パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

庭の木々が一気に新緑へ!

2016年04月30日 16時28分56秒 | 徒然なるままに

どの季節が好きかと聞かれて、自分が生まれた季節
と答える人は多いのではないかと思われるが
自分もその例に漏れずメイデイを中心とした季節が好きだ

何よりも新緑が美しい
水分を多く含んだ柔らかそうな
人工的には絶対できそうにない優しい緑
これが湿気の少ないく空気の中でコントラストがくっきりと
目に入ると自然とウキウキしてくる

天気のよい今日の自宅の庭

木漏れ日ができるほど、葉は繁っている
毎年、4月20日頃から一気に枯れ木から緑に変わる
ちなみに今年の4月1日の庭は
 

常緑樹のたくましさもいいが
落葉樹の季節ごとの変化や紅葉も飽きることがない

でも、木々が全部が全部元気かといえば残念ながら
毎年頑張れないものも出てくる
今年はオトコヨウゾメが駄目になっているみたい 
弱々しい姿を見るのはちょっと辛い 
盛り返してくれると良いのだけど、、、 

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スピード感と闘争心

2016年04月30日 08時16分00秒 | 徒然なるままに

以前は(昔は)もっと速く走れたのに!
それもそれほどの苦労をしなくても、、、

最近、ジョギングをすると感じるのはこのことだ
スピードの分かるランニングマシンで走る(歩く)と
自分の感覚では結構速いスピードのつもりでも
実際の数字は大したことないどころか、はっきり言えば遅い
そこで昔の記憶にあるスピードまで上げると
上げてしばらくはキープできるがすぐにしんどくなる
(練習・訓練不足?)

よくもまあ、昔はできていたものだとか
本当に昔出来ていたのか、、
フトそんなふうに思ったりする

自分の中で感じるスピード感と実際のスピードの違い
感覚的には昔と同じスピードで何かしてると思っても
物理的なスピードは明らかに落ちている 
問題は自分の中では昔と同じスピードだと感じているらしいこと

話は飛んで、音楽の演奏 一般的な傾向として
同じ曲でも若い人の演奏は速く 年配の人は遅い
その年配の人も若い時の演奏はもう少し速かったということが
珍しくない
そこで先程の話に戻って、個人の中のスピード感の認識について
年配の人の演奏が遅くなるのは歳を重ねて一つ一つのフレーズの意味や
ニュアンスの変化を表現できるようになり、(普通は円熟と言われたりするが)
それがために遅くなったとするのが順当な普通の考え方だが
実は当の本人は「昔と同じスピードで」演奏していると思っているのではないか
と考えることはどうだろう
当の本人にすれば、昔だって今と変わらず意味やニュアンスを込めていた
のかもしれない

またまた話は変わって、闘争心について
闘争心とまで大げさなことを言わなくても、子供は誰かと競うことが好きだ
以前サッカーのコーチをしていた時はこのことをうまく利用した
練習に飽きてきたら誰かと競わせるようなメニューを取り入れる
子供たちは「じゃんけん」にすら燃える
この誰かに負けたくない、自分は勝てるはず
という気持ちは、多分若ければ若いほど大きいもので
若者(高校生以上の)は、その気持の表れとして誰かと
競ってみたい、自分を試してみたいと思うようになるタイプがいる

これは理屈というより衝動的な、一種の生命力なので
あれこれ理屈を言っても聞き入れてもらえないことが多い
若者は地方都市を出て都会へ行きたがる
確かに雇用の問題もあるが、この様な気持ちが案外大きいのではないか
田舎には刺激がない、戦う相手もいない、
歳をとれば何事もないことが素晴らしいことで、(実際には
何事もないことなどありえず、それなりにどんな場所でも時代でも
人として越えなければならない問題は存在するが)
田舎(地方都市)でも充実した生き方ができるはずと説く
地方の人の声は残念ながら若者には説得力がない

生命としてのエネルギーとか衝動
時間に関する感覚と闘争心
これは確かに年令によって差がある
かつて若者だった年配者は、過去の自分を忘れて
今の時点の知恵ある判断を絶対かのように若者に話しても
伝わらないかな

それでも、都市にばかり人が集中するのは
現実的に地方都市(田舎)に住んでいるものとしては
少々困るな、、

連休2日目 得意のグダグダとどうでもいい話
天気はいいし、さて何をしようか(何処へ行こうか) 

