パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

虫の声

2009年07月31日 06時01分25秒 | Weblog
レム睡眠とノンレム睡眠を繰り返すその何回目に
毎晩決まって目を覚ます。
昨晩は開けておいた窓から忍び込んでくる冷気にも
起こされたよう。
さて、閉めようか、とすると虫の声が!

なんという虫かは分からない
だが確かに秋に聞こえるものの一つ
しかしそれは1匹だけ
心もとなく弱々しく

そういえば、まだ立秋にもなっていないし
長い梅雨の所為で茹だるような暑さも
たいして経験していないし
蝉の大合唱も嫌になるほどには聞いていない

自然は次の季節の準備をしている
せっかちな1匹かもしれないが
素直に「凄いなあ」とか「たいしたもんだ」
と思ってしまうのは歳の所為?
(もしそうだとしたら歳を取るのは悪いことではないな!)
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美しく見えるのは、背景に石油製品が映っていないから?

2009年07月29日 20時19分36秒 | Weblog
年齢を重ねると日本的なものを好ましく思うようになっていくらしい
食べ物では好みが肉から魚や野菜、洋食から煮物などの和食へ
音楽では演歌が身にしみて共感できたり
映画でも邦画の方が字幕を苦労して読まなくても容易に楽しめる
そして旅行は国内の温泉にまったりするのが好ましく思われたりする

こんな風には、自分はならないつもりでいた
しかし、保守的というのではなく
また古いものを無条件によしとするのではないが
昔の日本には確かによいものがあったかもしれないと
「英国人写真家の見た明治日本」(この世の楽園・日本)
ハーバート・G・ポンティング 長岡祥三 訳
を読んで(見て)みると、そのように思わざるをえない

白黒の写真に写る昔の日本は、なんと美しいことか
確かに古くさい、だがその写真には異常にカラフルなものも
簡単に安価につくられる石油製品も映っていない
そこにあるのは自然素材で手間隙かけてつくられたものばかり
そしてそれらは背景となる風景となんと違和感無く収まっていることか

どうもこれは昔ものを有り難がる気持ちとは少し違う
昔に戻れ!というのでもない
昔を単に賛美したり懐古するだけではない
だが、今の世の中は何か違っていやしないか!
と理屈を越えて感情に訴えかけて
考えさせるきっかけとなりうる

それにしても非効率というものの
手間隙かけたものから滲み出る魅力とか美しさは
やはり否定しがたい

話は毎度のことながらそれてしまったが
この本、文章がものすごく上手い
これが翻訳とはとても信じられないくらいで
書き写して真似しようかと思うくらいだ





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クナッパーツブッシュとチェリビダッケ

2009年07月28日 20時14分55秒 | 音楽
どうも買ってしまうと、それだけで役割終了!
みたいな状態になるものだけれど
2.3年前にHMVで購入した
「グレート コンダクター」10枚セットもその類い

買うときは気合いが入って、
よし安い!頑張って聴こう!
のつもりだったのだが
1.2枚聴いただけでほったらかしだった

それが不意に通勤時間に、これらを聴いてみる気になった
今のところ1~7まで

ちなみにセットの指揮者は
1 ジョージ セル
2 バルビローリ
3 カレル アンチェル
4 クナッパーツブッシュ
5 チェリビダッケ
6 ビーチャム
7 ウラディミール デルマン(?)
8 サヴァリッシュ
9 ヘルマン シェルヘン
10 フルトヴェングラー

さてここまで聴いて深く印象に残るのが
クナッパーツブッシュ
曲目はベートーヴェンの交響曲第8番とブラームスの交響曲第2番
始めに入っているベートーヴェンの方は
らしいと言えばらしい演奏でスタートするが
第3楽章になるとクナ本領発揮
まるでブルックナーの演奏のよう
第4楽章も妙に軽いのか遅いのか分からないような不思議な印象
続くブラームスは第1楽章のメロディアスな部分
ここが予想以上に表情豊か
クナッパーツブッシュはパルジファルを始めとする
ワーグナー以外にも結構面白いものだ
少なくとも他に何か無いか!
と思わせる力がある

さてチェリビダッケのほうは
多分遅いテンポで音がどんな楽器も聞こえて、、、
これが予想した姿
オケがイタリア系らしいのでくっきりした音かな
と思ったのだが、、、、

