パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

注目!柿谷曜一朗

2013年03月31日 15時29分58秒 | サッカー

昨年の途中から自分の中では
エライ掘り出し物を見つけた感じなのが
セレッソ大阪の柿谷曜一朗
関係者の中では有名な選手だったようだけれど
この選手、半端じゃなく凄い

Youtubeでスーパープレーを見たりすると(シュートシーン)
そのシュートの正確さ、キックの正確さには驚く
(勿論入ったシーンの集合だから正確なシュートになっているが)
以前の大久保みたいな出会い頭のシュート
ではなく、きちんとシュートしている
シュートの位置が割合遠くてもしっかりしたキックで
ゴールに飛んでいるし、近くのシュートはキーパーの動きを見ていて
落ち着いている

昨日の仙台との試合の一点も
あんなゴチャゴチャしたところでも
スルスルとぬけてキーパーの逆を取って
当たり前のように決める

実はその前のシーンに思わず声をあげてしまった
左サイドでボールをもって相手方のバックスが対峙
確か二人くらいが詰めてきて、スペースが無いところだったが
フワリとその二人の頭を越してパスが出た
なんだこれは!
どうやってキックしたのか?
ストイコビッチみたい!
その全盛期のストイコビッチもそんなキックがあった

いやー、凄いや
この選手は実際に見る価値は十分ある
願わくばコンスタントに怪我しないで活躍して欲しい

そしてシュートシーンだけでなく
全体的に存在感のある選手になってほしいな
といって妙にゲームを作る選手にならなくてもいいが

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ヨーロッパ 個人旅行は高い?

2013年03月31日 11時38分09秒 | あれこれ考えること

還暦を過ぎて、行けるうちに行ってみようか
と30何年ぶりのヨーロッパ旅行を夢見ている

しかし、余りにも多くの街をめぐるのは
体力的にしんどいので、一つの都市に目星をつけて
2.3日滞在して、普通の人たちの生活も実感してみたい

それに電車にも乗りたいし

などとあれこれ考えているとなかなかまとまらない
とりあえず、ウィーンを考えてみた
20代に出かけた時の印象は京都みたいで
なんか田舎っぽいとこもあって
すごく落ち着いた

ベートーヴェンのお墓、ベルデヴェーレ宮殿、シェーンブルク宮殿
オペラ座、シュテファン寺院、プラター公園
こんなのが行ってみたいところ
他にもちょっと足を伸ばしてリンツにも行ってみたい
聖フローリアン協会 ブルックナーゆかりの地でマニアックだけれど
ここも逃せないかな

あとはザルツブルク
前に行った時の印象はあまりよくなかったけど
(天気が悪かったせいで)
モーツアルト絡みでは外しちゃいけないかな

しかし、困ったのはこれを回るツアーがない
フリーステイの旅はありそう
6日とか7日とか選べるのだけれど
問題は個人旅行はプラスいくらという金額がかかる
そしてこのプラスの金額が半端じゃない

残念ながら個人の趣味に付き合っていられない
と同行する人がいないので
(いたら自分の好き勝手なコースは行けないが)
個人で行くことになるが
ネットでもなかなか個人の旅行の案は少ない

いや、実質的に無い
と言っていいかもしれない(?)

ならば完全に自分で組み立てて行くしか無い
だが昔の若い時ならまだしも
今のこの歳になって現地でバタバタするのは見苦しいし
対応力も不安

困ったな!

でもあれこれ考えているうちが一番楽しい時期かも

本当は、ハイデルベルクにも寄って
フルトヴェングラーのお墓参りにも行ってみたいな

そして電車も充分堪能したいものだが、、、

 

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友達の演奏「Auturias チョッパー Bass Sole」