※ Amazonから届いたメディアと戦争に関する本は、
 読みやすい「そしてメディアは日本を戦争に導いた」
  半藤一利・保阪正康 からスタート 

 

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予想外の面白さ「今昔物語」

2016年04月28日 18時55分52秒 | 

これほど面白いとは予想していなかった
図書館で借りた、大きめの文字の「今昔物語」

芥川龍之介の羅生門のネタが今昔物語にあると、先日何かで知って
とりあえず借りてみたのだが、、、
(もちろん現代語訳) 

これは面白い
内容はそれほど複雑なものはない
少し話に変化があったとしても、幾つも山があるわけではない
だが、バカバカしくて、人間のいい加減さも肯定的に捉えていて
それ故生々しくて、、
この中の話は落語でも使えそう!と思ったりする

最初に惹きこまれた話は、ある男がとある女に好意を持った
そこで何とかしようと手紙を書いた
見た旨でも返して欲しいと書いたら
「見た」という文字だけを切り抜いて送り返してきた

なんという女!
頭にきたが、それでも諦めず、今度は雨の降るなか
女の家に出かけた
(これほどの雨の中来てくれるなんて、情熱的!と勝手に女の気持ちを解釈して)
この作戦はうまく行ったかと思えた
さていよいよ!という段階になって
女は鍵をかけるのを忘れたので、かけに行ってくるといって
その場所から離れた
すると、待てども待てども戻ってきない、、、
手にしたかと思ったらするりと逃げられた 

こうなると男はこの女を嫌いになろうとした
そこで考えたのが女の排泄物を見ること
きれいうな女でも、これを見れば諦められると考えたわけだ
そしてお丸を奪い取った
これでやっと気持ちが離れられると思ったら、女はその上を行っていた
お丸を開けてみると排泄物と思われたものは香木をあしらったもの、、

結局、女は常に男の上を行っていた

馬鹿馬鹿しい話だ
でも面白い

他にも女好きの男がいて
伏見稲荷で誰それ構わず口説いていた
その中の綺麗に着飾った女に言い寄った
するとしばらくしてから思いっきりひっぱたかれた
なんと、女は男の女房だったのだ

ここのあたりの描写から分かることはこの時代も
女の人のほうが家庭では強そうということ

その他、羅生門だけでなく
「藪の中」「鼻」などの作品の元になっているものがあった
(話は面白おかしいものだけでなく仏教的な要素のものもある)

歴史や古文のお勉強で「今昔物語」 を学ぶと少しも面白そうに思えない
ところが、単純に楽しもうとするとこれは面白い
話の展開だけでなく、その背景の身分や役割、服装なども
無理なく知ることができそうだ

話は飛ぶが紀貫之の「土佐日記」には土佐の人間が酒が大好きな様子が書いてあるらしい
高知県は今は日本で一番酒を飲むところらしいが、
あの時代からそうだった と識者が解説していた

これをキッカケに日本の昔のお話
もう少し探ってみるか

でも今日アマゾンでポチッとやったのは
「戦争と新聞」「そして、メディアは戦争に導いた」「太平洋戦争と新聞」
今の関心事はこちらかな
 

 

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役割は批判的に見ること!

2016年04月27日 19時05分03秒 | あれこれ考えること

役に立つか立たないかわからないがドイツ語の勉強に取り組んでいる
定番の勉強法NHKのテレビでドイツ語を見るようにしていたら
たまたま、勉強とは関係ないところで興味をひく場面があった

この日はフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングの記者さんが
ゲストに来ていて、日本の新聞等との比較を話した
日本は900万部を超える新聞があるが、ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングは35万部 
自分たちの新聞には編集長がいなくて4人の編集者が独自の視点で責任をもって記事を書き上げており
そのために多くの視点からの発言が可能となっていると話していた
ところで、気になったというのは以下の部分

つまりジャーナリストの姿勢
これは以前の中日新聞での中村文則氏のインタビューの内容にも通じる内容だ
ジャーナリズムは公平公正を旨とすると当たり前のように日本ではまかり通っているが
どうも外国では批判勢力としてジャーナリズムが当たり前のようだ