なんとなんとふっくらした柔らかい音
やはり音はいろいろ聞こえたけれど
何よりもびっくりしたのが音の柔らかさ
チェリビダッケの音になっているのだろうか
指揮者によって音は確かに変わって
自ずと印象も変わる
この演奏も他に面白そうなものは無いか
と次を期待させるものだった

セル、バルビローリ、アンチェル、ビーチャムは
特に言うことなし

7 ウラディミール デルマン(?)のブルックナーの第9番は
全然好みに合わず
この人スラブ系の人(?)なのか金管のならし方が生々しすぎて
独欧系のブレンドした音の好きな自分としては最後まで聴けず

残るは
8.9.10

それにしてもクナッパーツブッシュとチェリビダッケ
この2枚だけでも拾い物だったかもしれない
(確か凄く安いセットだった記憶があるけれど)
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幕末史

2009年07月25日 09時01分29秒 | 
いつでも、どこでも、しかもそんなにお金がかからないエンタメ 
究極のオンデマンド 読書
この読書、楽しみは
知らなかったことを新しく知る喜び
そしてもう一つは、知っていることを再確認し
頭の中を整理する快感

「幕末史」半藤 一利著  新潮社刊は
どちらかと言えば前者の楽しみを与えてくれた書籍

幕末は新撰組絡みの立場でなんとなく知っていたり
坂本龍馬絡みで一部の情報だけ記憶に残っているだけだったが
こうして政治、政権の流れを通して眺めていくことは
それなりに、「情けない!」と思いつつも
大きな流れは分かったような気分にさせてもらった

ここで感じたことは二つ
一つはアメリカのこと
ペリーが国書を携えて日本にやってきて
幕府に開国を促すことになるのだが
その成り行きを見ていくと
あれ!この態度、今と同じでは?
と自然にわき上がってくる
つまり、何か大義を掲げて、
結局は最新鋭の武器の威力に任せて
思う方向に導いていく方法論
(イラクに対する立場も基本的には似ている)

そしてもう一つは、結局、明治維新は
政権抗争でしかあり得なかったかもしれないという事実

歴史は勝ち組の方からの記述のみが正論とされるが
確かに明治維新は、
「日本という国のあり方」を
再構築したというよりは、
薩長の政権抗争の歴史みたいな感じがしないでも無い
(作者もその立場で書いているので、影響を受けて同感したのかもしれないが)

そこでは結局国のあるべき姿などは
最初からイメージできていなくて
政権についた人々のどす黒い(それだけに迫力も備わった)
思いが絡み合った歴史の様で
それは正に、今の自民党と自民党の内部、そして民主党との
いずれ行われる戦いに似ている
歴史は繰り返すというか、人間は進歩していないというか
それとも、この国は結局こんなものか?

ただ、いろんな立場から見ていくことは必要で
簡単に結論を下してしまうのも、
どうかと思われないこともないので
この本で嫌な奴と感じた「大久保利通」「岩倉具視」の
立場も偏見無く調べてみることも必要かもしれない
(ただ直感的には好きになれそうにない!)

かつて、江戸幕府が明治政府にかわっとところで
庶民の生活は江戸幕府が薩長幕府に変わったくらいで
なんの暮らしの上での変化はないと思っていたが
実は国の方針として徴兵制が決められて
(その当時の列強諸国からの侵略への不安から
 仕方なかった面もあるかも知れないが)
結果的に侵略戦争への足がかりをつくってしまって
のんびりと生きていた庶民は運命に翻弄されるような
流れになってしまったことには
今までは気づいていなかった

幕末史、広瀬隆の「持丸長者」あたりで
経済の立場から見つめ直すと
それこそ嫌になってしまうことになってしまうかもしれない

それにしても残念ながら政治の上に立つものは
けっして清廉潔白な人物というのではなく
むしろ度胸があって、策を労せるタイプの人がなっていくのは
いつの時代も同じかもしれず
我々庶民からすると困ったもんだ

ところで、やっぱり人物的に魅力的なのは西郷隆盛
反対にどうにも嫌な奴は「徳川慶喜」
勝海舟は、あまりにもはぐれ雲みたいに
立場がニュートラルすぎて評価しにくい
ただ、そんなに好きじゃないかも

話は変わって
山口県に首相経験者が多いのも
元が長州藩だから?
2世議員の問題も含めて、この力関係だけで
政権抗争等はしてほしくないものだ
だからマスコミが吉田茂と鳩山一郎の怨念が
今の麻生対鳩山の戦いに等と
おもしろおかしくとりあげるのもどうかと思ってしまう



