
レコード市なる催しにも出かけてみた

行った時点で何か買おうと思っていたのだが
結果的に手に入れたものは
クレンペラーのマタイ 1500円くらい
クレンペラーの魔笛  1500円くらい
リリー・クラウスのモーツァルトのピアノソナタK310.311.330
セル クリーブランド管弦楽団のブラームスの2番のシンフォニー
ロッド・スチュアートのガソリンアレイ
ニルソンのベスト
イーグルスの呪われた夜
そしてルイ・アームストロング ミーツ オスカー・ピーターソン
全部で8000円くらい

大きな袋を抱えて店をでる頃には
久しぶりに早く帰ってレコードが聴きたくてウズウズしていた
昔は本当にそうだった
電車の中でカバーを開けてライナーノーツを読んだりして
まだ聴かない音をあれこれ想像して楽しかった
そんな気分がよみがえった

だが今の装置は調子が出るまで少しばかり時間がかかる
だから、その間CD聴きながらこれを書いている次第

それにしても、しばらくは充分すぎる程楽しめそう
これで味をしめて、またレコードを買いにいく、なんて事になるかもしれない
というよりは、ラピタに掲載されていた東京のレコード店のページは
大切な情報として大事にとっておこうと思っている
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公式な発言だけで判断は、、、

2008年01月23日 22時04分45秒 | Weblog
どんな会社でもグループでも、おそらく一人はいるだろうと思われる
口ばっかりの人間
行動が伴わなくて、自分は何もしない割りには言う事だけが
一応立派な事柄に終止する人

しかし、こうした人の発言録(テキスト)を客観的に目にすれば
彼を知らない人は彼を立派な人間!
と判断してしてしまうかもしれない

あるメディアにある人が紹介された時には
その人をよく知る人はある種の違和感を持つ事もあるだろう
(メディアの紹介は一般的に立派な人間に紹介され過ぎの傾向があるため)
しかし普通の人は何の疑いもなくメディアの報ずるように
その人を知ったつもりになるだろう

どうも後世に残される可能性のある記録としての
テキストだけでは本当の事はわからない!
というのが現実ではないのか!という気がしてならない

本当の事を知るには公文書だけでなく
その周辺の人物の評価や背景を綿密に調べる事が必要になる
そうでないなら歴史は好き勝手に記述されてしまう

公文書としての好景気
一般人としての感覚の不景気
いったいどちらが正しい?
大本営発表ばかりが正しくないのは言うまでもないだろう


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歴史は勝者の勝手な記録?

2008年01月22日 22時00分42秒 | Weblog
最近似た様な雑誌が創刊された
「歴史のミステリー」デアゴスティーニ・ジャパン発行
もう一つは
「新説 戦乱の日本史」小学館発行

どちらも創刊号は190円
ふんだんなビジュアルで読みやすく40ページ弱
そしてどちらも定説となっている歴史を改めて記述というよりは
こんなセンセーショナルな奇妙な説も存在する?みたいなところに
焦点を集めてるようだ
(後者はまだ読んでないのでハッキリした事は言えないが)

それにしても歴史は学校の教科書では全然面白くないが
週刊誌的な刺激的な説が出てきたりすると
俄然興味湧くものとなる
結局そうしたおもしろおかしい説は
定説のしっかりしたものにきちんと否定されるとしても
興味の持ち方の幅が深くなるだけ
いろんな事が自然と頭に入る

だがやっぱり歴史は結果的に「勝てば官軍」的な要素があるだろう
本当の事というより、その時代を牛耳っていた者が
自分たちに都合の良いように記す
そしてずっと後の時代には、公式な資料として残るのはこんなものだけ!
こうした事が容易に想像できる分だけ
公式でない一般の市民等の資料等は
実情をしっかり把握する意味では大事になってくるだろう

この間、民主党の議員が911の謀略説をぶったら
問題外!と一気に攻撃されたようだが
ここでも公式見解だけが説得力あるものではないだろうに
むしろ矛盾点が多いと言っていいだろうに!

確かに現実の問題として世界の判断はテロという事になって
解釈はその方向に進んでいるので今更ぶり返すのは
国益に反するかもしれないが
それでもどうしても納得できない点が多すぎる
なにもへそ曲がりでセンセーショナルな説を好んでいるのではなく
ちゃんとした合理的な説明があれば難なく認めるだけの事なのに
つまり、ここでも正しい事というよりは
この時代に力を持っている者が強引にねじ曲げてしまう様な事を
行っているという事

これを簡単に仕方ない事として諦めていい事なのだろうか?

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早くも花粉症

2008年01月18日 22時39分17秒 | Weblog
毎年サッカーのこの時期の大会になると
決まって目がかゆくなる
いわゆる花粉症
幸い軽い症状で済んでいるからいいものの
毎年毎年、ホントご丁寧にご苦労なことだ

花粉症、患ってる当人はかわいそうだが
それを見てる他人は笑ってしまう
と、ある人が話していたが
確かにそんなところはあるかもしれない

いずれにしても数ヶ月間
うっとうしい日が続きそう、やれやれ
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自転車は車道、それとも歩道がいいか?

2008年01月16日 20時42分26秒 | Weblog
運転する立場からすれば圧倒的に
自転車は歩道を走ってくれた方がありがたい
車道で前を走っていると、転けやしないだろうか
横を追い越す時には、ぐらついて接触しないだろうか
などと思い抜く時は大きく膨らんで
今度は絶対抜かれないように(渋滞の時)
道路の左側に寄って走るようについついしてしまう

実は自転車に乗っている方でも案外ヒヤヒヤしながら
追っているのも事実だ
いつ何時石に乗り上げてバランスを崩すかわからないから

だが、歩道を歩いてる人たちからすれば自転車は迷惑な乗り物
法律的には自転車は車道を走る事になっていて
走ってもよいと標識がある所だけ歩道でも走行していいらしいが
現実的な話、標識がなくたって人通りが少なかったり
それほどスピードも出ないような歩道なら
歩道を走ったっていいのではないだろうか?

交通規則は守りましょう!があるべき姿なのだが
どちらの方が安全で現実的かを考えた場合
必ずしも四角四面に考える必要はないのではないはないか
もっとも、しらない所で多くの人がそのようにしているから
こちらが心配する程の事ではないが!

臨機応変、実はこれこそがルールの遵守よりも良い事かもしれない
だが、その臨機応変の判断は下す人が必ずしも正しい判断とは限らない
などと反論もすぐに出そうだが
アバウトな範囲で、おおらかに、それぞれが常識的な判断のもとに
安全な走行をどうすればできるか考えればいい事じゃないのかな

話を大きくするつもりはないけれど
自分で判断して、責任もって判断する、
というのがどうも日本人は苦手なようだ
誰が決めて指示した通り行動するとか
始めっから横着でルールを守る気がなかったりする人は多いけれど
確信犯的に自分の意志で行動するのは、
珍しい部類の人間!と決めつけられそうだ

とにかく自転車は歩く人、自動車を運転する人、自転車に乗る人の
安全を考え、その場に応じて走る場所を選択する
それでいいのでは?
(これは公にできない危険な考え方?)
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