この人は更に言う

日本のジャーナリストはどの立場にいるか
外国人が見たらこんなふうに見えるということ
(もしかしたら日本のジャーナリストは自分たちを特権階級の人間として捉えていないか) 

記者クラブについても手厳しい
 

記者クラブでリリースされたことを無批判に報道することが
公正公平な報道なのかは、この人に言われなくても素人でも疑問に思う

話は変わるが先日NHKの番組(クローズアップ現代)に出演したことのある人と
話す機会があったが、その人曰く、編成という分野の人が
上の人の顔色を伺うようなところが見えて 若手は自由にできなくて
ストレスが溜まっていそうだとのこと 
西欧では当たり前のように見える権力への批判が、この国では公平公正ではないとされる
そしてその結果、報道の自由度ランキングが昨年よりダウンして72位
やっぱり、まずいよな、、今の雰囲気

ところで、戦前のメディア(新聞)はどのように伝えたのか
煽ったのか、それとも抑えるべく努力したのか(批判したのか)
ちょっと気になるところだ

 

 

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意識のリレー(ある読書からハイエク、そして、、、)

2016年04月26日 09時26分00秒 | あれこれ考えること

他人から見えれば何の関連性もないことも
自分の中では必然としてつながっていることがある
ある本を読んで、そこで知った概念や人物に興味を持って
それを追求する場合がそうだ

最近読んだ中で、どの本だったか忘れたが、ハイエクという
人のことが書かれていた(全然知らない人だった)
大雑把な考え方の紹介だったようだが、少し納得するところがあって
名前だけは覚えておくことにした

そこで、便利な世の中の武器 インターネットを使って
「ハイエク」と調べるとウィキペディアにしっかりと出ている
経済学者でノーベル賞ももらった人であるとのこと

ウィキペディアは丁寧にも詳しく説明している
本当に興味を持ったなら著作を読んで理解に努めれば良いのだが
気力と理解力に自信がないので、横着することにしてつらつらと飛ば読みをした

そのなかで、多分自分はこの部分に共感できるのだろうと思った記述があった

そもそも、人間の理性は、文明社会そのものを創造する能力はもっていない。人間の行為は、一つは先天的本能の欲求によるものであり、もう一つは人間社会が歴史的に経験を通して試行錯誤と取捨選択を積み重ねることにより発展してきた(ルール)、伝統規範に従ってのものである。文明社会は人間の営みの結果ではあるが、その本質的な構造は特定の意志により設計されたものではなく、社会の試行錯誤を経て意図せず生じたものであり、そのはたらきの機序を人は充分に認識しえない。よってそこに人間の理性(知力)が入る余地はわずかである。その本質において能力の乏しい理性に基づき「社会の設計(設計主義)」や「革命的な進歩」を目指した場合、認識しえない構造を基礎としている文明そのものを破壊する。人間社会に期待されるのは、所与の方向付けがされていない漸進的な自律変化である。道徳規則の形成も、人間の社会における実践的な営みの経験の中で成長したものであり、人間の理性による意識的な発明ではない

この中の何に納得できるかといえば、人間の理性の限界のこと

人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。

と別の欄でも書かれている

最近考える事、思うことは
確かに新東名高速道路等の強大な建造物を見ると
人間には無限可能性があるように思えるが、はたしてそれでもって限界がないと
するのはどうなのだろうということ 
この発想は人間生活の暮らしにも、つまり社会生活の分野にも適用されるが
人間を理性的な動物、生き物、としてしまうのは間違っているのではないかということ

科学は一気に進んで殆どの人がブラックボックス化している世界に住んでいる
コンピューターを僅かに扱うことができるが、何故そのようになっているかはしらない
原子力を使って発電はできるが、その詳しいことはわからない
そしてこの便利な社会を実現している科学の、科学的とされる考え方が
現在は人の考え方の基本となって
(それは悪いことではないが、多様な解釈というより 、ある一部の解釈に過ぎないことが多い)
それは唯一無二の考え方になっているような気がしてならない

人間の限界を、残念だがもう少し頭に入れて
試行錯誤をして築き上げた知恵をもう少し活用できる世界のほうが良いのではないか
と思ったりする

これは西部邁さんの考えに近いのかな?