2013年03月30日 18時06分18秒 | 音楽

<!-- Asturias チョッパー -->

友達がYoutubeにアップした
ベースのソロによるAsturias

中学時代からの友達
音楽の毒にやられてしまって
大学を中退、音楽の道に

本当はブルースをやりたかったが
生活のため(?)様々な音楽に取り組む

結局、それが良かったかもしれない
懐が深くなり
音楽の感動はジャンルのいかんを問わない
ことにたどり着く

でも好きな事をやっても許される時期になって
このベースのソロによる演奏に取り組んでいる

プロとは何か?
と考えるといつも彼のことが頭に浮かぶ

それで生活をしている
プロとはそういうもの
彼は自分の力で生きてきた

できる事ならできるだけ多くの人に知って貰いたい
ベースを弾く人の性格そのものの彼の演奏を

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10番と司令塔

2013年03月30日 08時39分37秒 | サッカー

誰が10番を司令塔と定義付けてしまったのだろう
専門誌ではないメディアは
10番、即司令塔の意味合いで使っている

しかし、10番は司令塔なのか?
そもそも司令塔という言葉自体が存在するのか?

10番でもメッシもルーニーも日本で言う司令塔ではない
メッシなんかは典型的な点取り屋
ルーニーはちょっと違うけど全体をコントロールする
司令塔ではない

いったい、日本で使われる司令塔は何をイメージして
使っているのだろう?
割合該当しそうなのは中村俊輔とかリケルメかもしれない
沢山ボールに触ってボールを散らして
とりあえず彼を経由して

問題なのは、今のサッカーはこれが機能しにくくなっているということ
プレスが厳しくなって時間もスペースもない現代のサッカー
それは誰かの指示によって動くといったようなのんびりしたものではない

現代は、個々がそれぞれの自主的な瞬時の判断によって
最適と思われる手段を選ぶ
それも究極の目的の得点を目指し効率的に

日本代表の10番は、もう司令塔でなくてもいいのではないか?
ヨーロッパでは当たり前になっているセカンドストライカー的な
扱いで充分なのではないか

決めるところは決める
FWほど前線で潰れ役になるわけではなく
間隙を縫って決める
そして時々効果的なパスも供給する
そのスペシャリストとして10番が存在すればいいのではないか

そもそも司令塔という言葉は
日本人好みの言葉ではないのか
どうも日本の組織は上意下達が基本になって
トップの命令が全てみたいなところがある

しかし、現場に携わっいる人間は
その都度最適な判断を要求され
それは指示待ちでは間に合わないとが多い
それで機能させるためには個々の現場の判断が
正しくできるようにその人々の訓練をすることしかない

ザックジャパン、山本ジャパン
日本では闘う当事者ではなく、命令を下す人間が代表のように扱われる
確かに監督に責任はとってもらわねばならないが
判断は個々の部分が大事

ということで前にも提案したが
サッカーにおける司令塔という言葉を
死語にしたいと思う

もはやそういう時代ではないのだ

ただいつまでもこうした言葉が使われ続けるのは
サッカーの解説においても野球的な発想が
幅をきかしているためのように思うのは偏見か?

 

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「一日は長く、一年は短い」

2013年03月29日 21時25分30秒 | あれこれ考えること

歳を重ねた者が実感すること
一方
「一日は短く、一年は長い」
は子どもに言えること

最近はまるで何かに復讐されているかのように
時間の経過が速い

この時間の経過だけでなく
最近は様々な速度について
今までとは違った感覚になっているようだ

歩く速度、あるいは走る速度
以前は6キロ/時間のスピードなんて
どうってことなかった
むしろモタモタした感じで
ついついジムのウォーキングマシンのスピードを上げたりした
走るスピードも10キロ/時間はちょっときついにしても
8キロ/時間では物足りず、見栄張ってもう少し速めにしていた

ところが今はどうだ
6キロ/時間の歩行もなにやら忙しい感じがするし
8キロ/時間のランニングもペースオーバーな感じがする
ともに体がついて行かない感じ

筋力不足、運動不足のせいなのか
それとも別の理由か

音楽のスピードについても同じ事が言えるかもしれない
若い時は生命力に溢れて、テンポの速いものが好ましく思ったし
体もそう要求した
しかし今は速すぎるものは聴き取れない(?)
指揮者が老年になるとテンポが遅くなりがちになるのは
こうした生理的な要因があるのかもしれない

とにかく、老人は何もかも速くは
できなくなってくるようだ

仕方ない、それが歳を重ねるということ

それにしても、子供達の
一日は短く一年は長く
その変化の大きいことは
不思議な気さえする
かつて自分たちもそれを経験してきたのが
本当にあったことなのか?
とさえ思ってしまう

