パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

声を届けるということ

2021年02月27日 08時39分23秒 | あれこれ考えること

徳川家康のお母さんの於大の方が、男の子が生まれるように祈った鳳来寺山は
その縁か東照宮があるが、また徳川四天王の井伊直政が今川の手から逃れるために隠れた場所
そして小学生の頃、遠足で千何段もの階段を登ったところだ

鳳来寺パークウェイができてからは、当然のように車でお参りすることが多くなったが
2年ほど前に久しぶりに正式な参道を少しだけ歩いた
すると、しばらくするとイライラが募ってきた
上手く歩けないのだ(歳のせいか?)
体が左右に揺れるようでバランスが取れず、まっすぐ歩きにくいのだ
階段にはなっているが、階段の周りの土は削げ落ちて階段の石だけが
まるで浮いているかのようになっている
歩いていくにつれてますますイライラは募る
遠足にでかけた頃は階段は平らな面が多く、そこで2歩要して次の段に移ったのに、、

自分の体幹が情けないことになっているのを感じながら、この階段の惨状に腹が立ってきた
「この階段を登りやすくメンテナンスすることはしないのだろうか?」
思いついたのはこのことだった

この後しばらくしてから、鳳来寺山の近くに住む方と話す機会があって
階段のメンテナンスを提案したところ
昔は地元の有志が自発的に手入れしていたが、徐々に高齢の人が多くなって
それもできなくなってきたとのこと
そうか、こんなところにも高齢化の影響が!と実感した

またしばらくして、今度は観光関係の人に話してみると
鳳来寺山は国定公園に指定されているので、無闇矢鱈と手入れはできない
とにかく法的な規制があれこれあって、簡単にはできない、、との諦めたような口ぶり

それでも何とかならないのかなと思い
国定公園の管理をしている組織を調べて電話をかけてみた
管轄は環境省になるが、そこから細かく分かれていて、最初は新城の出先機関へ
次に名古屋の出先機関、そこでも担当部署へは2回ほど電話は回されてやっと通じた

こうした機関に電話してお願いするときは
「石がグラグラして怪我をするひとが出るかもしれないから、なんとかしてほしい」
といったお願い口調で伝えたほうが効果的かもしれない
とアドバイスを貰っていたので、困ったな、、という感じで話してみた

公務員の方々は親方日の丸で庶民には評判が悪いことが多いが
自分が電話をかけていろいろ聞いたり相談したときは
とても丁寧な対応でいつも好印象をもったまま電話を切ることができる

それは今回もそうだった
「そうですか!一度、現地調査をしてみないとなんとも言えませんね
 おっしゃることはわかりますし、想像もできます
 まずは、調査してからとなりますのでしばらく時間をください」

ということで、もしかしたら何らかの変化が生まれるかもしれない
(何も変わらないかもしれない)

声を届けるということは、何もしないこととは全然違う
言い方に工夫が必要かもしれないが(正論でゴリ押しは効果ないように思える)
声を届けることは少しづつでも変化を呼び起こす
最近では新城市の外国をルーツに持つ子どもたち向けに
プレ教育をしてほしいと市に要望したところ、今年度後半からそれが叶うようになった

やはり声を届ける(発する)のは大事なことだと思う
ただし、それには多少の勇気と度胸と訓練などが必要かもしれないが



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リコール署名の不正の意図(独断と偏見による)

2021年02月25日 09時34分10秒 | あれこれ考えること

とうとう全国に知れ渡る規模のスキャンダルになってしまった愛知県知事リコール署名の不正
警察が証拠として各選管から署名簿を押収したらしい
このニュース報道で「選管が不正を行ったから警察に署名簿を押収された」
と信じているのんきな人たちがいるのは笑えない話だ

愛知県民なので、そして以前リコール運動を経験したのでこれには無関心ではいられない
心情的にはこうした不正があったことは、自分たちが行ったときも
同様な不正があってのではないのか?と想像されそうで、とても気分が悪い
自分たちは選管に提出する前に事前チェックをきちんと行った
そして同一筆跡と思われるものは横棒を引いてカウントしないことにした