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日食

2009年07月22日 20時09分35秒 | Weblog


今日の話題は、なんと言っても日食
お天気任せというものの、どうせなら少しでも見たいもの
しかし、空は雲に覆われて期待薄

ところが岡崎に来てみると、ラッキーなことに
数秒間で数回、部分日蝕が見えた
それは三日月のよう、Cみたいな形で
確かに太陽が欠けている

意地悪な雲が光を遮って、
道具なしでも見えるようになったのは皮肉なものだ

この写真は同僚が僅かなチャンスをつかんで撮ったもの

この日食の最中、駐車場に迷い込んだ鳩がソワソワしていた
心ここにあらず、というか、気を紛らわせようとしてか
藁をくわえたり離したり
とにかく落ちつかない様子で歩き回っていた
(決して飛ぼうとはしなかった)



鳩は電磁波の異常を感じているのか?

次の日食は26年後とか
それまで、、、、

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やっと解散

2009年07月21日 20時27分07秒 | Weblog
世論調査、現時点では政権交代の状況
だがまだ40日も残っている
願わくば、これからはネガティブキャンペーンや
中傷合戦の泥仕合にならないことを望む
その為にはマスコミは安易に話題に飛びつかず
慎重な態度で報道してもらいたいものだ

ところで今回ほど多くの人々が早く
したがっている選挙は無かったのではないだろうか
無関心と言われる若者たちも、流石に身にしみて
自分の周りが暮らしにくくなっている様を経験し
なにかその解決策を政治に求めようとする傾向も見られるようだ

それにしても、待たされた!が実感
この間解散のチャンスは無かったか?

各党のマニフェストをしっかり吟味して
選挙に臨むべき!
と一見正しそうな意見がまかり通りそうだが
マニフェストをきちんと吟味できるだけの知識と能力が
はたして本当に国民の間にあるだろうか?
けっして国民(自分も含めて)をバカにしているのではない
ただ話が細かくなっていけば行くほど国民は
何がなんだか分からなくなっていくのも事実
あっちを聴けばあちらが、こっちを聴けばこちらが
結局、言葉の上ではマニフェスト選挙と言いながら
実のところ多くの人は直感で選んでしまうのではないのか?

さてこの直感による判断、間違える危険性も無いではないが
「悪人顔」という言葉に代表される、なにか裏がありそうな人物
への判断はあながち間違ってはいないのでは

それにマニフェストをどちらがいいか判断する
と比較すると言った時点で
既に多くの人は片方の案を認めて、他の方は
批判する為に眺めることになる
そしてこの最初の受け入れる判断基準は
感情にもとずく判断となるだろう

(自民党への)不満か、(民主党への)不安か?
(自民党への)我慢か、離婚か?(新しい生活を選択か?)

今度の結果は国民が選んだものとして
4年間続くわけだから、いすれにしても
愚痴が出たり、ガッカリしないような結果になってほしいものだ



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ハリー・ポッター「謎のプリンス」

2009年07月19日 16時01分06秒 | Weblog
夏休み、そしてファーストショーの割引の為か
チケット売り場には長い列が並んでいた
その多くは「ポケモン」を見に来た親子
売り場の窓口には~~時からの席は売り切れの張り紙
自分には関係のない世界だが、
世の中はこんなものが流行っているのかと
改めて再確認した次第

さてギリギリで間に合ったハリー・ポッター
大の大人が、少しばかり恥ずかしい?が
本も全て結構楽しんで読んだことだし
映画もずっと見ているので
「毒を食らわば皿まで」の覚悟(大げさな?)で
今後の作品も見るつもり

さて映画、その評価は○
面白かった
先日の「剣岳」よりは楽しめた
このハリー・ポッターの映画、毎回、原作を読んでいないと
分からない点や話の流れがあるけれど(見ているこちらの方が心配してしまう)
今度は本当に上手く必要なところだけ取り出して
話をつなげていて、多少始めての人には
分からない点はあるかもしれないが
それでも充分楽しめそうだ

それにしても子供役者たちの大きくなっていくのは
確かにイメージに合わなくなって大変だが
同様に歳とった俳優さんも、同じだけ時間が過ぎていく分
この人たち最後の撮影まで生きていられるのか?
などと余計な心配してしまう
特にマクゴナガルさん、えらい歳とったな
セブルス・スネイプ、次は主役級だからダイエットして頑張れ

映画エンドロールのおしまいまで余韻に浸っていると
最後の「死の秘宝」は来年夏と再来年の2回に分けられて
上映されるとのメッセージがあった

この2年間、益々大人になっていくラドクリフ、エマ
こうなると映画は原作とは違ったものとして楽しむしか手は無い
(というかそれほど気にならないが)



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ハンガリー舞曲

2009年07月17日 20時33分16秒 | 音楽
ラジオをつけると聞こえたのは
「ベルリンフィル」だけ
しばらくして始まったのはブラームスのハンガリー舞曲第5番

久しぶり!
感傷に耽る暇もなく、速いテンポでグイグイ進んでいった
やけに速いな!
誰かな?
アバド?
ちょっと違うみたいだし、ドイツ系の指揮者かな?