アインシュタインの相対性理論なんか使わなくても
時間は伸び縮みするみたい

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才能と日々精進と狂気

2013年03月28日 20時51分51秒 | あれこれ考えること

たまたま近くで開かれるセミクラシックの
コンサートのチケットをいただいた
今日の今日もらったものだから自分はいけないので
誰か行ける人に、という訳で自分に回ってきた

プログラムは
チュイコフスキー 花のワルツ
さくら変奏曲
パッヘルベルのカノン
トルコ行進曲
グリーンスリーブス(歌)などなど
これらをピアノとハープ、バイオリン、ソプラノ、アルトで奏でられた

実は後半は聴かなかった
(ちょっと期待はずれもあって)
直近のコンサートといえばゲルギエフの芳醇なワインの
ようなやつだったから、今日の家庭的なレベルのものとは
大分差がある

ということで、今日感じたのは今日の演奏が
どうのこうの言うことではなく
素晴らしい演奏をする人たちは
おそらく半端じゃない練習をしているに違いない
とフト思ってしまったこと

そしてそこに才能が加わる
猛烈な練習ができるのも才能のなせる技かもしれない
そしてそれに伴う狂気のようなもの

芸術は心地よいだけではない
何者にも代えがたいものとして
人の一生を左右するような毒の部分も持つ

人に取り憑いたその力は
彼に集中力と狂気を与える
そしてこの狂気じみたものは何故か人の心を魅了する

その狂気の部分を感じられなかった今日の人たち
それは人として幸せなのかもしれない
なまじっか芸術の毒を知ってしまえば
楽しむどころか、苦しみのほうが多くなってしまうかもしれない

それにしても「神(美)は細部に宿る」
それを可能にする集中と才能

好きこそものの上手なれ
好きになることは才能なのかもしれない

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香川と遠藤

2013年03月27日 05時23分54秒 | サッカー

ワールドカップ最終予選
ヨルダン2-1日本

メディアはどのように報道するか
大勢がそこで作られる雰囲気に染められる前に感想を

まず一番先に思ったのは
香川はトップ下でゲームを作る選手ではない
ということ
彼が生きるのは(点をとれるのは)
確かにポジション上は、そこかもしれないが
実際に生きるのは誰かがそこまでボールを運んでくれた場合
彼は自分一人でこじ開けて得点するタイプではない

マンチェスターではルーニーとかファンペルシーとか
他にもキープ力に富んだ選手がいて
アジリティーにすぐれた香川が細かいところに走りこんで得点
と言ったパターン

だから香川がトップ下でスタメンなのは正直不安だった
しかし、予想に反して?まずまずの出来のように思えたが
ゲームを作るくらい後ろになると、本来の彼の良さは発揮できない

前に人がいても細かいスペースの走りこんで
絶妙なトラップと落ち着いたシュートが彼の特質
本田のように自分で何もかもするタイプじゃない

かと言ってトップ下に中村憲剛をおいて機能するかといえば
どうも首を傾げざるを得ないのも自分の印象

という訳で、本田の不在は今の日本にとって
実力低下は明らかになる

そして、遠藤
今までの貢献からすればあのPKを決められなかったことくらいは
大目に見てもいいかもしれないが
だが早急に代替えのメンバーを探さないと(作らないと)まずいんじゃないか
この試合の遠藤のパフォーマンスはよくなかった
そしてガンバの低迷も彼のパフォーマンスの低下に遠因がありはしないか
(もっとも代表戦などハードな日程が
 彼に疲労の蓄積をもたらしてしまっているのかもしれないが)

同様に長谷部も代わりを見つけなくては!