実は署名活動はリコール運動以前にも行われた
それは新庁舎建設に関する住民投票を求める署名活動で
その時も不正がないか事前チェックがなされた
このときは平均的な無効署名率よりは低く、これは真面目に事務局が行動した結果だ

ところが今回の騒動は、いったい事務局は何をしていたのか?
との実務的な行動に疑問が残る
不正の意図というよりは、膨大な作業を行なわざるを得ないなかで
どのような組織体制だったのかが気になる
これだけの作業は勢いだけではできない
コツコツと物事をこなしていけるタイプの人材が必要だ
掛け声ばかりの人たちでは物事は進んでいかない

世の中は無責任な陰謀論などが囁かれている
あの不正署名を行ったのはリコール反対派の人間で、リコール運動派の中に
潜り込んで、妨害工作をしたと大真面目にツイートしている

だが現実の話、リコール反対派は、何をしなくても署名は必要数に達しない
と感じていたのではないか
43万筆のうちの8割が不正というから、実際の署名数は8万くらいとなる
これは署名活動の作業現場を見れば、実際はそんなものだろう、と想像できる
(我が市の署名会場も存在感なしだった)
だからわざわざ手間をかけて、リスクを負って妨害などしなくて済んでしまう

陰謀論が出回っているから、それに対抗して無責任な独断論をぶち上げてみると
まず、何故これほどの不正署名を行ったのか、、という点だ
署名の数は最初がハイペースに進む
テンションが高いうちにどんどん進んでいくからで
これはどのような場合でも見られる(実際自分らの時もそうだった)
だが徐々に増加のスピードは落ちる
なにかのきっかけがないと加速度的に増えることはない
つまり、最初の段階でリコール推進派の人たちは、その結論(必要数に達しない)が
想定できたと思われる

そこで困ったのは、世間に太々的にぶち上げたリコール推進のひとの誰か
大騒ぎしてもその行動が支持されたのは、ほんの少しだったとなれば
大恥をかくことになってしまう
必要数に達しない場合は、選管は詳しくは調べない(必要性がないから)
ならば、沢山あったと一方的に記者発表して、選管に提出し
直ぐに回収すれば(選管から返してもらえば)
リコールは成立しなかったが、これだけの多くの人がリコール支持した人がいた
と世間に訴えることができる
(ところが今回は大量の不正の噂が流れてしまったので、選管は行わなくていい
 チェックを行うことになった)

今回の騒動は、自分的にはこのような心理が働いていたと想像する
現実の作業の実態は(依頼主とかお金の関係は)そのうち明らかになるだろうが
本当にみっともない騒動だ

今回はリコールをしたかったのではなく、ある種の主張をおおっぴらにするための
宣伝活動の一環に過ぎなかった思えてしまう
その大騒ぎをしたかった人たちとは誰か、、、
それは、菅野完氏、青木理氏が書籍として取り上げたグループの人たち
と妄想するが、、さて


 

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74203円と庶民感覚

2021年02月24日 09時07分12秒 | あれこれ考えること

官僚の山田真貴子氏が総務審議官時代に接待をうけて、その時の食事代が74,203円だったそうだ
そのニュースを聞いたある主婦が、自分たちの何日か分の食事代だ、と皮肉を込めてツイッターに
投稿した

なるほど、1回で7万円以上の食事などは滅多に経験できるものではない
当然のことながら、そして残念なことに、自分で自分のためにこれだけの金額を支払った記憶はない
もしかして接待されたある時に誰かが支払ってくれたことはあったかもしれないが
ここまでの金額は多分無いと思われる

このような高額な接待は、やっかみも含めて庶民感覚からするとどうなのか、、と思えてしまう
これも誰かが言ってたが
「接待の記憶がないというが、めったに無いような高額な食事の接待を受けたなら忘れるはずがない
 仮に忘れていたとするなら、接待した側は怒りを覚えるに違いない」

つまりは常識的には覚えているだろうし「覚えていない」というのは、そう言わざるをえなかったに過ぎない
今回は、何故嘘とか、言い訳をするのか、、、という真面目な問題がテーマではなく、庶民感覚についての思うこと