人はなにかを知れば知るほど、その先には謎が増えていき
人間の限界を感じるものだ
次々に出てくる謎に挑む姿、少しづつ解決していく姿は
良いのだけれど、そこで妙に自信を持ちすぎる連中が誕生する
この人達が一番問題
多分、世の中の神秘を求める人達は知らず知らず謙虚の気持ちを
持つようになる
そして何故かその何に見られる秩序の中に「美」を感じる

この美を感じる心がない人が、現実には社会的に発言力のある
ポジションを占めている(ように思える)

小林秀雄に「美を求める心」というのがあったが
この「美」を求める心も、筋肉のように常に鍛えておかないと
働かなくなる、、、といったようなことが書かれていた
(そんなこと書かれていなかったかもしれない) 

いずれにしても、人間の行いはいくら無限大に可能性があるとしても
今行われている良いことは、現時点でのという条件付き 
先を予想するのは良いこととしても、もうすこし謙虚に限界の認識も
持たないとなにか怖いことになりそうな気がしてならない

相変わらず話が飛んでまとまりのない投稿になってしまった
ま、いいか! 

 

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カバーが多い、Dear boy(RAMの中の一曲)

2016年04月25日 21時16分34秒 | ポール・マッカートニー

ネットサーフィンというか、youtube中毒というか
検索に「Dear boy paul maccartney」としたら
結構ヒットした

「Dear boy 」はアルバムRAMの中の一曲
メロディアスでリンダのコーラスとの重なり具合が大好きで
お気に入りの一つだ

あまり知られていない曲と思うが、素人の人が多くカバーしている
それに驚いた
ポール好きは、売れてる曲ばかりじゃなくこの手の曲に触手が伸びるのは
よく分かる
素人の歌っている人の気持ちよさそうなこと、、、

このふとっちょの人はRAMから他にもカバーしている 「monkberry moon delight」


聴きどころのアドリブの部分はポールの声が聞こえるから
シャウトの部分だけカバーしている ようだ

プリンスは先日、自分はあまり知らない内に亡くなってしまったが
自分らの時代の天才「ポール・マッカートニー」は
ホントすごいなと改めて感心するばかり

自分はお気軽なアナザー・デイとかマーサ・マイ・ディアも好き
多分好きなひとはYoutubeにあげているに違いない 
ちょっと調べてみよう 

 


 

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最後の一言、あったほうが良いか、ないほうが良いか?(セトモノ)

2016年04月24日 09時07分27秒 | あれこれ考えること

ACの広告に横断歩道を渡ろうとする人に合わせて
こんなことばが流される

セトモノとセトモノと
ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう

どっちかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう

最近はこのパターンで流される事のほうが多いようだが
自分が一番最初に目にした時は
最後に次の一文が入っていた様な記憶がある 

「そういうわたしはいつもセトモノ 」

最初は、途中まで聞いて言わんとすることは解る
しかしなあ、、
とひねくれてしまったものだから最後の一文がある方が
ホッとしたというか、そうそう
と思ったりした

でもメッセージとしてはあまりにも内省過ぎる気もした

ということで、(ではないだろうが)最後の一文がないパターンが多い
確かにメッセージ性はつよい
だが、その分強制されているようで
ちょっとなあ、、と思ったりする

正しい人が怖い
一般的な正しいとされることは、それゆえに反論しようがない
それは仕方ないのだが、それを強要されると
嫌だな、、と思ってしまうのは何故だろう

もっともセトモノの詩、最後の一文がある無しで
言わんとする内容が違ってくる
なければそのままのメッセージ
あると、人間は、、、といったイメージまで発展する

ま、どっちでも(どうでもいいことだけど)
へそ曲がりは、いいことでも強制的に言われたくないな、、
と思ったりする
(もう少し素直にならなくちゃいけないかな)
 

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「くまモン」の発音

2016年04月22日 08時23分49秒 | 徒然なるままに

毎日、毎日気の滅入る地震関連のニュースが続く
無理矢理にでも明るいニュースを探したいところが
くまモン絡みの良いニュースが少しあった

ちばてつやさんのツイッター投稿がキッカケで
「#くまモン頑張れ絵」のハッシュタグのついた“くまモン=熊本”を
応援する絵をツイートする動きが広がっているというのだ