それにしても速いな。まるでフルトヴェングラーの
ハンガリー舞曲第1番の演奏みたい
しかし、これはただスピーディーなだけだな
なるほど、ゆっくりしたところはゆっくりで
テンポの違いのメリハリはあるし
オーケストラはさすがベルリンフィル

演奏終了後アナウンスされた指揮者の名前は
カラヤンだった

カラヤン、フルトヴェングラーの演奏を
気にし過ぎていないかな?
演奏は違うけれどどこか張り合っているような、、、

ところでフルトヴェングラーのハンガリー舞曲の第1番
とんでもない快演だ
ベルリンフィルで若い時期のものだが、およそ舞曲なんて趣は無い
そのテンポの速いこと、ただ速いだけではなくて
徐々にどんどんテンポアップしていって
低弦が煽って煽って、演奏破綻しないだろうか?
と、こちらがいらぬ心配するほどで
しらず知らず胸がドキドキしてくる
そして、演奏者もよくついていってるな!
やってる連中はスリルがあって楽しいかもしれないな!

この演奏、正月に義理の兄に聴かせたところ
途中で笑い出す始末
たしかにその気持ちよく分かる
この演奏だけでフルトヴェングラーが
とんでもない指揮者であったことが明らかになる

フルトヴェングラーは第九(合唱)だけの指揮者ではない
エロイカ、トリスタン、マーラーの「さすらう若人の歌」など
他にも名演(迷演?)盛りだくさんだ

土日月と連休が続くから気合い入れて
フルトヴェングラー聴いてみようかな
(暑いかな?)


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不気味という感想が多いけれど

2009年07月15日 21時06分11秒 | Weblog




先日新聞で紹介された新城市作手の「ヨコタ博物館」に行ってきた
その博物館の前の庭に並んでいた、いくつもの石像
人の顔、赤ちゃんの寝転んだ姿、蛇に跨がった男
それら全ては美しいというより、どこか引っかかるところがある



それで人に見せたのだが大半が
「薄気味悪い」とか「不気味」
言わんとすること分からないでも無い

しかし、いったい何の目的でこんなものをつくったんだろう?
何か表現しなければならないような衝動に突き動かされて?
それともなんらかのハッキリした用途のため?

ホント何のためにつくったんでしょうね?







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「1Q84」読み終わりました

2009年07月14日 20時21分09秒 | 
これが村上春樹ワールド?
なかなか評価は難しい
一気に読んでしまったところをみると
読ませる技術は確かで、話が面白くなかった、
とは言えない

しかし、残念ながら何か残ったかと言えば
数年後には「1Q84」を読み終わったぞ!
と言えるくらいのことしか言えそうにない

それは自分とこの作家との相性の問題かもしれないし
自分の年齢のなせる所為かもしれない
もっと若かったら素直に感動したかもしれない

でも正直なところエンターテメント的な要素の多いこの小説
このくらいの話なら別の小説(ミステリーやSF)でもありそう
といって純文学に傾くのなら流れ過ぎて少し軽い

そもそも印象というものは、その物語だけに依存するものだけではなくて
その物語の背後にある(行間ににじみ出る)イメージが
大きく左右するものだと思うが
少なくともこの作品では主人公たちの孤独感とか苦悩などは
感じられなかった
(それを思うと「雪」オルハン・パムクでの孤独感はやりきれない)

話は急にそれるが不意にこの本に出てくる「空気さなぎ」
太古から知れずにあったかもしれない人々に大きな影響を与えるものだが
あれっ!昔どっかで読んだような、、、
と不意に浮かんだ  
もしかしてコリン・ウィルソンの「賢者の石」にもそんな話は無かっただろうか
ま、この手の話はある話かもしれない

残念ながらこの作家、自分は次は無いかも
(かといって大勢に影響あるわけでもあるまい)
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