吉田はあのぶっちぎられ方が印象に残るが
そもそも彼はあんなふうに1対1になってしまったら
必ずしも強いタイプではない
(ブラジル戦でカカにもやらてます)
彼のいいところは、ポジションなり読みによって
あんなふうにならない状況を作り出すこと
今後より強くなることを望むしかない

内田もやっぱり問題ありかな
攻めの面ではあのPKをもらうシーン以外何もしていないみたいだし
クロスは相変わらずイマイチ
守りも反則っぽいところが心配
(だがドイツで比較的コンスタントに使われるのは
 自分には気づかない何かがあるのかもしれない)

こんなふうに思い出しながらだと
いろいろ出てくるが
試合の印象としては、この試合は
「闘う集団」の試合ではなかった
少しばかりボール扱いの上手な人たちの
健全なスポーツにすぎなかった

ある意味、選手自身が
「今日で決まりだ!」
と安易に考えていなかったか?
画面には緊張した必死の形相は見られなかった

ところで、総括としては
香川の位置、使い方
遠藤の代替え
そして本田の役割を果たす人間の発掘
(簡単に見つかるとは思えないので
 いなくても機能する方法の発掘)
などが急務と思われるが

メディアはこうした避けて通れない事実をとりあげず
敗戦の結果をはやく忘れたがるのだろうな
それが一番悪いことなのに

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水のいのち

2013年03月25日 20時46分06秒 | 音楽

今日の中日新聞に高田三郎のことが掲載されていた
その主な内容は混声合唱曲「水のいのち」のこと
懐かしい!と同時に、切ない感情が浮かんできた

この混声合唱曲の第3曲目「川」はとても好きな曲だ
ドラマチックで宗教的で深くて、、、
しかし、そんな風にに思うのは高校時代に
気になっていた女の子がこの曲を歌ったからかも

自分が2年生の時
学年を関係なく何かのコンクール(?)用に合唱メンバーが
音楽の教師によって選ばれることがあった
自分は選ばれなかったが
気になって仕方なかった一つ下の彼女は選ばれて
ある時、その発表会でこの歌が歌われたのだ

「何故、さかのぼれないか
 何故、低い方へゆくほかないか」
このイントロで参ってしまった

そこから続くメロディーも胸を締め付ける
歌詞が完全に聴き取れている訳ではないが
歌詞とピッタリしたメロディなのは何故か分かった

いい曲だ!
そんな印象が、彼女が一生懸命歌ったという事実と重なって
心に残った

今もこの「川」は彼女のことを思っていたあの頃を
思い出すきっかけになる

しかし、それでなくても、やはりこの曲は名曲だと思う
不自然な感じとか、パターン化された感じではなく
時々高田三郎のメロディの癖の傾向は垣間見られるけど
それも個性のうち

それで先ほどレコードを引っ張りだして聴いてみた
とりあえず全曲
でもやっぱり「川」が圧倒的に好きだな

武満徹みたいに凝縮して、聴き手が少し辛くなるようなことはなく
大らかにすべてを受け入れてくれる感じが素晴らしい

この高田三郎氏、戦争で焼けてしまった楽譜を
再び書き起こした管弦楽の曲があるという
機会があれば聴いてみたいものだ

何度も言うけど「川」いい曲だな!

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ISD条項と原発

2013年03月24日 19時09分10秒 | あれこれ考えること

TPPに関連して少し話題になりつつあるISD条項
英語の「Investor(投資家) State(国家) Dispute(紛争)
Settlement(解決)」の頭文字の略称で、「国家と投資家の間の紛争解決」という意味

具体的には外国企業が投資先の国の対応によって損害を受けた場合、
国連の仲裁機関などを通じてその国を訴えることができるというもの

これだけではなかなかイメージしにくい
例えば
ある企業が新興国で建てた工場などに対し、その国が急に法律を変えて没収(国有化)する場合などした場合
企業はその国に対し賠償金を求めることができるなどがあげられる
これがあることによって企業の「泣き寝入り」を避ける事ができるが
当然この条項は国内法よりも上位の法律となる

さて原発について考えると
TPP締結してしまったあと、日本国内が原発推進をストップしたとなれば
原発関連で商売しようとしていた企業から日本は
訴訟を起こされることになる

また国産の木材の使用を活発化するために
新たな公共の建物には国産材を使おう!
などという方針を立てたなら、これもまた訴えられる可能性がある

もしかして、これらの解釈は間違っているかもしれないが
文脈から可能性を想像すると充分に有りそうなことだ

確かに、国内世論的にはTPPに乗り遅れては、、、
という経済界の気持ちが見え隠れするが
ここはもう少し考えたほうがいいかもしれない

たとえ避けられない決断であったとしても
何も知らない内にお上や経済界が決めてしまってはまずい

何も知らない内に進んでしまったことが原発だ
原発について周辺市民は危険性や逃げ方、安全性などは
知らないまま経済性一本の説明だけで
そして可能性の統計学上の説明だけで
済まされてきた
そこ結果起きたことといえば、地域の崩壊