参加した人は「はじめの一歩」の森川ジョージさん、
「ワンピース」の尾田栄一郎さんなど旬の漫画家の人たち
(最近は漫画を見ていないので旬な人が誰だか本当はわからないのだが)

他にもくまモン募金箱が立ち上げられ、できることから行おうとする
活動がスタートしている

これらを伝えるあるテレビ番組の「くまモン」の発音・アクセントが気になった
そのアナウンサーは、くまモンを何かの音を強調する事なく平坦なアクセントで発音していた
自分たちは、くま  モン と最初の音を強調するものと思っていたので
何か違ったものを指しているのかと思ったくらいだ

くまモンの発音は、平坦な方がテレビ局では当たり前なのだろうか?
(この緊急時にはどうでもいいことだけど)

そういえば、愛知県の岡崎市
こちらの人は「おかざき」を平坦な発音をする
しかし、関東の人は(埼玉に嫁いだ妹の旦那さんは)
おか ざきと最初の音を強調する発音をする

同じ岡崎でもサッカーの岡崎選手の場合は
最初の方にアクセントがないと誰のことかわからない

そんなことをつらつらと思っていたら
「豊川」も他の地区の人には困る状況なのを思い出した
「豊川」が市の名前の場合「とよかわ」
川の名前の場合は「とよがわ」
こんなことは、こちらでは何の不便もなく使っているが
同じ字面で違う発音 困るだろうな

日本語を外国人が身につけるときに難しいのは
1本、2本と数える時に「ぽん、ほん、ぼん」の使い分けだそうだ
自分たちは勢いで当たり前のように正しく選択しているが
理屈で覚えようとすると、難しそうだ

それにしても、地震、想定外のことばかりが続く
いち早い収束を願うばかり

ところで川内原発は大丈夫か?
NHKでは鹿児島県の震度が何故か外されて発表されていたようだ
(それは実際には想像通り震度4の地区もあった)
なにか意図的なモノを感じるが、みんなに正確なことを伝えなくて
安全と思わせるようなことをして、NHK本当に大丈夫か?
(NHKの判断ではなく、別の誰かの判断?)




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STAP細胞関連の本と動画を見て!

2016年04月21日 11時13分15秒 | あれこれ考えること

先日、マスコミのSTAP細胞騒動の伝え方について
意義を申し立てたが、一段落した今になって
動画等を確認すると案外ネット上では一方的ではないようだ

マスコミが飛びついたのは深い闇があるというより
若い女性が中心になって行った実験やその結果としての
論文が少し怪しいところがあって
マスコミ的には美味しいネタを発見して大騒ぎした
というところかもしれない
(発表したのは小保方さんだが
 本当に小保方さんが中心になって行っていたのかは不明) 

あれが普通のおじさんが発表していたら
あれほど騒がれていないに違いなく
良識的な多くの人もそう考えている 

ところで、ネットの発言を信用するかしないかは別として
案外小保方さんを擁護しているように見える人もチラホラ見かける
それはSTAP細胞があるかないかは、そんなに簡単に実証できないのではないか
とか、検証実験で出ないと言って存在しないとするのには
時間が短すぎるのではないかという意見

これは意外にもマツコ・デラックスがこのように述べていた
また武田邦彦教授も似たような意見を残している
それから青山繁晴氏も、、、

ところが少しばかり残念なのは、この人達の世間一般評価がどうかという点
みんな少し変わり者の部類の立場ではないか
意外にまともなことを言っていても、普段の発言やキャラクターのせいで
あのひとがまた変わったことを言っている
その程度にしか伝わらなかったのではないか

ところで、そもそもあの検証試験は、あるかないかの実験ではなくて
ネイチャーに書かれたプロトコルに添っての実験に限られていて
現場での即興の工夫は禁止されていて(再現実験だったら必要な要素だったかもしれないが)
なおかつ、STAPがあるというのはキメラマウスができることが条件となっていた

小保方さんは当初からキメラマウスを作ることができなくて、その過程はずっと若山さんにお任せしていた
つまり 若山さんが参加しないと一般的にSTAP細胞が存在するということは 
証明できなかった 

