パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

アニュス・デイ(ベートーヴェンの)

2016年07月31日 05時57分24秒 | 音楽

自分はクリスチャンではない
だが宗教音楽は嫌いではない
最近の精神状態を反映してか、急にある宗教音楽が頭の中を占めた

ベートーヴェンのミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)の中のアニュス・デイ
深い音楽だ
歌詞自体はベートーヴェンのものではないが、 晩年のベートーヴェンが達した境地みたいなものを
表現しているようだ

なんでもそうだが、初めての出会いは大きな影響を与える
この曲との出会いは、上の演奏、クレンペラーによるもの
まだやわらかな感性に満ちていた時で(?)
いきなり沈潜した祈りの音楽に魅入られてしまった
そして、知らず知らず頬を温かいものが伝わった

アニュス・デイ(Agnus Dei)

Agnus Dei qui tollis peccata mundei,
miserere nibis

Agnus Dei qui tollis peccata mundei,
miserere nibis

Agnus Dei qui tollis peccata mundei,
dona nibis pacem

 

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらをあわれみたまえ

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらをあわれみたまえ

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらに平安をあたえ給え

このミサ・ソレムニスは第九と同時期の作品で
規模も大きい
しかし、めったに演奏される曲ではないし
プロはまだしも一般的な評価はそれほど高くない
だが、このアニュス・デイの部分は本当に多くの人に
聴いてもらいたいと思ったりする
その深さ、切実さ、彼(ベートーヴェン)の達した境地を知るために

アニュス・デイは他の作曲家でも良い曲が多い
バッハもフォーレも、
そして弦楽のためのアダージョを編曲したバーバーのも悪くない
だが、真に深い祈りを感じさせるのはベートーヴェンのこの曲が自分にとっては一番だ

そして演奏は、最初に聴いたクレンペラーの演奏が群を抜いている
便利なYoutubeでいろんな演奏が聴けるが、どうもしっくり来ない
音楽的には美しいかも知れないが、沈潜した深さは、、、

 

世の罪を除きたもう神の子羊よ
われらに平安をあたえ給え

本当にそう思う

 

 

 

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怖い夢を見た

2016年07月30日 08時35分22秒 | あれこれ考えること

もう少しでこむら返りをするところだった
危うく気がついて右足を伸ばして難を逃れたのが
昨日の(早朝)のこと

その後、うつらうつらしている間に怖い夢を見た
ものすごく高い処にいた
ロープウェイで別の高い処に行くことになっていた
だがそのロープウェイというのがとんでもなく貧弱で
とても安心できるシロモノではない
いつ切れて落ちても仕方ないようなもの
これに乗るのか?
下を覗くと奈落の底というか岩がゴツゴツした険しい谷底が見えた
自分は乗るのをためらっていた
何故か多くの人は平気で乗っている、、

目が覚めた
すぐに何故そんな夢を見たのかが分かった
昨日の映画のせいだ
昨日の映画とは「帰ってきたヒトラー」

たまたま昨日の朝のニュースでは
相模原の障害者施設での殺人事件の容疑者が
ヒトラーが降りてきた、、、
との発言をしたとか報道されていた

ヒトラーは蘇ったのではなく、いつもそこにいる
気づかないまま多くの人の心の中に隠れている
あるきっかけで人は理性的な存在では無くなってしまう
その怖さ、、

これが怖い夢のなかの出来事だけで済めばいいのだが

 

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帰ってきたヒトラー(Er ist wieder da.)

2016年07月29日 18時49分36秒 | あれこれ考えること

急に思い立って名古屋まで映画を見に行った
映画は「帰ってきたヒトラー」
原題は Er ist wieder da.
 

映画を見れば「帰ってきたヒトラー」という邦題で問題ないのだが
原題をそのまま訳した「彼は再びそこにいる」
としたほうが気味悪さが際立つ

ヒトラーが亡くなる時、いつか自分と同じような者が生まれる
と言ったとか言わなかったとか、、
映画は幽霊のような存在である気持ちの悪い思いとか考えが
タイム・トリップしたヒトラーを通して知らないうちに広がっていく様を
暗示している

「彼」とはヒトラーではなく、もっと漠然としたもの
時代の空気とか雰囲気とか  そうしたもので、それが再びそこにある
といいたいのだろう
そして本当の危険な彼を知ってしまったスタッフが
社会では「気狂い?」として 扱われてしまっている結末は
この先品は笑い飛ばすものではないことを教える 