全てが原発のせいとは言わないが
いずれにせよ我々は判断をするにあたって
正しい情報を掴まなけれならない

我々は少し面倒な説明であっても
人任せではなく、理解すべく様々な事を
考えるようにしなくてはならない

つまり大衆が骨のある判断力を持つようにしなくちゃ
駄目だ!ということ
メディアの世論調査、イメージに惑わされずに
自分の考えを持つこと、、、
本当は3.11以後はこの風潮が進むと思ったのだが、、
(歩みが遅すぎて少し不安が走る)

 

 

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ブルックナー交響曲第2番

2013年03月23日 19時22分19秒 | 音楽

昼間で家には誰もいなかったから
比較的大きな音量で音楽を聞くことが出来た
レコードと比較して不満の多いCDでも
音量を上げると演奏のニュアンスも感じ取れる様になる

今日聴いたのは
ブルックナーの第2番の交響曲 朝比奈隆指揮 
大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏のもの

この曲結構好きでヨッフム、アイヒホルンなど
引っ張りだしては楽しんでいる
最初の2つの楽章が好きで、いつか実演が聴きたいものだ
と思っているが、なかなかこの地味なプログラムは無さそうだ

さてこの日本人のブルックナー演奏
宇野功芳氏が朝比奈隆の演奏を褒めているから
手に入れたのだが、確かに優れた演奏
(というより自分にとっても好ましい演奏)

正直日本人の演奏だとドイツ・オーストリー音楽の
肝心な部分で共感できていないんじゃないか?
と不安だったが、全然そんなことは無かった

(日本人の演奏でどうも自分的にしっくり来なかったのは
鈴木雅明のバッハ
実演でのヨハネもカンタータも何か居心地が悪かった
それが何故かはわからない
ただ音楽が日本語のリズムで進んでいったのが
気に入らなかったのかもしれない)

演奏自体は金管のヒステリックな咆哮はなく
フォルテでも何かが突出して響くことはない
絶妙にブレンドされ、響き自体に快感を感じてしまいそう
これはヴァントの8番の実演の時と同じ印象

妙な思い入れもなく、かと言って淡々と進んでいるでもなく
音楽のあるがままに進んでいく
楽譜に忠実な演奏などと言われるのかもしれないが
ただ楽譜に忠実なだけではこういった演奏にはならないだろう

共感、多分根本のところでこの部分が必要な気がする
アバド・ブーレーズもブルックナーの演奏したものがあるが
いくら精緻な演奏をしてもブルックナーに対する共感がないから
ただ音が流れていくだけにしか思われない

一方、アイヒホルンなどは共感が感じられて
それがこちらにも心地よい

共感に溢れた演奏は、間合いの取り方も絶妙
ちょっとしたフレーズも意味ありげに響く
そして最後まで一気に聴いてしまった

その後、聴く馬力のあるうちにと思い引っ張りだしたのが
マーラーの2番の交響曲「復活」(アバドの指揮 シカゴ交響楽団のもの)
さすがに最初からという気分になれず
歌の入る4楽章からにしたのだが
この曲最近も以前も、ちゃんと聴けないが
結果的に今日も同じだった

どうも効果狙いのような音楽が続いて
自分が共感できない
気分・感情の変化が激しい音楽がマーラーの
特徴とも言われるが、それよりも何か薄っぺらな感じがして
途中でやめてしまった

マーラーは5番は良いかも
1番も我慢出来る
9番は真ん中の2つの楽章がつまらない

マーラーは全体としてカッチリした印象を持つことが出来ず
ある楽章だけ突出した印象だけを持ちやすい

つまりは自分はマーラーより
ブルックナー派ということになるのだけれど
この田舎の作曲家はもう少し大事にされていいんじゃないか
といつも思ってしまう

ホント、好きだなブルックナー
第2番の交響曲はブルックナーのほうがマーラーよりずっと好き

 

 

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