庶民は生活する上でお金のことにシビアになっている
例えば、スーパーの商品の8円、10円が安いのとか、ポイントが3倍の日とかは、当たり前のように混雑する
ところが金額が大きな話になると、さすがの庶民感覚もお手上げになってしまう
建設工事の何十億の話やら、業務委託の何千万の話になると、とりあえず「高すぎる!」と声を上げてみるものの
生活実感が伴わないので、不平を言っただけになってしまう

庶民は普段自分たちが接する価格帯の話になると、一気にあれこれ言いたくなってしまう
例のアベノマスクの価格について、批判が一気に出たのはその価格が正当なものか?
と疑わしく思えたからだ
これは発注の経過が奇妙で、その部分の方に問題があるとした報道は少しだけ話題になったが
それもいつの間にか忘れさられている
でも庶民感覚から外れた価格とか行為は、生活実感と比較可能なため批判されやすい
最近の議員さんの夜の飲食問題も、庶民の感覚と全く違う行動は
PCR検査を増やすべきか、必要以上に増やすべきではないかと論争のような難しい話
ではないので一気に怒りの対象となってしまった

つまりは、庶民にわかりやすい例は、ことが重要か重要でないかを問わず
わかりやすいために問題となりやすい
でもこうした生活に密着したことから不平を感じるならば
少しでも声を上げるのは良いことだと思う
少なくとも声を上げないで、、それは結局のところ「黙認した」
ということになるよりは、感情的かもしれないが良いことのように思える

庶民がもう少し声を上げるようになったら、国も市も良くなると思ったりする

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鳳来寺の2つの銅像

2021年02月22日 18時48分34秒 | 徒然なるままに

昨日の日曜日、鳳来寺山にでかけた
といっても根性なしは千何段もの階段をのぼる意欲はない
ただ最近知人から教えてもらったある場所にいくためにでかけた

鳳来寺山は小さな頃、父に連れて行ってもらった記憶がある
田口線に乗って、表参道を歩いて、硯石屋さんが道沿いにあったのを
何故か鮮明に覚えている

だが昨日はこんな銅像が目に入った

一つは松尾芭蕉だ
松尾芭蕉は新城の俳人大田白雪を訪ねてこの地にやって来たとのこと
そこでついでに鳳来寺山に行こうとしたらしい
この地で残した俳句は
「こがらしに岩吹きとがる杉間かな」
「夜着ひとつ祈出(いのりいだ)して旅寝かな」

どうも芭蕉は、鳳来寺山に上る直前に腹を壊して宿に臥せったようだ
その宿で作ったとされるのが下の句らしい
新城にもあの方がお出でになったのか、、と思うと
どこか嬉しい気分がする

もう一つ銅像があった

若山牧水の銅像で、この方は自分の家の近くの方(今はいないが)と知り合いで
その人を訪ねたついでに鳳来寺に来たらしい(その紀行文もあるとか)
若山牧水は呑兵衛で銅像のお腹あたりは徳利とかお酒に関するものが入っている

いろいろ知ってくると、そうなのか、、、といちいち感心する
家康のお母さんも、井伊直政も関係のある鳳来寺
またいつかのぼって、、、、みようか(?)




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その気持ちが嬉しい

2021年02月19日 14時38分33秒 | 子どもたちのこと

昨日の木曜日は、3年生以上の外国をルーツにもつ子どもの勉強の手伝い
風が強く冷たく、雲の色も何かを企んでいるかのように黒く
光は乏しく、つまりは典型的な冬の様相だった

3時少し前、彼女は家の前の大きな石の上に座っていた
「中に入ろう、寒いから」
ところが彼女は
「先生を待ってる」
と応じなかった

その時は小学校の先生と何か約束事があるのだろうか?
くらいにしか思わなかった
「家に入って先生が見えたら出ていったら」
普段から口数の少ない彼女は頑なに
「(ここで)いい!」
と、そこにずっと座って、来る人を待っていた