ポスターのコピーにある様に、映画の中ではヒトラーはタイム・トリップして
蘇った
彼はテレビ局のスタッフにモノマネ芸人としてスタートする
聴衆はただ面白がっていて、誰も本気にしていない
この本気にしていない様子は、実際にドイツで起こった
最初は本気にしないでいた様子を髣髴とさせる

ヒトラー本人はいつも同じ、主張を繰り返す
大衆は笑って受け入れる
ネオナチは当の本人であるヒトラーを、嘘の発言をしたとかで
暴力で傷めつける
ネオナチに必要なのは、自分たちに都合の良い話でヒトラーの存在ではない
この辺りはカラマーゾフの兄弟の有名な大審問官の部分を思い出させる
人が必要とする役割は大審問官がとり行い
本当のキリストはもはや不必要になっていることを
イワンがアリョーシャに告げる部分だ

そして面白おかしく報道するメディアは、ナチは扱ってはヤバい
と思いつつも、スタッフは「ナチは嫌いだが、今は局長だ」
と視聴率の誘惑から逃れられない

危険な思想は誰も本気にしていない
情報は商業主義
そして人間の中に潜むいつか爆発しそうな暗い情念、、

彼は再びそこにいる
復活するのではなく、常にそこにいる
と言われているようで、少し怖い作品だ

 





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手遅れにならないように(マルティン・ニーメラーに由来する詩)

2016年07月29日 05時55分37秒 | あれこれ考えること

ある人のFBの投稿に気になる言葉があった
そうかもしれない!と思ったが
いい言葉だから記録しておこうと検索してみた
見つかったのがこれ
ドイツの牧師 マルティン・ニーメラーの言葉だ
(ウキペディアから抜粋)

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

気がついた時は遅かった
そんな事にならないようにしなければ

今の日本は戦前に近い雰囲気だという人達がいる
戦前を知らないから具体的にどのようなものか
その切実感はわからない

しかし、何か不安を感じるのは事実
映画「未知との遭遇」でもあったように
感じる人は何かを感じる

そのセンサーが杞憂のせいなのか、何かを暗示しているのかはわからない
ただ今できることを、今しないと手遅れになってしまう

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漠然とした不安

2016年07月26日 08時22分01秒 | あれこれ考えること

フランスのニースでのトラック突入事件
ドイツのミュンヘンでの銃乱射事件
同じくドイツのアンスバッハでの爆発事件

日本では朝から相模原市の障害者施設で
とんでもない数の被害者の生じた事件が報じられている

先日は死体がバラバラにされた事件が続いた
東京・浜名湖などで 

東京都では誰を選んだとしても困る
といった言葉も聞こえる都知事選が行われている

アメリカでも共和党・民主党、それぞれの党の内輪から
素直に推せない大統領候補が立つことになっている

トランプ氏ももプーチン氏も
「偉大な●●」と自国の復活をスローガンとして掲げている
それは北朝鮮も似たようなもの
付き合いのいい日本は誰かが似たような言葉を発している
先日は台湾の調査で「最も好きな国」として日本がトップになったそうで
日本は特別な国として思い込みたい人々を喜ばせている

これらは一つ一つは関係のない事柄だが
時代の雰囲気としては、いま蔓延しつつある気分を表すものとしては
どこか合い通じるものがある

SF小説家ならばこの状況を導入部に使うかもしれない
いや、生物は(人間は)予め破滅するようにプログラミングされた
遺伝子を持つようにつくられている、、、
といったようなトーンで作品が作られるかもしれない

言えることは、洋々たる未来がある
とはなかなか感じられないでいること
まるで反対の意識・感覚が漂っていること

それを忘れるためには刹那的なものに溺れる
または、溺れさせるようにしている

漠然とした不安
自分の年令からくるものか
それともあるセンサーが働いた人たちに等しく感じられるものなのか

多分、この感覚を感じた人には責任がある
未来の人たちに対して
あの時、あなたたちは何をしたのか 
何もしなかったのか?
そんな批判を受けないために
いや、単純に未来が良いものであるために、、 


 

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報道の仕方

2016年07月25日 08時20分57秒 | あれこれ考えること

7月23日の朝刊の一面をある人が比較した

新聞の顔とも言える一面がこんなに違う
いつもは横並びが多い事が多いのに
(はたしてどちらが大事なニュースなのか?)