あの実証試験でも緑に光った現象はあったようだ
ただしそれは想定したよりも数が少なすぎて
なおかつその先にはいけなかったようだ

「あの日」には実証試験に光ったものがあった
と書いてあり、評判の悪い200回できたという発言も
実は細胞のことではなく、光る現象のことなのだろう

ところで、武田邦彦氏の動画になるほどと思える指摘があった
それは華々しいSTAP細胞の記者発表のあと一週間もしないうちに
画像の不正流用が見つかったということ
それが不自然ではないかという指摘

ネットの力はすごいと言いつつも、その不正の画像というのが
早稲田の論文からの借用からというが、そんな画像をこんな短期間に
よく見つけることができたものだ
それに世界的に実績のある学者が何人もついていて
見つけられなかった点を他人があんなに短い間に
的確に(?)指摘できるのかのかという点 どこか不自然だという
普通は論文がでた ホントかな  実際にやってみよう 
おかしいできないぞ  どこか変なのでは  という流れになるが
いきなり普通の人の知らない出処の写真が明らかにされた

これは確かに武田邦彦氏の言うように最初から誰かが
リークしようとしていたと考えるほうが自然かもしれない

マスコミにリークされたことは、そののちにも
笹井さんと小保方さんの男女関係を匂わすような、
そしてそれこそが科学的なことを理解できない一般大衆が喜びそうなネタとして
取り上げられ、それが真実かどうかは言いっ放し!勝手な想像にお任せになっていたりする

若山氏が自分の渡したマウスと違うと発言し
問題となった話は
必ずしも違うということではないらしいことになっているが
これはその後の報道では扱われていない


そういえば、小保方さんがES細胞を盗んだ疑いで
事情聴取を受けた(イメージ的には犯人は小保方さん)とあったが
その結果は不起訴になっていて彼女の疑いは晴れたというより
事情聴取を受けて怪しい!という印象だけが残っている
そしてこの事情聴取もある人の(リークした人?)の訴えから
スタートしたようだ
(ところでNHKの特番や毎日新聞の「捏造の科学者」で扱われた
ES細胞と思われるものが入った多くのカプセルの写真は、
どうも騒動とは全然関係のないものだったようだ )

ところで、確かに小保方さんも悪い
電気泳動の切り貼り
本質に関係のない比較対象の部分の切り貼りで
そのように利用するなら白線を入れておくという作業を怠ったり
流用の写真は間違えただけで真正のデータ(画像)があるというなら
キチンと出せばいいのにあやふやにしたり
論文に都合の良いデータのみを選んで採用したり
(これはそのように指示されたという話もある)
その他にも、少しどうかなという点があるのは事実

実証実験でSTAP細胞ができなかったという理研の発表は
その実験データから不正を行ったと解釈するのが唯一の解釈ではなくて
ある人は、まだ他の解釈や可能性もあるようなことを言っている 

何が正しくて何が本当かわからない人たちは
無条件に発表する人を信じている
ここでは理研の発表することを無条件に信じている
きちんと実証実験を行った
その結果はこうだった
だから、何々だ
しかし、実は別解釈もありうるという声は
記者発表の場では聞かれない(それは記者の質問レベルを超えている) 

大御所の発表すること以外にも別の可能性があるかもしれない
これが多くの場合表に出ない
それを言おうとすると一気にバッシングになりそうな雰囲気がある
それを言えるのは変わった人とされている人物だけ


こうして人は大本営発表のみが正しいと思い込んでしまう
このような現実のもと、人は何を信じたら良いか
今回の騒動は、受け取る側の方も問題があったかもしれない
人は自分の理解できる範囲で物事を判断する
そして言われたくない言葉に「それは科学的ではない」がある
あの時に小保方さんを擁護する発言をすると
科学的でない 少し頭の悪い 人と判断されてしまう
そのことに妙に怯えていなかったか

ところで、全然話は変わるが「あの日」を読んで気づいたこと
それは小保方さんが取り組んだ世界がとても面白そうだということ
まだ科学の設備が充分でない時に、先人たちが想像力たくましく
いろんな仮説を思い浮かべたことを知る
そして自分も生命活動の不思議さを目の当たりしにして
想像力をふくらませる
それはなにか世の中に秘密に触れたような 美しいと言う瞬間を感じたような感覚
これはハマる人にはハマるのだろうと思う

素数に関してのリーマン予想にハマって人生を棒に振ってしまった人もいるという
素粒子論にしたって宇宙論にしたって、結局のところ今のところわからない
わからないからいろんな仮説を立てる そしてそれを確かめようとする
この工程は、そのように生まれた人には面白くて仕方ないだろう