彼女がやっと腰を上げたのは木曜日の勉強の手伝いのスタッフが見えた時だった
彼女が待っていたのは小学校の先生ではなくて
勉強の手伝いをしているスタッフだったのだ

彼女はスタッフに近づき、迎え入れるようにいつもの勉強の家に入っていく
彼女にとってはスタッフが先生だったのだ
そんなことにハタと気づくと何かしら猛烈に感動した
「エライ!」
思わず声が出た

そうすることが正しいと彼女は考えて、寒い中スタッフを待っていた
それが実質的に意味があったかどうかはわからない
でも小学生の女の子が(必死に)考えて行ったことを思うと胸が熱くなる

「エライ」
また、それしか言えなかった

1日経った今でも、どこかほわーんとした良い気分は続いている
ほんと、その気持が嬉しかった

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本好きの独り言

2021年02月18日 09時11分38秒 | あれこれ考えること

とんでもない程の読書家ではないが、本が好きだ
文字だけで表される情報を、ラジオの周波数をチューニングするかのように
集中してテキストの世界に合わせようとする
始めのうちは黙読している自分の声が脳の中で聞こえるような気がするが
そのうちにそうした声は聞こえなくなって、イメージとか漠然とした概念が
頭に定着して、それを味わうだけの状態になっていく

ただし、これは調子が良くないとできない
集中するまでに時間を要するものがある
ミステリーなどは比較的容易に、さほど集中しなくてもその世界に入っていけるが
小難しい本になると、読書モードになるまでが大変だ
それらの多くは文章の中にいろんな概念やら思いが込められているので
それらを想像しないと意味が理解できないことになる
いわゆる背景知識を読者が想像し得ないと単に文字面を眺めているだけとなってしまう

これは少しばかり面倒で、気合を要する作業なのでいつも容易に
その精神状態になれるわけではないがこれが苦痛かといえば
そんなことは無くてむしろ楽しんでいる
より刺激の大きいものをつい求めてしまう人の傾向の現れかもしれない

ところで人が得る情報は目から入るものが大半らしい
視覚からの情報(例えば写真)はパッと見ただけでいろんな事がわかったり
想像できたり、想像しなくても楽しむことはできる
だから楽ちんな情報交換として写真をメインとしたSNSが流行するのは理解できる

ブログでも写真を多く使ったものと、文字だけであれこれ投稿している人がいるが
閲覧は圧倒的に視覚を優先したほうが多い
それは自らの頭に苦労して思い浮かべる必要がないからと思ってしまうが
(写真のなかにはさすがプロと思わず感動するものもあるが)
テキストの中に込められた意味を悪戦苦闘して探ろうとするタイプの人間としては
このような楽ちんな情報の獲得に慣れっこになってしまう危険性を覚えてしまう
(写真が問題ありというのではなく、簡単すぎる理解の仕方に)

簡単な方へのシフトは、様々なことに見られる
機械の使い勝手が簡単になるのは良いが、簡単でないものを簡単に(単純に)
してしまうのはとても危ういように思えてしまう
その一つの傾向として社会的には「誰かが悪い」と単純化しすぎるのが見られる

それとは少し違うが、森さんの女性蔑視発言は
いつの間には本質とは別の「次のオリンピック会長は誰になるのか?」
といった問題に置き換えられている
youtubeの「#わきまえない女たち」で若い女性たちが、女性としての当事者意識だけでなく
社会の問題として取り上げた深刻な問題は、こうしたわかりやすい目前の問題に
すり替えられていつの間にか忘却のなかに埋もれてしまいそうな気がしている

文字からの情報を自らの想像力を駆使して何かを掴むという経験は
自分はとても有意義だと信じている
たとえ読み終えて何も覚えていないとしても、子供の頃の記憶のように
どこかに経験として保存されているのではないか
(記憶が脳にどのように保存されるのかは不思議で仕方ない)

消費される情報だけでなく、一旦経験として刻まれた情報
そしてそれを活用する自分自身の声
そうしたものが、一人ひとり当たり前のようになっていけば
わかりやすい単純なものばかりを好むようにはならないと思うのだが

残念、上手くまとまらなかった
ま、いいか

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調べてほしい調査(追加分)