ところで、一面がこんなふうに違うことが昨年もあった
8月30日の国会前のデモを報じるニュースだ

まずは地元の中日新聞 ↑

次は、朝日新聞 ↑ 

毎日新聞 ↑

すべて大きめに扱っている
しかし、読売新聞は

なんの記述もない 

新聞は公平・公正なんてことはないことがそれとなく分かる

新聞がこうだから実はテレビ局だって同じことがあると想像される
テレビ局の親会社〈?〉は新聞社だし

「戦争と新聞」 という本を読むと、新聞にとって「戦争報道」は
売上を伸ばす絶好の機会だったという
(不買運動、紙の供給ストップ、暴力的な妨害があって
 記事が自由にかけなかったとしても、新聞が一企業の面があったことにかわりなく
 結局は影響力のあるメディアは正直に書き続けられなかった) 

話は飛んで、大相撲の稀勢の里に対する報道は
少し違和感を感じる
3敗になって横綱昇進の目がなくなって、優勝も自力では
なんともならなくなった時点でも、NHKのアナウンサーは
まだ日馬富士が負けて優勝すれば可能性が、、、 
と希望的観測を述べている

北の富士は案外冷静に突っぱねた感じで
あまり真剣に相手にしなかったが
このいつまでも現実をみようとしない(見たくない)姿勢は
もしかしたら戦時中でもあったのではないか
と思ったりする
いや、戦時中でなくても戦前もそうだったのかもしれない
(人は贔屓の野球チームが負けた翌日の新聞は見たくなく
 勝った時は何度も読み返す) 

さて、この報道の仕方について気になるのは
自分には投票権がない東京都知事選のこと
最後は都民の良識に期待するだけなのだが
これまでの経過をみて、果たしてメディアは倫理観なり
使命感を持ってものごとを伝えたか
と思うと、外野から見ても少し疑問を感じる

この都知事選、実は少しばかり予想したことがあった
それが本当かどうかはわからないとしても
きっと何かをやってくるだろうと
すると、やっぱり行った(文春とか新潮のある方向性の週刊誌で)

やった方とすれば、騒いでしまえば勝ち
目的は果たした!ということになる

現在は情報はいくらでも手にすることができる
しかし、それが本当かガセなのかわからない
そしてわからないまま、その場その場で判断していかなくては
ならない
時々、解説してくれる人物も登場するが、この人物の背景は
ニュートラルなことは多分ありえない

東京の人、ホント、どのような判断をするのだろう

またまた話は飛んで、ハンナ・アーレントが残した「全体主義の起源」 
膨大な資料からどのように全体主義になっていったか記述されているが
今のこの国も、そんなふうになりつつあるのではないか、、
そんな不安を打ち消すことができないでいる 

 

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山羊についての2つの詩 

2016年07月24日 19時12分39秒 | 徒然なるままに

チーズにすると少しばかり癖があって個性的なのが山羊
その山羊のことを歌った詩がある
ウンベルト・サバから(須賀敦子訳)

山羊

ぼくは山羊に話しかけた。
草地にたった一匹、つながれていた。
草を食べあきて、雨にぬれ、
めえめえと啼いていた。

あの啼き声は、ぼくの悲しみにそっくりだった。
だから、ぼくは答えてやった。まず冗談半分に、
また、哀しみは永遠だし、
ひとつめの
声、おなじ声しかないのだから。
その声が、淋しい山羊の
なかで、啼いていた。

ユダヤの顔をした、山羊のなかに
この世のすべての痛みが、すべての
人生の、争いが、聞こえた。 

正直なところよくわからないが、なんとなく好きな詩だ
特に難しい言葉を使っているわけでもなくて、、、
そんなことを思っていたら立原道造の山羊のことを
書いた詩を思い出して調べてみた

午後に(優しき歌Ⅱから)

さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べている
あの緑の食物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だろう!

私の飢えは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もつとさびしく ふるへている
私のおかした あやまちと いつはりのために

おだやかな獣の瞳に うつった
空の色を 見るがいい

〈私には 何が ある?
〈私には 何が ある?

ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べている 

全然似ていない?
それとも似ている? 
似てるのは山羊を扱っているということだけ?

