昔、NHKテレビで西部邁氏の何かの講義を見た
偶然見たのだが、その話が興味深くて途中からだったが最後まで見終えた
確か「ユーモア」という言葉が出てきたが、大半なことはいつもの通り覚えていないが
「西部邁」という名前だけは覚えた
そのうち西部邁氏は朝まで生テレビに出るようになった
とても頭のいい人で、理屈っぽいがどこか憎めない人で
この人は信用できる人だと勝手に思っていた
最近、「まっとうな保守頑張れ!」などと無責任に取り上げたが
実は個人的には「保守」というものがどういうものかは知らなかった
そして西部さんはその「保守」の人間だということを今更ながら知った
それで少し前に西部さんの本を購入した
するとその本のタイトルが普通ではなくて「文明の敵・民主主義」
このタイトルは普通の感覚からすると、とても変だ
民主主義はとても尊重されるべきもので、文明の敵などと言われることはないはずだ
信じられる人物と直感した人物が、この様な発言をするのには何か意味があるはずだ
と思い、今度は西部さん所属する「保守」と言うものについての本を求めた
それが
これは思いのほか興味深く面白かった
今までは保守と言えば、一歩間違えると「日本会議」につながるような「伝統を守る」
事を優先する考えの持ち主だと錯覚していた
ところが、どうもそうではないらしい
確かに伝統を重視しようとする傾向はあるが、それは知識人の知恵から絞り出された
間違いを起こさないための一つの方法で、自分が勝手に思っていたのは
「原理主義」の部類に入るらしい
この本の最初、導入部分にチャーチルの言葉が紹介されている
「20歳のときにリベラルでないなら、情熱が足りない。
40歳のときに保守主義者でないなら、思慮が足りない」
若き日に自由や平等の理念に心動かされ、理想主義的になることが一度もないとすれば
それは感情の欠如である。かといって、いい歳になっても抽象的な理想を追い求めるばかりで
現実を理解しようとしないのも、理性の欠如と言わざるをえない
とその意味を解説している
この本の中には世間で当たり前のように自由・平等の言葉で
良きものとして語られることの多いフランス革命に対するアンチの考え方が
紹介されている
表面的にはへそ曲がりな考え方の様に思えるが、その中には
なかなかどうして考えさせられる思索が含まれている
まずはフランス革命の自由・平等の概念が理念的過ぎるないか
次に、この革命による社会変化は急激すぎるのではないか、、
もう少し違うニュアンスかもしれないが、だいたいはこんな感じで
保守の考え方の必要性を紹介している
まずは進歩とか変化を無条件に良きものとして楽観的に捉えてよいのかという考え方がある
最近は科学の進歩などで明るい未来だけが待っているわけではない
と感じることが多くなっている
保守主義者のバークは理性を(自由・平等)を否定するわけではない
ただ理性を論ずるにあたって、ひとりの個人の思弁的・抽象的な理性を過信することを
批判した。人間の理性とは脆弱なものであり、一個人の理性にできることには限界がある。
バークはしばしば偏見や迷信と呼ばれる人間精神の働きにこそ、理性を補充・拡張する潜在的可能性を
見出したのである
人間の思考とは、長い時間をかけて斬新的に発達したものであり、必ずしも合理的に設計されているものではない
偏見や迷信と呼ばれるもののなかには、歴史的に蓄積された経験が反映されていることが多い。
これらをすべて正しいとするのが誤りなら、これらをすべて理性の基準で捨て去ることも誤りである。
つまりは人間が試行錯誤で感情的に納得できる方法を育んできたものは
それなりに価値があり、その経験を踏まえてゆっくりと変化・進歩を目指すべきというのが
保守主義ということらしい
そのような考え方ができるのはエリートで、そのエリートは社会の上位にいる人が多く
それ故階級社会を崩さない可能性があるために、保守主義者は多少批判されるなニュアンスがある
しかし、現実論として「大衆の反逆」等で扱われたり「ポピュリズム」に大衆が左右されるのを見ると
選ばれた人(オルテガのような定義付けの)が世の中を仕切るほうが現実的かもしれないと思ったりする
その意味では民主主義というのは、理念だけで良きものとするのはお気楽すぎるのかもしれない
と言っても、まだこの本は読み終えたばかりでまだ頭の中が整理されていない
何日か睡眠を取っているうちに、ぼんやりと全体像が見えてくるかもしれない
(忘れてしまうかもしれないが)
ただ、いわゆる知識人と言われる人物の現実を踏まえた真面目な思考は
理想主義の思考と同等に価値があるということ
とにかく、世の中には色んな考え方があるものだ!
頭が整理できたら、もう一度この問題にトライするかな
(いやいや難しすぎて手に負えない、、、だろうな、きっと)