2021年02月17日 08時54分54秒 | あれこれ考えること

先日、首長等の選挙において調べてほしい調査のことを取りあげた

それは、候補者の知識が全然ない無関係の地区の人に
1.顔写真だけ見せて、どの候補者が首長にふさわしいと感じるか
2.テキスト化された政策だけを読んで、どの候補者が首長にふさわしいと感じるか
3.政策と顔写真の組み合わせは一致したか
を調べてほしいというものだ

人の生き様は表情に現れるとか、人が得る情報は殆どが視覚からくるものとされるが
そうしたものは現実世界でどのくらい正しい選択として発揮されるか
(調査は投票結果とどのくらい一致してるか)
当たり前のようにマニフェスト選挙が推奨されるが、一般人にマニフェストの良し悪しが
理解できて選択できうるのものか
また人の風貌とマニフェストの一致などの直感はどの程度正しいものかなどと
お気楽にここで投稿した

今になって更に追加して調べてほしいことが見つかった
それは、先の3つの問に追加して「世論調査の結果」を知らせた場合と
知らせない場合では選択にどのような違いが見られるかという点だ

風貌とマニフェストの組み合わせを明らかにした上で
世論調査では誰それが有利となっているといった情報を与えた場合
人はどのような選択をするのだろうか、、
つまり世論調査結果を知ったあとで、再度誰が首長にふさわしいか?
と聞いたならば、人は最初行った選択とどのくらいの違いが生ずるものなのか

現実社会では世論調査の結果を知ってしまうことは避けられないことだが
その影響力は、どのくらいのものか知っておくことは大事なことと思われる

ここで独断と偏見による決めつけ(?)だが、自分は世論調査の情報は
馬鹿にできないくらい選択に影響するものと想像する
第一感で選択した人物を、世論調査を見聞きしたあとでは自分の判断に疑いをもち
みんながそう思っている人を選んだほうが無難と考えるようになるのではないか

これは投票行為としては自分が選んでいるようだが、実は何かにコントロールされている
という事態になってしまわないかと不安を覚える
もっとも現実は常に何らかの情報が飛び交い、それにより人は完全に公平な判断はできない

ここで肝心なのはこうした中でも自分の判断(あるいは直勘)を信じるか否かの問題で
自分を信じるためには自分を信じる根拠が必要になる
自分を信じる根拠、、
もしかしたら根拠のない自信も必要なのかもしれない(経営者のような?)
あるいは生きてきた中での経験(そこで得た直感とか知恵)を信じようとする気持ちかもしれない

話があっちこっちしてしまったが、大学の政治関連の学部はこうした第一感の選択と
世論調査の影響の研究、どこかやってくれないかな
面白いと思うのだけれど、、、




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リコール署名はアルバイト!(怒りよりも悲しい気持ち)

2021年02月16日 08時38分37秒 | あれこれ考えること

全国のどのくらいの人が関心を持っているか不明だが
愛知県人としてはとても気になる記事が今朝の中日新聞に掲載された
それは何かとお騒がせな愛知県知事リコール署名に関することだ

署名の8割位は無効だったので既に選管から被疑者不詳で刑事告発
されているが、今朝の報道はその不正な署名がどのように行われたかが
明らかになるようなものだった

それによれば、署名は時給950円で名簿を書き写すだけのアルバイトとして
遠い佐賀県で行われたらしく、そこにはリコール運動の請求者である高須克弥氏や
賛同者の河村名古屋市長の写真もあったとのこと

正直なところ、勢い余って暴走した人がいたかもしれない(それにしては多すぎるが)
事務局が選管提出前に十分チェックしておけば、署名数が少なくてもここまで大ごとに
ならずんに済んだのに、、、と思ったが、ここまでなるととても違和感を感じる

何故、そんなに数が欲しかったのか
リコール運動をした人たちができる範囲内で署名を集めればよかったのに
このような大掛かりな不正を、しかも遠いところで(ここに隠そうとする意図が見られる)
行って、どんな意味があるというのだろう