でもなんとなく詩の心というか、根っこのところが似てるなあ
と感じてしまう
立原道造の方はまだ歳を重ねていない分だけ
視野が自分のことだけとか青春ぽい印象があり
サバの方は人生の重みを感じるが立原道造も
もっと長生きしていたら同じような詩を書いたかもしれない
と勝手な想像をしてしまう

最近気持ちに余裕がなくなってきている
たまにこうした純度の高い作品に触れると心が洗われる

 

 

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お施餓鬼

2016年07月24日 08時27分10秒 | 徒然なるままに

男はダメだな
なんにも知らない
いやいや男と一般化してしまうと文句をいう人が出てくるかもしれない

もとい!
自分はダメだな
何も知らないでここまで来ている

宅施餓鬼というのだろうか、お坊さんが来て
お経を読んで、少し話をして、、
ところが全部同居人にお任せしているので、実際に何をする(準備する)のか
正直、何も知らない

それで、お坊さんを迎える準備したものを写真に撮っておいた

自慢じゃないが知らないこと、
生活していく上で現実的に必要なことなのに知らないこと
任せっぱなしのことが多すぎる
(香典を誰々から頂いたとか金額とか )

世の男達はどんなんだろうか
自分と一緒だとホッとするが 

とりあえず、先ほど宅施餓鬼が終了
お盆には何々を持ってきて、、、
という家人とお坊さんの話は、
何のことを話しているか分からない

生活をするということは、本当に日々の細々としたことの積み重ねだ
その一つ一つが、できているかといえば、、、う~~ん 

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ゲームと読書

2016年07月23日 08時49分21秒 | 徒然なるままに

自分は完全に時代に乗り遅れていると感じることがある
それは「ゲーム」だ
ここ数日はポケモンGOの話題で持ちっきりだが、自慢じゃないが
自分はゲームに本当に縁遠い
インベーダーゲームも夢中になれなかったし
(脚の置き場に困って 苦痛だった?)
スーパーマリオもファイナルファンタジーも信長の野望も
名前だけ知っている程度

若い人と話しているとゲームは本当に馬鹿にできないくらい
経済的にも文化的にも影響力があって、ゲームキャラクターの
デザイナーになりたいという若者を何人か見たことがある

世の中がどんなにすごいと言っても多分自分はゲームをしない
頑なにしないのではなく
別の時間の使い方の方が好きなだけ
別の使い方と言っても大したことなく過ぎていくのが現実だが
それでも、向こうのペースにハマって楽しむようなことは
どうも好きじゃない 
やっぱり自らの働きかけがないと少しも楽しめない
自分の想像力のみが頼りとなる読書の方が好きかな 

しかし、この読書も最近は気力と忍耐力が心もとない(視力もやばい)
その証拠に先日購入した「生物はなぜ誕生したのか」
が半分くらいまでしか進んでいない
この本、読みかけると面白いのだがちょっと馬力がいる
貧乏性な自分は読み終えないと次に進めないことが多い
とにかく最後のページまでたどり着かなくては、、

 

 

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送りっ放し

2016年07月22日 08時39分57秒 | あれこれ考えること

ある放送局の人が自虐的に言った
「放送というのは送りっ放しだから、放送と言うんだよ」 

なるほど昨今のテレビ放送を見れば、納得できる
放送は誰かを攻撃する時、その威力を発揮する
小保方さん、ベッキー、乙武さん、舛添さん
彼らはメディアにとって美味しい素材でしかなかった
騒ぐだけ騒いで、自分たちの放送したことが正しかったか
などには少しも関心がなく、関心があるのはまた次に現れてくる
面白そうなこと
そしてそれは皆でたかって攻撃できそうなこと

馬鹿馬鹿しいことに時間を費やすことができることは
ある面世の中が幸せなことだとは思うが、馬鹿馬鹿しいことにしか
関心がいかないような世界はとても不安だ

数ある情報の中で、何が重要かを判断する能力と
何が受けそうかと判断する能力は違うものかもしれない
ヤフーニュースやグノシーニュース、その記事の選択・取り扱いや
タイトルの付け方 などは果たしてどういった視点から考えられているか

人格者とか善人ぶる気はないが、最近の世の中の動きは
なにかおかしいと言うか幼稚になってきていると感じざるを得ない

メディアを批判的に見ること
これは政権を批判的に監視することよりも重要かもしれない

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