ダラダラと、どうでもいいことを綴ってきたが、参考になったのは
「STAP細胞 残された謎」佐藤貴彦著
これがある意味、世間一般と対局にあって面白かった
(ここには光る現象が死の間際の現象ではないことを
 説明しているページが有る) 

あまりにも最初から偏見ぽくて、文体も品がなくて読む気になれなかったのは
「STAP細胞に群がった悪いヤツら」小畑峰太郎

「捏造の科学者」は著者 須田桃子氏の半端じゃない頭に感心する
しかし、どこか最初から結論ありきの道筋のような面が感じられる 

「あの日」を読んでからyoutubeでみた笹井さんの記者会見は
ほぼ小保方さんの記述と大差ない気がした
笹井さんは科学者らしく、言葉の定義、論旨、筋道をたてて説明しているように
見える、もっとも疑う方からすれば
何を言おうが怪しいということになるのだろうが

 

 

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エコーズ(ピンク・フロイド)

2016年04月20日 20時14分36秒 | 音楽

先日、ひょんなことから人にピンクフロイドの
「エコーズ」を聴くように勧める機会があった
この「エコーズ」は、プロレスのブッチャーのテーマ
「吹けよ風、呼べよ嵐」が収められた「おせっかい」というアルバムの
B面いっぱいを使って 収められた20分を超える大曲(組曲)だ

人に勧めたこともあって久し振りに引っ張りだして聴いてみた
キーン・・・キーンと静寂の中から始まる音は
どこか宇宙からの音のように感じる
そして、それは初めてこの曲を聴いた時の思い出に繋がる

ある年のお盆の一日だった
お盆になると友達が家に遊びに来ることが何年か続いていたが
その年は今はプロの音楽家(ベーシスト)になっている友だちが
彼の同級生を連れてきた、一枚のレコードを持参して 

それが「おせっかい」というアルバムだが、友達はB面を
かけるように言った

キーン・キーン 
印象的なこの音から始まるやいなや
その世界・音楽に心奪われてしまった
まるで宇宙からの音のよう、しばらくしてゆっくりと聞こえてくる音は雅楽のよう
それから、途中で聞こえるフレーズが何故かモーツァルトのクラリネット協奏曲の
第一楽章の一部を連想した
ヴォーカルの部分もある、しかし歌詞を理解しようとは思わなかった
けだるい感じの歌は、歌詞がわからなくても理解できるような気がした
曲は盛り上がって、いろんな変化をした後、ゆっくりした雅楽のような
フレーズに回帰する しかし明らかにそれは終わりに近いということを感じさせる

圧倒された 
曲が終わるやいなや、もう一度最初から聴こうとした
この曲がなんという曲で、なんというバンドが演奏しているか
聞くことも忘れていた

「エコーズ」を聞くときはこの記憶がいつも蘇る
暑い夏、あの部屋のあの場所に座って3人で集中して聞いていた時のことを

「おせっかい」というアルバムをすぐさま求めたのは言うまでもない
「おせっかい」のあとは「原子心母」を求めた
これも衝撃的なアルバムだった
原子心母はやはり20分を超える曲で、オーケストラやコーラスも参加している
自分はその分野を知っていなかったが
プログレッシブ・ロックというのだそうだった

今、現在聞き直すと(特に原子心母)少し大げさというか
時代がかっている気がしないでもない 
でもあの時代の空気・雰囲気はそうだった
なにか難解なこと、巨大なことに取り組むような
若い人は理解しようがしまいが朝日ジャーナルをもって
知識がステータスのような、、、

しかし、これらの曲が自分にとっては記憶に残るものだったが
同年代でも案外知ってる人は少ない
知らないことはもったいないと、おせっかいな自分はついそう思って 
つい人に勧めたというわけだ
(アルバムタイトルにはそんな意味があったのか?) 

ところで、このエコーズから連想するイメージはどうも宇宙的なものらしく
Youtubeにアップされているものをみてもそうなっている
youtubeには他にポンペイで行われたライブのもアップされているが
幻想的なヴァージョンのほうが面白いかも

おせっかいは以下に「エコーズ」の動画を紹介します
 

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