この記事を読んで怒りは覚えるというよりは、悲しい気持ちになった
それは民主主義の根幹を覆す出来事という大上段から振りかぶった倫理観よりも
そんなことをしてしまう人の弱さを垣間見るようで、、

大見得を切った愛知県知事リコール運動が、結果的に全く支持されなかったという現実を
受け入れることのできない人たちがいたのか
それとも他の理由があって、目標数に達しなくても数の水増しを図ったのか
そしてそれは誰が主導したのかは、とても気になるが
それ以外にこのアルバイトに応じた人たちのことを思うと気分が落ち込む

アルバイトに応じた人たちは、これがルール違反だと認識していたかは
常識的な大人ならば、その違法性には気づくはずだ
その中には良心の呵責に耐えかねて12月に警察の調べに正直にこたえた人もいたようだ

アルバイトに応じた人は少なくない数のようだ
違反だろうがなんだろうが、目の前に楽な仕事でお金が得られるという現実がある
それに対して倫理的にNOと断ることのできない人、、
でもそれは特別な人たちではないかもしれない
もしかしたら、自分でもある状況下では行ってしまうかもしれない、、、
と想像できてしまうからだ

普段は正しいことをしているようでも、不意に魔が差すようなことが起こす可能性を
自分は否定しない(そもそも何が正しいのかが年々わからなくなってきていることもあるが)

だが、このようにまざまざと人の弱い部分を見せつけられると、少し落ち込んでしまう
正しく生きるというのは、思いのほか難しいようだ
論語の「従心」の域に達するのは、、、難しい




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Because

2021年02月14日 09時08分43秒 | 音楽

ビートルズのLPアルバム「アビー・ロード」のB面の二番目は
ロックの範疇のアルバムに含まれていることに驚きを覚えるような
クラシカルな楽曲の「Because」
素晴らしいコーラスの楽曲で、ベートヴェンの「月光ソナタ」にインスパイアされたらしい
そこで見つけたのがこの動画で、最初は「月光ソナタ」を演奏してるが徐々に
「Because」になってそれが様々に変奏されてとても楽しい

Because (Beatles) Piano Cover with Improvisation

ところでビートルズのアルバムではこんなふうになっている

Because (Remastered 2009)

このBecauseの動画では、こんなのも心が動かされる

Summer Recording Workshop sings "Because" by The Beatles

自分はポール・マッカートニーが大好きだが、ジョンレノンのこの曲は良いと思う

 

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トランプさんの弾劾裁判から連想したこと

2021年02月11日 09時19分02秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

トランプさんの弾劾裁判が上院で始まった
遠いアメリカのことだが、フト我が市で起きたことを思い出した

それは「既に大統領の地位にいない人物を罷免するようなことは憲法違反か否か」
の議決を行ったところ、上院は「合憲」と議決としたことに関係することだ
(大統領の地位にいない人を罷免することは法的に問題ないということ)

我が市では昨年の初めころ、まだ予算が決まっていない段階で、一部の市民から
利用者が圧倒的に少ない新城・名古屋直行バス「山の湊」号の運行停止の請願が
市議会に(市長にも)提出された

この請願は総務消防委員会で話し合われることになったのだが、そこでは
「まだ予算案が提出されていないし、了承もされていないのでバスは走っていないことになる
 その走っていないバスを運行停止することはできない」
との理由で、請願は採択されず、「気持ちはわかるが、、、」の趣旨採択という形に落ち着いた

請願者がどのバスを運行停止して欲しいかは、常識的に誰でもわかる
しかし、請願の文章上のミスを取り上げて(言わんとすることが分かっていても)
このような結果を出したことは、一般人には理解し難いことだった

厳密に進めていくことは大事なことだが、背景にある認識を考慮せずに
ただ目前の文章の解釈のみで物事を進めていくのは、少しばかり抵抗感がある
特に相手が素人の場合、「彼らは何を言わんとしているか」を想像しないで
判断を下すというのは、どうなんだろう

ということで、判断を下す役割の方々には、文章の背後にある認識を踏まえた上で
結論を出していただきたいものだ
と同時に声を上げる市民も少しづつ賢くならねば!




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